天気の子 犯罪。 【天気の子】結末はハッピーエンドなのかバッドエンドなのか考察してみる

【天気の子】結末はハッピーエンドなのかバッドエンドなのか考察してみる

天気の子 犯罪

こんにちは、新田です。 観てきました!天気の子。 というわけで、 「絶対レビュー書くぞ!」 って決めていたので、 書こうと思います。 ちなみに、 「思いっきりネタバレする気満々」 です。 笑 というか、この映画のレビューは もうネタバレしないと書けないです。 なので、まだ映画を観てない方は、 一度観てから、読んで頂けたらと思います。 今日が公開初日なので、ほとんどの人がまだ観てないと思いますが。 苦笑 もし映画を観て、 「あの展開には納得いかねー!!」 って人は、ぜひ読んでください(笑 では行きます。 =====以下、ネタバレあり===== 今回の映画は、もともと新海誠監督が、 「賛否両論になる」 ということを覚悟して作っています。 ある意味、「君の名は。 」は、 「THE 王道」 な展開。 誰もがスッキリする終わり方だし、 全体を通してとにかく話が綺麗。 対して、今回の映画は、 おそらくかなりの人が納得いかない終わり方でした。 そして、ピュア一直線な「君の名は。 」と違って、 結構ドロドロした部分を描いています。 まず、物語冒頭でいきなり、 「バニラ」の宣伝車が映り、 「バーニラ!バニラ!バーニラ求人!」 と音楽が流れます。 これってよく、渋谷とか新宿で見かける車で、 都内にいる人は「あるあるw」なネタなんですが、 キャバクラとか風俗とか出会い系とか、そういった職業を紹介するサイトで、 いきなり攻めてきたな!!という感じになります。 その後も、 家出少年がネカフェで生活したり、 風俗、ヤクザ、子供がピストルを発砲、ラブホテル、 主人公逮捕、プリズンブレイク、逃走、警察への暴行、など、 だいぶ社会の闇も描いていますし、主人公犯罪しまくってます。 とは言っても、ギリギリ子供が見れるように作っています。 例えば、ラブホテルのシーンだったら、 ボタンを押したらブクブク泡が出たり色が付いたりするお風呂とか、 そういうのが色々出てきますが、ピュアな子供が見ても、 「あぁ、なんか面白そうなホテルだな。 」 くらいで、ラブホテルだって気付かないように作っています。 そして、大きな流れは、綺麗な感じでまとめてくれています。 さて、この「天気の子」という映画は、 「君の名は。 」とストーリー構成が非常に似ています。 「君の名は。 」は、宮水神社で、 「天気の子」は、名前のわからない神社の力によって、 女の子が特別な力を授かります。 そして、その力を得た天野陽菜と、主人公の森嶋帆高は、 「祈り屋」を始めます。 つまり、雨の日に、 祈って、晴れにする、というビジネスをするのです。 それは大成功。 どんどんお客さんが集まり、皆大喜びしてくれて、お金も稼げて、 意気投合して、仲を深めていく二人。 主人公は、陽菜のことが好きになり、 告白しようと計画します。 しかし、 「君の名は。 」 と同じような展開ですが、 案の定(笑)、陽菜は突然消えて、いなくなってしまいます。 なぜ、陽菜は消えてしまったのか?というと、 まず、陽菜が祈り続けた結果、晴れが続くも、 その反動で、異常気象が起きます。 とんでもない大きな規模の嵐となるのです。 しかし、細かい理由は省略しますが、 主人公たちは警察に追われる羽目になってしまい、 家に帰れなくなってしまうのです。 そこで、急遽、ラブホテルに泊まるのですが(別に何もしません)、 寝ている時に、陽菜は消えてしまいます。 すると、みるみるうちに天気は回復して、 快晴となるのです。 そして、主人公は、 「天気の子」 の運命を知ります。 古来より、祈って天気を晴れにしてきた巫女は、 最後は自らの命を差し出すことで(つまり「人柱」となることで)、 異常気象を鎮めてきたのです。 もし、陽菜が人柱にならなければ、 このまま雨が降り続いて、東京が大変なことになってしまっていたのです。 人々は、空が晴れたことに喜び、 また元の日常に戻ろうとしました・・・ しかし、主人公は、 「陽菜を助けたい!!」 と思います。 陽菜を助けたら、人柱がいなくなってしまう。 でも、そんなことは頭にありません。 ただひたすら、助けたい!の一心。 そして、 主人公が陽菜が力を授かった神社に行き、祈ると、 奇跡が起きて、陽菜は復活します。 そして、RADの歌。 この辺は、「君の名は。 非常に爽快感ある展開です。 