いぬ なき トンネル。 【#いぬなきすめし】同期三人で心霊スポットに行く【犬鳴トンネル/SMC組】

封鎖された犬鳴峠と最恐心霊スポットと噂される旧犬鳴トンネルの真実について

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犬鳴村も結局は実在せずだったんですね。 なお、有名な青森県の杉沢村伝説は、昭和13年に実際起きた岡山県の津山事件が源流のようです。 この津山事件は、かの有名な八ツ墓村のモチーフにもなりました。 これをどこかで聞いたことがある人が県内の杉沢地区にかつてあった集落に当て嵌めて、さらに人から人へと伝聞していくうちにドンドン話が大袈裟に膨らんで形づくられていったんでしょうね。 まあ、確かに昔の各地の集落で、中には問題のあった村もあるにはあったそうですよね。 それもまた噂話に一味を加えているのでしょうけれど…。 そして杉沢村も犬鳴村も共通するのは場所が特定出来ない。 人からの伝聞がほとんど。 事件が起きた噂。 実際それらしき集落や村人を見たという人も出てくるが、実際同行してもらいながら探してもまず見つからない。 どちらもインターネットが発達してから急激に広まった。 そして、決まってその付近の人たちはそんな話聞いたことがないという…これらが共通していますね。 まあ、乱暴な言い方になりますが完全なデマですね。 杉沢村なんかはテレビで何度も特集をやっていましたから。 高藤さん、こんばんわ。 コメントありがとうございます。 そうだったんですね。 津山事件は八ツ墓村のモデルになっている事は知っていましたが、犬鳴村にも影響していたとは知りませんでした。 また、おっしゃる通り事実を確認できない都市伝説の大半は語り部によって作られた話か大きな事件を面白おかしく脚色した話がほとんどなんでしょうね。 ただ作り話かと疑いながらでも「もしかしたら……」と考えてしまうのが都市伝説の魅力でもあると思います。 でも最近は徐々に都市伝説やオカルトブームが下火なのであまり新しい噂もでてこなくなってしまいまったのは個人的には残念です。

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犬鳴峠(犬鳴きトンネル)の怖い話

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概要 [ ] 犬鳴峠という名前は側に位置するから来ている。 由来は諸説あり、文献『犬鳴山古実』には「この山を犬啼と呼ぶのは谷の入口には久原へ越える道筋に滝があり、昔 狼が滝に行き着いたが、上に登れないことを悲しんで鳴いていた」と記されている。 他にもこの犬鳴山はとても深いため、でも越えることが難しく泣き叫んだため犬鳴山と命名された説がある。 他にも、に(いなぎ)の境界線に位置していたことから、次第に「いんなき」と変化していった説がある。 で犬は「イン」と呼ぶため、「インナキとうげ」とも呼ばれる。 地理・交通 [ ] 久山町の東端部および宮若市の西端部にあたり、峠の北側に(583. 6)がある。 糟屋郡の久山町・篠栗町、古賀市・福津市側と宮若市側を分かつ犬鳴連峰を越える峠の一つで、とを結ぶが通る。 同道路はが連続し、狭いトンネルをくぐる交通の難所であったが、に新犬鳴トンネルが開通した後は道幅も広がっている。 なお、周辺は山間部なので大雨やなどの影響で通行止めになることもある。 筑豊地域の中で寄りに位置し、北九州市・直方市と福岡市との近道として利用されることや、宮若市には本社である宮田工場が存在する関係などで、交通量は非常に多く、深夜でもやなども多数通行している。 公共交通機関としては、宮若市・久山町・粕屋町を経由して福岡市と直方市を結ぶの路線()が犬鳴峠を越えて運行されており、新犬鳴トンネルの両端出口付近にが設けられている。 停留所名は宮若市側が「犬鳴口」、久山町側が「白木橋」である。 犬鳴山を挟んで峠と反対側にが通っているが、峠近くの区域はすべてトンネル(福岡トンネル)内となっている。 新犬鳴トンネル入口のには「 新犬鳴トンネル」(全長:1,385m)と記されている。 