縁起 仏教。 仏教伝来

十二因縁(じゅうにいんねん)とは

縁起 仏教

縁起の意味とは|縁起が悪いなど普段使う言葉の由来 縁起とは仏教の根本的な教えであり、この世のあらゆるモノや現象を成り立ちに関する考え方です。 現在では物事の吉凶を表現する言葉などとして使われますが、本来はそういう意味ではありませんでした。 仏教においては縁起の意味がわかると、この世のあらゆる苦しみから解放される一歩となります。 とても大事な教えです。 今回は、縁起の意味について、仏教の教えを中心に解説します。 ちなみに、縁起が悪いや縁起を担ぐという現在一般的に使われる縁起の考え方は仏教側では否定的です。 それらについても詳しく解説していきます。 縁起の意味 まず縁起という言葉の意味について、一般的に使われ、国語辞典などにも載っているものから先に解説いたします。 初夢で、「一富士二鷹三茄子」を見ることができれば縁起が良いと言われますが、何か起きたことに対して、その次の出来事の良い・悪い結果を暗示していると考える場合など「縁起」という言葉が使われます。 最近では良くルーティンという言葉で表現されることもありますが、良い結果につながるための準備的な行動を「縁起を担ぐ」とも表現します。 何かの出来事、行動が次の行動に良い・悪い影響を与えるという考え方です。 いずれも仏教の縁起という言葉を由来とした考え方と言えます。 しかし現在、縁起を担ぐや縁起が良い・縁起が悪いなどで表現するもの事は迷信めいたことが多くあり実際に物事の結果に作用するかどうかはわかりません。 そういう点で仏教での縁起とは意味が違います。 縁起がいい日に対する仏教側の見解 日本には、暦の上で縁起がいい日、縁起が悪い日というものが存在しています。 のや、の・や、干支のや、、…などなど その日に特定の物事をすることは良くない結果を生むや、その日に何かを始めると良い結果に恵まれるなど言われるものです。 これらはあくまで科学的根拠はない迷信めいたものとされてはいますが、日本では奈良時代以前から物事の判断に日の吉凶を見るということが行われてきました。 六曜の仏滅は、仏という漢字が入っていることもあるので、仏教に関係があるものと思われそうですが、実は全く関係がありません。 日本で最も信仰される仏教宗派の浄土真宗の開祖 親鸞はその著書で、「日の吉凶を見ることは良くない」とはっきり仰っています。 仏教側では縁起がいい日・悪い日については否定的な意見もあるのですが、二十八宿という暦注は空海が日本に持って来たとされる、仏教の宿曜経というお経が由来となっているので、縁起のいい日というものに仏教の影響が無いとはいえません。 六曜や仏滅、二十八宿の歴史やそれぞれの意味などについてはこちらをご覧ください。 由来を意味する縁起 縁起という言葉は神社や仏閣の起源、由来を意味する時にも使われます。 これも仏教の教えに通じるものがあります。 しかし仏教用語としての縁起はさらに深い意味を持ち、この世の本当の姿を意味する言葉です。 また縁起という教えを理解することによって、この世のあらゆる苦しみから解放される一歩となると仏教では教えます。 縁起は縁起の法や縁起の理とも言われます。 縁起はこの世のを意味する大事な言葉です。 この色んな因と縁が集まって、関係しあって、何かが成り立っているということが縁起です。 因と縁とは、私たちやスマホなどを成り立たせている原因となるものです。 例えば私たちという存在は、親という存在がいてこの世に生を受けました。 そして、食べ物を食べ、教育を受け、友達や先生などとの出会いがあって、住んでいた町や訪れた都市という周りの環境があって成長し現在に至ります。 因とは私たちで考えると、親のような 直接的な原因を意味します。 縁とは私たちで考えると、食べ物や周りの環境のような 間接的な原因を意味します。 パソコンやスマートフォンはそれを作る材料 因 があって、それを作る会社や人 縁 があって存在します。 そんなようにあらゆるモノも現象も、色んな直接・関節的な原因、つまり因縁があって今ここに存在しています。 これはこの世のあらゆる事柄に適応される、絶対に変わらないルールです。 この絶対的なルールのことを 真理といいます。 私たちが因縁から成り立っていることと同様に、仏様も、神様も因縁から成り立っていると仏教では説きます。 