真壁 祇園祭。 五所駒瀧神社

五所駒瀧神社

真壁 祇園祭

「祭頭囃」は03月14日(土)か~。 少子化や働き方が時代共に変化し、必ずしも祭りが最優先ではない時代になっています。 祭りの文化継承、後継者の育成を目的に、鹿島神宮の祭頭祭は主たる行事は03月09日に残したまま、「祭頭囃」などの行事を土曜日指定に変更させました。 (令和02年の祭頭祭は、コロナウイルスの影響で、行事全般に変更が入りました) 真壁祇園祭では、祭りに参加する者をこれ以上減らさないためにも、後継者の育成のためにも、現在真壁町内では五所駒瀧神社(ごしょこまがたきじんじゃ)に対し、「日程の調整ができないか」を要請しています。 「故郷は遠きにありて思うもの」とは言いますが、歳を取れば取るほど故郷への愛着は深まるばかり。 サイト開催当初は茨城県県南地域(土浦市・つくば市)を中心に活動を広げていましたが、現在では県央、県北、鹿行と活動の幅を広げています。 時には茨城県を飛び越え、常磐線つながりで「常磐線旧トンネル(廃トンネル)」を福島県まで求めたり、廃線となった筑波鉄道を散策したり。 日立電鉄廃線の時には、最終列車に乗ったりします。 祭り好き、花火好き、山車好き。 茨城県の第一人者になるべく、足を使った泥臭い取材を心がけていく、「いばらき だいすき」なサイトです。 将来の夢は茨城県で一花、いや、たくさんの咲かせること。 故郷に錦を飾る予定です。

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五所駒瀧神社

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21 善光寺表参道夏祭り 投稿:池田 正義 さん お祭り開催日:7月1日 日 長野県長野市 善光寺表参道 中央通り 《善光寺表参道夏祭り》 お陰様で今年11回目になります。 今回はエリアを拡大しました! 『大門交差点~かるかや山交差点』間です。 出店ブースも増えました!! 開催内容の一部をご紹介します。 善睦の神輿2基が11時30分に善光寺山門にて奉納します。 (神輿の同好会さん募集中です) その後、中央通りにて渡行します。 セントラルスクエアのメインステージでは各種ダンスチーム等による様々なパフォーマンスが繰り広げられます。 子供達が喜びそうな車両の展示も有り、警察車両、自衛隊の特集車両、消防自動車の展示、バイクの展示が入ります。 もんぜんプラザ前には路上パフォーマンスの場所になります。 こちらもダンス等をやります。 美術専門学校による似顔絵書き。 その他、中央通り全体にフリーマーケット、飲食店によるブースなど沢山の催し物があります。 皆様、是非遊びに来て下さい。 盛り上がって楽しみましょ! 昭和61年に「五所駒瀧神社の祭事」として記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されています。 華やかに飾られた4台の山車が真壁の古い町並みを練り廻ります。 (五所駒瀧神社で見学できます:写真中央) 先頭に町名の入った高張提灯を持つ若衆が歩き、先導役の猿田彦、宮司、当番町の警護する神輿、その後を神社総代、各町の幹事・幹部が続きます。 13か所の決められた場所、決められた時間で休憩をとりながら、御仮屋となる神武天皇遥拝殿に向います。 休憩所は庭と呼ばれ、昔は市が開かれていた所と言われています。 ここで祝詞の奉上があります。 休憩の間、幹事、月番は座って休むことはできません。 また、雨が降っても傘をさすこともできません。 神様が御仮屋に安置されます(真壁伝承館隣りの神武天皇遥拝殿) 神輿が無事御仮屋へ到着すると、神官そして当番長による挨拶があります。 山車は若衆頭によって笛や提灯ひとつで規則正しく運行されます。 真壁の山車は勇壮さの中にもきちんとした規律が守られていることを誇りとしているのです。 この日の山車は、それぞれ自分の町内で神輿を先導します。 山車の入れ替わりもみどころの一つです。 また、神様のお還りを惜しみ、各町の山車が神輿の行く手を阻もうとするのもみどころです。 その序列制度や祭祀組織は年齢階梯制と対応しており、貴重な町場の祭祀組織の特色として認められ、昭和61年に「五所駒瀧神社の祭事」として記録作成等の措置を講ずべき、国の無形民俗文化財に選択されました。