峠の約2km北東、宮若市側ではからの建設が進められ、に完成した(完成当時は)。 ダム湖は「の湖」という愛称がつけられ、やなど整備もされている。 また峠の入口には、温泉地であるも存在する。 犬鳴峠の古称は久原越えと言われ、江戸時代初期、-(年間)に道が開かれたと言う事であるが、より初期ごろまで地元民からは重要視されていない峠道であったらしい。 古老の言によると、犬鳴峠は非常な悪路であったため利用者はほとんどなく、地元、吉川村の住民は福岡、へ行くときはを越えてに出ていたという。 また犬鳴住民も犬鳴峠は避け、現在はになっている古賀市清滝に抜ける薦野峠を使用していたという。 猫峠、薦野峠は江戸時代より昭和初期ごろまで地元民にとって生活上、重要な道路であったという。 江戸時代より、などからやって来る人は早朝、家を出立し猫峠、薦野峠を越え吉川村の集落などで夕刻ごろまで商をした後、集落の中で懇意にしている家に一泊し、朝早く峠を越え帰途についたという。 宿泊代は売れ残り商品で済ませていた。 犬鳴にも行商人が定宿にしていた家があり、そういった関係から宗像、糟屋郡の住民と婚姻などのが多かったそうである。 宮若市側、旧犬鳴トンネル脇にある奥は犬鳴の地籍ではなく、脇田の地籍である。 犬鳴隧道・旧道 [ ] 宮若市側の犬鳴隧道入口。 入口左に記念碑。 犬鳴隧道(いぬなきずいどう、通称:旧犬鳴トンネル)は~(明治17、8年頃)に糟屋郡と鞍手郡連合組合会の決議において工事が着手されたが工事技術の未熟さと莫大な工事費を要したため一時中止となった。 しかし(昭和2年)11月糟屋郡及び鞍手郡各町村会に於いて決議され、各町村長の署名捺印をもって県当局に犬鳴道路の陳情をした。 犬鳴トンネル掘削工事については糟屋、鞍手両郡関係町村民一体となって幾多の努力を重ね、(昭和24年)11月3日府県道福丸箱崎線(福岡県道21号線)が遂に開通した。 翌年のにはの〜の運行が開始された。 当時のバスは「」と「(定員50~70人)」が使われた。 燃料には木炭を使用していたが、燃料事情が改善し、(昭和26年)にはガソリンエンジン、その後にディーゼルエンジンへと交換していった。 その後24年を経過した(昭和50年)には変貌著しい社会のニーズに応えるために新犬鳴トンネルが開通し、こちらが実質的な福岡と北九州を結ぶ幹線道路となった。 トンネルの全長を示したはが進み付いて不能なため、正確なは不明である。 上の長さでは、おおよそ150ある。 トンネル開通当時でも、峠全体がかつ薄気味悪い場所でもあるため、車の通行が極めて少ないとされている。 よく旧犬鳴トンネルと称されるが、銘板には「犬鳴隧道」と彫られており、国土地理院の地図でも「犬鳴隧道」の名称で記載されている。 しかしやでは新旧区別のために犬鳴トンネルと称するなど、両方一概とされている面もある。 は新トンネルへ付け替えられた後に閉鎖された旧トンネル経由の廃道との建設により水没した部分の2箇所があるが、双方の距離は1km以上離れている。 犬鳴峠関連で旧道と称する場合は主にダムとは直接の関連がない旧トンネル経由の廃道を指すが、誤解を避けるためこれらはそれぞれ別の区間として認識することが望ましい。 旧道はやの溜まり場となったりするなどの問題が発生したことから、旧道と旧トンネルが共に閉鎖されている。 旧トンネルの入り口はのブロックで覆われており、そこに向かう旧道も柵で封鎖されている。 閉鎖されている道路は道幅が狭く、一部では崖崩れなどで通行が非常に危険である。 またトンネル内は素掘りになっており、上部からが滴っているため、崩落の危険性もある。 久山側は比較的旧トンネルにアクセスがしやすい状況にあったが、防犯上の理由により県道に面した旧道入り口は柵で封鎖され監視カメラが設置されている。 無断立ち入りは警察に通報を行う旨の警告看板が設置されており、許可無く侵入した場合は・等で処罰の対象となり得る。 一方で宮若側旧道は車の通行が規制されているが、犬鳴山の河原之河内(かわらんこうち)登山口から熊ヶ城に続く登山道が敷設されているため、登山者であれば通行は可能となっている。 