万葉集。 万葉集(まんようしゅう)とは

万葉集入門:万葉集全歌一覧巻一〜巻四(万葉集の全歌一覧ページです。)

万葉集

今回、「終活ねっと」では以下の項目を中心に解説します。 万葉集の特徴• 万葉集の恋の歌• 万葉集ゆかりの地 万葉集の恋の歌についてわかりやすくまとめていますので、ぜひ最後までお読みください。 万葉集の特徴は? 万葉集がまとめられた奈良時代はまだ「かな文字」はありませんでした。 その代わり、「万葉仮名」という、漢字を使いながらも、漢字の意味とは関係なく、漢字の音だけを利用して、日本語を表記しています。 例えば、阿米(あめ)、久尓(くに)、都紀(つき)など。 そして、派手なテクニックはあまり用いられず、素朴で率直な歌いぶりという特徴があります。 江戸時代の学者は、万葉集を「ますらをぶり」(男性的でおおらか)と評しました。 (参考・平安時代の古今和歌集は「たをやめぶり」(女性的で優雅)) 恋の歌をよもう・その1「かつての恋人」 額田王(ぬかたのおおきみ)の歌 あかねさす 紫野(むらさきの)ゆき 漂野(しめの)ゆき 野守(のもり)は見ずや 君が袖(そで)振る (現代語訳) 御料地の番人が見ないかしら。 あなたが私に袖を振って、恋心を露わにしているのを。 大海人皇子(おおあまのおうじ)の返し歌 紫草(むらさき)の にほえる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも (現代語訳) 紫草のように美しいあなた。 あなたが人妻であっても、私はまだあなたに恋をしているのです。 ロマンチックな歌のやり取り 舞台は、皇族しか入ることが許されない御料地である漂野。 男たちは狩りをし、女たちは紫草(薬草)を採るイベントが開かれています。 そんな中、大海人皇子が額田王に向かって、恋しさを伝えるかのように、おーいと袖を振っている。 昔は自分の恋人だったが、今は兄の天智天皇の妻となっている額田王に向かって。 額田王は戸惑います。 そんな大胆なことをして、御料地の番人に見られてしまうじゃないの。 しかし、その歌に、大海人皇子が歌を返します。 あなたが人妻であっても、私はまだあなたに恋をしているのですよ。 この2つの歌は宴の席で座興に歌われたという説があります。 額田王、大海人皇子、天智天皇の三角関係は人目を忍ぶものではなく、皆が知っていたという説です。 そのことを念頭に置いたとしても、この歌のやり取りは、恋の緊張感とともに、恋をする素晴らしさを私たちに示してくれています。 恋の歌をよもう・その2「年を重ねる」 百年(ももとせ)に 老い舌(した)出(い)でて よよむとも 我はいとはじ 恋は増すとも(大伴家持) (現代語訳) あなたが100歳になって、老いて、口からべろんと舌が出るようになり、よぼよぼになっても、私はあなたを嫌いにはなりませんよ。 恋する気持ちがもっと増すことはあってもね。 大伴家持は歌っています。 年を重ねることを卑屈に思う必要はないのですよ。 そんなあなたが魅力的なのですから、と。 恋の歌をよもう・その3「せつない恋」 たまゆらに 昨日の夕べ 見しものを 今日の朝(あした)に 恋ふべきものか(詠み人知らず) (現代語訳) 昨日の夜お会いしたばかりなのに、あなたがお帰りになって、一夜明けて、朝になってみると、もうこんなにもあなたが恋しくなるのです。 川端康成の小説「たまゆら」でも、この歌がとても印象的に取り上げられています。 恋の歌をよもう・その4「激しい愛」 常人(つねひと)の 恋ふといふよりは あまりにて 我は死ぬべく なりにたらずや(大伴坂上郎女・おおとものさかのうえのいらつめ) (現代語訳) 世の中の人が誰でも恋について語っているけれど、私のはそんなものじゃなくて、あまりの恋しさにもう死にそうになってしまうくらいなのですよ。 越中に赴任していた大伴家持へ、都に住む、叔母である大伴坂上郎女がおくった歌です。 離れているから寂しいという近親者としての思いを、恋の歌に託して、普遍的な表現を用いています。 晩年の太宰治はこの歌が好きだったようで、書に残したり、恋人への手紙に書いたりしています。 恋するあまりに死んでしまうという、激しくも純粋な恋の歌として理解し、共感していたのかもしれません。 万葉集の世界により深く浸ってみよう 万葉集のことをもっと知りたい。 奈良時代、大伴家持、万葉集にゆかりの地を訪れてみたい。 そう思った方におすすめの観光地が、奈良と、北陸・富山県高岡市です。 万葉集に情熱を持っている地域です。 カテゴリーから記事を探す• よく読まれている記事一覧•

