中 元 みゆき。 みゆき通り商店街の中に「手打ちそば むすかり」っていうお蕎麦屋さんがオープンしてる。

48歳完熟の小松みゆき風俗嬢役再び 中1から変わらない美ボディー拝める!?

中 元 みゆき

この にはなが不足しています。 の提供に協力をお願いします。 存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的にあるいは有害となるものは すぐに除去する必要があります。 にシングル「」でデビューした。 公式ファンクラブ名は「なみふく」。 において、4つの年代にわたってシングルチャート1位を獲得した唯一のソロ・アーティストであり、他のアーティストへの提供曲が、5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得している(後述参照)。 また、自身の歌唱も含めると、作詞・作曲を手掛けた作品が5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得したことになる。 経歴 幼年期 - デビュー前 祖父は帯広市議会議長なども務めた、父・眞一郎は医学部出身の医で院長。 に生まれ、5歳の時にに引っ越し、11歳までを岩内で過ごす。 に移り、を卒業、に入学する。 の夏には体調不良の母親が実家で一時療養するのに合わせてに移り、に通うが、高校受験のため4ヶ月で帯広に戻る。 その後、を経て、文学部国文学科を卒業する。 帯広柏葉高校3年生の時、文化祭(第20回柏葉祭・)で初めてステージを踏む。 この時歌ったオリジナル曲は、「鶫の唄」である。 大学時代は、放送研究会に所属し、でスタッフのバイトなどをする。 のメンバーと交流を持ち、活発に音楽活動を展開し、「コンテスト荒らし」の異名をとった。 「フォーク音楽祭札幌予選」では「私の窓から」を歌っている。 には「フォーク音楽祭全国大会」に出場し、「あたし時々おもうの」で入賞している。 この時の音源は大会実況版として化されている。 後年、コンテストに出場したのは交通費や弁当代が支給されるので、バイト代わりであったと述べている。 大学卒業後は帯広に帰り、家業を手伝うかたわら、アマチュア活動を続ける。 オーディオのマスター、渡辺晃が主催した「自由集団」の企画で多くのステージを踏んでいる。 デビュー前に地元では既に多くのファンを獲得しており、オリジナル曲は既に100曲以上存在していたが、それらの一部は現在でも音源化はされていない(後述のを参照)。 デビュー - 1970年代後半 5月、の主催による「 」に「傷ついた翼」が入賞した。 9月には「」でからレコード・デビューを果たす。 10月の「」に「傷ついた翼」から急遽差し替えた「」によってグランプリを受賞し、の第6回でもグランプリを受賞した。 「時代」は12月に2作目のシングルとして発売。 これをきっかけにミュージシャンとしての実力をヤマハミュージックのに見出される。 その後中島は川上を現在に至るまで師父のように仰いでおり、中島のアルバムには、今日に至るまで、スタッフが記載されたクレジットに「DAD 川上源一」と記載されている。 ヤマハ育ちでも、ヒットが出ると離れていくミュージシャンが多い中で、中島はヤマハをそのまま自分の拠点としている数少ないミュージシャンである。 4月、ファースト・アルバム『』を発表。 その後現在まで、1年につきアルバム約1枚のペースでコンスタントに作品を発表し続けている。 同年にはに提供したシングル「」と「」が、ソングライターとしての名を世間に知らしめる。 同年大晦日『』で研ナオコが「」で出場、一挙に認知度を広める。 翌には歌手としても「」が70万枚を超えるセールスを記録し、ミュージシャンとしての地位を確固たるものにした。 ・としても、先述の研ナオコに提供した「」をはじめ、「」、「」など数多くのヒット曲を世に送り出し、大きな成功を収めた。 数少ない出演番組の一つとしてから放送された『』がある。 その中で披露された「時代」ではグランプリ受賞の様子がインサートされ、「」においてはと共演している。 歌手としてのブレイク曲「わかれうた」が収録されていた発表の4枚目のアルバム『』には「」という楽曲が収められている。 後年に系『』の劇中に使用されて大きな話題を呼び、シングル・カットされなかったにもかかわらず中島の初期の代表曲の一つとなっている。 『』以降、発表のアルバム『』までの8枚のスタジオ録音アルバムは連続でのアルバムチャートで1位を獲得している。 発表のアルバム『』から発表のアルバム『』までの22枚のスタジオ収録アルバムは連続で同チャートで10位以内を獲得している。 1980年代 、『』(月曜1部)がスタートし、番組においての軽妙な語り口がリスナーの間で大きな人気を集めた。 前半にはミュージシャンとしてさらに大きな人気を集めており、のシングル「」はオリコンのシングルチャートで自身2度目の1位を獲得し、の年間チャートでも6位を記録、この曲のアルバム・バージョンが収録された1982年発表のアルバム『』が同年のオリコンの年間アルバムチャートで1位を記録するなど、1981年から1982年にかけてはその人気はピークに達した。 にはに提供した「」が大ヒットし、の作曲賞を受賞した。 以降アルバム・セールスは下降線を辿り、1980年代中期から後期にかけてはサウンド・アプローチや作風そのものについてもひたすら模索する時代が続いた。 のやなどをプロデューサーに迎えてアルバムを制作したり、やラリー・アレキサンダーなどによるでのなどに臨んでいる。 発表のシングル「」ではの吹くを大々的にしている。 中島は後年になって模索に励んだ1980年代中期 を振り返り、「御乱心の時代」と称している。 自らのレコード・セールスが伸び悩む一方で、職業作家としてはの「」、「」などの作詞を担当した。 「御乱心の時代」は、のアルバム『』のを手がけたとの出会いによって収まることとなる。 中島にとって「これまで自分がやってきたあらゆるスタイルに対処してくれる」という瀬尾は適任らしく、現在に至るまでの全てのオリジナルアルバムでアレンジ、プロデュース、演奏に携わっている。 からは、瀬尾が音楽監督として名を連ねる演劇とコンサートを融合した舞台「」(やかい)をで毎年12月に上演するようになる。 「夜会」は中島にとってのライフワークともいえる舞台となり、に一旦、年一回の公演という形を終了し、その後は不定期で上演されている。 1990年代 1990年代の日本の音楽業界では、テレビドラマやとのによってを記録するシングルが後を絶えなかった。 中島みゆきも例に漏れず、ドラマ『』の主題歌「」をはじめとする3枚のミリオンヒットを記録している。 なかでも主演の系列『』の主題歌として書き下ろされたの「」は147万枚のセールスを記録した。 発表のアルバム『』収録曲「ファイト! 」との両A面扱いで発売されたこのシングルは、中島にとっての最大級のベストセラーである。 この時期のアルバムはシングルほど芳しい成果を上げるわけではなかったものの、1980年代後半よりも安定した成績を収めた。 『』から『パラダイス・カフェ』までの5作は全て20万枚以上のセールスとなっている。 には『』がオリコンのアルバムチャートで1位を獲得し、日本における女性ソロアーティストのアルバムチャート1位獲得の当時の最高齢記録を更新した。 から始めた舞台「夜会」に自身がかけるウェートはより大きくなり、以降に上演されたものは書き下ろしの新曲を中心に構成され、より大掛かりなものへと変貌を遂げた。 にはの国語審議会委員を務めた。 この審議会の委員を務めた歌手は中島みゆきだけである。 2000年代以降 - には25年にわたって在籍したを離れ、当時創設されたばかりで自らが取締役・主要株主として経営にも参画するミニ・メジャーの・に移籍。 以降現在に至るまでヤマハから作品を発表している。 移籍後最初にリリースされた中島のシングルが、のテレビ番組『』の主題歌「」である。 中島の作品にこれまで馴染みの薄かった中高年層のサラリーマンを中心に大きな人気を集め、最終的にのウィークリーシングルチャートTOP100に連続174週にわたってランクインするという驚異的な記録を打ち立てた。 発売当初は話題にならなかったが、『プロジェクトX』の人気が高まるとともに注目され、アルバム『』には、1曲目が「地上の星」、ラストが「ヘッドライト・テールライト」という構成で収録された。 このアルバムの発売にあたっては、の仕様をめぐりからクレームがつき 、発売直前になって急遽デザインが差し替えられるというハプニングも起こった。 このロングヒットをきっかけに中島はのに出演。 『プロジェクトX』内でもとりあげられた(黒部川第四発電所)からの中継で「地上の星」を歌った。 このときに初めて「動く中島みゆき」を見た人も多く、番組中最高の歌手別視聴率(52. これはオリコン始まって以来のリリース後最長期間(130週)を経た1位獲得記録である。 同時に、1970年代 - 2000年代まで4年代連続の1位獲得となった。 には『プロジェクトX』の最終回に出演。 スタジオで同番組エンディングテーマ「ヘッドライト・テールライト」を熱唱した。 通算オリコンシングルチャート100位圏内チャートイン記録を183週に延ばした。 1990年代前半から本格的に行うようになった海外でのレコーディングは2000年代からは主流となっている。 近年では、アレンジ等にの父親として知られるや、、、などといった有名スタジオ・ミュージシャンを迎えてアルバムを制作するのが毎年恒例となっている。 に一旦休止した「夜会」はから再び不定期で行われるようになり、の「Vol. 14 24時着00時発」は、東京においてはこれまでのではなくで、大阪では初めてにおいて上演された。 、第56回 を受賞した。 「コンサートツアー2005」が評価されてのこと。 シンガーソングライターとしては初の受賞者。 同年には、に提供した「」の作詞が評価され、の作詩賞を受賞した。 8月から新設のヤマハミュージックアーティスト(現:)がマネジメントを行う。 秋には2年ぶりの全国ツアー「コンサートツアー2007」が行われた。 11月3日、を受章。 中島は受章に際して、 「 思いがけずうれしいことの表現に『』と申しますが、今の私の気持ちは『 棚から』くらいの驚きでございます。 ふつう、何かを頂けそうな場合には2度くらいは辞退して、それでもとおっしゃるならちょうだいするのがマナーなのでございましょうが、褒章となりますと『ふつう』ではないことですので、辞退なんかしたら二度とこんな機会はないかもと思いまして、即座に『いただきます! 』と、お返事してしまいました。 」 — とコメントした。 10月から1月まで3年ぶりの全国ツアー「中島みゆきTOUR2010」が27公演9会場で行われた。 このツアーから各公演の様子を伝えるを開始した。 10月から2月まで全国ツアー「中島みゆき縁会2012〜3」が27公演12会場で行われた。 また、11月から12月まで「」と称するを開催した。 9月よりNHK『』の主題歌として「」が使用され、同年12月31日のにも出場し、同曲を歌った。 中島にとっては2002年以来12年ぶり、2回目の紅白歌合戦出場となった。 概要 楽曲 歌詞 中島みゆきの曲には、日常風景の一部を切り取り、そこを行き来する男と女や働く人々をテーマにし、その一人一人にスポットライトを当て、その心情を曲にのせるものが多い。 