旧犬鳴トンネル口道路記念碑 府縣道福丸箱崎線開通記念碑 (道路記念碑裏面碑文) 文明者依交通開宜哉前筑鞍手郡犬鳴之嶮藩政時代通福岡唯一之要路也雖然峻坂三里羊腸老樹鬱葱昼尚暗可比蜀桟道人馬之来往危険至極多劬労犬猿亦以欲趣此峻坂悲鳴之故有此地名焉時恰遇明治之昭代郡民総皆出夫改修此峻坂年次爾来望平坦通路甚切也於此大正十三年以来挙郡一致要請県道編入遂至昭和二年有十箇年計画重要県道許可焉其後工事着々進捗仝八年更至見内務省指定県道請願許可仝十七年得鉄道々営路線隧道開鑿之確矣施工三閲年玆以昭和二十四年十一月三日挙開通式嗚呼快哉郡民百年之大望成就矣是可謂国家之息恵挙郡協力寶也今有志相謀建碑以欲後世徴于以撰文乃勒梗概云爾 銘曰 羊腸荊谷 虎貌巖顚 昔要害固 今交通填 遂裂地拓 忽補天穿 百年一夢 萬古十全 餘慶不尽 民衆長伝 昭和二十四年己丑歳晩秋 醉石 香月楽平 撰 筑水 谷 庫造 書 犬鳴村伝説 [ ]• トンネルの前に「白のは迂回してください」という看板が立てられている。 日本の記録やから完全に抹消されている。 村の入り口に「この先、は適用しません」という看板がある。 以前より、激しいを受けてきたため、村人は外部との交流を一切拒み、の生活をしている。 が続いているとされる場合もある。 入り口から少し進んだところに広場があり、ボロボロのセダンが置いてある。 またその先にある小屋には、が山積みにされている。 旧道の犬鳴トンネルには柵があり、乗り越えたところに紐と缶の仕掛けが施されていて、引っ掛かると大きな音が鳴り、を持った村人が駆けつける。 「村人は異常に足が速い」と続く場合もある。 全てのメーカーのが「圏外」となり使用不能となる。 また近くのにあるはに通じない。 若いが面白半分で犬鳴村に入り、惨殺された。 これらの説は全て事実ではない。 犬鳴は中期、(4年)以前に庁が城下、地行町に居住していた御譜代組足軽に移住を命じ成立させた村落であり、激しい差別を受けていた等の事実はない。 犬鳴にあった江戸時代中後期にかけての足軽墓地群の改葬時(昭和40年頃)、墓地群にあったほとんどの墓石のは軒号と庵号が刻まれていたという。 江戸時代の地誌、筑前国続風土記、筑前國続風土記附録、筑前國続風土記拾遺、犬鳴を含めた吉川庄(旧若宮町の西半分にあたる地域=吉川村域)の総社である日吉山王宮の大宮司職・国井内膳が(14年)に犬鳴の事を書き記した犬鳴山古実という地誌にも、外部との交流を拒み自給自足の生活をしていた事や、江戸時代以前より激しい差別を受けていた事などは記してはいない。 住民の代々のは犬鳴から数キロほどの所にあるとの寺院であるが、両寺の過去帳にも一般のとして記載してある。 浄土宗寺院の本堂内には犬鳴檀家の祖霊が安置してある御霊屋がある。 福岡藩のが 元年 に犬鳴日原鉄山、 元年 に有事の際の藩主の避難場所としてを建造させ 、福岡藩の要所の一つとしていた為、日々多くの人の出入りがあったにも関わらず、危険な集落の目撃談や原因不明の死亡者や行方不明者が出たという記述も無い事から、そのような集落があったとは考えにくい。 犬鳴日原鉄山にまつわる話によると、に従事する職人をから招き 福岡藩御譜代組足軽である犬鳴村の住民との接触を禁じたが、住居や墓を犬鳴村内に置いた。 墓は金山と穴蔵口(あなぐらぐち)と言われるところの2ヶ所にあり、この墓の中には(2年)と同三年の年号銘や戒名が彫ってあるものがあり、子供の墓もある。 犬鳴村の住民達には旅人墓(ロジン墓)と呼ばれるその墓に近付くと祟りがあるとして怖れられていたという。 この伝説を題材としたホラー映画『』が監督で制作され、に公開された。 実在した犬鳴谷村について [ ] 詳細は「」を参照 実在したといわれる犬鳴村は、正式には犬鳴谷村という。 現在の地名でいう宮若市の犬鳴という場所に、かつてと呼ばれる集落があり、に属していた。 (明治22年)に町村制度が施行されるにあたり、周辺の4村(脇田・乙野・小伏・縁山畑)と合併して吉川村を発足させ、犬鳴谷村は吉川村の一集落となった。 その後市町村合併が進められ、(昭和30年)吉川村は若宮町と対等合併した。 2006年2月11日(平成18年)の若宮町・宮田町の合併では「宮若市犬鳴」となり、現在も地名として残っている。 などを主産業としていたが、産業を取り巻く事情の変化などにより廃れた。 