芥川 龍之介 桃太郎。 桃太郎の鬼はなぜ退治されたのか 時代とともに付け足された悪事

芥川龍之介『桃太郎』のあらすじ、感想。

芥川 龍之介 桃太郎

そもそも、桃太郎が鬼が島征伐を思い立ったのも、お爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったのが理由です。 それに、ケチなところもある。 「お供しましょう、一つ下さい」という犬に対し「半分やろう」と、黍団子(きびだんご)を半分しか与えません。 芥川桃太郎で描かれる鬼が島は、いわゆる南方の楽園のようなところです。 そこで鬼は琴を弾ひいたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったりと安穏と暮らしてるのですが、そこに突然やってきた桃太郎一行は、 「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」 犬は鬼の若者を噛み殺し、雉も鋭い嘴くちばしで鬼の子供を突き殺し、猿は鬼の娘を絞めしめ殺す前に、必ず凌辱を恣(ほしい)ままにしました。 最後に鬼の酋長は、桃太郎一行に降参するのですが、額を土にすりつけた後、恐る恐る桃太郎にこう質問するんですね。 「わたくしどもはあなた様に何か無礼でも致したため、御征伐を受けたことと存じて居ります。 しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点がてんが参りませぬ。 ついてはその無礼の次第をお明あかし下さる訣わけには参りますまいか?」 そうしたら、桃太郎の返事はこうだもんね。 「(中略)鬼が島を征伐したいと志した故、(犬、猿、雉に)黍団子をやっても召し抱えたのだ。 」 こうして、故郷に凱旋した桃太郎なのですが、このように暴虐、悪辣の限りを尽くす桃太郎の姿に、色々なサイトをネットサーフィンをすると、かつての日本の「外征」や「帝国主義の戯画」と捉えている人も少なくないようですね。 『蜘蛛の糸』との共通点 この物語が書かれたのは大正13年(1924年)。 日韓併合での民族間の軋轢、民族独立運動などが時代背景にあったり、翌年には治安維持法が施行されたりしていますから、たしかに桃太郎を日本の帝国主義になぞらえて芥川はパロディ形式で批判しているのだという捉え方も可能でしょう。 もちろん、私もそのような見方は否定しません。 でもね、物語の冒頭と終盤に登場する黄泉の国の桃の実と、それを啄ばむ八咫烏の描写も加えて考えると、単に「桃太郎は悪いヤツだぞー!」という話から、もう一段深いことを芥川は言おうとしているんじゃないかということに気がつくんですよ。 この構造、どこかで見たことあるな?と思ったら、そうそう、同じ芥川作の短編『蜘蛛の糸』なんですね。 桃太郎ではなく人間社会を描きたかった? そうすると、芥川は真ん中の「ドタバタ」つまり、人間社会の営みや愚かしさを、静かで悠久な時間が流れる「黄泉の国」や「極楽」と対比させることで生々しく描こうとしたんじゃないかな?とも捉えられるわけです。 そのような目線でいまいちど『桃太郎』を読むと、芥川龍之介の『桃太郎』は、見事に人間社会、特に当時の日本の社会をえぐりだした作品なのだなと深読みすることも可能なんですね。 いささか深読み過ぎるのかもしれないけれど、もし仮にそうなのだとしたら、この短い物語に封じ込められた人間社会や人間を観る芥川の洞察力は、歳月を経てもなお色褪せることなく、現代社会に生きる我々に対しても暗示と示唆に富んでいるのではないかと思うんですね。 大正13年のご時勢 繰り返すと、この物語が著されたのは、大正13年です。 日本の「外征」を作中の桃太郎の行動になぞらえているのだと捉えることも可能ですし、先述したとおり、それに対する批判であると読み解くことも出来るでしょう。 また、来るべき日中戦争を予見しており、芥川は今後の日本の外征、侵攻、戦争を予見して描いたと深読みすることも出来るかもしれません。 でもそうなると、もう小説家を超えて、芥川さんは予言者になってしまいますね。 でも、そのことだけを描きたいがために『桃太郎』を執筆したのだとはどうしても思えないんですね。 先述したように、物語本編の前後に「黄泉の国の八咫烏」の描写があるところからも、私はむしろ、芥川は天才(圧制者)に対して浮き彫りとなる民衆の姿を描きたかったのではないかと思うんですよ。 関東大震災1年後の作品 大正13年の1年前には関東大震災がありました。 この震災は、もちろん東京に住んでいた芥川にも襲いかかります。 