麻雀 オカルト。 麻雀は運ゲーなのか?最終結論を出してみた

麻雀で未だに流れとかオカルトとか言う人が多いのはなぜでしょう...

麻雀 オカルト

オカルトと麻雀 麻雀が運を扱うゲームである以上、 オカルトとは切っても切り離せない関係にある。 だからといって、もちろんオカルトを至上に置くというのは、実にナンセンスで、 というのも、運によって結果を左右されるゲームであるからこそ、 結果までのプロセスを最重要視するべきであって、 結果がすべてだ! という発言は、ただの恐るべきばくち打ちの、唾棄すべき戯言に過ぎない。 チョンボヅキと認識の差 しかし一方で、いまだにオカルトが支持され続けているのも事実。 特に、五十代、六十代のプレイヤーは、いまだに、 「席が悪い」とか「前の局でやらかした失敗が後を引いてる」 のような、時代錯誤の言葉を口にすることも少なくない。 が、多くの場合、実際それらのことに因果関係はなく、 例えば、 チョンボヅキという言葉がある。 チョンボをした次の局は「ツく」という意味であるが、 むろん、チョンボをしたからといって、乱数調整の結果、次局で好配牌がもらえる、などということはなく、 チョンボをした後に配牌が悪くても、「ああやっぱりな」と考えがちで、記憶に残らないものだが、 好配牌だった場合は、「チョンボをしたのに」と、印象が強くなる。 そういう訳で、実際はチョンボをした後の配牌は、好い悪いが1:1であるにも関わらず、 前者のことが頭に残っているため、 「チョンボをしたあとは、配牌のよくなることが多い」などという俗説がまかり通ったりする。 そして往々にして、よく耳にするオカルトというのは、こういうものが多い。 また、ほかの要因として考えられるのは、 数学的な裏付けは可能だが、知覚している本人には、 オカルトとして認識されている、というものもある。 例えば、 の形から、 2-5pが4,5枚見えていない限り 3pを切って、 両面に受けるのがふつうであるが、 4pを嫌って、3pとなにかのシャンポンに受けたとする。 この時、このプレイヤーは、 「暗刻場だから」とか 「縦に伸びる場だから」とか、そんなオカルト的な理由をつけることもあるかもしれない。 しかし一概に、これは単なるオカルトといえない場合もある。 というのも、他家の切り出しなどを無意識下で考慮し、2-5pの枚数が山に残り少ないことを無自覚のまま知覚しているケースもあるのだ。 これはオカルトではなく、れっきとした確率に基づいた技術に違いない。 多くのプレイヤーが口にする「勘」というのも、意外にそういった無意識下の知覚によって判断されていることも多く、 純粋なオカルトとの区別は難しい。 〇流れ論と麻雀 また、麻雀につきものなのは、「流れ論」だろう。 流れがいいからリーチ、悪いからヤミテン。 みたいな判断はでたらめだ、と断ずる人もいるが、 これを無根拠に批判することは、それこそナンセンスだと筆者は考える。 それに相対しうる明確な理合を引き出して、はじめてひとつの批判となすべきだ。 例えば、リーチをかけなければトップが厳しいような条件で、 流れが悪いからなどと主張してヤミテンしていることは、点棒状況という立場から大いに批判できるだろう。 この記事においては、オカルトにまつわるいくつかの話を通じて、 我々はどのようにオカルトと向き合えばよいのかを模索していきたいと思う。 オカルトを相手に信じ込ませる 筆者は、オカルトをめっぽう信じている人間ではあるが、 とはいえ、オカルトに基づいた発言をしないようにわきまえてはいるつもりである。 そしてさらに、オカルトに振り回されないように気を付けているつもりでもある。 オカルトに振り回されると ロクなことがないのは身をもって体験済みで、 重大な牌効率のミスをしてしまったり、 むざむざ相手の和了牌を切り出して放銃してしまったりと、 過去の話をすれば枚挙にいとまがない。 しかしそうやって痛い目をみたからこそ、オカルトというもの逆に利用した、技術が存在するのではないかと考える。 仮にオカルトをまったく信じないようにとしている人でも、 前局で迂闊な放銃をしてしまったり、和了逃しの一手隙を突かれて、逆に和了られたりなどすると、 次局に悶々とした気持ちを抱えてしまうことはあるだろう。 