高堀冬彦。 「テレビ東京」初の快挙! 学生が就職したいテレビ局で1位になったワケ(デイリー新潮)

「テレビ東京」初の快挙! 学生が就職したいテレビ局で1位になったワケ|ニフティニュース

高堀冬彦

杉本達治・福井県知事(57) 2019年初当選 1期目 年間報酬1970万円(推定) 全国的にマスクの品薄状態が続いていた4月19日、県内全世帯にマスク購入券を配布すると発表。 購入券は同23日から郵送された。 この券を県内のドラッグストアに持参すると、50枚入りボックス(税込2350円)が2箱まで買えるようにした。 首都圏では楽観ムードが強かった2月18日、県庁に感染症学の権威として名高い岩崎博道・福井大医学部教授を招き、県と市町村職員を対象とする研修会を実施。 岩崎教授は「うがいやマスクより、手洗いをしっかりするほうが感染を防げる」と、具体的な予防法などを説いた。 県内感染者が42人に達した4月3日には緊急会見を開き、県民に対し、感染が広がっていた首都圏や関西圏との不要不急の往来の自粛するよう要請。 また、平日夜間と週末の不要不急の外出も控えるよう呼び掛けた。 国の緊急事態宣言が全都道府県に拡大される2日前の4月14日、県独自の緊急事態宣言を発出。 平日夜間と週末に限定していた不要不急の外出自粛要請を、平日昼間も含めた終日に広げた。 また、ほかの都道府県からの不要不急の来県も自粛を求めた。 事業者への休業要請は4月25日から。 業種は飲食店、劇場、パチンコ屋など約100業種におよんだ。 ただし、関西電力の大飯発電所など原発は対象外に。 社会生活の維持に必要な施設と判断した。 9月入学制度については「反対ではないが、冷静な議論が必要」と発言し、慎重な構え。 岐阜県中津川市生まれ。 進学校の同県立多治見北高から東大法学部に進み、卒業後の1986年に当時の自治省に入省した。 総務大臣秘書官などを務めた後、2004年に福井県に出向し、総務部長に就く。 内閣参事官などを歴任した後の2013年には再び福井県に出向し、今度は副知事に就いた。 2018年、退職。 翌19年の知事選に出馬した。 ライバルは知事を4期務めた現職で、かつての上司であり、自治省の先輩でもあった。 その上、どちらを支援するかで自民党県議が分裂。 最終的に自民党本部は杉本知事を推薦した。 原発に絡む金品受領問題が起きた関西電力に対しては今年3月、「地元との信頼関係は完全に地に落ちたと、肝に銘じてほしい」と猛省を促した。 家族は夫人と1男1女。 座右の銘は「人に処すること藹然」(中国古代の格言「六然」の1つ。 人にはいつも和やかでいなさいという意味)。 平井伸治・鳥取県知事(58) 2007年初当選 4期目 年間報酬1614万円(2018年) 感染拡大によって全国的に文化や芸術のイベントの中止・延期が相次いでいた4月2日、県として文化・芸術を支援すると表明。 県内の会場で無観客公演を行い、ネットでライブ配信する場合、その経費の一部などを補助すると発表した。 「文化芸術は生活に必要なインフラの一つ」(平松知事) 4月7日に東京など7都府県で国の緊急事態宣言が発出されると、翌8日に対策本部会議を開く。 その中で、7都府県から県立学校に転入する生徒は14日間にわたって出席停止とすることを決めた。 同時に、該当生徒の学習はオンライン教育で行う方針も固め、親と生徒の不安を和らげた。 国の緊急事態宣言が鳥取県を含めた全国に拡大した4月16日、「(新型コロナ対策は)全都道府県でスクラムを組んでやっていく必要がある」と理解を示す。 当時、県内の感染者は1人に留まっていた。 生まれたのは東京・外神田。 東大合格者数トップの開成高から東大法学部に進み、1984年に卒業すると、当時の自治省へ。 