ものの が たり 新刊。 ものたりぬ

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ものの が たり 新刊

先日、実家に戻った時に色々あって発掘しました。 中高生はお小遣いを全て魔導に費やしていた気がします。 魔導の本があればどんなものでも即買ってました 爆 火の玉ゲームコミックスがお気に入りです。 『美川べるの』さんという漫画家 今はすっかり有名になってしまわれました もぷよの4コマや漫画を描いていて、その漫画がものすごく面白くて好きでした。 わ、笑わずにいられない! そんなこんなで漫画話でしたが、うちのサイトのアンケートに漫画希望の票がいっぱい入っていて、嬉しいやら、『え、そんなに漫画がいいと言ってもらえるような作品を書いただろうか?』と疑問であったり不思議な気持ちだったりします 笑 漫画はきこりんからリクエストをもらったものを描いていたらいつのまにやら8ページになってました。 しかも下書きすら終わらなかったので、アップできるとしたら早くて6月以降になりそうです。 スキャナがあればなー。 キリリクもそんな感じで停滞しております。 時間かけたぶん、素敵なものに出来るようにしますので、広い気持ちで待っていてやってくださいね。 と、いつのまにやら懺悔になってました。 眠気に負けて、ケータイからの更新です。 また後から直せたら直します。

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新刊書評 五月号 単行本編 2019.05. 05 記 諸般の事情もあってのたり新刊書評、ホンモノののたりとなってしまった。 深く反省しています。 と言う事でスピードを上げていきます。 梶よう子がいい。 最近の作者の活躍には目を見張るものがある。 『お茶壺道中』 を読むと、題材の選定の巧さ、モチーフに込めたメッセージの現代性、それを豊かな物語に仕立てる手腕の凄味が伝わってくる。 作者は政局の混迷度が年を追うごとに複雑化していく幕末を、お茶壺道中に着目す ることで、変化を体現する布石とするアを採用。 要するにお茶壺道中が瓦解する徳川体制の象徴として機能する。 このお茶壺道中を子供のころからこよなく愛し寄り添って生きてきた主人公の志と哲学は、と自分の奉公先である森山園を守る生きがいとなっていく。 これが時代の荒波にさらされることで、強靭なものにしていく。 作者は少年の成長ぶりを、武士ではなく、時代の変化に動じず、守るという信念を貫く商人として造形することで、もうひとつの幕末の姿に迫っている。 守るものを持つ ことの大切さが胸に迫る。 不遇の時代を生きる少年少女へのメッセージでもある。 『白村江』で注目を集めた荒山 徹が畢生の大作を発表した。 『神を統べるもの』 で「厩戸御子追放篇」「覚醒篇」「上宮聖徳法王誕生篇」の三部作である。 遂にやってくれましたというのが素直な感想である。 理由の第一は、初期の『魔岩伝説』『魔風海峡』を彷彿とさせるエネルギーに満ちた物語的佳境が戻ってきたのである。 第二は初期の作風は超伝奇的手法を駆使した奇想天外、の劇画タッチが特徴であった。 本書は『白村江』で会得した政治力学的観点を包含した思考回路をに埋め込み、それを発光源とすることで壮大なイリュージョンを見ているような物語的佳境を創り出すことに成功している。 時は六世紀。 仏教導入派のと反対派のの対立が続いている時代を舞台としている。 つまり、古き神と新しき神の間で政治が揺れ動いている時代である。 そこに複雑な権力抗争が生まれる。 策謀渦巻く中で後のである厩戸御子は仏教経典を読み漁っていた。 仏教導入の切り札として期待されていたと いう設定で、これが物語の発端となっている。 