例えば、場に一枚切れている字牌を対子落としして、七対子などに打ち込んでしまった時のショックは計り知れない。 他にも、三局連続リーチをかけているものの、すべて他家に和了をかすめ取られたり、平局してしまったら、 次局のリーチに懐疑的になることもしばしばあるかもしれない。 このような人間の精神的不安を利用して、相手の自由な選択を縛り付けるのだ。 前述したように、場に一枚切れの七対子に、相手が対子落として振り込んでくれたとして、 その次の局、思いがけず4,5巡目に愚形聴牌が入った。 ふつうならば、巡目が早いこともあって、好形になるまでヤミテンするのがいいだろうが、 それをあえてリーチすることで、先ほどの相手にプレッシャーを与えるのだ。 こうなった相手は、先ほどのことから、字牌の対子落としするのも少し嫌かもしれないし、単独字牌もやはり切りづらい。 また、親番18000点の役アリ聴牌が入ったとして、 特別な条件がない限り、先制リーチを打つのが最も期待値が高い。 が、これをあえてヤミテンにしてみる。 そして無警戒のまま跳満を打ち取って、次の局、先制リーチを打つ。 この時、対局相手の視点からは、そのリーチがずいぶん嫌なものに映るのだ。 特に、オカルトを信用している人ならば、「親に流れがあるなぁ」なんて思って、消極的になってくれるかもしれないし、 そうでなくっても、前局のヤミテンで跳満を和了った親のリーチは、恐ろしいものを感じざるを得ないだろう。 こんな風にして、オカルト的思想を相手に植え付けることで、戦局を有利進める方法もある。 ちょっとした寄り道 流れなんてオカルトだ、という主張は、まあ理解できないこともないが、果たして本当にそうなのだろうか、という疑問を、筆者は抱えている。 現代の世の多くの人々は、科学によって解明されていないことを、すべて非科学的だとそしる傾向にあるようで、どうにもちょっといけすかない。 実際、測定可能性、定量性、再現性に重きを置く科学をないがしろにしている訳ではないが、 いまの段階ではいまだ解明されていないだけで、いわゆる「流れ論」というものも、いつかは数学によって証明されるのではないかと、筆者は考えている。 例えば、ハイヌウェレ神話というものがある。 これは、植物の生育と便の関係性を示唆する逸話なのであるが、 この神話の正当性は、現代の科学によって実証されている。 しかし当時の人間は、科学による裏付けなど持たずに、「おまじない」的な慣習に従って、この神話を信じていたに違いない。 運やオカルトについても同様のことがいえないだろうか。 古代人は、おまじないとして畑に便を撒いていたが、それは畑にリン酸を供給することで、 その結果として作物の実りに影響を与えた。 すなわち、今でこそ、前局の行動と次局のツモや配牌は関係ないと認知されているが、 もしかすると、なにかの因果関係があるかもしれない。 あるいは、スタートボタンを押す前に、サイコロボックスのボタンを押す前に、 変な踊りでもしてみれば、配牌がよくなることもあるかもしれない。

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麻雀%勝つ人と負ける人の比較

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オカルトと麻雀 麻雀が運を扱うゲームである以上、 オカルトとは切っても切り離せない関係にある。 だからといって、もちろんオカルトを至上に置くというのは、実にナンセンスで、 というのも、運によって結果を左右されるゲームであるからこそ、 結果までのプロセスを最重要視するべきであって、 結果がすべてだ! という発言は、ただの恐るべきばくち打ちの、唾棄すべき戯言に過ぎない。 チョンボヅキと認識の差 しかし一方で、いまだにオカルトが支持され続けているのも事実。 特に、五十代、六十代のプレイヤーは、いまだに、 「席が悪い」とか「前の局でやらかした失敗が後を引いてる」 のような、時代錯誤の言葉を口にすることも少なくない。 が、多くの場合、実際それらのことに因果関係はなく、 例えば、 チョンボヅキという言葉がある。 