例外はありません。 縁起という真理がわかると、 私たちの人生の苦しみから解放されるとお釈迦様は説いたのですがそれはどういつことなのか以下で具体的に解説していきます。 縁起がこの世の真理という仏教の教え あらゆる事柄が縁起によって生じているということは、裏を返すと、私たちやパソコンやスマートフォンには、 実体がないということになります。 実体がないと言うのは、どんな存在も単体で成り立っていることはなく、何からも影響を受けないものはない。 つまり何かしらの因と縁によって成り立っているということです。 このことを仏教用語でと言います。 あらゆる存在は絶対に因と縁によって生じていて、実体があるものは存在しないということをと言います。 どんな存在も単体で成り立っていないということは、色んな因と縁によって影響を受けます。 すると永遠不変のものはない、必ず影響を受けながら変化していくと考えます。 このことを仏教用語で無常と言います。 あらゆる因と縁によって形成されたものが無常であるということをと言います。 縁起という教えが根本にある、 諸法無我と 諸行無常は 仏教の最も大事な3つの教えの内の2つであり苦しみから解放されるための重要なキーワードになるので、ぜひ縁起の意味と共に覚えていてください。 自分が老けていく姿を見て苦しいと思ったり、愛する人や大切な何かを失うと苦しいと感じるのは、 若い時の自分の姿や周りの人、モノに対して、 愛するという感情や わがものという感情があるからこそ生まれるのです。 どうでもいいモノが無くなってもあまり苦しいと思わないでしょう。 大事な自分の何かが失われるからこそ苦しみが生まれるというのは納得できます。 この世のあらゆる事柄が 縁起で成り立っている考え方で、愛する人やモノを捉え直してみます。 つまり、自分の体も、愛するなにかも、すべての存在は実体がなく、どんなに努力しても変わっていくことは止められず、いつかは亡くなったり、失われたりするものであると言うのです。 このことを理解をしていれば、自分の老化も愛する人やモノとの別れも当たり前のこととして理解できます。 するとそれらに対する執着する心が無くなります。 執着する心が無くなれば、この世の苦しみから解放されるというのです。 ここに書かれていることは、当たり前に皆さん知っていることですし、これらを読んで苦しみから解放されたという人はいないと思います。 ただ知っているということでは苦しみから解放はされません。 苦しみから解放される状態になるためには、この縁起という教えを本当の意味で理解し、常にそのことを覚悟している必要があるとお釈迦様は教えました。 もし、いつかは老いていくことも、いつかは死ぬことも常に覚悟できている状態であるとしたら、覚悟していない状態よりも苦しいという感情はないような気がしませんか? 完全にそのことを覚悟できている状態にない人にとっては、中々想像しづらいものですが、苦しみから解放されると言うのは縁起というこの世の逆らえないルールに対する覚悟を常に持っているようなものだというのです。 縁起というこの世の真理を理解し、あらゆるものは無常であり無我であるということ、諸行無常と諸法無我が本当の意味で理解できるというのは早々簡単にできることではないのですね。 あまりに大事だったこともあって、縁起という真理はたくさんの頭のいい人の考察によって、たくさんの解釈がなされ、たくさんの縁起説が生まれます。 十二縁起 十二因縁 、法界縁起、業感縁起等々、様々な縁起説は縁起という教えを発展させたもので、それらは少し複雑です。 例えば、十二縁起はこの世の苦しみの原因とは何かを縁起という真理に則って考え、その根本的な原因をであると教えます。 この無明の教え自体は、シンプルでわかりやすく、お釈迦様が実際に説いた教えとされますが、後の世ではこの十二縁起も難しい解釈がなされ、「三世両重の因果」という教えに発展します。 それらについてはここで解説すると長くなりますので、割愛いたしますが、本来は仏教の教えはとてもシンプルなものであり、理解することは難しくなく、とても面白いものであると知っていただければと思います。 十二縁起という教えにおいて、苦しみの原因となる無明についてはこちらで詳しく解説しています。 縁起は因縁生起の略語 縁起という言葉は、因縁生起という言葉を省略した言葉です。 