集落の中心地は犬鳴ダムの建設により、湖底に沈んだ。 元居住者は周囲の町へ移転した。 先述の都市伝説の「犬鳴村と呼ばれる地域」とは全く関係がない。 ダム施工前に存在した犬鳴(吉川村)の集落は、の過去ので確認可能となっている。 事件・事故 [ ] この節のが望まれています。 主に: 主犯の裁判記録など、詳細な事件内容、判決日がわかる資料 ( 2018年8月) には、 現 の犯行グループリーダーの少年(19歳、手伝い)を含めたグループ5人(16-19歳)を、と容疑で逮捕した。 調べでは、2人の少年が同年夕方に、内で帰宅途中の工員(20歳、方城町)の軽乗用車を見つけて、「車を貸してくれ」と頼んだ。 しかし断られたため、それに腹を立てた犯人グループは工員の車を奪い、また工員も一緒に連れ去って仲間の家に監禁した。 その後、少年グループら全員で、久山町の犬鳴隧道(旧犬鳴トンネル)へ連れ去って工員の手足を縛り、ガソリンをかけて焼殺した疑い がある。 その後、主犯はを受けている。 にはで事件が発生している。 峠周辺は交通の難所であり、冬場のやが多いため、も多く発生している。 周辺で見られる主な動植物 [ ]• 新犬鳴トンネル付近。 Google Earth Proによるおおまかな測定。 犬鳴 犬鳴川治水ダム関係文化財調査報告 1 p33• 若宮町誌 上 141〜161頁• com. 2018年12月16日. 2018年12月17日閲覧。 Movie Walker. 2018年12月16日. 2018年12月17日閲覧。 毎日新聞メディア編成本部 毎日新聞戦後の重大事件早見表 1991年5月25日印刷 1991年6月10日発行 沢畠 毅 p. 183 関連項目 [ ]• - 犬鳴村伝説を題材としたホラー映画。 - 犬鳴村伝説を題材としたホラーゲーム。 (犬鳴峠の南東側にある峠)• この項目は、に関連した です。 などしてくださる()。

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犬鳴村の正体とは!?旧犬鳴トンネルに行ってきた!

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しかし、その脇道は細心の注意を払わないと見過ごしてしまうレベルのとのこと。 その脇道を進むとやがて入口が姿を現し、「この先、日本国憲法は通用せず」と書かれた看板が立てられているそうだ。 噂2: 「犬鳴村に入った物は生きて帰ってこれない」 犬鳴村に入った者は生きて帰ってこれないそうだ。 というのも、同村には様々な罠が仕掛けられており、それに引っかかってしまうと住人たちが斧や鎌などで襲いかかってくるのだという。 また、住人たちはかなりの瞬足の持ち主のため、逃げ切ることは不可能だとか。 噂3: 「電波は一切通じない」 犬鳴村には電波が通っておらず、携帯電話やスマホは当然のごとく圏外。 住人たちに追いかけられようにも警察に通報できないというわけだ。 なお、同村は日本の地図上から抹消されているため、実在しないことになっている。 その後は住人たちが自給自足の生活をし、外界をシャットアウトそうだ。 なお、現在では日本政府から「特別保護区」として指定されており、一切の法律が適用外との噂も。 噂5: 「破壊されたセダンが目印」 同村の広場には破壊されたセダンが置かれているのだという。 これは以前に島根から旅行にきたカップルの車とのことだが・・・。 このように嘘のような都市伝説は多々ある。 では、本当に犬鳴村は実在するのだろうか? スポンサードリンク 犬鳴村の「日本国憲法は通用せず」の看板は嘘なのか image: 犬鳴村でもっとも注目されているのは、「この先、日本国憲法は通用せず」と書かれた看板である。 仮にこのような看板が実在するのであれば、それこそ都市伝説レベルでは済まないのだが・・・。 調べてみると、に興味深い話が掲載されていた。 その情報によると、どうやら日本国憲法が通用しないと書かれた看板における噂は嘘でもないようだ。 これは実際に犬鳴峠にドライブに行った方の話だが、今から20年ほど前、まだ旧犬鳴トンネルが封鎖されていない頃、Aさんは友人と二人で同トンネルをドライブした。 