あらすじの紹介は野暮の骨頂で、この作品の面白みは読み進めていくたびに出くわすことになる意外性に満ちた仕掛けにある。 無邪気に楽しむのが一番いい。 初期の荒唐無稽な手法が随所で見られるが、逆にそこに作品自体のエネルギーと、それを巧みに料理している作者の円熟を見る楽しさもある。 凄味を感じるのはの人物造形の豊潤さだ。 奇想天外な構想力と、荒唐無稽な人物の登場と技の応酬で場面に迫力をつける手法が、太子のを際立たせ、包み込んでいく展開は見事の一言に尽きる。 あえて言うぞ。 今年最大の収穫である。 『青山に在り』で新たな領域を開拓し、画期的ともいえる成功を収めた俊英・篠 綾子が新作『酔芙蓉』で、筆力の凄さを見せてくれた。 前作は幕末であったが、本書に舞台は平安末期。 武士の台頭が貴族社会を揺らす動乱期である。 主人公は類稀なる美貌の持ち主である。 歴史的には評価の難しい隆季を主人公に据え、類稀なる持ち主と造形したところに、本書の最大の工夫がある。 この隆季にもう一人の主人公である花山院のが、酔芙蓉の花を携えて訪れる。 明け方から夕方にかけて色を少しずつ変えていく幽玄の花である酔芙蓉が隆季の背景として作用するという仕掛けが施されている。 この掴みが平安末期の様相を象徴している。 平安末期から鎌倉初期を得意としてきた作者らしい出だしで期待値は高まる。 一見、成熟した少女漫画のような筋運びなのだが、そこに生臭い政治ドラマを滑 り込ませているのが味噌である。 舞台が何故、平安末期なのかとい答えがここにある。 もう一冊紹介する。 こちらは文庫書下ろしシリーズで「絵草紙屋万葉堂」の第三弾『揚げ雲雀』 文庫 が刊行された。 日本語を大切にしない現代の 失礼 を念頭に置いた書かれた作品で、作者の執筆姿勢が投影されている。 本書では瓦版が盗賊の連絡に利用されているという仕掛けを施し、その暗号解読が主筋となっている。 質の高いシリーズで、それにさらに磨きがかかってきている。 読み巧者にも耐えうる作品でお勧めである。 デビュー作『虎の牙』で歴史時代作家クラブの新人賞を受賞した武川佑の注目の第二作目が刊行された。 『虎の牙』は到底新人とは思えぬ筆力に感心した。 特に類似作品が多い武田ものに新たな切り口を持って挑戦してきたことに好感を持った。 戦国ものは現在、売れ筋で多くの作家が手掛けている。 この戦列に割り込むためには独自の発想と切り口が必要となる。 注目の二作目『落梅の賦』 はどうか。 完成度に期待と不安があったのだが、それを払拭するだけの出来栄えとなっている。 武田の終焉を斬新な着想と、成熟しつつあるを駆使して描いている点に見るべきものを感じた。 特に、武田信友をクローズアップしてきた読みの深さ、梅雪の解釈の新しさ、何よりも『虎の牙』の着想を足掛かりに、海の民を人物造形の核に埋め込んできた清安の存在が光っている。 山の民と海の民は古代から連綿と続く日本人の精神史の光源であり、権力に抗する自由の魂の鉱脈である。 これを戦国ものに注入してきたと、それを発条として着想する物語作りに、新進気鋭の作家としての方向性があると言えよう。 稀有な才能を有した若き書き手のデビュー作が刊行された。 森山光太郎『火神子』 出版 である。 弱冠27歳の新鋭で最後となった第10回朝日時代小説大賞の受賞作である。 作者は常連の応募者でいずれの作品も題材選定のユニークさ、着想の非凡さとオリジナリティ、歴史に対する造形の深さを感じさせるレベルの高さを有していた。 最終候補にも毎回なっており注目を集めていた書き手である。 は日本史最大の謎ともいうべき存在で、学者、家、小説家がその謎に挑戦してきた。 作者はあえてこの難しい題材を選定。 それだけの自信があったのだろう。 確かにかつてない像を提起している。 