チーム 康光。 佐藤康光九段、森内俊之九段、谷川浩司九段のレジェンド三人衆「チーム康光」がTwitterアカウント開設(ABEMA TIMES)

第3回AbemaTVトーナメント

チーム 康光

経歴 [ ] プロ入りまで [ ] 少年時代に憧れていた棋士は。 隣接のにあった師匠・田中の将棋教室に通うようになった頃、『米長の将棋』という本で勉強。 また、最初に読んだ棋書はの自戦記『玉頭位取り戦法』であり、真っ黒でボロボロになるまで繰り返し読んだという。 の春、に6年生として出場し、でされる準決勝に進出して3位となる。 (中学1年の冬)、6級で関西に入会。 その半年後、が史上最年少の21歳でとなる。 関西将棋会館の控え室でを棋士・奨励会員数名が解けずに悩んでいたところに谷川が現れて数十秒で解き、皆を唖然とさせる。 この光景を目撃した佐藤は子供心に「A級の恐ろしさ」を知ったという。 奨励会入会後、僅か1年弱で2級に昇級。 その直後、父親の転勤のため八幡から東京都区内に転居したことで関東奨励会に移籍する。 このとき「名人候補を東京に取られた」と関西の棋士たちが嘆いたという。 プロの対局の記録係を務めるため中学校を頻繁に休んでいたことから、「学校やすみつ君」とからかわれていた。 佐藤はその後、に進学し、卒業をしている。 奨励会二段の頃、主宰の、いわゆる「島研」に、とともに参加。 二人が対局し、残った一人が記録係を務めるという、一風変わった研究会であった。 そして、17歳の頃、二段の途中から8連勝して三段へ昇段。 さらに続けて13勝1敗 で四段(プロ)に昇段(1987年3月25日)。 合わせて21勝1敗というラストスパートでのプロ入りを果たす。 プロ入り後 [ ] 1987年のプロ入りから約3年後の1990年、五段のとき第31期で、谷川浩司王位への挑戦権を得、タイトル戦に初登場。 フルセットの3-4で退けられる。 同年(1990年)、第9回で、決勝で森内俊之を破り棋戦初優勝。 翌年(1991年)も決勝でを破って2連覇。 1990年度は、の新人賞を受賞している。 1993年、六段のとき第6期で挑戦者となる(これによりで七段へ昇段)。 当時の竜王は五冠王の羽生善治であったが七番勝負を4-2で制して 羽生から竜王位を奪取し、初のタイトル獲得を果たす。 しかし、翌年(1994年)の第7期竜王戦では、逆に羽生の挑戦を受け2-4で失冠し、羽生に史上初の六冠王を許してしまう。 以後1年間、「前竜王」の称号を名乗った。 その翌年(1995年)の第8期竜王戦は、また逆に佐藤が羽生に挑戦し3年連続の同一カードとなったが、奪取はならなかった。 羽生は、この竜王戦の直後のも制し、史上初の七冠独占を達成することとなる。 1996年にA級八段となる。 そして、A級参加2期目(1997年度)のA級において6勝3敗同士でのプレーオフで羽生善治を下し、第56期(1998年)で谷川浩司名人への挑戦権を得る。 そして、七番勝負を4-3で制して初の名人位獲得。 また、名人1期獲得のにより九段に上り詰めた。 1999年、第57期名人戦では谷川と2年連続の対決。 2勝3敗で迎えた第6局では、2日目深夜に及ぶ203手の激戦に勝ってフルセットの戦いに持ち込み、最終局でも勝って、名人位を防衛。 2000年代 [ ] 2000年、の挑戦を受けた第58期名人戦は、丸山の得意戦法を逃げずに堂々と受けて立つシリーズとなったが、3勝4敗で名人失冠。 2002年(2001年度)、第51期王将戦で羽生善治に挑戦。 4-2で位を奪取。 2002年度、第73期でに挑戦、3-2で奪取に成功。 初めて 二冠(棋聖・王将)となる。 さらにで羽生に挑戦したが敗退し、一気の三冠達成はならなかった。 また、王将の防衛戦は、羽生を挑戦者に迎え前年と同一カードとなったが、0-4で羽生に奪還され、棋聖のみの一冠に後退した。 2003年、第74期棋聖戦で丸山忠久の挑戦を3-0で退け防衛。 羽生善治(当時七冠)が位を失ってから、棋聖位保持者は7年連続で入れ替わっていたが、この防衛によって終止符が打たれた。 