どう てい ばなし。 面白い人・面白い村にまつわる昔話

尾張旭市/どうだん亭

どう てい ばなし

どうだん亭の母屋は、享保8年(1723年)に岐阜県吉城郡坂下村(現在の飛騨市)の居宅として建てられたものです。 昭和17年に現在の場所のやや西に、3階建てであったものを2階建てに改修し移築されました。 昭和42年に母屋が現在の場所に曳き屋され、このとき離れも新築されています。 どうだん亭の名前の由来となっているドウダンツツジの美しい庭園は、謡曲「紅葉狩」をモチーフにこの頃に造られ、「幸福(松竹梅)」の中で「鶴(飛び石と枯れ池)」と「亀(築山)」が群れ遊ぶ様子が表現されています。 現在どうだん亭は、尾張旭市の教育文化施設として皆さんにご利用いただけます。 文化スポーツ課文化振興係で手続きのうえご利用ください。 また、ドウダンツツジの可憐な白い花が咲く春と、庭園が赤く色づく秋、ひな祭りの期間に一般公開を行います。 この期間中は、申請なしでご入場いただけますので、ぜひお越しください。 どうだん亭の利用再開について どうだん亭につきましては令和2年6月1日(月曜日)から、利用制限付きで再開いたします。 利用開始日 令和2年6月1日(月曜日)から 開館時間 午前9時から午後5時まで 当面の間、 午前と午後各1組または1日使用1組のみでの利用を原則とします。 同時刻に離れ1階または離れ2階に予約が入っている場合は、同一利用者を除き片方の部屋の利用予約はできませんので御了承ください。 予約受付 市役所北庁舎2階文化スポーツ課文化振興係の窓口において随時先着順にて受付を行っております。 電話にて空き状況を確認できますので、お問い合わせください。 利用予定日の3日前までに申請してください。 定員 人と人の距離を確保するため、通常の定員の2分の1とします。 母屋 16名 離れ1階 10名 離れ2階 12名 利用上の制限事項 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、施設の利用には次の制限事項を順守してください。 1 利用前に必ず検温を行ってください。 体温が 平 熱よりも高い人は、利用を控えてください。 2 利用日および利用前2週間に風邪、発熱、倦怠感、息苦しさ、味覚異常などの症状がある方は、利用を控えてください。 3 団体で利用の場合は、「 利用者 名簿」に必要事項を記入し、 利用者で保管してください。 4 個人で利用の場合は、「 利用者個票」(任意の様式で可)を記入し、 利用者で保管してください。 (万が一、感染者が発生した場合、素早い対応を行うため、御協力ください。 ) 【参考様式】 5 入口及び部屋内の アルコール消毒薬による手指消毒や 正しい手洗いをお願いします。 6 マスクは必ず着用し、咳をするときは 咳エチケットをお願いします。 7 換気の悪い密閉空間にしないよう、部屋の換気をしてください。 (窓を開けて使用する。 1時間に10分程度外気を取り入れるなど) 8 他の利用者等との 距離(できるだけ2m以上)を保ってください。 9 近距離で会話をすることや 大きな発声は避けてください。 10 水分補給以外の 飲食はしないでください。 11 施設を使用する前後に利用備品(机、ドアノブなど)の消毒は、利用者の方で行ってください。 消毒液、拭き取り用ティッシュペーパーなどは各部屋に設置しております。 【中止】どうだん亭春の一般公開(令和2年度) 【春の一般公開】 令和2年4月11日から19日まで開催予定でした「どうだん亭春の一般公開」は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、皆さまの健康と安全を考慮し、中止とさせていただきます。 楽しみにされていた皆さまには申し訳ありませんが、御理解と御協力を賜りますようお願いします。 本日のどうだん亭開花状況 春の一般公開は中止となりましたが、4月20日までどうだん亭の開花状況をお知らせいたします。 雨でお庭の緑が濃く見えます。 ドウダンツツジはまだまだの状態です。 (令和2年4月20日撮影) 国登録有形文化財 どうだん亭の建物の一部は、国の登録有形文化財に登録されています。 名称 どうだん亭(旧浅井家住宅離れ)一棟 登録番号 23-0303 登録年月日 平成20年5月7日 登録基準 ニ、造形の規範となっているもの 利用のご案内 使用時間には、会場の準備と片付けに要する時間を含みます。 定員は、令和2年6月1日(月曜日)から当面の間、通常の2分の1とします。 紹介動画 どうだん亭 どうだん亭ひな人形展 使用上の注意• 風俗、秩序を乱す行為をしないでください。 所定の場所以外で飲食、または火気を使用しないでください。 酒気を帯びての入場、場内での飲酒をしないでください。 他人に危害を加え、または迷惑な行為をしないでください。 許可を受けないで物品を展示、販売またはこれに類する行為をしないでください。 許可を受けないで、印刷物等を掲示または配布しないでください。 施設の使用後は、ごみ等の後片付けを徹底してください。 施設内及び敷地内において、喫煙しないこと。 その他、職員の指示に従ってください。 案内図.