すると若宮側の出口付近に上へ登っていける細い道があり、その道を進んだという。 すると、 赤色をした鉄門に「この先何があっても責任は取れません。 」と書かれた看板を発見。 さらに進むと、左手に一軒の農家と思われる民家を発見したそうだ。 しかし、そこから先へは進むことをやめ、引き返したのだという。 (参照:) このように村があったかどうかは別として、犬鳴峠に暮らす住人がいたことは事実だろう。 また、現地に詳しい住人の話によれば、犬鳴村もしくは犬鳴峠がある場所はヤクザが死体を捨てに来る場所であったり、警察の管轄外という噂が流れているのだという。 話を整理すると、「この先、日本国憲法は通用せず」と書かれた看板の正体は、「この先何があっても責任は取れません。 」と書かれた看板のことであり、それは日本国憲法が通用しないとの呼びかけとは異なるものだと推測できる。 「責任が取れない」というのはその先の道が険しく、落石などの危険性を警告しての看板だったと考えるのが自然。 ということで、日本国憲法が通用しないとの看板における情報は完全に嘘というわけではなさそうだ。 噂は嘘じゃなかった?村が実在したという記録 image: さて、最後に犬鳴村の実在についてまとめたい。 結論から言うと、同村は1691年から1889年にかけて福岡県鞍手郡に実在した(文献からの結論)。 だが、都市伝説で語られるような差別、隔離、自給自足の生活、危険な住民などはまったくの嘘である。 なお、犬鳴村は1889年4月1日に施行された町村制度により周辺の村と合併。 これにより「吉川村」が発足し、同村の一集落となった。 その後は市町村合併が数回に渡って行われ、現在は「宮若市犬鳴」となっている。 ちなみに犬鳴村だった区域は現在、巨大ダムの建設により湖底に位置しているのだという。 このように犬鳴村は確かに実在したものの、都市伝説で語られるような情報は事実無根だった。 ちなみに現在犬鳴峠は全国的にも有名な心霊スポットとなっている。 時効だと思っているので詳しく話しますが、犬鳴村はもう無くなりました 伝統を受け継ぐ人がいなくなったので。 実在していた犬鳴村は実は2つありました。 一つは公式の文書に記載された福岡県の犬鳴村。 もう一つは和歌山県と大阪府の間にある犬鳴山のそれた山奥にある村です。 今はもうありませんが、そこにはかつて十数人の人が住んでいたようです。 都市伝説だと言われている犬鳴村伝説は、後者の方です。 検索すると、福岡県の方が出てくるのは、そちらは「犬鳴村」で登録されていたからです。 後者は本来別の名前がついており、行政にはとある理由により住所が登録されておりませんでした。 前者が有名になったのは、正直言ってありがたかったです。 申し遅れましたが、犬鳴村のことについて詳しい者です。 あなたが住んでいたのか?とかそういったことはお答えできません。 どうして犬鳴村ができたか、等々話します。 まず、ここからは福岡県の犬鳴村について述べる時は「福岡犬鳴村」と書きます。 和歌山の犬鳴村は場所は詳しく教えられませんが、犬鳴山の近くだと思ってください。 えたや非人という言葉をご存知かと思いますが、かつてそういった人々が町から追いやられ住んでいました。 これはいつの時代の事かあまり分かりません。 えたと呼ばれる人がいたより以前かもしれませんし、とにかく人間扱いされない奴隷のような人々が集団で暮らし始めたのが犬鳴村の原点です。 その頃は 私も人伝で聞いたことですが とにかく貧しい暮らしだったそうです。 ですが、山奥のかなり奥なので、人はほとんど寄り付かず、たまに猟師が上って来る程度だったそうです。 このころの話はおそらく江戸時代とか、武士のいた頃のことだと思います。 この話を随分昔に聞いたので、私も曖昧な記憶をたどっていますが、とにかく、小学生の僕が近所に住んでいた元えたのおじさんと仲良くなって、こっそり聞いたお話です。 今思うと、多分そのおじさんは犬鳴の人ではないにしろ、同じえたの人々とのネットワークがあって、詳しかったのだと思います。 まだそのおじさんはご存命だと思いますが、親族がいないそうで、どこにいるのか分かりません。 連絡が取れません。 話を戻しましょう。 