同年、第11期でを下して優勝、タイトル戦以外の全棋士参加棋戦での初優勝を飾った。 2004年、第75期棋聖戦で森内俊之の挑戦を3-0で退け防衛。 では、決勝でを下して初優勝。 2005年、第76期棋聖戦で羽生善治の挑戦を3-2で退け防衛。 2006年度は、佐藤にとって大活躍の年となる。 まず、第77期棋聖戦での挑戦を3-0で退け防衛。 これで通算5期となり、規定により 永世棋聖の資格を得る。 JT将棋日本シリーズは決勝で郷田真隆を破り2度目の優勝。 も決勝で森内俊之を破り優勝(3度目の決勝進出にして初優勝)。 史上初の タイトル戦5連続挑戦の記録を作り、うち、森内俊之から位を奪取。 再び 二冠(棋聖・棋王)となる。 また、成績だけではなく、「佐藤新手」 と呼ばれる数々の新手や独創的な戦法を大勝負で用いたことは評価された。 これらの活躍により、将棋大賞の 最優秀棋士賞と升田幸三賞を同時受賞する(いずれも初受賞)。 2007年、第78期棋聖戦で竜王の挑戦を3-1で退けて防衛し、6連覇。 一方、同年の竜王戦では、逆に渡辺に2年連続で挑戦するも2-4で再び奪取に失敗し、三冠制覇のチャンスを逃す。 互いに自分のタイトルを防衛・連覇し合う結果となった。 2007年度、初の生放送となるNHK杯戦決勝(2008年3月16日)で鈴木大介を破り優勝。 47、48期(1998、99年度)の羽生善治以来、同大会9年ぶり3人目の連覇を達成した。 また、第33期棋王戦では羽生を3勝2敗で下して防衛に成功、1勝2敗の角番からの粘りで二冠を死守した。 しかしながら、A級順位戦では苦戦する。 残留争いのライバル2名(・久保利明)との直接対決が残っていたため、残り3局を3連勝すれば残留できるという「自力残留」の目が残されていた。 まず、行方を破り、次に久保を破る。 そして最終9回戦 では、挑戦者争いにも残留争いにも絡んでいないが対戦相手であった。 木村は羽織袴を着て闘志(「」)を露わにして佐藤の前に登場するも、佐藤はこの一局に勝ち、A級の座を死守した。 2008年6月からの第79期棋聖戦でも羽生を挑戦者として迎える。 初戦から2連勝して早々に防衛に王手をかけたが、そこから3連敗して棋聖位を奪取され、一冠(棋王)に後退。 に並ぶ棋聖戦7連覇の達成はならなかった。 2009年(2008年度)の第34期棋王戦では、久保利明に2連敗後の2連勝でフルセットまで持ち込んだが、最終局に敗れ3連覇を逃し、7年ぶりに無冠となる(久保にとっては初タイトル)。 第68期(2009年度)順位戦A級の8回戦、対・戦()で敗れ、B級1組への陥落が決定。 A級連続在籍(名人在位2期を含む)は14でストップし、順位戦・竜王戦を通じて自身初の降級を喫する。 翌朝、久保棋王への挑戦者(リターンマッチ)として、第1局のため9時前にに集合し、へ移動。 対局場の検分と前夜祭を済ませ、2月5日に対局という過酷なスケジュールであったが、筋違い角の乱戦を制して先勝する。 この五番勝負は前期と同じくフルセットとなったが、第5局(3月30日)で190手の熱戦の末に敗れ、昨年奪われた棋王位をすぐに取り返すことはできなかった。 この一局は、翌日に行われた第37回将棋大賞の選考で、名局賞に選ばれた。 また2009年度最後の対局である棋王戦第5局で敗れたことにより、同年度はデビュー以来初の負け越し(24勝25敗)となった。 2010年代 [ ] 降級して迎えた第69期(2010年度)順位戦では、A級14期連続在位の貫禄を見せつけ、9勝3敗の成績でA級に返り咲きを果たした。 勝率こそ7割を超えた(34勝14敗)ものの、タイトル戦線に絡むことはなかった。 第61期(2011年度)王将戦挑戦者決定リーグ戦で5勝1敗の成績を残し、同星だった六段との決定戦も勝利し挑戦者の権利を得る。 2012年1月から、久保利明二冠に挑んだ王将戦七番勝負では、第1局から久保を圧倒し3連勝。 久保の地元である兵庫県加古川市で行われた第4戦こそ敗れたが、第5戦に勝ち4勝1敗で王将位を奪取。 王将位在位は11年ぶり2期目。 佐藤自身も約3年ぶりのタイトル奪取となった。 しかし第62期(2012年度)王将戦で渡辺明に対し1-4で敗れ、王将位から失冠した。 