しかし、ここからは「君の名は。 」とは異なります。 人柱になるはずの陽菜が復活してしまったことで、 雨は降り止まなくなってしまいます。 その後、永遠と降り続け、 最後はまさかの東京沈没・・・! 思いっきり沈んじゃいました。 この映画を観て、 「結末に納得いかない!」 という人ってかなり多いんですが、 その理由は、この部分にあります。 「君の名は。 」との最大の違いは、 「主人公に大義があるかどうか?」 なのです。 「君の名は。 」は、主人公(瀧くん)は、 ディアマト彗星から皆を守るために、行動していました。 もしかしたら「三葉を助けたいから」って思っての行動かもしれませんが、 結果的に、彼は多くの人命を救ったのです。 対して、今回の「天気の子」の主人公は、 あくまで好きな女を助けたい!という一心で行動し、 その結果、東京を沈没させてしまったのです。 そういう意味では、陽菜を助けるために 大きな犠牲を払ってしまったことになります。 これはある意味、 「自分のエゴだけで東京を沈めた」 とも取れます。 でもって、その後、二人はまた離されるのですが、 最後また、「君の名は。 」的なノリで出会います。 「君の名は。 」はご縁(ムスビ)がテーマでしたが、 この映画では、陽菜と主人公は、縁起の糸で結ばれていたのでしょう。 だから、何度も偶然出会い、 たまたますれ違ったらお互い気になるのです。 最後は「無事、再開できてハッピーエンド!」な訳ですが、 この映画に納得できない!って人からすると、 「いやいや、東京沈めといて、勝手にハッピーエンドされても。。。 」 なわけです。 もし、 陽菜も助かって、かつ、 異常気象も戻る、という良いトコ取りができたら、 最高のハッピーエンドになっていたでしょう。 ただ、こうなるには、 「人柱に変わる、何らかの代償を支払った」 と視聴者が納得できる理由が必要です。 これは結構難しい問題です。 例えば、漫画「鋼の錬金術師」は、 最後の戦いで、自分の弟の身体を復活させます。 その代償として主人公(エド)が支払ったのは、 「自分の錬金術の能力」 でした。 この漫画を通してずっと使ってきた能力を全部手放すので、 弟を復活させるのに十分な対価であると、読者は納得できたでしょう。 対して、今回の「天気の子」は、 陽菜の「祈りの力」だけでは、 代償としては弱すぎます。 なので、東京沈没エンドを作らざるを得なかったのでしょう。 ・・・というのが、一般的な解釈で、 ここからは、もう少し違った角度から解説します。 僕がこの「天気の子」という映画を通して感じたのは、 「天と地の業(カルマ)・因縁の浄化」 というテーマです。 物事には、必ず、 ・原因(タネ) ・結果(現象) があります。 例えば、雨というのは、 ・水が蒸発して雲になり(タネ) ・それがまた水分となって降る(現象) ということです。 新海誠さんは、「君の名は。 」の時もそうでしたが、 神道や仏教が世界観のベースになっています。 それに基づいて言えば、 「雨」というのは、浄化の働きがあります。 つまり、 ・何らかの悪いエネルギー(悪想念、邪気、因縁、業)が溜まったら、 ・それを浄化するために雨が降る というイメージです。 「因果応報」という言葉がある通り、 溜まった悪いエネルギー(罪)は、 何らかの形で「清算」しないといけないのです。 陽菜は確かに、「祈りの力」によって、 空を晴れにし続けました。 しかし、それは、 「本来雨になって流されるはずの悪いエネルギーが、 消化されないまま、溜まっていった」 ということになります。 それがずっと積もりに積もって、 ついに反動が来てしまい、最後は異常気象が起きてしまいました。 「人柱」というのは、 「全ての業(カルマ)を1人に集中させて、清算させる」 というものです。 キリストの「十字架磔」もそうですね。 この映画を観て、 「女の子1人を助けるために、東京を沈没させるなんて、なんたることか!」 みたいになる気持ちも分からなくもないです。 でも、たまたま選ばれたただの女の子が、 どうして全員の犠牲にならないといけないのでしょう・・・? しかも、大人たちは無関心。 たとえ人柱となって晴れたって、 誰も気づかず、「あぁ晴れてよかった!」で終わり。 これで本当に良いのだろうか。 というより、それで、本当に全ての業(カルマ)は清算されるのでしょうか?! 最後の「東京沈没」というのは、 「東京に溜まった業(カルマ)の浄化現象」 なのではないかなと、僕は思いました。 