90年には福井県に出向し、財政課長などを歴任。 自治省に戻り、税務局企画課理事官などを務めた後の99年には鳥取県に出向。 総務部長を経て、39歳の若さで副知事に就任した。 その後、総務省ニューヨーク事務所長などを務め、2007年に退職。 翌08年、知事選に出馬し、初当選。 自民、公明の両党から推薦を受けた。 19年の前回選挙では立憲民主党、自民党県連、国民民主党県連、公明党県本部から推薦を得た。 2012年にはスターバックスが隣県の島根に進出したため、全国で唯一、スタバのない都道府県に。 その際、テレビ局から感想を求められると、「スタバはありませんが、日本一のスナバ(砂場=鳥取砂丘)があります」と答え、話題に。 県の存在感アップに一役買った。 単なるダジャレのように思われたが、その言葉にはスタバがないことを冷ややかに見るほうがおかしいという反骨精神が込められていたという。 ただし、スタバは2015年には県内にも出店。 現在は4店舗ある。 人口は約69万5000人。 全都道府県の中で最も少ない。 それも背景にあって、「移住定住支援」「子育て支援」に熱心。 医療費や保育料を助成している。 保険適用外の不妊検査も全額助成する(条件は35歳未満か結婚3年以内)。 また、高校生の通学定期券代も助成している。 18歳未満の子供を育てている親には「とっとり子育て応援パスポート」を発行。 これを協賛店舖で提示すると、商品などの割引などが受けられる。 店舗によっては授乳室の利用も出来る。 ひとり親支援にも力を入れている。 ひとり親が生活援助や保育援助を必要とする場合、家庭生活支援員を派遣。 中高生の学習サポートや、ひとり親の就職や資格取得の支援なども行っている。 家族は夫人と2男。 座右の銘は「人は城、人は石垣、人は堀」。 中村時広・愛媛県知事(60) 2010年初当選 3期目 年間報酬1951万円(2018年) 2月24日、集団感染が起きたダイヤモンド・プリンセス号から降りた乗客のうち、愛媛県在住者は7人だと県が発表。 その全員のPCR検査を行い、感染者はいないことを確認した。 7人のうち、5人は2月20日に下船し、同21日に2人が下りていた。 だが、厚労省から県に名前や連絡先などを知らせたのは同23日未明。 中村知事は翌24日の記者会見で、「遅いんじゃないか」と不信感を表した。 県内で初の感染者が確認された3月2日には、県立衛生環境研究所での検査態勢を強化すると表明。 1日に可能な検査数を約20件から40~80件に増やすと明言した。 「万全の対策をしたい」(中村知事) 3月24日には医療体制の充実や経済支援などの緊急措置のため、補正予算計97億6147万円を専決処分(予算やなどを知事が議会の議決を経ずに自らの権限で決定すること)している。 愛媛県を含む39県では国の緊急事態宣言が5月14日解除されたものの、その直前に松山市の病院で職員と患者計20人の集団感染が発覚。 このため、愛媛の宣言解除には、この感染経路を徹底調査し、国に報告するという条件が付けられた。 「20日間は封じ込めに成功していたが、一夜にしてこういうことが起こる。 これがコロナなんだとあらためて痛感した」(中村知事) 松山市生まれ。 幼稚舎から慶應に通い、1982年に慶應大法学部を卒業。 三菱商事に入社し、燃料部門に勤務する。 87年に愛媛県議会議員選挙に出馬し、初当選。 90年には衆院選に旧愛媛1区から出馬するが、落選。 93年衆院選で再び同区から日本新党公認で出馬し、当選する。 94年に日本新党が解党されたため、新進党へ。 96年衆院選に愛媛1区から出馬したものの、落選。 99年、松山市長選に出馬し、現職を破って当選。 父・中村時雄氏も元松山市長であり、2代続けて市政を担う。 