次の

童話(どうわ)とは

どう てい ばなし

児童文学の一ジャンル。 主として幼年者を対象とした「お話」。 「童話」の語の使用は,江戸時代後期に おきなまろ が『童話長編』 1857 を著わし,舌切雀,桃太郎,勝々山,猿蟹合戦,,浦島太郎などをに詠じたのが,まとまった文献にみえる初めである。 『浦島太郎』などのは,や,,などで一般に広まり,「ものがたり」「むかしばなし」などと呼ばれていたが,明治期の 1894年頃 いわや が「 とぎばなし 」のを用い,一般化した。 これら伝承物語とは別に,明治期には直接児童を対象とした,翻訳物がつくられるようになり,小波,久留島武彦らによる童話口演が行われた。 1910年にはの童話集『赤い船』が生れ,大正に入ると,児童文芸雑誌『』,『金の船』 のち『金の星』 ,『童話』が相次いで発刊され,近代的なとしての「童話」が定着,多くの創作童話のが生れた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 説話の諸形式を基礎として自由に創作された、子供をおもな読者とする文学の一形式。 ことばそのものは、江戸期の山東京伝 さんとうきょうでん が随筆『骨董 こっとう 集』上編(1814)のなかで「むかしばなし」と読ませ、曲亭馬琴 ばきん も同じく随筆『燕石襍志 えんせきざっし 』(1810)で「わらべものがたり」と読ませて使っている。 ともに子供にふさわしい昔話をさしていた。 明治期に使われた最初の例は、木村小舟 しょうしゅう の『少年文学史』明治篇 へん 下巻(1942)によれば、1899年(明治32)に開発社という出版社が「修身童話」という幼児向きの読み物を発刊したときであるという。 事実、蘆谷蘆村の『教育的応用を主としたる童話の研究』(1913)および『童話及伝説に現れたる空想の研究』(1914)での童話は昔話をさしている。 童話が新しい意味をもって使われたのは1918年(大正7)創刊された雑誌『赤い鳥』からである。 創始者鈴木三重吉 みえきち は発刊パンフレットに「童話と童謡を創作する最初の文学的運動」と創刊の主旨を述べたが、この場合の童話とは、小川未明 みめい のいう「……子供の心境を思想上の故郷とし、子供の信仰と裁断と、観念の上に人生の哲学を置いて書かれたものは私達の求める『童話』であります」(『金の輪』序文、1919)とほぼ同じものであっただろう。 これは、子供を無垢 むく な心の持ち主とする児童観と、新しいものの考え方が生まれた大正という時代が生んだ子供の文学の概念であった。 1918年の米騒動や小作争議、労働争議、1920年の第一次世界大戦後恐慌などは人々の目を現実に向けさせた。 子供の文学にも現実への関心が深まり、童話にもたとえば千葉省三 しょうぞう の『虎 とら ちやんの日記』(1925)、坪田譲治 じょうじ の『善太と汽車』(1927)など子供の日常を描き、非現実的要素のないものが増えた。 そして、それは、プロレタリア児童文学運動などによってさらに進み、写実的な短編小説に近いものまで生まれるに至った。 大まかな意味で昔話的形式を用い、非現実的要素が容認された想像の世界の物語から、写実的、日常的な世界の物語への童話の内容の変貌 へんぼう であった。 だが、写実的なのはいわば表面であり、内実は純粋に現実でない理想の小世界という意味で、やはり童話の枠内であった。 第二次世界大戦後、小説的方法の発達で長編のリアリズムが主流になるとともに童話は子供の文学全体の名称でなく、本来の範囲を示す名称となった。 三重吉は自分の娘に読んで聞かせる子どもの読みものが〈実に乱暴で下等なのに驚きあきれ〉,〈純情的な興味から〉童話を書き出したという。 俗悪,下劣な読みものや雑誌の現状に対して,〈世間の小さな人たちのために,芸術として真価ある純麗な童話と童謡を創作する,最初の運動〉をめざし,島崎藤村,徳田秋声,野上弥生子,芥川竜之介,泉鏡花,小川未明,有島武郎ら当時,文壇で活躍していた人たちを執筆に動員した。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.

次の

動物の恩返しにまつわる昔話

どう てい ばなし

あらすじ ある村に、仲良しの百姓夫婦が住んでいた。 この亭主はひどく臆病者で、夜中に一人で小便に行くことすらできなかった。 女房は亭主の臆病を治してあげようと、夕顔の花が化け物の正体だよ、と嘘を付いた。 これを信じた亭主の臆病は、すっかり治ってしまった。 この年の夏も過ぎたころ、村はずれの野原のあたりに夜な夜な化け物が出るようになった。 亭主は、きっと化け物の正体は夕顔の花だろう、と言って、化け物を捕まえに出かけた。 その化け物が「おぶさりてぇ~、おぶさりてぃ~、ばろ~ん」と言うので、亭主はおぶって家へ連れて帰った。 怖がる女房を尻目に、亭主は床の間に化け物を下ろし、そのまま疲れて寝てしまった。 翌朝、目を覚ますと床の間には大きな金の山があった。 昔、このあたりは金の採掘をしていた所なので、きっと堀り残された金が、誰かに使ってほしくて化け物になって現れたのだろう。 金は役所に届けたが、全部夫婦の物となり、大変な長者になったそうな。 (紅子 2011-7-16 2:30) ナレーション 市原悦子 出典 清水真弓(角川書店刊)より 出典詳細 妖怪と人間(日本の民話07),清水真弓,角川書店,1973年4年20日,原題「おぶさりてい」,伝承地「東北地方」• 新着コメント(コメント24件)•

次の