実に考え抜かれた物語を作り上げたと言える。 掴みが上手い。 実にいいのだ。 『』の「」の解釈から説き起こし、これに東アジアの勢力分布を下敷きとして置くという幕のあげ方は秀逸である。 新しい国王になるため、古い王家の血筋を絶やすべく、殺戮を繰り返す男に対し、己の弱さを知るがゆえに弱者に寄り添っていこうとする少女。 この構図が物語の本流となっている。 複雑な当時の情勢をわかりやすい構図にすることで、物語に迫力が生まれた。 本流を固める支流のエピソードも程よい加減となっている。 物語性豊かな仕上がりだけに火神子がどう成長していくのか、第二部も読みたいと思う。 平成から令和へとも変わっただけに日本の起源や、制について考えるいい時期ではないか。 その意味でも。 格好の作品となっている。 読みにくくてわかりにくい古代史、それも日本の 起源に迫る題材をわかりやすく読みやすい読物に仕立てた腕は称賛に値する。 筆力も旺盛で筆も早い作者だけに大物の予感がする。 これからの時代小説界を背負って立つのは、希と矢野隆の二人だと思っている。 二人が処女作で見せた既成の枠に囚われない自由な発想で、題材の選定や物語作りができればという注釈が付くが。 その意味で希『の国』と矢野隆『朝嵐』 ともに は興味津々の作品となっている。 前者は、「小説BOC」の螺旋プロジェクトの一環として書かれたもので、対立というプロジェクトのテーマをモチーフとして、武士の起こりから消滅までの通史を描いたものである。 企画の斬新さをうまく取り込んで、面白い読物に仕立ててきた手腕はさすがである。 特に、の通史の底流に山の民海の民の存在と理念を置き、各時代の繋ぎにその存在と理念を幕間として描いていく手法は、作者の成熟を物語っている。 変革期と事件の選定、それに配する人物の選定、造形、加えて解釈も一瞬の輝きを巧みに引き出しており、興趣を盛り上げている。 後者の『朝嵐』は鎮西八郎為朝を描いた力作となっている。 作者には坂田公時を描いた伝奇ものとして出色の出来となっていた『鬼神』がある。 それだけに期待は大きかった。 為朝を描いた作品では『』が群を抜いた面白さとなっている。 なにしろ為朝伝説を想像力で膨らませ、為朝がに渡り、世継ぎの王女と契り、我が子を王位につかせるという伝奇ものの極致みたいな物語なのである。 それが絢爛たる文章と絶妙ともいえる構成で描かれているだけに堪えられない面白さであった。 半世紀も前に読んだ作品だが未だにその時のときめきを覚えている。 アプローチは全く違うが『』に比肩しうる面白さである。 まあ、本書を最後まで読み通した読者には、引用した訳が分かってもらえると思う。 『鬼神』から感じていたことなのだが、作者の執筆姿勢に武とそれを支える思想を根底に据えて描くという意識が見える。 本書にも中央を追われ、反逆者として生きる以外なかった為朝の武士として生きたいという飢えが描かれている。 そこに時の権力者にはない魂の純真さが光っている。 小説作法の円熟と共に、時代小説を支えていく思想が確実に成熟していることが分かる。 読み始めてあれ、読んだ記憶があることに気が付いた。 気になって初出を調べてみたところ「季刊歴史ピープル」 1995年版 に二回にわたって連載していたことが分かった。 そう言えば確かになぜ単行本化 されないのか、気になっていたことを思い出した。 風魔と早雲の造形と取扱い方にこの作者特有の癖があり、その面白さに魅かれるものを感じていたからである。 大幅に加筆修正し刊行した旨が記されている。 そのまま埋もれてしまうには惜しい作品だっただけにホッとした。 第一章「河原風流」の冒頭から読者をぐいぐい引っ張っていく力強い描写が怒涛のように押し寄せてくる。 読ませる。 