2010年には知事選に出馬し、当選。 自民党県連、公明党県本部が推薦し、民主党県連が支持、社民党県連が支援した。 18年11月の前回知事選では自民、国民民主の両党県連が推薦し、公明県本部が支持した。 同年4月、今治市に設置された岡山理科大獣医学部について、計画段階で県や同市の職員が首相官邸で柳瀬唯夫首相秘書官(当時)と面会したとする県文書の存在が発覚。 だが、政権側は面会を否定し、柳瀬氏も認めなかった。 県職員と文書に疑念が向けられる形になったため、中村知事は同5月に職員が受け取った柳瀬氏の名刺を公開。 その際、「県の信頼にかかわる」「 地方公務員にも 誇りやプライドもある」と声を強めた。 中央政界、官界に物申す知事として知られるようになった。 家族は夫人と1男。 座右の銘は「至誠通天」 ********************************* 新型コロナ禍の収束の日まで知事たちの奮闘は終わらない。 高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ) ライター、エディター。 1990年、スポーツニッポン新聞社入社。 芸能面などを取材・執筆(放送担当)。 2010年退社。 週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。 「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。 あわせて読みたい関連本•

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第二、第三の吉村洋文知事を探せ… コロナ禍で奮闘する知事「5人」の素顔

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2009年以降、お正月の恒例になっている『新春TV放談』(NHK総合)が今年も2日に放送された。 司会は引き続き千原ジュニアが担当し、パネラーにはテリー伊藤、羽田圭介、ヒャダイン、ヒロミ、YOU、吉田正樹が招かれた。 近年この番組では、元気がないフジテレビについて話題にあがることが多い。 10~60代の男女1000人を対象に番組が行なっった「2015年人気番組ランキング」ベスト10に、ドラマ部門でフジテレビの作品が入ったのは、なんとゼロ。 お家芸とも言えるバラエティ番組でもわずか1本にとどまった(ちなみに、バラエティ番組の上位3本を日本テレビが独占した)。 そんな現状に対し、フジテレビでもレギュラー番組を持つヒャダインが言う。 ヒャダイン: まずフジって世間からものすごく嫌われてるじゃないですか? 羽田: ヒャダインさんが認識している世間ってどこにあるんですか? ヒャダイン: あ、ごめんなさい。 ネット民の話をしましょう。 ネットの中でフジテレビってものすごく嫌われていて、いまネットの意見は無視できない時代になってきているからネットの意見を聞かなければいけない。 ネットの顔色を伺いつつ、スポンサーだったり、上層部の顔色伺いつつっていう、色々な顔色をうかがっていてがんじがらめになって、カンペ通り、台本通りやってくださいっていう番組がすごく増えていて。 だけどそこからいま、若いディレクターさんたちが脱却しようとめちゃくちゃもがいている感じがします。 だが、かつては「テレビ」=フジテレビと言っても過言ではないくらいテレビを象徴するものだったし、愛されていた。 実際、番組が実施した「復活して欲しい番組ランキング」にはベスト10に6本フジテレビの番組がランクイン、つまり半分以上を締めているのだ。 まさに当時のフジテレビ社員として、『夢で逢えたら』や『笑う犬』シリーズ、『トリビアの泉』など数々の人気番組を手がけた吉田正樹は言う。 