君が代 歌詞の意味。 国歌・君が代の本当の意味…国歌は天皇を崇拝する歌ではなかった…

君が代の歌詞の意味とは?いつから歌われているの?実は恋の歌だった?

君が代 歌詞の意味

ここがポイント!• 歌詞の古さには理由が!「君が代」は世界で最も古い国歌? 君が代の歌詞の意味に触れる前に、日本人なら知っておきたい事実が一つある。 それはこの曲が、実は全世界で もっとも古い『国歌』であることだ。 ざっと歴史を振り返ってみると分かるが、君が代は 1999年に制定された「国旗及び国歌に関する法律」を経て、公式に我が国の国歌となった。 Sponsored Link それ以前にも、 1880年からこの歌は日本の代表的な歌として用いられていた。 しかし残念ながら法律では定められておらず、この時は国歌としての意味をまだ持ってはいなかった。 それより4年前の 1876年。 他国にならって君が代の歌詞を「国の歌」として用いる動きが、時の海軍楽長・中村祐庸らを始めとして起こっているが、いずれにしても150年も経っていない。 例えば スペインの「 国王行進曲」は、文字通り国王が行進するシーンを意味する曲になるが… この歌が国歌に採用されたのは 1770年のことで、仮に「君が代」が1880年からの制定と考えたとしても、それより100年以上も歴史がある。 とすると、「 全く『世界最古』ではなくなってしまったではないか!?」と不審がられるかもしれないが、これにはあるカラクリがある。 実はこの曲を『世界最古』だとするのは、その歌詞の部分にあるのだ。 ややトリビアな内容だが、いわゆる『君が代』と言うものの元ネタは、 古今和歌集に収められた短歌の一つなのである。 そしてこの古今和歌集は、詳細な編さん時期こそ不明だが、905年あるいは912年と… およそ10世紀ごろに作られたものである事が明らかになっている。 メロディの作成時期がもっとも古いとされているのはオランダの「 ヴィルヘルムス・ファン・ナッソウエ」。 しかし、この旋律が作られたのは 1574年(一説には1568年)である。 君が代の歌詞はなんと、それよりも600年以上も前に作られていたのだ。 楽曲というのは歌詞やメロディ、あるいはリズムやテンポなど様々な要素によって構成されている。 だから一口に『世界最古』といっても、色々な意味の解釈ができるので、この部分は注意が必要だ。 日本の国歌はあくまで 『歌詞』が世界でもっとも古い、と言うことである。 ちなみに採用時期の古さで言えば、先に紹介したスペインの「国王行進曲」が一番最初だ。 日本ではまだ「イスパニア」と呼ばれていた時代である。 かなり意味深…君が代の現代語訳! 先に説明した通り「 君が代」の歌詞は古今和歌集を元ネタにしていて、ミレニアムな価値のあるものといえる。 だがそこまで昔の作品だと、言葉の意味も変化してしまっているため、現代人からすると 中々解釈がしづらい。 そもそも読み間違いなんかも結構ある… Sponsored Link 例えば「 さざれいしのいわおとなりて」の部分など、人によっては「岩(の)音鳴りて」や、個人的にビックリさせられたのは「石野岩男さんになって」と架空人物をでっち上げる人までいるのだ。 ちなみにここは「 さざれ石の巌となりて」が正解。 しかし逆にいえば、正しい解釈を説明しなければならないくらい意味の難しい歌詞とも言えるだろう。 ちなみに、この謎に満ちた「さざれ石」なる存在。 現代では専門用語で「 石灰質角礫岩」と呼ばれるシロモノである。 本来は「小さな石」を指していたが、炭酸カルシウムや水酸化鉄が長い時間をかけて石に付着し、やがて 大きな岩の塊にまで巨大化したものを指すようになった。 つまり該当部分の歌詞は、現代訳すると「 小さな石が大きな岩に変化して、さらにその上に苔が生えるほど長期間」というニュアンスを含んでいるのだ。 君が代の冒頭「千代に八千代に…」も「一千年あるいは八千年」と訳すことが出来、これも結局は「 長い間」を指している。 なお、八という数字は日本では「 末広がり」の縁起が良い数字とされている。 この場合は単なる「八千年」ではなく「未来永劫」くらいの意味で捉えても間違いではないという意見もある。 