この映画では、東京の汚い部分、 歌舞伎町、ヤクザ、風俗、ラブホテル街、 子供が苦しんでるのにそれを追い払う大人たちを、 散々描いてきました。 それらは、東京という土地に溜まった業(カルマ)であり、 それを最後に「沈没」という形で、全て清算したのです。 映画の中で、 「ただ、自然に帰っただけだ。 」 というセリフがあります。 もし、天気が晴れたとしても、 東京という土地に溜まった業(カルマ)は清算されず残り続け、 いつか、大地震が起きたり、未曾有の災害が起きていたでしょう。 だから、沈没、という形で、美しい自然に戻ったのです。 そして、その世界は、 そこまで絶望的ではなく、 人々は楽しく暮らしています。 「君の名は。 」の三葉と瀧くんも登場しますが、 最後、結婚したことが分かります。 「まぁ、これはこれで・・・」 なのです。 「君の名は。 」は、 とにかく綺麗な世界だけをひたすら描き、 「天気の子。 」は、 あえて汚い世界を描き、 だけどそれを最後に「東京沈没」という形で 浄化したのです。 確かに、この映画は、 「天気も晴れて、陽菜も無事で、皆ハッピー!」 な展開の方が、皆納得できたでしょう。 だけど、新海誠さんはあえてそうしなかった。 「それほど、東京に溜まった業(カルマ)は重いんだ。 」 という、日本の行く末を暗示したメッセージなのかもしれません。 あるいは、 「このまま行けばこうなる。 じゃあ、どうすれば、両方助かるのか? この続きは、皆で考えてね。 」 というメッセージなのかもしれません。 実際どうなのかは分かりませんが、 とにかく新海誠監督は、ピュアで、ロマンティストで、 だけど意外とリアリストです。 だから、美しい世界が描けます。 美しき世界は、 雲の上にあります。 それを神道では「高天原」と呼びますが、 雲の上には、水でできた魚、そして龍神のような雲がいました。 陽菜は、天と地をつなぐ存在。 天上にある美しいものを、 地上におろしてきたのです。 ジブリは、ひたすら美しい自然の世界を描いています。 でも、宮崎駿監督は、時に「ロリコン」と揶揄されます。 その理由は、大人を「全面的に汚いもの」と扱うことが多いからです。 大人を汚い存在として描き、子供をひたすら純粋で綺麗なものとして描いて、 そして最後はバルスで大人を倒す。 子供は純粋で素晴らしい。 だけど大人は汚い。 だから自然によって滅ぼされる。 そんな世界観です。 「君の名は。 」は、美しい自然を描き、 世界の綺麗な部分、男女の綺麗な恋愛をひたすら描きました。 だから、あれは手堅く、万人受けしたのです。 だけど今回、新海誠監督は、 あえて「挑戦した」のです。 多分、この作品も、 ひたすら綺麗な感じで終わらすこともできたでしょう。 でもあえて、ジブリが絶対踏み込まない領域に、踏み込んだのです。 色々批判が出るのも、 納得いかないと言われるのも分かって、 この現実世界で、清濁合わせ飲んだ上で、 「美しさ」を表現しようとしたのではないでしょうか。 最後は、やはり自然に飲み込まれてしまうけど、 それでも主人公は大人になるし、 「君の名は。 」の主人公たちも大人になっています。 とても現代的な作品だなと感じました。 そして、「天気の子」は、 映像はさすが!と言える美しさです。 ぜひ、「芸術作品」を観に行くつもりで、 観に行ってもらえたらと思います! (って、この記事読んでる人はもう観てるか。 笑) それでは、ありがとうございました! PS. 映画「君の名は。 」の解説も書いています。 この映画がここまで深かったんだ!というのを 感じていただけるんじゃないかと思います。 ブログ拝見しました。 天気の子は何週間か前に見たのですがどうしてもエンディングが腑に落ちず、その理由も既に述べておられる通り、まさに主人公のエゴへの不信感。 恋のために東京沈没させておいてハッピーエンド?え?という感じ。 にも関わらず、やたらとこの作品が絶賛されてるのが不思議で不思議で仕方なく色々調べてたらこちらのサイトに流れ着いたのですが。 東京のカルマを浄化したという説明。。。 めちゃくちゃ納得しました。 ありがとうございます。 確かに今作、やたらと東京の負の部分が強調されていたように思います。 いやホント、多角的な観点から見るとマジで合点がいくものなんですね。 このエンディングに不満を持っている人だけでなく、単に女の子戻った!万歳!で大満足している人にもこの考察を知ってほしいですね。 