チョンボをした次の局は「ツく」という意味であるが、 むろん、チョンボをしたからといって、乱数調整の結果、次局で好配牌がもらえる、などということはなく、 チョンボをした後に配牌が悪くても、「ああやっぱりな」と考えがちで、記憶に残らないものだが、 好配牌だった場合は、「チョンボをしたのに」と、印象が強くなる。 そういう訳で、実際はチョンボをした後の配牌は、好い悪いが1:1であるにも関わらず、 前者のことが頭に残っているため、 「チョンボをしたあとは、配牌のよくなることが多い」などという俗説がまかり通ったりする。 そして往々にして、よく耳にするオカルトというのは、こういうものが多い。 また、ほかの要因として考えられるのは、 数学的な裏付けは可能だが、知覚している本人には、 オカルトとして認識されている、というものもある。 例えば、 の形から、 2-5pが4,5枚見えていない限り 3pを切って、 両面に受けるのがふつうであるが、 4pを嫌って、3pとなにかのシャンポンに受けたとする。 この時、このプレイヤーは、 「暗刻場だから」とか 「縦に伸びる場だから」とか、そんなオカルト的な理由をつけることもあるかもしれない。 しかし一概に、これは単なるオカルトといえない場合もある。 というのも、他家の切り出しなどを無意識下で考慮し、2-5pの枚数が山に残り少ないことを無自覚のまま知覚しているケースもあるのだ。 これはオカルトではなく、れっきとした確率に基づいた技術に違いない。 多くのプレイヤーが口にする「勘」というのも、意外にそういった無意識下の知覚によって判断されていることも多く、 純粋なオカルトとの区別は難しい。 〇流れ論と麻雀 また、麻雀につきものなのは、「流れ論」だろう。 流れがいいからリーチ、悪いからヤミテン。 みたいな判断はでたらめだ、と断ずる人もいるが、 これを無根拠に批判することは、それこそナンセンスだと筆者は考える。 それに相対しうる明確な理合を引き出して、はじめてひとつの批判となすべきだ。 例えば、リーチをかけなければトップが厳しいような条件で、 流れが悪いからなどと主張してヤミテンしていることは、点棒状況という立場から大いに批判できるだろう。 この記事においては、オカルトにまつわるいくつかの話を通じて、 我々はどのようにオカルトと向き合えばよいのかを模索していきたいと思う。 オカルトを相手に信じ込ませる 筆者は、オカルトをめっぽう信じている人間ではあるが、 とはいえ、オカルトに基づいた発言をしないようにわきまえてはいるつもりである。 そしてさらに、オカルトに振り回されないように気を付けているつもりでもある。 オカルトに振り回されると ロクなことがないのは身をもって体験済みで、 重大な牌効率のミスをしてしまったり、 むざむざ相手の和了牌を切り出して放銃してしまったりと、 過去の話をすれば枚挙にいとまがない。 しかしそうやって痛い目をみたからこそ、オカルトというもの逆に利用した、技術が存在するのではないかと考える。 仮にオカルトをまったく信じないようにとしている人でも、 前局で迂闊な放銃をしてしまったり、和了逃しの一手隙を突かれて、逆に和了られたりなどすると、 次局に悶々とした気持ちを抱えてしまうことはあるだろう。 例えば、場に一枚切れている字牌を対子落としして、七対子などに打ち込んでしまった時のショックは計り知れない。 他にも、三局連続リーチをかけているものの、すべて他家に和了をかすめ取られたり、平局してしまったら、 次局のリーチに懐疑的になることもしばしばあるかもしれない。 このような人間の精神的不安を利用して、相手の自由な選択を縛り付けるのだ。 前述したように、場に一枚切れの七対子に、相手が対子落として振り込んでくれたとして、 その次の局、思いがけず4,5巡目に愚形聴牌が入った。 ふつうならば、巡目が早いこともあって、好形になるまでヤミテンするのがいいだろうが、 それをあえてリーチすることで、先ほどの相手にプレッシャーを与えるのだ。 こうなった相手は、先ほどのことから、字牌の対子落としするのも少し嫌かもしれないし、単独字牌もやはり切りづらい。 