第29期(2016年度)竜王戦にて1組の5位決定戦1回戦でと対局するも敗れ、24期連続で保持してきた1組の座から陥落することになった。 その後、第30期竜王戦において2組準優勝となり 、本戦進出と1組に復帰が決定している。 第75期 2016年度 順位戦A級では、勝ち星が振るわず、第68期(2009年度 以来の降級の危機となったが、辛くも順位差により降級を回避した。 第66回NHK杯テレビ将棋トーナメント初戦となる2回戦で四段、3回戦で六段(当時)、準々決勝で去年度の準優勝となる六段、準決勝で名人にそれぞれ勝利し、決勝戦で初の決勝進出となる六段に勝利し、9年ぶり三度目のNHK杯を優勝した。 2017年7月28日の第76期順位戦A級で八段に勝ち、史上9人目の公式戦通算1000勝()を達成した。 第76期 2017年度 順位戦A級では、自身も含めた6人が6勝4敗の同率トップとなり、6人による挑戦者決定プレーオフになる。 プレーオフでは佐藤は2回戦から参加することになったものの、に敗れた。 棋風 [ ] 若手時代は既存の形を多く指していたが、2005年前後からは創造的で新基軸な序盤作戦を選ぶことが多くなっている。 若手時代から「 緻密流」と称される読みの深さで知られ、「1秒間に1億と3手読む」と形容されるほどである。 エピソード・人物 [ ] 対局に関するエピソード [ ]• プロとして最初の公式戦(1987年5月26日・予選)の対局相手であったが、事情により欠場したため、プロ初白星が不戦勝という、棋界では非常に珍しい記録を残すことになった。 2000年の第58期名人戦においては、挑戦者であった丸山忠久の得意戦法(丸山が先手の場合は角換わり戦法、丸山が後手の場合は)を堂々と受けて名人位を防衛しようとした。 しかし、結果的に3勝4敗で丸山に名人位を奪われた。 2002年の第51期では、おやつに大量のを食べつづけ、羽生善治から王将を奪取したことから、ネットで話題になった。 結果は、挑発に乗って不慣れな振り飛車を採用した渡辺の負け。 プロ棋界では非常に珍しい相に進み、最終的に渡辺が勝利を収めた。 本局を含めた意欲的な指し回しが評価され、佐藤は第18回升田幸三賞を受賞している。 NHK杯戦で連覇を経験しているため、同棋戦で13連勝の記録を持つ。 本人曰くの連勝(編注:24連勝。 後述書p. 194参照)に比べたら問題にならないが、実は密かな自慢であるとのことである。 しかし指し手の位置である5九を指で示し「飛車」と発言したことから時間内に指したとされ事なきを得た(駒を落とした場合について連盟の対局規定第5条 に従った形)。 人物・エピソード [ ]• 佐藤の弟は歌舞伎役者のである。 特技は演奏。 将棋を覚える以前から習っていた。 棋聖戦の就位式に演奏を披露していたこともあった。 将棋雑誌の企画でヴァイオリニストのと対談した際に、千住の目の前で演奏を披露し、腕前を絶賛されたこともある。 若手時代に、そのルックスと名前に引っ掛けてから「もてみつ君」というあだ名を付けられる。 それが由来で、ファンの間では「モテ」と呼ばれる。 他に、父親が製薬会社勤務だったことから、にはその勤務先に引っ掛けて「」と呼ばれていた。 (日本将棋連盟)のコーナーである「佐藤康光と森内俊之のなんでもアタック」の1996年2月号の企画で、 五面指し(目隠しした佐藤が、目隠ししていない5人のアマチュアと同時に対局)に挑戦し、反則なしの五戦全勝で見事に成功した。 熱血漢でアツくなり易いという一面を持っており、対局で負けたときは涙を流して悔しがることもある。 タイトル戦以外でも、ここ一番の大勝負(挑戦者決定戦やTV棋戦の決勝など)ではで対局に臨む。 竜王奪取の前年(1992年)ににはまり、「趣味はゴルフ」と公言するまでになった。 2006年、米長邦雄会長(当時)から戦を打診され、「固くお断りします」という佐藤に対して、米長が「負けたところで恥になるわけでもない、考えてみろ。 しょせん遊びだ。 機械相手に数時間遊びで指してくれれば、1000万円以上の収入になる」というと、佐藤は「米長先生、そこに正座してください。 