ハ っ シャクサマ ほん 怖。 オウム真理教の修行

【心霊】目を合わせたら死ぬサクヤサマが出るリゾートホテルが怖すぎる。

ハ っ シャクサマ ほん 怖

この書を外国に在る人々に呈す [#改ページ] この話はすべて 遠野 ( とおの )の人佐々木鏡石君より聞きたり。 昨 ( さく )明治四十二年の二月ごろより始めて夜分おりおり 訪 ( たず )ね 来 ( き )たりこの話をせられしを筆記せしなり。 鏡石君は 話上手 ( はなしじょうず )にはあらざれども誠実なる人なり。 自分もまた一字一句をも 加減 ( かげん )せず感じたるままを書きたり。 思うに遠野 郷 ( ごう )にはこの類の物語なお数百件あるならん。 我々はより多くを聞かんことを切望す。 国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。 願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。 この書のごときは 陳勝呉広 ( ちんしょうごこう )のみ。 昨年八月の末自分は遠野郷に遊びたり。 花巻 ( はなまき )より十余里の路上には 町場 ( まちば )三ヶ所あり。 その他はただ青き山と原野なり。 人煙の 稀少 ( きしょう )なること北海道 石狩 ( いしかり )の平野よりも 甚 ( はなは )だし。 或いは新道なるが故に民居の来たり 就 ( つ )ける者少なきか。 遠野の城下はすなわち煙花の街なり。 馬を駅亭の主人に借りて 独 ( ひと )り郊外の村々を 巡 ( めぐ )りたり。 その馬は 黔 ( くろ )き海草をもって作りたる 厚総 ( あつぶさ )を 掛 ( か )けたり。 虻 ( あぶ )多きためなり。 猿 ( さる )ヶ 石 ( いし )の渓谷は土 肥 ( こ )えてよく 拓 ( ひら )けたり。 路傍に石塔の多きこと諸国その比を知らず。 高処より展望すれば 早稲 ( わせ )まさに熟し 晩稲 ( ばんとう )は 花盛 ( はなざか )りにて水はことごとく落ちて川にあり。 稲の 色合 ( いろあ )いは種類によりてさまざまなり。 三つ四つ五つの田を続けて稲の色の同じきはすなわち一家に属する田にしていわゆる 名処 ( みょうしょ )の同じきなるべし。 小字 ( こあざ )よりさらに小さき区域の地名は持主にあらざればこれを知らず。 古き売買譲与の証文には常に見ゆる所なり。 附馬牛 ( つくもうし )の谷へ越ゆれば 早池峯 ( はやちね )の山は淡く 霞 ( かす )み山の形は 菅笠 ( すげがさ )のごとくまた 片仮名 ( かたかな )のへの字に似たり。 この谷は稲熟することさらに遅く満目一色に青し。 細き田中の道を行けば名を知らぬ鳥ありて 雛 ( ひな )を 連 ( つ )れて横ぎりたり。 雛の色は黒に白き羽まじりたり。 始めは小さき鶏かと思いしが 溝 ( みぞ )の草に隠れて見えざればすなわち野鳥なることを知れり。 天神の山には祭ありて 獅子踊 ( ししおどり )あり。 ここにのみは軽く 塵 ( ちり )たち 紅 ( あか )き物いささかひらめきて一村の緑に映じたり。 獅子踊というは 鹿 ( しか )の 舞 ( まい )なり。 鹿の 角 ( つの )をつけたる面を 被 ( かぶ )り童子五六人剣を抜きてこれとともに舞うなり。 笛の調子高く歌は低くして 側 ( かたわら )にあれども聞きがたし。 日は傾きて風吹き酔いて人呼ぶ者の声も 淋 ( さび )しく女は笑い 児 ( こ )は走れどもなお旅愁をいかんともする 能 ( あた )わざりき。 盂蘭盆 ( うらぼん )に新しき仏ある家は紅白の旗を高く 揚 ( あ )げて 魂 ( たましい )を招く 風 ( ふう )あり。 峠 ( とうげ )の馬上において東西を指点するにこの旗十数所あり。 村人の永住の地を去らんとする者とかりそめに入りこみたる旅人とまたかの 悠々 ( ゆうゆう )たる霊山とを 黄昏 ( たぞがれ )は 徐 ( おもむろ )に来たりて包容し尽したり。 遠野郷には八ヶ所の観音堂あり。 一木をもって作りしなり。 この日 報賽 ( ほうさい )の徒多く岡の上に灯火見え 伏鉦 ( ふせがね )の音聞えたり。 道ちがえの 叢 ( くさむら )の中には 雨風祭 ( あめかぜまつり )の 藁人形 ( わらにんぎょう )あり。 あたかもくたびれたる人のごとく 仰臥 ( ぎょうが )してありたり。 以上は自分が遠野郷にてえたる印象なり。 思うにこの類の書物は少なくも現代の流行にあらず。 いかに印刷が容易なればとてこんな本を出版し自己の 狭隘 ( きょうあい )なる趣味をもって他人に 強 ( し )いんとするは 無作法 ( ぶさほう )の 仕業 ( しわざ )なりという人あらん。 されどあえて答う。 かかる話を聞きかかる 処 ( ところ )を見てきてのちこれを人に語りたがらざる者 果 ( はた )してありや。 そのような沈黙にしてかつ 慎 ( つつし )み深き人は少なくも自分の友人の中にはあることなし。 いわんやわが九百年前の 先輩 ( せんぱい )『今昔物語』のごときはその当時にありてすでに今は昔の話なりしに反しこれはこれ目前の出来事なり。 たとえ 敬虔 ( けいけん )の意と誠実の態度とにおいてはあえて彼を 凌 ( しの )ぐことを 得 ( う )という能わざらんも人の耳を 経 ( ふ )ること多からず人の口と筆とを 倩 ( やと )いたること甚だ 僅 ( わずか )なりし点においては彼の淡泊無邪気なる 大納言殿 ( だいなごんどの )かえって来たり聴くに値せり。 近代の 御伽百物語 ( おとぎひゃくものがたり )の徒に至りてはその 志 ( こころざし )やすでに 陋 ( ろう )かつ決してその談の 妄誕 ( もうたん )にあらざることを誓いえず。 窃 ( ひそか )にもってこれと隣を比するを恥とせり。 要するにこの書は現在の事実なり。 単にこれのみをもってするも立派なる存在理由ありと信ず。 ただ鏡石子は年わずかに二十四五自分もこれに十歳長ずるのみ。 今の事業多き時代に生まれながら問題の大小をも 弁 ( わきま )えず、その力を用いるところ 当 ( とう )を失えりという人あらば 如何 ( いかん )。 明神の山の 木兎 ( みみずく )のごとくあまりにその耳を 尖 ( とが )らしあまりにその眼を丸くし過ぎたりと 責 ( せ )むる人あらば如何。 はて是非もなし。 この責任のみは自分が負わねばならぬなり。 一一九 [#改丁] 遠野郷 ( とおのごう )は今の陸中 上閉伊 ( かみへい )郡の西の半分、山々にて取り 囲 ( かこ )まれたる平地なり。 新町村 ( しんちょうそん )にては、遠野、 土淵 ( つちぶち )、 附馬牛 ( つくもうし )、松崎、 青笹 ( あおざさ )、 上郷 ( かみごう )、 小友 ( おとも )、 綾織 ( あやおり )、 鱒沢 ( ますざわ )、 宮守 ( みやもり )、 達曾部 ( たっそべ )の一町十ヶ村に分かつ。 近代或いは西閉伊郡とも称し、中古にはまた 遠野保 ( とおのほ )とも呼べり。 今日郡役所のある遠野町はすなわち一郷の 町場 ( まちば )にして、 南部家 ( なんぶけ )一万石の城下なり。 城を 横田城 ( よこたじょう )ともいう。 この地へ行くには 花巻 ( はなまき )の停車場にて汽車を 下 ( お )り、 北上川 ( きたかみがわ )を渡り、その川の支流 猿 ( さる )ヶ 石川 ( いしがわ )の 渓 ( たに )を 伝 ( つた )いて、東の方へ入ること十三里、遠野の町に至る。 山奥には珍しき繁華の地なり。 伝えいう、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、その水猿ヶ石川となりて人界に流れ出でしより、自然にかくのごとき 邑落 ( ゆうらく )をなせしなりと。 されば谷川のこの猿ヶ石に落合うもの 甚 ( はなは )だ多く、俗に 七内八崎 ( ななないやさき )ありと称す。 内 ( ない )は沢または谷のことにて、奥州の地名には多くあり。 遠野の町は南北の川の 落合 ( おちあい )にあり。 以前は 七七十里 ( しちしちじゅうり )とて、七つの渓谷おのおの七十里の奥より 売買 ( ばいばい )の貨物を 聚 ( あつ )め、その 市 ( いち )の日は馬千匹、人千人の 賑 ( にぎ )わしさなりき。 四方の山々の中に最も 秀 ( ひい )でたるを 早池峯 ( はやちね )という、北の方 附馬牛 ( つくもうし )の奥にあり。 東の方には 六角牛 ( ろっこうし )山立てり。 石神 ( いしがみ )という山は附馬牛と 達曾部 ( たっそべ )との間にありて、その高さ前の二つよりも 劣 ( おと )れり。 大昔に女神あり、三人の娘を 伴 ( とも )ないてこの高原に来たり、今の 来内 ( らいない )村の 伊豆権現 ( いずごんげん )の社あるところに 宿 ( やど )りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与うべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より 霊華 ( れいか ) 降 ( ふ )りて姉の 姫 ( ひめ )の胸の上に止りしを、末の姫 眼覚 ( めさ )めて 窃 ( ひそか )にこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、ついに最も美しき早池峯の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。 若き三人の女神おのおの三の山に住し今もこれを領したもう 故 ( ゆえ )に、遠野の女どもはその 妬 ( ねたみ )を 畏 ( おそ )れて今もこの山には遊ばずといえり。 山々の奥には山人住めり。 栃内 ( とちない )村 和野 ( わの )の佐々木 嘉兵衛 ( かへえ )という人は今も七十余にて生存せり。 この 翁 ( おきな )若かりしころ猟をして山奥に入りしに、 遥 ( はる )かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を 梳 ( くしけず )りていたり。 顔の色きわめて白し。 不敵の男なれば 直 ( ただち )に 銃 ( つつ )を差し向けて打ち放せしに 弾 ( たま )に応じて倒れたり。 そこに 馳 ( か )けつけて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪はまたそのたけよりも長かりき。 のちの 験 ( しるし )にせばやと思いてその髪をいささか切り取り、これを 綰 ( わが )ねて 懐 ( ふところ )に入れ、やがて家路に向いしに、道の程にて 耐 ( た )えがたく睡眠を 催 ( もよお )しければ、しばらく 物蔭 ( ものかげ )に立寄りてまどろみたり。 その間 夢 ( ゆめ )と 現 ( うつつ )との境のようなる時に、これも 丈 ( たけ )の高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰ねたる黒髪を取り返し立ち去ると見ればたちまち 睡 ( ねむり )は覚めたり。 山男なるべしといえり。 山口村の吉兵衛という家の主人、 根子立 ( ねっこだち )という山に入り、 笹 ( ささ )を 苅 ( か )りて 束 ( たば )となし 担 ( かつ )ぎて立上らんとする時、笹原の上を風の吹き渡るに心づきて見れば、奥の方なる林の中より若き女の 穉児 ( おさなご )を 負 ( お )いたるが笹原の上を歩みて此方へ来るなり。 きわめてあでやかなる女にて、これも長き黒髪を垂れたり。 児を 結 ( ゆ )いつけたる 紐 ( ひも )は藤の 蔓 ( つる )にて、 着 ( き )たる衣類は世の常の 縞物 ( しまもの )なれど、 裾 ( すそ )のあたりぼろぼろに破れたるを、いろいろの木の葉などを添えて 綴 ( つづ )りたり。 足は地に 着 ( つ )くとも覚えず。 事もなげに此方に近より、男のすぐ前を通りて 何方 ( いずかた )へか行き過ぎたり。 この人はその折の 怖 ( おそ )ろしさより 煩 ( わずら )い 始 ( はじ )めて、久しく 病 ( や )みてありしが、近きころ 亡 ( う )せたり。 遠野郷より海岸の 田 ( た )ノ 浜 ( はま )、 吉利吉里 ( きりきり )などへ越ゆるには、昔より 笛吹峠 ( ふえふきとうげ )という 山路 ( やまみち )あり。 山口村より 六角牛 ( ろっこうし )の方へ入り路のりも近かりしかど、近年この峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に 出逢 ( であ )うより、誰もみな 怖 ( おそ )ろしがりて次第に往来も 稀 ( まれ )になりしかば、ついに別の路を 境木峠 ( さかいげとうげ )という方に開き、 和山 ( わやま )を 馬次場 ( うまつぎば )として今は此方ばかりを越ゆるようになれり。 二里以上の 迂路 ( うろ )なり。 遠野郷にては豪農のことを今でも長者という。 青笹村大字 糠前 ( ぬかのまえ )の長者の娘、ふと物に取り隠されて年久しくなりしに、同じ村の何某という 猟師 ( りょうし )、 或 ( あ )る日山に入りて一人の女に 遭 ( あ )う。 怖ろしくなりてこれを撃たんとせしに、何おじではないか、ぶつなという。 驚きてよく見れば 彼 ( か )の長者がまな娘なり。 何故 ( なにゆえ )にこんな 処 ( ところ )にはおるぞと問えば、或る物に取られて今はその妻となれり。 子もあまた 生 ( う )みたれど、すべて 夫 ( おっと )が食い 尽 ( つく )して一人此のごとくあり。 おのれはこの地に一生涯を送ることなるべし。 人にも言うな。 御身も危うければ 疾 ( と )く帰れというままに、その在所をも問い 明 ( あき )らめずして 遁 ( に )げ 還 ( かえ )れりという。 遠野郷にも糠森・糠塚多くあり。 上郷村の民家の娘、 栗 ( くり )を拾いに山に入りたるまま帰り 来 ( き )たらず。 家の者は死したるならんと思い、女のしたる 枕 ( まくら )を 形代 ( かたしろ )として葬式を 執行 ( とりおこな )い、さて二三年を過ぎたり。 しかるにその村の者猟をして 五葉山 ( ごようざん )の腰のあたりに入りしに、大なる岩の 蔽 ( おお )いかかりて岩窟のようになれるところにて、 図 ( はか )らずこの女に逢いたり。 互いに打ち驚き、いかにしてかかる山にはおるかと問えば、女の 曰 ( いわ )く、山に入りて恐ろしき人にさらわれ、こんなところに来たるなり。 遁 ( に )げて帰らんと思えど 些 ( いささか )の 隙 ( すき )もなしとのことなり。 その人はいかなる人かと問うに、自分には 並 ( なみ )の人間と見ゆれど、ただ 丈 ( たけ )きわめて高く眼の色少し 凄 ( すご )しと思わる。 子供も幾人か生みたれど、我に似ざれば我子にはあらずといいて 食 ( くら )うにや殺すにや、みないずれへか持ち去りてしまうなりという。 まことに我々と同じ人間かと押し返して問えば、衣類なども世の常なれど、ただ眼の色少しちがえり。 一市間 ( ひといちあい )に一度か二度、同じようなる人四五人集まりきて、何事か話をなし、やがて 何方 ( どちら )へか出て行くなり。 食物など外より持ち来たるを見れば町へも出ることならん。 かく言ううちにも今にそこへ帰って来るかも知れずという故、猟師も怖ろしくなりて帰りたりといえり。 二十年ばかりも以前のことかと思わる。 月六度の市なれば一市間はすなわち五日のことなり。 黄昏 ( たそがれ )に女や子供の家の外に出ている者はよく 神隠 ( かみかく )しにあうことは 他 ( よそ )の国々と同じ。 松崎村の 寒戸 ( さむと )というところの民家にて、若き娘 梨 ( なし )の 樹 ( き )の下に 草履 ( ぞうり )を 脱 ( ぬ )ぎ置きたるまま 行方 ( ゆくえ )を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或る日親類知音の人々その家に 集 ( あつ )まりてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。 いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりし故帰りしなり。 さらばまた行かんとて、再び 跡 ( あと )を 留 ( とど )めず行き 失 ( う )せたり。 その日は風の 烈 ( はげ )しく吹く日なりき。 されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトの 婆 ( ばば )が帰って来そうな日なりという。 菊池 弥之助 ( やのすけ )という老人は若きころ 駄賃 ( だちん )を業とせり。 笛の名人にて 夜通 ( よどお )しに馬を追いて行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり。 ある 薄月夜 ( うすづきよ )に、あまたの仲間の者とともに浜へ越ゆる境木峠を行くとて、また笛を取り出して吹きすさみつつ、 大谷地 ( おおやち )というところの上を過ぎたり。 大谷地は深き谷にて 白樺 ( しらかんば )の林しげく、その下は 葦 ( あし )など生じ 湿 ( しめ )りたる沢なり。 この時谷の底より何者か高き声にて面白いぞーと 呼 ( よ )ばわる者あり。 一同ことごとく色を失い遁げ走りたりといえり。 また ヤツとも ヤトとも ヤともいう。 この男ある奥山に入り、 茸 ( きのこ )を採るとて小屋を 掛 ( か )け 宿 ( とま )りてありしに、深夜に遠きところにてきゃーという女の叫び声聞え胸を 轟 ( とどろ )かしたることあり。 里へ帰りて見れば、その同じ夜、時も同じ刻限に、自分の妹なる女その 息子 ( むすこ )のために殺されてありき。 この女というは母一人子一人の家なりしに、 嫁 ( よめ )と 姑 ( しゅうと )との仲 悪 ( あ )しくなり、嫁はしばしば親里へ行きて帰り来ざることあり。 その日は嫁は家にありて打ち 臥 ( ふ )しておりしに、昼のころになり突然と 倅 ( せがれ )のいうには、ガガはとても 生 ( い )かしては置かれぬ、 今日 ( きょう )はきっと殺すべしとて、大なる 草苅鎌 ( くさかりがま )を取り出し、ごしごしと 磨 ( と )ぎ始めたり。 そのありさまさらに 戯言 ( たわむれごと )とも見えざれば、母はさまざまに事を 分 ( わ )けて 詫 ( わ )びたれども少しも聴かず。 