非常に巧みな比喩表現を用いており、聞き手によってそれぞれ異なった意味を受け取ることができる。 普遍的なテーマを歌詞にしていることも非常に多い。 例えば、発売のアルバム『』収録曲の「永久欠番」。 この曲は、「人は誰しも唯一無二の存在である」ということをテーマにした曲で、発行の中学校用の教科書『新しい国語3』に引用されている。 対照的に、に提供した「」やに提供した「」のように軽いノリの詞も存在する。 ただし、この2曲に関しては、いずれもCMのキャッチコピー にひっかける方が望ましいと中島が指示を受けていた経緯がある。 大学のではを論じており 、からの影響が濃い。 また、中島みゆき自身の歌詞が現代詩の一つとして扱われ名詩選に収録されていることもある。 歌唱法 基本的に、深いブレスと力強い声質を生かして朗々と歌い上げる。 曲によって、また曲の中でも情景や詞が含む感情によって、いくつもの声色を使い分けている。 例として、「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」の歌い回しの違いが挙げられる。 同じアルバムの中でももっと声質の大きく異なる曲が収録されることも多い。 歌っているときの声と普段の喋り声とのギャップも著しい。 転調が得意であるため、転調する曲が多い。 例として、「浅い眠り」と「空と君のあいだに」が挙げられる。 記録 年代 曲名 1位獲得年• 他のアーティストへの提供曲が、5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得している。 年代 曲名 アーティスト名 1位獲得年• アルバム・シングルを併せた・のトータルセールスでは、までの時点で2131万枚。 女性ソロ・ミュージシャンとしては歴代8位。 女性シンガーソングライターとしては5位。 オリコンアルバムチャートでベスト10入りした枚数では、、、、に次いで歴代5位(2015年現在)。 50歳以上で週間オリコン・シングルチャートで1位を記録した女性歌手はとと中島の3人だけである(2015年現在)。 ライバル は、かつて「ライバルは? 」と聞かれ「中島みゆきさん」と答え、テレビ・ラジオなどでは「みゆき」と呼ぶ。 逆に中島は、『』で「松任谷」と呼んでいた(中島は松任谷より2歳上)。 1980年代以降、トレンドに合わせた楽曲でヒットを飛ばす松任谷由実と、己の道を行く中島みゆきを「月と太陽」「光と影」とするような対比が多く見られ、ユーミンは「 恋愛歌の女王」、中島みゆきは「 失恋歌の女王」、「 女の情念を歌わせたら日本一」などとよく形容された。 当人同士は、そうした周囲の対比をさほど気にもかけていない様子である。 同年代で交友もあり(ユーミンの夫が中島の曲のアレンジを担当したこともある )、互いに認め合っている。 、中島のコンサートツアー「明日を撃て! 」のパンフレットに寄稿した松任谷は、「私がせっかく乾かした洗濯物を、またじとーっとしめらせてしまう、こぬか雨のよう」と中島の音楽を評し、「でも、そうやってこれからも一緒に、日本の布地に風合いを出していきましょう」と締めくくっている。 中島は自身の著書『愛が好きです』の中で松任谷のことを「尊敬している」と語っている。 2人はこれまでにラジオで7回対談している。 『』(1980年6月9日、1983年6月13日)『ミュージック・パスポート』(1982年3月7日)、『』(1994年10月23日)、『』(2001年8月24日)など。 また、ライバルというよりも戦友的存在の一人として、も挙げられる。 谷山も中島と同じくヤマハ・ポプコン出身ということや、オールナイトニッポンの構成作家が同じということから交友があり、谷山が出演していたラジオ番組『』(木曜二部)にたびたび出演するほか、後年、『』 2000年 でも共演している。 コンサート コンサートは現在でも、2000人~3000人規模のホールを中心に行っており、原則アリーナクラス以上の会場では公演を行わない。 過去に、、では行ったことがあるが、では一度も公演を行なったことがない。 海外における知名度 チャイニーズのホームページ内「音楽評論家のアフターヌーンティー」コーナーには「中島みゆきの創作力は、広く認められている。 彼女の作品は、常に香港や台湾の歌手にカバーされ、日本のみならず、アジア全域に中島みゆきの音楽が行き渡ったと言っても過言ではない」と書かれている。 膨大な数のカバー曲や、日本音楽業界との密接な関わりにより、中島のニュースは時々台湾の新聞でも見かけられる。 『』、『』の両新聞社の情報バンクだけを取り上げても、ここ十年間における中島に関する報道は、年間20件 - 30件ある。 台湾の詩人は、文学雜誌で中島みゆきに関する評論を載せ、香港の評論家もに「中島みゆきの名にちなむ」という文章で中島を紹介した。 作家も中島の長年のファンとして知られ、自身の作品の中に、幾度も中島のことや歌を書き上げたことがある。 私の窓から ・にて開催された「全国フォーク音楽祭」札幌地区予選の優勝曲。 公式では未発表だが、に「ミュージックBOX」にて放送された。 町へお帰り でのコンサートにおいて発表された。 帰郷 あの人は船乗り ホンキー・トンク・ママ に実在したファッションタウン「ベル」にて開催された「第3回ヤング・フェスティバル」において発表された。 町へ帰れば で開催された「第52回青年会総会 前夜祭」で「」や「」などの楽曲とともに初披露された楽曲。 質問 から刊行されていた雑誌『』1977年5月号の別冊付録『プチプチ』に掲載された「POEM GALLRY 中島みゆきの世界」の中に発表された。 エッセイ「街の女」および「」や「VOL. 8 問う女」の源流となった作品で、に行われたコンサートツアー「1978年・春のツアー」にて、初披露された。 きつねの嫁入り に行われたコンサートツアー「1979年・春のツアー」において発表された。 北の旅人 にて開催された、天理教「あらきとうりょう・女子青年決起北海道大会」の大会歌として書き下ろした楽曲。 「」から、次の「」への導入として使われていた。 後に、から刊行された中島の著書「片想い」に全文掲載されている。 誰ひとりわたしを知らない 「夜会VOL. 3 KAN TAN 愛が好きですII 新潮文庫 夜会Vol. 4 金環蝕 角川書店 ジャパニーズ・スマイル 新潮社 夜会Vol. ヤマハ・フォークイン(、 - )• (、)• ミュージックマガジン( - 、 - 、 - 、 - 同年)• ( 月曜1部 - 、、、)• ( 金曜 - )• (NHK-FM 金曜 - )• 本人は「フル金(ジョイフルポップ金曜日)」と呼んでいた。 NHK80周年・15周年記念スペシャル・シンガーソングライターの時代(、)• (NHK-FM、)• ( - 月1回放送) テレビドラマ• (、)• 初のドラマ出演で、第10話に出演した。 (フジテレビ、・)- 南雲律子 役、第2話・最終話。 (、)- 清掃員 本人 役、第1話。 (、・・)- 車椅子を押す入居者 役 、第64・70・102話。 (2019年7月15日、) - 語り 映画• (1985年) - ムジカ 役(声の出演)• (1997年) - バーのママ 役• (2005年) - 巌岳 役• (2005年)• (2006年) - 間宮順子 役 その他のテレビ番組• 中島みゆき3Days-もっとみゆきと深い仲『第一夜、第二夜、第三夜』( 、 - )• 中島みゆき『夜会の冒険』(NHK BS2、)• (、)• オール中島みゆきナイト( ) CM• 「キリンプレミアムビール」()• 「」() と共演。 「」( - )• 郵政省「」(、)• 「北海道 生搾り」(、) ()と共演。 スキンケア化粧品「」()• 二種類のCMがあり、「偶然の出会い」という題名で、中島みゆき編、松田聖子編があり、松田聖子編では中島みゆきの「時代」を、中島みゆき編では「」をBGMとして流れていた。 特設ホームページでは、メイキングムービーが公開されている。 関連人物• - デビュー前、中島は拓郎の追っかけをやっており、拓郎の楽屋にも出入りするほど、周囲では有名なファンであった。 拓郎は、中島の「」を気に入っており、よくコンサートで歌っている。 中島は拓郎のことを「よた」と呼んでいた。 に行われた「」にゲスト出演し、提供曲「永遠の嘘をついてくれ」で共演した。 この模様はNHK BShiで生放送され、同コンサートのDVD『』に収録されている。 ゲスト出演すると、コンサートを全部見ることができると思っていたが、ゲスト出演が極秘であったため、ある部屋に出演時間まで、缶詰され目隠しの車に乗せられてコンサート会場に行き、リハーサル無しで、出演し歌を歌い終わったら、そのまま東京へ護送された(本人曰く)ということだった。 - ともに STV のディレクターだった竹田健二(1977年、37歳で急逝)に恩義があり、北海道出身同士の友人。 髪が薄いのをからかって中島が「と千春のコンサートには、ワカメの花束を持って行こう! 」と言ったことも(談…さだ・松山・中島の三人で食事をした際に、松山が薄毛対策のためにわかめスープを飲んだのに、さだが付き合う形で二人で飲んだ。 その時「みゆきがそばでジィーッと見てて」 )• - 「あの人に似ている」を共作。 古くからの仲であり、お互いに「みゆき」「まさし」と呼ぶ間柄。 二人でレコーディングした際のインタヴューではお互いに「ファンだ」と言い合っていた。 このデュエットの実現は中島の要請によるものである。 さだは、元日に放送された自身司会のNHK『』で、『プロジェクトX』の後継番組『』の番宣に登場したNHKスタッフに、「この番組には中島みゆきさんの歌はないんですか? 」とわざわざ質問していた。 2011年1月1日放送の『年の初めはさだまさし』で中島が『』の視聴者であることが紹介されたが、その際さだは、中島と2010年末に名古屋で会った時にさだが「『今夜も生で中島みゆき』やればいいのに。 みゆきなら出来る」(中島が「TOUR2010」で観客からのお便りを読むコーナーをやっていることから)と言ったところ中島が「白板の前のライトはきつい」と答えた、というエピソードを紹介した。 さだの妹・のデビュー曲は、中島が書いている。 なお、さだは中島の表現力と感受性を大いに称賛しており、中島の作品を「良質な流行歌」と評す。 - 『グッバイガール』以来、ずっと中島のアレンジャー、プロデューサーを務めている。 - 一時期・演奏で中島と多く組んだ。 - 『36. でののスペシャル・ラスト・ライヴにゲスト出演し、甲斐バンドの「」を共演した。 この模様は甲斐バンドのDVD『』、CD『』に収録されている。 - 中島みゆきの提供した曲は息継ぎがしづらく、こめかみに青筋を立てて歌っていたと、中島自身がラジオで語っていた。 - 柏原のレコーディングは、どの提供曲も毎回、中島が立ち会ったという。 そのレコーディングで中島は「芳恵ちゃんって歌うまかったのね」と語った。 ・・ - 自他共に認め合う年来の大親友たち。 - 「」のパーソナリティ同士として知り合い、時々各々の曜日に行き来した。 所の思いつきで、ゲームに負けたら所のシングル『寿司屋』に因んだ『蕎麦屋』という曲を作って歌え、と言われた中島はそのゲームに負け、本当に『』なる曲を歌うこととなった。 - 中島が大阪で「ミュージックマガジン」(MBSラジオ)のパーソナリティを担当していたこと、またそのであったが鶴瓶の「」の構成も担当していたことから引き合わされ、それ以来の交友がある。 特筆すべきは、4月の音楽番組出演を最後に、以後のCM出演まで13年の長きに亘り、テレビ出演から意識的に遠ざかっていた中島が、唯一「鶴瓶のミッドナイトトレイン」(関西テレビ、)にゲスト出演していることである。 鶴瓶もで中島について語ったり、「夜会」に度々訪れていることを「」()にて話題にしたりしている。 - 6月、のため『中島みゆきのオールナイトニッポン』に出演。 肝心の中島みゆきは、TVで『』を見たことがないだけでなく、明石家さんまの存在自体を知らなかった。 当然、話は噛み合わずさんまが「『』って観たことあります? 」 みゆき「昔…」 さんま「その裏番組で『ひょうきん族』っていう番組をしてます……」という会話があった。 - カバーアルバムで「空と君のあいだに」「ファイト! 」をカバー。 『お時間拝借』にゲスト出演したこともある。 - 自身とが中心のバンドで「僕たちの将来」「糸」をカバー• - 写真家。 中島の『みんな去ってしまった』から現在までのアルバムジャケット写真をはじめ、世に出回る中島の写真のほとんどの撮影は田村によるものである。 - かつて中島が『』の月曜1部放送後の、2部パーソナリティーがうえやなぎであったことから懇意となり、2003年-2004年、『』内で『』がベルト番組として放送されていた。 メインパーソナリティーである、うえやなぎに「おーやさーん! 」(大家さーん! )と、中島独特の抑揚で叫んで回覧板を持ってくる…という設定のオープニングだった。 には『オールナイトニッポン』40周年を記念し、一夜限りの復活をした『』では、アシスタントとして登場した。 - 安達主演のテレビドラマ『』、『』(1994年-1995年 )主題歌で大ヒットとなる。 - 『』の初めの方には、中島みゆきに関連した書き込みが多く見られる。 中島みゆきは『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のコミックス11巻の後ろの紹介文も書いている。 - 『中島みゆきの社会学』著者、学長。 中島みゆきのファンであり、講義でも数多く中島みゆきについて解説している。 - 『』(号)で対談。 『女歌』の文庫版に解説「幸福という言葉に惑わされない女達」を寄稿。 村上とがホストの鼎談集『EV. Cafe 超進化論』ではと3人で中島の歌詞について語っている。 小説『テニスボーイの憂鬱』では、会話の中で中島みゆきが話題になる箇所があり、登場人物の一人が、涙が出てきそうな歌の文句として「五才の頃」の歌詞に触れる台詞がある。 - 中島に関わる書籍を多数書いている。 - 「ファイト! 」をカバーする。 2011年10月22日、福山とみゆきはで共演した。 - 『』にて、ヒロインが「中島みゆきソング・ブック」と名付けられる。 - アルバム『』の一部の楽曲の編曲・レコーディングを担当。 - 自身熱狂的ファンであることを公言し、中島の楽曲を「恋愛が近代的自我にとって最大の不条理になるという逆説」(「中島みゆきはである」)を歌うものとして高く評価する。 - ドラムの村井守はいとこに当たる。 - 『』(、2008年・2013年)に、舞台作品としては初めて書き下ろしの楽曲を提供。 関連項目• - 「あした」をリリースした頃、自作が演歌のコーナーに置かれていたのを、みゆき本人がラジオで笑っていた。 - 中島みゆきに因んで命名された。 脚注 注釈• 音源化はされていないが、の「 ミュージックBOX」で放送された• このLP音源はCD化されておらず、当時売れなかったこともあり非常に貴重で、では高価な価格で取引されている。 通称ポプコン、現在の• 『』から『』まで。 2曲とも作曲は。 現在この記録を保持しているのはの『』。 岩波文庫をもじって 山波文庫(ヤマハ文庫)と表記したため。 ツアー終了後は、中島に関する最新情報を伝えるスタッフ公式Twitterとなった• シングルのリリースは。 「」「」「」「」の4曲。 中島みゆき with 名義• 中島以外では、やなどがAPO盤がリリースされている。 LP盤はA面がM-1〜6、B面がM-7〜10となっている。 LP盤はA面がM-1〜5、B面がM-6〜10となっている。 誕生日設定があり、誕生日には中島本人の肉声によりお祝いのメッセージが流れる。 この予選通過後、中島は、・で行われた「全道大会」と・の「全国大会」では「」を歌っている。 CMには中島本人が出演し、2000年まで放映された。 中島本人も女医役で第2話と最終話に出演。 CMには中島本人が出演し、1995年まで放映された。 元々は「」のテーマソングである。 起用された話数は、第1話 - 第4話、第10話 - 最終話。 起用された話数は、第5話 - 第9話。 中島本人も「糸占い」の占い師役として出演• 版では第4話• 元々は「」の挿入歌である。 DVD版では版権元の管理の関係で「悪女」は収録されておらず、別のBGMに変更されている。 中島本人も清掃員で第1話に出演。 タイトルは「強がりはよせ ヨ」• 研も1982年に30thシングルとして、このタイトルでリメイクした。 タイトルは「 サヨナラを伝えて」• 中島がセルフカバーするにあたって、タイトルを変更してリリースされた。 日本盤のボーナストラックに収録している。 さだまさしとのデュエットで収録されている。 アルバム収録にあたり、詞を自ら書き直しタイトルも「清流」に変更して収録されている。 車椅子に乗るのは本作の脚本家である。 から中継された。 歌詞を間違えたことも有名。 12年ぶりに紅白歌合戦に出場。 ・CT-101スタジオから中継され、「」に出演したとの2人と共演した。 「」は初めて他者へ提供した作品である。 文化庁. 2020年5月8日閲覧。 oricon news. 2005年12月28日. 2020年5月8日閲覧。 井沢真 2009年11月2日. 毎日新聞 毎日新聞 : p. 谷川俊太郎『詩を書くということ』p. 水内喜久雄『あなたと読みたい詩の本 恋日和』など。 の解説より• 台湾蘋果日報, 2003年12月11日。 (中国語)• 演奏の最初に歌声が入っているが、中島みゆき本人ではなく、別人。 映画ナタリー 2015年8月11日. 2015年8月13日閲覧。 デイリースポーツ online 株式会社デイリースポーツ. 2017年3月2日. 2017年3月5日閲覧。 ORICON STYLE 2016年2月25日. 2016年2月25日閲覧。 NHKドラマ. ドラマトピックス. 2019年4月18日. 2019年4月19日閲覧。 さだまさし『さだまさし ステージ・トーク 噺歌集』( 1986年 pp. 129-130 さだの発言自体は1979年6月のもの)より。 この話は、かつては三人で食事をするほどの仲であったことも示している。 外部リンク• (公式サイト)• - チャンネル.

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中島みゆき 氷中花 歌詞&動画視聴

中 元 みゆき

概要 [ ] 主人公の若松真人とヒロインである2人の「みゆき」の三角関係を描いた、青春。 本作の漫画連載は、連載当時の実際の時間軸とほぼ連動しており、作品の中での時季・年月経過と現実の時季・年月経過が同じで進行していた。 そのため主人公など登場人物も高校生から受験浪人を経て大学生になるなど現実の時の流れに合わせて成長しており、(連載期間である)1980年から84年までの4年間が作中で描かれている。 テレビアニメは3月から4月にかけてで全37話を放映。 映画は9月、系で公開された。 どちらもの製作。 テレビドラマは、にフジテレビ系列『』枠で放送された。 フジテレビとの共同製作。 担当編集者との打ち合わせにより、「理想の妹」を描くことと、前作『』ではサブヒロインだった安田雪美のようにガラッパチな妹キャラをメインヒロインに据えることを軸にして、本作の企画がスタート。 当時「みゆき」という名前の女性芸能人が複数人活動していたため、作者はヒロインの名を「みゆき」と決定する。 設定や人間関係についての打ち合わせを重ねる中、作者は担当から若松みゆきだけでなくしっとりしたもう1人のヒロインがいたほうが良いとアドバイスを受ける。 作者はファンである「」について、歌のしっとりした面と人柄のガラッパチな面の両方があると担当に語っており、それが担当にヒロインは2人必要だと気付かせるきっかけとなった。 「鹿島みゆき」という名は「中島みゆき」から取られている。 若松みゆきの言動のモデルは、中学生の頃から毎日のように作者の仕事場に出入りしていた女性だという証言がある。 本作連載当時は高校生であり、妹のいなかった作者にとって格好の素材となったとされる。 2012年、本作について作者は「単にかわいい妹を描きたかったんですよ。 妹がいない自分の妄想です(笑)。 で、スポーツ抜きでどれだけもたせられるかなぁ、というところではじめたんですけどね……持ちました! 」 と改めて語っている。 あらすじ [ ] 若松真人(16歳高校1年生)は夏休みに友人達とともに海辺の民宿にアルバイトに出かける。 真人が憧れを抱く同級生の鹿島みゆきも同じバイトに来ており、彼女が自分に気があることを偶然知り、デートの約束にこぎつける。 しかし、その直後ある出来事でフラレてしまう。 友人たちは落胆する真人に、海で見かけた美少女を誘うようにそそのかす。 いい雰囲気になり、デートの約束もした二人だったが、実は彼女は6年ぶりに海外から日本に帰国した血の繋がらない1つ年下の妹のみゆきだった。 妹のみゆきとの二人きりの生活が始まる。 みゆきはあくまで妹であると、真人は惹かれていく心を制しながら、鹿島みゆきとの関係も続けるというどっちつかずな態度を取り続ける。 妹みゆきも兄に一途な想いを寄せながらも、真人の幸せを最優先に考え、一人の女性・妹という狭間に心揺れながら自らの想いを留めている。 真人は鹿島との関係を進展させようとするが、みゆきには他の男と付き合うことを許容出来ないでいる為、中々思い通りにならない。 しかも二人のみゆきは男性からのアプローチが幾度となくあるので、気が抜けない日々を送る。 そんな一進一退を繰り返し、成長し、時は流れていく。 兄妹としての生活は約4年間続き、ある日、幼馴染でサッカー日本代表のスター選手になった沢田優一が若松家を訪ねてくる。 兄のように慕っていた二人だったが、沢田はみゆきを一人の女として見てしまい、結婚を申し込む。 沢田の人柄を知っている真人には反対する理由など無い。 沢田はみゆきの気持ちを知りながら、次々に話を進めてしまう。 そして迎えた披露宴の最中、真人はみゆきに思いを告げる。 登場人物 [ ] 若松兄妹 [ ] 若松 真人(わかまつ まさと) 物語の。 妹のみゆきは2人目の母親の連れ子なので、関係はない。 ごく普通の高校生だが、母親と2度死別している。 それ故、人に対する思いやりが人一倍強い点が最大の長所といえる。 軟弱で優柔不断でなおかつスケベで単純な性格ではあるが妹や恋人、友人のために自らの危険を顧みず、幼少の頃、命懸けでサーカスのライオンに立ち向かって行ったり、高校ではトラックに撥ねられそうになったクラスメートの香坂を救ったり、鹿島みゆきとのデートの最中に不良グループに囲まれても怯まず抵抗するなど、いざというときに仲間想いで勇敢な一面もある。 