スペイン 風邪 に 感染 した アメリカ 大統領 は。 スペイン風邪はアメリカが行った人類削減計画であった

ウッドロウ・ウィルソン

スペイン 風邪 に 感染 した アメリカ 大統領 は

スペイン風邪に罹った兵士で溢れかえるアメリカのカンザス州の陸軍基地(Wikipediaより) 第一次世界大戦のさなかの1918年、世界中を強烈な疫病が席巻しました。 いわゆる「スペイン風邪」です。 スペイン風邪はインフルエンザの一種なのですが、1918年に初めて感染が確認され、それから約2年間のうちに、世界で5億人が感染したとされています。 当時の世界の人口は約20〜30億人と推計されているので(15億人という説もあります)、世界の約4分の1から6分の1の人々が感染したことになります。 そしてスペイン風邪が原因で亡くなった方は、2000万〜5000万人にのぼったとされます。 まさに史上最悪のパンデミックでした。 その伝染スピードは、前回この連載で紹介した黒死病(ペスト)よりもずっと速く(ただし、新型コロナウイルスと比較するとはるかに遅いですが)、疫病の伝播とグローバリゼーションの間に密接な関係があったことがわかります。 当時、スペイン風邪に効く特効薬はありませんでした。 そのため感染防止が最大の対策となり、人々はマスクをし、学校、劇場、企業までもが閉鎖されることになりました。 その対策法は現在とほとんど変わりません。 感染力が強いウイルスに対抗するためには、それ以外の対応策がないのかもしれません。 2009年流行のインフルエンザと同型だったスペイン風邪 前述のようにスペイン風邪はインフルエンザの一種で、医学的にはH1N1に分類されます。 これは、2009年に世界的に大流行したインフルエンザA型と同じです。 インフルエンザウイルスは、呼吸器を攻撃します。 そのため感染した人が咳やくしゃみをすると呼吸器病原体が飛沫となって空気中に拡散し、周囲の人に感染するのです。 またウイルスが付着したものに触ると、そこからウイルスが手先に付着することになります。 その手で口や鼻などの周囲を触ったりすると、そこからウイルスを体内に取り込んでしまいます。 そうした感染の仕方は、今回のコロナと全く同じです。 判明していないスペイン風邪の発生源 スペイン風邪の発生源は確定していません。 ただ、大きな流行はまず1918年3月にアメリカではじまり、同年の夏まで続いたとされます。 これがアメリカにおける流行の第一波でした。 第一次世界大戦は、1918年11月18日に終わります。 開戦当初は中立の立場にあったアメリカも、ドイツが無制限潜水艦戦を開始すると、1917年4月にドイツに宣戦、連合国軍に加わりました。 こうして、アメリカ本土は戦場になりませんでしたが、多くの兵士がヨーロッパに派遣されたのです。 スペイン風邪が流行し出したのはまさにこの頃でした。 アメリカ国民の目は、この第一次世界大戦の戦況に向けられており、当初、新しいインフルエンザに対してさほど関心が払われなかったのかも知れません。 感染は一気に広がっていきました。 この時には、ニューヨーク市の健康管理センター長が、企業に対し、時間差勤務をして、超満員の地下鉄を避けるよう命じています。 現在と同じような防止策が、当時すでに知られていたことに注目すべきでしょう。 アメリカを飲み込んだ大流行 インフルエンザとは、一般に冬に流行します。 スペイン風邪が最初に流行したアメリカでは、インフルエンザのシーズンは、それは秋の終わりから春にかけてです。 通常であれば、インフルエンザは、子ども、65歳以上の高齢者、妊娠している女性、基礎疾患(例えば、糖尿病や心臓病、喘息など)がある人などの死亡率が高くなります。 