つまり、それだけ長い間「 平和が続きますように」と言うのが、君が代のもっとも重要な解釈部分なのだが…多くの人が勘違いしているが、この歌はいわゆる天皇崇拝のための曲ではない。 要するに、「長い間の平和」は「天皇の時代が長く続きますように」という意味では決してないのだ。 この辺りの理解の違いで「 軍国主義だ!」などと騒いで問題になることが現代においても度々ある。 なので今回は、是非とも覚えていってもらいたい。 この「君が代」で歌われていることは、実は天皇でもましてや特定の誰かでもなく、実は私たち一人一人に向けられた歌詞なのだ。 冒頭でいきなり『君が代』などと、天皇イメージの言葉が用いられているので勘違いしやすいが、そもそもこのワードを現代訳すれば単なる「 あなた」という意味に過ぎなかったのだ。 ここからちょっと走り気味に答えを急ぐが、つまり歌詞本来が指す意味は次のようになる。 「 あなたのいる世界が幸せとともにずっと続きますように」 「 あなたの大切な家族や友人たちの幸せが未来永劫失われませんように」 そもそも古今和歌集の初句では「 我が君」となっているところを、あえて改訂版の「君が代」を採用しているところからも、軍国主義を意味していないことは明らかだろう。 ちなみに現代語訳には、「 恋愛編」と呼ばれるイレギュラータイプの歌詞も存在する。 こちらは「ずっとずっと愛し続ける」という、聞いていてこちらが恥ずかしくなるような意味が綴られている。 また「一万年と二千年前から愛してる」というサビで有名な「創聖のアクエリオン」との奇妙なシンクロも指摘されており、今も昔も日本人の感性が変わっていないことを暗示しているようだ。 君が代の「ヘブライ語訳」が話題に!歌詞そのままで意味が通じるってホント? 昨今、国歌についてネット上で噂になっている事柄がある。 それは「 ヘブライ語訳」の意味が通じすぎてヤバいというものだ。 もちろん翻訳するのだから、現地の言葉として通用するのは当たり前だ。 と思いがちだが、これがちょっと違う。 なんと「君が代」の歌詞を 日本語のまま、ヘブライ語に当てはめるという手法である。 しかもこれで、れっきとした文面に訳されるというのだ。 例えば出だし部分は「クム・ガ・ヨワ」と、まあやや強引だが、それっぽい現地語に変換される。 これを日本語に逆翻訳し直すと「 立ち上がり神をたたえよ!」という、なんとも神々しい意味に早変わりするのだ。 こうして翻訳されたものは大体が、いわゆる「 賛美歌」の様相を呈しており正直、 元々の意味とはだいぶ異なる。 しかし文面としては、最初から最後までかなり一本調子のしっかりした解釈がされているので、興味がある方は調べてみると良いだろう。 まあ冒頭の「クム・ガ・ヨワ」を見るに、いずれもやや強引な変換の仕方であるのは否めないが… しかし、例えば「八千代に」という歌詞部分はそのまま「 ヤ・チヨニ」と当てられ、しかもその意味が「 神に選ばれた民」としっかりした言葉になっているところなどは、さすがに驚かざるを得ない。 そもそも、日本語とヘブライ語では響きのソックリな言葉が多数存在する。 研究者の間では、一説によるとその類似語は3000ワードを超えるとも言われている。 例えば日本を代表する「サムライ」は、ヘブライ語の「 シャムライ」という言葉に良く似ており、訳すと「 守るもの」という意味になる。 似たようなもので、お寺にある社務所(シャムショ)は現地では「社殿」を表す言葉になり、結構ニアピンな雰囲気もある。 とある都市伝説では、 日本人はユダヤ系の血を引いているとする説もあるが… 多くの単語がヘブライ語と似ているのも、もしかするとそんな所に由来しているのかもしれない。 世界中で採用される国歌を調べてみると、大体は国王や神について述べたもの、あるいはその国の歴史を象徴する内容になっていることが多い。 そんな中で、君が代の歌詞は 世界万民の平和や幸せを願った意味になっている。 もしかすると「世界で一番優しい国歌」と言えるのかもしれない。

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君が代の歌詞の意味は?2番や3番もあった!

