コロナ 戦争。 新型コロナから始まる米中戦争3つのシナリオ【コロナウイルス対策マガジン Vol. 28】|News U.S. note|note

コロナで国内ジェネリックの「原薬」供給難、米中戦争の新たな火種にも

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コロナ感染拡大の第1波では日本は欧米に比べて、また毎年の季節性インフルエンザに比べても人口対比の死者数を少なく抑え込むことができた。 しかし、第2波への不安がある。 東京大学公共政策大学院の鎌江伊三夫特任教授は、医療政策は科学的根拠に基づき、かつ、社会的価値も考慮したものであるべきとして、第2波への具体策を提言している。 緊急事態宣言は必ずしも出す必要はなく、大量のPCR検査による集団スクリーニングは科学的根拠がなく不適切だという。 鎌江教授に今後のあるべき政策について話を聞いた。 私の専門は医療政策・技術評価で、まず政策は科学的根拠に基づいたものでなければならないと考える。 それに加えて、社会的価値があるかどうかで政策の妥当性を判断していく。 例えば、臨床試験で有用性が科学的に証明されたとしても、それが社会的に求められるものかどうかという観点でも議論しなくてはならないということだ。 患者にとっての価値が重要であり、すべての国民は私も含めて患者予備軍なので、それは国民にとっての価値ということになる。 社会的価値に基づく医療を実践していくということが基本。 今の新型コロナへの対応は「社会的価値に基づく医療」を実現できるのかの試金石だ。 その意味で感染第1波を通じていろいろな問題が噴出したと思う。 その1つが誤った認識に基づく大規模検査を求める声だ。 一般の人が検査に期待し過信してしまうのは無理もないが、驚いたのは、検査の精度の問題についてのきちんとした説明や検査を過信することへの警告が、専門家からも発せられなかったことだ。 専門家会議はクラスター対策班の北海道大学西浦博教授の疫学モデルによる感染拡大の予測の話が中心に議論され、その前提となる検査について科学的な説明がなかったように思える。 テレビでコメントする専門家も、検査を大量にすると陽性者が大量に出て医療崩壊を起こすといった話をする人はいたが、偽陽性や偽陰性の問題はほとんど議論していなかった。 メディアの報道を通じては、専門家といわれる医療関係者でも多くの人が検査の科学を理解していないように見えた。 検査では「病気の有無」はわからず、病気の「有無の可能性」がわかるだけだ。 100%完全な検査は存在しない。 検査を受ける人の観点からは陽性適中率(以下、注参照)あるいは陰性適中率がどのくらいかが問題となり、検査の正確性という点では感度(真陽性率)、特異度(真陰性率)が重要となる。 症状のある人に治療のためにPCR検査を行う場合は、陽性適中率や陰性適中率が90%を超えていれば実臨床上は問題ないが、対象集団が多くなると、偽陽性や偽陰性に該当する人が無視できない数になってくる。

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コロナウイルスとの闘い 「戦争」ではなく「共生」を 長崎大学 山本太郎教授 NHK特設サイト

