万葉集 現代 語 訳。 万葉集 現代語訳 巻二相聞85・86・87・88・89・90 : 讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ

『万葉集』の秀歌 朗読・現代語訳・解説音声| 柿本人麻呂の歌(一)

万葉集 現代 語 訳

万葉集とは 万葉集とは天平3年(759)以降に成立したとされる 和歌集です。 現存する和歌集の中では日本最古とされており国宝に指定されました。 4500首以上の歌は様々な身分の人間によって詠まれ、中には方言で詠まれた歌もあり、その作者の出身地なども書かれていることから、万葉集は方言学を研究するにあたり重要な史料となっています。 編者 万葉集の編者は大伴家持や橘諸兄、勅撰説などもあり明確に編者は分かっていませんが、 一般的には大伴家持が万葉集の編者となります。 万葉集は大伴家持だけで、まとめられたのではなく巻によって編者が異なり、最終的に大伴家持が20巻にまとめたとされています。 巻1の前半部分 持統天皇や柿本人麻呂が編集に関わったとされています。 巻1の後半から巻2 元明天皇や太安万侶が編集に関わったとされています。 巻3から巻15、巻16の一部 元正天皇、市原王、大伴家持、大伴坂上郎女らが編集に関わったとされています。 巻16以降から巻20まで 大伴家持によってまとめられ完成したとされています。 時代 奈良時代にあたる延暦2年(783)頃に大伴家持によって全20巻がまとめられましたが、編者の大伴家持亡き後、大伴継人らによる藤原種継暗殺事件があったため、すぐに公の場に出ることはありませんでした。 万葉集は平安中期より前の文献には見られず、公にでるようになったのは、平安中期頃とされています。 作者 万葉集の中に収録されている和歌は天皇、貴族、下級官人また作者不明とされた和歌は畿内の下級官人や庶民の歌と考えられており、東国各地の歌を歌った東歌や防人歌なども収録されているため、 様々な身分の人によって詠まれた和歌が集められました。 構成 万葉集は巻ごとに年代順、部類別、国別などに配列され、 恋の和歌を集めた相聞歌、死者を弔うために詠まれた挽歌、この2つに属さない自然を詠んだ歌や宮廷に関する和歌などが集められた雑歌、この3つに分類されました。 しかし、14巻だけは東国各地の和歌を集めた東歌が収録されています。 方言 万葉集の中にある 巻14の東歌と巻20の防人歌には方言で詠まれた多くの和歌が収録されています。 このことから、方言学の研究にたいし万葉集は貴重な史料となりました。 「草枕 旅の丸寝の 紐絶えば 我が手と付けろ これの針持し」 この 「付けろ」と「持し」は東国方言とされています。

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恋に悩める女性に贈る4つの和歌【万葉集(現代語訳)】1/2

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新元号が「令和」に決まった。 出典は、日本最古の歌集「万葉集」の「梅花の歌三十二首の序文」。 どんな文章なのか。 角川ソフィア文庫のによると、原文はこうだ。 天平二年の正月の十三日に、師老の宅に萃まりて、宴会を申ぶ。 時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ。 梅は鏡前の粉を披く、蘭は珮後の香を薫す。 しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋を傾く、夕の岫に霧結び、鳥はうすものに封ぢらえて林に迷ふ。 庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。 ここに、天を蓋にし地を坐にし、膝を促け觴を飛ばす。 言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。 淡然自ら放し、快然自ら足る。 もし翰苑にあらずは、何をもちてか情を述べむ。 詩に落梅の篇を紀す、古今それ何ぞ異ならむ。 よろしく園梅を賦して、いささかに短詠を成すべし。 「新版 万葉集 一 現代語訳付き 角川ソフィア文庫 」 天平2年(730年)の正月の13日、歌人で武人の大伴旅人(おおとものたびと)の太宰府にある邸宅で開かれた梅花の宴の様子を綴ったものだ。 「令」と「和」の文字が入った一文は、 「初春の佳き月で、空気は清く澄みわたり、風はやわらかくそよいでいる」という意味。 季節が春に向かおうとしているのどかで麗らかな様子が描かれている。 「新明解」(三省堂)で「令」を引くと、「きまり」や「おきて」以外に「よい」という意味がある。 「和」には「おだやか」「のどか」のほかに「調子を合わせる」「日本(式)の」という意味がある。 <現代語訳はこちら> 天平2年の正月の13日、師老(大伴旅人・おおとものたびと)の邸宅(太宰府)に集まって宴会を行った。 折しも、初春の佳き月で、空気は清く澄みわたり、風はやわらかくそよいでいる。 梅は佳人の鏡前の白粉のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香にように匂っている。 そればかりか、明け方の山の峰には雲が行き来して、松は雲の薄絹をまとって蓋をさしかけたようであり、夕方の山洞には霧が湧き起こり、鳥は霧の帳に閉じこめられながら林に飛び交っている。 庭には春に生まれた蝶がひらひら舞い、空には秋に来た雁が帰って行く。 そこで一同、天を屋根とし、地を座席とし、膝を近づけて盃をめぐらせる。 一座の者みな恍惚として言を忘れ、雲霞の彼方に向かって、胸襟を開く。 心は淡々としてただ自在、思いは快然としてただ満ち足りている。 ああ文筆によるのでなければ、どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。 漢詩にも落梅の作がある。 昔も今も何の違いがあろうぞ。 さあ、この園梅を題として、しばし倭の歌を詠むがよい。 「新版 万葉集 一 現代語訳付き 角川ソフィア文庫 」 安倍晋三首相は、新元号「令和」に込めた意味について「 悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込めた」と語っている。

