野球 田中。 1 田中 晴也

1 田中 晴也

野球 田中

一方で、田中は持ち前の強肩を活かし、外野手としても力をつけていた。 高校野球の名門・平安高校では2年の夏に外野手として甲子園に出場。 チームは準優勝という見事な成績をおさめる。 しかし田中自身は、3年生に連れていってもらったものという思いが強かったようだ。 「あのときは自分自身で存分に力を発揮して甲子園に行けたわけではなかったので、もちろん準優勝は嬉しかったですけど、個人的には悔しい部分もあったんですよ」 その翌年、今度は4番・エースというチームの大黒柱になった田中は、春の近畿大会を制覇。 2年連続の甲子園出場を目指した夏の大会では惜しくも準々決勝で敗退したが、周囲の注目を集める逸材に成長し、近畿大学へと進学する。 2年の春からは投手から野手へ転向し、大学4年の秋には打撃10傑で2位、ベストナイン選出という成績をおさめ、ドラフト候補として名前が挙がるようになっていた。 で、近畿大学には入ったんですが、2年生ぐらいで野球をやめようかとも考えました。 普通に就職を考えていたんですよね。 高校までは投手と外野手を兼任していたが、大学2年の頃からは完全に野手へ転向。 ライトからのスローイングは誰もが唸るものだったという。 その田中がパナソニックでは投手に再び転向。 強い肩を活かしてピッチングを試してみたいという首脳陣の意向からだったそうだ。 「もう一度投手をやるうえでは抵抗はありませんでしたよ。 自分の能力が活かせるならいい選択だと思いましたしね。 今は走者がいなくてもセットポジションで投げているんですが、それはピッチングバランスが悪かった時期にセットポジションで調整をしていて、それがそのまま定着したからなんです。 今は抑えを任されるシーンが多いので、きっちり抑えられるようにつとめています」 豪腕で鳴らした田中を知る人が彼のピッチングを見ればおそらく驚くだろう。 球威は十分ながら、球速はMAXで140キロ代半ば。 速球で押すというよりは、スクリューやスライダーなどの多彩な変化球を使ってていねいにコントロールしていくスタイルだからである。 これは丸尾ヘッドコーチのアドバイスだという。 そんな田中のピッチングに、さらなる磨きがかかる。 OBC高島と対戦した昨年の第35回日本選手権近畿地区2次予選の敗者復活1回戦では、ノーヒットノーランを達成。 初戦を落としたチームを救う快投を演じたのである。 初戦を落としたチームを救う快投を演じたのである。 これほどの実力や、これまでの実績、そしてマウンドでの堂々たるピッチングを見ていると、傍目には強心臓の持ち主のように思えるが、田中の口から出たのは意外な言葉だった。 「今はそんなこともなくなったんですけど、以前は当番の前日は緊張して眠れなかったんですよ。 あと、自分が登板していなくても、ベンチから戦況を見守っているとけっこう動揺しやすいんですよね。 それだけに、松井監督ら首脳陣の期待も大きい。 「まずはケガをしない体をつくることが第一。 そしてどんな場面でも、監督から任されたらきっちり抑えたい。 選手は信頼されてなんぼですからね。 若い頃は結果を残したいばっかりに自己中心的なピッチングになっちゃって、チームに対する責任感というものがなかった。 でも今はチームのことを第一に考えて、責任を果たさなくてはならない立場。 まだまだ足りない部分もありますけど、責任をきっちり果たせるようがんばっていきますよ」 少ない口数の中に独特のユーモアと静かな闘志が見える田中。 豪快さと繊細さを併せ持つ左腕に、期待は高まるばかりだ。

次の

田中英祐

野球 田中

出身(生まれは徳島県)。 1年時にチーム「昆陽里タイガース」でを始め 、4番・としてとを組んでいた。 練習では左翼方向へのを連発し、同じ方角にある校舎の窓を直撃しかけたことが何度もあったという。 小学校時代の最高成績は6年時の県大会準優勝。 時代にのでを始めるとを買われて投手も兼任するようになり 、3年時には関西南選抜チームに選出された。 2004年、駒澤大学附属苫小牧高等学校入学。 1年秋の(35回大会)では背番号2の正捕手であった。 1回戦の戦では捕手、準々決勝の戦では投手で出場している(チームは準々決勝で敗退)。 決勝戦で優勝を決めた最後の1球は2年生では史上初の150を計測した。 大会後、のに2年生ではと2人だけ選出され 優勝。 決勝再試合のスコアボード 、秋からが監督に就任後初のエース兼主将となり 、秋季北海道大会では堂上を参考にフォーム改造した 打撃でも決勝を含む5試合中4試合で本塁打を放つなど活躍。 決勝では過去最多の13点差 で優勝した。 その後行われたでも北海道勢として初めて決勝に進出して優勝し、では優勝候補に挙げられていたが、部員の不祥事により出場辞退となった。 史上2校目の夏3連覇が懸かったでは大会直前から体調を崩したが 、チームは決勝に進出。 とのでは3回途中からして延長15回まで1失点。 チームは1-1で引き分け、37年ぶりの決勝引き分け再試合となった。 再試合でも1回途中から登板し、7回3分の1を投げ3失点に抑えたが、チームは3対4で敗れる。 自身が最後の打者となった(空振り三振)。 甲子園通算成績は春夏12試合の登板で8勝無敗だった。 大会後は日本高校野球選抜としてアメリカ遠征に参加。 高校時代の田中(2006年8月17日、) 、9月25日ので、、、から1巡目指名を受け、抽選の結果楽天が交渉権を獲得。 同月30日に開幕した秋のでは1回戦で13奪三振、無失点に抑える など決勝までの3試合24イニングを無失点で抑えるも、10月4日の早稲田実業高等学校との決勝戦では甲子園でも投げ合ったに適時打を浴び、1-0で敗れ準優勝。 11月2日には楽天と仮契約を結び、背番号は 18に決定。 高校時代の公式戦通算成績は57試合の登板で35勝3敗、計329回2/3を投げ、防御率1. 31、数はのを上回る458奪三振を記録。 周囲からは「怪物」「世代最強エース」などと評された。 打者としても高校通算13本塁打を記録している。 楽天時代 楽天時代 (2007年6月26日、) 、春季キャンプでのフリー打撃、紅白戦、の初登板が全て雨で中止か延期となり、チーム内でとあだ名された。 4試合目の登板となった4月18日の対ソフトバンク戦で9回を2失点13奪三振に抑え初勝利初完投。 6月13日の対戦で高卒新人ではの以来の完封勝利を記録。 同年のに高卒新人ではの以来となるで選出された。 8月31日の戦で松坂大輔以来となる高卒新人、および球団史上初となる2ケタ勝利を挙げた。 高卒1年目でを受賞した。 これは、松坂大輔以来8年ぶり。 同年は連敗ストッパーとなることが多く、監督のは「だって(田中は)ウチのエースだもん」と答えたこともあった。 ソフトバンクとの相性が良く、登板6試合のうち5試合で勝利投手になった。 、シーズン前にについて聞かれると「全く考えていない。 いまやるべきことをやるだけ。 そのことは二度と聞かないでほしい」と答えた。 5月4日の対戦()で勝利投手となり、北海道で初勝利を挙げた。 また、この試合後には同球場では史上初の対戦チーム選手のヒーローインタビューが流された。 交流戦の最終戦の対戦()ではプロ入り初セーブを挙げた。 (北京五輪)のに選出され、背番号は15。 大会を通じ3試合に登板、7イニング無失点だった。 レギュラーシーズン最終戦の10月8日の対ソフトバンク戦()で9回を6安打無失点に抑え、チームは延長12回にサヨナラ勝利するが 田中は勝利投手とならず、この年は9勝に終わるが、高卒新人としては40年ぶりの2年連続150奪三振を記録した。 開幕前の3月に開催されたのに選出された。 同大会では日本の2大会連続2度目の優勝を経験している。 シーズンではホーム開幕戦となる、対ソフトバンク戦に先発して完封でシーズン初勝利を挙げた。 また、4月14日の対戦で1失点完投、4月22日のロッテ戦で完封、4月29日の対日本ハム戦で野村克也の監督通算1500勝目となる1失点完投と、の、以来となる開幕から4試合連続完投勝利を記録し、自身初のに選出された。 5月13日の対日本ハム戦で完投は途切れたが、6月3日の対戦で敗れるまで開幕7連勝を記録。 8月7日の日本ハム戦で約2か月振りの勝利となる9勝目を挙げて以降は安定した結果を残し、8月27日の西武戦で自己最多となる12勝目を記録。 8月には4試合に登板して4勝0敗、防御率1. 44、30奪三振で自身2度目となる月間MVPに選出される。 援護率がパリーグでワースト2位の3. 