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もっちもち♪真壁のよねまんじゅう

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この記事の目次• 五所駒瀧神社に存在する 初代城主 真壁長幹の知られざる誕生秘話 まず最初に訪れたのは「五所駒瀧神社」(ごしょこまがたきじんじゃ)です。 五所駒瀧神社には、この地を治めた真壁氏の初代城主、真壁長幹(たけもと)にまつわる伝説が存在するといいます。 平安時代末期に創建されたとされるこの神社は、JR岩瀬駅から車で約18分の場所に位置しています。 「真壁消防署前」という交差点から石岡方面に県道7号線を進んだ先に、「五所駒瀧神社入口」と書いた看板があり、そこから細い小道に入ります。 少し歩くと、五所駒瀧神社と書かれた鳥居が見えてきました。 鳥居をくぐった先にある社殿の目の前には立派な燈籠が立っており、さすが石仏の町らしいなと感じました。 社殿の横には神輿庫が建っています。 この倉庫は祭礼の1つ、真壁祇園祭で使用する神輿のためのものです。 400年もの歴史を持つこの祭りは、年齢階梯制(ねんれいかいていせい)となっている序列制度や祭祀組織を認められ、1986年に「記録作成等の措置を講ずべき国の無形民俗文化財」に選択された、 由緒正しいお祭りです。 毎年7月23日~26日にかけて行われます。 さて、社殿を背にまっすぐ歩くと、道の両脇には様々な石像が置かれているのが目に入ります。 数ある石像の1つに真壁長幹の誕生にまつわる伝説を物語っているものがあるのです。 物語は長幹が生まれてすぐに行方不明になってしまったことに始まります。 捜索の後山の中で長幹は発見されますが、発見された時山の麓にあった滝の中から2頭の馬が現れ、2頭が駆けた足跡から大木が生い茂ったそうです。 2頭の馬の足跡とされるのがこちら。 2頭の馬が現れた滝の上に「駒下滝の明神」と名付けられた宮社が建てられたことが、現在の五所駒瀧神社の起源となっているそうです。 ぜひ伝説をその目で確かめてみてください。 kankou-sakuragawa. html 城下町であった真壁 その発展の始まり 国指定史跡真壁城跡を見渡す 次に向かったのは、城下町として発展した真壁の始まりの地、真壁城跡。 真壁伝承館からは徒歩12分ほどで、市立体育館の横に位置しています。 初代真壁長幹(たけもと)がこの地の郡司として真壁に移り住んだのが平安時代の末。 真壁城が築かれたのは1558~1570年、第17代真壁久幹(ひさもと)によるものと推定されています。 その土地は南北約400m、東西約850mに広がり、本丸、二の丸、中城、外曲軸の4エリアに分かれていました。 複雑に屈曲する堀と土塁は、鉄砲戦に備えられた要塞であったようです。 写真手前と奥の緑が深く暗く入り込んでいる部分が堀で、高いところからはその保存の良さを見渡すことが出来ます。 城跡の広大さは、かつてここに城が立っていた雄大な情景を想像させました。 この城は戦国時代関ケ原の合戦の後、19代真壁房幹(ふさもと)が1602年秋田角館(かくのだて)に移ったことで約400年の繁栄の歴史に幕を閉じ、廃城となります。 現在は当時の建物などは残っていませんが、土塁や堀などが良好な状態で残されていることから、約12. 5haの敷地面積が1994年に国史跡の指定を受けました。 城内からは庭園跡や宴会に使用する土器なども発見されておりますが、真壁氏のような中小武士の城から見つかることは珍しく、真壁城の文化機能の高さがわかります。 現在も発掘作業が行われているため、跡地にはシートが引かれているところもあります。 出土品は真壁伝承館にて展示されているので、併せて訪れてみてくださいね。 その足で歴史ある土地をぜひ踏みしめてみてください。 kankou-sakuragawa. html 400年以上の歴史の終着点へ 県指定文化財真壁氏累代の墓碑群 最後に、真壁氏のこの地での終着点を表すともいえる、真壁氏累代墓地及び墓碑群を訪れました。 五所駒瀧神社から徒歩5分ほどで、山尾遍照院(やまおへんしょういん)の隣に位置しています。 こちらがその偏照院。 遍照院の隣には町指定文化財彫刻である大自在天尊像唐金造(だいじざいてんそんぞうからかねつくり)が建っていました。 山尾偏照院を正面に見た右手に階段があり、そこから墓碑群に行くことが出来ます。 こちらがその入口です。 茨城県の指定文化財にも登録されています。 江戸開幕以降の墓地の荒廃、幾度の火災により、現在38基の墓碑が残っています。 ずらっと立ち並ぶ石碑の風景は荘厳な雰囲気が漂っていました。 この石碑の形は「五輪塔」という種類です。。 墓碑群の石碑はすべてこの種類のものです。 五輪塔は鎌倉時代から室町時代にかけて、なんとお墓の8割以上をしめたデザインだったそうです。 五輪は地水火風空という宇宙を構成する五大要素を表し、同時に死者を成仏させ、極楽浄土へ往生させるという意味を持つといいます。 また、真壁の地には鎌倉初期から室町・戦国時代にかけての石碑が多く残され、また良質な石の産地でもあることから、約500年前から今の真壁の産業の1つである石材業が始まったとされています。 真壁氏がこの地で繁栄した約400年の歴史の流れを感じてみてください。 kankou-sakuragawa. html 真壁氏の歴史から読み解く、桜川市真壁の始まりを知る歴史旅いかがだったでしょうか。 名所を巡る前に、案外忘れ去られがちな町のルーツを知ることは欠かせません。 ぜひ、真壁の歴史の流れを感じてみてくださいね。

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