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万葉集 現代語訳 巻二相聞85・86・87・88・89・90 : 讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ

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1.肉食系女子の歌 【原文】 恋(こ)い恋(こ)いて 逢える時だに 愛(うるわ)しき 言尽してよ 長くと思わば 【現代語訳】 恋い続けて久しぶりに会えた、そのときだけでもせめて私が喜ぶような良い言葉を尽くしてください。 あなたが長くこの関係を続けようとお思いならば・・・ 【歌手】 大伴坂上郎女(おおとものさかのうえいつらめ) 一見普通の和歌に見えるけど・・・ -当時の恋愛事情- 恋とは、非日常の行為であり、通常では考えられないような強い欲情を湧き起こす不思議なパワーに満ち溢れた行為です。 これに加え、性行為による子の誕生とも連想づいていき、 恋は神聖なものと考えられていました。 当時、そんな神聖なる恋は人目を避けて行うというのが常識でした。 なかなかプラトニックですね・・・。 以上の事情から、 恋と言えば夜の密会というのが当たり前だったのです。 さらにさらに!密会はどのようにして行われたかというと、男が女の家に夜這いしてました。 しかも、当時は一夫多妻制。 何が言いたいかというと、 愛する人に逢いたい!とどんなに胸を焦がしていても、女性にできることは、別の女のところに夜這いしてるともわからない愛する人を待ち続けることだけだったのです。 そのため、当時の女性たちの多くは「愛する人に会いたいわ・・・」と悩める乙女の気持ちを和歌にして読んでいました。 そんな中、大伴坂上郎女は違います。 多くの女性たちが「あの人に逢いたい・・・」と悲しい気持ちを歌いながら愛する人を待ち続けいたのに対して、大伴坂上郎女は 「 やっと会えたんだから、もっと私に素敵な言葉をかけてよ!あなた、私のこと好きなんでしょ?ずっと私と付き合いたいならもっと私に尽くしてよ!!」 と当時の恋愛事情を考えるとかなり強気の発言をしています。 (とはいえ、逢えてうれしい気持ちもにじみでていますね!) 相手の男は大伴坂上郎女にゾッコンだったのかもしれません。 肉食系女子と草食系男子、今も昔も変わらぬ恋の形なのかもしれません。 (しみじみ・・・) 2.禁断の恋を決意した高貴な女性の歌 【原文】 人言(ひとごと)を 繁(しげ)み言痛(こちた)み 己(おの)が世に いまだ渡らぬ 朝川渡る 【現代語訳】 スキャンダルがうるさいので、私は生まれて初めて、あなたに逢いに夜明けの川を渡ります。 【歌手】 但馬皇女(たじまのひめみこ) 寂しさから求めてしまう禁断の恋の味 但馬皇女は、天武天皇という天皇の娘であり、 高貴な身分の女性でした。 但馬皇女には、 高市皇子(たけちのみこ)という夫がいました。 しかし、肉食系女子の歌で説明したとおり、当時は一夫多妻制です。 但馬皇女は、 高市皇子との年齢差が大きかったこともあり、 高市皇子に全然構ってもらえず、さみしい想いで過ごす日々が続いていました。 高市皇子には、別に正妻がいたのです・・・。 そんな中、高市皇子を夫に持つ但馬皇女は 穂積皇子(ほずみのみこ)という別の男性に恋をしてしまいます。 高貴な女性の危ない密会の始まりです。 しかし!但馬皇女と穂積皇子の密会ラブラブデートが、天皇の知るところとなってしまいます。 天皇は、この禁断の恋に大激怒。 「 天皇の娘ともあろうものが、他の男と浮気するとは何事か!!!」 天皇の逆鱗に触れた穂積皇子は、都から追放されてしまいます。 こうして但馬皇女は穂積皇子とは逢えなくなってしまいました。 許されない恋でも・・・やっぱりあなたに逢いたい! 肉食系女子の歌でも説明した通り、当時の恋愛事情では、男が女に会いに行くのが一般的なスタイルで、女の人はひたすらに男性を待つというとても辛い恋愛をしていました。 ところが、但馬皇女は、寂しすぎて穂積皇子に逢うのを我慢できません。 人のいない夜明けに、追放された穂積皇子に会いに行く決意をします。 男が女の下へ訪れるのが普通の時代なので、これはとんでもない行為でした。 もしまた、周囲の人に知れれば今度は何をされるかわかりません。 そんな但馬皇女の禁断の恋に生きる覚悟がこの歌には込められています。

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