54だったにもかかわらず、最終的にリーグ2位タイ、チームトップとなる15勝、リーグ3位となる防御率2. 33を記録。 10月17日の第1ステージ第2戦の対ソフトバンク戦では自身初の無四球完投勝利を挙げ、チームの第2ステージ進出に貢献した。 12月25日の契約更改では1億500万円増、プロ入り4年目の選手としてはダルビッシュに次ぐ史上2番目の高額契約となる年俸1億8000万円で契約(推定)。 、シーズン開幕から低調なチームの中でも奮闘した。 5月には自身3度目となる月間MVPを受賞し、6月までにチームトップの8勝を挙げた。 しかし7月に太腿の肉離れで戦線離脱。 8月に復帰するも、8月29日の対西武戦で投球中に違和感を訴えて降板すると右大胸筋部分断裂と診断され、以降の試合は欠場している。 最終成績の11勝、防御率2. 50はチームトップだったが、奪三振や投球回はプロ入り後最低となった。 11月15日にはタレントのとの交際を自身のブログで公表した。 、1月12日によりマネジメント契約を結んだことが明らかにされた。 公式戦シーズンは、6月と7月には2か月連続で月間MVPを受賞、8月7日の対日本ハム戦を迎えるまでの開幕から16試合連続でを達成し、8月27日の対ソフトバンク戦ではに次ぐ歴代2位の1試合18奪三振を記録。 9月10日の対日ハム戦では、2006年夏の甲子園の決勝以来となる斎藤佑樹との対戦となり、前売り券のみで売切れるほどの大きな盛り上がりを見せ、結果は田中が1失点完投で勝利した。 この試合はの年間大賞に選ばれている。 シーズン前半は10回無失点ながら勝ちが付かないなど、中々打線の援護に恵まれなかったが後半に勝ち星を伸ばし、最終的に19勝5敗。 前述の6、7月の他に10月も月間MVPを受賞し、リーグ史上初となる年間3度の月間MVP受賞を果たした。 防御率はパ・リーグ史上2位となる1. 27で、2リーグ制以降では歴代5位の記録である。 この年は(と同数)、、、最多完封(6試合、ダルビッシュと同数)の4冠を獲得。 他に両リーグトップの完投(14試合、ただし、2試合10イニングを投げた試合があるがいずれも決着が付かなかったため完投ならず)、無四球試合(5試合)も記録。 四球の数も減り、過去最多のイニングを投げながら四球は僅か27と過去最少で、パ・リーグの規定投球回に到達した投手の中では3番目に少なく与四球率1. 67を上回る8. 93を記録し、を初受賞 、他にもにも選出され、、も獲得した。 1月26日にとのを発表。 シーズン開幕を控えた3月20日に里田とのを提出した。 3月30日の開幕戦では自身初のを務めたが、6回5失点で敗戦投手となった。 4月22日に腰痛で2年ぶりに戦線離脱した。 復帰後の5月30日の対巨人戦は先発のと互いに8回まで投げ2ケタ奪三振を記録する勝負であったが、チームはで敗れ敗戦投手に。 7月6日の西武戦では先発登板が予定されていたが、投球練習中に右脇腹に違和感を訴えて先発登板を回避し、代役として中7日でが登板することになった。 8月19日の対西武戦(西武ドーム)では通算1000奪三振を記録するものの6失点で敗戦投手となるが 、8月26日の対日本ハム戦では延長10回を無四球完封勝利を挙げ 、これより翌シーズンにかけての連勝記録をスタートさせる事になる。 シーズン終盤に4連勝し、最終戦で10勝目を挙げ、4年連続の2ケタ勝利となった。 防御率は2年連続の1点台となる1. 87、リーグ最多奪三振を記録。 また完投、完封もリーグトップを記録。 99と1を割り込んだ。 オフの12月4日にの候補選手34人に選出された。 また12月22日に3年12億円+出来高で契約更改し、「将来的に、そういうところ(メジャー)でやろうという気持ちが芽生えたので、早いうちに伝えようと思いました」と将来的なの意思があることを明らかにした。 楽天時代 (2013年5月12日 ) 2月20日に第3回WBC日本代表選手28人に選出された。 同大会では先発として起用されていたが、中継ぎに配置転換され 、4試合に登板。 7イニングで防御率2. 57の成績だった。 レギュラーシーズンでは開幕から連勝を重ねた。 4月は4試合に登板し、3勝0敗。 なお4月16日の対ソフトバンク戦では7回3失点でリードのまま降板しているが、チームがその後逆転負け。 田中に勝ち負けはつかなかったが、この年のシーズン公式戦では唯一の田中が登板しての敗戦となった。 5月は5試合に登板し4勝0敗で、通算8度目となる月間MVPを獲得した。 これは、投手としてはパ・リーグ最多、5年連続受賞は投手としてはプロ野球初。 6月16日の対阪神戦(Kスタ宮城)で球団新記録の開幕から9連勝。 6月は4試合登板で3勝0敗で、史上初の2度目の2カ月連続、通算9度は投手としては日本プロ野球最多タイの月間MVP受賞。 7月は4試合登板で3完投の4勝0敗として、パ・リーグ初の3カ月連続、日本プロ野球タイ記録の年間3度目、通算10度目(いずれもの記録に並ぶ)の月間MVP受賞となった。 8月に入っても連勝は途切れることはなかった。 9月に多くの連勝のプロ野球新記録を作ることになる。 8月2日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で、開幕から15連勝として()と()の日本プロ野球記録に並んだ。 8月9日の対ソフトバンク戦(Kスタ宮城)で日本プロ野球新記録の開幕16連勝、また前年から20連勝で、( - )と()の日本プロ野球記録に並んだ が、先発登板だけで20連勝は史上初である。 8月16日の対西武戦(西武ドーム)で日本プロ野球新記録の21連勝。 8月30日の対ソフトバンク戦()で開幕からの連勝を19として、にが記録したの開幕連勝記録に並んだ。 8月は5試合に登板し、5勝0敗で、日本プロ野球新記録の4カ月連続、年間4度目、通算11度目となる月間MVPを受賞。 9月6日の対日本ハム戦(Kスタ宮城)で()の記録に並ぶ日本プロ野球タイ記録のシーズン20連勝。 シーズン20勝は2008年の楽天の以来。 メジャーリーグの開幕連勝記録を上回った。 9月13日の対オリックス戦(Kスタ宮城)でシーズン21連勝、日本プロ野球新記録となり、がからにかけて記録したメジャーリーグ連勝記録を上回った。 9月21日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で日本プロ野球では1980年の以来33年ぶり、2008年の岩隈久志を上回る球団新記録のシーズン22勝目で、2003年の斉藤和巳以来の日本プロ野球タイ記録の15試合連続登板勝利。 楽天の優勝へのマジック2で迎えた9月26日の対西武戦(西武ドーム)で1点差で迎えた9回裏に、同季初のリリーフで登板。 この時、ほぼ同時刻に2位のが敗れてが1となり、このまま勝てば優勝決定の場面で、田中はランナーを2人出したものの無失点で抑えて投手となり、チームは初のリーグ優勝を決めた。 田中のセーブは4年ぶり。 9月は4試合登板で3勝1セーブとして、5カ月連続、通算12度目の月間MVPを受賞。 その後も連勝は途切れることなく、同季最終登板となった10月8日の対オリックス戦(Kスタ宮城)でシーズン24勝目を挙げた。 シーズン中の田中のクオリティスタート率は100%であり、全試合を6イニング以上、自責点3以下に抑えた。 ロッテとのファイナルステージでは第1戦(Kスタ宮城)に先発登板し2対0で、CSでは初の完封勝利。 CSで3試合連続勝利はタイ記録で史上3人目、3試合連続完投勝利はCS新記録。 日本シリーズ進出を決めた第4戦でも9回表にリリーフで登板し無失点に抑えて、パ・リーグCSの最優秀選手に選ばれている。 巨人とのでは第2戦(Kスタ宮城)に先発し、シリーズ史上18人目20度目の二桁奪三振 、シリーズ史上3人目の毎回の12奪三振で、自身と球団シリーズ初勝利を挙げるが 、チームの日本一まで残り1勝だった第6戦(Kスタ宮城)では、9回を160球で完投も被安打12で 、この年のシーズン公式戦から含めてワーストとなる4失点で敗戦投手となった。 翌日の第7戦(Kスタ宮城)でも3点リードで迎えた9回から登板。 打者5人に15球で無失点で抑えてセーブを挙げ、球団史上初の日本一が決定すると共に、田中が胴上げ投手となった。 この年は、、、投手を獲得。 前年からの連勝を28、開幕からの連勝を24としてそれぞれ日本プロ野球新記録を達成。 数に達し、勝率10割としたのは日本プロ野球史上4人目 で、シーズン無敗で最多勝は日本プロ野球史上初。 