嫁も起き 出 ( い )でて泣きながら 諫 ( いさ )めたれど、 露 ( つゆ ) 従 ( したが )う色もなく、やがて母が 遁 ( のが )れ出でんとする 様子 ( ようす )あるを見て、前後の戸口をことごとく 鎖 ( とざ )したり。 便用に行きたしといえば、おのれみずから外より便器を持ち来たりてこれへせよという。 夕方にもなりしかば母もついにあきらめて、大なる 囲炉裡 ( いろり )の 側 ( かたわら )にうずくまりただ泣きていたり。 倅 ( せがれ )はよくよく 磨 ( と )ぎたる大鎌を手にして近より来たり、まず左の肩口を目がけて 薙 ( な )ぐようにすれば、鎌の 刃先 ( はさき ) 炉 ( ろ )の 上 ( うえ )の 火棚 ( ひだな )に 引 ( ひ )っかかりてよく 斬 ( き )れず。 その時に母は深山の奥にて弥之助が聞きつけしようなる叫び声を立てたり。 二度目には右の肩より 切 ( き )り 下 ( さ )げたるが、これにてもなお 死絶 ( しにた )えずしてあるところへ、 里人 ( さとびと )ら驚きて 馳 ( は )せつけ倅を 取 ( と )り 抑 ( おさ )え直に警察官を 呼 ( よ )びて 渡 ( わた )したり。 警官がまだ棒を持ちてある時代のことなり。 母親は男が 捕 ( とら )えられ引き立てられて行くを見て、滝のように血の流るる中より、おのれは 恨 ( うらみ )も 抱 ( いだ )かずに死ぬるなれば、孫四郎は 宥 ( ゆる )したまわれという。 これを聞きて心を 動 ( うご )かさぬ者はなかりき。 孫四郎は途中にてもその鎌を振り上げて巡査を追い廻しなどせしが、狂人なりとて放免せられて家に帰り、今も生きて里にあり。 土淵村山口に 新田乙蔵 ( にったおとぞう )という老人あり。 村の人は 乙爺 ( おとじい )という。 今は九十に近く 病 ( や )みてまさに 死 ( し )なんとす。 年頃 ( としごろ )遠野郷の昔の話をよく知りて、誰かに話して聞かせ置きたしと 口癖 ( くちぐせ )のようにいえど、あまり 臭 ( くさ )ければ立ち寄りて聞かんとする人なし。 処々 ( ところどころ )の 館 ( たて )の 主 ( ぬし )の伝記、 家々 ( いえいえ )の盛衰、昔よりこの 郷 ( ごう )に 行 ( おこな )われし歌の数々を始めとして、深山の伝説またはその奥に住める人々の物語など、この老人最もよく知れり。 この老人は数十年の間山の中に 独 ( ひと )りにて住みし人なり。 よき 家柄 ( いえがら )なれど、若きころ財産を傾け失いてより、世の中に思いを 絶 ( た )ち、峠の上に 小屋 ( こや )を掛け、 甘酒 ( あまざけ )を 往来 ( おうらい )の人に売りて活計とす。 駄賃 ( だちん )の 徒 ( と )はこの翁を 父親 ( ちちおや )のように思いて、 親 ( した )しみたり。 少しく収入の 余 ( あまり )あれば、町に 下 ( くだ )りきて酒を飲む。 赤毛布 ( あかゲット )にて作りたる 半纏 ( はんてん )を着て、赤き 頭巾 ( ずきん )を 被 ( かぶ )り、酔えば、町の中を 躍 ( おど )りて帰るに巡査もとがめず。 いよいよ老衰して後、 旧里 ( きゅうり )に帰りあわれなる 暮 ( くら )しをなせり。 子供はすべて北海道へ行き、翁ただ一人なり。 部落 ( ぶらく )には必ず一戸の旧家ありて、オクナイサマという神を 祀 ( まつ )る。 その家をば 大同 ( だいどう )という。 この神の 像 ( ぞう )は 桑 ( くわ )の木を 削 ( けず )りて 顔 ( かお )を 描 ( えが )き、四角なる 布 ( ぬの )の 真中 ( まんなか )に穴を 明 ( あ )け、これを 上 ( うえ )より 通 ( とお )して 衣裳 ( いしょう )とす。 正月の十五日には 小字中 ( こあざじゅう )の人々この家に集まり 来 ( き )たりてこれを祭る。 またオシラサマという神あり。 この神の像もまた同じようにして造り 設 ( もう )け、これも正月の十五日に 里人 ( さとびと )集まりてこれを祭る。 その式には 白粉 ( おしろい )を神像の顔に塗ることあり。 大同の家には必ず 畳 ( たたみ ) 一帖 ( いちじょう )の 室 ( しつ )あり。 この 部屋 ( へや )にて 夜 ( よる ) 寝 ( ね )る者はいつも不思議に 遭 ( あ )う。 枕 ( まくら )を 反 ( かえ )すなどは常のことなり。 或いは誰かに 抱 ( だ )き 起 ( お )こされ、または室より 突 ( つ )き 出 ( いだ )さるることもあり。 およそ静かに眠ることを許さぬなり。 これと似たる例なり。 オクナイサマを祭れば 幸 ( さいわい )多し。 土淵村大字 柏崎 ( かしわざき )の長者阿部氏、村にては 田圃 ( たんぼ )の 家 ( うち )という。 この家にて或る年 田植 ( たうえ )の 人手 ( ひとで ) 足 ( た )らず、 明日 ( あす )は 空 ( そら )も 怪 ( あや )しきに、わずかばかりの田を植え残すことかなどつぶやきてありしに、ふと 何方 ( いずち )よりともなく 丈 ( たけ ) 低 ( ひく )き 小僧 ( こぞう )一人来たりて、おのれも手伝い申さんというに 任 ( まか )せて 働 ( はたら )かせて置きしに、 午飯時 ( ひるめしどき )に 飯 ( めし )を食わせんとて 尋 ( たず )ねたれど見えず。 やがて再び帰りきて終日、 代 ( しろ )を 掻 ( か )きよく 働 ( はたら )きてくれしかば、その日に植えはてたり。 どこの人かは知らぬが、晩にはきて物を 食 ( く )いたまえと 誘 ( さそ )いしが、日暮れてまたその 影 ( かげ )見えず。 家に帰りて見れば、 縁側 ( えんがわ )に小さき 泥 ( どろ )の 足跡 ( あしあと )あまたありて、だんだんに座敷に入り、オクナイサマの 神棚 ( かみだな )のところに 止 ( とどま )りてありしかば、さてはと思いてその 扉 ( とびら )を開き見れば、神像の腰より下は田の 泥 ( どろ )にまみれていませし 由 ( よし )。 コンセサマを祭れる家も少なからず。 この神の神体はオコマサマとよく似たり。 オコマサマの社は里に多くあり。 石または木にて男の物を作りて 捧 ( ささ )ぐるなり。 今はおいおいとその事少なくなれり。 旧家 ( きゅうか )にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。 この神は多くは十二三ばかりの童児なり。 おりおり人に姿を見することあり。 土淵村大字 飯豊 ( いいで )の 今淵 ( いまぶち )勘十郎という人の家にては、近きころ高等女学校にいる娘の休暇にて帰りてありしが、或る日 廊下 ( ろうか )にてはたとザシキワラシに行き 逢 ( あ )い大いに驚きしことあり。 これは 正 ( まさ )しく男の 児 ( こ )なりき。 同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり 縫物 ( ぬいもの )しておりしに、次の間にて紙のがさがさという音あり。 この室は家の主人の 部屋 ( へや )にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思いて板戸を開き見るに何の影もなし。 しばらくの 間 ( あいだ ) 坐 ( すわ )りて居ればやがてまた 頻 ( しきり )に鼻を 鳴 ( な )らす音あり。 さては 座敷 ( ざしき )ワラシなりけりと思えり。 この家にも座敷ワラシ住めりということ、久しき以前よりの 沙汰 ( さた )なりき。 この神の 宿 ( やど )りたもう家は富貴自在なりということなり。 この神のこと『 石神 ( いしがみ )問答』中にも記事あり。 ザシキワラシまた女の児なることあり。 同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門という家には、童女の神二人いませりということを久しく言い伝えたりしが、或る年同じ村の何某という男、町より帰るとて 留場 ( とめば )の橋のほとりにて 見馴 ( みな )れざる二人のよき娘に逢えり。 物思わしき様子にて此方へ 来 ( き )たる。 お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。 これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。 その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。 さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、 茸 ( きのこ )の毒に 中 ( あた )りて一日のうちに死に 絶 ( た )え、七歳の女の子一人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近きころ 病 ( や )みて失せたり。 孫左衛門が家にては、或る日 梨 ( なし )の木のめぐりに 見馴 ( みな )れぬ 茸 ( きのこ )のあまた 生 ( は )えたるを、食わんか食うまじきかと男どもの評議してあるを聞きて、最後の代の孫左衛門、食わぬがよしと制したれども、下男の一人がいうには、いかなる茸にても 水桶 ( みずおけ )の中に入れて 苧殻 ( おがら )をもってよくかき 廻 ( まわ )してのち食えば決して 中 ( あた )ることなしとて、一同この言に従い家内ことごとくこれを食いたり。 七歳の女の 児 ( こ )はその日外に 出 ( い )でて遊びに気を取られ、昼飯を食いに帰ることを忘れしために助かりたり。 不意の主人の死去にて人々の動転してある間に、遠き近き親類の人々、或いは生前に 貸 ( かし )ありといい、或いは約束ありと称して、家の貨財は 味噌 ( みそ )の 類 ( たぐい )までも取り去りしかば、この村 草分 ( くさわけ )の長者なりしかども、一朝にして 跡方 ( あとかた )もなくなりたり。 この兇変の前にはいろいろの前兆ありき。 男ども 苅置 ( かりお )きたる 秣 ( まぐさ )を出すとて三ツ歯の 鍬 ( くわ )にて 掻 ( か )きまわせしに、大なる 蛇 ( へび )を 見出 ( みいだ )したり。 これも殺すなと主人が制せしをも聴かずして打ち殺したりしに、その跡より秣の下にいくらともなき蛇ありて、うごめき出でたるを、男ども面白半分にことごとくこれを殺したり。 さて取り捨つべきところもなければ、屋敷の 外 ( そと )に穴を掘りてこれを 埋 ( う )め、蛇塚を作る。 その蛇は 簣 ( あじか )に 何荷 ( なんが )ともなくありたりといえり。 右の孫左衛門は村には珍しき学者にて、常に京都より和漢の書を取り寄せて読み 耽 ( ふけ )りたり。 少し変人という方なりき。 狐 ( きつね )と親しくなりて家を富ます術を得んと思い立ち、まず庭の中に 稲荷 ( いなり )の 祠 ( ほこら )を 建 ( た )て、自身京に 上 ( のぼ )りて正一位の神階を 請 ( う )けて帰り、それよりは日々一枚の 油揚 ( あぶらげ )を欠かすことなく、手ずから社頭に 供 ( そな )えて拝をなせしに、のちには狐 馴 ( な )れて近づけども 遁 ( に )げず。 手を延ばしてその首を 抑 ( おさ )えなどしたりという。 村にありし薬師の 堂守 ( どうもり )は、わが仏様は何ものをも 供 ( そな )えざれども、孫左衛門の神様よりは 御利益 ( ごりやく )ありと、たびたび笑いごとにしたりとなり。 佐々木氏の 曾祖母 ( そうそぼ )年よりて死去せし時、 棺 ( かん )に取り 納 ( おさ )め親族の者集まりきてその夜は一同座敷にて寝たり。 死者の娘にて乱心のため離縁せられたる婦人もまたその中にありき。 喪 ( も )の間は火の 気 ( け )を 絶 ( た )やすことを 忌 ( い )むがところの 風 ( ふう )なれば、祖母と母との二人のみは、大なる 囲炉裡 ( いろり )の 両側 ( りょうがわ )に 坐 ( すわ )り、 母人 ( ははびと )は 旁 ( かたわら )に 炭籠 ( すみかご )を置き、おりおり炭を 継 ( つ )ぎてありしに、ふと裏口の方より足音してくる者あるを見れば、 亡 ( な )くなりし老女なり。 平生 ( へいぜい )腰かがみて 衣物 ( きもの )の 裾 ( すそ )の引きずるを、三角に取り上げて前に縫いつけてありしが、まざまざとその通りにて、 縞目 ( しまめ )にも 見覚 ( みおぼ )えあり。 あなやと思う間もなく、二人の女の坐れる炉の脇を通り行くとて、裾にて 炭取 ( すみとり )にさわりしに、丸き炭取なればくるくるとまわりたり。 母人は 気丈 ( きじょう )の人なれば振り返りあとを見送りたれば、親縁の人々の打ち 臥 ( ふ )したる座敷の方へ近より行くと思うほどに、かの狂女のけたたましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり。 その余の人々はこの声に 睡 ( ねむり )を 覚 ( さま )しただ打ち驚くばかりなりしといえり。 同じ人の二七日の 逮夜 ( たいや )に、知音の者集まりて、夜 更 ( ふ )くるまで念仏を 唱 ( とな )え立ち帰らんとする時、 門口 ( かどぐち )の石に腰掛けてあちらを向ける老女あり。 そのうしろ 付 ( つき )正しく 亡 ( な )くなりし人の通りなりき。 これは 数多 ( あまた )の人見たる 故 ( ゆえ )に誰も疑わず。 いかなる 執着 ( しゅうじゃく )のありしにや、ついに知る人はなかりしなり。 村々の旧家を 大同 ( だいどう )というは、大同元年に 甲斐国 ( かいのくに )より移り来たる家なればかくいうとのことなり。 大同は田村将軍征討の時代なり。 甲斐は南部家の本国なり。 二つの伝説を混じたるに 非 ( あら )ざるか。 『 常陸国志 ( ひたちのこくし )』に例あり、 ホラマエという語のちに見ゆ。 大同の祖先たちが、始めてこの地方に到着せしは、あたかも 歳 ( とし )の 暮 ( くれ )にて、春のいそぎの 門松 ( かどまつ )を、まだ 片方 ( かたほう )はえ立てぬうちに 早 ( はや )元日になりたればとて、今もこの家々にては吉例として門松の片方を地に伏せたるままにて、 標縄 ( しめなわ )を引き渡すとのことなり。 柏崎の 田圃 ( たんぼ )のうちと称する阿倍氏はことに聞えたる旧家なり。 この家の先代に彫刻に 巧 ( たくみ )なる人ありて、遠野一郷の神仏の像にはこの人の作りたる者多し。 早池峯 ( はやちね )より出でて東北の方 宮古 ( みやこ )の海に流れ入る川を 閉伊川 ( へいがわ )という。 その流域はすなわち下閉伊郡なり。 遠野の町の中にて今は 池 ( いけ )の 端 ( はた )という家の先代の主人、宮古に行きての帰るさ、この川の 原台 ( はらだい )の 淵 ( ふち )というあたりを通りしに、若き女ありて一封の手紙を 托 ( たく )す。 遠野の町の後なる物見山の中腹にある沼に行きて、手を 叩 ( たた )けば 宛名 ( あてな )の人いで 来 ( く )べしとなり。 この人 請 ( う )け合いはしたれども 路々 ( みちみち )心に掛りてとつおいつせしに、一人の 六部 ( ろくぶ )に行き 逢 ( あ )えり。 この手紙を開きよみて 曰 ( いわ )く、これを持ち行かば 汝 ( なんじ )の身に大なる 災 ( わざわい )あるべし。 書き 換 ( か )えて取らすべしとて更に別の手紙を与えたり。 これを持ちて沼に行き教えのごとく手を叩きしに、果して若き女いでて手紙を受け取り、その礼なりとてきわめて小さき 石臼 ( いしうす )をくれたり。 米を一粒入れて 回 ( まわ )せば下より黄金 出 ( い )づ。 この 宝物 ( たからもの )の力にてその家やや富有になりしに、妻なる者慾深くして、一度にたくさんの米をつかみ入れしかば、石臼はしきりに自ら回りて、ついには朝ごとに主人がこの石臼に供えたりし水の、小さき 窪 ( くぼ )みの中に 溜 ( たま )りてありし中へ 滑 ( すべ )り入りて見えずなりたり。 その水溜りはのちに小さき池になりて、今も家の 旁 ( かたわら )にあり。 家の名を池の端というもその 為 ( ため )なりという。 始めて早池峯に 山路 ( やまみち )をつけたるは、附馬牛村の何某という猟師にて、時は遠野の南部家 入部 ( にゅうぶ )の後のことなり。 その頃までは土地の者一人としてこの山には入りたる者なかりしと。 この猟師半分ばかり道を開きて、山の半腹に 仮小屋 ( かりごや )を作りておりしころ、 或 ( あ )る日 炉 ( ろ )の上に 餅 ( もち )をならべ焼きながら食いおりしに、小屋の外を通る者ありて 頻 ( しきり )に中を 窺 ( うかが )うさまなり。 よく見れば大なる坊主なり。 やがて小屋の中に入り来たり、さも珍しげに餅の焼くるを見てありしが、ついにこらえ 兼 ( か )ねて手をさし延べて取りて食う。 猟師も恐ろしければ自らもまた取りて与えしに、 嬉 ( うれ )しげになお食いたり。 餅 皆 ( みな )になりたれば帰りぬ。 次の日もまた来るならんと思い、餅によく似たる白き石を二つ三つ、餅にまじえて炉の上に載せ置きしに、焼けて火のようになれり。 案のごとくその坊主きょうもきて、餅を取りて食うこと昨日のごとし。 餅 尽 ( つ )きてのちその白石をも同じように口に入れたりしが、大いに驚きて小屋を飛び出し姿見えずなれり。 のちに谷底にてこの坊主の死してあるを見たりといえり。 この話によく似たり。 鶏頭山 ( けいとうざん )は早池峯の前面に立てる 峻峯 ( しゅんぽう )なり。 麓 ( ふもと )の里にてはまた 前薬師 ( まえやくし )ともいう。 天狗 ( てんぐ )住めりとて、早池峯に登る者も決してこの山は 掛 ( か )けず。 山口のハネトという家の主人、佐々木氏の祖父と竹馬の友なり。 きわめて無法者にて、 鉞 ( まさかり )にて草を 苅 ( か )り 鎌 ( かま )にて土を掘るなど、若き時は乱暴の 振舞 ( ふるまい )のみ多かりし人なり。 或る時人と 賭 ( かけ )をして一人にて前薬師に登りたり。 帰りての物語に曰く、頂上に大なる岩あり、その岩の上に大男三人いたり。 前にあまたの金銀をひろげたり。 この男の近よるを見て、 気色 ( けしき )ばみて振り返る、その眼の光きわめて恐ろし。 