因と 縁からあらゆる存在が 生成され、現象が 起きているということです。 私たちの存在が因と縁で成り立っているという考え方だけでなく、 善い行動が原 因となって、 善い結 果に結びついたり、 仏教では善因善果と言われる 悪い行動が原 因となって、 悪い結 果に結びついたりと、 仏教では悪因悪果と言われる あらゆる物事にこの因縁生起という考えは適応されます。 因果というのも、この縁起から生まれた考え方ですね。 因縁と言う言葉の意味についてはこちらで詳しく解説しています。 縁起がわかると慈悲が生まれる 縁起を理解することは苦しみから解放されるだけでなく、慈悲の心が芽生え、あらゆる人やモノに対する慈しみ・愛する心が生まれることにつながります。 自分という人間が存在しているのは、両親や祖父母、友人、これまで食べて来た食べ物、様々な因と縁で成り立っています。 自分の目に見える、意識できる範囲だけでも、たくさんの因と縁によって成り立っていると理解できますし、私たちが意識できない範囲でもたくさんの存在によって、私たちは成り立っています。 自分という存在は唯一無二の、単体で存在するようなものではないと理解でき、周りの人達や、周りの環境に感謝する気持ちが生まれます。 この考えをさらに深めると、自分という存在は、周りと区別されるような存在ではないと考え、周りも自分と同様に大切なモノ、 周りだって自分と同様に大事にしないといけないという慈悲が生まれるというのです。 この説明だけでは慈悲が生まれる意味があまりイメージできないかもしれませんので、それらについて詳しくまとめた諸法無我のページをぜひご覧ください。 東大で仏教の講義をされるお笑い芸人さんによる、実体がないということはどういうことなのか、そしてそこから慈悲が生まれる理由をイメージできる例を引用して解説していますのでぜひご覧ください。 また、諸行無常についてはこちらで詳しく解説しています。 ご縁という意味での縁起 ご縁という言葉も、ここまで見てきた方ならわかると思いますが、縁起という仏教の思想から生まれた考え方です。 仏教由来と意識されないほど、私たちの生活に深く根差した考え方とも言える「ご縁」 私たちが色んな人と出会ったり、色んなモノ・場所などと出会うことをご縁と言いますが、これら様々な小さな出会いも含めすべては私たちを形作っているものです。 一期一会という言葉も、縁起の意味を知って、たった一度の出会いが今の私たちを形作っていると考えると、より味わい深いものになりませんか。 今回は少し手短に縁起という言葉について解説いたしましたが、縁起は日本で最も読まれているお経のの「 空」という概念や、という仏教の根本的な教えにも関わってくるものです。 縁起という教えから少し興味が湧いた方は、ぜひそれらについても読んでみていただければと思います。 般若心経と四諦についてはそれぞれこちらで詳しく解説しています。 また真理という言葉についてはこちらで詳しく解説しています。

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仏教の悟りを開くってどういうこと?【縁起】

縁起 仏教

縁起の意味とは|縁起が悪いなど普段使う言葉の由来 縁起とは仏教の根本的な教えであり、この世のあらゆるモノや現象を成り立ちに関する考え方です。 現在では物事の吉凶を表現する言葉などとして使われますが、本来はそういう意味ではありませんでした。 仏教においては縁起の意味がわかると、この世のあらゆる苦しみから解放される一歩となります。 とても大事な教えです。 今回は、縁起の意味について、仏教の教えを中心に解説します。 ちなみに、縁起が悪いや縁起を担ぐという現在一般的に使われる縁起の考え方は仏教側では否定的です。 それらについても詳しく解説していきます。 縁起の意味 まず縁起という言葉の意味について、一般的に使われ、国語辞典などにも載っているものから先に解説いたします。 初夢で、「一富士二鷹三茄子」を見ることができれば縁起が良いと言われますが、何か起きたことに対して、その次の出来事の良い・悪い結果を暗示していると考える場合など「縁起」という言葉が使われます。 最近では良くルーティンという言葉で表現されることもありますが、良い結果につながるための準備的な行動を「縁起を担ぐ」とも表現します。 