沢村賞は選考委員会でわずか10分満場一致により選出され 、投手部門では24年ぶり 、自身初のでは投手野手通じて48年ぶりに、記者投票で満票を獲得しての受賞となった。 11月23日に行われた球団のファン感謝祭において、開幕からのシーズン24連勝に前年からの28連勝と、これにポストシーズンの2勝を含めた30連勝の3つがとして認定され、認定証が贈られた。 の新協定成立後の12月17日には翌シーズンの挑戦を希望していることを表明し 、25日に球団からポスティングシステムの行使を容認される。 マネジメント契約を結んでいたホリプロとの契約はこの年で終了し 、の ()を代理人として契約交渉を行う。 田中はプロ入り当初からメジャー願望を持っていたことを当時の監督であった野村が後に明かしている。 ヤンキース時代 ニューヨーク・ヤンキース時代 2014年6月28日 1月22日にと総額1億5500万の7年契約に合意したことが発表された。 投手としてはMLB史上5位の契約額となり、4年目終了後には契約をしてとなれる条項が付く。 合意後の会見ではヤンキースとの契約を選んだ理由について「最大限の評価をしてもらった。 世界でものチームだし、いろいろなものを感じながら、違ったものを感じながらプレーすることができるのではないかなと思っています」と語った。 24日には背番号が 19に決定したことが球団から発表された (楽天時代の背番号18はすでにが使用していたため)。 これにより、田中は楽天から3人目のメジャー移籍選手(1人目は、2人目は)となったが、楽天生え抜き選手だけなら田中が最初の選手となった。 渡米時には、本人や家族と関係者計5人と愛犬1匹のため、かつ入団会見やキャンプに「ベストなコンディションで臨むため」にのを自費負担でしたことが話題となった。 では3度の先発を含む5試合に登板し、2勝0敗、防御率2. 14、WHIP0. 86と好投。 3月29日にはスプリングトレーニングで活躍した1年目のヤンキースの選手に与えられる「」を受賞した。 開幕4戦目となる4月4日の戦でMLB初登板となる初先発を果たした。 5月14日の戦では9回を4安打無失点の好投でメジャー初完封勝利を挙げ、9回の第三打席ではMLB初安打も記録。 6月3日には日本人投手史上3人目となる5月のリーグに選出され 、ヤンキースの新人投手では史上初の受賞となった。 6月28日の戦では9回2失点の投球で敗戦投手となり、プロ入り後では2010年6月以来の連敗を喫するが、の以来となるメジャー最長タイ記録となるメジャーデビューからの16試合連続を達成。 前半戦は18試合の先発で12勝4敗、防御率2. 51、WHIP1. 01の成績を残し、に選手間投票1位で選出される が、7月9日に右肘の違和感を訴え15日間の入りしオールスター出場も辞退。 翌日に右肘の部分断裂で全治6週間と診断され 、PRP療法という保存療法での回復を目指しリハビリを行う。 チームはポストシーズン出場を逃したが 、復帰後は右肘に異常なくシーズンを終えた。 ニューヨーク・ヤンキース時代 2015年8月4日 、4月6日のとので日本人4人目となるを務めたが、4回5失点(自責点4)でとなった。 4月23日の登板後、右肘の不調で1ヶ月以上登板できなかった。 前半戦は11試合に先発して5勝3敗・防御率3. 63を記録した。 8月28日の戦で7回5安打3失点に抑えてシーズン10勝目(6敗)をあげた。 9月6日、夫人の里田まいが第1子を公表。 この年は24試合に先発し、12勝7敗。 防御率3. 51の数字を残し、シーズンオフの10月に右肘の骨片を取り除く手術を受けた。 、2月15日に妻の里田まいがので第1子となるを。 母子ともに健康とされる。 田中はでのトレーニングを切り上げてニューヨークに向かい、出産に立ち会っている。 オープン戦では防御率7. 36と振るわなかった。 9月21日の戦では自己最多となる14勝目を記録したが 、右前腕の張りのため先発が予定されていた同月26日の登板を回避した。 それでも、メジャー3シーズン目にして初めてに到達。 チームトップの14勝を挙げた ほか、防御率は最終盤まで獲得のチャンスがあったが最終的に3. 07のリーグ3位で1位とは0. 07差で終えた。 開幕前の1月23日に自身のツイッターでの不参加の意思を表明した。 では開始早々に監督より開幕投手に指名され、シーズンの目標として「34試合、230」を宣言した。 オープン戦は3勝1敗、防御率0. 42を記録。 開幕戦の4月2日のレイズ戦に先発し、日本人投手初の3年連続開幕投手となったが、3回途中で7失点と炎上した。 14日のカージナルス戦で同年シーズン初勝利を記録。 27日のレッドソックス戦では2014年5月14日のメッツ戦以来となる完封勝利を記録した。 8月27日のマリナーズ戦で同年シーズン10勝目を挙げ、日本人メジャー初のデビューから4年連続2桁勝利を記録した。 9月2日のレッドソックス戦ではMLB通算50勝目を記録。 101試合目での到達は日本人投手史上最速記録。 14日の戦では日米通算150勝を記録した。 シーズン成績は13勝12敗、防御率4. 74だったが、ポストシーズンでは2勝1敗、防御率0. 90を記録した。 11月3日、オプトアウト権を行使せずヤンキースに残留することを発表。 3月31日の開幕2戦目に登板。 6回3安打1失点8奪三振という好投し、ルーキーイヤーから実に4年ぶりとなる白星スタートを飾る。 シーズン中盤、4週間のDL入りをするものの、最終的に「5年連続12勝」を達成した。 日本時代から含めると「10年連続2ケタ勝利」を達成しており、NPBだけの記録ではに当時のが記録した「15年連続2ケタ勝利」以来38年ぶりの快挙でMLBだけの記録では当時・のがに記録した20年連続以来10年ぶりで「NPBとMLBに跨っての10年連続2ケタ勝利」は史上初の快挙である。 この年は3年ぶりに未達に終わったものの、12勝6敗、防御率3. 75、WHIP1. 13という成績を記録した。 この年は、DL入りするまではイマイチだったが、復帰後に調子を上げた。 また、ではとので、チーム唯一の勝ち星を挙げた。 6月17日の対レイズ戦 ヤンキースタジアム に先発し、9回2安打10奪三振1四球の快投でメジャーでは自身4度目・1年ぶりの今季初完封。 二塁を踏ませない快投だった。 これでMLB通算69勝となり、を抜きアジア出身の投手では単独4位 となった。 また、ヤンキースで被安打2以下、10奪三振以上の完封劇は、の以来17年ぶり。 10奪三振&完封勝利は日本人では、、(5度)に次いで4人目となった。 6月30日にMLBでは初のでの試合(対レッドソックス戦)に登板。 試合は17対13でヤンキースが勝利した。 に代替選手として選出され、日本人史上3人目の登板を果たした。 2回から2番手で登板し、1回を1安打無失点に抑えると直後に味方が得点し、初出場で日本人史上初の勝利投手となった。 また、ヤンキースの投手がオールスターゲームで勝利投手となったのは71年ぶり5人目である。 7月14日のブルージェイズ戦で、6回2失点で今季6勝目を挙げ、野茂英雄(123勝109敗)、黒田博樹(79勝79敗)に次いで日本人選手3人目となるメジャー通算70勝(39敗)をマークした。 8月11日のブルージェイズ戦()で、9回途中3安打無失点で今季8勝目を挙げ、日米通算171勝目(日本99勝、米国72勝)。 現役日本選手の勝利数で、の各170勝を抜き単独トップに立った。 8月27日の対マリナーズ戦()で7回を投げ3安打無失点、1四球7奪三振の力投で今季10勝目(7敗)を挙げ、日本人投手初となる6年連続2桁勝利を達成した。 9月19日、マジック「1」で迎えたエンゼルス戦で先発登板。 7回4安打1失点と好投し、ヤンキースの7年ぶり19回目のア・リーグ東地区優勝に貢献した。 また、この試合で日本人投手5人目のメジャー通算1000投球回となった。 同29日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャーでは初のリリーフを経験。 2回から2番手として登板したが、3回5安打2失点で敗戦投手となった。 最終成績は11勝9敗・防御率4. 45で、対レッドソックス戦を除く29登板での防御率は3. 52だったのに対し、対レッドソックス戦では3先発で防御率24. 75を記録した。 ポストシーズン、まず第2戦の先発で5回1失点に抑えてチームの全勝に貢献した。 