まさに最先端の歴史研究を渉猟し、独自の解釈を施した作者の独壇場ともいえる語り口が、から二十年後の戦国時代の物語が、歴史の彼岸から蘇ってくる緊迫感を伝える。 つまり、作者の特徴と言われる博覧強記、衒学趣味が遺憾なく発揮された語り口なのだが、それにますます磨きがかかり芸術的な領域に達していることが分かる。 物語を支えているのは、室町将軍家と今川家に仕え、緻密な頭脳と度胸でのし上がっていくと、戦乱で家族を失いながらも、典雅な技で世渡りをしようとする幻術者のの二人で、この二人の造形と行動原理に独特の解釈という衣装を着せたのがコアとなっている。 これが物語の主導線で、これに異形異類の輩、合戦模様、男と女の交情が、物語の興趣を盛り上げるエピソードとして絡まっていく。 重層化した構造が一大絵巻となって展開する。 最後に用意されているのは戦国の象徴である阿鼻叫喚と天変地異の地獄絵図である。 流行りの戦国ものに一石を投じる傑作である。 蘇ったのは本書の持つ底力と思った。 が新境地を拓いた一作が『尼子姫十勇士』 である。 壮大な歴史ファンタという惹句が目を引き、実力派の果敢な挑戦だけに興奮した。 一読して思ったことがある。 恐らく歴史ファンタを書きたいという想いがまずあり、そのための題材をどうするかを熟考したのであろう。 念頭に浮かんだのは、ファンタならを需要なモチーフとして物語を作ることだった。 舞台は出雲。 物語に躍動感を持たすなら伊勢と対立する出雲、つまり、で闇に葬られたと、その地であるが相応しい。 の主役であるスサノウやの精神が必要と考えたのであろう。 反逆者の系譜に連なる形にしないと緊迫感は生まれない。 そうなれば主役は滅亡した尼子一族の奪還がテーマとして浮上してくる。 結論は分かっている話だが、神話を下敷きとすることで奪還物語は、新しい衣装を纏い、歴史的事実とはかけ離れた変幻自在の面白さを描くことが可能となる。 それを実現するために、作者はいくつかの巧妙な仕掛けを施している。 一つが主役を姫としたことだ。 その名もスセリ。 を連想する。 シャーマン性を持たせるための工夫である。 二つ目は第一章を「」としたのもの神武東征条に記されている神武の先導役を務めたことからの連想と思われる。 に導かれて姫のもとに勇士が結集するというのが序曲となっている。 上手い。 三つめは十勇士としたことだ。 『』を連想するが、個性の豊かさと得意技を持たせることで、強烈なチームを作り上げることに成功している。 剛腕の作者らしい壮大な歴史ファンタとなっており、この種の躍動感あふれた物語を続けて書いて欲しい。

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新刊書評 五月号 単行本編 2019.05. 05 記 諸般の事情もあってのたり新刊書評、ホンモノののたりとなってしまった。 深く反省しています。 と言う事でスピードを上げていきます。 梶よう子がいい。 最近の作者の活躍には目を見張るものがある。 『お茶壺道中』 を読むと、題材の選定の巧さ、モチーフに込めたメッセージの現代性、それを豊かな物語に仕立てる手腕の凄味が伝わってくる。 作者は政局の混迷度が年を追うごとに複雑化していく幕末を、お茶壺道中に着目す ることで、変化を体現する布石とするアを採用。 要するにお茶壺道中が瓦解する徳川体制の象徴として機能する。 このお茶壺道中を子供のころからこよなく愛し寄り添って生きてきた主人公の志と哲学は、と自分の奉公先である森山園を守る生きがいとなっていく。 これが時代の荒波にさらされることで、強靭なものにしていく。 作者は少年の成長ぶりを、武士ではなく、時代の変化に動じず、守るという信念を貫く商人として造形することで、もうひとつの幕末の姿に迫っている。 守るものを持つ ことの大切さが胸に迫る。 