意中の鹿島みゆき(以下は鹿島と記す)が自分に気があることを知ったが、海外赴任中の父親について行った妹のみゆきがとても魅力的に成長して帰国したため、2人の「みゆき」の間で揺れつづける。 妹のみゆき(以下はみゆきと記す)は血の繋がらない兄妹だと知らないと思っているため、それを隠し、表面上は普通の兄妹のように振舞う。 とても可愛いみゆきを一人の女として見てしまうこともしばしばで、「その気になればだって出来る」と頭を過ることもあるが、何とか理性を保っている。 みゆきに対しては、時に父兄の立場でやや冷たい態度も垣間見えるが、みゆきのことをとても心配しており、それと同時に好意も抱いているため、みゆきが他の男性にされたり、引き離されそうになったときはすぐさま妨害している。 事実、真人は鹿島に逢えないことよりもみゆきと逢えなくなってしまうことの方がよほどつらいらしく、一定期間みゆきに逢えないとすぐに体調を崩してしまう ほどである。 また、普段は鹿島に想いを寄せているためデートも彼女を優先しがちでみゆきを邪魔者扱いにしていたが、物語が進むにつれてみゆきとの約束も守り、優先させる機会も増えていった。 高3の時に青秀大学を受験したが落ち、1浪して青秀大学に入学する。 幼馴染で兄と慕うサッカー界のスター選手沢田優一が急遽帰国し、共同生活が始まる。 真人は沢田に全幅の信頼を寄せ「妹の幸せを願う兄にとって理想の相手」としながらも、沢田がみゆきにした辺りから、焦燥感と同時にみゆきに対する本当の感情が時折無意識に出始める。 最終的に沢田とみゆきの披露宴スピーチの最中、自分の本当の気持ちに気付き、みゆきに告白する。 そして数カ月後海外でみゆきとする。 血液型はAB型。 若松 みゆき(わかまつ みゆき) 物語の。 真人の血の繋がらない妹で 旧姓 倉本。 兄とは異なり、成績優秀、運動神経・スタイル抜群。 真人を追って青華高校に入学し学園のアイドル的存在に。 であるためか、英語で書かれた手紙を普通の手紙のように読むことが出来て、普段着も水着を含めて露出度の高いものが多い。 再会当初から真人に好意を持っており、真人が鹿島を優先すると素っ気無い態度をとったりする。 時折見せる自分の気持ちに素直ではない小悪魔っぷりも魅力の一つである。 勝ち気で何事もはっきりいう明朗快活な性格である一方、冷静である。 真人に対してはやさしく献身的で、家庭的 である。 動物好きで思いやりがあり、男女分け隔てなく優しく接するため、異性からだけでなく同性からも好かれる人気者。 しつこく求愛してくる者が後を絶たないが、その中に本命はいないようで、女友達が真人の悪口を言うと感情的 になって怒ったり、みゆき自身の言動・行動・回想シーンから真人を一途に想ってる様子がうかがえる。 とはいえ、真人は自分に対して妹として接し、更に鹿島みゆきという敵わない恋人がいるため、自分の想いを留めている。 かわいい妹でいようとするが相当なヤキモチ焼きで間接的に兄のデートの邪魔をしたり、鹿島が若松家に一週間同居する際も鹿島と仲良くさせまいと画策したりする。 学内トップクラスの成績で有名大学も入れたが、真人の立場を考えて同じ志望大学に現役合格。 当初は鹿島に対して恋敵目線で素っ気無い態度であったが、徐々に彼女の人柄・優しさ・女としての家庭的な技量を認め、家族ぐるみの付き合いになるほどに仲良くなっていく。 だが、反面真人を想うが故に、自分には母親がいない、いれば鹿島に近づけた女になっていただろう、というも感じてしまう。 妹という手前、鹿島の前で真人に好意がある素振りは一切見せておらず、自分の幸せより真人の幸せを一番に望んでいるため、葛藤する。 急遽帰国した幼馴染でサッカーのスター選手である沢田からされ、思い悩む。 結果、自身は妹として貫き通し、素敵な母親がいて自分より優れた鹿島と結ばれた方が真人は幸せになる、愛する真人と一緒()になれないのなら諦め、自分の理想を絵にした沢田優一から愛されて結ばれるのが最善の選択と言い聞かせる様にみゆきは沢田との披露宴に臨む。 最終的に、披露宴の最中、真人が土壇場でみゆきに告白したことにより沢田との結婚は破談。 みゆきは真人の気持ちを受け入れ、数カ月後、父親のいるフィリピンにて3人で挙式、長年秘めていた愛を成就させる。 生年月日は(41年)。 血液型は真人と同じく、AB型。 みゆきは、真人との関係はないことを早くから気づいていたようである。 高校の友人・関係者 [ ] この節のが望まれています。 鹿島 みゆき(かしま みゆき) 真人の同級生で、恋人。 若松みゆきと共に物語の。 才色兼備で清楚・おしとやかなクラスのアイドル。 少々天然で控えめな性格の割に、たまに真人に対して大胆なアプローチを見せる時もある。 そそっかしく勝ち気な一面もあり、真人の頬に平手打ちすること数回。 ・など女性らしい技術は一流で良妻賢母のような女性。 女友達からも頼られ面倒見が良く、当初から真人に好意を持っており一途に思いを寄せる。 物語が進むにつれ公認の彼女になる。 自らが一人っ子なだけに兄妹を羨ましく思い、真人とみゆきの仲の良さに内心ヤキモチをしつつも表に出したことは一切なく、妹思いの真人・兄思いのみゆきの兄妹を「自分の理想の兄妹像」である、と真人に理解を示している。 ほとんど欠点のない女性で、若松みゆきに「今まで出会った中で一番の女性。 鹿島さんのようになりたい」と言わしめるほど。 ただみゆき曰く唯一の欠点は、真人に惚れているところ、らしい。 学年で1、2を争うほど成績優秀であったが、大学志望校を真人に合わせる為レベルを下げ、現役合格したにもかかわらず真人が落ちてしまったため、真人のために浪人を選択。 一年後真人と同時に青秀大学に入る。 真人と妹みゆきが血縁関係のない兄妹であることは、沢田とみゆきの披露宴前に控室で親族がその旨について談笑している会話を偶然立ち聞きし知ってしまった。 真人が妹のみゆきに告白したことで、最終回、単身北海道に傷心旅行に出た。 その旅先で同じ境遇の沢田と運命的に出会い、双方の笑顔が二人の将来を暗示させている。 生年月日は1965年(40年)(若松みゆきと1年違いの同じ誕生日)。 血液型はAB型。 間崎 竜一(まさき りゅういち) 若松みゆきに一目惚れ し、 一緒の修学旅行、一緒の卒業式、一緒の同窓会のために追試まで棄権し留年した。 年齢は真人の1つ上(中学卒業後高校浪人しているため、1浪1留となる。 大学浪人はしなかった)。 とても積極的な惚れっぽい性格で、様々なドタバタエピソードを残すが、根は義理堅く真面目な努力家で成績不良のため退学になりかかるものの、大好きなみゆきのために必死になって猛勉強を徹夜でしたり、サッカー部の中条のボールに真っ向から喰らいついたりもした。 腕っ節は強く、数人相手の喧嘩も負けない。 喫茶店「ドラゴン」を母親と切り盛りし、喫茶店のマスターもしている。 当初は、若松みゆきに好意的に接してもらえたが、2年時に別々のクラスになってしまい会う機会が減った。 最終回、竜一の母との会話から、みゆきは再会当初から真人と血縁関係がないことを知っていた 、と思わせる趣旨を母と互いに語り合った後、涙を浮かべながら真人とみゆきの結婚を祝福した。 2013年、あだち充の別作品『』にラーメン屋ドラゴンのマスターとして登場。 中田 虎夫(なかた とらお) 独身体育教師。 白樺女子学園中等部で体育教師をしていたが、みゆきが青華高校に入学すると、追いかけて転職する。 竜一とは恋敵で、二人の関係は諺の「竜虎相見(まみ)える」に喩えられている。 みゆきとは20近く歳が離れている。 母親が見合い話をたくさん持ってくるが、若松みゆきにしか興味がないので相手にしていない。 一度、勘違いで同名の美由紀(みゆき)という女性としたが、結婚直前で破談。 土下座までしてみゆきにしたりする入れ込み様だったが、若松みゆきが真人とした後、母親の見合い話を承諾する。 鹿島 安次郎(かしま やすじろう) 鹿島みゆきの父。 「二枚刃の安次郎」と自ら名乗るも、鹿島姓もしくはフルネームで登場したことがない。 若い女の子一般が好きらしく、で若松みゆきに偶然出会い、気に入る。 その後は警察官の身分を濫用しては、何度も若松みゆきに接近する。 真人は気が気ではなく、鹿島みゆきの父親と知らず、面と向かって「妹に近づくな」と啖呵をきったこともある。 その後、鹿島みゆきの父親と知って気まずさを覚えつつも、安次郎自身にも負い目があることから、お互いにそのことには触れずに和解した。 娘みゆきと真人の交際を認め、若松家と家族ぐるみの関係を築く。 真人・みゆきの結婚報告の絵葉書を見た際、二人の写真を見たかった趣旨の発言をしていることから、少なくとも憤りの念はないようである。 真人に失恋する形になった鹿島みゆきが北海道へ傷心旅行の許可を出して、妻と共に娘を温かく見守る。 香坂 健二(こうさか けんじ) 真人の同級生。 表向きは礼儀正しく文武両道で教師とっては理想の生徒で女子にもモテる爽やかな好青年を演じているが、実際はかなりスケベな上、人の恩を仇で返すような性格で、学園祭では、真人に命懸けでトラックから助けられたのにも関わらず、主役を真人に取られた腹いせに客席から舞台の敵役に向かって「(真人の)足、折っちまえ!」と言っていた。 ひたすら鹿島みゆきのみにアタックする。 徐々にエスカレートしていき、真人・鹿島の間を引き離そうと次々と陰湿な計画を企てるようになる。 鹿島みゆきと同じ大学に入るために、大幅に志望大学のレベルを下げ現役合格。 しかし、鹿島みゆきが真人のために浪人して予備校に通うことを知ると、自分も浪人して同じ予備校に通おうとするが失敗。 真人・鹿島が同じ大学に入学し、勝手に男女の関係を想像して鹿島への想いを諦めることとなる。 沢田 優一(さわだ ゆういち) 真人とは年上の、22歳の大学生。 高校時代までは真人の隣の家に住み、大学を両親とともに西ドイツへわたり留学。 容姿端麗で裏表のない性格、努力家で練習熱心な将来有望な日本代表のサッカー選手。 突如帰国の形をとって後半から登場。 若松みゆきと再会し一目惚れしてしまう。 若松家に進路を決めるため居候していた間、何とかみゆきを真人と同じように可愛い妹として見ようとする努力をするが、無理だと感じた為、転居する。 そして改めてみゆきに求婚する。 真人は兄のように慕っており、妹みゆきの相手としても申し分のない存在だったが、真人兄妹の間柄を知る一人として、真人に自分の気持ちを気づかせる最後のチャンスを与えることに。 真人とみゆき双方の気持ちを分かった上での強行なスケジュールを組み、披露宴を迎える。 真人のみゆきへの告白により破談。 その後、北海道に旅立った際、鹿島みゆきと偶然再会している。 村木 好夫(むらき よしお) 真人の同級生。 真人と同じくらいの成績にして、同じくらいのスケベさ、どこにでもいるような高校生。 要所要所で登場、真人と鹿島みゆきの間柄をうらやみ、ちょくちょく割り込む。 当初は鹿島一筋だったが、中盤から女の子なら手当たり次第にデートに誘うようになる。 もてないと思っていた妹がいる。 真人と同じく、一年浪人してから同じ大学へ進学。 作者の分身のような存在(やはり血液型は変態AB)。 どういうわけか、沢田と若松みゆきの結婚披露宴には登場しない。 若松和人(わかまつかずと) 若松真人の実父で、若松みゆきの養父。 二度妻を亡くしており、みゆきは二人目の妻今日子の連れ子。 