先生はそんな気持ちで将棋を指していたんですか。 2015年4月から、半期にわたりで、将棋講座の講師を務めた。 2016年10月10日 島朗宅で行われたに関する会合に参加し、後に三浦弘行の出場停止処分について、苦渋の決断と発言した。 朝食は大の派で、パン食のときも必ず納豆をつけるほど。 本人曰く「納豆はデザートだと思っている」。 棋士会長から連盟会長として [ ]• 2011年4月1日からの長を務める。 2017年2月、谷川浩司の会長辞任を受け、第二次世界大戦後16人目となる日本将棋連盟会長に就任した。 2017年(第3期)からタイトル戦に昇格するにおいて、七番勝負のについて「対局者が持ち時間の長さを選択する」という変則ルールを考案した。 昇段履歴 [ ] 昇段規定は、 を参照。 1984年7月 初段• 1989年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)• 1992年3月25日 六段(勝数規定)• 1993年10月1日 七段(竜王挑戦)• 1996年4月1日 八段(順位戦A級昇級)• 1998年6月18日 九段(名人位獲得) 主な成績 [ ] タイトル・永世称号 [ ] 他の棋士との比較は、、を参照 タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 永世称号(備考) 93(第6期) 5 1期 1 98(第56期)- 99 3 2期 2 - 0 - - - 5 - - - 3 - - 06(第32期)- 07 6 2期 2 01(第51期), 11 8 2期 1 02(第73期)- 07 7 6期 6 (歴代3位) 永世棋聖資格 登場回数合計37、 獲得合計 13期() (2018年3月末現在) 一般棋戦優勝 [ ]• 将棋大賞 [ ]• 第18回(1990年度) 新人賞• 第20回(1992年度) 技能賞• 第21回(1993年度) 最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞・殊勲賞• 第23回(1995年度) 技能賞• 第25回(1997年度) 技能賞• 第26回(1998年度) 殊勲賞• 第29回(2001年度) 連勝賞・技能賞• 第30回(2002年度) 敢闘賞• 第32回(2004年度) 技能賞• 第33回(2005年度) 敢闘賞• 第34回(2006年度) 最優秀棋士賞・最多対局賞・最多勝利賞・升田幸三賞• 第35回(2007年度) 優秀棋士賞• 第37回(2009年度) 名局賞(第35期棋王戦第5局・対棋王)• 第39回(2011年度) 升田幸三賞• 第44回(2016年度) 名局賞(第75期A級順位戦第8局・対九段) 記録(歴代1位のもの) [ ]• 二段昇段 - 四段昇段最高勝率. 955(21勝1敗)• 佐藤康光の寄せの急所 囲いの急所(1995年11月、、)• 康光流現代矢倉(全3巻、、 ほか)• 康光流四間飛車破り 居飛車穴熊vs藤井システム(1999年2月、日本将棋連盟、)• 読みの技法(講師、1999年3月、、)• 佐藤康光の戦いの絶対感覚(2000年1月、河出書房新社、)• 最強居飛車穴熊マニュアル(2003年1月、日本将棋連盟、)• 注釈 康光戦記(2004年8月、、)• 5級からの詰将棋81(2007年4月、日本将棋連盟、)• 佐藤康光の居飛車の手筋1 四間飛車粉砕編(2007年5月、、)• 佐藤康光の居飛車の手筋2 強襲・矢倉編(2007年8月、、 ほか)• 佐藤康光の将棋をはじめよう(2008年8月、、)• 佐藤康光の力戦振り飛車(2010年1月、毎日コミュニケーションズ、)• 佐藤康光の石田流破り(2010年4月、毎日コミュニケーションズ、)• 佐藤康光の一手損角換わり(2010年8月、毎日コミュニケーションズ、) 関連イベント [ ]• 京都府八幡市での佐藤康光杯将棋大会。 