不遇の時代を生きる少年少女へのメッセージでもある。 『白村江』で注目を集めた荒山 徹が畢生の大作を発表した。 『神を統べるもの』 で「厩戸御子追放篇」「覚醒篇」「上宮聖徳法王誕生篇」の三部作である。 遂にやってくれましたというのが素直な感想である。 理由の第一は、初期の『魔岩伝説』『魔風海峡』を彷彿とさせるエネルギーに満ちた物語的佳境が戻ってきたのである。 第二は初期の作風は超伝奇的手法を駆使した奇想天外、の劇画タッチが特徴であった。 本書は『白村江』で会得した政治力学的観点を包含した思考回路をに埋め込み、それを発光源とすることで壮大なイリュージョンを見ているような物語的佳境を創り出すことに成功している。 時は六世紀。 仏教導入派のと反対派のの対立が続いている時代を舞台としている。 つまり、古き神と新しき神の間で政治が揺れ動いている時代である。 そこに複雑な権力抗争が生まれる。 策謀渦巻く中で後のである厩戸御子は仏教経典を読み漁っていた。 仏教導入の切り札として期待されていたと いう設定で、これが物語の発端となっている。 あらすじの紹介は野暮の骨頂で、この作品の面白みは読み進めていくたびに出くわすことになる意外性に満ちた仕掛けにある。 無邪気に楽しむのが一番いい。 初期の荒唐無稽な手法が随所で見られるが、逆にそこに作品自体のエネルギーと、それを巧みに料理している作者の円熟を見る楽しさもある。 凄味を感じるのはの人物造形の豊潤さだ。 奇想天外な構想力と、荒唐無稽な人物の登場と技の応酬で場面に迫力をつける手法が、太子のを際立たせ、包み込んでいく展開は見事の一言に尽きる。 あえて言うぞ。 今年最大の収穫である。 『青山に在り』で新たな領域を開拓し、画期的ともいえる成功を収めた俊英・篠 綾子が新作『酔芙蓉』で、筆力の凄さを見せてくれた。 前作は幕末であったが、本書に舞台は平安末期。 武士の台頭が貴族社会を揺らす動乱期である。 主人公は類稀なる美貌の持ち主である。 歴史的には評価の難しい隆季を主人公に据え、類稀なる持ち主と造形したところに、本書の最大の工夫がある。 この隆季にもう一人の主人公である花山院のが、酔芙蓉の花を携えて訪れる。 明け方から夕方にかけて色を少しずつ変えていく幽玄の花である酔芙蓉が隆季の背景として作用するという仕掛けが施されている。 この掴みが平安末期の様相を象徴している。 平安末期から鎌倉初期を得意としてきた作者らしい出だしで期待値は高まる。 一見、成熟した少女漫画のような筋運びなのだが、そこに生臭い政治ドラマを滑 り込ませているのが味噌である。 舞台が何故、平安末期なのかとい答えがここにある。 もう一冊紹介する。 こちらは文庫書下ろしシリーズで「絵草紙屋万葉堂」の第三弾『揚げ雲雀』 文庫 が刊行された。 日本語を大切にしない現代の 失礼 を念頭に置いた書かれた作品で、作者の執筆姿勢が投影されている。 本書では瓦版が盗賊の連絡に利用されているという仕掛けを施し、その暗号解読が主筋となっている。 質の高いシリーズで、それにさらに磨きがかかってきている。 読み巧者にも耐えうる作品でお勧めである。 デビュー作『虎の牙』で歴史時代作家クラブの新人賞を受賞した武川佑の注目の第二作目が刊行された。 『虎の牙』は到底新人とは思えぬ筆力に感心した。 特に類似作品が多い武田ものに新たな切り口を持って挑戦してきたことに好感を持った。 戦国ものは現在、売れ筋で多くの作家が手掛けている。 この戦列に割り込むためには独自の発想と切り口が必要となる。 注目の二作目『落梅の賦』 はどうか。 完成度に期待と不安があったのだが、それを払拭するだけの出来栄えとなっている。 武田の終焉を斬新な着想と、成熟しつつあるを駆使して描いている点に見るべきものを感じた。 