負けに不思議な負けなし。 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

負けに不思議の負けなし〈完全版〉 下 (朝日文庫)

負けに不思議な負けなし

負けに不思議の負けなし、勝ちに不思議の勝ちあり。 この言葉は 名将・監督の言葉として有名だが 大元は 江戸時代の剣術達人、 の剣術書『常静子剣談』から にある言葉である。 その意味は、 「 負けるときには、何の理由もなく負けるわけではなく、 その試合中に 必ず何か負ける要素がある。 一方、勝ったときでも、すべてが良いと思って慢心すべきではない。 勝った場合でも何か負けにつながったかもしれない要素ある」 ということだ。 つまり、 「アンラッキーで負けることはなく、ラッキーで勝つことはある。 」 と言い換えることも出来る。 そうは言っても 「負ける時は、運不運ではなく負けるべくして負ける」ことがほとんどだ。 という意味だ。 スポーツ、武道で、 〇テニス・ゴルフ・卓球・バドミントン等 〇剣道、柔道、相撲、空手・・などの 一対一の戦いでは 「番狂わせ」が集団戦よりも 非常に起きづらい、と言われている。 これは、一対一の戦いだと、モロに「 個々人の実力、マインド、作戦」が ぶつかり合うので 個人の総合力が勝る方が勝つ。 一方、 「チーム」対決だと 個々人の力の無さをカバーする 「チームワーク力」や 全体を統率するリーダーの力などにはない「パワー」 が勝敗を決める大きな要因になるからこそ 弱小チームが巨大で強力な組織を打ち破る「大番狂わせ」が 起り易いのだろう。 「勝って兜の緒を締める」 という言葉通り、 ココ一番の大勝負に勝ったからといって いい気にならず、自らを良く顧みて 「勝つべくして勝った」のか? 「不思議な勝ち」ではなかったのか? 十分に検証すれば「次回の勝ち」に繋がるだろう。 dreamcatcherno0126.

次の

【左脳めし】勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。|東雲創作堂|人生をクリエイティブに。|note

負けに不思議な負けなし

問ふ、 如何なれば不思議の勝ちと云う。 曰く、 道に遵い術を守るときは其の心必ずしも勇ならざると雖ども勝ちを得。 是れ心を顧みるときは則ち不思議とす、故に曰ふ。 又た問ふ、 如何なれば不思議の負けなしと云ふ。 曰く、 道に背き術に違う、然るときは其の負け疑ひ無し、故に云爾(しかいう)。 客乃ち伏す」 松浦静山の剣術書『剣談』より (要約) 「負けるときには、何の理由もなく負けるわけではなく、その試合中に何か負ける要素がある。 勝ったときでも、何か負けに繋がる要素があった場合がある。 試合に勝つためには、負ける要素が何だったか、どうしたらその要素を消せるかを考えて行く必要がある。 また、もし勝ち試合であっても、その中には負けに繋がることを犯している可能性があり、その場合はたとえ試合に勝ったからといって、その犯したことを看過してはならない。 」 平戸藩の9代藩主であり、松浦静山(まつらせいざん)の書いた剣術書「剣談(けんだん)」の中にある言葉です。 松浦静山は心形刀流免許皆伝の腕前で文政4年(1821年)隠居後に執筆した江戸時代後期を代表する随筆集『甲子夜話』で著名であります。 プロ野球往年の名捕手・監督、野村克也さんがこの言葉を使っていたので、覚えている方もおられると思います。 剣豪の試合での負けはすなわち死を意味し、安全診断を行なう我々の立場にあっても事故はすなわち死に直結するものであります。 この要約を安全の立場で「勝ち」「負け」という言葉を「安全」「事故」という言葉で置き換えてみると、 「 安全であっても事故につながる要素があり、事故には事故を起こす要素がある。 安全 に作業するためには、事故の要素が何だったか、どうしたらその要素を消せるかを考えて行く必要がある。 また、もし安全に作業していても、その中には事故に繋がることを犯している可能性があり、その場合はたとえ安全に作業しているといっても、その犯したことを看過してはならない。 」 リスクアセスメントで言われるように、リスク(危険源)をすべて洗い出して調査し、職場の潜在的な危険性又は有害性を見つけ出し、これを除去、低減することが安全につながります。 そして、 災害が発生していない職場であっても潜在的な危険性や有害性が存在しており、これを放置しておくと、労働災害が発生する可能性があるというものです。 われわれも、この静山の言葉を胸に刻んで安全診断をしていきましょう。 藤本労働安全コンサルタント事務所 CSP労働安全コンサルタント 藤本吟藏.