続く第1戦を6回無失点に抑え、デビュー以来PS7試合連続で2失点に封じたMLB史上初の先発投手となった。 しかし第4戦では5回3失点で敗戦投手になり、その後チームもこのシリーズで敗退した。 オフに右肘のクリーニング手術を受けた。 は開幕2戦目の登板が有力視されていた が、の影響で、シーズン開幕が不透明となった。 は終息の兆しが見えず、3月下旬にキャンプ地のフロリダから家族と共に日本に一時帰国した。 アメリカではアジア人への差別や暴力なども発生する状況となっており、田中は球団広報を通じて「感染以外でも身の危険を感じさせられる出来事があり、十分に注意をしながら一時帰国する決断をしました」とコメントを出した。 帰国後は日本政府の要請に従い、2週間の自宅待機となった。 その後、7月4日から夏季キャンプが始まるのに合わせ、再度ニューヨークへ渡った。 夏季キャンプ1日目の7月4日、練習中にチームメイトのの放った打球が頭部を直撃。 約5分倒れ込むも、トレーナーに支えられ自力で歩行し病院に搬送された。 MLB移籍後は、平均91. 5mph (約147. 田中自身がシンカーのことをと呼んでいる。 50を記録している。 NPBでの通算の与四球率は1. 9、メジャー通算は1. 2010年まではを投げていたが、思っていたほど三振を取れずに悩んでいた。 その矢先、『』に掲載されていた変化球特集記事で(当時)のワンシームの握りのスプリットを見かけて真似 、ワンシームの握りのスプリットを習得する。 それ以降、フォークを封印してスプリットを投げるようになったという。 プロ1年目、縦のスライダーを軸にした投球スタイルで奪三振率は9. 46を記録。 2年目からは変化の小さい球種を使った打たせて取る投球をするようになり、奪三振率8. 30を下回り奪三振が減少傾向にあったが、5年目の2011年には前年の2倍以上となる241奪三振を記録し、奪三振の半数近くをスプリットで奪った。 守備に関してはを3度受賞。 も素早い。 かつてはに課題があり、1年目のシーズン許数28は12球団ワーストだったが、翌年の春季キャンプまでに練習で克服している。 福岡ソフトバンクホークスとに対して相性が良く、2013年までの通算成績は対ソフトバンク16勝3敗、対日本ハムは23勝6敗と勝ち越している。 一方、との相性は悪く、パ・リーグでは唯一通算で負け越している。 NPB時代、メンタル面についても高く評価されていた。 人物 愛称は「 マー君」、「 マサ」。 2006年8月27日の練習後の田中との会見で互いに「マー君」「佑ちゃん」と呼び合っていることを明かし、両者の愛称が広まっていった。 生まれのプロ野球選手()を集めた「88年会」の発起人であり、、らとともに子供達を対象にした野球教室などを行っている。 趣味・好物 無類のアイドルファン、基本は箱推し、最初は現在の妻、や等が所属しているのファンだった。 その後、特に親交があるとは夫婦家族で遊ぶ仲となっている。 は平均スコア170、ベストスコアは216(2007年当時)。 楽天の公式サイトではも趣味となっており、も「趣味以上」と語っている。 ファンでもあり、2014年以降春・秋のGIシーズンになると、紙上でのGIレースの予想を行うのが恒例となっている。 2014年12月のでは、同レース史上初となる公開枠順抽選会のスペシャルゲストに選ばれた。 競馬関係者ではと親交があり、2016年6月には騎乗のため渡米していた武をヤンキースタジアムに招待している。 一番好きな食べ物は「の」。 でナイターに登板する際は、必ず昼食に妻・里田まいの作ったオムライスを食べてから球場入りしていた。 一方で嫌いな食べ物は。 苦手な食べ物は冷やし 、。 詳細情報 年度別投手成績 球 団 28 28 4 1 0 11 7 0 0. 611 800 186. 1 183 17 68 2 7 196 10 1 83 79 3. 82 1. 35 25 24 5 2 1 9 7 1 0. 563 726 172. 2 171 9 54 3 2 159 6 0 71 67 3. 49 1. 30 25 24 6 3 0 15 6 1 0. 714 771 189. 2 170 13 43 0 7 171 3 0 51 49 2. 33 1. 12 20 20 8 1 2 11 6 0 0. 647 643 155. 0 159 9 32 1 5 119 1 0 47 43 2. 50 1. 23 27 27 14 6 4 19 5 0 0. 792 866 226. 1 171 8 27 0 5 241 7 0 35 32 1. 27 0. 87 22 22 8 3 4 10 4 0 0. 714 696 173. 0 160 4 19 0 2 169 4 0 45 36 1. 87 1. 03 28 27 8 2 1 24 0 1 0 1. 000 822 212. 0 168 6 32 0 3 183 9 0 35 30 1. 27 0. 94 20 20 3 1 1 13 5 0 0. 722 542 136. 1 123 15 21 0 4 141 4 0 47 42 2. 77 1. 06 24 24 1 0 0 12 7 0 0. 632 609 154. 0 126 25 27 0 1 139 4 0 66 60 3. 51 0. 99 31 31 0 0 0 14 4 0 0. 778 805 199. 2 179 22 36 0 3 165 7 0 75 68 3. 07 1. 08 30 30 1 1 1 13 12 0 0. 520 752 178. 1 180 35 41 1 7 194 7 0 100 94 4. 74 1. 24 27 27 1 1 0 12 6 0 0. 667 635 156. 0 141 25 35 0 7 159 3 0 68 65 3. 75 1. 13 32 31 1 1 0 11 9 0 0. 550 759 182. 0 186 28 40 0 2 149 7 0 95 90 4. 45 1. 24 :7年 175 172 53 18 12 99 35 3 0. 739 5324 1315. 0 1182 66 275 6 31 1238 40 1 367 336 2. 30 1. 11 :6年 164 163 7 4 2 75 43 0 0. 636 4102 1006. 1 935 150 200 1 24 947 32 0 451 419 3. 75 1. 2019年度シーズン終了時• 各年度の 太字はリーグ最高、 赤太字は日本プロ野球における歴代最高 五輪での投手成績 年 度 登 板 先 発 勝 利 敗 戦 セ | ブ 打 者 投 球 回 被 安 打 被 本 塁 打 与 四 球 敬 遠 与 死 球 奪 三 振 暴 投 ボ | ク 失 点 自 責 点 防 御 率 3 0 0 0 0 27 7. 0 3 0 3 0 0 9 0 0 0 0 0. 00 WBCでの投手成績 年 度 登 板 先 発 勝 利 敗 戦 セ | ブ 打 者 投 球 回 被 安 打 被 本 塁 打 与 四 球 敬 遠 与 死 球 奪 三 振 暴 投 ボ | ク 失 点 自 責 点 防 御 率 4 0 0 0 0 11 2. 1 3 1 0 0 0 5 0 0 1 1 3. 86 4 1 0 0 0 29 7. 0 10 0 0 0 0 12 0 0 3 2 2. 57 ポストシーズン投手成績 年 度 球 団 登 板 先 発 勝 利 敗 戦 セ | ブ ホ | ル ド 勝 率 打 者 投 球 回 被 安 打 被 本 塁 打 与 四 球 敬 遠 与 死 球 奪 三 振 暴 投 ボ | ク 失 点 自 責 点 防 御 率 W H I P 1 1 0 1 0 0. 000 21 5. 0 4 2 3 0 0 3 0 0 2 2 3. 60 1. 40 1 1 1 0 0 0 1. 000 23 7. 0 3 0 1 0 0 7 0 0 0 0 0. 00 0. 57 2 2 1 1 0 0. 500 49 13. 0 7 0 2 0 0 11 0 0 2 2 1. 38 0. 69 1 1 1 0 0 0 1. 000 19 5. 0 3 1 1 0 0 4 0 0 1 1 1. 80 0. 80 1 1 1 0 0 0 1. 000 19 5. 0 3 0 1 0 0 7 0 0 1 1 1. 80 0. 80 2 2 1 1 0 0. 500 40 11. 