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お問い合わせのありました件につきまして,当館所蔵資料にてお調べしたところ,諸説あるようですのでご紹介いたします。 1 君が代の作詞・作曲者について (1)以下の資料に君が代の作詞・作曲者についての記載がありました。 135-136 「きみがよ 君が代」の項 「19世紀末以降,事実上,日本の国歌として扱われてきた天皇の治世を奉祝する歌.歌詞は《古今和歌集》に由来するが,その初句はであり,となったのは,《和漢朗詠集》の一写本に始まるといわれる.近世に入り,地歌,長唄などにもとり入れられ,祝賀の歌詞として用いられた.1869年 明治2 ころ,横浜にいたイギリス軍楽隊長J.W.フェントンが国歌の必要を説き,薩摩藩砲兵隊長大山弥助 のちの元帥陸軍大将大山巌 が薩摩琵琶歌《蓬莱山ほうらいさん》に入っていた《君が代》を歌詞として選定 選者については異説あり ,フェントンがこれに作曲.76年,この曲は日本人に不適であるとの判断から,海軍軍楽隊長中村祐庸はを提出,西南戦争後,海軍省は新曲作成を宮内省式部寮雅楽課に委嘱,80年同課では壱越いちこつ調律旋により作曲 形式上はと公表 ,海軍省傭教師F.エッケルトが和声を付し,(後略)」 資料2 山田孝雄『君が代の歴史』宝文館出版, 1979【911. 3-9 「一 初見」の項 「先づ「君が代は」の歌の文獻の上に最初にあらはれたのは何時からかといふに、古今和歌集に見ゆるのが最も古いとせられてゐる。 この集は醍醐天皇の勅を奉はつて、紀貫之、紀友則、凡河内躬恆、任生忠岑の四人が淸撰して延喜五年四月十八日に上つたものであるから、昭和三十年よりかぞへて千五十年前に出來たものである。 (中略)かくして、その卷七、賀歌の部のはじめに 題しらず 讀人しらず と標して 我君は千世に八千世にさゝれ石の巌となりて苔のむすまて といふ歌を載せてある。 之が今いふ「君が代は」の歌の古い形だといはれてゐる。 (中略)一条天皇の朝に四納言といはれたうちの第一人者大納言藤原公任の著した和漢朗詠集といふものがある。 (中略)この歌は本によつていろいろの形になつてゐるが、古くは皆初句は「我か君は」とある。 第二句は「千代に八千代に」といふのと「千代にましませ」といふのとの二様になつてゐ、又末句は「こけのむすまで」と「こけむすまでに」と二様になつてゐる。 かくの如くにして三様の姿をあらはしてゐる。 どちらが元であるかは容易にいはれないやうである。 しかし、第二句が「千代にましませ」第五句が「こけむすまでに」といふのは平安朝時代のものだけで、その以後にはさういふ例は見えぬ様である。 (後略)」 pp. 145-146 「十三 「君が世」の曲の制定」の項 「(前略)この「君が代」の譜は名義は林廣守となつてゐるが、その實は「廣守の長男林廣季氏と奥好義氏と二人の合作であります」と和田信二郎氏は傳へてゐる。 (中略)なほ和田氏が録してゐる宮内省式部職雅楽長芝忠重氏談話によると「楽部にては御大禮、御大葬などの場合に数名の者が各作曲し審査の上其の一が採用せられるが、それは其の人の作とせず、必ず楽長が代表者となり、個人の作曲とはしない慣例になつてゐる」さうである。 (後略)」 資料3 繁下和雄,佐藤徹夫 編集『君が代史料集成 第3巻』大空社, 1991【767. (後略)」 巻頭 「林廣守肖像(瀬戸口藤吉氏所蔵)」 「(前略)国家「君が代」改定委員を命ぜられ現雅楽調「君が代」を作曲したる人」 巻頭 「エッケルト肖像(瀬戸口藤吉氏所蔵)」 「(前略)「君が世」曲譜改定の議起るや改定委員に選ばれ、林廣守の作曲を選定し是を吹奏楽譜に編成す。 」 (2)参考 ア.当館所蔵の古今和歌集・和漢朗詠集をお調べしたところ,元歌だと言われている歌の記載がありましたので,参考までにご紹介いたします。 