次の

「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」

負けに不思議な負けなし

今は今なんですけど、この本、田淵幸一選手、原辰徳選手が、選手まっただ中の批評文(知ってる原選手はかなり晩年だった)で、僕は生まれてすらいなかったので、でも、がんばれタブチくん、とか大好きなので(古本屋で買った)あの時代、これくらい肌で感じられる作品ないのではないかと、批評は適切だし。 これ以上の本だと、江本先生の10倍20倍くらいしかありませんが、エンタテインメント野球の話であり、実際に野球から役に立つ(または現役選手が参考にする)ような本の中でこれ以上の本はないと思います。 以前に川上哲治先生の古い野球指南本を読んだのですが、要するに前提であって、これくらい消化できない人間が野球選手になれる訳がないと思いました。 対して野村監督の本は、前提を織り込み済みで、更に抜きん出る為にはどうするか、と、殆ど一般企業人にすら刮目の書を多く手がけております。 この本は、ドカベン香川とか出てきます。 ウィキの成績上だけでは風のように出て消えた名選手にしか見えませんけど、当時の人の心をかなり引きつけた選手みたいで、現役の頃を見てみたかった。 (出てくる今は知らない上を目指さないそこそこの四番とかあぶさん投手とかウィキで調べるのも一興)で、この本ではありませんが(茶目っ気もあるでしょうが)歴代最高の捕手を、本人自ら、野村克也、だと言ってますが。 本当にそうなのだから仕方ない。 こっちがどう見ても史上最高の捕手、って野村監督以外居ないと思います。 現役の頃は見たことありませんが、数限りない著作(本人以外の著作でも)読んで、僕はもうリアルタイムで球場行ってるような気もします。 川上哲治監督の指南本で、私は早い内から長嶋選手のバッティングのある意味の手首の硬さを見て取り本人は天才だからまあ直さなくていいと思ったが、それをしていたら同世代の西武の野村捕手の様に今でも現役が続けられたろう、と嘆かれているのを発見しました。 現役を退いてから評論家として本格的に活躍を始めた時期(1983〜84年)の文章が集められた本である。 したがって、江夏、田淵、山本浩二などなど、登場する選手や監督も懐かしい名前が並んでいる。 後に出版される数多くの「野村本」の元になっていると思われるエピソードがたくさん出てくるので、そちらを先に読んでしまった方にも十分楽しめる内容になっている。 この本の中で一番感動した箇所は、何といっても池田高校の監督をした蔦さんについて触れたところである。 「いつもながらこの人はいい言葉を残す。 あっさりしていて、そのくせ不屈の気持ちがどこかにこもっている。 当たり前のことをいっているのだが不思議に聞く人の心をとらえる。 選手が慕うのも当然だろう。 蔦さんの後ろ姿を見ていて私はある人を思い出した。 引退するとき相手チームの選手からも胴上げされた、あの西本さんである。 この人も選手を育てるのがうまかった。 」 上巻、pp. 180-181 人を育てることに使命感を抱いて野球人生を過ごし、数多くの教え子たちに胴上げされて花道を飾った野村監督。 まさに有言実行の野球人生だったといえるだろう。 本当にお疲れ様でした。

次の