年齢・職業不詳であるが、長年海外に赴任している。 都内の一軒家とは別に別荘も所有し、真人・みゆきの学費・生活費全般を仕送りしていることなどから、資産家と思われる。 作品に姿が登場したことはない(声と手紙の文面のみでの登場)。 突然みゆきを連れ戻そうとしたり養女に出そうとしたり、赴任先に遊びに来るよう手紙を寄こしたりと真人よりみゆきを気に掛けているようである。 事実、みゆきとの間では手紙で近況報告している。 真人は自分勝手な父親を快く思っていないようであり、電話での応対も荒っぽい。 性格はスケベでその遺伝子を真人は受け継いでいる。 の沖で搭乗予定の飛行機が墜落したが、搭乗前に暴漢に襲われ、空港のトイレで発見され、幸運にも難を逃れた。 沢田とみゆきの披露宴には間に合わなかったが、真人とみゆきのでの結婚式は唯一見守った人となった。 鹿島みゆきの母(かしまみゆきのはは) 鹿島安次郎(通称二枚刃の安次郎)の妻であり、鹿島みゆきの母親。 安次郎には少々厳しい。 名前は不明。 ・が一流の腕前の鹿島に家事を手伝わせいてる辺り、その技量はこの母親から学んだものと考えられる。 明るく温厚な性格で、真人と初対面の時から気に入っており、母娘の会話から鹿島が真人に惚れている理由を暗に示している。 少々野暮な質問もするが将来娘との結婚を勧める発言を積極的に真人にしている。 若松家と家族ぐるみの付き合いになってからは、みゆきとも仲良くなり、両家の旅行の際に特に母親のいないみゆきにとって甘えられる存在になっている。 真人・みゆきの結婚報告の絵葉書が届いた際、嬉々として安次郎に伝えている辺りに人柄の良さがうかがえる。 鹿島が単身で傷心旅行する際、私たちの娘ですもの、と温かく送り出している。 肝っ玉母さんである。 単行本 [ ] 全て小学館からの発行。 少年ビッグコミックス、全12巻(1981 - 1984年)• 少年サンデーコミックス ワイド版、全5巻(1990年)• 小学館文庫、全7巻(1997 - 1998年)• My First WIDE、全4巻(2001年)• ヤングサンデーコミックス ワイド版、全5巻(2008年) テレビアニメ [ ] 既に『』などで作品のテレビアニメ化権を取得していたが、出身の宮田知行プロデューサー、監督を招き、自社で制作スタジオを構えて挑んだ初のテレビアニメとなった。 フジテレビは既にアニメーション制作会社のによるあだち充作品『』をテレビスペシャルで単発放送しており、『みゆき』の後も『』『』と立て続けにあだち充原作のテレビアニメを制作・放送していくことになる。 漫画原作にはない、テレビアニメオリジナルのエピソードも何話か作られている一方、後述するように漫画原作の後半は入ってないまま終わっているなど、ストーリー的にはテレビアニメ版独自要素もある。 声優配役は、主役の若松兄妹に声優の実年齢が近い点が重視された。 ヒロインの若松みゆき役を演じたは、放送当時14歳の中学3年生(最初と最後の短期間は中学2年と15歳の高校1年)で若松みゆきとほぼ同年であり、キティ・フィルム製作の実写映画『』のオーディションを受けたことがきっかけで起用された。 音響監督のは荻野目の声の「テクニックを超えた得難い清潔さ」と「イントネーションのかわいさ」を買っていたが、声や演技については罵声やブーイングが寄せられ、声に魅力があるとする意見と賛否が分かれたという。 に『陽あたり良好! 』の文庫版の解説を荻野目が担当した際、イメージを壊されたファンにはお詫びしたいと述べている。 しかし小学生の時に芸能活動をしたものの、中学になってから活動がなかった荻野目にとって再デビューの足がかりとなった (荻野目はみゆき声優の後は、歌手となりブレイクすることとなる)。 三枚目な村木好夫役には、それまで(その後も)逆に美形キャラやハンサムな役が多かったが起用されている(アニメ版においてのみ、彼が主役の話もあった(第33話))。 塩沢本人も初主役だった『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』のゴドーに次いで思い出のキャラクターとして、『』のブンドルなどと共に本作の村木の名前を挙げている。 楽曲は、音楽部門にを抱えるキティ・フィルムの製作だったためか、らキティ・レコードに所属したアーティストたちの歌が頻繁に挿入歌として使用されている。 また当時のテレビアニメとしては、全37話で2回変わるエンディングテーマ(計3曲)は異例の多さであった。 特にが歌うエンディングテーマ『』のEPレコードは43万枚を売り上げるヒット曲となり 、のスタンダードナンバーとして記憶されることになった。 この曲は、現在でも卒業式などで歌われることがある。 ネット局の一部では打ち切りとなったが、後年の再放送で全話放送した局もある。 本作は、1年1か月(55週)という放送期間のわりに全37話にとどまった。 度々別番組放送による休みが入ったためで、木曜放送時代はやの編成により、一回も放送休止週がなかった月は第1話の1983年3月を除けば同年5月だけ、特に木曜から金曜に移動する間の約1か月間は全く放送されなかったが、金曜移動後の放送休止は1984年4月6日だけであった。 原作中盤までのエピソードを消化したところで、放送終了となった。 当時まだ原作漫画は連載中であり、テレビアニメ版は漫画版と比較すると途中までで、物語の結末は描かれていないが、テレビアニメ版としての最終回は放送された。 その数か月後に原作漫画も連載終了しており、こちらはきちんと完結している。 完結編を劇場用新作アニメーションとして制作する話も持ち上がったが、実現することなく頓挫しており、『みゆき』の後半から完結までが描かれているアニメ作品は存在しない。 キャスト [ ]• 若松真人 -• 若松みゆき -• 鹿島みゆき -• 間崎竜一 -• 村木好夫 -• 香坂健二 -• 中田虎夫 - (第4話から登場)• 鹿島安次郎 - (第6話から登場) スタッフ [ ]• 製作 - (キティ・フィルム)• 原作 -• 企画 - (キティ・フィルム)• 企画協力 - 宇佐美廉()• - 宮田智行(現・宮田知行、キティ・フィルム)• 音楽 - ライオン・メリー、、安西史孝• - 遊佐和重• スタイリスト - 鶴巻葉子• チーフ制作 - 森本一雄• 制作デスク - 山津真岐子• 美術監督 - 海保仁三朗• アートデザイン - 早乙女満• 音響監督 -• 撮影監督 - 都島雅義• チーフ・ディレクター -• プロデューサー - 岡正• 色指定 - 西川裕子、小松利江• 美術設定 - 村上律子、須藤栄子、中座洋次• 編集 - 西出栄子• 制作担当 - 赤澤信幸、阿部英次• 効果 -• 調整 - 高橋弘幸• 録音スタジオ -• 音響制作 - 現• 現像所 -• 制作スタジオ - キティ・フィルム 三鷹スタジオ• 西久保瑞穂 野部駿夫 第2話 4月7日 ひらて打ちは恋のレッスン 西久保瑞穂 第3話 4月21日 竜一のスクランブル誕生日 大町繁 第4話 5月5日 妹ダントツ! あにきはペケ!? 金子裕 古川順康 野部駿夫 第5話 5月12日 デートのたびにキツーイ一発 大町繁 第6話 5月19日 ロリコン刑事 二枚刃の安! 柳川茂 ときたひろこ 多賀かずひろ 第7話 5月26日 真人マッサオ! ビキニはどこへ? 西久保瑞穂 アベ正己 第8話 6月2日 やったネ中田! みゆきと婚約!? 土屋斗紀雄 大町繁 第9話 6月16日 雨の日のコンサート 古川順康 野部駿夫 第10話 6月30日 ラブラブハイキング 安次郎の場合…!? 柳川茂 第11話 7月7日 エッチとすけべ 土屋斗紀雄 大町繁 遊佐和重 第12話 7月14日 竜一・村木のアルバイト情報! 西久保瑞穂 第13話 7月21日 嵐の夜には何かが起こる!? 大橋志吉 ときたひろこ アベ正己 第14話 8月4日 みゆきの心 曇りのち晴れ 柳川茂 真砂智康 薄井義雄 第15話 8月11日 青春づくり 想い出づくり 土屋斗紀雄 西久保瑞穂 内藤正志 野部駿夫 第16話 8月18日 真夏の夜のお願い蛍 柳川茂 児玉兼嗣 神村幸子 第17話 9月1日 ひとりっ子 ふたりっ子 大橋志吉 古川順康 坂田純一 アベ正己 第18話 9月8日 ミラクル男 間崎竜一! 土屋斗紀雄 ときたひろこ 遊佐和重 第19話 9月15日 恋占いラプソディー 大橋志吉 真砂智康 鈴木幹雄 薄井義雄 第20話 9月29日 哀愁の修学旅行 児玉兼嗣 神村幸子 第21話 10月13日 バトンタッチは夕暮れ時に! 大橋志吉 真砂智康 鈴木幹雄 薄井義雄 第22話 10月27日 ヌワァンと5才で結婚宣言!? 柳川茂 児玉兼嗣 神村幸子 第23話 11月10日 ひとつ屋根の下 二人のみゆき 大橋志吉 ときたひろこ 谷口守泰 第24話 11月24日 恋のリハーサル 島田満 西久保瑞穂 遊佐和重 第25話 12月8日 おしかけ母さんラプソディー 柳川茂 坂田純一 第26話 12月22日 M・Wは恋のイニシャル!? 土屋斗紀雄 西久保瑞穂 西久保瑞穂 アベ正己 第27話 1984年 2月3日 ラブレター代理戦争! 大橋志吉 児玉兼嗣 神村幸子 第28話 2月10日 ロンリー・バースデー 土屋斗紀雄 西久保瑞穂 田代文夫 遊佐和重 第29話 2月17日 迷い狼と金色ウサギ!? 彦坂健二 坂田純一 第30話 2月24日 雪やコンコン ストレンジャー 真砂智康 鈴木幹雄 薄井義雄 第31話 3月2日 ムフフ写真コンテスト 柳川茂 第32話 3月9日 男の点数 彦坂健二 田代文夫 谷口守泰 第33話 3月16日 オジャマ虫・村木君! 土屋斗紀雄 真砂智康 鈴木幹雄 薄井義雄 第34話 3月23日 すれ違いサードママ 柳川茂 第35話 3月30日 落としちゃった戸籍抄本 島田満 坂田純一 アベ正己 第36話 4月13日 恋の酸素不足 土屋斗紀雄 ときたひろこ 谷口守泰 第37話 4月20日 愛・哀…ブルーエアメール 柳川茂 放送局 [ ] 特筆の無い場合は全てフルネット局。 脚本の高星由美子はこの後に『』のシリーズ構成を手がけた。 同時上映はあだち充原作の『』のアニメ版。 後にあだち充原作のテレビアニメ『タッチ』を手がけるスタッフが制作し、既にフジテレビので放映されたテレビスペシャルである。 監督である井筒和幸は、受諾してから初めて原作漫画に目を通したが「内容のなさにあきれた」という印象を抱く。 仕事にとりかかったものの、まもなく鬱病を発症して精神科医に「仕事のストレスでの離人症のため、最低2カ月の療養が必要」と診断されるが、3日延期したのみで以後は抗鬱剤を服用しながら撮影をしたと語っている。 映画と原作の相違点 [ ] 映画は、真人が高校2年生の夏休みから始まり、2学期が始まるところで終わっており、その中に原作のエピソード(冒頭 - 翌年の母の日、コミックの1巻 - 3巻に相当する部分)が散りばめられている。 また、謎の女子大生や家庭教師など、原作にはない登場人物の設定がある。 真人が高校2年生の夏休みに(父親所有と思われる)海沿いの別荘に、鹿島みゆき、竜一、矢内清美、三原佐知子、村木の6名が集まっているところから始まる(原作では、海沿いの民宿でのアルバイト)。 真人と若松みゆきの再会シーンも異なり、逆ナンパはない。 また、再会時の年齢も原作よりそれぞれ1歳上である。 そのほか、エピソードの設定に相違点が多々ある。 