これから大学生になる帆高と 高校生の陽菜を再開させて 陽菜と凪は 両親がいなくて 頼るべき親戚もいないようで 生活費をどうしているか映画では不明で これで大丈夫という曲を流すのだから 思いっきりすごいラストだなと。 「お前らが帆高にさわるんじゃない」 と言った須賀さんが身元保証人になって面倒を見られているのかと 帆高が ほっておけないとして拾ってきて事務所に置いた猫の雨が 招き猫として事務所に仕事を増やしたおかげで 事務員二人を雇えて 須賀さんも帆高と話している間もキーボードで仕事しているほど忙しくて。 貫禄付けた招き猫の雨を見たら 仕事が増えたことにしても違和感なくて 余裕があるから陽菜と凪の面倒を見ることができて。 ほっておけない として帆高が拾ってきた猫によって すべてがうまくいったわけで。 ほっておけない というのが映画のメインテーマかと (猫の恩返しという話だったりして) グランドエスケープ歌詞の考察 で検索すると 歌詞の解釈が100人いたら100通りで 人によって思いっきり異なっていて 人によって解釈が思いっきり異なるって すごいなと。

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【ネタバレ酷評】『天気の子』ブンブンが乗れなかった6つのポイントチェ・ブンブンのティーマ

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CONTENTS• 映画『天気の子』の作品情報 C 2019「天気の子」製作委員会 【公開】 2019年(日本映画) 【監督・脚本】 新海誠 【キャスト】 (声の出演)醍醐虎汰朗、森七菜、吉柳咲良、平泉成、倍賞千恵子、小栗旬 【作品概要】 天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄される少年と少女がみずからの生き方を選択する長編アニメーション。 邦画興行収入歴代ランキング2位を記録し、世界興収も400億円に達した『君の名は。 』(2016)の新海誠監督が、再び川村元気プロデューサーとタッグを組んで贈る。 主題歌・劇伴も前作につづきRADWIMPSが担当。 2000人を超えるオーディションのなかから選ばれた主人公・帆高役の醍醐虎汰朗と、ヒロイン・陽菜役の森七菜の声にも大きな注目が集まる。 映画『天気の子』のあらすじ C 2019「天気の子」製作委員会 高1の夏。 離島から家出し、天候不順がつづく東京にやってきた帆高(声・醍醐虎沙郎)。 新宿・歌舞伎町のマンガ喫茶に泊まりながらアルバイトを探すも、生活はすぐに行き詰まってしまいます。 孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、フェリーで出会った須賀(声・小栗旬)が営むオカルト雑誌のライター業でした。 母親を亡くし、弟とふたりで暮らす陽菜。 彼女には「祈る」ことで空を晴れにできる不思議な能力がありました。 映画『天気の子』ネタバレ感想と解説 C 2019「天気の子」製作委員会 新海監督が作品をつくるうえで、 「音楽」をことさらに重要視しているのはよく知られており、今作においてもプロデューサーの川村元気氏がこう語るように、「歌詞」からインスピレーションを受けたことは隠されていません。 川村:今回、コンテもない状況で届いたのが『愛にできることはまだあるかい』と『大丈夫。 』特に『愛にできること~』を聴いて、この映画のメッセージそのものだと確信できました。 洋次郎さんが、歌詞という形を通して、新海監督のメッセージを語ってくれていたのです。 (「日経エンタテインメント」2019年8月号 P13) RADWIMPSの歌う全正義 正義を託された「銃」 C 2019「天気の子」製作委員会 本作はある意味で、 「銃」をめぐる物語といってもいいでしょう。 すべては街の電光掲示板で、「16丁の銃が押収された」というニュースが流れることからはじまります。 歌舞伎町をさまよっていた帆高は、いわゆる黒服の店員から蹴られた拍子に、ごみ箱に入っていた一丁の銃を手にします。 「 だれも発砲することを考えもしないのであれば、弾を装填したライフルを舞台上に置いてはいけない。 」 こう述べたのは、ロシアの劇作家のアントン・チェーホフ。 つまり、かりに物語に拳銃がでてきたら、それは発射されなくてはいけない、ということです。 ここから逆に、 「だれが・いつ・どこで・発砲するか」をみることで、作品の核心部にせまることができます。 