0 5 1 3 0 0 5 0 0 4 3 2. 45 0. 73 出場:4回 8 8 5 3 0 0. 625 171 46. 0 25 4 11 0 0 37 0 0 10 9 1. 76 0. 2019年度シーズン終了時 年度別守備成績 年 度 球 団 試 合 2007 楽天 28 5 32 1 1. 974 2008 25 5 28 2 2. 943 2009 25 9 31 2 0. 952 2010 20 6 28 0 2 1. 000 2011 27 16 43 2 2. 967 2012 22 13 41 1 4. 982 2013 28 14 40 0 4 1. 000 2014 NYY 20 12 14 0 1 1. 000 2015 24 11 19 0 2 1. 000 2016 31 11 30 1 1. 975 2017 30 8 22 0 1 1. 000 2018 27 14 24 1 4. 974 2019 32 9 18 2 3. 931 NPB:7年 175 68 243 8 15. 975 MLB:6年 164 65 127 4 12. 980• 2019年度シーズン終了時• NPB時代の 太字年は受賞 タイトル NPB• :2回 (2011年、2013年)• :2回 (2011年、2013年)• :1回 (2012年)• :2回(2011年、2013年)• :1回(2013年)• (2007年)• :2回(投手部門:2011年、2013年)• :3回(投手部門:2011年 - 2013年)• :2回(2011年、捕手:、2013年、捕手:嶋基宏)• (2007年)• (特別賞):1回(2013年)• :1回(2011年)• 年間大賞:2回(2011年、2013年)• 「ジョージア魂」賞:3回(2011年度第11回、2012年度第11回、2013年度第9回)• 「」「日本生命賞」(2013年)• ファイナルステージMVP(2013年)• 優秀選手賞(2013年)• 日本シリーズ みんなで選ぶコナミ賞(2013年)• 敢闘選手賞(2013年第1戦)• :1回(投手部門:2014年5月)• ()(右投手部門:2014年) その他• 民栄誉賞(2013年)• スポーツ優秀選手特別賞:1回(2013年)• 民栄誉賞(2013年)• グランプリ(2013年)• (2013年)• 大賞(2013年)• 功労賞(2013年)• 新人賞(2007年)• グローバル特別敢闘賞(2014年)• (2013年) 記録 この選手の記録に関する文献やが必要です。 ためにご協力をお願いします。 ( 2013年8月) 初記録 NPB• 初奪三振:同上、1回裏にから空振り三振• 初勝利・初完投勝利:2007年4月18日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦()、9回2失点• 初セーブ:2008年6月22日、対3回戦()、7回裏に2番手で救援登板・完了、3回無失点• 初打点:2008年5月25日、対1回戦()、6回表にから遊撃ゴロの間に記録• 初安打:2009年6月18日、対広島東洋カープ4回戦()、3回表にから中前安打 MLB• 初登板・初先発・初勝利:2014年4月4日、対戦()、7回3失点(自責点2)• 初奪三振:同上、1回裏にから見逃し三振• 初安打:同上、9回表にから中前安打 節目の記録 NPB• 100勝:2014年4月4日、対戦 NPB:99、MLB:1• 150勝:2017年9月14日、対戦 NPB:99、MLB:51• 1500奪三振:2015年9月8日、対ボルチモア・オリオールズ戦 NPB:1238、MLB:262 、5回表にから空振り三振• 2000奪三振:2018年8月28日、対戦 NPB:1238、MLB:762 、1回表にから空振り三振 MLB• 出場:6回(2007年 - 2009年、2011年 - 2013年)• シーズン勝率:1. 日本シリーズ楽天球団初勝利:2013年第2戦、対戦(Kスタ宮城)、9回1失点で完投勝利• 日本シリーズ毎回奪三振:同上、12奪三振、史上3人目• 日本シリーズ二桁奪三振:同上 史上18人目20度目• 通算:4. 50(生涯1000イニング以上投げた投手の中では日本プロ野球歴代3位)• レギュラーシーズン連勝記録:34 2012年8月26日 - 2014年5月20日(NPB:28、MLB:6) MLB• 選出:2回(、)• 18 (2007年 - 2013年)()• 19 (2014年 - ) 日本代表• 15 (2008年北京五輪、2009年)• 17 (2013年) 登場曲 この選手の登場曲に関する文献やが必要です。 ためにご協力をお願いします。 ( 2013年8月)• 「」 (2007年)• 「」 (2008年)• 「Are you ready? 」 (2009年)• 「」 (2010年)• 「」 (2010年 - 2011年、2012年以降9回登板時のみ)• 「」 (2012年)• 「」 (2012年8月26日)• 「overture」 ももいろクローバーZ(2013年開幕 - 6月6日)• 「」 ももいろクローバーZ(2013年6月16日 - 同年終了)• 「」 ももいろクローバーZ(2014年)• 「」 ももいろクローバーZ(2015年)• 「GET Z, GO!!!!! 」 ももいろクローバーZ(2016年)• 「」ももいろクローバーZ(2017年)• 「吼えろ」ももいろクローバーZ(2018年-)• 「背番号」 ももいろクローバーZ (2019年) 代表歴• 関連情報 出演 テレビ番組• (2008年4月11日、) - 「進化する歳〜楽天イーグルス 田中将大」• 2008年5月8日 - 「田中将大19歳の素顔・そして2年目の進化」• 2008年11月27日 - 「田中将大 2年目の進化」• 2013年11月2日 - 「VOL. 397STORY 負けない男…田中将大25歳〜日本シリーズ激闘大偉業の真実」• (2009年2月15日、) - 制作の人間密着ドキュメンタリー番組。 田中将大の一本道 〜熱きアスリートたちの想い〜(2010年1月31日、) - との対談がメインのドキュメンタリー番組。 おしえて田中将大選手! (2013年1月1日、NHK) - 一流アスリートがビデオレターで送られてきた子どもたちの質問に答える「おしえて」シリーズ。 (2013年11月13日、) - 「日本一への3419球 楽天 田中将大」 スポーツドキュメンタリー番組。 今夜解禁! 石橋貴明のスポーツ伝説…光と影(2014年4月6日、TBSテレビ) - がスポーツ史に隠された真実を自ら取材するスポーツドキュメンタリー番組。 (TBSテレビ)• 2013年7月15日 - 田中将大特集。 (開幕12連勝、田中将大が勝ち続けられる理由と究極の目標)• 2013年12月22日 - 田中将大 緊急生出演! 2014年10月12日 - 超独占! 田中将大生出演SP! 2014年11月12日 - とともに、GI予想対決10番勝負。 2015年12月20日 - 田中将大の2015年を振り返る。 2016年9月19日 - 同学年ライバル 豪華競演 シーズン中に秘話連発SP(と対談)• (2010年12月31日、) - とともに白組の応援。 (2011年12月31日、NHK総合) - ゲスト審査員。 (2013年12月31日、NHK総合) - ゲスト審査員。 (2014年12月31日、NHK総合) - の応援。 (2013年11月29日、)対談コーナーでゲスト出演。 (2009年1月24日、) - とともに出演。 楽天のエース岩隈久志&田中将大の私生活を見せちゃいます。 性格ミエル研究所【絶対結婚したくない男と女は誰だ!? 】(2014年12月26日、) - メジャーリーガー 田中将大 ディグラム診断• (2014年12月31日、)• ちえゴルフ! (2011年1月2日、) - がマー君軍団とガチンコゴルフ対決• 石川遼への挑戦状 2013新春ゴルフSP(2013年1月1日、) - 石川遼とゴルフ対決。 2014年12月27日 - リアル野球BANに出演。 2015年1月2日 - リアル野球BANに出演。 2012年12月8日 - ストラックアウトのコーナーに出演。 2013年2月9日 - 総勢20名の日本代表が大集結SP(ストラックアウトのコーナーに出演)• 2013年2月24日 - 侍ジャパン 3連覇へ! WBC直前 ストラックアウトSP• 2015年1月17日 - ゴルフ対決のコーナーに出演。 