キャスト(映画) [ ]• 若松真人 -• 若松みゆき -• 鹿島みゆき -• 間崎竜一 -• 矢内清美 - 横田ひとみ• 三原佐知子 - 桂田裕子• 村木好夫 - 吉田充• 謎の女子大生 -• 家庭教師・杉原 -• 鹿島みゆきの母 -• 重さん -• 鹿島安次郎 -• 竜一の母 - スタッフ(映画) [ ]• 脚本 - 高星由美子• 音楽 - 、• 音楽監督 -• 製作 -• プロデューサー -• 企画協力 - 宇佐美廉• 監督 -• 撮影 - 伊藤昭裕• 照明 - 木村誠作• 録音 - 小野寺修• 美術 - 徳田博• 編集 -• 助監督 - 矢野広成• 製作担当者 - 青木勝彦 主題歌(映画) [ ] 「南風ドリーミング」 歌 - 永瀬正敏 挿入歌 [ ] 「只今失恋真最中」 歌 - 嶋大輔 「野菊いちりん」 歌 - 三田寛子 「Miss you baby」 歌 - テレビドラマ [ ] みゆき (ドラマ版) ジャンル 原作 企画 、大黒章弘 脚本 奥津啓治 演出 出演者 、 製作 プロデューサー 石川泰平、若松節朗、谷慎輔 制作 、 放送 放送国・地域 放送期間 放送時間 月曜19:30 - 20:54 放送枠 月曜ドラマランド 放送分 84分 回数 1 の『』(毎週月曜日19:30 - 20:54、)でに放送された。 主演は。 キャスト(ドラマ) [ ]• 若松真人 -• 間崎竜一 -• 水島 -• 祐子 -• 佐和子 -• 清美 - 菊地直子• 柿本 -• 山本講師 -• 白バイ警官 -• 高木 -• 占い師 -• 案内嬢 - 橋本薫子• 木村友子 -• 瀬川医師 - スタッフ(ドラマ) [ ]• 脚本 - 奥津啓治• 演出 -• プロデューサー補 -• 演出補 -• 企画 - 、大黒章弘• プロデューサー - 石川泰平、若松節朗、谷慎輔• 制作協力 -• 制作 - フジテレビ、 前番組 番組名 次番組• 『がんばれ女のコ! 〈完結編〉』 、1987年12月。 宇都宮滋一 『「ダメ! 『漫画家本vol.6 あだち充本』 、2018年8月8日。 宇都宮滋一 『「ダメ! 『 2012年12月号』、。 通称「みゆき病」。 作者あだち充によると、変態AB。 なお、主要登場人物がみなAB型なのは作者のあだち自身がAB型のため。 そのため料理はもちろん家事のほとんどは彼女が担当しており、几帳面にこなしている。 冷静なみゆきが感情的になるのは主に真人への悪口と真人と鹿島の仲のことを第三者から聞かれることで、事実「お兄ちゃんの敵はみゆきの敵」とも公言している。 また、この他にも今日子の命日の供え物のことで真人に八つ当たりしたり、テスト勉強で寝不足になった竜一の努力を身勝手な理由で踏みにじった中田先生を激しく責め立てたりもした。 「みゆき病」の第一罹患者。 みゆきもこの点は高く評価している。 作中で知ったという描写はないが、作者が竜一親子を介して読者に説明したと思われる• 松浦典良「僕のポジションから音楽監督の仕事について話してみよう」『グロービアン』1986年11月号、p. 「音楽監督」は原文のママ• 中島紳介「今夜もアニメでよろしくね みゆきMY・LOVE パート1」『アニメック』1984年6月号、p. 131• 中島紳介「今夜もアニメでよろしくね みゆきMY・LOVE パート2」『アニメック』1984年7月号、p. 131• あだち充『陽あたり良好! 3巻』小学館文庫、1996年。 荻野目洋子の解説より。 『人気ヴォイスアクター』、1990年、p. 宝泉薫編著『歌謡界一発屋伝説』彩流社、1998年、p. 「テレビアニメーションワールド」『アニメージュ』1984年2月号、p. 宮田智行プロデューサーの文による。 「全国放映リスト」『』1983年10月号、、 98 - 99頁。 2009年10月9日. 2018年10月24日閲覧。 告示第六百六十号. 1988年10月1日. 2018年10月24日閲覧。 2018年10月24日閲覧。 なお、1983年9月までは実質TBS系列とのクロスネットの状態であったため、1983年9月まで遅れネットで対応していた。 「全国放映リスト」『』1984年3月号、、 116 - 117頁。 『北國新聞』1984年2月10日付朝刊、テレビ欄。 +『ひそひそくすくす大爆笑』(メディアファクトリー)に収録の井筒との対談より。 外部リンク [ ]• - (英語).

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この にはなが不足しています。 の提供に協力をお願いします。 存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的にあるいは有害となるものは すぐに除去する必要があります。 にシングル「」でデビューした。 公式ファンクラブ名は「なみふく」。 において、4つの年代にわたってシングルチャート1位を獲得した唯一のソロ・アーティストであり、他のアーティストへの提供曲が、5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得している(後述参照)。 また、自身の歌唱も含めると、作詞・作曲を手掛けた作品が5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得したことになる。 経歴 幼年期 - デビュー前 祖父は帯広市議会議長なども務めた、父・眞一郎は医学部出身の医で院長。 に生まれ、5歳の時にに引っ越し、11歳までを岩内で過ごす。 に移り、を卒業、に入学する。 の夏には体調不良の母親が実家で一時療養するのに合わせてに移り、に通うが、高校受験のため4ヶ月で帯広に戻る。 その後、を経て、文学部国文学科を卒業する。 帯広柏葉高校3年生の時、文化祭(第20回柏葉祭・)で初めてステージを踏む。 この時歌ったオリジナル曲は、「鶫の唄」である。 大学時代は、放送研究会に所属し、でスタッフのバイトなどをする。 のメンバーと交流を持ち、活発に音楽活動を展開し、「コンテスト荒らし」の異名をとった。 「フォーク音楽祭札幌予選」では「私の窓から」を歌っている。 には「フォーク音楽祭全国大会」に出場し、「あたし時々おもうの」で入賞している。 この時の音源は大会実況版として化されている。 後年、コンテストに出場したのは交通費や弁当代が支給されるので、バイト代わりであったと述べている。 大学卒業後は帯広に帰り、家業を手伝うかたわら、アマチュア活動を続ける。 オーディオのマスター、渡辺晃が主催した「自由集団」の企画で多くのステージを踏んでいる。 デビュー前に地元では既に多くのファンを獲得しており、オリジナル曲は既に100曲以上存在していたが、それらの一部は現在でも音源化はされていない(後述のを参照)。 デビュー - 1970年代後半 5月、の主催による「 」に「傷ついた翼」が入賞した。 9月には「」でからレコード・デビューを果たす。 10月の「」に「傷ついた翼」から急遽差し替えた「」によってグランプリを受賞し、の第6回でもグランプリを受賞した。 「時代」は12月に2作目のシングルとして発売。 これをきっかけにミュージシャンとしての実力をヤマハミュージックのに見出される。 その後中島は川上を現在に至るまで師父のように仰いでおり、中島のアルバムには、今日に至るまで、スタッフが記載されたクレジットに「DAD 川上源一」と記載されている。 ヤマハ育ちでも、ヒットが出ると離れていくミュージシャンが多い中で、中島はヤマハをそのまま自分の拠点としている数少ないミュージシャンである。 4月、ファースト・アルバム『』を発表。 その後現在まで、1年につきアルバム約1枚のペースでコンスタントに作品を発表し続けている。 同年にはに提供したシングル「」と「」が、ソングライターとしての名を世間に知らしめる。 同年大晦日『』で研ナオコが「」で出場、一挙に認知度を広める。 翌には歌手としても「」が70万枚を超えるセールスを記録し、ミュージシャンとしての地位を確固たるものにした。 ・としても、先述の研ナオコに提供した「」をはじめ、「」、「」など数多くのヒット曲を世に送り出し、大きな成功を収めた。 数少ない出演番組の一つとしてから放送された『』がある。 その中で披露された「時代」ではグランプリ受賞の様子がインサートされ、「」においてはと共演している。 歌手としてのブレイク曲「わかれうた」が収録されていた発表の4枚目のアルバム『』には「」という楽曲が収められている。 後年に系『』の劇中に使用されて大きな話題を呼び、シングル・カットされなかったにもかかわらず中島の初期の代表曲の一つとなっている。 『』以降、発表のアルバム『』までの8枚のスタジオ録音アルバムは連続でのアルバムチャートで1位を獲得している。 発表のアルバム『』から発表のアルバム『』までの22枚のスタジオ収録アルバムは連続で同チャートで10位以内を獲得している。 1980年代 、『』(月曜1部)がスタートし、番組においての軽妙な語り口がリスナーの間で大きな人気を集めた。 前半にはミュージシャンとしてさらに大きな人気を集めており、のシングル「」はオリコンのシングルチャートで自身2度目の1位を獲得し、の年間チャートでも6位を記録、この曲のアルバム・バージョンが収録された1982年発表のアルバム『』が同年のオリコンの年間アルバムチャートで1位を記録するなど、1981年から1982年にかけてはその人気はピークに達した。 にはに提供した「」が大ヒットし、の作曲賞を受賞した。 以降アルバム・セールスは下降線を辿り、1980年代中期から後期にかけてはサウンド・アプローチや作風そのものについてもひたすら模索する時代が続いた。 のやなどをプロデューサーに迎えてアルバムを制作したり、やラリー・アレキサンダーなどによるでのなどに臨んでいる。 発表のシングル「」ではの吹くを大々的にしている。 中島は後年になって模索に励んだ1980年代中期 を振り返り、「御乱心の時代」と称している。 自らのレコード・セールスが伸び悩む一方で、職業作家としてはの「」、「」などの作詞を担当した。 「御乱心の時代」は、のアルバム『』のを手がけたとの出会いによって収まることとなる。 中島にとって「これまで自分がやってきたあらゆるスタイルに対処してくれる」という瀬尾は適任らしく、現在に至るまでの全てのオリジナルアルバムでアレンジ、プロデュース、演奏に携わっている。 からは、瀬尾が音楽監督として名を連ねる演劇とコンサートを融合した舞台「」(やかい)をで毎年12月に上演するようになる。 「夜会」は中島にとってのライフワークともいえる舞台となり、に一旦、年一回の公演という形を終了し、その後は不定期で上演されている。 1990年代 1990年代の日本の音楽業界では、テレビドラマやとのによってを記録するシングルが後を絶えなかった。 中島みゆきも例に漏れず、ドラマ『』の主題歌「」をはじめとする3枚のミリオンヒットを記録している。 なかでも主演の系列『』の主題歌として書き下ろされたの「」は147万枚のセールスを記録した。 発表のアルバム『』収録曲「ファイト! 」との両A面扱いで発売されたこのシングルは、中島にとっての最大級のベストセラーである。 この時期のアルバムはシングルほど芳しい成果を上げるわけではなかったものの、1980年代後半よりも安定した成績を収めた。 『』から『パラダイス・カフェ』までの5作は全て20万枚以上のセールスとなっている。 