何かの出来事、行動が次の行動に良い・悪い影響を与えるという考え方です。 いずれも仏教の縁起という言葉を由来とした考え方と言えます。 しかし現在、縁起を担ぐや縁起が良い・縁起が悪いなどで表現するもの事は迷信めいたことが多くあり実際に物事の結果に作用するかどうかはわかりません。 そういう点で仏教での縁起とは意味が違います。 縁起がいい日に対する仏教側の見解 日本には、暦の上で縁起がいい日、縁起が悪い日というものが存在しています。 のや、の・や、干支のや、、…などなど その日に特定の物事をすることは良くない結果を生むや、その日に何かを始めると良い結果に恵まれるなど言われるものです。 これらはあくまで科学的根拠はない迷信めいたものとされてはいますが、日本では奈良時代以前から物事の判断に日の吉凶を見るということが行われてきました。 六曜の仏滅は、仏という漢字が入っていることもあるので、仏教に関係があるものと思われそうですが、実は全く関係がありません。 日本で最も信仰される仏教宗派の浄土真宗の開祖 親鸞はその著書で、「日の吉凶を見ることは良くない」とはっきり仰っています。 仏教側では縁起がいい日・悪い日については否定的な意見もあるのですが、二十八宿という暦注は空海が日本に持って来たとされる、仏教の宿曜経というお経が由来となっているので、縁起のいい日というものに仏教の影響が無いとはいえません。 六曜や仏滅、二十八宿の歴史やそれぞれの意味などについてはこちらをご覧ください。 由来を意味する縁起 縁起という言葉は神社や仏閣の起源、由来を意味する時にも使われます。 これも仏教の教えに通じるものがあります。 しかし仏教用語としての縁起はさらに深い意味を持ち、この世の本当の姿を意味する言葉です。 また縁起という教えを理解することによって、この世のあらゆる苦しみから解放される一歩となると仏教では教えます。 縁起は縁起の法や縁起の理とも言われます。 縁起はこの世のを意味する大事な言葉です。 この色んな因と縁が集まって、関係しあって、何かが成り立っているということが縁起です。 因と縁とは、私たちやスマホなどを成り立たせている原因となるものです。 例えば私たちという存在は、親という存在がいてこの世に生を受けました。 そして、食べ物を食べ、教育を受け、友達や先生などとの出会いがあって、住んでいた町や訪れた都市という周りの環境があって成長し現在に至ります。 因とは私たちで考えると、親のような 直接的な原因を意味します。 縁とは私たちで考えると、食べ物や周りの環境のような 間接的な原因を意味します。 パソコンやスマートフォンはそれを作る材料 因 があって、それを作る会社や人 縁 があって存在します。 そんなようにあらゆるモノも現象も、色んな直接・関節的な原因、つまり因縁があって今ここに存在しています。 これはこの世のあらゆる事柄に適応される、絶対に変わらないルールです。 この絶対的なルールのことを 真理といいます。 私たちが因縁から成り立っていることと同様に、仏様も、神様も因縁から成り立っていると仏教では説きます。 例外はありません。 縁起という真理がわかると、 私たちの人生の苦しみから解放されるとお釈迦様は説いたのですがそれはどういつことなのか以下で具体的に解説していきます。 縁起がこの世の真理という仏教の教え あらゆる事柄が縁起によって生じているということは、裏を返すと、私たちやパソコンやスマートフォンには、 実体がないということになります。 実体がないと言うのは、どんな存在も単体で成り立っていることはなく、何からも影響を受けないものはない。 つまり何かしらの因と縁によって成り立っているということです。 このことを仏教用語でと言います。 あらゆる存在は絶対に因と縁によって生じていて、実体があるものは存在しないということをと言います。 どんな存在も単体で成り立っていないということは、色んな因と縁によって影響を受けます。 すると永遠不変のものはない、必ず影響を受けながら変化していくと考えます。 このことを仏教用語で無常と言います。 あらゆる因と縁によって形成されたものが無常であるということをと言います。 縁起という教えが根本にある、 諸法無我と 諸行無常は 仏教の最も大事な3つの教えの内の2つであり苦しみから解放されるための重要なキーワードになるので、ぜひ縁起の意味と共に覚えていてください。 