ところが1918年のスペイン風邪は、感染力が非常に強く、アメリカでは若い人たちから老人に至るまで感染率、死亡率ともに高かったようです。 特に注目すべきは、18〜40歳くらいの働き盛りの人たちの死亡率が高かったことです。 スペイン風邪と他のインフルエンザの根本的な違いでした。 つまり生産年齢人口に属する男性が最大の犠牲者でした。 このことが、経済に大きな打撃となりました。 第一波より第二波 そもそも1918年春に起こった流行の第一波は、さほど感染力が強いものではありませんでした。 病気になった人たちは、寒気、発熱、倦怠感などの典型的なインフルエンザの症状が現れたに過ぎませんでした。 そのため死者の数は少なく、まだ危機的状況にはなっていません。 ただ、この時、アメリカからヨーロッパに感染が広がっています。 おそらくヨーロッパに派遣された兵士たちとともにウイルスも大西洋を渡ったものと思われます。 アメリカが、より強力な、かなり感染力の高い第二波に襲われたのは、その年の秋、ちょうど第一次世界大戦の終結前後のことでした。 このときは病原性が高まっていたようで、多くの患者が重症化しています。 さらに、1919年には第三波が起こりました。 重篤な患者は、症状が出てから数時間以内、あるいは数日以内で死亡したといいます。 それほど強い感染力を持ち、重い症状を引き起こすウイルスだったのです。 身体は青みがかり、肺には水分がたまり、窒息死しました。 病人が急増したアメリカでは、第一次世界大戦で負傷した兵士のために働かなければならない医師が多くなっていたため、スペイン風邪を治療する医師が不足し、十分な医療を提供することが困難な状況になっていました。 そのことがさらに死者数を増加させることとなったのです。 1918年のアメリカの平均寿命は、なんと前年よりも12年も縮まりました。 ちなみに、このインフルエンザが「スペイン風邪」と呼ばれるようになったのは、スペインから発生したためではありません。 第一次大戦当時に中立国であったスペインは、非常に多くの感染者が出て、その被害を報道しました。 一方、他の欧米諸国は、戦争中で報道管制を敷いていたので感染被害を報じませんでした。 そのため、スペインの被害だけがクローズアップされ、ついには「スペイン風邪」の名まで冠せられてしまったのです。 1919年になると、世界の多くの地域でスペイン風邪が蔓延するようになります。 アメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソンも、スペイン風邪に感染しました。 ちょうどこの時は、第一次世界大戦を終わらせたヴェルサイユ条約の交渉中でした。 平和主義者のウィルソンは、敗戦国のドイツに多額の賠償金を追わせることに反対していました。 ところが結局は、イギリスやフランスの主張に引っ張られ、ドイツに巨額の賠償金を課すことになってしまいました。 その背景には、ウィルソンが病気のため、各国を十分に説得できなかったためとも言われています。 その重い賠償金の苦しさから「ヴェルサイユ体制打破」を訴えたヒトラーがドイツに生まれてしまうのですから、第二次世界大戦はスペイン風邪が生んだ、とも言えるのかもしれません。 若者に多かった犠牲者 スペイン風邪によって若い男性が多く亡くなったと述べましたが、それは世界経済にとっても大打撃となりました。 働き手がいなくなってしまったからです。 大戦で多数の若者が戦死しただけでなく、スペイン風邪によってもまた多くの若い命が失われたのです。 第一次世界大戦によって世界各国で都市や生産設備が破壊される被害が生じていましたが、そうしたマイナスに加え、スペイン風邪による人的被害が世界を苦しめました。 疫病は単に健康面だけではなく、経済の面でも、戦争以上にもわれわれを苦しめる存在なのです。 筆者:玉木 俊明.

