大勝 軒 センター 北。 大勝軒 北習志野西口(地図/写真/北習志野/ラーメン)

都筑大勝: 擂り粉木日記

大勝 軒 センター 北

「ラーメン屋をやりたい・・・」その熱い想いを持ち、 40代にしてサラリーマンを辞め、修業の道に入った。 東京、山手線沿線を、一軒ずつ歩いて探した。 ようやく見つかった修業の店だが、 自分の求めている味との違いを感じていた・・・そんな時 来店してたお客様からとある店の話を聞く。 それが、東池袋「大勝軒」の山岸マスターとの出会いだった。 「大勝軒」山岸氏と店に立った日々、 ここでは、「ラーメンに対する熱い想いとお客様を想う心を学んだ。 」 聖域とも言われた製麺所で、自家製麺の手法を教わった。 スープも麺も、素材にこだわり、追及の手を緩める事は無い。 昔の東池袋「大勝軒」の味をしっているお客様には 山岸氏の顔が想い浮かぶと・・・・。 やはり、山岸氏から学んだ「心」を受け継ぎ、生きている証拠なのだろう。 お客様からの「うまい」の言葉を励みに日々研究しています。 お客様のための手間と時間は惜しみません。

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『』by ha_yo728 : 大勝軒 都筑店

大勝 軒 センター 北

市営地下鉄センター北駅そばの二郎インスパイア店『センター北郎』。 その屋号のインパクトもあったが、二郎系インスパイアの黎明期…という程でもないか、まあ早い時期に現れたので、はそれなりに賑わいを見せていたように記憶する。 それが開店10年目にして『東池袋大勝軒』に鞍替えしたというので驚いた。 週末金曜日の会社帰りに立ち寄ってみた。 あ、本当に変わってるよ。 死者に鞭打つようだけど、は他客もおらず店内も暗く、ラーメンもコンビニの二郎風ラーメンとあまり変わらないレベルで「三度目はない」と思った有様だったからな-。 それにしても今更『東池袋大勝軒』とはね。 ブランドは良く知れ渡っているけど、今やあまりそれをウリに出来ない状態だからなー。 早速入店。 入口脇に券売機。 厨房にはおじさん店主一人。 客商売には向かない小さな声なので「接客悪い」と言われてしまっていた『センター北郎』店主だったから鞍替えしたのは間違いなさそう。 銀色のカウンター13席のみ。 テーブル席があった方は仕切りで塞いで潰してしまっていた。 先客は我とすれ違いで退店し後客ゼロ。 また店主と対峙する形になった。 東池袋大勝軒直系 大勝軒 都筑店 『もりそば(中盛)』 1090円 おすすめと書かれた筆頭もりそばを中盛で注文。 並で970円だよ。 そういう時代になったか…。 麺はちぢれ太麺。 ある程度かために茹でられていてシコシコして良さそうだ。 麺丼の方に海苔が1枚。 つけ汁は酸味がありさっぱりして多少辛味も入ったオーソドックスな東池袋大勝軒系の味。 具は薬味ネギとメンマ数本、ナルト1枚はいいとしてワカメが入っているよ…。 これを入れるとチープ感に支配されて台無しになるのに…。 そのガックリした気持ちをいくらか補ってくれた救いの主は分厚いチャーシューだった。 思わず麺側の丼に移して撮影。 このチャーシューの厚さは他の東池袋大勝軒系ではあまり見ない。 センター北郎時代の尾てい骨のような。 ワカメ以外は欠点はなく食べすすめる事が出来、最後は割りスープを加え締めとした。 我は中盛でちょうどの量だった。 センター北郎末期よりは良くなっているとは思うと上から目線の感想を得て退店した。

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ラーメン北郎

大勝 軒 センター 北

イチバのRMYK (ラーメン用語解説) 説明しよう!!東池袋大勝軒とは・・今では誰しもが知っている「つけ麺」を考案したと言われる 「ラーメンの神様」こと山岸氏のお店なのだ。 中野大勝軒の店長を経たのちに自身の独立店である「東池袋大勝軒」を1961年に開店する。 その後は多くの弟子を輩出し、エピソードも多いことからラーメン界の伝説と化したお店。 2007年に開発の為に閉店し翌2008年に移転オープン。 2019年10月現在は2代目の飯野店主 滝野川大勝軒)が店を切り盛りしている。 イチバが行列に並んだ過去最高の時間が山岸氏時代のここで実に2時間50分待ち。 ちなみに同名の「永福町大勝軒」「人形町大勝軒」は全く別のお店で関係ない。 まさに「最強」とも言える「もりそば」を作る紺野さん。 修行時代が気になる。 紺野さんは福島県出身で、高校卒業後に船橋市の大手硝子メーカーに入社しました。 「精密機械のメンテナンスをやっていた技術屋だったんだ。 サラリーマン時代から山手線沿線を中心にラーメン食べ歩いていて、40歳くらいでラーメン屋やりたくて脱サラしたんだよ。 」 「満来」と言えば新宿の老舗行列店ですね。 「そこの堀内さん(現ほりうち店主)の下で修行したんだけど、繁盛店でメチャメチャ混んでね・・・開店前から閉店までずっと行列!熱い丼持つから手は火傷だらけ、常に店内走り回ってたから帰りの電車でよく足つったよ。 」 マスターとの思い出の一つ一つが今の紺野さんを支えているのだ。 「ラーメンの神」と呼ばれたマスターこと 山岸氏はどんな方でしたか?と伺うと・・・。 「凄く純粋な人だったよ。 センスが凄すぎるんだろうね・・8年間作り続けたけど、マスターの味を超えるのは無理だった。 」 こうして、 北習大勝軒が暖簾分けとして平成8年にオープンします。 そして、東池袋大勝軒系の店内ではほぼ見る事の出来る 「あの」写真の事も・・・。 美味いもの作っていれば、お客さんを通じてマスターの耳に入るから・・。

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