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たのしい万葉集: 万葉集の草花

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今回、「終活ねっと」では以下の項目を中心に解説します。 万葉集の特徴• 万葉集の恋の歌• 万葉集ゆかりの地 万葉集の恋の歌についてわかりやすくまとめていますので、ぜひ最後までお読みください。 万葉集の特徴は? 万葉集がまとめられた奈良時代はまだ「かな文字」はありませんでした。 その代わり、「万葉仮名」という、漢字を使いながらも、漢字の意味とは関係なく、漢字の音だけを利用して、日本語を表記しています。 例えば、阿米(あめ)、久尓(くに)、都紀(つき)など。 そして、派手なテクニックはあまり用いられず、素朴で率直な歌いぶりという特徴があります。 江戸時代の学者は、万葉集を「ますらをぶり」(男性的でおおらか)と評しました。 (参考・平安時代の古今和歌集は「たをやめぶり」(女性的で優雅)) 恋の歌をよもう・その1「かつての恋人」 額田王(ぬかたのおおきみ)の歌 あかねさす 紫野(むらさきの)ゆき 漂野(しめの)ゆき 野守(のもり)は見ずや 君が袖(そで)振る (現代語訳) 御料地の番人が見ないかしら。 あなたが私に袖を振って、恋心を露わにしているのを。 大海人皇子(おおあまのおうじ)の返し歌 紫草(むらさき)の にほえる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも (現代語訳) 紫草のように美しいあなた。 あなたが人妻であっても、私はまだあなたに恋をしているのです。 ロマンチックな歌のやり取り 舞台は、皇族しか入ることが許されない御料地である漂野。 男たちは狩りをし、女たちは紫草(薬草)を採るイベントが開かれています。 そんな中、大海人皇子が額田王に向かって、恋しさを伝えるかのように、おーいと袖を振っている。 昔は自分の恋人だったが、今は兄の天智天皇の妻となっている額田王に向かって。 額田王は戸惑います。 そんな大胆なことをして、御料地の番人に見られてしまうじゃないの。 しかし、その歌に、大海人皇子が歌を返します。 あなたが人妻であっても、私はまだあなたに恋をしているのですよ。 この2つの歌は宴の席で座興に歌われたという説があります。 額田王、大海人皇子、天智天皇の三角関係は人目を忍ぶものではなく、皆が知っていたという説です。 そのことを念頭に置いたとしても、この歌のやり取りは、恋の緊張感とともに、恋をする素晴らしさを私たちに示してくれています。 恋の歌をよもう・その2「年を重ねる」 百年(ももとせ)に 老い舌(した)出(い)でて よよむとも 我はいとはじ 恋は増すとも(大伴家持) (現代語訳) あなたが100歳になって、老いて、口からべろんと舌が出るようになり、よぼよぼになっても、私はあなたを嫌いにはなりませんよ。 恋する気持ちがもっと増すことはあってもね。 大伴家持は歌っています。 年を重ねることを卑屈に思う必要はないのですよ。 そんなあなたが魅力的なのですから、と。 恋の歌をよもう・その3「せつない恋」 たまゆらに 昨日の夕べ 見しものを 今日の朝(あした)に 恋ふべきものか(詠み人知らず) (現代語訳) 昨日の夜お会いしたばかりなのに、あなたがお帰りになって、一夜明けて、朝になってみると、もうこんなにもあなたが恋しくなるのです。 川端康成の小説「たまゆら」でも、この歌がとても印象的に取り上げられています。 恋の歌をよもう・その4「激しい愛」 常人(つねひと)の 恋ふといふよりは あまりにて 我は死ぬべく なりにたらずや(大伴坂上郎女・おおとものさかのうえのいらつめ) (現代語訳) 世の中の人が誰でも恋について語っているけれど、私のはそんなものじゃなくて、あまりの恋しさにもう死にそうになってしまうくらいなのですよ。 越中に赴任していた大伴家持へ、都に住む、叔母である大伴坂上郎女がおくった歌です。 離れているから寂しいという近親者としての思いを、恋の歌に託して、普遍的な表現を用いています。 晩年の太宰治はこの歌が好きだったようで、書に残したり、恋人への手紙に書いたりしています。 恋するあまりに死んでしまうという、激しくも純粋な恋の歌として理解し、共感していたのかもしれません。 万葉集の世界により深く浸ってみよう 万葉集のことをもっと知りたい。 奈良時代、大伴家持、万葉集にゆかりの地を訪れてみたい。 そう思った方におすすめの観光地が、奈良と、北陸・富山県高岡市です。 万葉集に情熱を持っている地域です。 カテゴリーから記事を探す• よく読まれている記事一覧•

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