震災後、芥川は震災に関する随筆をいくつか著しているのですが、その中のひとつ『大正十二年九月一日の大震に際して』という作品があります。 その中で、芥川は友人の菊池寛(「文藝春秋社」や「芥川賞」を創設した小説家です)と大震災に関する雑談を交わしているのですが、そのやり取りが興味深いのです。 震災に伴う大火の原因を芥川は、「不逞鮮人の暴動だそうだ」というと、菊池は眉を吊り上げながら「嘘だよ」と一喝。 芥川が「不逞鮮人はボルシェヴィキの手先だそうだ」と言うと、菊池は今度も眉を挙げると「嘘さ、君、そんなことは」と叱りつけたと書かれています。 芥川は「じゃ、(その話も)嘘だろう」と自説を撤回しているのです。 だから芥川は、噂を安易に信じない菊地のことを「完全に善良なる市民の資格を放棄した」と書き、自分のことを「善良なる市民」と位置づけています。 そして、「善良なる市民になることは、とにかく苦心を要するものである」とも書いています。 時は関東大震災の直後です。 この時勢の中、対外的には「朝鮮人の迫害」に対して批判めいたことは言いにくかったのかもしれません。 もしかしたら芥川は、「善良なる市民はうわさを信じ込むものなのだ」と菊池の言葉で自分の考えを代弁させたのかもしれません。 この関東大震災後のゴタゴタで、噂に次ぐ噂に付和雷同し、異国民を迫害する市民意識や、そこから来るむき出しの差別感情を危惧して書かれたのが、翌年の『桃太郎』なのではないか、という見方も出来ないこともありません。 善良なる市民、この場合においては特に日本人の場合、一つの言説に惑わされ翻弄されやすいものである、ということを、芥川は菊池との会話で身をもって自覚したのかもしれないし、菊池の言葉を借りて主張したかったのかもしれません。 善悪の彼岸を超えた存在 芥川が物語で造形した桃太郎は傍若無人で、いわば「善悪の彼岸を超えた存在」ともいえます。 というのも、人間社会の尺度に照らし合わせれば、たしかに大悪人でしょう。 しかし、この作中の桃太郎は、もとはといえば人間ではなく、黄泉の国から運命のいたずらで人間世界に突如舞い込んできた超越的パワーの持ち主だからです。 黄泉の国の木になる桃の実は、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけており、結んだ実は一千年の間は地に落ちないのですが、ある朝、一羽の八咫烏が小さな実を一つ啄み落とし、この実が人間の世界に流れ込み、そこから生まれた桃太郎。 つまり、八咫烏の気まぐれで黄泉の国から突然人間の世界に流れてきたため、彼の考えることや、やることなすことに、いちいち人間社会の物差しを当て嵌めたところで、ムダといえばムダなのです。 天才桃太郎 人間世界の尺度を超えた異常な能力を発揮する超越的な存在、つまり、この桃太郎的な善悪の彼岸を超えた圧倒的な存在を、芥川は「天才」と表現しています。 イタリアの精神科医で、犯罪人類学の創始者でもあるロンブローゾは、「天才」のことを「偶々地上に現れて忽然と消え失せる流星の如き」存在で、「ある者は異常な腕力を有し、民衆はその力を尊敬する者である」と記しています。 そしてニーチェは、行き詰まった時代を打開するためには「一切の道徳的偽善を必要とせずに行動し、命令を下すことが出来る天才、あるいは超人の出現に俟たねばならない」としています。 要するに、一般市民は天才という圧制者の前には抗う術もなく、しかしながらどうしようもない世の中に陥った際には、軽蔑かつ嫌悪しつつも圧倒的に力を持つ存在を希求せざるをえない。 このようにか弱く「個」のない一般市民の姿は、芥川龍之介が生きた時代から100年近く経とうとする現在の日本社会においても変わることがないように感じられてなりません。 100年前と変わらぬ日本人 戦後の高度経済成長を経て繁栄をしてきたかのように見える現在の日本ではありますが、バブル崩壊後の多くの日本人には豊かさの実感が乏しく、くわえて「個」というものが希薄であるということは、芥川が「善良なる市民」と皮肉った100年前とそれほど変わっていないような気がします。 「豊かさの実感」がなく、ゆえに「個」を確立していない民衆は、社会の大きな波に揉まれた場合はどうなるのか。 自らが切り開いていくという気概を持つ者はおらず、おそらくは芥川が描く桃太郎のような超越的な圧制者の到来を待ち望むほか術がないのではないかと思われます。 たとえ、それが歓迎せざる暴力的な「天才」の出現であるにせよ、また嫌悪すべき対象であるにせよ、自らはどうすることも出来ない以上、圧倒的な力を持つ「天才」に期待をかけざるをえない。 