その他表彰 [ ]• 1998年10月 八幡市民有功者表彰• 2003年 (通算600勝)• 2007年1月24日 京都府文化賞・奨励賞• 2009年3月3日 (通算800勝)• 2011年 現役勤続25年• 2017年4月29日• 2017年7月28日 (通算1000勝) 出演 [ ] ゲーム [ ]• 2017年10月30日時点のよりアーカイブ。 2017年10月31日閲覧。 佐藤康光『佐藤康光の寄せの急所 囲いの急所』日本放送出版協会、1995年11月、、p108• その前の3回戦では、と対戦して勝っている。 ちなみに、このときの準優勝者は。 また、(前年準優勝)は佐藤と同じく3位であった。 5年生の(翌年に優勝)も出場していた。 「」1990年2月号• 別冊宝島編集部 編 『戦う将棋指し』 宝島社、1999年、166頁。 著「世界は右に回る」• 佐藤が奨励会に在籍していた当時は、三段リーグの制度がなかった。 2017年現在、佐藤の後に「前竜王」の称号を名乗る権利を行使した棋士はいない。 「」2006年7月号の表紙および本文• 開幕から谷川浩司とともに4連敗し、「このまま2人そろって降級か」ということで一般紙でも話題として取り上げられた。 その後、谷川は連敗を4で止め最終局を前に残留を確定させたが、佐藤は6連敗を喫した。 「」と呼ばれる• 一般的にそうした将棋は型に嵌らない「」と呼ばれることが多いが、本人によれば、それらの作戦はすべて論理的に考えた帰結であるので、力戦と呼ばれることには抵抗感があると言う(佐藤康光 『佐藤康光の力戦振り飛車』(毎日コミュニケーションズ、2010年)3頁)• しかし、そのときは棋士達の間で見向きもされず、5か月後にタイトル戦で羽生を相手に指して勝ったときから流行り出した。 佐藤は「真似されるのは素直にうれしい」と語っている(『』2006年7月号)• 室岡は当初「10億」と言った筈がいつの間にか「1億」になった、と将棋世界2009年9月号で述べている。 もちろん佐藤自身も否定しているが、『日本将棋用語事典』p. 173 -によれば、1000手を超えることはあるとのことである。 前期の谷川との名人戦でも、そのような傾向が見られた。 - 将棋ペンクラブログ・2011年7月12日• この1局で、渡辺の竜王4連覇が決まった。 一方、やられた久保は同誌2012年8月号「イメージと読みの将棋観」に於いてこの局面が取り上げられた際に、「もう一度この局面が現れたら、(本局と同じく)後手を持ってみたい」と述べた。 、、、、、 佐藤康光、 監修 p. 196 2013 , NHK出版, ed. , NHK杯伝説の名勝負 次の一手, NHK将棋シリーズ, NHK出版• - 日本将棋連盟• - 将棋ペンクラブログ・2011年12月7日• 先崎学著 先崎学の「浮いたり沈んだり」の「敗戦の夜に…」にて対局に負けた後に「わんわん泣きます」と佐藤が語ったエピソードが紹介されている。 - Golf Digest TV• - スポーツ報知・2018年1月29日• 朝日新聞digital・トップニュース「日本将棋連盟の新会長に佐藤康光九段」(村瀬信也 2017年2月6日20時59分)ほか• - スポーツ報知・2017年5月20日• 参考文献 [ ]• 監修 、荒木一郎 プロデュース 、ら(編)、2004、『日本将棋用語事典』、東京堂出版 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• TeamYasumitsu - ランキング戦 1組• 女流棋士• 奨励会員• 古賀悠聖 アマチュア• 1 9• 2 6• 3 7 ・ 6 ・ 6• 4 11• 5 6 ・ 6 ・ 5• 6 5 ・ 5• 7 11 ・ 5 ・ 5• 8 6 ・ 6 ・ 5 ・ 6• 9 12 ・ 7• 10 該当なし• 10-11 12• 11 6• 12 6 ・ 9 ・ 6 ・ 8• 13 10 ・ 6 ・ 5 ・ 6• 14 6 ・ 6 ・ 7• 15 11• 16 8• 17 該当なし• 18 6 ・ 5• 19 5 ・ 6 ・ 7• 20 8 ・ 16 ・ 5• 20-21 7• 21 6• 22 7 関連項目.