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緊急事態宣言発令のニュースを映すJR名古屋駅前の大型ビジョン=2020年4月7日午後6時1分、名古屋市中村区、上田潤撮影 COVID-19禍ではびこる「戦争」の隠喩 世界で猛威をふるっているCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)禍で、「戦争」の隠喩(メタファー)で語る言説が目につく。 例えば国内外の政治家たちは、自分たちはコロナウイルスとの「戦争の最中」にあり、今は「戦時中」であると言う。 また報道でも、集中治療室(ICU)と救急救命室(ER)は「戦争地帯」であり、医師や看護師ら「兵士」が決死の戦いをしていると称賛する。 病気への対応が「戦争」や「闘い」の隠喩をまとうことは珍しくはないが、これには問題が多い。 実際の戦争を過小評価する一方、「戦時中」をうたうことで医学的予防手段であったものを社会的統制の手段に変えるリスクがあるからだ。 ウイルスには私たちを殺そうとする意思はない。 病いを隠喩で飾り立てるのはやめて、あくまで誰しもがかかりうる「病い」として見ることが必要である。 子供たちに贈るマスクを作る学校給食センターの職員たち=2020年5月21日、熊本県水俣市白浜町、奥正光撮影 感染拡大を防ぐために奨励されているマスクの着用や社会的距離を取ることも、「戦争」の隠喩では、病気をうつされるという他者からの攻撃に対して自己防衛をすることになる。 しかし、自分が無症状の感染者であるかもしれない以上、これは他者への感染を防ぐための思いやりと連帯の行為である。 マスクの入手が困難であった時期、人々は手間暇をかけて手作りしたり再利用したりして、困難な状況に対応してきた。 COVID-19から「戦争」の隠喩を引きはがすと、パンデミックという危機の中において、人々が工夫や忍耐を重ねて日常生活を作り上げようとしているありようが見えてくる。 そのような見方を共有することこそ、長丁場となる「ウィズコロナ」の時代に求められている。 公衆衛生には社会統制の側面がある 病いに対して「戦争」の隠喩を使うと、「戦争に勝つ」という大義のために個人の自律性が制限されてもやむを得ないと示唆してしまう。 COVID-19拡大予防のための外出制限は事実上の隔離ともいえるが、フランスの哲学者ミシェル・フーコーは『近代医学の誕生』の中で、「公衆衛生とは、隔離の洗練されたかたち」といい、公衆衛生の社会統制の側面を指摘した。 ひとたび感染症が起こると、都市は細分化され、それぞれの空間は綿密に分析され、絶えず記録がとられるという「監視された軍事的モデル」が適用される。 世界保健機関(WHO)の定義では、 ・・・ (残り:約2272文字/本文:約3251文字).

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「コロナ戦争」の後にいよいよ始まる「本物の米中戦争」(大原 浩)

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緊急事態宣言発令のニュースを映すJR名古屋駅前の大型ビジョン=2020年4月7日午後6時1分、名古屋市中村区、上田潤撮影 COVID-19禍ではびこる「戦争」の隠喩 世界で猛威をふるっているCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)禍で、「戦争」の隠喩(メタファー)で語る言説が目につく。 例えば国内外の政治家たちは、自分たちはコロナウイルスとの「戦争の最中」にあり、今は「戦時中」であると言う。 また報道でも、集中治療室(ICU)と救急救命室(ER)は「戦争地帯」であり、医師や看護師ら「兵士」が決死の戦いをしていると称賛する。 病気への対応が「戦争」や「闘い」の隠喩をまとうことは珍しくはないが、これには問題が多い。 実際の戦争を過小評価する一方、「戦時中」をうたうことで医学的予防手段であったものを社会的統制の手段に変えるリスクがあるからだ。 ウイルスには私たちを殺そうとする意思はない。 病いを隠喩で飾り立てるのはやめて、あくまで誰しもがかかりうる「病い」として見ることが必要である。 子供たちに贈るマスクを作る学校給食センターの職員たち=2020年5月21日、熊本県水俣市白浜町、奥正光撮影 感染拡大を防ぐために奨励されているマスクの着用や社会的距離を取ることも、「戦争」の隠喩では、病気をうつされるという他者からの攻撃に対して自己防衛をすることになる。 しかし、自分が無症状の感染者であるかもしれない以上、これは他者への感染を防ぐための思いやりと連帯の行為である。 マスクの入手が困難であった時期、人々は手間暇をかけて手作りしたり再利用したりして、困難な状況に対応してきた。 COVID-19から「戦争」の隠喩を引きはがすと、パンデミックという危機の中において、人々が工夫や忍耐を重ねて日常生活を作り上げようとしているありようが見えてくる。 そのような見方を共有することこそ、長丁場となる「ウィズコロナ」の時代に求められている。 公衆衛生には社会統制の側面がある 病いに対して「戦争」の隠喩を使うと、「戦争に勝つ」という大義のために個人の自律性が制限されてもやむを得ないと示唆してしまう。 COVID-19拡大予防のための外出制限は事実上の隔離ともいえるが、フランスの哲学者ミシェル・フーコーは『近代医学の誕生』の中で、「公衆衛生とは、隔離の洗練されたかたち」といい、公衆衛生の社会統制の側面を指摘した。 ひとたび感染症が起こると、都市は細分化され、それぞれの空間は綿密に分析され、絶えず記録がとられるという「監視された軍事的モデル」が適用される。 世界保健機関(WHO)の定義では、 ・・・ (残り:約2272文字/本文:約3251文字).

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