吉田: テレビはサブカルチャーをうまくフィーチャーして、サブカルの物や人を吸収してどんどん大きくしていくっていうのが地上波の醍醐味だと思う。 もっと積極的にサブカルチャーを食っていけばいい。 出典:新春TV放談 吉田が言うように、ダウンタウンはもともとメジャーな芸風とは言いがたかった。 事実、ダウンタウンはのちに自身の出世作となる『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)を日曜夜8時にレギュラー化するという話に大きなチャンスにも関わらず反対していた。 松本に至っては当時のマネージャー・大崎洋に「ありえへん! その枠では俺たちの笑いは成立せえへん。 絶対に嫌や! 死んでもやらへん!」と強硬に拒否したという(常松裕明:著『笑う奴ほどよく眠る』)。 当時、日曜夜8時といえば、大河ドラマが強力。 そのうえ、『天才・たけしの元気が出るテレビ!! 』(日本テレビ)も人気を誇っていた。 ファミリー層に受けなければ視聴率が獲れない枠だ。 そこに自分たちのマニアックな笑いは通用しないと本人は思っていたのだ。 しかし、結果はご存じの通り。 ダウンタウンはそこでアナーキーな笑いを駆使しながらも、高視聴率を獲得し、トップ芸人の一組に踊り出た。 タモリもそうだろう。 そんなタモリをお昼の帯番組『笑っていいとも!』の司会者に抜擢し、カルト芸人から国民的タレントにしたのは間違いなくフジテレビの功績だ。 タモリを『いいとも』に起用することに決めた横澤彪は、サブカルチャーを積極的に取り入れた。 『いいとも』の構成作家を務めた高平哲郎によると、横澤は「会議は短いほうがいい」と4時半に始めて1時間で終了させたという。 なぜなら、5時半に会議が終われば、夜から始まる芝居や映画を観に行くことができるからだ。 特に横澤は小劇場を観に行きことを勧めた。 その成果が、東京乾電池やワハハ本舗をいち早く番組に起用したことに繋がっていた(高平哲郎:著『今夜は最高な日々』)。 かつてフジテレビは「テレビ的」ではないとされていた新しい血を積極的に吸収していったのだ。 そのダイナミズムこそが「テレビ的」だった。 だが、いま物理的にフジテレビにはそれが難しいと指摘するのは、高堀冬彦氏だ。 「現代ビジネス」に掲載されたによると、その元凶は97年のお台場への社屋移転だという。 新宿からフジ社屋までは電車で約45分。 社員も出演者も移動が面倒であるのはもちろん、テレビマンとして庶民感覚を共有しなくてはならない社員たちが、街から遠のいてしまった。 ゴールデン街等の安酒場で議論する社員をよく見掛けた。 もっとも庶民的なテレビ局だったので、社員たちの多くは、まるでベテランのフリーターのように見えた。 赤坂がシマで、エリートぞろいで高給のTBS社員とは好対照だった。 出典: かつてのフジテレビは新宿河田町にあった。 だからすぐに劇場や映画館に行くことができた。 だが、いまは横澤が行ったように会議をはやく切り上げたとしても、時間的に間に合わないことが多くなってしまっているのだ。 一方、たとえば現在好調なテレビ東京。 そこで『ゴッドタン』や『ウレロ』シリーズなどを手掛ける佐久間宣行は自著『できないことはやりません』の中で、「テレビの世界とは別の分野で、自分が本当に好きなジャンルを持つ」ことが大切だと説いた上でこう付け加えている。 もうひとつ重要なのは、自分が好きなジャンルを「現役で見続ける」ということでしょう。 言い換えれば「常に情報をアップデートし続ける」のです。 逆説のようですが「好き」を仕事の「武器」にするためには、本気で「好き」でい続ける必要があるのです。 