早池峯に登りたるが 途 ( みち )に迷いて来たるなりと言えば、 然 ( しか )らば送りて 遣 ( や )るべしとて 先 ( さき )に立ち、 麓 ( ふもと )近きところまで来たり、眼を 塞 ( ふさ )げと言うままに、暫時そこに立ちている間に、たちまち異人は見えずなりたりという。 小国 ( おぐに )村の何某という男、或る日早池峯に竹を 伐 ( き )りに行きしに、 地竹 ( じだけ )のおびただしく茂りたる中に、大なる男一人寝ていたるを見たり。 地竹にて編みたる三尺ばかりの 草履 ( ぞうり )を 脱 ( ぬ )ぎてあり。 仰 ( あお )に 臥 ( ふ )して大なる 鼾 ( いびき )をかきてありき。 遠野郷の民家の子女にして、異人にさらわれて行く者年々多くあり。 ことに女に多しとなり。 千晩 ( せんば )ヶ 岳 ( だけ )は山中に 沼 ( ぬま )あり。 この谷は物すごく 腥 ( なまぐさ )き 臭 ( か )のするところにて、この山に入り帰りたる者はまことに 少 ( すく )なし。 昔何の 隼人 ( はやと )という猟師あり。 その子孫今もあり。 白き鹿を見てこれを追いこの谷に千晩こもりたれば山の名とす。 その白鹿撃たれて遁げ、次の山まで行きて 片肢 ( かたあし )折れたり。 その山を今 片羽山 ( かたはやま )という。 さてまた前なる山へきてついに死したり。 その地を 死助 ( しすけ )という。 死助権現 ( しすけごんげん )とて 祀 ( まつ )れるはこの白鹿なりという。 白望 ( しろみ )の山に行きて 泊 ( とま )れば、深夜にあたりの 薄明 ( うすあか )るくなることあり。 秋のころ 茸 ( きのこ )を採りに行き山中に宿する者、よくこの事に逢う。 また谷のあなたにて大木を 伐 ( き )り倒す音、歌の声など 聞 ( きこ )ゆることあり。 この山の大さは 測 ( はか )るべからず。 五月に 萱 ( かや )を苅りに行くとき、遠く望めば 桐 ( きり )の花の咲き 満 ( み )ちたる山あり。 あたかも 紫 ( むらさき )の雲のたなびけるがごとし。 されどもついにそのあたりに近づくこと 能 ( あた )わず。 かつて茸を採りに入りし者あり。 白望の山奥にて金の 樋 ( とい )と金の 杓 ( しゃく )とを見たり。 持ち帰らんとするにきわめて重く、 鎌 ( かま )にて 片端 ( かたはし )を 削 ( けず )り取らんとしたれどそれもかなわず。 また 来 ( こ )んと思いて樹の皮を白くし 栞 ( しおり )としたりしが、次の日人々とともに行きてこれを求めたれど、ついにその木のありかをも見出しえずしてやみたり。 白望の山続きに 離森 ( はなれもり )というところあり。 その 小字 ( こあざ )に長者屋敷というは、全く無人の境なり。 ここに行きて炭を焼く者ありき。 或る夜その小屋の 垂菰 ( たれごも )をかかげて、内を 窺 ( うかが )う者を見たり。 髪を長く二つに分けて 垂 ( た )れたる女なり。 このあたりにても深夜に女の叫び声を聞くことは珍しからず。 佐々木氏の祖父の弟、白望に茸を採りに行きて 宿 ( やど )りし夜、谷を隔てたるあなたの大なる森林の前を横ぎりて、女の走り行くを見たり。 中空を走るように思われたり。 待てちゃアと二声ばかり 呼 ( よ )ばわりたるを聞けりとぞ。 猿の 経立 ( ふったち )、 御犬 ( おいぬ )の経立は恐ろしきものなり。 御犬 ( おいぬ )とは 狼 ( おおかみ )のことなり。 山口の村に近き 二 ( ふた )ツ 石山 ( いしやま )は岩山なり。 ある雨の日、小学校より帰る子どもこの山を見るに、 処々 ( ところどころ )の岩の上に御犬うずくまりてあり。 やがて首を 下 ( した )より 押 ( お )しあぐるようにしてかわるがわる 吠 ( ほ )えたり。 正面より見れば 生 ( う )まれ 立 ( た )ての馬の子ほどに見ゆ。 後 ( うしろ )から見れば 存外 ( ぞんがい )小さしといえり。 御犬のうなる声ほど 物凄 ( ものすご )く恐ろしきものはなし。 境木峠 ( さかいげとうげ )と 和山峠 ( わやまとうげ )との間にて、昔は 駄賃馬 ( だちんば )を 追 ( お )う者、しばしば狼に逢いたりき。 馬方 ( うまかた )らは夜行には、たいてい十人ばかりも 群 ( むれ )をなし、その一人が 牽 ( ひ )く馬は 一端綱 ( ひとはづな )とてたいてい五六七 匹 ( ぴき )までなれば、常に四五十匹の馬の数なり。 ある時二三百ばかりの狼追い来たり、その足音山もどよむばかりなれば、あまりの恐ろしさに馬も人も一所に集まりて、そのめぐりに火を焼きてこれを防ぎたり。 されどなおその火を躍り越えて入り来るにより、ついには馬の 綱 ( つな )を 解 ( と )きこれを 張 ( は )り 回 ( めぐ )らせしに、 穽 ( おとしあな )などなりとや思いけん、それよりのちは中に飛び入らず。 遠くより 取 ( と )り 囲 ( かこ )みて夜の 明 ( あけ )るまで吠えてありきとぞ。 小友 ( おとも )村の旧家の主人にて今も生存せる 某爺 ( なにがしじい )という人、町より帰りに 頻 ( しきり )に御犬の 吠 ( ほ )ゆるを聞きて、酒に酔いたればおのれもまたその声をまねたりしに、狼も吠えながら 跡 ( あと )より来るようなり。 恐ろしくなりて急ぎ家に帰り入り、門の戸を 堅 ( かた )く 鎖 ( とざ )して 打 ( う )ち 潜 ( ひそ )みたれども、夜通し狼の家をめぐりて吠ゆる声やまず。 夜明 ( よあ )けて見れば、馬屋の 土台 ( どだい )の下を掘り 穿 ( うが )ちて中に入り、馬の七頭ありしをことごとく食い殺していたり。 この家はそのころより産やや傾きたりとのことなり。 佐々木君幼きころ、祖父と二人にて山より帰りしに、村に近き谷川の岸の上に、大なる鹿の倒れてあるを見たり。 横腹は破れ、殺されて 間 ( ま )もなきにや、そこよりはまだ 湯気 ( ゆげ )立てり。 祖父の曰く、これは狼が食いたるなり。 この皮ほしけれども御犬は必ずどこかこの近所に隠れて見ておるに相違なければ、取ることができぬといえり。 草の長さ三寸あれば狼は身を隠すといえり。 草木 ( そうもく )の色の移り行くにつれて、狼の毛の色も 季節 ( きせつ )ごとに変りて行くものなり。 和野の佐々木嘉兵衛、或る年 境木越 ( さかいげごえ )の 大谷地 ( おおやち )へ狩にゆきたり。 死助 ( しすけ )の方より走れる原なり。 秋の暮のことにて木の葉は散り尽し山もあらわなり。 向 ( むこ )うの峯より何百とも知れぬ狼此方へ 群 ( む )れて走りくるを見て恐ろしさに堪えず、樹の 梢 ( こずえ )に 上 ( のぼ )りてありしに、その樹の下を 夥 ( おびただ )しき足音して走り過ぎ北の方へ行けり。 そのころより遠野郷には狼甚だ少なくなれりとのことなり。 六角牛 ( ろっこうし )山の 麓 ( ふもと )にオバヤ、板小屋などいうところあり。 広き 萱山 ( かややま )なり。 村々より 苅 ( か )りに行く。 ある年の秋 飯豊村 ( いいでむら )の者ども萱を苅るとて、岩穴の中より狼の子三匹を見出し、その二つを殺し一つを持ち帰りしに、その日より狼の 飯豊衆 ( いいでし )の馬を 襲 ( おそ )うことやまず。 外 ( ほか )の村々の人馬にはいささかも害をなさず。 飯豊衆相談して狼狩をなす。 その中には 相撲 ( すもう )を取り 平生 ( へいぜい ) 力自慢 ( ちからじまん )の者あり。 さて野に 出 ( い )でて見るに、 雄 ( おす )の狼は遠くにおりて 来 ( き )たらず。 雌 ( めす )狼一つ鉄という男に飛びかかりたるを、ワッポロを脱ぎて 腕 ( うで )に巻き、やにわにその狼の口の中に突き込みしに、狼これを 噛 ( か )む。 なお強く突き入れながら人を 喚 ( よ )ぶに、誰も誰も 怖 ( おそ )れて近よらず。 その間に鉄の腕は狼の腹まで 入 ( はい )り、狼は苦しまぎれに鉄の腕骨を 噛 ( か )み 砕 ( くだ )きたり。 狼はその場にて死したれども、鉄も 担 ( かつ )がれて帰り 程 ( ほど )なく死したり。 一昨年の『遠野新聞』にもこの記事を載せたり。 上郷 ( かみごう )村の熊という男、友人とともに雪の日に六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたれば、 手分 ( てわけ )してその跡を ( もと )め、自分は峯の方を行きしに、とある岩の 陰 ( かげ )より大なる熊此方を見る。 矢頃 ( やごろ )あまりに近かりしかば、銃をすてて熊に 抱 ( かか )えつき雪の上を 転 ( ころ )びて、谷へ下る。 連 ( つれ )の男これを救わんと思えども力及ばず。 やがて谷川に落ち入りて、人の熊 下 ( した )になり水に沈みたりしかば、その 隙 ( ひま )に獣の熊を打ち取りぬ。 水にも 溺 ( おぼ )れず、 爪 ( つめ )の傷は数ヶ所受けたれども命に 障 ( さわ )ることはなかりき。 六角牛の峯続きにて、 橋野 ( はしの )という村の上なる山に 金坑 ( きんこう )あり。 この鉱山のために炭を焼きて生計とする者、これも笛の 上手 ( じょうず )にて、ある日 昼 ( ひる )の 間 ( あいだ ) 小屋 ( こや )におり、 仰向 ( あおむき )に 寝転 ( ねころ )びて笛を吹きてありしに、小屋の口なる 垂菰 ( たれごも )をかかぐる者あり。 驚きて見れば猿の 経立 ( ふったち )なり。 恐ろしくて起き直りたれば、おもむろに 彼方 ( かなた )へ走り行きぬ。 猿の 経立 ( ふったち )はよく人に似て、女色を好み里の婦人を盗み去ること多し。 松脂 ( まつやに )を毛に 塗 ( ぬ )り砂をその上につけておる故、 毛皮 ( けがわ )は 鎧 ( よろい )のごとく鉄砲の 弾 ( たま )も 通 ( とお )らず。 栃内村の 林崎 ( はやしざき )に住む何某という男、今は五十に近し。 十年あまり前のことなり。 六角牛山に鹿を撃ちに行き、オキを吹きたりしに、猿の経立あり、これを 真 ( まこと )の鹿なりと思いしか、 地竹 ( じだけ )を手にて 分 ( わ )けながら、大なる口をあけ嶺の方より 下 ( くだ )り来たれり。 胆潰 ( きもつぶ )れて笛を吹きやめたれば、やがて 反 ( そ )れて谷の方へ走り行きたり。 この地方にて子供をおどす 言葉 ( ことば )に、六角牛の猿の経立が来るぞということ常の事なり。 この山には猿多し。 緒 ( おがせ )の 滝 ( たき )を見に行けば、 崖 ( がけ )の樹の 梢 ( こずえ )にあまたおり、人を見れば 遁 ( に )げながら木の 実 ( み )などを 擲 ( なげう )ちて行くなり。 仙人峠 ( せんにんとうげ )にもあまた猿おりて行人に 戯 ( たわむ )れ石を打ちつけなどす。 仙人峠は登り十五里 降 ( くだ )り十五里あり。 その中ほどに仙人の像を祀りたる堂あり。 この堂の 壁 ( かべ )には旅人がこの山中にて遭いたる不思議の出来事を書き 識 ( しる )すこと昔よりの 習 ( ならい )なり。 例えば、我は越後の者なるが、何月何日の夜、この 山路 ( やまみち )にて若き女の髪を 垂 ( た )れたるに逢えり。 こちらを見てにこと笑いたりという 類 ( たぐい )なり。 またこの所にて猿に 悪戯 ( いたずら )をせられたりとか、三人の盗賊に逢えりというようなる事をも 記 ( しる )せり。 死助 ( しすけ )の山にカッコ花あり。 遠野郷にても珍しという花なり。 五月 閑古鳥 ( かんこどり )の 啼 ( な )くころ、女や子どもこれを 採 ( と )りに山へ行く。 酢 ( す )の中に 漬 ( つ )けて置けば 紫色 ( むらさきいろ )になる。 酸漿 ( ほおずき )の 実 ( み )のように吹きて遊ぶなり。 この花を採ることは若き者の最も大なる遊楽なり。 山にはさまざまの鳥 住 ( す )めど、最も 寂 ( さび )しき声の鳥はオット鳥なり。 夏の 夜中 ( よなか )に 啼 ( な )く。 浜の 大槌 ( おおづち )より 駄賃附 ( だちんづけ )の者など峠を越え来たれば、 遥 ( はるか )に谷底にてその声を聞くといえり。 昔ある長者の娘あり。 またある長者の男の子と 親 ( した )しみ、山に行きて遊びしに、男見えずなりたり。 夕暮になり夜になるまで 探 ( さが )しあるきしが、これを見つくることをえずして、ついにこの鳥になりたりという。 オットーン、オットーンというは 夫 ( おっと )のことなり。 末の方かすれてあわれなる 鳴声 ( なきごえ )なり。 馬追鳥 ( うまおいどり )は 時鳥 ( ほととぎす )に似て 少 ( すこ )し大きく、 羽 ( はね )の色は赤に茶を 帯 ( お )び、肩には馬の 綱 ( つな )のようなる 縞 ( しま )あり。 胸のあたりにクツゴコ(口籠)のようなるかたあり。 これも 或 ( あ )る長者が家の奉公人、山へ馬を 放 ( はな )しに行き、家に帰らんとするに一匹不足せり。 夜通しこれを求めあるきしがついにこの鳥となる。 アーホー、アーホーと啼くはこの地方にて野におる馬を追う声なり。 年により馬追鳥 里 ( さと )にきて啼くことあるは 飢饉 ( ききん )の前兆なり。 深山には常に住みて啼く声を聞くなり。 郭公 ( かっこう )と 時鳥 ( ほととぎす )とは昔ありし 姉妹 ( あねいもと )なり。 郭公は姉なるがある時 芋 ( いも )を掘りて焼き、そのまわりの 堅 ( かた )きところを自ら食い、中の 軟 ( やわら )かなるところを妹に与えたりしを、妹は姉の食う 分 ( ぶん )は一層 旨 ( うま )かるべしと想いて、 庖丁 ( ほうちょう )にてその姉を殺せしに、たちまちに鳥となり、ガンコ、ガンコと啼きて飛び去りぬ。 ガンコは方言にて堅いところということなり。 妹さてはよきところをのみおのれにくれしなりけりと思い、悔恨に堪えず、やがてまたこれも鳥になりて庖丁かけたと啼きたりという。 遠野にては時鳥のことを庖丁かけと呼ぶ。 盛岡 ( もりおか )辺にては時鳥はどちゃへ飛んでたと啼くという。 閉伊川 ( へいがわ )の 流 ( なが )れには 淵 ( ふち )多く恐ろしき伝説少なからず。 小国川との落合に近きところに、 川井 ( かわい )という村あり。 その村の長者の奉公人、ある淵の上なる山にて樹を伐るとて、 斧 ( おの )を水中に 取 ( と )り 落 ( おと )したり。 主人の物なれば淵に入りてこれを 探 ( さぐ )りしに、水の底に入るままに物音聞ゆ。 これを求めて行くに岩の陰に家あり。 奥の方に美しき娘 機 ( はた )を織りていたり。 そのハタシに彼の斧は立てかけてありたり。 これを返したまわらんという時、振り返りたる女の顔を見れば、二三年前に身まかりたる我が主人の娘なり。 斧は返すべければ我がこの 所 ( ところ )にあることを人にいうな。 その礼としてはその方 身上 ( しんしょう ) 良 ( よ )くなり、奉公をせずともすむようにして 遣 ( や )らんといいたり。 そのためなるか否かは知らず、その後 胴引 ( どうびき )などいう 博奕 ( ばくち )に不思議に勝ち 続 ( つづ )けて 金溜 ( かねたま )り、ほどなく奉公をやめ家に引き込みて 中 ( ちゅう )ぐらいの農民になりたれど、この男は 疾 ( と )くに物忘れして、この娘のいいしことも心づかずしてありしに、或る日同じ淵の 辺 ( ほとり )を 過 ( す )ぎて町へ行くとて、ふと前の事を思い出し、 伴 ( とも )なえる者に以前かかることありきと語りしかば、やがてその 噂 ( うわさ )は近郷に伝わりぬ。 その頃より男は家産再び 傾 ( かたむ )き、また昔の主人に奉公して年を経たり。 家の主人は何と思いしにや、その淵に 何荷 ( なんが )ともなく熱湯を 注 ( そそ )ぎ入れなどしたりしが、何の効もなかりしとのことなり。 川には 川童 ( かっぱ )多く住めり。 猿ヶ石川ことに多し。 松崎村の 川端 ( かわばた )の 家 ( うち )にて、二代まで続けて川童の子を 孕 ( はら )みたる者あり。 生れし子は 斬 ( き )り 刻 ( きざ )みて 一升樽 ( いっしょうだる )に入れ、土中に 埋 ( うず )めたり。 その 形 ( かたち )きわめて醜怪なるものなりき。 女の 婿 ( むこ )の里は 新張 ( にいばり )村の何某とて、これも川端の家なり。 その主人 人 ( ひと )にその 始終 ( しじゅう )を語れり。 かの家の者一同ある日 畠 ( はたけ )に行きて夕方に帰らんとするに、女川の 汀 ( みぎわ )に 踞 ( うずくま )りてにこにこと笑いてあり。 次の日は 昼 ( ひる )の休みにまたこの事あり。 かくすること日を重ねたりしに、次第にその女のところへ村の何某という者 夜々 ( よるよる ) 通 ( かよ )うという 噂 ( うわさ )立ちたり。 始めには婿が浜の方へ 駄賃附 ( だちんづけ )に行きたる 留守 ( るす )をのみ 窺 ( うかが )いたりしが、のちには 婿 ( むこ )と 寝 ( ね )たる 夜 ( よる )さえくるようになれり。 川童なるべしという評判だんだん高くなりたれば、一族の者集まりてこれを守れどもなんの 甲斐 ( かい )もなく、婿の母も行きて娘の 側 ( かたわら )に 寝 ( ね )たりしに、深夜にその娘の笑う声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなわず、人々いかにともすべきようなかりき。 その産はきわめて難産なりしが、或る者のいうには、 馬槽 ( うまふね )に水をたたえその中にて 産 ( う )まば安く産まるべしとのことにて、これを試みたれば果してその通りなりき。 その子は手に 水掻 ( みずかき )あり。 この娘の母もまたかつて川童の子を産みしことありという。 二代や三代の因縁にはあらずという者もあり。 この家も 如法 ( にょほう )の豪家にて何の某という士族なり。 村会議員をしたることもあり。 上郷村の何某の家にても川童らしき物の子を 産 ( う )みたることあり。 確 ( たしか )なる証とてはなけれど、 身内 ( みうち ) 真赤 ( まっか )にして口大きく、まことにいやな子なりき。 忌 ( いま )わしければ 棄 ( す )てんとてこれを携えて道ちがえに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思い直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立ち帰りたるに、早取り隠されて見えざりきという。 