2012年12月31日 - 楽天の田中将大が「銭形平次」のように悪党の腕にボールを当てて、悪党を懲らしめる挑戦。 2013年12月31日 - ストラックアウトのコーナーに出演。 コーナーサプライズ企画で「日本最後の1球」を投げた。 受けたのは恩師・。 2014年12月31日 - ストラックアウトのコーナーに出演。 とストラックアウトでコントロール対決。 2015年12月31日 - ゲスト出演。 2016年12月31日 - 田中将大 VS 前田健太 ストラックアウトとオセロを融合したゲームでコントロール対決• 2008年1月5日 - 、とともに出演。 2009年1月4日 - 番組内企画で田中が伊丹市の母校(小学校)を訪問。 小学校時の恩師と再会。 2010年1月10日 - 、とともに出演。 2011年1月9日 - 、とともに出演。 2012年1月8日 - 、とともに出演。 2013年1月6日 - 、嶋基宏とともに出演。 優勝し賞金100万円を獲得した。 「」 - ・野村克也と共演• (北海道限定)• 「2009年はたちの献血」キャンペーン• 「めざめるカラダ朝カレー」(2009年)• 「ブランドCM第4弾「親、子。 人はつづく。 キリンビール」• 「」(2014年)• 「本麒麟」(2020年)• 、2011年8月3日放送開始の『』宣伝• 「エアーSI・マットレス」• 「 「ポケモントレーナー・田中将大」篇」(2016年) ラジオ番組• 田中将大の NY Special(2014年12月9日、)• 田中将大のNY 2015年1月2日、• 田中将大のNY 2016年2月20日、 PV• 「」 ゲーム• (2019年) 書籍• 田中将大 ヒーローのすべて(、黒田伸・著、2008年1月、)• 田中将大 夢への扉を開け! スポーツスーパースター伝(、2011年3月、)• 田中将大 若きエース4年間の成長(、『』田中将大取材班・著、2011年3月、) デザイン• ゲームアプリ『』 - アメリア・サンダースのデザインプロデュース 脚注 [] 注釈• Spotrac. 2019年10月24日閲覧。 - スポーツ報知。 2019年10月22日18時11分発信、翌23日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. の2011年11月24日時点におけるアーカイブ。 2014年5月21日閲覧。 『』 -• asahi. com. 2005年8月22日. 2016年11月4日閲覧。 asahi. com. 朝日新聞社. 2005年8月21日. 2016年11月4日閲覧。 スポーツナビ. 2013年4月23日時点のよりアーカイブ。 2013年2月16日閲覧。 asahi. com. 朝日新聞社. 2005年10月9日. 2016年11月4日閲覧。 nikkansports. com. の2006年11月17日時点におけるアーカイブ。 2016年11月4日閲覧。 白船誠日 2006年8月21日. nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. の2006年11月17日時点におけるアーカイブ。 2016年11月4日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2006年8月21日. の2006年11月17日時点におけるアーカイブ。 2016年11月4日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2006年8月21日. の2006年11月17日時点におけるアーカイブ。 2016年11月4日閲覧。 47NEWS. 2006年9月1日. の2015年1月22日時点におけるアーカイブ。 2016年11月4日閲覧。 47NEWS. 共同通信社. 2006年9月25日. の2014年8月14日時点におけるアーカイブ。 2016年11月4日閲覧。 47NEWS. 共同通信社. 2006年9月30日. の2015年1月22日時点におけるアーカイブ。 2016年11月4日閲覧。 asahi. com. 朝日新聞社. 2006年10月4日. 2016年11月4日閲覧。 東北楽天ゴールデンイーグルス 2006年11月2日. 2007年7月7日時点のよりアーカイブ。 2015年1月22日閲覧。 Full-count 2014年5月9日. 2016年11月4日閲覧。 『NHKスポーツ大陸 松坂大輔・金本知憲・田中将大』NHK「」制作班 編、、2010年、 [ ]。 Sponichi Annex. 2008年5月5日. 2016年11月4日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2008年6月22日• 2008年7月18日時点のよりアーカイブ。 2016年11月7日閲覧。 全日本野球会議. 2008年9月1日時点のよりアーカイブ。 2016年11月4日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2008年10月7日. 2016年11月4日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2008年10月8日. 2016年11月4日閲覧。 ORICON STYLE 2011年1月12日. 2013年8月18日閲覧。 スポーツ報知. 2011年11月14日. の2011年11月14日時点におけるアーカイブ。 2016年11月4日閲覧。 スポーツニッポン. 2012年1月26日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年3月20日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2012年8月19日. 2016年11月4日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2012年8月26日. 2016年11月4日閲覧。 スポーツニッポン. 2016年11月4日閲覧。 Sponichi Annex. 2012年10月8日. 2012年10月8日閲覧。 2012年12月4日. 2015年4月3日閲覧。 nikkansports. com. 2012年12月22日. 2016年11月4日閲覧。 2015年4月2日閲覧。 日本野球機構 2013年2月20日. 2015年4月2日閲覧。 スポニチ Sponichi Annex 2013年3月5日 2017年8月27日閲覧• スポーツニッポン. 2013年6月5日. 2016年11月4日閲覧。 スポーツニッポン. 2013年6月16日. 2016年11月4日閲覧。 スポーツニッポン. 2013年7月4日. 2016年11月4日閲覧。 スポーツニッポン. 2013年8月6日. 2016年11月4日閲覧。 スポーツニッポン. 2013年8月2日. 2016年11月4日閲覧。 古川真弥 2013年8月3日. 日刊スポーツ. 2013年8月27日閲覧。 スポーツニッポン. 2013年8月9日. 2016年11月4日閲覧。 古川真弥 2013年8月10日. 日刊スポーツ. 2013年8月27日閲覧。 朝日新聞 2013年8月3日運動面• スポーツニッポン. 2013年8月16日. 2013年8月16日閲覧。 日刊スポーツ. 2013年8月17日. 2013年8月27日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年8月30日. 2016年11月4日閲覧。 スポーツニッポン. 2013年9月6日. 2013年9月6日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年9月6日. 2016年11月4日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年9月13日. 2016年11月4日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年9月22日. 2016年11月4日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年9月26日. 2016年11月4日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年10月5日. 2016年11月4日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年10月8日. 2016年11月4日閲覧。 