また、親番18000点の役アリ聴牌が入ったとして、 特別な条件がない限り、先制リーチを打つのが最も期待値が高い。 が、これをあえてヤミテンにしてみる。 そして無警戒のまま跳満を打ち取って、次の局、先制リーチを打つ。 この時、対局相手の視点からは、そのリーチがずいぶん嫌なものに映るのだ。 特に、オカルトを信用している人ならば、「親に流れがあるなぁ」なんて思って、消極的になってくれるかもしれないし、 そうでなくっても、前局のヤミテンで跳満を和了った親のリーチは、恐ろしいものを感じざるを得ないだろう。 こんな風にして、オカルト的思想を相手に植え付けることで、戦局を有利進める方法もある。 ちょっとした寄り道 流れなんてオカルトだ、という主張は、まあ理解できないこともないが、果たして本当にそうなのだろうか、という疑問を、筆者は抱えている。 現代の世の多くの人々は、科学によって解明されていないことを、すべて非科学的だとそしる傾向にあるようで、どうにもちょっといけすかない。 実際、測定可能性、定量性、再現性に重きを置く科学をないがしろにしている訳ではないが、 いまの段階ではいまだ解明されていないだけで、いわゆる「流れ論」というものも、いつかは数学によって証明されるのではないかと、筆者は考えている。 例えば、ハイヌウェレ神話というものがある。 これは、植物の生育と便の関係性を示唆する逸話なのであるが、 この神話の正当性は、現代の科学によって実証されている。 しかし当時の人間は、科学による裏付けなど持たずに、「おまじない」的な慣習に従って、この神話を信じていたに違いない。 運やオカルトについても同様のことがいえないだろうか。 古代人は、おまじないとして畑に便を撒いていたが、それは畑にリン酸を供給することで、 その結果として作物の実りに影響を与えた。 すなわち、今でこそ、前局の行動と次局のツモや配牌は関係ないと認知されているが、 もしかすると、なにかの因果関係があるかもしれない。 あるいは、スタートボタンを押す前に、サイコロボックスのボタンを押す前に、 変な踊りでもしてみれば、配牌がよくなることもあるかもしれない。

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麻雀プロについて網羅しているページはこちらです!• プロフィール• 生年月日:1976年2月12日• 出身地:東京都八王子市• 血液型:AB型• 趣味:カラオケ、卓内掃除• 小林剛プロは 「スーパーデジタル」というキャッチフレーズで知られ、デジタル派の代表格として有名です。 局と局の間に因果関係はなく、麻雀における「流れ」を否定し、アガるための効率を重視する雀風です。 従来の流れや運を重視した戦略を否定しし、効率を重視する「デジタル」派の雀士の代表格であるため、スーパーデジタルというキャッチフレーズで呼ばれています。 「スーパーデジタル」のほかに、 「麻雀サイボーグ」というキャッチフレーズもあり、最強の雀士は誰だと名前をあげると、必ず出てくる人物なのです。 また、オンライン麻雀ゲーム「天鳳」を使って、強豪麻雀プロと凄腕天鳳ユーザーが参加するリーグ戦「天鳳名人戦」で2度優勝しており、リアルでもオンラインでも強く、麻雀サイボーグと呼ばれるのも納得な実績を持っています。 今から約10年前、麻雀雑誌上で小林剛プロ、鈴木たろうプロ、村上淳プロの三人で 「オカルトバスターズ」というユニットが結成されました。 鈴木たろうプロは日本プロ麻雀協会に所属し、協会の最高峰タイトル「雀王」を三連覇を含む通算4度獲得し、村上淳プロは最高位戦日本プロ麻雀協会に所属し、最高位戦の最高峰タイトル「最高位」を2度獲得しており、今となっては、三人とも麻雀界を代表する凄腕雀士ですが、当時は実績少ない若手プロ、その三人が「オカルトバスターズ」として麻雀の世界で太古の昔から語り継がれている「流れ」を真っ向から否定する活動をしていました。 今となっては、「流れ論」を否定する「デジタル論」という考えが普及していますが、小林剛プロはデジタルという言葉が生まれるか生まれないかという時代から、オカルト的な流れを否定し、新たなタイプの麻雀プロとして活躍している、スーパーデジタルの名にふさわしい経歴を持ったプロなのです。 