川の岸の 砂 ( すな )の上には川童の 足跡 ( あしあと )というものを見ること決して珍しからず。 雨の日の翌日などはことにこの事あり。 猿の足と同じく 親指 ( おやゆび )は離れて人間の手の 跡 ( あと )に似たり。 長さは三寸に足らず。 指先のあとは人ののように明らかには見えずという。 小烏瀬川 ( こがらせがわ )の 姥子淵 ( おばこふち )の辺に、 新屋 ( しんや )の 家 ( うち )という 家 ( いえ )あり。 ある日 淵 ( ふち )へ馬を 冷 ( ひや )しに行き、 馬曳 ( うまひき )の子は 外 ( ほか )へ遊びに行きし間に、川童出でてその馬を引き込まんとし、かえりて馬に引きずられて 厩 ( うまや )の前に来たり、 馬槽 ( うまふね )に 覆 ( おお )われてありき。 家のもの馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば川童の手出でたり。 村中のもの集まりて殺さんか 宥 ( ゆる )さんかと評議せしが、結局 今後 ( こんご )は村中の馬に 悪戯 ( いたずら )をせぬという堅き約束をさせてこれを放したり。 その川童今は村を去りて 相沢 ( あいざわ )の滝の淵に住めりという。 いやしくも川童のおるという国には必ずこの話あり。 何の故にか。 外 ( ほか )の地にては川童の顔は青しというようなれど、遠野の川童は 面 ( つら )の 色 ( いろ ) 赭 ( あか )きなり。 佐々木氏の 曾祖母 ( そうそぼ )、 穉 ( おさな )かりしころ友だちと庭にて遊びてありしに、三本ばかりある 胡桃 ( くるみ )の木の間より、 真赤 ( まっか )なる顔したる男の子の顔見えたり。 これは川童なりしとなり。 今もその胡桃大木にてあり。 この家の屋敷のめぐりはすべて胡桃の樹なり。 和野 ( わの )村の 嘉兵衛爺 ( かへえじい )、 雉子小屋 ( きじごや )に入りて雉子を待ちしに 狐 ( きつね )しばしば出でて雉子を追う。 あまり 憎 ( にく )ければこれを撃たんと思い 狙 ( ねら )いたるに、狐は此方を向きて何ともなげなる顔してあり。 さて 引金 ( ひきがね )を引きたれども火 移 ( うつ )らず。 胸騒 ( むなさわ )ぎして銃を検せしに、 筒口 ( つつぐち )より 手元 ( てもと )のところまでいつのまにかことごとく土をつめてありたり。 同じ人六角牛に入りて白き 鹿 ( しか )に 逢 ( あ )えり。 白鹿 ( はくろく )は 神 ( かみ )なりという 言 ( い )い 伝 ( つた )えあれば、もし 傷 ( きず )つけて殺すこと 能 ( あた )わずば、必ず 祟 ( たたり )あるべしと 思案 ( しあん )せしが、 名誉 ( めいよ )の 猟人 ( かりうど )なれば 世間 ( せけん )の 嘲 ( あざけ )りをいとい、思い切りてこれを 撃 ( う )つに、 手応 ( てごた )えはあれども鹿少しも動かず。 この時もいたく 胸騒 ( むなさわ )ぎして、 平生 ( へいぜい ) 魔除 ( まよ )けとして 危急 ( ききゅう )の時のために用意したる 黄金 ( おうごん )の 丸 ( たま )を取り出し、これに 蓬 ( よもぎ )を巻きつけて打ち放したれど、鹿はなお動かず、あまり怪しければ近よりて見るに、よく鹿の形に似たる白き石なりき。 数十年の間山中に 暮 ( くら )せる者が、石と鹿とを 見誤 ( みあやま )るべくもあらず、全く 魔障 ( ましょう )の 仕業 ( しわざ )なりけりと、この時ばかりは猟を 止 ( や )めばやと思いたりきという。 また同じ人、ある 夜 ( よ ) 山中 ( さんちゅう )にて 小屋 ( こや )を作るいとまなくて、とある大木の下に寄り、 魔除 ( まよ )けのサンズ 縄 ( なわ )をおのれと木のめぐりに 三囲 ( みめぐり )引きめぐらし、鉄砲を 竪 ( たて )に 抱 ( かか )えてまどろみたりしに、夜深く物音のするに心づけば、大なる 僧形 ( そうぎょう )の者赤き 衣 ( ころも )を 羽 ( はね )のように羽ばたきして、その木の梢に 蔽 ( おお )いかかりたり。 すわやと銃を打ち放せばやがてまた羽ばたきして 中空 ( なかぞら )を飛びかえりたり。 この時の恐ろしさも世の常ならず。 前後三たびまでかかる不思議に 遭 ( あ )い、そのたびごとに鉄砲を 止 ( や )めんと心に誓い、 氏神 ( うじがみ )に 願掛 ( がんが )けなどすれど、やがて再び思い返して、年取るまで 猟人 ( かりうど )の業を 棄 ( す )つること 能 ( あた )わずとよく人に語りたり。 小国 ( おぐに )の三浦某というは村一の 金持 ( かねもち )なり。 今より二三代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく 魯鈍 ( ろどん )なりき。 この妻ある日 門 ( かど )の 前 ( まえ )を流るる小さき川に沿いて 蕗 ( ふき )を 採 ( と )りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。 さてふと見れば立派なる黒き 門 ( もん )の家あり。 訝 ( いぶか )しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き 鶏 ( にわとり )多く遊べり。 その庭を 裏 ( うら )の方へ 廻 ( まわ )れば、牛小屋ありて牛多くおり、 馬舎 ( うまや )ありて馬多くおれども、一向に人はおらず。 ついに玄関より 上 ( あが )りたるに、その次の間には朱と黒との 膳椀 ( ぜんわん )をあまた取り出したり。 奥の座敷には 火鉢 ( ひばち )ありて 鉄瓶 ( てつびん )の湯のたぎれるを見たり。 されどもついに人影はなければ、もしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり、 駆 ( か )け 出 ( だ )して家に帰りたり。 この事を人に語れども 実 ( まこと )と思う者もなかりしが、また或る日わが家のカドに出でて物を洗いてありしに、川上より赤き椀一つ流れてきたり。 あまり美しければ拾い上げたれど、これを食器に用いたらば 汚 ( きたな )しと人に 叱 ( しか )られんかと思い、ケセネギツの中に置きてケセネを 量 ( はか )る 器 ( うつわ )となしたり。 しかるにこの器にて量り始めてより、いつまで 経 ( た )ちてもケセネ尽きず。 家の者もこれを怪しみて女に問いたるとき、始めて川より拾い上げし 由 ( よし )をば語りぬ。 この家はこれより幸運に向い、ついに今の三浦家となれり。 遠野にては山中の 不思議 ( ふしぎ )なる家をマヨイガという。 マヨイガに行き当りたる者は、必ずその家の内の 什器 ( じゅうき )家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。 その人に 授 ( さず )けんがためにかかる家をば見するなり。 女が無慾にて何ものをも盗み来ざりしが故に、この椀自ら流れて来たりしなるべしといえり。 キツはその穀物を 容 ( い )るる箱なり。 大小種々の キツあり。 金沢村 ( かねさわむら )は 白望 ( しろみ )の 麓 ( ふもと )、上閉伊郡の内にてもことに山奥にて、人の往来する者少なし。 六七年前この村より栃内村の山崎なる 某 ( なにがし )かかが家に娘の婿を取りたり。 この婿実家に行かんとして山路に迷い、またこのマヨイガに行き当りぬ。 家のありさま、牛馬 の多きこと、花の紅白に咲きたりしことなど、すべて前の話の通りなり。 同じく玄関に入りしに、膳椀を取り出したる室あり。 座敷に 鉄瓶 ( てつびん )の湯たぎりて、今まさに茶を 煮 ( に )んとするところのように見え、どこか便所などのあたりに人が立ちてあるようにも思われたり。 茫然 ( ぼうぜん )として後にはだんだん恐ろしくなり、引き返してついに 小国 ( おぐに )の村里に出でたり。 小国にてはこの話を聞きて 実 ( まこと )とする者もなかりしが、山崎の方にてはそはマヨイガなるべし、行きて膳椀の類を持ち 来 ( き )たり長者にならんとて、 婿殿 ( むこどの )を先に立てて人あまたこれを求めに山の奥に入り、ここに門ありきというところに来たれども、眼にかかるものもなく 空 ( むな )しく帰り来たりぬ。 その婿もついに金持になりたりということを聞かず。 早池峯 ( はやちね )は 御影石 ( みかげいし )の山なり。 この山の小国に 向 ( む )きたる 側 ( かわ )に 安倍ヶ城 ( あべがじょう )という岩あり。 険 ( けわ )しき 崖 ( がけ )の中ほどにありて、人などはとても行きうべきところにあらず。 ここには今でも 安倍貞任 ( あべのさだとう )の母住めりと言い伝う。 雨 ( あめ )の 降 ( ふ )るべき夕方など、 岩屋 ( いわや )の 扉 ( とびら )を 鎖 ( とざ )す音聞ゆという。 小国、 附馬牛 ( つくもうし )の人々は、安倍ヶ城の 錠 ( じょう )の音がする、 明日 ( あす )は雨ならんなどいう。 同じ山の附馬牛よりの登り口にもまた 安倍屋敷 ( あべやしき )という巌窟あり。 とにかく早池峯は安倍貞任にゆかりある山なり。 小国より登る山口にも 八幡太郎 ( はちまんたろう )の 家来 ( けらい )の 討死 ( うちじに )したるを埋めたりという塚三つばかりあり。 安倍貞任に関する伝説はこのほかにも多し。 土淵村と昔は 橋野 ( はしの )といいし栗橋村との境にて、山口よりは二三里も登りたる山中に、広く 平 ( たいら )なる原あり。 そのあたりの地名に貞任というところあり。 沼ありて貞任が馬を 冷 ( ひや )せしところなりという。 貞任が 陣屋 ( じんや )を 構 ( かま )えし 址 ( あと )とも言い伝う。 景色 ( けしき )よきところにて東海岸よく見ゆ。 土淵村には安倍氏という家ありて貞任が末なりという。 昔は栄えたる家なり。 今も 屋敷 ( やしき )の周囲には堀ありて水を通ず。 刀剣馬具あまたあり。 当主は安倍 与右衛門 ( よえもん )、今も村にては二三等の 物持 ( ものも )ちにて、村会議員なり。 安倍の子孫はこのほかにも多し。 盛岡の 安倍館 ( あべだて )の附近にもあり。 厨川 ( くりやがわ )の 柵 ( しゃく )に近き家なり。 土淵村の安倍家の四五町北、 小烏瀬川 ( こがらせがわ )の 河隈 ( かわくま )に 館 ( たて )の址あり。 八幡沢 ( はちまんざ )の 館 ( たて )という。 八幡太郎が陣屋というものこれなり。 これより遠野の町への 路 ( みち )にはまた八幡山という山ありて、その山の八幡沢の館の方に向かえる峯にもまた一つの 館址 ( たてあと )あり。 貞任が陣屋なりという。 二つの館の間二十余町を隔つ。 矢戦 ( やいくさ )をしたりという言い伝えありて、矢の根を多く掘り出せしことあり。 この間に 似田貝 ( にたかい )という部落あり。 戦の当時このあたりは 蘆 ( あし )しげりて土 固 ( かた )まらず、ユキユキと動揺せり。 或る時八幡太郎ここを通りしに、 敵味方 ( てきみかた )いずれの 兵糧 ( ひょうりょう )にや、 粥 ( かゆ )を多く置きてあるを見て、これは 煮 ( に )た粥かといいしより村の名となる。 似田貝の村の外を流るる小川を 鳴川 ( なるかわ )という。 これを隔てて 足洗川村 ( あしらがむら )あり。 鳴川にて 義家 ( よしいえ )が足を洗いしより村の名となるという。 地形よく合えり。 西の国々にては ニタとも ヌタともいう皆これなり。 下閉伊郡小川村にも二田貝という字あり。 今の土淵村には 大同 ( だいどう )という家二軒あり。 山口の大同は当主を 大洞万之丞 ( おおほらまんのじょう )という。 この人の養母名はおひで、八十を 超 ( こ )えて今も達者なり。 佐々木氏の祖母の姉なり。 魔法に長じたり。 まじないにて蛇を殺し、木に 止 ( とま )れる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらいたり。 昨年の旧暦正月十五日に、この老女の語りしには、昔あるところに貧しき百姓あり。 妻はなくて美しき娘あり。 また一匹の馬を養う。 娘この馬を愛して 夜 ( よる )になれば 厩舎 ( うまや )に行きて 寝 ( い )ね、ついに馬と夫婦になれり。 或る夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を 連 ( つ )れ出して桑の木につり下げて殺したり。 その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に 縋 ( すが )りて泣きいたりしを、父はこれを 悪 ( にく )みて斧をもって 後 ( うしろ )より馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に 昇 ( のぼ )り去れり。 オシラサマというはこの時より成りたる神なり。 馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像を作る。 その像三つありき。 本 ( もと )にて作りしは山口の大同にあり。 これを姉神とす。 中にて作りしは山崎の 在家権十郎 ( ざいけごんじゅうろう )という人の家にあり。 佐々木氏の伯母が縁づきたる家なるが、今は家絶えて神の 行方 ( ゆくえ )を知らず。 末 ( すえ )にて作りし妹神の像は 今 ( いま )附馬牛村にありといえり。 同じ人の話に、オクナイサマはオシラサマのある家には必ず伴ないて 在 ( いま )す神なり。 されどオシラサマはなくてオクナイサマのみある家もあり。 また家によりて神の像も同じからず。 山口の大同にあるオクナイサマは木像なり。 山口の 辷石 ( はねいし )たにえという人の家なるは 掛軸 ( かけじく )なり。 田圃 ( たんぼ )のうちにいませるはまた木像なり。 飯豊 ( いいで )の大同にもオシラサマはなけれどオクナイサマのみはいませりという。 この話をしたる老女は熱心なる念仏者なれど、世の常の念仏者とは 様 ( さま )かわり、一種邪宗らしき信仰あり。 信者に道を伝うることはあれども、互いに厳重なる秘密を守り、その 作法 ( さほう )につきては親にも子にもいささかたりとも知らしめず。 また寺とも僧とも少しも関係はなくて、 在家 ( ざいけ )の者のみの 集 ( あつ )まりなり。 その人の数も多からず。 辷石 ( はねいし )たにえという婦人などは同じ仲間なり。 阿弥陀仏 ( あみだぶつ )の 斎日 ( さいにち )には、夜中人の静まるを待ちて会合し、隠れたる室にて 祈祷 ( きとう )す。 魔法まじないを 善 ( よ )くする故に、郷党に対して一種の権威あり。 栃内 ( とちない )村の字 琴畑 ( ことばた )は深山の沢にあり。 家の数は五軒ばかり、 小烏瀬 ( こがらせ )川の支流の 水上 ( みなかみ )なり。 これより栃内の民居まで二里を 隔 ( へだ )つ。 琴畑の入口に塚あり。 塚の上には木の 座像 ( ざぞう )あり。 およそ人の大きさにて、以前は堂の中にありしが、今は 雨 ( あま )ざらしなり。 これをカクラサマという。 村の子供これを 玩物 ( もてあそびもの )にし、引き出して川へ投げ入れまた路上を引きずりなどする故に、今は鼻も口も見えぬようになれり。 或 ( ある )いは子供を 叱 ( しか )り戒めてこれを制止する者あれば、かえりて 祟 ( たたり )を受け病むことありといえり。 遠江小笠郡大池村東光寺の薬師仏(『掛川志』)、駿河安倍郡豊田村曲金の軍陣坊社の神(『新風土記』)、または信濃筑摩郡射手の 弥陀堂 ( みだどう )の木仏(『信濃奇勝録』)などこれなり。 カクラサマの木像は遠野郷のうちに 数多 ( あまた )あり。 栃内の字 西内 ( にしない )にもあり。 山口分の 大洞 ( おおほら )というところにもありしことを記憶する者あり。 カクラサマは人のこれを信仰する者なし。 粗末なる彫刻にて、 衣裳頭 ( いしょうかしら )の 飾 ( かざり )のありさまも不分明なり。 栃内のカクラサマは右の大小二つなり。 土淵一村にては三つか四つあり。 いずれのカクラサマも木の半身像にてなたの 荒削 ( あらけず )りの 無恰好 ( ぶかっこう )なるものなり。 されど人の顔なりということだけは 分 ( わ )かるなり。 カクラサマとは以前は神々の旅をして休息したもうべき場所の名なりしが、その地に 常 ( つね )います神をかく 唱 ( とな )うることとなれり。 離森 ( はなれもり )の長者屋敷にはこの数年前まで 燐寸 ( マッチ )の 軸木 ( じくぎ )の 工場 ( こうば )ありたり。 その小屋の戸口に 夜 ( よる )になれば女の伺い寄りて人を見てげたげたと笑う者ありて、淋しさに堪えざる故、ついに工場を大字山口に移したり。 その後また同じ山中に 枕木 ( まくらぎ ) 伐出 ( きりだ )しのために小屋をかけたる者ありしが、夕方になると人夫の者いずれへか迷い行き、帰りてのち 茫然 ( ぼうぜん )としてあることしばしばなり。 かかる人夫四五人もありてその後も絶えず 何方 ( いずかた )へか出でて行くことありき。 この者どもが後に言うを聞けば、女がきて 何処 ( どこ )へか連れだすなり。 帰りてのちは二日も三日も物を覚えずといえり。 長者屋敷は昔時長者の住みたりし 址 ( あと )なりとて、そのあたりにも 糠森 ( ぬかもり )という山あり。 長者の家の糠を捨てたるがなれるなりという。 この山中には 五 ( いつ )つ 葉 ( ば )のうつ 木 ( ぎ )ありて、その下に黄金を埋めてありとて、今もそのうつぎの 有処 ( ありか )を求めあるく者 稀々 ( まれまれ )にあり。 この長者は昔の金山師なりしならんか、このあたりには鉄を吹きたる 滓 ( かす )あり。 恩徳 ( おんどく )の 金山 ( きんざん )もこれより山続きにて遠からず。 また黄金埋蔵の伝説も諸国に限りなく多くあり。 山口の 田尻 ( たじり )長三郎というは土淵村一番の 物持 ( ものもち )なり。 当主なる老人の話に、この人四十あまりのころ、おひで老人の 息子 ( むすこ ) 亡 ( な )くなりて葬式の夜、人々念仏を終りおのおの帰り行きし 跡 ( あと )に、自分のみは 話好 ( はなしず )きなれば少しあとになりて立ち出でしに、軒の 雨落 ( あまお )ちの石を枕にして 仰臥 ( ぎょうが )したる男あり。 