朝日新聞2013年10月18日スポーツ面• Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年10月21日. 2016年11月5日閲覧。 広岡浩二 2013年10月28日. SANSPO. COM. 産経デジタル. の2013年11月1日時点におけるアーカイブ。 2016年11月5日閲覧。 コナミ日本シリーズ2013公式サイト. 日本野球機構. 2016年11月5日閲覧。 コナミ日本シリーズ2013公式サイト. 日本野球機構. 2016年11月5日閲覧。 古川真弥 2013年11月3日. nikkansports. com. 2014年1月13日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年11月2日. 2016年11月5日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年11月3日. 2016年11月5日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年10月13日. 2016年11月5日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年10月28日. 2016年11月5日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年11月21日. 2016年11月5日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年11月26日. 2016年11月5日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2013年11月23日. 2016年11月5日閲覧。 日刊スポーツ. 2013年12月17日. 2014年1月22日閲覧。 日刊スポーツ. 2013年12月26日. 2014年1月22日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2014年1月8日. 2014年1月23日閲覧。 dot.. 2013年11月14日. 2016年11月5日閲覧。 英語 プレスリリース , ニューヨーク・ヤンキース, 2014年1月22日 , 2014年1月23日閲覧。 Bryan Hoch 2014年1月22日. ニューヨーク・ヤンキース. 2014年1月22日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2014年1月23日. Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2014年1月25日. 2016年11月5日閲覧。 full-Count. 2014年3月22日. 2014年3月22日閲覧。 英語 プレスリリース , ニューヨーク・ヤンキース, 2014年3月29日 , 2014年4月5日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2014年4月5日. 2016年11月5日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2014年5月15日. 2016年11月5日閲覧。 四竈衛 2014年5月22日. nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2016年11月5日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2014年6月4日. 2016年11月5日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2014年6月29日. 2016年11月5日閲覧。 デイリースポーツonline. 2014年7月8日. 2016年11月5日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2014年7月10日. 2016年11月5日閲覧。 Full-count 2014年7月11日. 2016年11月5日閲覧。 Full-count 2014年7月18日. 2016年11月5日閲覧。 四竈衛; 水次祥子 2014年9月23日. nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2016年11月5日閲覧。 四竈衛; 水次祥子 2014年9月29日. nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2016年11月5日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2014年9月27日. 2016年11月5日閲覧。 Full-count 2014年9月29日. 2016年11月5日閲覧。 Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2015年9月6日. 2015年9月6日閲覧。 2015年10月21日. 2015年11月5日閲覧。 オフィシャルブログ 2016年2月16日. 2017年3月7日閲覧。 asahi. com. 朝日新聞デジタル. 2016年2月16日. の2016年2月17日時点におけるアーカイブ。 2016年2月19日閲覧。 オフィシャルブログ 2016年2月21日. 2017年3月7日閲覧。 Baseball-Reference. com 2016年4月5日. 2017年3月7日閲覧。 asahi. com. 朝日新聞デジタル. 2016年4月6日. 2016年4月29日閲覧。 東尾洋樹 2016年9月23日. Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2016年10月1日閲覧。 OMIURI ONLINE. 2016年9月28日. 2016年10月1日閲覧。 [ ]• Baseball-Reference. com. 2016年10月6日閲覧。 2017年2月17日. 2017年2月18日閲覧。 フルカウント 2017年4月9日. 2017年4月14日閲覧。 フルカウント 2017年4月15日. 2017年4月23日閲覧。 フルカウント 2017年4月28日. 2017年4月30日閲覧。 スポーツ報知 2017年8月29日. 2017年9月2日閲覧。 日刊スポーツ 2017年9月4日. 2017年9月4日閲覧。 スポーツ報知 2017年9月15日. 2017年9月16日閲覧。 フルカウント 2017年11月8日. 2017年11月22日閲覧。 2019年3月29日. 2019年3月29日閲覧。 本拠地では自身初• (124勝)、(123勝)、(79勝)• スポーツ報知 2019年6月18日• ライブドアニュース. 2019年6月20日閲覧。 2019年6月20日閲覧。 Full-count. 2019年7月10日閲覧。 nikkansports. com. 2019年7月10日閲覧。 ベースボールチャンネル BaseBall Channel. 2019年8月2日閲覧。 nikkansports. com. 2019年8月13日閲覧。 ライブドアニュース. 2019年8月28日閲覧。 nikkansports. com. 2019年9月22日閲覧。 news. jsports. 2019年11月17日閲覧。 BaseballReference. com. 2020年1月2日閲覧。 nikkansports. com. 2019年11月17日閲覧。 日刊スポーツ. 2020年3月5日. 2020年4月3日閲覧。 Sponichi Annex. 2020年4月3日. 2020年4月3日閲覧。 Full-Count. 2020年4月2日. 2020年4月3日閲覧。 