特に、武田信友をクローズアップしてきた読みの深さ、梅雪の解釈の新しさ、何よりも『虎の牙』の着想を足掛かりに、海の民を人物造形の核に埋め込んできた清安の存在が光っている。 山の民と海の民は古代から連綿と続く日本人の精神史の光源であり、権力に抗する自由の魂の鉱脈である。 これを戦国ものに注入してきたと、それを発条として着想する物語作りに、新進気鋭の作家としての方向性があると言えよう。 稀有な才能を有した若き書き手のデビュー作が刊行された。 森山光太郎『火神子』 出版 である。 弱冠27歳の新鋭で最後となった第10回朝日時代小説大賞の受賞作である。 作者は常連の応募者でいずれの作品も題材選定のユニークさ、着想の非凡さとオリジナリティ、歴史に対する造形の深さを感じさせるレベルの高さを有していた。 最終候補にも毎回なっており注目を集めていた書き手である。 は日本史最大の謎ともいうべき存在で、学者、家、小説家がその謎に挑戦してきた。 作者はあえてこの難しい題材を選定。 それだけの自信があったのだろう。 確かにかつてない像を提起している。 実に考え抜かれた物語を作り上げたと言える。 掴みが上手い。 実にいいのだ。 『』の「」の解釈から説き起こし、これに東アジアの勢力分布を下敷きとして置くという幕のあげ方は秀逸である。 新しい国王になるため、古い王家の血筋を絶やすべく、殺戮を繰り返す男に対し、己の弱さを知るがゆえに弱者に寄り添っていこうとする少女。 この構図が物語の本流となっている。 複雑な当時の情勢をわかりやすい構図にすることで、物語に迫力が生まれた。 本流を固める支流のエピソードも程よい加減となっている。 物語性豊かな仕上がりだけに火神子がどう成長していくのか、第二部も読みたいと思う。 平成から令和へとも変わっただけに日本の起源や、制について考えるいい時期ではないか。 その意味でも。 格好の作品となっている。 読みにくくてわかりにくい古代史、それも日本の 起源に迫る題材をわかりやすく読みやすい読物に仕立てた腕は称賛に値する。 筆力も旺盛で筆も早い作者だけに大物の予感がする。 これからの時代小説界を背負って立つのは、希と矢野隆の二人だと思っている。 二人が処女作で見せた既成の枠に囚われない自由な発想で、題材の選定や物語作りができればという注釈が付くが。 その意味で希『の国』と矢野隆『朝嵐』 ともに は興味津々の作品となっている。 前者は、「小説BOC」の螺旋プロジェクトの一環として書かれたもので、対立というプロジェクトのテーマをモチーフとして、武士の起こりから消滅までの通史を描いたものである。 企画の斬新さをうまく取り込んで、面白い読物に仕立ててきた手腕はさすがである。 特に、の通史の底流に山の民海の民の存在と理念を置き、各時代の繋ぎにその存在と理念を幕間として描いていく手法は、作者の成熟を物語っている。 変革期と事件の選定、それに配する人物の選定、造形、加えて解釈も一瞬の輝きを巧みに引き出しており、興趣を盛り上げている。 後者の『朝嵐』は鎮西八郎為朝を描いた力作となっている。 作者には坂田公時を描いた伝奇ものとして出色の出来となっていた『鬼神』がある。 それだけに期待は大きかった。 為朝を描いた作品では『』が群を抜いた面白さとなっている。 なにしろ為朝伝説を想像力で膨らませ、為朝がに渡り、世継ぎの王女と契り、我が子を王位につかせるという伝奇ものの極致みたいな物語なのである。 それが絢爛たる文章と絶妙ともいえる構成で描かれているだけに堪えられない面白さであった。 半世紀も前に読んだ作品だが未だにその時のときめきを覚えている。 アプローチは全く違うが『』に比肩しうる面白さである。 まあ、本書を最後まで読み通した読者には、引用した訳が分かってもらえると思う。 