誰でも学生時代などに夢中になった「好きなもの」のひとつやふたつはあると思います。 ところが若い頃にどんなに好きだったジャンルでも、社会人になって日々の仕事に追われるようになると、なかなか以前のように時間を割くことは難しくなってきます。 (略)下手をすれば単なる懐古趣味になってしまう危険性もあるでしょう。 こんなに格好悪いことはありません。 だからこそ、自分の「好き」をアップデートし続けることが大切なのです。 出典:佐久間宣行:著『できないことはやりません ~テレ東的開き直り仕事術~』 その言葉通り佐久間は、自分の好きなジャンルである演劇に現在も足繁く通い、その世界から次々に新進気鋭の人材を積極的に起用している。 まだ20代のディレクターである。 吉田: 『人生のパイセンTV』は作り手が必死になってやってる様子がよく分かる。 出典:新春TV放談 雑誌『クイックジャパン』で毎年恒例の特集「テレビ・オブ・ザ・イヤー」の放送作家座談会でもこの番組と萩原については話題にあがっている。 樋口卓治: フジテレビの若手にも、『パイセンTV』の演出を担当している萩原啓太がいて。 高須光聖: でたっ『パイセンTV』! タイトルを聞いて拒否反応が起きた番組だ(笑)。 でも見たら、ちゃんとバカだし、編集もいいんだよね。 伊藤正宏: 僕もどうかな? と思って観たら面白かった。 樋口卓治: 最初『いいとも』のADで、そこから『ヨルタモリ』の後、同じ時間帯の番組任せたら、似たテイストになると思うんですよ。 それが全く違う番組を始めたのが偉い。 村上卓史: しかも無理してる感じじゃないんですよね。 『もしもツアーズ』で一緒だったんですけど、担当回で彼のものって分かるぐらい自分を出してた。 楽しそうに仕事してる29歳って、未来を感じますね。 ただし、チャラいです。 いい意味ですけど。 樋口卓治: チャラい番組の演出がチャラいというのが新しい。 出典:『クイック・ジャパン』vol. 123 萩原は、打ち合わせはもちろん、ロケにも自ら行き、編集、ナレーション原稿、テロップに至るまで全部自分でやっているという。 しかも、画面にも積極的に登場する。 どこか、かつてイケイケだったフジテレビの作り手たちを思わせる。 70年代、フジテレビは「振り向けば12チャンネル」と揶揄されるほど低迷していた。 それを一気に変えたのが『THE MANZAI』を契機に始まったマンザイブームだ。 フジテレビは「楽しくなければテレビじゃない!」を標榜し、横澤彪を中心として『笑ってる場合ですよ!』、『オレたちひょうきん族』、『笑っていいとも!』と次々に人気番組を生み出し、視聴率3冠王に躍り出た。 一方、現在王者の日本テレビは60~70年代前半、一度黄金時代を迎えたが、この頃はフジテレビやTBSの後塵を拝し、低迷していた。 今では想像がつきにくいが、特にバラエティ部門は瀕死の状態だった。 だが、90年代半ばになると、世代交代がようやく実を結び、フジテレビを抜き去り王者になったのだ。 いま、フジテレビの状況は、70年代と似ている。 あのときフジテレビはどん底から這い上がり栄華を極めた。 ならば、再びフジテレビが復活を遂げることは、決して不可能ではないのだ。 そこに不可欠なのは、若い力である。 最後に萩原啓太の言葉でこの稿を締めたい。 萩原: やっぱりテレビの常識を覆す番組を作り続けたいです。 「今のテレビだからこんなことやっちゃいけない」と言われると、「いやいやそうじゃないですよ。 それはやり方一つでどうにでもなりますよ」と言い返したいんです。 僕が小学生、中学生の頃見ていたテレビって結構ハラハラ、ドキドキ見ていたのが多かったと思うので、そういう番組をもう一度、フジテレビから作っていければいいかなと思ってます。 出典:.