よく見れば見も知らぬ人にて死してあるようなり。 月のある夜なればその光にて見るに、 膝 ( ひざ )を立て口を開きてあり。 この人大胆者にて足にて 揺 ( うご )かして見たれど少しも身じろぎせず。 道を 妨 ( さまた )げて 外 ( ほか )にせん 方 ( かた )もなければ、ついにこれを 跨 ( また )ぎて家に帰りたり。 次の朝行きて見ればもちろんその 跡方 ( あとかた )もなく、また誰も 外 ( ほか )にこれを見たりという人はなかりしかど、その枕にしてありし石の形と 在 ( あ )りどころとは昨夜の 見覚 ( みおぼ )えの通りなり。 この人の曰く、手をかけて見たらばよかりしに、 半 ( なか )ば恐ろしければただ足にて 触 ( ふ )れたるのみなりし故、さらに何もののわざとも思いつかずと。 同じ人の話に、家に奉公せし山口の長蔵なる者、今も七十余の老翁にて生存す。 かつて夜遊びに出でて遅くかえり来たりしに、主人の家の門は 大槌 ( おおづち )往還に向いて立てるが、この門の前にて浜の方よりくる人に逢えり。 雪合羽 ( ゆきがっぱ )を着たり。 近づきて立ちとまる故、長蔵も怪しみてこれを見たるに、往還を隔てて向側なる畠地の方へすっと 反 ( そ )れて行きたり。 かしこには 垣根 ( かきね )ありしはずなるにと思いて、よく見れば垣根は 正 ( まさ )しくあり。 急に怖ろしくなりて家の内に飛び込み、主人にこの事を語りしが、のちになりて聞けば、これと同じ時刻に 新張村 ( にいばりむら )の何某という者、浜よりの帰り 途 ( みち )に馬より落ちて死したりとのことなり。 この長蔵の父をもまた長蔵という。 代々田尻家の奉公人にて、その妻とともに仕えてありき。 若きころ夜遊びに出で、まだ 宵 ( よい )のうちに帰り来たり、 門 ( かど )の 口 ( くち )より入りしに、 洞前 ( ほらまえ )に立てる人影あり。 懐手 ( ふところで )をして 筒袖 ( つつそで )の袖口を垂れ、顔は 茫 ( ぼう )としてよく見えず。 妻は名をおつねといえり。 おつねのところへ来たるヨバヒトではないかと思い、つかつかと近よりしに、奥の方へは 遁 ( に )げずして、かえって右手の玄関の方へ寄る故、人を馬鹿にするなと腹立たしくなりて、なお進みたるに、懐手のまま 後 ( あと )ずさりして玄関の戸の三寸ばかり明きたるところより、すっと内に 入 ( はい )りたり。 されど長蔵はなお不思議とも思わず、その戸の 隙 ( すき )に手を差し入れて中を探らんとせしに、中の 障子 ( しょうじ )は 正 ( まさ )しく 閉 ( とざ )してあり。 ここに始めて恐ろしくなり、少し引き下らんとして上を見れば、今の男玄関の 雲壁 ( くもかべ )にひたとつきて我を見下すごとく、その首は低く 垂 ( た )れてわが頭に触るるばかりにて、その眼の球は尺余も、抜け出でてあるように思われたりという。 この時はただ恐ろしかりしのみにて何事の前兆にてもあらざりき。 この家などそのよき例なり。 栃内の字 野崎 ( のざき )に前川万吉という人あり。 二三年前に三十余にて亡くなりたり。 この人も死ぬる二三年前に夜遊びに出でて帰りしに、 門 ( かど )の 口 ( くち )より 廻 ( まわ )り 縁 ( えん )に沿いてその 角 ( かど )まで来たるとき、六月の月夜のことなり、 何心 ( なにごころ )なく 雲壁 ( くもかべ )を見れば、ひたとこれにつきて寝たる男あり。 色の 蒼 ( あお )ざめたる顔なりき。 大いに驚きて病みたりしがこれも何の前兆にてもあらざりき。 田尻氏の息子丸吉この人と懇親にてこれを聞きたり。 これは田尻丸吉という人が自ら 遭 ( あ )いたることなり。 少年の頃ある夜 常居 ( じょうい )より立ちて便所に行かんとして茶の間に入りしに、 座敷 ( ざしき )との境に人立てり。 幽 ( かす )かに茫としてはあれど、衣類の 縞 ( しま )も眼鼻もよく見え、髪をば 垂 ( た )れたり。 恐ろしけれどそこへ手を延ばして探りしに、板戸にがたと突き当り、戸のさんにも 触 ( さわ )りたり。 されどわが手は見えずして、その上に影のように 重 ( かさ )なりて人の形あり。 その顔のところへ手を 遣 ( や )ればまた手の上に顔見ゆ。 常居 ( じょうい )に帰りて人々に話し、 行灯 ( あんどん )を持ち行きて見たれば、すでに何ものもあらざりき。 この人は近代的の人にて 怜悧 ( れいり )なる人なり。 また虚言をなす人にもあらず。 山口の大同、 大洞万之丞 ( おおほらまんのじょう )の家の建てざまは少しく 外 ( ほか )の家とはかわれり。 その図次のページに出す。 玄関は 巽 ( たつみ )の方に向かえり。 きわめて古き家なり。 この家には出して見れば 祟 ( たたり )ありとて開かざる古文書の 葛籠 ( つづら )一つあり。 佐々木氏の祖父は七十ばかりにて三四年前に亡くなりし人なり。 この人の青年のころといえば、 嘉永 ( かえい )の頃なるべきか。 海岸の地には西洋人あまた来住してありき。 釜石 ( かまいし )にも山田にも西洋館あり。 船越 ( ふなこし )の半島の突端にも西洋人の住みしことあり。 耶蘇 ( ヤソ )教は密々に行われ、遠野郷にてもこれを奉じて 磔 ( はりつけ )になりたる者あり。 浜に行きたる人の話に、異人はよく抱き合いては 嘗 ( な )め合う者なりなどいうことを、今でも話にする老人あり。 海岸地方には 合 ( あい )の 子 ( こ )なかなか多かりしということなり。 土淵村の 柏崎 ( かしわざき )にては両親とも 正 ( まさ )しく日本人にして 白子 ( しらこ )二人ある家あり。 髪も肌も眼も西洋人の通りなり。 今は二十六七ぐらいなるべし。 家にて農業を 営 ( いとな )む。 語音も土地の人とは同じからず、声細くして 鋭 ( するど )し。 土淵村の中央にて役場小学校などのあるところを字 本宿 ( もとじゅく )という。 此所に 豆腐屋 ( とうふや )を業とする政という者、今三十六七なるべし。 この人の父大病にて死なんとするころ、この村と 小烏瀬 ( こがらせ )川を隔てたる字 下栃内 ( しもとちない )に 普請 ( ふしん )ありて、地固めの 堂突 ( どうづき )をなすところへ、夕方に政の父ひとり来たりて人々に 挨拶 ( あいさつ )し、おれも堂突をなすべしとて暫時仲間に入りて仕事をなし、やや暗くなりて皆とともに帰りたり。 あとにて人々あの人は大病のはずなるにと少し不思議に思いしが、後に聞けばその日亡くなりたりとのことなり。 人々悔みに行き今日のことを語りしが、その時刻はあたかも病人が息を引き取らんとするころなりき。 人の名は忘れたれど、遠野の町の豪家にて、主人 大煩 ( おおわずら )いして命の境に臨みしころ、ある日ふと 菩提寺 ( ぼだいじ )に訪い来たれり。 和尚 ( おしょう ) 鄭重 ( ていちょう )にあしらい茶などすすめたり。 世間話 ( せけんばなし )をしてやがて帰らんとする様子に少々不審あれば、跡より小僧を見せに 遣 ( や )りしに、門を出でて家の方に向い、町の 角 ( かど )を廻りて見えずなれり。 その道にてこの人に逢いたる人まだほかにもあり。 誰にもよく挨拶して 常 ( つね )の 体 ( てい )なりしが、この晩に死去してもちろんその時は外出などすべき 様態 ( ようだい )にてはあらざりしなり。 後に寺にては茶は飲みたりや否やと茶椀を置きしところを改めしに、 畳 ( たたみ )の 敷合 ( しきあ )わせへ皆こぼしてありたり。 これも似たる話なり。 土淵村大字土淵の 常堅寺 ( じょうけんじ )は 曹洞宗 ( そうとうしゅう )にて、遠野郷十二ヶ寺の 触頭 ( ふれがしら )なり。 或る日の夕方に村人何某という者、 本宿 ( もとじゅく )より来る路にて何某という老人にあえり。 この老人はかねて大病をして居る者なれば、いつのまによくなりしやと問うに、二三日気分も 宜 ( よろ )しければ、今日は寺へ話を聞きに行くなりとて、寺の門前にてまた言葉を掛け合いて別れたり。 常堅寺にても和尚はこの老人が訪ね来たりし 故 ( ゆえ )出迎え、茶を進めしばらく話をして帰る。 これも小僧に見させたるに門の 外 ( そと )にて見えずなりしかば、驚きて和尚に語り、よく見ればまた茶は畳の間にこぼしてあり、老人はその日 失 ( う )せたり。 山口より柏崎へ行くには 愛宕山 ( あたごやま )の 裾 ( すそ )を 廻 ( まわ )るなり。 田圃 ( たんぼ )に続ける松林にて、柏崎の人家見ゆる辺より 雑木 ( ぞうき )の林となる。 愛宕山の 頂 ( いただき )には小さき 祠 ( ほこら )ありて、 参詣 ( さんけい )の路は林の中にあり。 登口 ( のぼりくち )に 鳥居 ( とりい )立ち、二三十本の杉の古木あり。 その 旁 ( かたわら )にはまた一つのがらんとしたる堂あり。 堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。 昔より山の神出づと言い伝うるところなり。 和野 ( わの )の何某という若者、柏崎に用事ありて夕方堂のあたりを通りしに、愛宕山の上より 降 ( くだ )り来る 丈 ( たけ )高き人あり。 誰ならんと思い林の樹木越しにその人の顔のところを目がけて歩み寄りしに、道の 角 ( かど )にてはたと行き逢いぬ。 先方は思い掛けざりしにや大いに驚きて此方を見たる顔は非常に赤く、眼は 耀 ( かがや )きてかついかにも驚きたる顔なり。 山の神なりと知りて 後 ( あと )をも見ずに柏崎の村に走りつきたり。 松崎村に 天狗森 ( てんぐもり )という山あり。 その麓なる 桑畠 ( くわばたけ )にて村の若者何某という者、働きていたりしに、 頻 ( しきり )に 睡 ( ねむ )くなりたれば、しばらく畠の 畔 ( くろ )に腰掛けて 居眠 ( いねむ )りせんとせしに、きわめて大なる男の顔は 真赤 ( まっか )なるが出で来たれり。 若者は気軽にて 平生 ( へいぜ ) 相撲 ( すもう )などの好きなる男なれば、この 見馴 ( みな )れぬ大男が立ちはだかりて上より見下すようなるを 面悪 ( つらにく )く思い、思わず立ち上りてお前はどこから来たかと問うに、何の答えもせざれば、一つ突き飛ばしてやらんと思い、 力自慢 ( ちからじまん )のまま飛びかかり手を掛けたりと思うや否や、かえりて自分の方が飛ばされて気を失いたり。 夕方に正気づきてみれば無論その大男はおらず。 家に帰りてのち人にこの事を話したり。 その秋のことなり。 早池峯の腰へ村人大勢とともに馬を 曳 ( ひ )きて 萩 ( はぎ )を苅りに行き、さて帰らんとするころになりてこの男のみ姿見えず。 一同驚きて尋ねたれば、深き谷の奥にて手も足も一つ一つ抜き取られて死していたりという。 今より二三十年前のことにて、この時の事をよく知れる老人今も存在せり。 天狗森には天狗多くいるということは昔より人の知るところなり。 遠野の町に山々の事に明るき人あり。 もとは南部 男爵 ( だんしゃく )家の 鷹匠 ( たかじょう )なり。 町の人 綽名 ( あだな )して 鳥御前 ( とりごぜん )という。 早池峯、六角牛の木や石や、すべてその形状と 在処 ( ありどころ )とを知れり。 年取りてのち 茸採 ( きのこと )りにとて一人の 連 ( つれ )とともに出でたり。 この連の男というは水練の名人にて、 藁 ( わら )と 槌 ( つち )とを持ちて水の中に入り、 草鞋 ( わらじ )を作りて出てくるという評判の人なり。 さて遠野の町と猿ヶ石川を隔つる 向山 ( むけえやま )という山より、 綾織 ( あやおり )村の 続石 ( つづきいし )とて珍しき岩のある所の少し上の山に入り、両人別れ別れになり、鳥御前一人はまた少し山を登りしに、あたかも秋の空の日影、西の山の 端 ( は )より四五 間 ( けん )ばかりなる時刻なり。 ふと大なる岩の 陰 ( かげ )に 赭 ( あか )き顔の男と女とが立ちて何か話をして居るに 出逢 ( であ )いたり。 彼らは鳥御前の近づくを見て、手を 拡 ( ひろ )げて押し戻すようなる手つきをなし制止したれども、それにも 構 ( かま )わず行きたるに女は男の胸に 縋 ( すが )るようにしたり。 事のさまより真の人間にてはあるまじと思いながら、鳥御前はひょうきんな人なれば 戯 ( たわむ )れて 遣 ( や )らんとて腰なる 切刃 ( きりは )を抜き、打ちかかるようにしたれば、その色赭き男は足を 挙 ( あ )げて 蹴 ( け )りたるかと思いしが、たちまちに前後を知らず。 連なる男はこれを 探 ( さが )しまわりて谷底に気絶してあるを見つけ、介抱して家に帰りたれば、鳥御前は今日の一部始終を話し、かかる事は今までに更になきことなり。 おのれはこのために死ぬかも知れず、ほかの者には誰にもいうなと語り、三日ほどの間病みて身まかりたり。 家の者あまりにその死にようの不思議なればとて、 山臥 ( やまぶし )のケンコウ院というに相談せしに、その答えには、山の神たちの遊べるところを邪魔したる故、その 祟 ( たたり )をうけて死したるなりといえり。 この人は伊能先生なども 知合 ( しりあい )なりき。 今より十余年前の事なり。 昨年のことなり。 土淵村の里の子十四五人にて早池峯に遊びに行き、はからず夕方近くなりたれば、急ぎて山を下り 麓 ( ふもと )近くなるころ、 丈 ( たけ )の高き男の下より急ぎ足に昇りくるに逢えり。 色は黒く 眼 ( まなこ )はきらきらとして、肩には麻かと思わるる古き 浅葱色 ( あさぎいろ )の 風呂敷 ( ふろしき )にて小さき包を負いたり。 恐ろしかりしかども子供の中の一人、どこへ行くかと此方より声を掛けたるに、 小国 ( おぐに )さ行くと答う。 この路は小国へ越ゆべき方角にはあらざれば、立ちとまり不審するほどに、行き過ぐると思うまもなく、はや見えずなりたり。 山男よと口々に言いてみなみな遁げ帰りたりといえり。 これは和野の人菊池菊蔵という者、妻は笛吹峠のあなたなる橋野より来たる者なり。 この妻親里へ行きたる間に、糸蔵という五六歳の男の 児 ( こ )病気になりたれば、 昼過 ( ひるす )ぎより笛吹峠を越えて妻を連れに親里へ行きたり。 名に負う六角牛の峯続きなれば山路は樹深く、ことに遠野分より栗橋分へ下らんとするあたりは、路はウドになりて両方は 岨 ( そば )なり。 日影はこの岨に隠れてあたりやや薄暗くなりたるころ、後の方より菊蔵と呼ぶ者あるに振り返りて見れば、 崖 ( がけ )の上より下を 覗 ( のぞ )くものあり。 顔は赭く眼の光りかがやけること前の話のごとし。 お前の子はもう死んで居るぞという。 この言葉を聞きて恐ろしさよりも先にはっと思いたりしが、はやその姿は見えず。 急ぎ夜の中に妻を 伴 ( とも )ないて帰りたれば、果して子は死してありき。 四五年前のことなり。 東海道の諸国にて ウタウ坂・謡坂などいうはすべてかくのごとき小さき切通しのことならん。 この菊蔵、柏崎なる姉の家に用ありて行き、 振舞 ( ふるま )われたる残りの 餅 ( もち )を 懐 ( ふところ )に入れて、愛宕山の 麓 ( ふもと )の林を過ぎしに、 象坪 ( ぞうつぼ )の藤七という 大酒呑 ( おおざけのみ )にて彼と 仲善 ( なかよし )の友に行き逢えり。 そこは林の中なれど少しく 芝原 ( しばはら )あるところなり。 藤七はにこにことしてその芝原を 指 ( ゆびさ )し、ここで 相撲 ( すもう )を取らぬかという。 菊蔵これを諾し、二人草原にてしばらく遊びしが、この藤七いかにも弱く軽く自由に 抱 ( かか )えては投げらるる 故 ( ゆえ )、面白きままに三番まで取りたり。 藤七が曰く、今日はとてもかなわず、さあ行くべしとて別れたり。 四五 間 ( けん )も行きてのち心づきたるにかの餅見えず。 相撲場に戻りて探したれどなし。 始めて狐ならんかと思いたれど、外聞を恥じて人にもいわざりしが、四五日ののち酒屋にて藤七に逢いその話をせしに、おれは相撲など取るものか、その日は浜へ行きてありしものをと言いて、いよいよ狐と相撲を取りしこと露顕したり。 されど菊蔵はなお他の人々には包み隠してありしが、昨年の正月の休みに人々酒を飲み狐の話をせしとき、おれもじつはとこの話を白状し、大いに笑われたり。 象坪という地名のこと『 石神問答 ( いしがみもんどう )』の中にてこれを研究したり。 松崎の菊池某という今年四十三四の男、庭作りの 上手 ( じょうず )にて、山に入り草花を掘りてはわが庭に移し植え、形の面白き岩などは重きを 厭 ( いと )わず家に 担 ( にな )い帰るを常とせり。 或る日少し気分重ければ家を出でて山に遊びしに、今までついに見たることなき美しき大岩を見つけたり。 平生 ( へいぜい )の道楽なればこれを持ち帰らんと思い、持ち上げんとせしが非常に重し。 あたかも人の立ちたる形して 丈 ( たけ )もやがて人ほどあり。 されどほしさのあまりこれを負い、我慢して十間ばかり歩みしが、気の遠くなるくらい重ければ怪しみをなし、 路 ( みち )の 旁 ( かたわら )にこれを立て少しくもたれかかるようにしたるに、そのまま石とともにすっと空中に 昇 ( のぼ )り行く 心地 ( ここち )したり。 雲より上になりたるように思いしがじつに明るく清きところにて、あたりにいろいろの花咲き、しかも 何処 ( いずこ )ともなく大勢の人声聞えたり。 されど石はなおますます 昇 ( のぼ )り行き、ついには昇り切りたるか、何事も覚えぬようになりたり。 その後時過ぎて心づきたる時は、やはり以前のごとく不思議の石にもたれたるままにてありき。 この石を家の内へ持ち込みてはいかなることあらんも 測 ( はか )りがたしと、恐ろしくなりて遁げ帰りぬ。 この石は今も同じところにあり。 おりおりはこれを見て再びほしくなることありといえり。 遠野の町に 芳公馬鹿 ( よしこうばか )とて三十五六なる男、白痴にて一昨年まで生きてありき。 この男の癖は路上にて木の切れ 塵 ( ちり )などを拾い、これを 捻 ( ひね )りてつくづくと見つめまたはこれを 嗅 ( か )ぐことなり。 人の家に行きては柱などをこすりてその手を嗅ぎ、何ものにても眼の先きまで取り上げ、にこにことしておりおりこれを嗅ぐなり。 この男往来をあるきながら急に立ち 留 ( どま )り、石などを拾い上げてこれをあたりの人家に打ちつけ、けたたましく火事だ火事だと叫ぶことあり。 かくすればその晩か次の日か物を投げつけられたる家火を発せざることなし。 