たとえそれが屈辱に満ちたことであれ、追い込まれてしまった社会の大衆は、「人の法も神の法も意に介さず蹂躙する天才」に望みを託さざるを得なくなるのでしょう。 世の中が弱ったときに出現したら……? これはなにも日本国民に限ったことではなく、アメリカで昨年トランプ大統領の政権が誕生したことも、そのことを象徴しているのではないかと思います。 経済不況、移民問題、労働問題、高齢社会、所得に教育や医療の格差……。 これら社会が行き詰まり閉塞感を打開する兆しが一向に見えない時に、黄泉の国から何かの偶然で圧倒的なパワーを持った圧制者(芥川は「天才」と呼んでいる)が出現した場合、我々「善良なる市民」であり「民衆」は、圧制者に翻弄されるがままになるのでしょうか? しかし、これからの歴史は英雄や豪傑、エリートがつくるのではないのではないと思います。 無名の民衆が紡ぎ出すべきものであるはずだ、と理想論を(一応)述べておきましょう。 迷い、流されつつも、民衆は変革の原動力にもなるはずである。 それは近年においても「アラブの春」の例などからも明らかです。 団結せよ!暴動を起こせ!と主張しているわけではないですよ。 圧制者(=天才)に翻弄されるがままでイイんですか?ってことです。 芥川は『桃太郎』の最後を、 しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。 あの大きい八咫鴉は今度はいつこの木の梢こずえへもう一度姿を露あらわすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。 と結んでいます。 つまり、いつなんどき、ひとたび運命の歯車がわずかに狂えば、ふたたび桃太郎のような「天才(=圧制者)」が世に現れるぞ、と警鐘を鳴らしているのです。

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桃太郎

芥川 龍之介 桃太郎

登場人物 桃太郎 国生みの神話由来の桃の木から産まれた、腕白な日本一の男の子。 犬 野良犬で、ひもじいため黍団子半分で桃太郎の家来になる。 猿 鬼ヶ島の打ち手の小槌づちに欲がくらんで、家来になる。 雉 皆と同じ黍団子半分で家来になる、地震予知の能力がある。 鬼の酋長 鬼ヶ島をなぜ侵略するのか、桃太郎にその理由を質問する。 あらすじ ネタバレあり 話し伝えられる昔話には、いろいろなストーリーや類型があり、同じような話が日本だけでなく世界にあります。 まず、標準を確認して芥川の『桃太郎』を味わっていきます。 標準的な「桃太郎」のお話。 一般的に普及している物語は、お婆さんが、川で洗濯をしていると川上から大きな桃が流れてきて、家で食べようとすると桃が割れて中から男の子が出てきます。 若者になって、力持ちの桃太郎は、鬼退治に行くことになります。 黍団子 きびだんごを腰に鬼を探し歩いていると、犬がやってきて、黍団子をもらって加わります、同じように、猿も雉も加わり一行は鬼の棲家に辿り着き奮戦します。 犬は足にかみつき、キジは目をつつき、猿はひっかきます、そして桃太郎は投げ飛ばします。 鬼たちは降参して、盗んだ財宝を返します。 村に帰りお爺さんもお婆さんも村人も喜び、それから平和に暮らしました。 という話で、皆で力を合わせての勧善懲悪となっています。 桃太郎は一万年に一度の運命で、お婆さんの前に現れた赤子だった。 むかしむかしの大むかし、人間の知らないある深い山に大きい桃の木がありました。 枝は雲の上に広がり、根は 黄泉 よみの国まで及ぶほどの、それはとんでもない大きさでした。 何でもこの桃の木は日本神話の国産みの 伊弉諾 いざなぎの 尊 みことが投げた桃の実が大きくなり枝になったというもので、一万年に一度、花を咲かせ実をつけます。 そして不思議な事に、その実の中に赤子を一人づつ孕んでいます。 ある朝、運命は一羽の 八咫烏 やたがらすとなり、そのひとつを 啄 ついばみ落としました。 それは遥か下の谷川へ落ちます。 そしてこの赤子を孕んだ桃の実は、深い山の奥から谷川を流れていき、下流で一人、洗濯をしていたお婆さんのところへ流れつきました。 桃太郎は鬼ヶ島征伐を思い立ち、お爺さんもお婆さんも喜び送り出す。 桃太郎は、お爺さんやお婆さんのように、山や川で仕事をするのがいやで、鬼ヶ島征伐を思い立ちます。 老人夫婦も腕白な桃太郎に愛想をつかしていたので、旗や太刀や陣羽織と出陣の支度をして、食糧に注文通り黍団子をこさえます。 桃太郎が意気揚々と黍団子を腰に結わえ鬼退治の途に就くと、野良犬がやってきて「お腰につけたものは何ですか?」と訊ねるので、桃太郎は「日本一の黍団子だ」と答えます。 