自分が老けていく姿を見て苦しいと思ったり、愛する人や大切な何かを失うと苦しいと感じるのは、 若い時の自分の姿や周りの人、モノに対して、 愛するという感情や わがものという感情があるからこそ生まれるのです。 どうでもいいモノが無くなってもあまり苦しいと思わないでしょう。 大事な自分の何かが失われるからこそ苦しみが生まれるというのは納得できます。 この世のあらゆる事柄が 縁起で成り立っている考え方で、愛する人やモノを捉え直してみます。 つまり、自分の体も、愛するなにかも、すべての存在は実体がなく、どんなに努力しても変わっていくことは止められず、いつかは亡くなったり、失われたりするものであると言うのです。 このことを理解をしていれば、自分の老化も愛する人やモノとの別れも当たり前のこととして理解できます。 するとそれらに対する執着する心が無くなります。 執着する心が無くなれば、この世の苦しみから解放されるというのです。 ここに書かれていることは、当たり前に皆さん知っていることですし、これらを読んで苦しみから解放されたという人はいないと思います。 ただ知っているということでは苦しみから解放はされません。 苦しみから解放される状態になるためには、この縁起という教えを本当の意味で理解し、常にそのことを覚悟している必要があるとお釈迦様は教えました。 もし、いつかは老いていくことも、いつかは死ぬことも常に覚悟できている状態であるとしたら、覚悟していない状態よりも苦しいという感情はないような気がしませんか? 完全にそのことを覚悟できている状態にない人にとっては、中々想像しづらいものですが、苦しみから解放されると言うのは縁起というこの世の逆らえないルールに対する覚悟を常に持っているようなものだというのです。 縁起というこの世の真理を理解し、あらゆるものは無常であり無我であるということ、諸行無常と諸法無我が本当の意味で理解できるというのは早々簡単にできることではないのですね。 あまりに大事だったこともあって、縁起という真理はたくさんの頭のいい人の考察によって、たくさんの解釈がなされ、たくさんの縁起説が生まれます。 十二縁起 十二因縁 、法界縁起、業感縁起等々、様々な縁起説は縁起という教えを発展させたもので、それらは少し複雑です。 例えば、十二縁起はこの世の苦しみの原因とは何かを縁起という真理に則って考え、その根本的な原因をであると教えます。 この無明の教え自体は、シンプルでわかりやすく、お釈迦様が実際に説いた教えとされますが、後の世ではこの十二縁起も難しい解釈がなされ、「三世両重の因果」という教えに発展します。 それらについてはここで解説すると長くなりますので、割愛いたしますが、本来は仏教の教えはとてもシンプルなものであり、理解することは難しくなく、とても面白いものであると知っていただければと思います。 十二縁起という教えにおいて、苦しみの原因となる無明についてはこちらで詳しく解説しています。 縁起は因縁生起の略語 縁起という言葉は、因縁生起という言葉を省略した言葉です。 因と 縁からあらゆる存在が 生成され、現象が 起きているということです。 私たちの存在が因と縁で成り立っているという考え方だけでなく、 善い行動が原 因となって、 善い結 果に結びついたり、 仏教では善因善果と言われる 悪い行動が原 因となって、 悪い結 果に結びついたりと、 仏教では悪因悪果と言われる あらゆる物事にこの因縁生起という考えは適応されます。 因果というのも、この縁起から生まれた考え方ですね。 因縁と言う言葉の意味についてはこちらで詳しく解説しています。 縁起がわかると慈悲が生まれる 縁起を理解することは苦しみから解放されるだけでなく、慈悲の心が芽生え、あらゆる人やモノに対する慈しみ・愛する心が生まれることにつながります。 自分という人間が存在しているのは、両親や祖父母、友人、これまで食べて来た食べ物、様々な因と縁で成り立っています。 自分の目に見える、意識できる範囲だけでも、たくさんの因と縁によって成り立っていると理解できますし、私たちが意識できない範囲でもたくさんの存在によって、私たちは成り立っています。 自分という存在は唯一無二の、単体で存在するようなものではないと理解でき、周りの人達や、周りの環境に感謝する気持ちが生まれます。 