同じこと幾度となくあれば、のちにはその家々も注意して予防をなすといえども、ついに火事を 免 ( まぬか )れたる家は一軒もなしといえり。 飯豊 ( いいで )の菊池 松之丞 ( まつのじょう )という人 傷寒 ( しょうかん )を病み、たびたび息を引きつめし時、自分は田圃に出でて 菩提寺 ( ぼだいじ )なるキセイ院へ急ぎ行かんとす。 足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛び上り、およそ人の頭ほどのところを次第に 前下 ( まえさが )りに行き、また少し力を入るれば昇ること始めのごとし。 何とも言われず 快 ( こころよ )し。 寺の門に近づくに人群集せり。 何故 ( なにゆえ )ならんと 訝 ( いぶか )りつつ門を入れば、 紅 ( くれない )の 芥子 ( けし )の花咲き満ち、見渡すかぎりも知らず。 いよいよ心持よし。 この花の間に 亡 ( な )くなりし父立てり。 お前もきたのかという。 これに何か返事をしながらなお行くに、以前失いたる男の子おりて、トッチャお前もきたかという。 お前はここにいたのかと言いつつ近よらんとすれば、今きてはいけないという。 この時門の辺にて騒しくわが名を 喚 ( よ )ぶ者ありて、うるさきこと限りなけれど、よんどころなければ心も重くいやいやながら引き返したりと思えば正気づきたり。 親族の者寄り 集 ( つど )い水など打ちそそぎて 喚 ( よ )び 生 ( い )かしたるなり。 路の傍に山の神、田の神、 塞 ( さえ )の神の名を彫りたる石を立つるは常のことなり。 また早池峯山・六角牛山の名を刻したる石は、遠野郷にもあれど、それよりも浜にことに多し。 土淵村の助役北川清という人の家は字 火石 ( ひいし )にあり。 代々の 山臥 ( やまぶし )にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。 清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ 婿 ( むこ )に行きたるが、先年の 大海嘯 ( おおつなみ )に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに 元 ( もと )の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。 夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も 浪 ( なみ )の打つ 渚 ( なぎさ )なり。 霧の 布 ( し )きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は 正 ( まさ )しく亡くなりしわが妻なり。 思わずその跡をつけて、 遥々 ( はるばる )と 船越 ( ふなこし )村の方へ行く崎の 洞 ( ほこら )あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。 男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。 自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。 今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は 可愛 ( かわい )くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。 死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば 足元 ( あしもと )を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち 退 ( の )きて、 小浦 ( おうら )へ行く道の 山陰 ( やまかげ )を 廻 ( めぐ )り見えずなりたり。 追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで 道中 ( みちなか )に立ちて考え、朝になりて帰りたり。 その後久しく 煩 ( わずら )いたりといえり。 船越の漁夫何某。 ある日仲間の者とともに 吉利吉里 ( きりきり )より帰るとて、夜深く四十八坂のあたりを通りしに、小川のあるところにて一人の女に逢う。 見ればわが妻なり。 されどもかかる夜中にひとりこの辺に 来 ( く )べき道理なければ、 必定 ( ひつじょう ) 化物 ( ばけもの )ならんと思い定め、やにわに 魚切庖丁 ( うおきりぼうちょう )を持ちて後の方より差し通したれば、悲しき声を立てて死したり。 しばらくの間は正体を現わさざれば 流石 ( さすが )に心に懸り、 後 ( あと )の事を 連 ( つれ )の者に頼み、おのれは馳せて家に帰りしに、妻は事もなく家に待ちてあり。 今恐ろしき夢を見たり。 あまり帰りの遅ければ夢に途中まで見に出でたるに、山路にて何とも知れぬ者に 脅 ( おびや )かされて、命を取らるると思いて目覚めたりという。 さてはと 合点 ( がてん )して再び以前の場所へ引き返してみれば、山にて殺したりし女は連の者が見ておる中についに一匹の 狐 ( きつね )となりたりといえり。 夢の野山を行くにこの獣の身を 傭 ( やと )うことありと見ゆ。 旅人 豊間根 ( とよまね )村を過ぎ、夜 更 ( ふ )け疲れたれば、 知音 ( ちいん )の者の家に灯火の見ゆるを 幸 ( さいわい )に、入りて休息せんとせしに、よき時に 来合 ( きあわ )せたり、今夕死人あり、 留守 ( るす )の者なくていかにせんかと思いしところなり、しばらくの間頼むといいて主人は人を 喚 ( よ )びに行きたり。 迷惑千万 ( めいわくせんばん )なる話なれど是非もなく、 囲炉裡 ( いろり )の側にて 煙草 ( タバコ )を吸いてありしに、死人は老女にて奥の方に寝させたるが、ふと見れば 床 ( とこ )の上にむくむくと起き直る。 胆潰 ( きもつぶ )れたれど心を 鎮 ( しず )め静かにあたりを 見廻 ( みまわ )すに、流し 元 ( もと )の水口の穴より狐のごとき物あり、 面 ( つら )をさし入れて 頻 ( しきり )に死人の方を見つめていたり。 さてこそと身を 潜 ( ひそ )め 窃 ( ひそ )かに家の外に出で、 背戸 ( せと )の方に廻りて見れば、正しく狐にて首を流し元の穴に入れ 後足 ( あとあし )を 爪立 ( つまた )てていたり。 有合 ( ありあ )わせたる棒をもてこれを打ち殺したり。 正月十五日の晩を 小正月 ( こしょうがつ )という。 宵 ( よい )のほどは子供ら福の神と称して四五人群を作り、袋を持ちて人の家に行き、 明 ( あけ )の方から福の神が舞い込んだと 唱 ( とな )えて餅を 貰 ( もら )う習慣あり。 宵を過ぐればこの晩に限り人々決して戸の外に出づることなし。 小正月の夜半過ぎは山の神出でて遊ぶと 言 ( い )い伝えてあればなり。 山口の字 丸古立 ( まるこだち )におまさという今三十五六の女、まだ十二三の年のことなり。 いかなるわけにてか唯一人にて福の神に出で、ところどころをあるきて遅くなり、 淋 ( さび )しき路を帰りしに、向うの方より 丈 ( たけ )の高き男来てすれちがいたり。 顔はすてきに赤く眼はかがやけり。 袋を捨てて遁げ帰り大いに煩いたりといえり。 小正月の夜、または小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でて遊ぶともいう。 童子をあまた引き連れてくるといえり。 里の子ども冬は近辺の丘に行き、 橇遊 ( そりっこあそ )びをして面白さのあまり夜になることあり。 十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるるは常のことなり。 されど雪女を見たりという者は少なし。 小正月の晩には行事 甚 ( はなは )だ多し。 月見 ( つきみ )というは六つの 胡桃 ( くるみ )の 実 ( み )を十二に割り 一時 ( いっとき )に 炉 ( ろ )の火にくべて一時にこれを引き上げ、一列にして右より正月二月と数うるに、満月の夜晴なるべき月にはいつまでも赤く、曇るべき月には 直 ( すぐ )に黒くなり、風ある月にはフーフーと音をたてて火が 振 ( ふる )うなり。 何遍繰り返しても同じことなり。 村中いずれの家にても同じ結果を得るは妙なり。 翌日はこの事を語り合い、例えば八月の十五夜風とあらば、その 歳 ( とし )の稲の 苅入 ( かりいれ )を急ぐなり。 陰陽道 ( おんようどう )に出でしものならん。 また 世中見 ( よなかみ )というは、同じく小正月の晩に、いろいろの米にて餅をこしらえて鏡となし、同種の米を 膳 ( ぜん )の上に 平 ( たい )らに敷き、 鏡餅 ( かがみもち )をその上に伏せ、 鍋 ( なべ )を 被 ( かぶ )せ置きて翌朝これを見るなり。 餅につきたる 米粒 ( こめつぶ )の多きものその年は豊作なりとして、早中晩の種類を択び定むるなり。 海岸の山田にては 蜃気楼 ( しんきろう )年々見ゆ。 常に外国の景色なりという。 見馴 ( みな )れぬ都のさまにして、路上の車馬しげく人の往来眼ざましきばかりなり。 年ごとに家の形などいささかも違うことなしといえり。 上郷村に河ぷちのうちという家あり。 早瀬川の岸にあり。 この家の若き娘、ある日河原に出でて石を拾いてありしに、見馴れぬ男来たり、木の葉とか何とかを娘にくれたり。 丈 ( たけ )高く面 朱 ( しゅ )のようなる人なり。 娘はこの日より 占 ( うらない )の術を得たり。 異人は山の神にて、山の神の子になりたるなりといえり。 山の神の乗り移りたりとて占をなす人は所々にあり。 附馬牛 ( つくもうし )村にもあり。 本業は 木挽 ( こびき )なり。 柏崎の孫太郎もこれなり。 以前は発狂して喪心したりしに、ある日山に入りて山の神よりその術を得たりしのちは、不思議に人の心中を読むこと驚くばかりなり。 その占いの法は世間の者とは全く異なり。 何の書物をも見ず、頼みにきたる人と世間話をなし、その中にふと立ちて 常居 ( じょうい )の 中 ( なか )をあちこちとあるき出すと思うほどに、その人の顔は少しも見ずして心に浮びたることをいうなり。 当らずということなし。 例えばお前のウチの 板敷 ( いたじき )を取り離し、土を掘りて見よ。 古き鏡または刀の折れあるべし。 それを取り出さねば近き中に死人ありとか家が焼くるとかいうなり。 帰りて掘りて見るに必ずあり。 かかる例は指を屈するに 勝 ( た )えず。 盆のころには雨風祭とて 藁 ( わら )にて人よりも大なる 人形 ( にんぎょう )を作り、道の 岐 ( ちまた )に送り行きて立つ。 紙にて顔を 描 ( えが )き 瓜 ( うり )にて陰陽の形を作り添えなどす。 虫祭の藁人形にはかかることはなくその形も小さし。 雨風祭の折は一部落の中にて 頭屋 ( とうや )を 択 ( えら )び定め、 里人 ( さとびと )集まりて酒を飲みてのち、一同 笛太鼓 ( ふえたいこ )にてこれを道の辻まで送り行くなり。 笛の中には 桐 ( きり )の木にて作りたるホラなどあり。 これを高く吹く。 さてその折の歌は「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」という。 ともに玄武神の信仰より来たれるなるべし。 ゴンゲサマというは、 神楽舞 ( かぐらまい )の組ごとに一つずつ備われる 木彫 ( きぼり )の像にして、 獅子頭 ( ししがしら )とよく似て少しく 異 ( こと )なれり。 甚だ 御利生 ( ごりしょう )のあるものなり。 新張 ( にいばり )の八幡社の神楽組のゴンゲサマと、土淵村字 五日市 ( いつかいち )の神楽組のゴンゲサマと、かつて途中にて争いをなせしことあり。 新張のゴンゲサマ負けて 片耳 ( かたみみ )を失いたりとて今もなし。 毎年村々を舞いてあるく故、これを見知らぬ者なし。 ゴンゲサマの 霊験 ( れいげん )はことに 火伏 ( ひぶせ )にあり。 右の八幡の神楽組かつて附馬牛村に行きて 日暮 ( ひぐ )れ宿を取り兼ねしに、ある貧しき者の家にて 快 ( こころよ )くこれを 泊 ( と )めて、五升 桝 ( ます )を伏せてその上にゴンゲサマを 座 ( す )え置き、人々は 臥 ( ふ )したりしに、夜中にがつがつと物を 噛 ( か )む音のするに驚きて起きてみれば、 軒端 ( のきばた )に火の燃えつきてありしを、桝の上なるゴンゲサマ飛び上り飛び上りして火を 喰 ( く )い消してありしなりと。 子どもの頭を病む者など、よくゴンゲサマを頼み、その病を噛みてもらうことあり。 山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および 火渡 ( ひわたり )、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。 その近傍にこれと相対して必ず 蓮台野 ( れんだいの )という地あり。 昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの 習 ( ならい )ありき。 老人はいたずらに死んで 了 ( しま )うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を 糊 ( ぬら )したり。 そのために今も山口土淵辺にては 朝 ( あした )に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり。 すなわち丘の上にて塚を築きたる場所ならん。 境の神を祭るための塚なりと信ず。 蓮台野もこの類なるべきこと『石神問答』中にいえり。 ダンノハナは昔 館 ( たて )のありし時代に囚人を 斬 ( き )りし場所なるべしという。 地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり。 仙台にもこの地名あり。 山口のダンノハナは 大洞 ( おおほら )へ越ゆる丘の上にて 館址 ( たてあと )よりの続きなり。 蓮台野はこれと山口の民居を隔てて相対す。 蓮台野の四方はすべて沢なり。 東はすなわちダンノハナとの間の低地、南の方を星谷という。 此所には 蝦夷屋敷 ( えぞやしき )という四角に 凹 ( へこ )みたるところ多くあり。 その 跡 ( あと )きわめて明白なり。 あまた石器を出す。 石器土器の出るところ山口に二ヶ所あり。 他の一は 小字 ( こあざ )をホウリョウという。 ここの土器と蓮台野の土器とは様式全然 殊 ( こと )なり。 後者のは技巧いささかもなく、ホウリョウのは 模様 ( もよう )なども 巧 ( たくみ )なり。 埴輪 ( はにわ )もここより出づ。 また石斧石刀の類も出づ。 蓮台野には 蝦夷銭 ( えぞせん )とて土にて銭の形をしたる径二寸ほどの物多く出づ。 これには単純なる 渦紋 ( うずもん )などの模様あり。 字ホウリョウには丸玉・ 管玉 ( くだたま )も出づ。 ここの石器は精巧にて石の質も一致したるに、蓮台野のは原料いろいろなり。 ホウリョウの方は何の跡ということもなく、狭き 一町歩 ( いっちょうぶ )ほどの場所なり。 星谷は底の 方 ( かた )今は田となれり。 蝦夷屋敷はこの両側に連なりてありしなりという。 このあたりに掘れば 祟 ( たたり )ありという場所二ヶ所ほどあり。 これも境の神を祀りしところにて地獄の ショウツカの 奪衣婆 ( だつえば )の話などと関係あること『石神問答』に 詳 ( つまびらか )にせり。 また象坪などの象頭神とも関係あれば象の伝説は 由 ( よし )なきにあらず、塚を森ということも東国の風なり。 山口のダンノハナは今は共同墓地なり。 岡の頂上にうつ木を 栽 ( う )えめぐらしその口は東方に向かいて 門口 ( もんぐち )めきたるところあり。 その中ほどに大なる青石あり。 かつて一たびその下を掘りたる者ありしが、何ものをも発見せず。 のち再びこれを試みし者は大なる 瓶 ( かめ )あるを見たり。 村の老人たち大いに 叱 ( しか )りければ、またもとのままになし置きたり。 館 ( たて )の主の墓なるべしという。 此所に近き館の名はボンシャサの館という。 いくつかの山を掘り割りて水を引き、三重四重に堀を取り 廻 ( めぐ )らせり。 寺屋敷・ 砥石森 ( といしもり )などいう地名あり。 井の跡とて 石垣 ( いしがき )残れり。 山口孫左衛門の祖先ここに住めりという。 『 遠野古事記 ( とおのこじき )』に 詳 ( つまびら )かなり。 御伽話 ( おとぎばなし )のことを 昔々 ( むかしむかし )という。 ヤマハハの話最も多くあり。 ヤマハハは 山姥 ( やまうば )のことなるべし。 その一つ二つを次に記すべし。 昔々あるところにトトとガガとあり。 娘を一人持てり。 娘を置きて町へ行くとて、誰がきても戸を明けるなと戒しめ、 鍵 ( かぎ )を掛けて出でたり。 娘は恐ろしければ一人炉にあたりすくみていたりしに、 真昼間 ( まひるま )に戸を叩きてここを開けと呼ぶ者あり。 開かずば 蹴破 ( けやぶ )るぞと 嚇 ( おど )す 故 ( ゆえ )に、是非なく戸を明けたれば入りきたるはヤマハハなり。 炉の 横座 ( よこざ )に 蹈 ( ふ )みはたかりて火にあたり、飯をたきて食わせよという。 その言葉に従い 膳 ( ぜん )を支度してヤマハハに食わせ、その間に家を遁げ出したるに、ヤマハハは飯を食い終りて娘を追い来たり、おいおいにその 間 ( あいだ )近く今にも 背 ( せな )に手の 触 ( ふ )るるばかりになりし時、山の 蔭 ( かげ )にて 柴 ( しば )を苅る翁に逢う。 おれはヤマハハにぼっかけられてあるなり、 隠 ( かく )してくれよと頼み、苅り置きたる柴の中に隠れたり。 ヤマハハ尋ね来たりて、どこに隠れたかと柴の 束 ( たば )をのけんとして柴を 抱 ( かか )えたるまま山より 滑 ( すべ )り落ちたり。 その 隙 ( ひま )にここを 遁 ( のが )れてまた 萱 ( かや )を苅る翁に逢う。 おれはヤマハハにぼっかけられてあるなり、隠してくれよと頼み、苅り置きたる萱の中に隠れたり。 ヤマハハはまた尋ね来たりて、どこに隠れたかと萱の束をのけんとして、萱を抱えたるまま山より滑り落ちたり。 その隙にまたここを遁れ出でて大きなる沼の岸に出でたり。 これよりは行くべき 方 ( かた )もなければ、沼の岸の大木の梢に 昇 ( のぼ )りいたり。 ヤマハハはどけえ行ったとて 遁 ( の )がすものかとて、沼の水に娘の影の 映 ( うつ )れるを見てすぐに沼の中に飛び入りたり。 この間に再び此所を走り出で、一つの 笹小屋 ( ささごや )のあるを見つけ、中に入りて見れば若き女いたり。 此にも同じことを告げて石の 唐櫃 ( からうど )のありし中へ隠してもらいたるところへ、ヤマハハまた飛び来たり娘のありかを問えども隠して知らずと答えたれば、いんね来ぬはずはない、人くさい香がするものという。 それは今 雀 ( すずめ )を 炙 ( あぶ )って食った 故 ( ゆえ )なるべしと言えば、ヤマハハも 納得 ( なっとく )してそんなら少し 寝 ( ね )ん、石のからうどの中にしようか、木のからうどの中がよいか、石はつめたし木のからうどの中にと言いて、木の唐櫃の中に入りて寝たり。 家の女はこれに 鍵 ( かぎ )を 下 ( おろ )し、娘を石のからうどより連れ出し、おれもヤマハハに連れて来られたる者なればともどもにこれを殺して里へ帰らんとて、 錐 ( きり )を 紅 ( あか )く焼きて木の唐櫃の中に差し通したるに、ヤマハハはかくとも知らず、ただ 二十日鼠 ( はつかねずみ )がきたと言えり。 それより湯を 煮立 ( にた )てて 焼錐 ( やききり )の穴より 注 ( そそ )ぎ込みて、ついにそのヤマハハを殺し二人ともに親々の家に帰りたり。 昔々の話の終りはいずれもコレデドンドハレという語をもって結ぶなり。 昔々これもあるところにトトとガガと、娘の嫁に行く支度を買いに町へ出で行くとて戸を 鎖 ( とざ )し、誰がきても明けるなよ、はアと答えたれば出でたり。 昼のころヤマハハ来たりて娘を取りて食い、娘の皮を 被 ( かぶ )り娘になりておる。 夕方二人の親帰りて、おりこひめこ居たかと門の口より呼べば、あ、いたます、早かったなしと答え、 二親 ( ふたおや )は買い来たりしいろいろの支度の物を見せて娘の 悦 ( よろこ )ぶ顔を見たり。 次の日 夜 ( よ )の明けたる時、家の鶏 羽 ( は )ばたきして、 糠屋 ( ぬかや )の 隅 ( すみ )ッ 子 ( こ )見ろじゃ、けけろと 啼 ( な )く。 はて 常 ( つね )に変りたる鶏の啼きようかなと 二親 ( ふたおや )は思いたり。 それより花嫁を送り出すとてヤマハハのおりこひめこを馬に載せ、今や引き出さんとするときまた鶏啼く。 その声は、おりこひめこを載せなえでヤマハハのせた、けけろと 聞 ( きこ )ゆ。 これを繰り返して歌いしかば、二親も始めて心づき、ヤマハハを馬より引き 下 ( おろ )して殺したり。 それより糠屋の隅を見に行きしに娘の骨あまた 有 ( あ )りたり。