犬は黍団子欲しさに家来になると言います。 「一つください」「半分ならやろうと」と繰り返し問答になるが、持たぬものは持つものの意志に服従するしかなく、半分貰う代わりに伴をする事になります。 桃太郎が、半分を餌食に、猿や雉も家来にします。 しかし三匹は仲が悪く、また欲張りで桃太郎はこれをまとめていきます。 鬼ヶ島は美しい天然の楽土で、鬼たちは平和で安穏に暮らしていた。 鬼ヶ島は絶海の孤島ですが、 椰子 やしがそびえたり、極楽鳥が 囀 さえずったりする天然の楽土でした。 鬼も琴を弾いたり踊りを踊ったり、詩を歌ったり安穏に暮らしています。 鬼の妻や娘も 機 はたをおったり、酒を 醸 かもしたり蘭の花束を 拵 こしらえたり人間と変わらず暮らしていました。 そして「悪戯をすると人間の島にやってしまうよ。 そこでは、嘘は言うし、欲は深いし、焼餅は焼くし、自惚れは強いし、仲間同士殺しあうし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ・・・」と鬼の母は孫を守りしながら話します。 桃太郎は、こういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えたのです。 桃太郎と犬猿雉はあらゆる罪悪を行い、鬼の酋長は降参しました。 桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り「進め!進め!鬼という鬼は見つけ次第、一匹残らず殺してしまえ!」と犬猿雉の三匹に号令します。 犬猿雉は、仲の良い家来ではないのですが、飢えた動物ほど忠勇無双の兵卒の資格をそなえており、犬は鬼の若者を噛み殺し、雉は嘴で鬼の子どもを突き殺し、猿は鬼の娘を殺す前に凌辱をします。 そして、桃太郎は力に任せて片っ端から鬼を投げ飛ばします。 とうとう酋長の鬼は、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参します。 鬼ヶ島は、楽土から変わり果て、椰子の林は鬼の死骸を撒き散らしました。 鬼ヶ島が何故、征伐されたかが、鬼の酋長は分からず質問します。 そして「格別の憐憫により命は許してやるので、鬼ヶ島の宝物はひとつ残らず献上せよ、さらに子供を人質に差し出せ」と桃太郎は厳かに言います。 鬼はそれに従い平伏しながら質問をします。 「わたくしどもはあなた様に何か無礼でもしたため、ご征伐を受けたことと思っていますが、思い当たる節が無く、教えてくれませんか」と。 すると桃太郎は「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えたゆえ、鬼ヶ島へ征伐に来たのだ」と答えます。 鬼の酋長は「ではお三方をお召し抱えなさったのは、どういう訳でしょうか」と訊ねると、 桃太郎は「鬼ヶ島を征伐したいと志したゆえ、黍団子をやっても召し抱えたのだ、どうだ、これでも分からなければ貴様たちも皆殺しだ」と言います。 鬼の酋長は驚いたように三尺ほど後ろへ飛び下がり丁寧にお辞儀をしました。 宝物を持って凱旋した桃太郎だが、鬼の反逆に不安のなか嘆息する。 日本一の桃太郎は、犬猿雉の三匹と人質の鬼の子どもに宝物の車を引かせて故郷へ凱旋します。 しかし、必ずしもそれ以降、幸せに一生を送った訳ではありません。 鬼の子どもは一人前になると番人の雉を噛み殺し鬼ヶ島へ逃げ帰り、時々、海を渡ってきては、桃太郎の屋形へ火をつけたり、寝首をかこうとします。 猿が殺されたのは人違いという噂でした。 桃太郎は、嘆息を漏らし「鬼は執念深くて困ったものだ」と言い、「命を助けていただいたのに、ご恩を忘れるとはけしからぬ」と犬も悔しそうに唸ります。 鬼ヶ島の磯には、鬼の若者が五六人、鬼ヶ島の独立を計画するため、椰子の実に爆弾を仕込んでいます。 優しい鬼の娘たちに恋をすることも忘れ、黙々と、しかし嬉しそうに目を輝かせながら。 あの人間の知らない深い山の桃の木は、累々と無数の実をつけています。 あの八咫烏は、今度はまたいつ姿をあらわすのでしょうか。 未来の天才はまだ何人とも知らず眠っています。 何故、攻めたかの理由がない。 そこに、桃太郎一行が傍若無人にやってきて、犬は噛み殺し、雉は突き殺し、猿は凌辱する。 あらゆる罪悪が行われた後、鬼たちはついに降参します。 酋長が、攻められる理由を聞くと「犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えたから」と答え、さらに「お三方を召し抱えなさったのはなぜですか」と聞くと、「鬼ヶ島を征伐したいから、黍団子をやって召し抱えた」と答え、「まだわからなければ貴様たちも皆殺しだ」と言います。 