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パンデミックの場合、最善でもGDP損失は2.3兆ドル。米シンクタンク試算

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パンデミックとは、感染症が世界的な規模で爆発的に広がることを指します。 パンデミックと聞いてまっ先に頭に浮かぶのが「スペイン風邪」です。 第1次世界大戦の末期、1918年から1919年にかけて欧米で猛威を振るいました。 スペイン風邪は世界史の教科書に必ず出てくる記述です。 長らく病原体が見つからず、ワクチンも有効な治療法もなかった時代で、いまだに謎の部分が多いとされています。 正確な犠牲者の数もはっきりとはしません。 推計で2000万人とも1億人が死亡したと言われてきました。 現在では5000万人前後が犠牲になったと考えられていますが、世界の人口が20億人の時代にこの数は驚くべきものです。 すでに発生から100年が経過しており具体的な体験者は存在せず、第一次世界大戦について書かれた書物は何万種類もあるのに、スペイン風邪について書かれた書物は数十冊しかないとされています。 スペイン風邪がこれほどまで拡大したのは、米国のウイルソン大統領の責任が大きいと言うのが通説です。 欧州での戦争遂行を妨げるものとして、病気の流行、危険性に関する専門家の警告や報道を一切禁止しました。 米国からヨーロッパに兵力を次々と送り込み、軍港と駐屯地、軍人を中心に感染が広がりました。 軍港から基地、そして都市部へと世界中に拡散していったとされています。 最初の症例はごく普通のインフルエンザとほとんど変わりはなかったそうです。 咳と熱、節々の痛みにとどまり、1918年の春ごろにかかった人は比較的早い時期に回復しました。 それが秋になると、ウイルスが突然変異しました。 最初はインフルエンザのように見えたものが、ウイルスの強毒化により肺炎を引き起こし、病院に運び込まれてから数時間で死亡するという例が広がっていったそうです。 発熱もないまま呼吸困難に陥り、そのまま突然死に至る症例が激増しました。 バスの運転手が運転中に死亡して大規模な交通事故死につながっていったともされています。 医者、看護師もバタバタと倒れました。 スペイン風邪と言いますが、スペインが発症の元凶でもなんでもなく、第一次世界大戦において中立国の立場だったスペインの通信社が、英国のロイター通信にあてて感染の第一報を伝えたことから「スペイン風邪」と呼ばれているだけです。 ウイルスの猛威は来た時と同じように、1918年11月になってあっという間に消えました。 理由は不明ですが、大戦とそれに伴う栄養不足もあって20~40歳代の被害が最も多く、宿主の大半がいなくなったことがウイルス退潮の理由と考えられています。 アメリカでは45万人が死亡しました。 イギリスは22万人、革命下のロシアも45万人、インドでは貧困と過密が重なって1200万人以上が命を落としたそうです。 のちの世の研究によって、スペイン風邪のウイルスは鳥インフルエンザの一種ではないかと見られています。 それが種を超えて人間に感染することで、急性呼吸器症候群に変異していった模様です。 一刻も早いワクチンの開発が待たれます。 うがい、手洗い、マスク、不要不急の外出をしない、基本的な部分で不正でゆくのが賢明です。 (スズカズ).

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「スペイン風邪」は、スペインが発症元ではない

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池上彰のニュース検定 ニュース検定の今日の問題と答えです。 池上彰さんの解説も追記します。 ニュース検定の問題 スペイン風邪に感染した米国大統領は? 青 ルーズベルト 赤 フーバー 緑 ウィルソン ニュース検定の答え 答えは 緑 ウィルソン ヒント:「大統領は昨木曜、重病になった。 39・4度以上の高熱と大量の下痢……咳(せき)の発作は抑えられたが、病状はきわめて重かった」。 これはW・ウィルソン米大統領の主治医の手紙で、1919年4月のことである。 当時、第一次大戦の講和会議に出席中の彼は世界中で流行していたスペイン風邪にかかったのだ。 放送後に追記します。 今日の「ニュース検定」のキーワード キーワードは 大統領の感染 スペイン風邪と戦争 スペイン風邪は、第1次世界大戦の終結を早めたと言われています。 フランス、イギリス、そしてアメリカの連合国とドイツ軍との戦いでしたが、双方とも実に半数以上が感染したからです。 スペイン風邪によって戦争どころではなくなったのです。 ウィルソン大統領がスペイン風邪 逆に、スペイン風邪が戦争を始める要因の一つになったという指摘があるのは、第二次世界大戦です。 アメリカのウィルソン大統領がスペイン風邪にかかったことが、回りまわって第二次世界大戦に結びついた可能性があるのです。 パリ講和会議の最中に感染 ウィルソン大統領が感染したのは、ちょうど1919年4月のパリ講和会議の最中でした。 第1次世界対戦の戦勝国のリーダーたちが、ドイツへの賠償金などを話し合っていた時です。 パリ講和会議では、アメリカがフランス、イギリスと対立しました。 アメリカのウィルソン大統領は、ドイツに賠償金を求めないスタンスでした。 フランスとイギリスの首相は巨額の賠償を求めました。 とりわけフランスは強硬でした。 ドイツと国境を接し甚大な被害を受けたからです。 ドイツの賠償金が決定 パリ講和会議の最中に、ウィルソン大統領は突然スペイン風邪に感染、生死をさまよい四日間ベッドに伏せました。 その後、会議に復帰しましたが、もう持論を展開する気力がありません。 結局フランスやイギリスの主張が通りました。 ドイツに対する巨額の賠償金が決まったのです。 賠償金でドイツ経済がひっ迫 その結果ドイツの経済は危機的な状況となり、国民の不満が高まりました。 そこで台頭してきたのはヒトラー率いるナチスです。 第二次世界大戦を引き起こしました。 スペイン風邪は歴史を悪い方向に操ったのです。 ニュース検定前回の問題 今日のことば検定とお天気検定の問題.

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