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RL/RDB:環境省

ハ っ シャクサマ ほん 怖

「 銀 ギン 齢 レイ」は 著者 チョシャの 造語 ゾウゴで、 本 ホン 作品 サクヒン17ページの 江田 エダ 島 ジマ 松次郎 マツジロウのセリフにあるように 白髪 シラガ( 銀髪 ギンパツ)を 山頂 サンチョウに 戴 イタダいた 冠 カンムリ 雪 ユキに 例 タトえて、そういう 年齢 ネンレイであることを 指 サす 良識 リョウシキ 「 良識 リョウシキ」のナンセンスさ、あやふやさ、 非情 ヒジョウさ、 怖 コワさ、残酷さを 余 アマすところなく 書 カき 切 キっている。 「『良識』ちゅうもんは、ほんまにええことですやろか」ということで、 我々 ワレワレツツイストとしては 「 狂気 キョウキの 沙汰 サタも 金次第 カネシダイ」のテーマであった「 善 ゼンと 悪 アクの 確 タシからしさ」をについて 起 オ 想 オモせねばならない。 著者 チョシャは 多 オオくの 作品 サクヒンの 中 ナカで、「善と悪( 良識 リョウシキと 非 ヒ 良識 リョウシキ)」は 我々 ワレワレが 思 オモっているほど足場のしっかりした ものではなく、 容易 ヨウイに 立場 タチバが 逆転 ギャクテンしうるものであるということを 問 トい 続 ツヅける。 その 本質 ホンシツであるところの、 無責任 ムセキニンさ、 非常 ヒジョウさ、 愚 オロかさ、 怖 コワさ、 野次馬 ヤジウマ 根性 コンジョウを 余 アマすところなく 書 カき 切 キっている 武器 ブキ ワルサー、ライフル、コルト、 出刃 デバ 包丁 ボウチョウ、ハンマー、カッターナイフ、 刺身 サシミ 包丁 ボウチョウ、 登山 トザンナイフ、機関 銃 ジュウ 自動 ジドウ 小銃 ショウジュウ、 手榴弾 シュリュウダン、 毒薬 ドクヤク、ロープ、 鎌 カマ、 猟銃 リョウジュウ、 紐 ヒモ、シャベル、 短刀 タントウ、 足 アシ( 靴 クツ)、 素手 スデ、 猪 イノシシ 用 ヨウ 自動 ジドウ 銃 ジュウ 象 ゾウ、 肉体 ニクタイ( 投身 トウシン 自殺 ジサツ)、 金槌 カナヅチ、 金属 キンゾクバット、 水中 スイチュウ 銃 ジュウ、 松明 タイマツ( 放火 ホウカ)、 刀 カタナ、 空気銃 クウキジュウ、 薙刀 ナギナタ、 小太刀 コダチ 鎖鎌 クサリガマ、 槍 ヤリ、 錫 シャク 杖 ツエ、 柳葉 ヤナギバ 包丁 ボウチョウ、 捕鯨 ホゲイ 砲 ホウ 2 宮脇町 ミヤワキチョウ 五丁目 5チョウメ 地区 チク この 作品 サクヒンの主な舞台で、 今回 コンカイのシルバー・バトルに 指定 シテイされた 地区 チク 3 蔦 ツタ 屋 ヤ 宇谷 ウタニ 九一郎 クイチロウの 自宅 ジタク。 老舗 シニセの 和菓子 ワガシ 司 ツカサ 三代目 サンダイメ ざる 蕎麦 ソバ この作品の 冒頭 ボウトウに 出 デてくる 宇谷 ウタニ 九一郎 クイチロウの 昼食 チュウショク。 著者 チョシャは 大 ダイの 蕎麦 ソバ 好 ズき 5 ワルサー 宇谷 ウタニ 九一郎 クイチロウの 所持 ショジする 武器 ブキ。 ワルサーはカール・ワルサー社( 独 ドク) 製 セイの 拳銃 ケンジュウの 総称 ソウショウで、日本ではワルサーといえば ほとんどの場合P38を 指 サす 6 缶入 カンイりピース 宇谷 ウタニ 九一郎 クイチロウが 最初 サイショに 殺 コロした 正宗 マサムネ 忠蔵 チュウゾウが 吸 スっていた 煙草 タバコ。 俗 ゾクに「 缶 カンピー」と 呼 ヨばれ、その 馥郁 フクイクたる 甘 アマい 香 カオりで 根強 ネヅヨい 人気 ニンキを 誇 ホコる 煙草 タバコ。 1949年 昭和 ショウワ24 年 ネン 7月1日 発売 ハツバイ。 タール28mg ニコチン2. 3mg 50本 入 イり750円 7 シルバー・バトル この作品 内 ナイで 繰 クり 広 ヒロげられる 老人 ロウジン相互処刑制度の俗称。 この 制度 セイドは 厚生 コウセイ 労働省 ロウドウショウに属するCJCK 主催 シュサイであり、 国策 コクサクである。 主人公の住む「宮脇町5丁目地区」は4月4日からの開始となった。 一ヶ月 間 アイダ 地区 チク 単位 タンイで 行 オコナわれ、 最後 サイゴの 一人 ヒトリとして 生 イき 残 ノコることを 目指 メザす。 一ヶ月 イッカゲツたって 複数 フクスウ 名 メイ 生 イき 残 ノコった 場合 バアイは 全員 ゼンイン 処刑 ショケイされる。 その 他 ホカ 細々 コマゴマとしたルールは 別紙 ベッシ 参照 サンショウのこと 8 鉄 テツ 敷 シ 町 チョウのご 隠居 インキョ 宇谷 ウタニ 九一郎 クイチロウの 後輩 コウハイである 猿谷 サルタニ 甚一 ジンイチのこと。 すでに 行 オコナわれたシルバー・バトルの 生 イき 残 ノコり 9 CJCK 中央 チュウオウ 人口 ジンコウ 調節 チョウセツ 機構 キコウのこと。 厚生 コウセイ 労働省 ロウドウショウ 直属 チョクゾクの 組織 ソシキでシルバー・バトルの 主催 シュサイ 者 シャ 12 魚屋 サカナヤ 宮脇町 ミヤワキチョウ 商店街 ショウテンガイ 中 ナカほどにある コルト 津 ツ 幡 ハタ 共 トモ 仁 ジンの 所持 ショジする 武器 ブキ。 コルト特許火器 社 シャ 製 セイの 拳銃 ケンジュウの 総称 ソウショウ 13 ミニエストレージャー 乾 イヌイ 志摩 シマ 夫 オの 過去 カコの 職業 ショクギョウ。 111 頁 ページに 書 カかれてあるとおり、 過去 カコには 日本 ニホンでも 大 オオきな 人気 ニンキを 誇 ホコった 時期 ジキがあったが 差別 サベツ 問題 モンダイなどから 現在 ゲンザイ興行はほとんどない。 職 ショクを 失 ウシナった 小人 コビトレスラーたちは、 一部 イチブは 映画 エイガや 舞台 ブタイで 小人 コビト 役 ヤクとして 出演 シュツエンしたりもしているがマスコミの 表舞台 オモテブタイで 脚光 キャッコウを 浴 アびることはない 白木 シラキみのる 1934年5月6日 島根県 シマネケン 生 ウまれの 俳優 ハイユウ。 身長 シンチョウ150cm( 公称 コウショウ) 14 昭和 ショウワ 荘 ソウ 越谷 コシタニ 婦 フ 美 ミ 子 コや 志 ココロザ 多 オオ 梅子 ウメコら7人の 独居 ドッキョ 老人 ロウジンが 住 スむアパート 15 バトル・ロイヤル 老人相互処刑制度、 俗称 ゾクショウシルバー・バトルの 基本的 キホンテキルール。 プロレスまたはサバイバルゲーム 用語 ヨウゴ。 三 ミッつ 以上 イジョウの個人またはチームが同時に戦い、自分または自チーム以外はすべて敵という 状況の中で,最後まで生き残ったものを勝者と認めるというもの。 バトル・ロワイヤルとも 称 ショウするが、これはフランス 語 ゴ 読 ヨみしたもの(Wikipediaより) 16 富島松五郎 江田島松次郎のことを猿谷甚一がこう評した。 通称、無法松。 岩下俊作の 作品 サクヒン『富島松五郎伝』の主人公。 『無法松の一生』のタイトルで4度映画化され、それぞれ阪東妻三郎、三船敏郎、三国連太郎 (三國連太郎)、勝新太郎が無法松を演じた 法 ホウ 水 スイ サンセット 大通 オオドオりのエリッヒ・フォン・ シュトロハイム 江田島松次郎のことを猿谷甚一がこう評した。 映画 エイガ「サンセット 大通 オオドオり」は1950 年 ネン 公開 コウカイ。 パラマウント 製 セイで 監督 カントクはビリー・ワイルダー。 過去の栄光にすがって生きているかつての大女優をグロリア・スワンソン、その忠実な執事の役を エリッヒ・フォン・シュトロハイムが 演 エンじた。 エリッヒ・フォン・シュトロハイムは1885年9月22日オーストリア生まれで1957年5月12日没。 映画監督、脚本家、俳優。 「メリー・ゴー・ラウンド」(1923年)や「結婚行進曲」(1928年)、「アンナ・カレニナ」(1935年) 「サンセット大通り」(1950年)など多くの作品で監督・脚本・出演 法 ホウ 水 スイ 17 白銀 ハクギンは 招 マネくよ 元 モト 女優 ジョユウの 黒崎 クロサキしのぶが 歌 ウタった 歌 ウタ。 1959 年 ネン 公開 コウカイのドイツ 映画 エイガの 主題歌 シュダイカ。 作曲 サッキョクはフランツ・グローテ。 歌 ウタったのはこの 映画 エイガの 主演 シュエンでもあるトニー・ザイラー。 日本語 ニホンゴカバー 曲 キョクはダーク・ダックスが 歌 ウタっている 銀嶺 ギンレイセレナーデ 1941 年 ネン 公開 コウカイのアメリカのミュージカル 映画 エイガだが、 歌 ウタについては 不明 フメイ 喜久雄 キクオ 黒崎 クロサキしのぶの 亡夫 ボウフ 夕焼 ユウヤけこやけの 赤 アカとんぼ 黒崎しのぶが歌った歌。 作詞は三木露風、作曲は山田耕筰の 童謡 ドウヨウ 18 わたしはかもめ 黒崎 クロサキしのぶの 言葉 コトバ。 チェーホフの 戯曲 ギキョク「かもめ」の 中 ナカの 科白 セリフ。 この 後 アト「いいえそうじゃないわ。 私 ワタシは 女優 ジョユウ」と 続 ツヅく 紫綬 シジュ 褒章 ホウショウ 著者 チョシャは2002 年 ネンに 授章 ジュショウしている 20 軍事 グンジ 探偵 タンテイ 不明 フメイ 忘 ワスれられない、あの 面影 オモカゲよ 黒崎 クロサキしのぶが 歌 ウタった 歌 ウタ。 「 何日 ナンニチ 君 キミ 再来 サイライ」の 日本語 ニホンゴ 歌詞 カシ 灯 トモし 火 ヒ 揺 ユれるこの 霧 キリの 中 ナカ 同上 ドウジョウ 何日君再来 渡辺はま子が 昭和 ショウワ14年に「いつの日君来るや」という 邦題 ホウダイを 付 ツけて 歌 ウタい また、 昭和 ショウワ15 年 ネン李香蘭も「いつの日君また帰る 」で歌っている。 昭和55 年 ネンにはテレサ・テンが中国語で「何日君再来」を 歌 ウタい日本でヒットした。 俺 オレたちに 明日 アスはない 1967 年 ネンアメリカ 映画 エイガ。 主演 シュエンはウォーレン・ベイテイとフェイ・ダナウェイ。 男女の2人組みギャング、ボニーとクライドの 物語 モノガタリ ベルテ 若葉台 ワカバダイ 宮脇町五丁目地区と同じく、 今回 コンカイのシルバー・バトル 指定 シテイ 地区 チク 34 被 コウム 投 ナ 自分が選んだり、造ったりしたわけでもない世界に否応なく投げ込まれてしまっていること。 被 ヒ 投 ナ 性 セイ(ハイデガー) 39 寿司 スシ シルバー・バトルの 開催 カイサイによってによって 外食 ガイショクは 危険 キケンとなり、また 食材 ショクザイを 買 カいに 行 イくことすらも 危険 キケンであるため、 夕食 ユウショクなどを出前で 済 スますことになる。 宅配 タクハイビザなどは 油 アブラが 過 スぎて老人には 食 タべられないので、おのずと 食 タべやすい 寿司 スシが 選択 センタクされる。 ただし出前は、バトルエリア 内 ナイの 寿司 スシ 屋 ヤで、かつバトル 対象者 タイショウシャがいる 鈴屋 スズヤではなく、エリア 外 ガイの 寿司屋 スシヤ(2 丁目 チョウメの 松前 マツマエ 寿司 スシなど)からである 40 広島県 ヒロシマケン 熊谷 クマガヤ 地区 チク 宮脇町五丁目地区と同じく、 今回 コンカイのシルバー・バトル 指定 シテイ 地区 チク 51 ガラスはガラス。 新聞 シンブンは 新聞 シンブン 不明 フメイ 53 宮脇 ミヤワキカソリック 教会 キョウカイ 宮脇町 ミヤワキチョウ 商店街 ショウテンガイの 西 ニシの 端 ハズレにある 教会 キョウカイ 56 歳 トシをとるにつれて輸精管を 通過 ツウカする 精液 セイエキの 速度 ソクドが 弱 ヨワまったためか 小説 ショウセツ 新潮 シンチョウ1 月号 ガツゴウ 対談 タイダンを 参照 サンショウのこと 58 米 ベイ 陸軍省 リクグンショウ 編 ヘンサバイバル 全書 ゼンショ 元 モト 陸上 リクジョウ 自衛隊 ジエイタイ 三佐 ミサの 是 コレ 方 カタ 昭吾 ショウゴがシルバー・バトル 開始 カイシ 直前 チョクゼンに 陸上 リクジョウ 自衛隊 ジエイタイ 本部 ホンブの 図書館 トショカンから 借 カりてきた 本 ホン。 ISBN4-89063-145-3 SASサバイバル・マニュアル 同上 ドウジョウ。 ISBN4-562-02916-1 59 ガトリング 機銃 キジュウ 外部動力によって 多 オオくの砲身を回転させ、連続的に 弾丸 ダンガンを発射できるようにした銃器。 機関銃 キカンジュウよりも 早 ハヤい1862 年 ネンにR. ガトリング 氏 シによって 発明 ハツメイされた( 当時 トウジは 手動 シュドウ)。 日本 ニホンでは 戊辰戦争 ボシンセンソウで 使 ツカわれた 記録 キロクもある 60 らっしゃあももんが 電器屋 デンキヤの 吉田 ヨシダの 悲鳴 ヒメイ 74 津 ツ 保 タモツ 山 ヤマ 広島県 ヒロシマケン 熊谷 クマガヤ 地区 チクにある 山 ヤマの 名前 ナマエ 83 宮脇 ミヤワキゴールデン 横丁 ヨコチョウ 宮脇町 ミヤワキチョウ 五丁目 5チョウメ 内 ナイにある 歓楽街 カンラクガイ 狐 キツネ 狗 イヌ 狸 タヌキ 宮脇ゴールデン横丁 内 ナイにある 居酒屋 イザカヤ モーゼの 前 マエの 紅海 コウカイの 如 ゴトく ユダヤの 民衆 ミンシュウを率いてエジプトを脱出するモーゼが 起 オこした 奇跡 キセキ( 出 シュツエジプト 記 キ)。 居酒屋 イザカヤ「 狐 キツネ 狗 イヌ 狸 タヌキ」の 客 キャクたちが 左右 サユウに 分 ワかれて 逃 ノガれる 様子 ヨウスを 表 アラワしたもの 106 おんあぼきゃ 寿司屋 スシヤの 鈴屋 スズヤの 言 イった光明真言。 素晴 スバらしい 功徳 クドクがあるという 真言 シンゴンだが、 効き目 キキメはなかった。 正確 セイカクには「おん あぼきゃ びろしゃな まかもだら はにはんどま じんばら はらばりたやうん」 私 ワタシが 死 シぬと 同時 ドウジにあの 子 コの 面影 オモカゲも 消 キえる 不明 フメイ。 著者 チョシャの 過去 カコの 作品 サクヒン「 残像 ザンゾウに 口紅 クチベニを」に 元 モトネタがある、との 情報 ジョウホウあり 支那 シナチク 夫 オット かけがえのないこのわたしを 殺 コロさないで 不明 フメイ 107 この 作家 サッカの 過去 カコの 作品 サクヒンでは〜 著者 チョシャ 自身 ジシンの 過去 カコの 作品 サクヒンにおける、ドタバタ 死 シのパターンのひとつ。 また 主人公 シュジンコウが 著者 チョシャの 他 ホカの 作品 サクヒンをよく読んで 知 シっているというメタフィクションにもなっている。 ツツイストであれば、 当然 トウゼンこの 場面 バメンでニヤニヤするはずである ほにゃらいけんか うどん 屋 ヤの 阿波 アワ 徳 トクが 銃 ジュウを 撃 ウったときに 喚 ワメいた 言葉 コトバ 112 メゾン・ロンサール 国道 コクドウに 面 メンしたマンション。 三人 サンニンのシルバー・バトル 対象者 タイショウシャが 住 スんでいる 117 カチコ・トラネ・ドドミ・メケハ 宮脇 ミヤワキゴールデン 横丁 ヨコチョウ 内 ナイにあるバー「 早苗 サナエ」にいるホステスの 名前 ナマエ。 著者の 過去 カコの作品においても、どうでもいいホステスの 名前 ナマエには、この 名前 ナマエが 使 ツカわれている 118 コングさん バー「 早苗 サナエ」のホステス 達 タチによって 付 ツけられた 猿谷 サルタニ 甚一 ジンイチのあだ 名 ナ コンビニ 宮脇町 ミヤワキチョウ 商店街 ショウテンガイ 内 ナイにあるコンビニエンスストア。 