つまり問答無用なわけです。 そして人質ならぬ、鬼質で子どもの鬼を人間の島に奪ってきます。 ところが、大人になった鬼たちは、逃げだし鬼ヶ島に帰り復讐心を燃やします。 そして屋形に火をつけたり、寝首をかこうとします。 桃太郎は「鬼たちの執念深いのは困ったものだ」と嘆息をもらします。 鬼の側に立てば、なんという不条理、さらに理由なく侵略されたのですから鬼の復讐は当然ですが、そのような展開ではなく、桃太郎の武勇伝になっています。 当時の世界通念として、 戦争を始める理由は嘘やいいがかり、弱肉強食がまかり通る、時代的に、そのようなことが前提となっています。 芥川の桃太郎の物語は、強欲でお互いに仲の悪い犬猿雉をうまくまとめながら、平和な鬼ヶ島を、桃太郎一行が傍若無人に滅ぼし、平伏させて財宝を持ち帰り凱旋し自分たちは幸せになると言うお話です。 これは、どう考えても侵略です。 まず、冒頭には、桃あるいは桃の木について、以下のように記されています。 何でも 天地開闢 てんちかいびゃくの頃おい、 伊弉諾 いざなぎ の 尊 みこと は 黄最津平坂 よもつひらさか に八つの 雷 いかずち を 却 しりぞ けるため、桃の実を 礫 つぶて に打ったという この神話の 伊弉諾 いざなぎの国産みの神代の桃の実から、枝がなり、一万年に一度、花を開き、実をつける。 その実の中に美しい赤児を孕んでいた。 そしてこの実は、一千年の間は地に落ちないのだが、運命が、一羽の 八咫烏 やたがらすとなって、ひとつ 啄 ついばみ、それが人間のいる国へ流れたと、由来を前置きしています。 そして、物語の最期には、 しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らずに眠っている。 あの大きい 八咫烏 やたがらす は、今度はいつこの木の梢へもう一度姿をあらわすであろう?ああ未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らずに眠っている。 芥川がこう書いている以上、そうそう単純な話では片付かないはずです。 時代の背景では、明治からの近代日本の構築、富国強兵と殖産興業、そして膨張する世界の中で日清・日露の両戦争を経て、日本は、列強に侵略されたアジアの諸国に比べて有色人種ながら一等国になります。 そして、執筆の前年1923年には、関東大震災が起こっています。 是非はともかく、時代背景としては覇権主義、帝国主義の西欧列強に対して、日本も強いリーダーシップが求められる。 国を守り国を繁栄させるためにはやはり天才の為政者が待望される、この時代背景の中に、桃太郎の物語があります。 それは、皇国史観とともに民意の尊重が大正デモクラシー運動の中で芽生えます。 この統治者と一般の人々との、あるいは統治者と文豪との複数形の価値の中にあると捉えることで、当時の時代感覚の中での運命の翻弄とぎりぎりの人間性への問いかけと考えられます。 生き残った鬼たちが、復讐や反撃を誓い、試みるのもまた、時代の連続性であり、運命であり、無常観でもあります。 大きな世界史的な時代の運命に日本も巻き込まれ、日清・日露の自衛の戦いから第一次世界大戦を経て、次第に陸軍の拡張となっていきます。 芥川は当然、侵略を是としているわけではありません。 しかし時代の中で強いリーダーシップが必要な現実もあります。 芥川の桃太郎はパロディですが、当時の世界の弱肉強食の時代にあっての寓話としても楽しめます。 余談ですが、それから24年後、芥川を尊敬する太宰治は、御伽草子として「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切り雀」の4編を書きますが、「桃太郎」は書きませんでした。 日本一の桃太郎は、完璧な話なのでとの理由で書かないことを、「舌切り雀」の篇の冒頭で語っています。 太宰が師と仰ぐ芥川への敬意であり、芥川と太宰のお伽噺の現代風解釈の違いを楽しめます。 発表時期 1924 大正13 年7月、サンデー毎日 夏季特別号「創作」欄に掲載。 芥川龍之介は32歳。 芥川は24歳で「鼻」を発表し、尊敬する漱石より大絶賛され、その後、人気作家としての道を歩みます。 この「桃太郎」は、冒頭の神話からはじまり、最後に冒頭の神話を受けて終わるところが意義深い。

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芥川龍之介のパロディ風『桃太郎』が面白い!