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【将棋】逆境に挑むレジェンドたちのプライドそしてお散歩。【チーム康光】

チーム 康光

第3回abemaTVトーナメントに、今週から チーム康光、またの名を チームレジェンドが登場します。 チームレジェンドは、現将棋連盟会長にして現役A級、永世資格を持つ 九段がリーダーとなり、十七世名人資格を持つ 九段、十八世名人資格を持つ 九段をドラフト指名。 三人ともが永世資格者というまさにレジェンのチームが出来上がりました。 さらにはこの3人でを開始。 レジェンドたちが改めて交流を深める様子が見られ、今やファンだけでなく全将棋関係者がチェックしているのではないかという注目コンテンツになっています。 この度、「第3回AbemaTVトーナメント」のチームでアカウントを開設致しました。 本棋戦終了までの期間限定アカウントとなりますが、皆様どうぞよろしくお願い致します。 羽生先生も含め、将棋界を長年最前線で引っ張ってきたレジェンドとは、 その存在そのものがものなのです。 とはいえ、多くの観る将の方もそうでしょうが、観る将になって3年足らずの私は、この レジェンドたちの全盛期を知りません。 谷川先生はもう58歳ですし、森内先生は既にから身を引いています。 康光先生は今もトッルにいるのだと思いますが、運営側に回っていることもありタイトルからは長らく遠ざかっています。 それでもレジェンドとして敬意を集めているのは、偉大な過去の実績もありますが、現在の在り方も素晴らしいからだと思います。 ドラフト時に康光先生はこう言われてました。 【 ニュース】 佐藤康・森内・谷川の「レジェンドチーム」結成!「本気出せば強い。 めちゃめちゃカッコよくないですか? 「 認知を改めていただきたい」というのは、現在は「強くないと認知されている」という意識があるからでしょう。 近年若い将棋ファンも増えているようですが、歴の浅いファンというのは、他の競技でもそうでしょうが、「かつて強かった」という人に対して評価が辛くなりがちです。 そういう人たちの認知を改めさせるには、注目度の高まっているこのabemaTVトーナメントは格好の舞台かもしれません。 しかし現実的に見れば、それは容易ではないとも思えます。 まずは早指しの実績十分の糸谷チームにどう対抗するか。 大注目です。 MILC.

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佐藤康光

チーム 康光

第3回abemaTVトーナメントに、今週から チーム康光、またの名を チームレジェンドが登場します。 チームレジェンドは、現将棋連盟会長にして現役A級、永世資格を持つ 九段がリーダーとなり、十七世名人資格を持つ 九段、十八世名人資格を持つ 九段をドラフト指名。 三人ともが永世資格者というまさにレジェンのチームが出来上がりました。 さらにはこの3人でを開始。 レジェンドたちが改めて交流を深める様子が見られ、今やファンだけでなく全将棋関係者がチェックしているのではないかという注目コンテンツになっています。 この度、「第3回AbemaTVトーナメント」のチームでアカウントを開設致しました。 本棋戦終了までの期間限定アカウントとなりますが、皆様どうぞよろしくお願い致します。 羽生先生も含め、将棋界を長年最前線で引っ張ってきたレジェンドとは、 その存在そのものがものなのです。 とはいえ、多くの観る将の方もそうでしょうが、観る将になって3年足らずの私は、この レジェンドたちの全盛期を知りません。 谷川先生はもう58歳ですし、森内先生は既にから身を引いています。 康光先生は今もトッルにいるのだと思いますが、運営側に回っていることもありタイトルからは長らく遠ざかっています。 それでもレジェンドとして敬意を集めているのは、偉大な過去の実績もありますが、現在の在り方も素晴らしいからだと思います。 ドラフト時に康光先生はこう言われてました。 【 ニュース】 佐藤康・森内・谷川の「レジェンドチーム」結成!「本気出せば強い。 めちゃめちゃカッコよくないですか? 「 認知を改めていただきたい」というのは、現在は「強くないと認知されている」という意識があるからでしょう。 近年若い将棋ファンも増えているようですが、歴の浅いファンというのは、他の競技でもそうでしょうが、「かつて強かった」という人に対して評価が辛くなりがちです。 そういう人たちの認知を改めさせるには、注目度の高まっているこのabemaTVトーナメントは格好の舞台かもしれません。 しかし現実的に見れば、それは容易ではないとも思えます。 まずは早指しの実績十分の糸谷チームにどう対抗するか。 大注目です。 MILC.

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