そして最初に引き金を引いたのは、やはり帆高でした。 過ちとしての最初の正義:帆高 帆高は歌舞伎町で、陽菜が黒服に言い寄られ、入店させられそうになっているところを目撃します。 しかし、隘路で挟み撃ちにされた帆高は、黒服にマウントをとられてしまいます。 一方的に殴りつけられる帆高。 そこで陽菜を逃すべくとった行動が、懐に忍ばせた銃を発射することでした。 実弾に及び腰となった黒服の隙をついて、今度は陽菜が帆高の手をとり、 天気を晴れにする力を得た鳥居のあるビル(モデルは代々木会館)に連れていきます。 意外なことに、そこで帆高は陽菜にこっぴどく叱られます。 彼女はお金を稼ぐために、自分の意志で入店を希望していたのです。 本来なら少女を救ってヒーローになる場面。 新海監督はあえて銃の1発目を誤射(挫折)するように仕むけ、 「少年が非力な少女を救う」という王道の正義を退けます。 その場面に移るまえに、拳銃をもつ別の存在にも目をむけてみましょう。 権力の正義:安井と高井 帆高が黒服に対して弾を放った様子は、防犯カメラに撮られていました。 刑事の安井と高井は、押収から逃れた拳銃があることを知り、帆高の行方を捜します。 とはいっても相手は未成年。 安易に銃を抜くことは許されません。 銃口を突きつけることがあるとすれば、よほどの事態であるはずです。 結論からいいますと、それは 「少女」ではなく「国」の危機に対処するための正義です。 帆高は、陽菜と彼女の弟の凪と逃亡したさきのホテルで、幸せな一夜を過ごした翌朝、安井と高井に捕らえられてしまいます。 みると陽菜の姿がありません。 彼女は天気を晴れにする力と引き換えに、みずからの存在が消えてゆくことを帆高に告げていました。 しかし帆高は、陽菜にもう一度会いたいと願います。 これは国からすると反逆にも近しい姿勢です。 もちろん、安井も高井も「陽菜が天候を左右する人柱」などと供述する帆高のことを信じてはいません。 ただ、警察署から脱走した帆高が、陽菜を取りもどそうとする行動に結果的に立ちはだかる存在であることを考えますと、彼らが守っているのは国であり、その社会であることがわかります。 だから、 鳥居のビルで相対したときに、たかがひとりの少年にむけて、安井と高井は銃を抜くのです。 常識の正義:須賀 C 2019「天気の子」製作委員会 一方で、銃声はパトカーがビルを囲んで、安井と高井が駆けつけるまえに鳴りひびいていました。 その相手は、帆高が編集プロダクションで世話になった須賀です。 須賀は亡くした妻とのあいだの子の養育権をとるために、警察沙汰は避けなければならない立場にいました。 妻の面影をのこす愛娘を手放したくないがゆえの行動。 帆高へは「事情を話せばわかる」といい、刑事には「まだ子どもなんですから」となだめる須賀。 この大人の立ち回りは、「常識の正義」といえるでしょう。 帆高はしかしながら、そこで発砲するのです。 そんな大人の正義を撃ちぬいて。 真理としての2度目の正義:帆高 その2発目の引き金は、力強い意志のもとで、間違うことなく引かれています。 最初に発砲した場面での陽菜との「再会」もそうですが、 2度目というのは偶然が運命に変わる瞬間としてとらえられます。 別の言い方をすれば、「 2度目に真理は語られる」ということです。 新海監督のメッセージは、 あるいは全正義とは、「2度目の銃声」に聞くことができます。 台詞でいえば「 青空よりも陽菜がいい」という愛の告白です。 まとめ【賛否のラストを解く】 C 2019「天気の子」製作委員会 ふたりの愛を、それ以外のどんな正義よりも優先させるのか。 晴れ間を見なくなった東京が水没してもいいのか。 当然、この「 正義の行使としての愛」が、新海監督が今回仕かけた議論となります。 新海監督は映画公式パンフレットで「天気なんて狂ったまんまでいいんだ!」と叫ぶ話が、企画の最初の核となったことを語っています。 やりたかったのは、少年が自分自身で狂った世界を選び取る話。 別の言い方をすれば、調和を取り戻す物語はやめようと思ったんです。 (公式パンフレットより) 本作は「世界を諦める」ではなくて「世界を選びとる」話だというのです。 それをたしかめるために、他の正義が選ばれた世界を想像してみましょう。 まず 「権力の正義」の世界。 これこそ、いま多くの人々が諦念を抱いている国政を反映し、ただ現状をなぞるだけです。 つぎに「常識の正義」が勝った世界はどうでしょう。 