芥川 龍之介 桃太郎

登場人物 桃太郎 国生みの神話由来の桃の木から産まれた、腕白な日本一の男の子。 犬 野良犬で、ひもじいため黍団子半分で桃太郎の家来になる。 猿 鬼ヶ島の打ち手の小槌づちに欲がくらんで、家来になる。 雉 皆と同じ黍団子半分で家来になる、地震予知の能力がある。 鬼の酋長 鬼ヶ島をなぜ侵略するのか、桃太郎にその理由を質問する。 あらすじ ネタバレあり 話し伝えられる昔話には、いろいろなストーリーや類型があり、同じような話が日本だけでなく世界にあります。 まず、標準を確認して芥川の『桃太郎』を味わっていきます。 標準的な「桃太郎」のお話。 一般的に普及している物語は、お婆さんが、川で洗濯をしていると川上から大きな桃が流れてきて、家で食べようとすると桃が割れて中から男の子が出てきます。 若者になって、力持ちの桃太郎は、鬼退治に行くことになります。 黍団子 きびだんごを腰に鬼を探し歩いていると、犬がやってきて、黍団子をもらって加わります、同じように、猿も雉も加わり一行は鬼の棲家に辿り着き奮戦します。 犬は足にかみつき、キジは目をつつき、猿はひっかきます、そして桃太郎は投げ飛ばします。 鬼たちは降参して、盗んだ財宝を返します。 村に帰りお爺さんもお婆さんも村人も喜び、それから平和に暮らしました。 という話で、皆で力を合わせての勧善懲悪となっています。 桃太郎は一万年に一度の運命で、お婆さんの前に現れた赤子だった。 むかしむかしの大むかし、人間の知らないある深い山に大きい桃の木がありました。 枝は雲の上に広がり、根は 黄泉 よみの国まで及ぶほどの、それはとんでもない大きさでした。 何でもこの桃の木は日本神話の国産みの 伊弉諾 いざなぎの 尊 みことが投げた桃の実が大きくなり枝になったというもので、一万年に一度、花を咲かせ実をつけます。 そして不思議な事に、その実の中に赤子を一人づつ孕んでいます。 ある朝、運命は一羽の 八咫烏 やたがらすとなり、そのひとつを 啄 ついばみ落としました。 それは遥か下の谷川へ落ちます。 そしてこの赤子を孕んだ桃の実は、深い山の奥から谷川を流れていき、下流で一人、洗濯をしていたお婆さんのところへ流れつきました。 桃太郎は鬼ヶ島征伐を思い立ち、お爺さんもお婆さんも喜び送り出す。 桃太郎は、お爺さんやお婆さんのように、山や川で仕事をするのがいやで、鬼ヶ島征伐を思い立ちます。 老人夫婦も腕白な桃太郎に愛想をつかしていたので、旗や太刀や陣羽織と出陣の支度をして、食糧に注文通り黍団子をこさえます。 桃太郎が意気揚々と黍団子を腰に結わえ鬼退治の途に就くと、野良犬がやってきて「お腰につけたものは何ですか?」と訊ねるので、桃太郎は「日本一の黍団子だ」と答えます。 犬は黍団子欲しさに家来になると言います。 「一つください」「半分ならやろうと」と繰り返し問答になるが、持たぬものは持つものの意志に服従するしかなく、半分貰う代わりに伴をする事になります。 桃太郎が、半分を餌食に、猿や雉も家来にします。 しかし三匹は仲が悪く、また欲張りで桃太郎はこれをまとめていきます。 鬼ヶ島は美しい天然の楽土で、鬼たちは平和で安穏に暮らしていた。 鬼ヶ島は絶海の孤島ですが、 椰子 やしがそびえたり、極楽鳥が 囀 さえずったりする天然の楽土でした。 鬼も琴を弾いたり踊りを踊ったり、詩を歌ったり安穏に暮らしています。 鬼の妻や娘も 機 はたをおったり、酒を 醸 かもしたり蘭の花束を 拵 こしらえたり人間と変わらず暮らしていました。 そして「悪戯をすると人間の島にやってしまうよ。 そこでは、嘘は言うし、欲は深いし、焼餅は焼くし、自惚れは強いし、仲間同士殺しあうし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ・・・」と鬼の母は孫を守りしながら話します。 桃太郎は、こういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えたのです。 