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第二、第三の吉村洋文知事を探せ… コロナ禍で奮闘する知事「5人」の素顔

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概要 政治、経済、軍事等の社会的事象に対して専門的な解説、説明を行う立場の事を指す。 欧米、アジア、中東のニュースを扱うテレビや新聞等のメディアにおいて、元や、が報道機関と専属契約を交わして解説・発言を行う。 ただし、欧米、アジア、中東のニュース番組では制を取ってるため、とニュース番組の差別化が図られているため、日本のニュース番組の様にの中で解説をする番組は存在しない。 コメンテーターは解説者という意味を持つため、欧米ではスポーツ中継のという意味に用いる。 そのため、のメディアでワイドショーで発言する人(コントリビューター)を指す。 元厚生労働省の官僚であるやフリーライターのは、コメンテーターのギャラの相場として1回の出演に対して5万円 であると説明している、その理由としてテレビ、ラジオのギャラの枠として「 文化人枠」の扱いになる と述べている。 そのため、中川は「出演日前、当日の打合せや番組構成の段取り等に時間を取られ、拘束時間と比較し割に合わない」と自身の見解を述べている。 また、放送局の側から見て「 文化人枠」の定義を、 「本業の収入源が別にある人」かつ「専門的な話ができる人」と示しており、その後、テレビ番組に頻繁に出演する様になると徐々にタレント扱いとなり、タレント枠のギャラへ変わって行くプロセスに発展する。 その後、2017年4月時点で、、、が番組編成の都合上、生放送であるワイドショー(情報番組)を増やした事で、芸能人をコメンテーターとしてに着座させる機会が激増し、「 タレント枠」と「 文化人枠」の境界線が曖昧になってしまっている。 それに伴った、弊害はの項目で説明する。 歴史 日本においては、報道番組が「」する以前は、1つのニュースごとに及びテレビ局と資本関係の結び付きのあるの、放送局の、ならびにの編集委員、外部の専門家や専門性の高い等が加わりニュース解説を行っていた。 後半以降からのニュース番組の「ワイドショー化」により、1人のコメンテーターが複数のニュースを解説するようになった。 そのため、解説の専門性は低下し、コメンテーター個人意見の比率が高くなった。 また、報道番組とワイドショーのコメンテーターの人選には歴然とした区別があった。 報道番組のコメンテーターには編集委員・解説委員等がキャスティングされ、ワイドショーのコメンテーターは、庶民の声の代弁者であり、専門家としての役割は求められず、である芸能人のゴシップへの無責任なコメントを売り物にしていた。 3月20日に発生した以降のの報道で、ワイドショーにおいても時事問題を積極的に扱うようになり、必然的にコメンテーターのキャスティングで弁護士やジャーナリストを積極的に起用し、時事問題をコメントするようになった。 庶民の声と称して、番組にある種の政治的傾向を帯びさせたり、かなりつっこんだ指摘をすることも可能となったが報道する側と報道される側の区別はあった。 1987年から2年間に渡って放送された()にて、コメンテーターに俳優やジャーナリストが起用されはじめ、1997年から放送されている(テレビ朝日)は、俳優の他にお笑いタレントを起用し始め、に入ると、タレント以外にも弁護士を含めたの様々な職業である人間がニュース、情報番組(ワイドショー)コメンテーターとして出演するようになった。 コメンテーターの本業の肩書• (、 、等)• ・・・• 元()• (、、、等)• (、等)• ・・ 批評 この節にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2017年12月) 前の社長であるは日本のメディアの問題点として、「ニュース、情報番組に出演しているコメンテーターの多くがと所属契約しており、生活の糧としている。 」「そのため現在の憲法をベースにした、の言い分(なんちゃってリベラル)を主張しないとテレビ等のメディアに出演出来なくなるので、迎合した主張しか出来ない。 」と主張している。 ジャーナリストのは自身が出演している『』()のCM裏にて、コメンテーターのにいる芸能人からにてメインストリームの報道と違う主張を放送中に解説していた事に対して質問され、自身の見解を示すとその度に芸能人同士ヒソヒソ話を行っている様子がを形成しており、テレビ画面の中と現実世界と異質な空間を作る構造的な問題であり、芸能人のポジションで俗に言う左側の発言しか出来ない人が多いので、右側のポジションから発言出来る人間がいない点、また、日本の選挙権を所持していない外国人タレントが日本の政治に対して、極端な視点で物を言う事に対して義々がある事を主張している。 