この考えをさらに深めると、自分という存在は、周りと区別されるような存在ではないと考え、周りも自分と同様に大切なモノ、 周りだって自分と同様に大事にしないといけないという慈悲が生まれるというのです。 この説明だけでは慈悲が生まれる意味があまりイメージできないかもしれませんので、それらについて詳しくまとめた諸法無我のページをぜひご覧ください。 東大で仏教の講義をされるお笑い芸人さんによる、実体がないということはどういうことなのか、そしてそこから慈悲が生まれる理由をイメージできる例を引用して解説していますのでぜひご覧ください。 また、諸行無常についてはこちらで詳しく解説しています。 ご縁という意味での縁起 ご縁という言葉も、ここまで見てきた方ならわかると思いますが、縁起という仏教の思想から生まれた考え方です。 仏教由来と意識されないほど、私たちの生活に深く根差した考え方とも言える「ご縁」 私たちが色んな人と出会ったり、色んなモノ・場所などと出会うことをご縁と言いますが、これら様々な小さな出会いも含めすべては私たちを形作っているものです。 一期一会という言葉も、縁起の意味を知って、たった一度の出会いが今の私たちを形作っていると考えると、より味わい深いものになりませんか。 今回は少し手短に縁起という言葉について解説いたしましたが、縁起は日本で最も読まれているお経のの「 空」という概念や、という仏教の根本的な教えにも関わってくるものです。 縁起という教えから少し興味が湧いた方は、ぜひそれらについても読んでみていただければと思います。 般若心経と四諦についてはそれぞれこちらで詳しく解説しています。 また真理という言葉についてはこちらで詳しく解説しています。

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法話「縁起 ~生かされているいのち~」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト

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サンスクリットpratitya-samut padaの意訳。 因縁生起 いんねんしょうき の略。 (1)仏教の根本思想の一つ。 (ダルマ)と同一視されていて,宇宙間の万物の生滅変化を貫く理法である。 前4世紀以後の部派仏教では,人間の幸不幸,社会生活における成否のすべてを,人間の行為( ごう )の結果とする業感 ごうかん 縁起を説き,最も狭義にはこれをさすこととなった。 唯識法相 ゆいしきほっそう では あらやしき に縁起の原理を求める頼耶縁起,〈大乗起信論〉では如来に原理を求める真如 しんにょ 縁起,を立て,華厳 けごん 系統では法界 ほっかい 縁起を説く。 また宇宙生成の要素である四大(地水火風)に空,識を加えたも説かれた。 (2)神社仏閣などの成立に関する説話,またその図巻などをいう。 1 仏教の中心思想の「縁起」。 2 神社仏閣などのいわゆる「いわれ」。 3 縁起がよい、縁起を担ぐ、などの「縁起」は日常的な迷信、などの類を含む。 ここでは 1 と 2 を説明する。 1 サンスクリット語のプラティートゥヤ・サムウトパーダprat tya-samutp daの訳語。 仏教のもっとも重要な中心思想とされる。 最初期は、われわれの現実を直視して、存在の一つ一つがつねに関係しているあり方を問う考えに基づき、たとえば老死は生まれることに縁 よ っておこり、あるいは苦は煩悩 ぼんのう におぼれる愛に縁り、または人間の根元的な無知(無明 むみょう )に縁っておこり、逆に煩悩の滅から苦が滅するなどと説かれ、やがてこの系列化が進められて、無明から老死に至る計12の項を数える縁起説がたてられた(十二縁起、十二支 し または十二因縁 いんねん )。 それが各項(支)を省いて、「これあればかれあり、これ生ずればかれ生ず、これなければかれなし、これ滅すればかれ滅す」ともいわれる。 ただし初期の諸経典には、その他の雑多な縁起説も混在している。 部派仏教では、その最大の説一切有部 せついっさいうぶ において、業 ごう の説が加わり、この十二支をわれわれの過去、未来、現在の三世にまたがるものとしてそれぞれに配分し、時間的な生起を中心に縁起説を解して、三世両重因果説をたてた。 