62 「古今和歌集 卷第七」の項 『賀歌 題しらず 讀人しらず 我が君は千世に八千世にさされ石の巌となりて苔のむすまで(後略)』 資料5 片桐洋一『古今和歌集全評釈 中』講談社, 1998【911. 13 「古今和歌集 巻第七 賀歌」の項 『題しらず よみ人しらず 三四三 わが君は千世に八千世にさざれ石の巌と成りて苔のむすまで【要旨】未来永劫に長生きしてくださいという長寿への祈願をおおらかに言いなしている。 【通釈】題知らず よみ人しらず あなた様は、千世にも八千世にも、小石が大きな岩に成長して苔が生える先々まで長寿であっていただきたいもの。 289 「祝 775 わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」の項 「775 あなた様の寿命は千代までも八千代までも、たとえば小さな石が大きな岩となってそれが苔が生えるまでも、末長くお栄えになりますように。 (後略)」 資料7 金子元臣,江見清風『和漢朗詠集新釈』明治書院, 1965【919. 499-500 「君が代はちよにやちよにさゞれ石のいはほとなりて苔のむすまで。 よみ人しらず」の項 「【出典】古今集賀「題しらず、讀人しらず」とありて、初句「わが君は」に作り、古今六帖に、二句「ちよにましませ」に作る。 【大意】我が大君の天の下知しめすこの大御代は、細石が巌石となりて、その上に苔の生す時まで、千萬年も變ることなく、栄えましませと、祝ひたるなり(後略)」 イ.下記資料に元歌となったと思われる歌の作者の記載がありましたので,参考までにご紹介いたします。 資料8 塙保己一 編纂『続群書類従 第16輯 下』続群書類従完成会, 1957【081. 資料2 山田孝雄『君が代の歴史』宝文館出版, 1979【911. 107 「十 江戸時代に於ける「君が代」の歌」の項 「(前略)蓬莱山といふ曲があるが、この曲の詞には「君が代」の歌が引用せられてある。 (中略)ここには「君が代」の歌は全章そのまゝとり入れてある。 (後略)」とあり,「蓬莱山」の歌詞全文が記載されています。 また,薩摩琵琶歌《蓬莱山ほうらいさん》は『薩摩琵琶歌大全 前編』に記載があり,下記の国立国会図書館デジタルコレクションにて,閲覧が可能です。 資料9 『日本教科書大系 近代編 第25巻』講談社, 1978【375. ちよにやちよに。 さゞれいしの。 巌となりて。 こけのむすまで。 うごきなく。 常盤かきはに。 かぎりもあらじ。 二 きみがよは。 千尋の底の。 さゞれいしの。 鵜のゐる磯と。 あらはるゝまで。 かぎりなき。 みよの榮を。 ほぎたてまつる。 」 資料10 繁下和雄,佐藤徹夫 編集『君が代史料集成 第5巻』大空社, 1991【767. 資料2 山田孝雄『君が代の歴史』宝文館出版, 1979【911. 39-48 「六 この歌の本来の意味」の項 「(前略)さて、この歌はどういふ意味の歌であるか。 本居宣長の古今集遠鏡はそれらの和歌を俗譯して初学者に端的にさとらしめたものであるが、この歌については次の如くに述べてある。 コマカイ石ガ大キナ岩ホニナツテ苔ノハエルマデ千年モ萬年モ御繁昌デオイデナサレコチノ君ハ といふのである。 ここに「我君は」をば「コチノ君ハ」と譯してある。 (中略)この歌にいふ「君」は祝賀を受ける人を誰でもさしてゐるといふことを本居宣長は我々に教えてゐる。 (中略)かくして考へてみると、この「君が代」の歌は一般の人々の年壽を賀する歌であり、而してそれは天皇皇族に限らぬものであつたことは明かでここに至つてはどう考えても異論もあるべく思はれぬ。 」 資料3 繁下和雄,佐藤徹夫 編集『君が代史料集成 第3巻』大空社, 1991【767. (いやでもそれではまだまだ言ひ足りない)あの小さな石が長じて大きな岩となり,またそれに苔の生えるまでも(幾久しく榮えます様に祈り奉る。 )といふのである。 」 また,pp. 85-105では歌詞を単語単位に分解し、例えば「君」の意味,「が」の意味,「代」の意味と詳細に記載されています。 回答プロセス Answering process.