のはのVTRコメントにて「海兵隊は占領にいく部隊だから海兵隊が日本を守ることはありえない。 日本がアメリカに逆らった時に、日本を占領するために常駐していると思っている」と発言した事に対し制作側からになり、またリベラル派を自称するコメンテーターがワイドショー(情報番組)、のオファーが減り干されており、その原因が安倍政権のプレッシャーと主張していた。 しかし、後に「国民からのニーズが無くなって来たから」だと自身で分析している。 『』 フジテレビ の番組内で、の芸能活動休業原因の話題で、「中途半端なコメントしか話せない自分に悩みがあった」吐露に対し、歌手の武田鉄矢が「日本のコメンテーターで高学歴の方がいっぱい出てるじゃないですか? そういう人たちが今、日本のニュース番組(ワイドショー)を切り盛りしてるが、彼らの最大の欠点は『分かりません』って言わないこと。 そういうコメンテーターってものすごく危険。 」と専門的知識が無いのに関わらず、無理矢理上辺のコメントを発言していると述べている。 のは、自身の情報、バラエティ番組降板理由に対して、だけでなく民放であってもコメントの中に具体的な企業名などは入れてはいけないという暗黙のルールが有り、不祥事があればスポンサーの関連企業を批判するようなコメントを言って来たが、「テレビ、ラジオ局や制作スタッフに対して色々言ってたからですよ。 例えば、[日本人がシリアで捕まっている時()に、そのニュースを冒頭だけで止めて、後は延々と芸能人の結婚のニュースをやるというのは、日本のテレビ局としてどうしたものか…]と言う事等を番組の幹部に前から意見していたら、クビになった」と分析している。 当時であったは自身がについて、自身の見解に対して異を唱えるコメンテーターに対して、2013年6月15日放送の『』()において、番組メルマガ会員である番組視聴者の7割が橋下の発言に対して支持をした結果に対して、「やはり有権者の方は冷静だなと。 小銭稼ぎのコメンテーターとは違う」と批判した。 また、自身の大阪都構想に対して「分からない」と答えるコメンテーターに対しても、定例会見で怒りを示した事前に与えられたテーマについて情報収集、勉強をせずに出演していると述べている。 その発言を発端に生放送中に降板を表明し、後日、番組降板した()は「芸人であるから、自分の主張に対し白黒付けられず に対し、の調査報告が グレーであると考えており、バラエティ番組として呼ばれているが、過去放送回(2011年8月20日)の内容でテレビの影響力があるのに、番組の内容が政治的になり過ぎていた事を加味し、パロディを含めて茶化した」と述べた。 また、()はコメンテーターとして、芸人ならではの「すっとんきょう」な発言を求められているとし「『すっとんきょうなことを言うな』とクレームがくる」とコメンテーターの難しさを語っている。 元の記者で専属契約記者の高堀冬彦は、2014年11月号の 東京センター長のワイドショー(情報番組)批判記事を引合いに出し、「経歴や立場が不明確なまま世論を誘導する危険」と「曖昧かつ無責任な発言でミスリードする危険」と述べ、「テレビ業界は、コメンテーターのキャスティングに見識や経験より、数字(視聴率)を持っているタレントを使っているのかもしれない。 万一、そうだとすれば、奇怪な形で世論の一部が生まれている不思議な先進国ということになる。 」「視聴率は得られにくいかもしれないが、「分からない」「難しい」「知らない」と口にするコメンテーターは信用出来、単に「社会が悪い、政治が悪い」と叫ぶだけでは、になりかねない」と述べている。 また、元官僚のが2015年3月27日放送の(テレビ朝日)番組放送中、自身の番組コメンテーター降板の件をからのだと思い抗議する事案があった。 この件を契機に社長は4月28日の定例会見の中で謝罪と担当職員の処分、そして、コメンテーターとの調整部署として「コメンテーター室(仮称)」を置くと発表した。 脚注 注釈• 、38頁 - 41頁• AOLニュース. 2013年12月27日. 2015年9月24日閲覧。 Techinsight. 2012年11月8日. 2017年3月30日閲覧。 Oricon. 2016年5月4日. 2017年3月30日閲覧。 『ぼくらの真実』、2014年、193-194頁。 『ぼくらの真実』、2014年、94-95頁。 特集ワイド:番組改編「政治家との力関係が変化している」【テレビから消えた、辛口コメンテーター】 2014年4月2日 東京本社版夕刊• 2017年11月26日. 2017年12月1日閲覧。 産経WEST 2015年1月15日•

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