金銭を賭けない、ギャンブルとしてでない麻雀の普及を設立の理念に結成された団体で、ギャンブルではない麻雀という意味合いで、中国麻雀と同じ漢字を使った「麻将(マージャン)」という言葉を使っています。 1996年に最高位戦日本プロ麻雀協会に入会し、プロの扉を開きました。 最高位戦日本プロ麻雀協会へ入会したときは、小林剛プロはまだ大学生で二十歳の時でした。 「リーグ戦で戦ってみたい」といった想いがあり、プロの世界へ入ったそうです。 そこで、麻将連合所属の雀士になりますが、プロとしては認められません。 そして、小林剛プロは 2003年に認定プロとなりました。 認定プロとなった2003年には、竹書房が主催している若手プロを対象に面接、学科、実戦を行い、麻雀の実力と知識を元に与えられる賞である「野口賞」を受賞し、麻雀プロとして大きな飛躍となる一年になりました。 この時期に小林剛プロは、現在は廃刊となってしまった「月間プロ麻雀」誌上で、鈴木たろうプロと村上淳プロと共に「オカルトバスターズ」を結成しました。 当時はまだ実績少ない若手プロだった小林剛プロは、流れ論者、オカルト論者の大先輩たちを相手に、今までの麻雀論とは180度違う、「デジタル」的な流れを一切否定した確率重視の麻雀を主張していたのです。 そして、2009年、2011年にも優勝し、過去三度将王を獲得しました。 将王を三度獲得したのは2015年現在、小林剛プロのみで過去最多獲得者であり、名実ともに麻将連合を代表するトッププロとなりました。 所属団体以外でも、大手オンライン麻雀ゲーム「天鳳」のトッププレイヤーと麻雀プロのトッププレイヤーが参加する、「天鳳名人戦」の2011年に行われた第一期大会、2012年に行われた第二期大会で二年連続の優勝、まさにキャッチフレーズ通りのスーパーデジタル、麻雀サイボーグにふさわしい大活躍をしており、麻雀界を代表する最強雀士の一人として知られています。 関連記事• 人物・性格 好きな牌は?-「そんなものはない」 (著書「デジタル麻雀の達人」の小林剛プロのプロフィールより) 小林剛プロが「麻雀サイボーグ」と呼ばれる所以の一つとして、卓上では一切の感情を見せずに、常に冷静沈着でアガったり振り込んだりしても一喜一憂しないスタイルがあるのだと思います。 好きな牌はと聞かれても、そんなものはないと答えるところも、麻雀に余計な感情を関与させない小林剛プロの姿勢が感じられるようです。 小林剛プロは、基本的に一人称は「私」という言葉を使い、丁寧語で話し、礼儀正しいコメントで、真面目そうな雰囲気を持っている印象があります。 卓掃が得意らしいです。 なんだかそれも小林剛プロらしい。 スーパーデジタルというキャッチフレーズで知られていますが、 「デジタル」という曖昧な麻雀用語を使いたくないから、といった理由で、自らスーパーデジタルという言葉を使わないそうです。 最近では「コバゴー」の愛称でファンから親しまれており、ニコニコ動画の麻雀スリアロチャンネルで生放送される番組にも頻繁に出演し、対局番組だけでなく、バラエティ番組にもよく出演しています。 ニコニコ動画の麻雀スリアロチャンネルで放送された番組によると、小林剛プロは麻雀の練習は全くしないそうです。 濃い実戦をたくさんこなしているのが、その強さの秘訣ではないかと、ご本人は語ります。 ブログ・ツイッター 小林剛プロは、ブログ、ツイッターのアカウントを持っていて、自分の出場した対局についての解説や、リーグ戦の状況などをブログやツイッターから知ることができます。 コバゴーファンの方は、麻雀についてや、プライベートについて、本人に話しかけてみてはいかがでしょうか? 2. 麻雀プロとしての実績 「スーパーデジタル」や「麻雀サイボーグ」と呼ばれる、最強の雀士、小林剛プロの麻雀プロとしての実績を紹介します。 獲得タイトル• 第1期、第2期 天鳳名人戦 (2011年、2012年、オンライン麻雀ゲーム「天鳳」でトップ天鳳ユーザーと麻雀プロが参加するリーグ戦)• 第3回野口恭一郎賞 (2003年、面接、学科、実戦を行い、麻雀の実力と知識を元に与えられる賞)• また、天鳳名人戦を二年連続で優勝した実績もあり、オンラインでもリアルでも、小林剛プロのスーパーデジタルぶりを披露しているのです。 