日刊スポーツ. 2020年7月2日. 2020年7月2日閲覧。 nikkansports. com. 2020年7月5日閲覧。 www. brooksbaseball. net. 2020年1月2日閲覧。 Brooksbaseball. netに基づく(小数点以下四捨五入)• 2015年3月28日閲覧。 2017年8月28日閲覧。 ベースボールチャンネル. 2014年12月12日. 2017年5月9日閲覧。 週刊ベースボール ONLINE. 2015年4月18日. 2019年5月21日閲覧。 スポーツ報知 2019年3月9日• 2019年3月9日 [ ]• Full-Count 2016年10月28日. 2016年11月10日閲覧。 FanGraphs Baseball. 2020年5月6日閲覧。 PacificLeagueMovie.. 2012年4月6日. 2013年8月18日閲覧。 小松正明 2008年2月18日. nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2016年11月5日閲覧。 阿部珠樹 2013年9月7日. web Sportiva. 2016年11月5日閲覧。 冨重圭以子 2013年6月25日. 毎日jp. 毎日新聞社. の2013年6月30日時点におけるアーカイブ。 2013年6月26日閲覧。 DANIEL BARBARISI 2014年4月28日. 2014年4月29日閲覧。 MLB. com (英語) 2017年8月24日 2017年8月27日閲覧• 3 2014年2月25日. 2017年8月6日閲覧。 インライフ. 2016年11月5日閲覧。

次の

田中 俊太(読売ジャイアンツ)

野球 田中

上宮高校時代の黒田博樹について熱っぽく語る田中さん(撮影・作田祥一) 近畿大学野球部の田中秀昌監督( 63)の監督人生を振り返る連載の2回目です。 田中さんの指導者としてのキャリアは、母校の上宮高校(大阪)で始まりました。 34歳だった 1991年 8月に野球部の監督に就任。 このときの 2年生ピッチャーに、のちにヤンキースでも投げることになる黒田博樹(元・広島)がいました。 努力できる才能のあった黒田博樹 黒田の立場は右の本格派の西浦克拓、左の溝下進崇に次ぐ 3番手の投手だった。 当時の上宮にはのちに明治大に進んで中日に入団した主将の筒井壮(現・阪神コーチ)もいて、能力の高い選手が多かった。 田中さんの構想は徐々に形になっていき、秋の大阪を制すと、近畿大会でも準優勝。 翌年春の選抜大会出場が確実視されたが、前監督時代の不祥事で選抜出場の推薦辞退に追い込まれた。 黒田たちの最後の夏は、大阪大会 5回戦で敗れた。 最後まで背番号1をつけることはなかったが、黒田はコツコツと地道に努力し続けた。 「3番手という立ち位置も理解して、自己評価をちゃんとやってました。 努力できるという才能があったし、常に野球に対して真摯(しんし)な態度でしたね。 ただ、高校の時点では同級生も含めて誰も黒田がプロにいくとは思っていなかったんじゃないですかね」と、田中さんは振り返る。 黒田は日本のプロ野球とメジャーリーグで通算203勝を挙げた(撮影・朝日新聞社) 黒田は当初、関西の大学に進むことを考えていた。 だが、両親の「親元から離したい」という要望があって関東の大学へ進学先を変え、専修大へ。 帰省するたびにボールが速くなっていき、徐々に注目度が高くなっても、黒田博樹という人間はまったく変わらなかった。 田中さんは言う。 「黒田は何より人への恩や心を大事にするんです。 そういう考え方は、厳しいお母さんの下で育てられて、培われたものなんだと思います」 2005年に黒田がセ・リーグの最多勝に輝いたとき、高校時代の恩師として田中さんが広島のテレビ局からインタビュー取材を受けたことがあった。 その際に広島のテレビクルーから、黒田がマスコミを大事にしているという話を聞いた。 「アイツはお世話になった人や、無名のときから支えてくれた人を大切にする。 どれだけ有名になっても、そういう姿勢は変わらないですね」 1993年春の選抜大会で、田中監督の率いる上宮は初の全国制覇を果たした(撮影・朝日新聞社) 上宮で選抜V、請われて東大阪大柏原へ そしてついに1993年の選抜大会で、田中監督の率いる上宮が初の全国制覇を果たした。 母校で大きな功績を刻んだあと、田中さんに思いもよらない話が飛び込んでくる。 上宮の監督を勇退したあと、近大 OBで、柏原高(当時、 2006年から東大阪大柏原高)を運営する学校法人村上学園の村上 靖平理事長からこんな言葉をかけられたのだ。 「ウチを甲子園に連れていってほしい」と。 柏原は決して評判のいい学校ではなかったし、野球でも無名だった。 それでも田中さんは腹をくくって引き受けた。 就任してみると、あまりの意識の低さに愕然(がくぜん)とした。 「練習態度も含めて、すべてがひどかったですね(苦笑)。 ただ、能力的にまったく力がないという雰囲気ではなかったです。 とにかくピッチャーを中心に守りをしっかりしないと勝てない。 まず、そこから手をつけていこうと思いました」 03年4月から柏原のコーチとなり、8月から監督となった。 コーチを務めている間は中学生の視察にも行った。 上宮時代の田中さんの実績が決め手になり、有望な中学生がごっそりと入ってくるようになった。 柏原高校の監督になってからの数年は、グラウンド外でも苦悩の日々だった(撮影・作田祥一) グラウンドでは夏の甲子園の大会歌である『栄冠は君に輝く』を流し、監督就任2年目にはグラウンドに「目指せ全国制覇」「闘志なき者は去れ」という横断幕を掲げた。 「本当は『目指せ甲子園』なんですけど、そんな悠長なことを言ってたら大阪から甲子園には出られない。 周りからは『何言うてるんや』って言われましたよ。 そりゃそうですわ。 でも、それくらいの意識を持ってやっていってほしかったんです」 絶えぬ不祥事、繰り返した選手との対話 ただ、尽きなかったのはチーム内のいざこざだった。 「不祥事が常について回って……。 何かあるたびに報告するため、最初の5年間は府の高野連によく足を運んでました」と田中さん。 上宮時代にはなかった類いのトラブルが起こるのは日常茶飯事で、グラウンド内だけでなく、外にも目を凝らさないといけない日々。 「ほとんどが対外試合禁止まではいかずに警告や謹慎で済みましたけど、あり得ないことが毎日起こってました」。 何かあれば衝突し、トラブル、そして問題が起きる。 頭を抱える事例も多かったが、それでも田中さんは選手との対話を繰り返した。 「自分で決心してここで監督をしているわけだし、理事長と『甲子園にいく』という約束をした以上、引き下がれなかった」。 指導に手を焼きながらも、自身が選んだ道を信じ、ひたすら前だけを見つめていた。 今年のドラフト候補である佐藤輝明にアドバイスする田中さん(撮影・作田祥一) 田中さんのプランでは、甲子園にいくのに9年はかかると思っていた。 上宮でも恩師の山上烈氏が監督に就任してから甲子園出場まで9年かかっていたからだ。 「激戦の大阪ではそんなにすんなりと甲子園には出られない。 ただ、9年のスパンで何とかできると思いました。 3年ごとに「ホップ」「ステップ」「ジャンプ」という感じでね。 9年で甲子園にいけなかったら自分が無能。 いけなかった時点で辞表を出すつもりでした」 監督に就任して初めての公式戦だった 03年秋の府大会でいきなりベスト4まで勝ち進んだ。 当時の大阪には大阪桐蔭、履正社に加え、 PL学園も君臨していた。 3位決定戦で大阪桐蔭に敗れて近畿大会出場は逃したが、この当時の「私学3強」を脅かす存在になっていった。 4years. は大学スポーツに関する総合情報サイトです。 陸上・駅伝、アメフト、野球、ラグビー、サッカー、バスケ、バレー、ラクロスをはじめ、あらゆる競技について全力で独自取材したヒューマンストーリーをお届けしています。 そのほか、全国大学選手権(インカレ)などのビッグイベントに関する特集や、東京オリンピック・パラリンピック出場を目指す学生アスリートたちの特集、理系学部で学ぶアスリートの文武両道についての連載など、さまざまな視点から大学スポーツをとらえていきます。 大学スポーツに取り組める「4年間」という限られた時間に情熱を注ぐ彼ら、彼女らには、数限りないドラマがあります。 そのドラマに一つでも多く寄り添い、いつか大学スポーツの会場をお客さんで埋めたい。 そんな思いで運営しています。

次の