そのほか、六因、四縁、五果を数え、因と縁との結合から果 か の生起するあり方を細かく考察する。 部派の諸説に異論を唱えて大乗仏教運動がおこり、とくにその最初に登場した『般若経 はんにゃきょう 』群の一切皆空 いっさいかいくう 説が名高い。 すなわち、いっさいのものはそれぞれ他のものを縁としてわれわれの前に現象しており、しかも各々が相互に依存しあっていて、その相依関係も相互肯定的や相互否定的(矛盾的)その他があり、こうしていかなるもの・ことも自性を有する存在(実体)ではない、いいかえれば空であり、しかも、そのあり方もいちおうの仮のものとして認められるにすぎないとし、そのことの悟りを中道とよんでいる。 そのあと、中期大乗仏教の一つに、あらゆる諸現象はわれわれの心の働きにほかならないとする唯識 ゆいしき 説があり、ここでは、その心による認識、心そのものについての詳しい分析を果たす過程のなかに縁起説を取り入れる。 すなわち、外界との縁起の関係のうえに活動する心に眼耳鼻舌身意の六識をあげ、それを統括する自我意識を末那識 まなしき といい、さらにそれをも包んでいっさいをしまい込んでおく阿頼耶識 あらやしき をたてる。 一方、この識から縁起の関係を通じて、いかにしていっさいが現象するか、また悟りに導かれるかが詳しく検討されている。 中期大乗仏教の他の一つは、われわれのうちに悟りを開く素質のあるべきことを考えて、如来蔵 にょらいぞう または仏性をたて、それは本来清浄なる心(自性清浄心 じしょうしょうじょうしん )に基づくとする。 これを如来蔵縁起とよんで、法性 ほっしょう 、真如 しんにょ などの説を展開した。 また密教では、地水火風空識の六大に縁っていっさいが展開するという六大縁起説を基盤とする。 [三枝充悳] 2 わが国における寺社の霊験 れいげん や由来沿革を説明したもの(因縁によって宇宙の事象が生起するという仏教語による)。 歴史的縁起と物語的縁起があり、あくまで中心は唱導を目的とした後者である。 前者は奈良期に諸大寺から撰上 せんじょう された『伽藍縁起并流記資財帳 がらんえんぎならびにるきしざいちょう 』のごとく、開創縁起およびその後の変遷と国家提出用の財産目録にすぎない。 これに対して庶民浄土教の流行する中世に入る12世紀末前後から、寺社霊験を語る後者が、念仏聖 ひじり や絵解き僧の唱導活動によって全国に拡大される。 内容は庶民啓蒙 けいもう のための誇張された物語的霊験譚 れいげんたん で、換言すれば叙事伝説といえる。 この伝説的寺社由来譚も古くからみえて、『日本書紀』欽明 きんめい 天皇14年条や『扶桑 ふそう 略記』同13年条、同書同32年条などがある。 中世に入る前後から、字の読めない庶民受容を容易にするため絵を伴う縁起が多くつくられ、絵解き芸能も盛んになる。 説話文学との関係も密になる。 このころは寺社の宣伝と庶民の信仰が呼応した絵巻縁起の最盛期である。 『石山寺 いしやまでら 縁起』『北野天神縁起』『當麻曼荼羅 たいままんだら 縁起』『春日権現験記絵 かすがごんげんけんきえ 』『信貴山 しぎさん 縁起』などが代表作品としてあげられよう。 『粉河寺 こかわでら 縁起』なども勧進 かんじん 僧によって書かれ、勧進の目的で制作された証 あかし であることを示す。 『一遍聖絵 いっぺんひじりえ 』『融通念仏 ゆうずうねんぶつ 縁起』その他の宗祖伝記絵も各宗派の宣伝の道具として、絵解きとともに用いられたものであろう。 浄土を説く『春日曼荼羅縁起』に類するものも多い。 [渡邊昭五] 『宇井伯寿著『仏教思想研究』(1943・岩波書店)』 【仏教】より …また欧米の宗教活動は,日本から伝わった禅,スリランカの(だいぼだいかい),およびチベット人移民によるものがおもなものである。 その後,ワーラーナシー郊外のサールナート 鹿野苑(ろくやおん) において,もと修行仲間だった5人の修行者を相手に,自ら悟った真理 法 を説き,弟子とした 初転法輪(しよてんぼうりん)。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.

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