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初めて知った人続出!「君が代現代語訳」が泣けてくる!

君が代 歌詞の意味

日本人として生まれ、日本に育った人であれば誰もが知る国歌『』。 歌詞の歴史は古く『古今和歌集』に登場した読人しらず(不明)の短歌を参考にしていると言われ、曲がついたのはそれから更に千年後の1880年(明治13年)。 歌詞については古い短歌ということもあり、現代ではなじみのない表現が多く、現代人からすれば「何かの暗号」にさえ感じることも。 ただ、多くの人の解釈としては歌詞にある「君」という言葉から、純粋に「天皇」について書かれているものと認識されています。 ところが一説には、この『君が代』をヘブライ語に訳すると、別の意味が出てくるという話もあるのです。 以前になったものが、最近再び注目を集めていたので今回少しだけご紹介。 話題になっている、ヘブライ語解釈の『君が代』は次のとおり。 ヘブライ語は20世紀に再生されるまで、約2千数百年の間、一部の間だけで使用されていた言葉。 そのため、歴史はあっても古代ヘブライ語と現代ヘブライ語では若干表現や発音が異なり、訳した人達は訛りなどを考慮し訳した部分もあるようです。 ただし、紹介されるサイトではどこも基本このような感じで紹介されていました。 一見するとただのこじつけのようにも見えるこの訳。 しかし、約2千数百年前、イスラエルを追われた一部の古代イスラエル人(=ユダヤ人、ヘブライ人)が日本に移り住んだという説が実はあるのです。 他にも、ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグ氏の著書によると、他言語との類似点が少ないとされる日本語には、ヘブライ語と類似した単語が3000語を超えて存在すると紹介されています。 段々ワクワクしてきますよね。 そして、滅亡後の10支族については記録が少ないことから、いつの頃からか「失われた10支族」と呼ばれ謎多き存在ということに……。 滅亡した国のため単に記録が残っていないだけで、残された10支族はバラバラとなり、異民族との婚姻などにより周辺民族と同化していった……というのが有力なようですが、10支族の一部は長い年月をかけ東に逃れた……という説もあるようです。 なお、「失われた10支族」については1975年、アミシャブという調査機関が発足し、現代に至るまで調査が進められ、その範囲は日本にまでおよんでいるそうです。 遠い国が滅亡したころ、日本では何が起こっていたのか? 北イスラエル王国滅亡から62年後の紀元前660年、日本の初代天皇『神武天皇』が即位し、日本建国の年と言われています。 神武天皇は現代の歴史学上では、神話や伝説上の人物とされているそうですが、大体の誕生日は伝わっており推定紀元前711年2月13日とされています。 北イスラエル王国滅亡から約11年後の出来事です。 何だか時を近くして、日本でも歴史に残る大きな出来事が起こっていたようですね。 この二つを関連づけ、かねてから『日ユ同祖論』というものがあります。 日本人とユダヤ人(古代イスラエル人)は共通の祖先をもつという説です。 ただ、研究者によると、この二つの民族にはDNAに関して言えばつながりを持っている可能性はないと既に全面否定されているそうです。 ここまで盛り上げたのにすみません。 DNAレベルでの交流はないかもしれませんが、何らかの文化交流はあったかもしれませんよね。 それに、科学がさらに進歩した暁には、また違う結果がでることも充分考えられますしね。 古代ミステリーファンの筆者としては、謎は謎のままで……という気分です。 最後に余談ですが、筆者は、古事記、日本書紀、関連書籍を読みあさるのを特に趣味としております。 ただその時にいつも困るのが、古代の人々の名前が覚えにくい点。 「あれって暗号みたいだよね〜」と、以前から思っていたのですが、折角なので誰かヘブライ語翻訳していないか探してみたところ?ありました。 先にも出てきたヨセフ・アイデルバーグ氏含む何人かの方が訳していました。 あくまで話のネタ程度にご紹介。 参考: ヨセフ・アイデルバーグ『大和民族はユダヤ人だった』(たまの新書) 外部サイト.

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