スーパーデジタルとは? まず、デジタル論というのは、従来の流れやツキ、その時の状態、といった、従来の麻雀戦略の主流だった考えを「オカルト的」と否定し、局と局との間に関係性はなく、麻雀牌はランダムに卓上で積まれているものなので、流れやツキは読むことができない、といった思想のことをいいます。 局と局の間は関係性があり、時計の秒針が連続して回るアナログ時計と従来の麻雀論を定義し、それに対して連続せずに切り替わっていく考え方を比喩的にデジタル時計に例えたことから、「デジタル」派といった言葉が生まれたと言われています。 その言葉が登場したのは、小林剛プロの記憶では1990年頃に連載された麻雀漫画『勝負師の条件』だったと話しています。 (「近代麻雀2015年7月1日 小林剛プロのコラムより」) 小林剛プロは麻雀を覚えたての頃から、麻雀に非科学的な因果関係を持ち込むことなく、偶然と確率のゲームであるというデジタル的な認識で、麻雀を楽しんでいたそうです。 今から20年前ぐらいの時代は、そういった麻雀論は完全に少数派であり、異端児的雀士だったのです。 小林剛プロ、村上淳プロ、鈴木たろうプロといった方々が、最初にオカルト理論を否定する麻雀プロとして麻雀界に登場しました。 その後、同じようにデジタル的な考えを持つ小倉孝プロが大活躍し、デジタルという言葉が普及し始め、オンライン麻雀で活躍をしていた渋川灘波プロがプロ入りし、デジタル派のフォロワーも数多く登場しました。 小林剛プロは、現在では一般的なアイディアとなった新たな麻雀論である「デジタル」という理論を生み出した存在の一人であるため、「スーパーデジタル」といつしか呼ばれるようになりました。 しかし、小林剛プロは自ら進んで「デジタル」という言葉は使いません。 なぜなら、デジタルという言葉の定義も曖昧なものになってしまったためだそうです。 ですが、あくまでも 「非科学的なオカルトを言わない」という立場は明確にしています。 オカルトバスターズについて かつて、鈴木たろうプロ、村上淳プロ、そして小林剛プロの三人で結成された、アンチオカルトユニット「オカルトバスターズ」という集団がありました。 略して「オカバス」なんていう愛称で呼ばれていました。 「オカルトバスターズ」は今は廃刊になってしまった、「月刊プロ麻雀」の誌上で結成されたユニットで、101競技連盟所属の山内啓介プロによって、三人は選ばれました。 三人の共著『デジタル麻雀の達人』という本で、オカルトバスターズについてこういった説明がされています。 」 今となっては麻雀界を代表するトッププロになった3人ですが、オカルトバスターズが結成されたのは今から数十年前、当時はまだ若手実力派プロ、といった3人でした。 当時は無名に近かった3人ですが、ベテランの先輩プロに意見をぶつけ、「流れ」のような都合の良い言葉で批判されたり、論理的じゃない理由で責められたりで、不快な思いをすることも多かったそうです。 が、誌上でその鬱憤を晴らす場ができ、鈴木たろうプロ曰く、 「麻雀界に蔓延るオカルトを叩きつぶしてやろうと、自分たちの主張を始めた。 」そうです。 そうして、先輩プロたちの流れ論、オカルト理論をこき下ろし、オカルトバスターズは反オカルトを掲げ、麻雀界に新たな風を吹き込んだのです。 小林剛プロはデジタル雀士の代表格として知られていますが、今まで流れやツキといったことが戦術の主流だった麻雀界に、それまでの概念を否定し、局と局との関係性はない、という新たな思想を武器に麻雀界で頭角を表してきました。 現在では、小林剛プロのデジタル的考えは一般的な麻雀論となり、多くのタイトル、輝かしい実績を残してきました。 鈴木たろうプロ、村上淳プロも今では麻雀界を代表するトッププロとなり、オカルトバスターズのデジタル理論は、決して間違いではなかったということが証明されたのです。 関連記事• オカルトバスターズの麻雀本• 『デジタル麻雀の達人』2008年01月30日発売(鈴木たろうプロ、村上淳プロと共著) この本は麻雀の戦略性を解説する本、といういわゆる戦術本というよりも、「麻雀というゲームの性質」を解説し、昔からある流れや運といったオカルト的考えを否定する、といった内容になっています。 