桃太郎と犬猿雉はあらゆる罪悪を行い、鬼の酋長は降参しました。 桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り「進め!進め!鬼という鬼は見つけ次第、一匹残らず殺してしまえ!」と犬猿雉の三匹に号令します。 犬猿雉は、仲の良い家来ではないのですが、飢えた動物ほど忠勇無双の兵卒の資格をそなえており、犬は鬼の若者を噛み殺し、雉は嘴で鬼の子どもを突き殺し、猿は鬼の娘を殺す前に凌辱をします。 そして、桃太郎は力に任せて片っ端から鬼を投げ飛ばします。 とうとう酋長の鬼は、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参します。 鬼ヶ島は、楽土から変わり果て、椰子の林は鬼の死骸を撒き散らしました。 鬼ヶ島が何故、征伐されたかが、鬼の酋長は分からず質問します。 そして「格別の憐憫により命は許してやるので、鬼ヶ島の宝物はひとつ残らず献上せよ、さらに子供を人質に差し出せ」と桃太郎は厳かに言います。 鬼はそれに従い平伏しながら質問をします。 「わたくしどもはあなた様に何か無礼でもしたため、ご征伐を受けたことと思っていますが、思い当たる節が無く、教えてくれませんか」と。 すると桃太郎は「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えたゆえ、鬼ヶ島へ征伐に来たのだ」と答えます。 鬼の酋長は「ではお三方をお召し抱えなさったのは、どういう訳でしょうか」と訊ねると、 桃太郎は「鬼ヶ島を征伐したいと志したゆえ、黍団子をやっても召し抱えたのだ、どうだ、これでも分からなければ貴様たちも皆殺しだ」と言います。 鬼の酋長は驚いたように三尺ほど後ろへ飛び下がり丁寧にお辞儀をしました。 宝物を持って凱旋した桃太郎だが、鬼の反逆に不安のなか嘆息する。 日本一の桃太郎は、犬猿雉の三匹と人質の鬼の子どもに宝物の車を引かせて故郷へ凱旋します。 しかし、必ずしもそれ以降、幸せに一生を送った訳ではありません。 鬼の子どもは一人前になると番人の雉を噛み殺し鬼ヶ島へ逃げ帰り、時々、海を渡ってきては、桃太郎の屋形へ火をつけたり、寝首をかこうとします。 猿が殺されたのは人違いという噂でした。 桃太郎は、嘆息を漏らし「鬼は執念深くて困ったものだ」と言い、「命を助けていただいたのに、ご恩を忘れるとはけしからぬ」と犬も悔しそうに唸ります。 鬼ヶ島の磯には、鬼の若者が五六人、鬼ヶ島の独立を計画するため、椰子の実に爆弾を仕込んでいます。 優しい鬼の娘たちに恋をすることも忘れ、黙々と、しかし嬉しそうに目を輝かせながら。 あの人間の知らない深い山の桃の木は、累々と無数の実をつけています。 あの八咫烏は、今度はまたいつ姿をあらわすのでしょうか。 未来の天才はまだ何人とも知らず眠っています。 何故、攻めたかの理由がない。 そこに、桃太郎一行が傍若無人にやってきて、犬は噛み殺し、雉は突き殺し、猿は凌辱する。 あらゆる罪悪が行われた後、鬼たちはついに降参します。 酋長が、攻められる理由を聞くと「犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えたから」と答え、さらに「お三方を召し抱えなさったのはなぜですか」と聞くと、「鬼ヶ島を征伐したいから、黍団子をやって召し抱えた」と答え、「まだわからなければ貴様たちも皆殺しだ」と言います。 つまり問答無用なわけです。 そして人質ならぬ、鬼質で子どもの鬼を人間の島に奪ってきます。 ところが、大人になった鬼たちは、逃げだし鬼ヶ島に帰り復讐心を燃やします。 そして屋形に火をつけたり、寝首をかこうとします。 桃太郎は「鬼たちの執念深いのは困ったものだ」と嘆息をもらします。 鬼の側に立てば、なんという不条理、さらに理由なく侵略されたのですから鬼の復讐は当然ですが、そのような展開ではなく、桃太郎の武勇伝になっています。 