犬鳴村にいた人々はもともと虐げられた生活を送る人々でした。 これは結構最近までそうだったそうです。 理由は同和地区だとかえたとか言われる人々だったからです。 なぜ都市伝説化したのかというと、山奥にあった犬鳴村の少し近くに道路が開通し、人の往来が激しくなったからです。 それまではたしかに道路はありましたが、好き好んで通れるような道ではなかったそうです。 実はそれまでは案外平穏に暮らしていたそうです。 あまり人の寄り付く場所でないことと、逃げたような形なので、町に下りても他の人々に気づかれなかったのだとか。 時折、山奥では補えないものを、町で買ったりしていたと聞きました。 生活はほぼその日暮らしで、食べ物は山で調達するようなそういう暮らしだったそうです。 道路が開通するまでは本当に平穏だったそうです。 問題の道路ができてから、その道路は心霊スポットとして名をあげました。 田舎道であることと、八つ墓村などの影響でしょう。 いまだによく出ると言われていますが、その真相は分かりません。 心霊スポットと呼ばれ始めてから、地元の若者たちが寄り付くようになりました。 たまに「こっち面白そう」みたいな感覚で逸れた道へ入り、犬鳴村まで近づく人が増えてきました。 これには今までの平穏を壊されかねないと危惧した住人 もうこのときにはかなり少ない が看板を立てたりしました。 実際にはそんなことは書いてありませんでした。 もう捨てられているので残ってはいませんが、実際には「イノシシ危険」とか「この先通行不可」などがあったそうです。 たしかに行き止まりなので、嘘ではありません。 そんなこんなで話が膨らみ、都市伝説化しました。 やがて、そこに人々は住んでいられなくなりました。 見ず知らずの人間が立ち入りそうになったことと、このご時世かつての暮らしを継続するのは困難になった事と、部落の人間に対する差別がなくなりつつあるためでした。 元々いた人々はかなり高齢になり、山奥での生活がかなり厳しくなっていたのも理由の一つです。 そうして山から下りてきた人々は、ほどなくしてほとんどの人が死んでしまったそうです。 跡継ぎなどがいないのは、村に女たちが少なかったことと、部落の人間は居なくならなければならないと考えてのことでした。 そうして犬鳴村は伝説だけを残して平成の世に消滅いたしました。 伝説のことについて答えますと、 噂1は嘘です。 話が膨らんでしまっただけです。 ただ、脇道を進む、というのはあながち間違いではありません。 車では通れないぐらいの脇道なので、細心の注意がいるのもたしかです。 憲法が通用しない旨の看板はありません。 別の内容の看板はありました。 噂2は嘘です。 イノシシ用の罠はあちこちにあったので、もしかしたら本当にそれでケガをした人もいるかもしれませんが、この可能性はかなり低いでしょう。 あそこは容易に入れる場所ではありません。 住人は襲いません。 斧や鎌はあのあたりにまだ落ちているかもしれません。 俊足というより健脚と言った方が良いでしょう。 山慣れしていたそうです。 噂3は事実です。 圏外です。 そもそも国に観測されていなかったので、地図上にも存在しておりません。 なので、そこにいた住人も戸籍を持ってはいませんでしたし、道も私道扱いです。 噂4は間違いではありません。 部落の人間のコミュニティーだったので、隔離されたというより、自ら外の世界と関わりを断ち切った、という感じです。 ですが、町にも繰り出ていたのも事実です。 今も昔も特別保護区などに制定されたことはありませんし、そもそもいまだに行政には見つかっておりません。 噂5は分かりません。 破壊はされていないと思いますが、あのあたりに車はありません。 山道を入ることは出来ませんし、セダンが心霊スポット巡りで来た若者の物だったのかもしれませんが、これは嘘だと思います。 これ以上詳しいことを話すのはできませんが、とにかくどこかに事実を書いておかねばいけないと思い、書かせていただきました。 乱れた文ですみませんでした。 もう犬鳴村は無くなった、この点だけよろしくお願いいたします。

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