須賀は最後には帆高のために動いたようにみえますが、その帆高をいいように使い捨てしたことからもわかるように、基本的には自分のために生きる人間です。 そんな大人が巣くう社会に、女子大生の夏美は就職活動で落ちつづけ、どうやら仲間入りできそうにありません。 帆高や陽菜だけでなく、夏美もこの社会(大人の常識がうずまく世界)で居場所がない若者のひとりです。 唯一、署から脱走した帆高をカブに乗せて、カーチェイスを繰り広げるシーンだけが、自分の「役割」を意識するところです。 夏美は「銃の運び屋」の機能を担い、間接的にも「世界を自分で選びとる」行動にでました。 新海監督が導いたラストは、「 調和が戻らない世界を前提にしても、個々人がなにかをよすがに生きられる可能性」に光を当てています。 「愛は地球を救う」というスローガンに対し、「救われることのない地球で、愛は人を救う」といったほうが、どれほど現実的で、希望を秘めているでしょうか。 僕が描きたいのは、いつも個人の願いの物語です。 (「月間ニュータイプ」2019年8月号 P17) そういう新海監督は、セカイ系の系譜に位置づけられながら、たしかに個の願いのさきに、世界が哀しくも美しく開けていく様子を描いてきました。 そもそも帆高が、2発目の弾を放って鳥居をくぐり、陽菜と再び会うことができたのは、強く願い、強く祈ったからです。 その正義としての愛の行使は、世界を終焉に導くのではなく、「他者」に無限の祈りと愛を捧げることをもって、その果てをどこまでも広げていくものです。 帆高も陽菜もお互いへの思いに突き動かされて行動するけれど、それは恋心というよりは、あの年代の人間が初めて真剣に他者を知りたいと思う、誰かを強く希求する気持ちがベースです。 (公式パンフレットより) セカイの内にいながら、閉塞感を打ち破り、未知なるものを志向できるか。 新海監督は「他者」との関係を『君の名は。 』よりも明確に描ききることで、「 きみとぼく」のあいだにあって、かつ「きみとぼく」を超えていくもの、すなわち「愛にできること」を提示してくれました。 これが令和という時代に贈られるべき1本であることは、間違いありません。 そのことは、『天気の子』までの新海誠を論じた連載コラム「新海誠から考える令和の想像力」にも詳述しており、よろしければそちらもご覧ください。

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天気の子の結末|ラストシーンの陽菜の祈りの内容と謎とその後続編!|MoviesLABO

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良かったけど「君の名は。 」ほどでは無かった 「君の名は。 」東京と飛騨という都会と田舎の風景を交互に出すことで抑揚が付いてたけど今作は東京だけだったので変化に欠けたのと、占い師への取材で占いのおばさんが壮大なネタバレしてたんで、晴れ女やり出してからの展開が読めてしまって、「君の名は。 」ほどの意外感が少なくあっさりした感じ。 巫女として人柱になった陽菜ちゃん取り戻すのも障壁が警察の取締ってのが妙に生々しくてリアルすぎるのとそれ突破したらあっさり陽菜ちゃん帰って来ちゃうし、最後も保護観察終えて東京に来たら会えましたってのも盛り上がりに欠ける。 時空列がズレた出会いで三葉を村の人を助けようと奔走し、記憶を無くしたあとの再会という「君の名は。 」ほどのカタルシスは得られなかった。 観客の年齢層や性別で印象がかなり違いそう。 ストーリー全体を通して「動き」や「見せ場」となる盛り上がるポイント極めて少なくて退屈だったかな。 ラストの結末も含めて前作とは真逆でストーリーが全体的に「消極的」な感じで特に面白くもないし感動する話でもなかった。 意外性も謎(前作で言えば、途中で何故入れ替わりが途切れたのか、観客の動揺をちらつかせる様な点)も特になく、物語の世界観に奥行きも感じられず絵と音楽と前作の評価だけで興行収入が保ててるだけの映画って感じ。 あと申し訳ないが、控えめに言っても大勢のスタッフを含めた大の大人が何十人もいるような製作チームを束ねた監督が3年間本気でやってこのレベルは致命的とすら感じましたね。 だって結末の賛否云々の議論以前に話が全体として本当に面白くないんだもん。。

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