には『』がオリコンのアルバムチャートで1位を獲得し、日本における女性ソロアーティストのアルバムチャート1位獲得の当時の最高齢記録を更新した。 から始めた舞台「夜会」に自身がかけるウェートはより大きくなり、以降に上演されたものは書き下ろしの新曲を中心に構成され、より大掛かりなものへと変貌を遂げた。 にはの国語審議会委員を務めた。 この審議会の委員を務めた歌手は中島みゆきだけである。 2000年代以降 - には25年にわたって在籍したを離れ、当時創設されたばかりで自らが取締役・主要株主として経営にも参画するミニ・メジャーの・に移籍。 以降現在に至るまでヤマハから作品を発表している。 移籍後最初にリリースされた中島のシングルが、のテレビ番組『』の主題歌「」である。 中島の作品にこれまで馴染みの薄かった中高年層のサラリーマンを中心に大きな人気を集め、最終的にのウィークリーシングルチャートTOP100に連続174週にわたってランクインするという驚異的な記録を打ち立てた。 発売当初は話題にならなかったが、『プロジェクトX』の人気が高まるとともに注目され、アルバム『』には、1曲目が「地上の星」、ラストが「ヘッドライト・テールライト」という構成で収録された。 このアルバムの発売にあたっては、の仕様をめぐりからクレームがつき 、発売直前になって急遽デザインが差し替えられるというハプニングも起こった。 このロングヒットをきっかけに中島はのに出演。 『プロジェクトX』内でもとりあげられた(黒部川第四発電所)からの中継で「地上の星」を歌った。 このときに初めて「動く中島みゆき」を見た人も多く、番組中最高の歌手別視聴率(52. これはオリコン始まって以来のリリース後最長期間(130週)を経た1位獲得記録である。 同時に、1970年代 - 2000年代まで4年代連続の1位獲得となった。 には『プロジェクトX』の最終回に出演。 スタジオで同番組エンディングテーマ「ヘッドライト・テールライト」を熱唱した。 通算オリコンシングルチャート100位圏内チャートイン記録を183週に延ばした。 1990年代前半から本格的に行うようになった海外でのレコーディングは2000年代からは主流となっている。 近年では、アレンジ等にの父親として知られるや、、、などといった有名スタジオ・ミュージシャンを迎えてアルバムを制作するのが毎年恒例となっている。 に一旦休止した「夜会」はから再び不定期で行われるようになり、の「Vol. 14 24時着00時発」は、東京においてはこれまでのではなくで、大阪では初めてにおいて上演された。 、第56回 を受賞した。 「コンサートツアー2005」が評価されてのこと。 シンガーソングライターとしては初の受賞者。 同年には、に提供した「」の作詞が評価され、の作詩賞を受賞した。 8月から新設のヤマハミュージックアーティスト(現:)がマネジメントを行う。 秋には2年ぶりの全国ツアー「コンサートツアー2007」が行われた。 11月3日、を受章。 中島は受章に際して、 「 思いがけずうれしいことの表現に『』と申しますが、今の私の気持ちは『 棚から』くらいの驚きでございます。 ふつう、何かを頂けそうな場合には2度くらいは辞退して、それでもとおっしゃるならちょうだいするのがマナーなのでございましょうが、褒章となりますと『ふつう』ではないことですので、辞退なんかしたら二度とこんな機会はないかもと思いまして、即座に『いただきます! 』と、お返事してしまいました。 」 — とコメントした。 10月から1月まで3年ぶりの全国ツアー「中島みゆきTOUR2010」が27公演9会場で行われた。 このツアーから各公演の様子を伝えるを開始した。 10月から2月まで全国ツアー「中島みゆき縁会2012〜3」が27公演12会場で行われた。 また、11月から12月まで「」と称するを開催した。 9月よりNHK『』の主題歌として「」が使用され、同年12月31日のにも出場し、同曲を歌った。 中島にとっては2002年以来12年ぶり、2回目の紅白歌合戦出場となった。 概要 楽曲 歌詞 中島みゆきの曲には、日常風景の一部を切り取り、そこを行き来する男と女や働く人々をテーマにし、その一人一人にスポットライトを当て、その心情を曲にのせるものが多い。 非常に巧みな比喩表現を用いており、聞き手によってそれぞれ異なった意味を受け取ることができる。 普遍的なテーマを歌詞にしていることも非常に多い。 例えば、発売のアルバム『』収録曲の「永久欠番」。 この曲は、「人は誰しも唯一無二の存在である」ということをテーマにした曲で、発行の中学校用の教科書『新しい国語3』に引用されている。 対照的に、に提供した「」やに提供した「」のように軽いノリの詞も存在する。 ただし、この2曲に関しては、いずれもCMのキャッチコピー にひっかける方が望ましいと中島が指示を受けていた経緯がある。 大学のではを論じており 、からの影響が濃い。 また、中島みゆき自身の歌詞が現代詩の一つとして扱われ名詩選に収録されていることもある。 歌唱法 基本的に、深いブレスと力強い声質を生かして朗々と歌い上げる。 曲によって、また曲の中でも情景や詞が含む感情によって、いくつもの声色を使い分けている。 例として、「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」の歌い回しの違いが挙げられる。 同じアルバムの中でももっと声質の大きく異なる曲が収録されることも多い。 歌っているときの声と普段の喋り声とのギャップも著しい。 転調が得意であるため、転調する曲が多い。 例として、「浅い眠り」と「空と君のあいだに」が挙げられる。 記録 年代 曲名 1位獲得年• 他のアーティストへの提供曲が、5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得している。 年代 曲名 アーティスト名 1位獲得年• アルバム・シングルを併せた・のトータルセールスでは、までの時点で2131万枚。 女性ソロ・ミュージシャンとしては歴代8位。 女性シンガーソングライターとしては5位。 オリコンアルバムチャートでベスト10入りした枚数では、、、、に次いで歴代5位(2015年現在)。 50歳以上で週間オリコン・シングルチャートで1位を記録した女性歌手はとと中島の3人だけである(2015年現在)。 ライバル は、かつて「ライバルは? 」と聞かれ「中島みゆきさん」と答え、テレビ・ラジオなどでは「みゆき」と呼ぶ。 逆に中島は、『』で「松任谷」と呼んでいた(中島は松任谷より2歳上)。 1980年代以降、トレンドに合わせた楽曲でヒットを飛ばす松任谷由実と、己の道を行く中島みゆきを「月と太陽」「光と影」とするような対比が多く見られ、ユーミンは「 恋愛歌の女王」、中島みゆきは「 失恋歌の女王」、「 女の情念を歌わせたら日本一」などとよく形容された。 当人同士は、そうした周囲の対比をさほど気にもかけていない様子である。 同年代で交友もあり(ユーミンの夫が中島の曲のアレンジを担当したこともある )、互いに認め合っている。 、中島のコンサートツアー「明日を撃て! 」のパンフレットに寄稿した松任谷は、「私がせっかく乾かした洗濯物を、またじとーっとしめらせてしまう、こぬか雨のよう」と中島の音楽を評し、「でも、そうやってこれからも一緒に、日本の布地に風合いを出していきましょう」と締めくくっている。 中島は自身の著書『愛が好きです』の中で松任谷のことを「尊敬している」と語っている。 2人はこれまでにラジオで7回対談している。 『』(1980年6月9日、1983年6月13日)『ミュージック・パスポート』(1982年3月7日)、『』(1994年10月23日)、『』(2001年8月24日)など。 また、ライバルというよりも戦友的存在の一人として、も挙げられる。 谷山も中島と同じくヤマハ・ポプコン出身ということや、オールナイトニッポンの構成作家が同じということから交友があり、谷山が出演していたラジオ番組『』(木曜二部)にたびたび出演するほか、後年、『』 2000年 でも共演している。 コンサート コンサートは現在でも、2000人~3000人規模のホールを中心に行っており、原則アリーナクラス以上の会場では公演を行わない。 過去に、、では行ったことがあるが、では一度も公演を行なったことがない。 海外における知名度 チャイニーズのホームページ内「音楽評論家のアフターヌーンティー」コーナーには「中島みゆきの創作力は、広く認められている。 彼女の作品は、常に香港や台湾の歌手にカバーされ、日本のみならず、アジア全域に中島みゆきの音楽が行き渡ったと言っても過言ではない」と書かれている。 膨大な数のカバー曲や、日本音楽業界との密接な関わりにより、中島のニュースは時々台湾の新聞でも見かけられる。 『』、『』の両新聞社の情報バンクだけを取り上げても、ここ十年間における中島に関する報道は、年間20件 - 30件ある。 台湾の詩人は、文学雜誌で中島みゆきに関する評論を載せ、香港の評論家もに「中島みゆきの名にちなむ」という文章で中島を紹介した。 作家も中島の長年のファンとして知られ、自身の作品の中に、幾度も中島のことや歌を書き上げたことがある。 私の窓から ・にて開催された「全国フォーク音楽祭」札幌地区予選の優勝曲。 公式では未発表だが、に「ミュージックBOX」にて放送された。 町へお帰り でのコンサートにおいて発表された。 帰郷 あの人は船乗り ホンキー・トンク・ママ に実在したファッションタウン「ベル」にて開催された「第3回ヤング・フェスティバル」において発表された。 町へ帰れば で開催された「第52回青年会総会 前夜祭」で「」や「」などの楽曲とともに初披露された楽曲。 質問 から刊行されていた雑誌『』1977年5月号の別冊付録『プチプチ』に掲載された「POEM GALLRY 中島みゆきの世界」の中に発表された。 エッセイ「街の女」および「」や「VOL. 8 問う女」の源流となった作品で、に行われたコンサートツアー「1978年・春のツアー」にて、初披露された。 きつねの嫁入り に行われたコンサートツアー「1979年・春のツアー」において発表された。 北の旅人 にて開催された、天理教「あらきとうりょう・女子青年決起北海道大会」の大会歌として書き下ろした楽曲。 「」から、次の「」への導入として使われていた。 後に、から刊行された中島の著書「片想い」に全文掲載されている。 誰ひとりわたしを知らない 「夜会VOL. 3 KAN TAN 愛が好きですII 新潮文庫 夜会Vol. 4 金環蝕 角川書店 ジャパニーズ・スマイル 新潮社 夜会Vol. ヤマハ・フォークイン(、 - )• (、)• ミュージックマガジン( - 、 - 、 - 、 - 同年)• ( 月曜1部 - 、、、)• ( 金曜 - )• (NHK-FM 金曜 - )• 本人は「フル金(ジョイフルポップ金曜日)」と呼んでいた。 NHK80周年・15周年記念スペシャル・シンガーソングライターの時代(、)• (NHK-FM、)• ( - 月1回放送) テレビドラマ• (、)• 初のドラマ出演で、第10話に出演した。 (フジテレビ、・)- 南雲律子 役、第2話・最終話。 (、)- 清掃員 本人 役、第1話。 (、・・)- 車椅子を押す入居者 役 、第64・70・102話。 (2019年7月15日、) - 語り 映画• (1985年) - ムジカ 役(声の出演)• (1997年) - バーのママ 役• (2005年) - 巌岳 役• (2005年)• (2006年) - 間宮順子 役 その他のテレビ番組• 中島みゆき3Days-もっとみゆきと深い仲『第一夜、第二夜、第三夜』( 、 - )• 中島みゆき『夜会の冒険』(NHK BS2、)• (、)• オール中島みゆきナイト( ) CM• 「キリンプレミアムビール」()• 「」() と共演。 「」( - )• 郵政省「」(、)• 「北海道 生搾り」(、) ()と共演。 スキンケア化粧品「」()• 二種類のCMがあり、「偶然の出会い」という題名で、中島みゆき編、松田聖子編があり、松田聖子編では中島みゆきの「時代」を、中島みゆき編では「」をBGMとして流れていた。 特設ホームページでは、メイキングムービーが公開されている。 関連人物• - デビュー前、中島は拓郎の追っかけをやっており、拓郎の楽屋にも出入りするほど、周囲では有名なファンであった。 拓郎は、中島の「」を気に入っており、よくコンサートで歌っている。 中島は拓郎のことを「よた」と呼んでいた。 に行われた「」にゲスト出演し、提供曲「永遠の嘘をついてくれ」で共演した。 この模様はNHK BShiで生放送され、同コンサートのDVD『』に収録されている。 ゲスト出演すると、コンサートを全部見ることができると思っていたが、ゲスト出演が極秘であったため、ある部屋に出演時間まで、缶詰され目隠しの車に乗せられてコンサート会場に行き、リハーサル無しで、出演し歌を歌い終わったら、そのまま東京へ護送された(本人曰く)ということだった。 - ともに STV のディレクターだった竹田健二(1977年、37歳で急逝)に恩義があり、北海道出身同士の友人。 髪が薄いのをからかって中島が「と千春のコンサートには、ワカメの花束を持って行こう! 」と言ったことも(談…さだ・松山・中島の三人で食事をした際に、松山が薄毛対策のためにわかめスープを飲んだのに、さだが付き合う形で二人で飲んだ。 その時「みゆきがそばでジィーッと見てて」 )• - 「あの人に似ている」を共作。 古くからの仲であり、お互いに「みゆき」「まさし」と呼ぶ間柄。 二人でレコーディングした際のインタヴューではお互いに「ファンだ」と言い合っていた。 このデュエットの実現は中島の要請によるものである。 さだは、元日に放送された自身司会のNHK『』で、『プロジェクトX』の後継番組『』の番宣に登場したNHKスタッフに、「この番組には中島みゆきさんの歌はないんですか? 」とわざわざ質問していた。 2011年1月1日放送の『年の初めはさだまさし』で中島が『』の視聴者であることが紹介されたが、その際さだは、中島と2010年末に名古屋で会った時にさだが「『今夜も生で中島みゆき』やればいいのに。 みゆきなら出来る」(中島が「TOUR2010」で観客からのお便りを読むコーナーをやっていることから)と言ったところ中島が「白板の前のライトはきつい」と答えた、というエピソードを紹介した。 さだの妹・のデビュー曲は、中島が書いている。 なお、さだは中島の表現力と感受性を大いに称賛しており、中島の作品を「良質な流行歌」と評す。 - 『グッバイガール』以来、ずっと中島のアレンジャー、プロデューサーを務めている。 - 一時期・演奏で中島と多く組んだ。 - 『36. でののスペシャル・ラスト・ライヴにゲスト出演し、甲斐バンドの「」を共演した。 この模様は甲斐バンドのDVD『』、CD『』に収録されている。 - 中島みゆきの提供した曲は息継ぎがしづらく、こめかみに青筋を立てて歌っていたと、中島自身がラジオで語っていた。 - 柏原のレコーディングは、どの提供曲も毎回、中島が立ち会ったという。 そのレコーディングで中島は「芳恵ちゃんって歌うまかったのね」と語った。 ・・ - 自他共に認め合う年来の大親友たち。 - 「」のパーソナリティ同士として知り合い、時々各々の曜日に行き来した。 所の思いつきで、ゲームに負けたら所のシングル『寿司屋』に因んだ『蕎麦屋』という曲を作って歌え、と言われた中島はそのゲームに負け、本当に『』なる曲を歌うこととなった。 - 中島が大阪で「ミュージックマガジン」(MBSラジオ)のパーソナリティを担当していたこと、またそのであったが鶴瓶の「」の構成も担当していたことから引き合わされ、それ以来の交友がある。 特筆すべきは、4月の音楽番組出演を最後に、以後のCM出演まで13年の長きに亘り、テレビ出演から意識的に遠ざかっていた中島が、唯一「鶴瓶のミッドナイトトレイン」(関西テレビ、)にゲスト出演していることである。 鶴瓶もで中島について語ったり、「夜会」に度々訪れていることを「」()にて話題にしたりしている。 - 6月、のため『中島みゆきのオールナイトニッポン』に出演。 肝心の中島みゆきは、TVで『』を見たことがないだけでなく、明石家さんまの存在自体を知らなかった。 当然、話は噛み合わずさんまが「『』って観たことあります? 」 みゆき「昔…」 さんま「その裏番組で『ひょうきん族』っていう番組をしてます……」という会話があった。 - カバーアルバムで「空と君のあいだに」「ファイト! 」をカバー。 『お時間拝借』にゲスト出演したこともある。 - 自身とが中心のバンドで「僕たちの将来」「糸」をカバー• - 写真家。 中島の『みんな去ってしまった』から現在までのアルバムジャケット写真をはじめ、世に出回る中島の写真のほとんどの撮影は田村によるものである。 - かつて中島が『』の月曜1部放送後の、2部パーソナリティーがうえやなぎであったことから懇意となり、2003年-2004年、『』内で『』がベルト番組として放送されていた。 メインパーソナリティーである、うえやなぎに「おーやさーん! 」(大家さーん! )と、中島独特の抑揚で叫んで回覧板を持ってくる…という設定のオープニングだった。 には『オールナイトニッポン』40周年を記念し、一夜限りの復活をした『』では、アシスタントとして登場した。 - 安達主演のテレビドラマ『』、『』(1994年-1995年 )主題歌で大ヒットとなる。 - 『』の初めの方には、中島みゆきに関連した書き込みが多く見られる。 中島みゆきは『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のコミックス11巻の後ろの紹介文も書いている。 - 『中島みゆきの社会学』著者、学長。 中島みゆきのファンであり、講義でも数多く中島みゆきについて解説している。 - 『』(号)で対談。 『女歌』の文庫版に解説「幸福という言葉に惑わされない女達」を寄稿。 村上とがホストの鼎談集『EV. Cafe 超進化論』ではと3人で中島の歌詞について語っている。 小説『テニスボーイの憂鬱』では、会話の中で中島みゆきが話題になる箇所があり、登場人物の一人が、涙が出てきそうな歌の文句として「五才の頃」の歌詞に触れる台詞がある。 - 中島に関わる書籍を多数書いている。 - 「ファイト! 」をカバーする。 2011年10月22日、福山とみゆきはで共演した。 - 『』にて、ヒロインが「中島みゆきソング・ブック」と名付けられる。 - アルバム『』の一部の楽曲の編曲・レコーディングを担当。 - 自身熱狂的ファンであることを公言し、中島の楽曲を「恋愛が近代的自我にとって最大の不条理になるという逆説」(「中島みゆきはである」)を歌うものとして高く評価する。 - ドラムの村井守はいとこに当たる。 - 『』(、2008年・2013年)に、舞台作品としては初めて書き下ろしの楽曲を提供。 関連項目• - 「あした」をリリースした頃、自作が演歌のコーナーに置かれていたのを、みゆき本人がラジオで笑っていた。 - 中島みゆきに因んで命名された。 脚注 注釈• 音源化はされていないが、の「 ミュージックBOX」で放送された• このLP音源はCD化されておらず、当時売れなかったこともあり非常に貴重で、では高価な価格で取引されている。 通称ポプコン、現在の• 『』から『』まで。 2曲とも作曲は。 現在この記録を保持しているのはの『』。 岩波文庫をもじって 山波文庫(ヤマハ文庫)と表記したため。 ツアー終了後は、中島に関する最新情報を伝えるスタッフ公式Twitterとなった• シングルのリリースは。 「」「」「」「」の4曲。 中島みゆき with 名義• 中島以外では、やなどがAPO盤がリリースされている。 LP盤はA面がM-1〜6、B面がM-7〜10となっている。 LP盤はA面がM-1〜5、B面がM-6〜10となっている。 誕生日設定があり、誕生日には中島本人の肉声によりお祝いのメッセージが流れる。 この予選通過後、中島は、・で行われた「全道大会」と・の「全国大会」では「」を歌っている。 CMには中島本人が出演し、2000年まで放映された。 中島本人も女医役で第2話と最終話に出演。 CMには中島本人が出演し、1995年まで放映された。 元々は「」のテーマソングである。 起用された話数は、第1話 - 第4話、第10話 - 最終話。 起用された話数は、第5話 - 第9話。 中島本人も「糸占い」の占い師役として出演• 版では第4話• 元々は「」の挿入歌である。 DVD版では版権元の管理の関係で「悪女」は収録されておらず、別のBGMに変更されている。 中島本人も清掃員で第1話に出演。 タイトルは「強がりはよせ ヨ」• 研も1982年に30thシングルとして、このタイトルでリメイクした。 タイトルは「 サヨナラを伝えて」• 中島がセルフカバーするにあたって、タイトルを変更してリリースされた。 日本盤のボーナストラックに収録している。 さだまさしとのデュエットで収録されている。 アルバム収録にあたり、詞を自ら書き直しタイトルも「清流」に変更して収録されている。 車椅子に乗るのは本作の脚本家である。 から中継された。 歌詞を間違えたことも有名。 12年ぶりに紅白歌合戦に出場。 ・CT-101スタジオから中継され、「」に出演したとの2人と共演した。 「」は初めて他者へ提供した作品である。 文化庁. 2020年5月8日閲覧。 oricon news. 2005年12月28日. 2020年5月8日閲覧。 井沢真 2009年11月2日. 毎日新聞 毎日新聞 : p. 谷川俊太郎『詩を書くということ』p. 水内喜久雄『あなたと読みたい詩の本 恋日和』など。 の解説より• 台湾蘋果日報, 2003年12月11日。 (中国語)• 演奏の最初に歌声が入っているが、中島みゆき本人ではなく、別人。 映画ナタリー 2015年8月11日. 2015年8月13日閲覧。 デイリースポーツ online 株式会社デイリースポーツ. 2017年3月2日. 2017年3月5日閲覧。 ORICON STYLE 2016年2月25日. 2016年2月25日閲覧。 NHKドラマ. ドラマトピックス. 2019年4月18日. 2019年4月19日閲覧。 さだまさし『さだまさし ステージ・トーク 噺歌集』( 1986年 pp. 129-130 さだの発言自体は1979年6月のもの)より。 この話は、かつては三人で食事をするほどの仲であったことも示している。 外部リンク• (公式サイト)• - チャンネル.

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