当時の世界通念として、 戦争を始める理由は嘘やいいがかり、弱肉強食がまかり通る、時代的に、そのようなことが前提となっています。 芥川の桃太郎の物語は、強欲でお互いに仲の悪い犬猿雉をうまくまとめながら、平和な鬼ヶ島を、桃太郎一行が傍若無人に滅ぼし、平伏させて財宝を持ち帰り凱旋し自分たちは幸せになると言うお話です。 これは、どう考えても侵略です。 まず、冒頭には、桃あるいは桃の木について、以下のように記されています。 何でも 天地開闢 てんちかいびゃくの頃おい、 伊弉諾 いざなぎ の 尊 みこと は 黄最津平坂 よもつひらさか に八つの 雷 いかずち を 却 しりぞ けるため、桃の実を 礫 つぶて に打ったという この神話の 伊弉諾 いざなぎの国産みの神代の桃の実から、枝がなり、一万年に一度、花を開き、実をつける。 その実の中に美しい赤児を孕んでいた。 そしてこの実は、一千年の間は地に落ちないのだが、運命が、一羽の 八咫烏 やたがらすとなって、ひとつ 啄 ついばみ、それが人間のいる国へ流れたと、由来を前置きしています。 そして、物語の最期には、 しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らずに眠っている。 あの大きい 八咫烏 やたがらす は、今度はいつこの木の梢へもう一度姿をあらわすであろう?ああ未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らずに眠っている。 芥川がこう書いている以上、そうそう単純な話では片付かないはずです。 時代の背景では、明治からの近代日本の構築、富国強兵と殖産興業、そして膨張する世界の中で日清・日露の両戦争を経て、日本は、列強に侵略されたアジアの諸国に比べて有色人種ながら一等国になります。 そして、執筆の前年1923年には、関東大震災が起こっています。 是非はともかく、時代背景としては覇権主義、帝国主義の西欧列強に対して、日本も強いリーダーシップが求められる。 国を守り国を繁栄させるためにはやはり天才の為政者が待望される、この時代背景の中に、桃太郎の物語があります。 それは、皇国史観とともに民意の尊重が大正デモクラシー運動の中で芽生えます。 この統治者と一般の人々との、あるいは統治者と文豪との複数形の価値の中にあると捉えることで、当時の時代感覚の中での運命の翻弄とぎりぎりの人間性への問いかけと考えられます。 生き残った鬼たちが、復讐や反撃を誓い、試みるのもまた、時代の連続性であり、運命であり、無常観でもあります。 大きな世界史的な時代の運命に日本も巻き込まれ、日清・日露の自衛の戦いから第一次世界大戦を経て、次第に陸軍の拡張となっていきます。 芥川は当然、侵略を是としているわけではありません。 しかし時代の中で強いリーダーシップが必要な現実もあります。 芥川の桃太郎はパロディですが、当時の世界の弱肉強食の時代にあっての寓話としても楽しめます。 余談ですが、それから24年後、芥川を尊敬する太宰治は、御伽草子として「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切り雀」の4編を書きますが、「桃太郎」は書きませんでした。 日本一の桃太郎は、完璧な話なのでとの理由で書かないことを、「舌切り雀」の篇の冒頭で語っています。 太宰が師と仰ぐ芥川への敬意であり、芥川と太宰のお伽噺の現代風解釈の違いを楽しめます。 発表時期 1924 大正13 年7月、サンデー毎日 夏季特別号「創作」欄に掲載。 芥川龍之介は32歳。 芥川は24歳で「鼻」を発表し、尊敬する漱石より大絶賛され、その後、人気作家としての道を歩みます。 この「桃太郎」は、冒頭の神話からはじまり、最後に冒頭の神話を受けて終わるところが意義深い。

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