桜井章一氏と小林剛プロ まさに奇跡の対談とも呼べる企画が「近代麻雀2015年10月15日号」に掲載されました。 桜井章一(さくらい しょういち)氏は、スーパーデジタルという異名を持つ小林剛プロは、まさに対極な存在の雀士と言えるでしょう。 現代的な麻雀論を持つ小林剛プロに対し、20年間無敗と呼ばれる伝説の裏プロと呼ばれ、流れやツキを読んで麻雀を打つ、従来の麻雀の象徴のような人物なのです。 麻雀に対する考え方も、麻雀界における立ち位置も、全く異なる二人の対談が近代麻雀によって実現したのです。 桜井章一氏は、近代麻雀でコラムを連載しており、その関係で編集部から送られる雑誌についてくるDVDで、小林剛プロの麻雀を見ていて興味は持っていたようです。 それもあって、この対談が成立したようです。 この対談の模様が収録されているDVDも雑誌についていて、桜井章一氏が結成した団体「雀鬼会」の本拠地である雀荘「牌の音」で行われた二人の対談は、独特の雰囲気と緊張感が漂っていて、文字だけではわからない面白さがあります。 桜井章一氏は、流れを重視した打ち方です。 局と局の間には因果関係がはっきりとあり、その流れを読むことができる、前局、前々局の結果を参考に打牌選択をする、といった打ち方です。 流れといった抽象的なものがわかるかどうか、それは他人にはわかりません。 ご本人がそういっているからきっと読めるのです。 二十年間無敗といった伝説があるぐらいの方です。 弱かったらそんな伝説はできるわけがないです。 小林剛プロは、流れについてこの対談の中でこう表現しています。 「麻雀牌はすでに積み込まれているものなので、どんな偶然が起こるかわからない。 なので、今の手牌で最善を選ぶ、前の局に何があったは考えない」 それに対し、桜井章一氏は、小林剛プロの対局を見ていて、こうやったら悪くなるだろうな、と思うと、その通り悪くなっていたと話します。 「麻雀は ツモって切る動作を入れる、そこで動きはある。 動くってことは流れてなきゃ動かない」 といった言葉を使って麻雀と流れの関係を表現しています。 小林剛プロは麻雀における流れ自体を否定することなく、読めるものではないから気にしない、といった立場です。 桜井章一氏は、その普通の人ではわからない流れを知る研究をしてきた人物なのだと思います。 二人の麻雀観は全く異なるもので、噛み合わないですが、お互いの麻雀論を否定することなく、しかし、変に肯定するわけでもなく、お互いの意見をぶつけあう実に有意義な対談でした。 関連記事• 小林剛動画特集 youtubeで見ることができる小林剛プロの動画を紹介します。 ニコニコ動画の麻雀スリアロチャンネルの番組で、過去に生放送された番組の一部がyoutubeで見ることが出来ます。 人気プロである小林剛プロも麻雀スリアロチャンネルの番組によく出演していて、番組を見逃してしまった方や、麻雀スリアロチャンネルの存在を知らなかった方も、youtubeで見ることができます。 The萩原リーグ コーナー動画:小林剛 俳優であり、大の麻雀好きであり、プロにも劣らぬ実力を持つ萩原聖人氏がプロデュースする番組に、小林剛プロが出演。 その時作られた小林剛プロの紹介動画です。 少しだけ情熱大陸風で、カッコイイです。 関連記事• 4.まとめ スーパーデジタル、そして麻雀サイボーグと呼ばれ、卓上では感情を見せないけれど、卓を離れればどこか愛嬌のあるコバゴー。 超実力派雀士でありながら、近年ではニコニコ動画や麻雀メディアの発展もあり、そのキャラクターも含め人気が出てきた麻雀プロです。 反オカルトを掲げ、数々の栄光を手にし、実績と現代の風潮を見れば小林剛プロの麻雀論が、決して間違っていなかったと証明されたと言っても過言ではありません。 四度目の将王獲得や、未だ成し遂げていない「モンド杯」や「麻雀最強戦」といった注目度の高いテレビ対局での優勝といった、更なる活躍を期待しています。

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