『鬼神』から感じていたことなのだが、作者の執筆姿勢に武とそれを支える思想を根底に据えて描くという意識が見える。 本書にも中央を追われ、反逆者として生きる以外なかった為朝の武士として生きたいという飢えが描かれている。 そこに時の権力者にはない魂の純真さが光っている。 小説作法の円熟と共に、時代小説を支えていく思想が確実に成熟していることが分かる。 読み始めてあれ、読んだ記憶があることに気が付いた。 気になって初出を調べてみたところ「季刊歴史ピープル」 1995年版 に二回にわたって連載していたことが分かった。 そう言えば確かになぜ単行本化 されないのか、気になっていたことを思い出した。 風魔と早雲の造形と取扱い方にこの作者特有の癖があり、その面白さに魅かれるものを感じていたからである。 大幅に加筆修正し刊行した旨が記されている。 そのまま埋もれてしまうには惜しい作品だっただけにホッとした。 第一章「河原風流」の冒頭から読者をぐいぐい引っ張っていく力強い描写が怒涛のように押し寄せてくる。 読ませる。 まさに最先端の歴史研究を渉猟し、独自の解釈を施した作者の独壇場ともいえる語り口が、から二十年後の戦国時代の物語が、歴史の彼岸から蘇ってくる緊迫感を伝える。 つまり、作者の特徴と言われる博覧強記、衒学趣味が遺憾なく発揮された語り口なのだが、それにますます磨きがかかり芸術的な領域に達していることが分かる。 物語を支えているのは、室町将軍家と今川家に仕え、緻密な頭脳と度胸でのし上がっていくと、戦乱で家族を失いながらも、典雅な技で世渡りをしようとする幻術者のの二人で、この二人の造形と行動原理に独特の解釈という衣装を着せたのがコアとなっている。 これが物語の主導線で、これに異形異類の輩、合戦模様、男と女の交情が、物語の興趣を盛り上げるエピソードとして絡まっていく。 重層化した構造が一大絵巻となって展開する。 最後に用意されているのは戦国の象徴である阿鼻叫喚と天変地異の地獄絵図である。 流行りの戦国ものに一石を投じる傑作である。 蘇ったのは本書の持つ底力と思った。 が新境地を拓いた一作が『尼子姫十勇士』 である。 壮大な歴史ファンタという惹句が目を引き、実力派の果敢な挑戦だけに興奮した。 一読して思ったことがある。 恐らく歴史ファンタを書きたいという想いがまずあり、そのための題材をどうするかを熟考したのであろう。 念頭に浮かんだのは、ファンタならを需要なモチーフとして物語を作ることだった。 舞台は出雲。 物語に躍動感を持たすなら伊勢と対立する出雲、つまり、で闇に葬られたと、その地であるが相応しい。 の主役であるスサノウやの精神が必要と考えたのであろう。 反逆者の系譜に連なる形にしないと緊迫感は生まれない。 そうなれば主役は滅亡した尼子一族の奪還がテーマとして浮上してくる。 結論は分かっている話だが、神話を下敷きとすることで奪還物語は、新しい衣装を纏い、歴史的事実とはかけ離れた変幻自在の面白さを描くことが可能となる。 それを実現するために、作者はいくつかの巧妙な仕掛けを施している。 一つが主役を姫としたことだ。 その名もスセリ。 を連想する。 シャーマン性を持たせるための工夫である。 二つ目は第一章を「」としたのもの神武東征条に記されている神武の先導役を務めたことからの連想と思われる。 に導かれて姫のもとに勇士が結集するというのが序曲となっている。 上手い。 三つめは十勇士としたことだ。 『』を連想するが、個性の豊かさと得意技を持たせることで、強烈なチームを作り上げることに成功している。 剛腕の作者らしい壮大な歴史ファンタとなっており、この種の躍動感あふれた物語を続けて書いて欲しい。

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