元 モト 自衛官 ジエイカンの 是 コレ 方 カタ 昭吾 ショウゴが 立 タて 籠 コもったのは、ここの 二階 2カイの 商品 ショウヒン 倉庫 ソウコである 122 雲雀 ヒバリアパート 三名 サンメイのシルバー・バトル 対象者 タイショウシャが 住 スむアパート 124 スポーツ 扱 アツカい シルバー・バトルに 対 タイするマスコミの 報道 ホウドウを 見 ミて、 猿谷 サルタニ 甚一 ジンイチがこう 評 ヒョウした 136 最大 サイダイ 多数 タスウの 最大 サイダイ 幸福 コウフク イギリスの 哲学者 テツガクシャ・ 法学者 ホウガクシャベンサム(1748〜1832)が 唱 トナえた功利主義哲学の 根幹 コンカンを 成 ナす 言葉 コトバ。 民主 ミンシュ 主義 シュギ 的 テキ 政策 セイサクの 基本的 キホンテキ 概念 ガイネン。 「the greatest happiness of the greatest numbers」 137 マスコミから 干 ホされた 何 ナンとかいう 似非 エセ ヒューマニスト 不明 フメイ 143 どはたま 是 コレ 方 カタ 昭吾 ショウゴの 叫 サケび 声 ゴエ 145 国民 コクミンの 義務 ギムだぜ。 邪魔 ジャマする 者 モノは 処刑 ショケイしても いいことになってるんだ 是 コレ 方 カタ 昭吾 ショウゴがコンビニ 店員 テンインに 言 イった 脅 オドし 文句 モンク。 ソニア・ローザはブラジル 出身 シュッシンのキュートなボサ・ノバ・プレイヤー。 1969 年 ネンごろ 日本 ニホンでデビューしている。 ちなみに、 著者 チョシャの 過去 カコの 作品 サクヒン「超能力・ア・ゴーゴー」には「 弔 トムラいのロック」という 曲 キョクが 登場 トウジョウする 157 かけがえのないわたしの 命 イノチが 死 シぬ 不明 フメイ かんくらいってんいててててててて 神父の牧野伸学が 生殖器 セイショクキを 切断 セツダンされた 際 サイに 発 ハッした 喚 ワメき 声 ゴエ 158 エリ、エリ、レーマ、サバクタニ 牧野伸学の 最後 サイゴの 叫 サケび。 意味 イミは「 神 カミよ 何 ナニゆえに 我 ワレを 見捨 ミスて 給 タマうや」で、キリストが 磔 ハリツケにされた 際 サイに 言 イった 言葉 コトバ。 ちなみに「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」は2005 年 ネン12 月 ガツに 公開 コウカイされた 著者 チョシャ 出演 シュツエンの 映画 エイガの 題名 ダイメイ 160 睡眠薬 スイミンヤク この 作品中 サクヒンチュウ、 常盤 トキワ 安 ヤス 菜 ナの 夫 オットである 東平 トウヘイが 二 ニ 度 ド 眠 ネムらされている 173 松前 マツマエ 屋 ヤ 創業 ソウギョウ80 年 ネンの 昆布 コンブの 老舗 シニセ。 がちがちがちがちがちがち 昆布 コンブ 屋 ヤの三矢掃部の 義歯 ギシの 鳴 ナる 音 オト 188 どーれーい 江田 エダ 島 ジマ 松次郎 マツジロウが 機関銃 キカンジュウを 抱 カカえあげるときに 発 ハッした 声 コエ ばりべりぼ 本来 ホンライなら「ばりべりぼりばり」となるのだが、 途中 トチュウで 機関銃 キカンジュウの 弾 タマが 切 キれたためこうなった 190 あちちちちちちちちち 火 ヒがついた 屋敷 ヤシキでの 江田 エダ 島 シマ 松次郎 マツジロウの 言葉 コトバ 193 あちちちちちちち 手に飛んだ志多梅子の鮮血の熱さに驚いて、 津 ツ 幡 ハタ 共 トモ 仁 ジンが 発 ハッした 言葉 コトバ 194 ほんぎゃらあんさん。 ふんだあらんか 龍崎 タツザキ 家 ケの 老婆 ロウバが 死 シぬ 直前 チョクゼンに 叫 サケんだ 言葉 コトバ 196 あちちちちちちちち 顔に浴びた布施花子の鮮血の熱さに驚いて、 風間 カザマ 実 ミノルが 発 ハッした 言葉 コトバ 198 ぶるぶるぶるぶる 座間 ザマ 芳太郎 ヨシタロウが 寒 サムいといって 震 フルえる 声 コエ 199 命 イノチ 短 ミジカし、 恋 コイせよ 乙女 オトメ バー「 早苗 サナエ」のホステス、ドドミが 座間 ザマ 芳太郎 ヨシタロウに 歌 ウタった 歌 ウタ。 大正 タイショウ4 年 ネン、 芸術座 ゲイジュツザの 舞台 ブタイ「その 前夜 ゼンヤ」で松井須磨子が 歌 ウタった。 題名 ダイメイは「ゴンドラの 唄 ウタ」。 作曲 サッキョクは中山晋平、 作詞 サクシは吉井勇。 黒澤 クロサワ 明 アキラ 監督 カントクの「 生 イきる」の 主題歌 シュダイカとして 有名 ユウメイ おらは 死 シんじまっただあ バー「 早苗 サナエ」のホステス、メケハが 座間 ザマ 芳太郎 ヨシタロウに 歌 ウタった 歌 ウタ。 ザ・フォーククルセダーズが 歌 ウタった 大 ダイヒット 曲 キョク。 作曲 サッキョクは加藤和彦、 作詞 サクシはザ・フォーク・パロディ・ギャング げ、ふぬ。 がほごほげほ 座間 ザマ 芳太郎 ヨシタロウが 飲 ノんでいたブランデーに 噎 ムせる 声 コエ 200 座間 ザマ 見 ミろ 風間 カザマ 実 ミノルが 座間 ザマ 芳太郎 ヨシタロウに 言 イった 言葉 コトバ。 「ざま( 様 サマ)みろ」と「 座間 ザマ」という 名前 ナマエとを 掛 カけている 202 喫茶店 キッサテン「ルーラ」 宮脇町 ミヤワキチョウ 商店街 ショウテンガイ 内 ナイにある 喫茶店 キッサテン 208 あああちちちちちち 顔に浴びた渡部捨三の鮮血の熱さに驚いて、 篠原 シノハラセツ 子 コが 発 ハッした 言葉 コトバ 209 血 チみどろ 砂 スナ 絵 エ 都筑 ツヅキ 道夫 ミチオが 書 カいた「なめくじ 長屋 ナガヤ 捕物 トリモノさわぎ」シリーズの1。 絶 ゼツ 版 バン どぎゃあまあまあまあまあまあ 篠原 シノハラセツ 子 コに 襲 オソいかかられた 大月 オオツキ 艶 ツヤの 叫 サケび 214 うどんの 阿波 アワ 徳 トク 宮脇町 ミヤワキチョウ 商店街 ショウテンガイ 内 ナイにあるうどん 屋 ヤ 219 スラップスティックとあらば ツツイストが 当然 トウゼン 予想 ヨソウするであろう 二人 フタリの 会話 カイワと 情景 ジョウケイ 描写 ビョウシャを 省 ハブくことにより、スピード 感 カンを 保 タモった まま 読者 ドクシャ 自身 ジシンにそれらを 鮮明 センメイに 想像 ソウゾウさせる 手法 シュホウ タオル 工場 コウジョウ 魚屋 サカナヤの 裏手 ウラテにある。 蓼 タデ 夫妻 フサイが 捕鯨 ホゲイ 砲 ホウごと 飛 トび 込 コみ、ボイラーが 爆発 バクハツした 223 ぷあお 象 ゾウの 団 ダン 五郎 ゴロウの 咆哮 ホウコウ 237 ほいだらうけたか CJCKに 突入 トツニュウする 猿谷 サルタニ 甚一 ジンイチの 叫 サケび 239 また、 死 シに 損 ソコなっちまったよう CJCK 襲撃 シュウゲキ 直前 チョクゼンで 家 イエに 引 ヒき 返 カエした 宇谷 ウタニ 九一郎 クイチロウの 言葉 コトバ.

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ハ っ シャクサマ ほん 怖

クルマを駐めて、ふと見ると先日まで無かった「月極浜安ガレージ」の看板が。 店舗移転を間近に控え、いよいよ目に見える形で変化が現れてきた。 近日中に、ラーメンモリンが「県庁前」のラーメンモリンでなくなってしまうと思うと、ついこういう構図の画像を撮ってしまう。 それにしても、先週の土曜日には開店時刻前にすでに20名強の行列客がいたのだが、この日はワタシを含めてたった2名からのスタートとなった。 とはいっても、開店後10分もしないうちに店内ほぼ満席にはなったが。 この日の券売機。 この券売機、移転先にそのまま持っていくのだろうか?この日の限定POP。 先週に引き続き、モリン本人が書いたものではなく、やはり若い女子力を感じさせる。 今後の、移転後の限定POPはこういうデザインで定着していくのなぁ???限定5食の「メガ豚骨」ってもの気にはなったが、モリンに聞けばいわゆる二郎インスな感じのやつだと云うので、今回は普通バージョンを選択することにした。 ちなみに後からやって来てワタシの隣りに座った惑星な方が、このメガ豚骨を注文していた。 そして、この日の限定「のうこうとんこつラーメン」がコレ。 今回は完全タレヌキバージョンで出してくれるのをうっかり忘れてしまったということで... 別の器に、タレに合わせる前の純粋豚骨出汁だけを入れて出してくれた。 これを味わってみると、いつぞやの豚骨の時に感じたアーモンド臭のような風味はあまり感じられず、濃厚な中に豚骨出汁ならではの旨味をしっかりと確かめることが出来た。 この手の濃厚出汁って「いつでも同じ味を保つ」というのは、やはり簡単なことではないんだろうなぁ、という思いもまた新たにしたところだ。 さて、ラーメンの方に差し掛かってみると、醤油ダレが(今回は)きっちりと加えられたスープで、太麺との相性が上々。 具材の構成は「いつものモリン」だったわけだが、このスープにこの麺なら、ほうれん草と海苔で飾って「イエ系」風に遊んでみるってのもアリだったかも?と食べてみて思った次第。 ともあれ、ほぼ欠かさずに用意してくれる土曜日限定で、毎回楽しませてくれることには感謝したい。 近ごろ、複数のTV番組で紹介されたことで、店舗移転を近日に控えながらも、賑やかさが増した感のモリンとこ。 そんなだから、どーせ混むだろと開店数十分前に現地入り。 ポール奪取はならずも、開店一巡目カウンター席的順番(なんじゃそりゃ)は確保。 で、開店時刻には20名強の行列となっていた。 やはり、テレビ効果だろう。 本日の限定は、「にぼっ!」。 店主モリンが描くいつものPOPに比べ、どこかしら若い女子力を感じさせるデザイン。 ラーメンモリンの歴代限定告知POPとしては異例(笑。 そんなPOPをシゲシゲ眺め、ルンルンと押したゲソテイボタソ。 同行者も同じく限定Bを求めた。 あ、ついでに書いておくと、この日はラーメンモリンの名物毎月29日限定肉メシ「県庁前ロック」の前倒し販売日であり、コレを求めてやってくるお客もまた多かったようだ。 (私の胃には、あの県庁前ロックをラーメンとともに食べ切るだけの容量が無いのですわ。 その県庁前ロック、店舗移転後はどういう名になるのか、いろんな説が囁かれているところだが、さてどうなることやら???過日の令和改元直前みたく、商品名当てましょうキャンペーンでもやって、正解者には装い新たな大津駅前梅林モリンで「〇〇ロック1年無料」みたいなファンサービスも、面白いんじゃなかろか?(って、やってくれって言ってるワケじゃないですよ)で、これが本日の限定「にぼっ!」。 このメニュー自体はさる6月にも、また昨年9月にも味わったことがあるので、どういうものを出してくるのかについては、概ね想像通り。 粘度を伴うほどにまで煮詰めていないとはいえ、我が煮干しに一片の悔い無し的な強烈な煮干し感は、ダメな人にはダメで、好きな人にはたまらない魅力となる個性。 ザックリと大粒に刻んだ生タマネギのシャクシャク感が啜り込んだ口の中でいい感じに煮干し風味と組み合わさる。 近所の洛東フーズ製中細麺、この日はこころなしかしゃきっとパッツリとした啜り込み感。 さらに、和え玉を現金200円で追加。 これは、このまま和え麺的に食べてもイケるということだが、 結局、残ったスープにドボンしてまた啜ることにした。 少し煮干し感がブーストしたところに麺をまるごとオカワリした感じ。 もうオナカイッパイ。 やっぱり、県庁前ロックには辿り着けそうにありませんわアハハ。 ところで、もと「ラーメンひばり」跡の大津市梅林にあるテナントに移転を控えるラーメンモリン。 当ブログにおける、コレまでの滋賀県庁前での記録は、コチラから。 すでに、内々には聞いていたところであったが、この10月にラーメンモリンは移転することを公式に発表するようになった。 その移転先はかつて「ラーメンひばり」のあったあのテナントなので、移転後もコレまでと変わらず食べに行けることとは思う。 移転にはそれなりの理由があるが、以前にも書いたが、2007年の加藤屋大津創業から12年の間に、この県庁前店舗で繰り広げられてきたあんなことやこんなことや、が、いよいよ過去のものになってしまうとなると、やはり一抹の寂しさを感じるところである。 が、現に休日の県庁前は、ホント人通りが少なく、このことが飲食店としての収益性に影響を与えていることは否めないのかもしれない。 カウンター席前の厨房にしてもそうだ。 作り手たるモリンにしてみればひたすら暑い仕事場だろうけど、カウンターから眺めるこの風景も、やがて見られなくなると、やっぱり、だって、涙が出ちゃう。 男の子だもん(違今回の三連休最終日限定は、近くにある「らーめんみふく」との共同限定「トリトン」。 同日の昼営業に、らーめんみふくでも同名の限定メニューを提供するそうだ。 なのに「らーめんみふく」を選ばず、モリンとこを選んでしまうのは「無料で車が置ける専用の駐車場がある」という単純な理由と、移転を目前に控えている今、やはり今のお店の姿を少しでも目に焼き付けておきたいというノスタルジィからだ。 ところで、モリンとこのトリトンと云えば、かつては夜営業時ののみのレギュラーメニューだった。 が、仕込みの作業が腱鞘炎の引き金になってしまうことから、メニュー落ちして久しい。 そんなことから、ラーメンモリンには月イチ以上のペースで訪れていながらも、食べてみたことのないメニューである。 今回も、ラーメンが出来上がってくる前に、醤油ダレだけを入れた小鉢が置かれた。 そして、この日のトリトン完全タレヌキ蒟蒻仕様が出来上がってきた。 さっそく、スープを味わってみる、てろんとした粘度感のある豚骨出汁に後から鶏の風味が追いかけてくる感じ。 濃厚スープながら、アブラ分のネガを感じさせず、動物系の旨味を煮詰め込んだ感がギュッと。 麺は、レギュラー仕様のラーメンの麺をそのまま使った感じ。 (え?もしかして、違うって???)過不足なく、これで十分でしょう。 移転の話題のほかにも、近頃はテレビ出演のハナシも複数出てきたモリンとこ。 9月24日18:15〜19:00の間に読売テレビ夕方の情報番組tenでオンエア予定だとか。 ところで、先日8月28日関西テレビ「よーいドン」で放映されたときには、「こってり醤油」850円が、ラーメンモリンの「醤油ラーメン」として紹介されてしまったらしい。 ということで、券売機には補足説明的ステッカーを貼ることになったようだ。 公共の電波では正確な報道を心がけていただきたいところだな。 だが、期待していた「冷やしぶっかけ」ではない???まあ、とにかく、現金1000円でコレを注文。 先に同行者から提供される。 スープの色はかなり醤油黒く、新福菜館的色彩。 ところが、私に出してくれたのは、ブラックとは打って変わって「ホワイト」なスープ。 土曜限定で、濃厚系のこってり出汁を仕込んだ際には完全タレヌキ蒟蒻仕様で出してくれるが、今回は透明な清湯スープにもかかわらず完全タレヌキで喰ってみ、ということらしい。 醤油ダレを全く入れない状態で味わってみる。 今回、近所の「らーめんみふく」から提供を受けた焼アゴをアホほど(通常の「らーめんみふく」で用いるよりも4倍程度の量を一気に)ブチ込んで作ったらしい。 それは、先日の大津インターチェンジで味わった残念感を取り返してなお余りある、まさに猪木超えのアゴ感。 醤油ダレを加えなくても、そのままスルッと平らげてしまいそうになるほど。 だが、せっかく別皿に醤油ダレを用意してくれているので、コレを加え持っていただく。 すると、今回は、少しづつ加えると却って味わいが中途半端になってしまう感があって、たまり醤油のタレはいっそ、ある程度量を思い切って加えたほうがバシッと味が決まることをよく感じた。 今回、結果的に期待していた冷やしぶっかけではなかったが、そのことを越して余りあるほどのアゴ出汁効きまくり醤油ラーメンだった。 あいかわらず、ぶっ飛ばすラーメンモリン。 この後日にはテレビ取材&オンエアもあり、さらに近日、2002年の頃に幻の中華そば加藤屋創業からなんだかんだのストーリーを経て。 およそ17年続いたこの店舗から離れて移転するとの情報もある。 個人的にこの場所を去るというのは寂しい話だが、お店の収益性等、経営を考えるとよりベターな判断がソコにはあるようだ。 今後を見守りたい。 毎度お楽しみなラーメンモリンの土曜限定。 今回は事前告知の様子がなにやらいつもと違っていた。 ときによっては告知すらせず、土曜の昼にお店まで行って、そこで初めて土曜限定の内容を知るということもままあるのだが、まあ、食べに行く方としては、おおよそどんなものを用意しているのか事前にわかっている方がありがたい。 で、7月18日時点でのツイートがコレ。 豚骨を炊いているという。 で、仕上がり予想は六択、正解者はTwitter画面呈示で唐揚げ小プレゼント...。 7月19日、今度はナゼか、レモンをスライスしては種を抜いて具材として使えるように仕込んでいる。 なんじゃそりゃ???そういう謎な伏線を仕掛けて来た今回のモリン土曜限定。 週末に積み残してきた仕事を午前に終え、少し遅い時間にお店に向かうと、今回の限定メニューは扉の後ろに貼ってあった。 ココ最近の券売機上部メニュー告知スペースには、翌日に開催するスマイルクリップで貯めたお金で子どもたちにラーメンを振る舞う取り組みが紹介されていた。 こういうことを、コツコツと積み上げて実現するモリンをワタシはリスペクトする。 で、ためらわず押した限定Bボタン。 今回はラーメンが出来上がってくる前に、モリンは醤油ダレの入った茶碗をワタシの前に置いた。 「タレ抜きで喰ってみ」という、彼の意思表示だ。 ありがたや。 受けて立とう。 そして、出来上がってきた今回の土曜限定。 ちょっと手が滑ってしまってポテっと落ちてしまいました... なんて言い訳をするのがアホらしくなるほどに確信的にやらかしている盛り付け。 その意図とは... ?つい先日、滋賀県庁の東側に「麺匠眞」というラーメン店がオープンした。 詳しくは省略するが、「麺匠眞」にはレモンラーメンというメニューがあるらしく、そのことがキッカケで、大津の中心市街地では、とあるお店からの情報発信を機に、ちょっとしたレモンラーメン戦争が勃発したそうな。 なんじゃソリャ!?なハナシだが、友人周辺から伝わってくるSNS情報では、どうやらそういうことらしい。 そこに、元祖県庁前たるモリンが参戦???いやいやまあ、事の真相をココに書こうとは思わないが、とにかくこのレモントッピングに腹を抱えて椅子から転げ落ちそうになりながら大笑いしたのは紛れもないこと。 モリンも、よーやるわ、ホンマwww。 実際にレモントッピングを味わってみると、決して異物混入レベルではなく、鶏ガラ背脂醤油ラーメンに味変アイテムとして途中から酢を加えてさっぱりさせて楽しむ京都ラーメン文化のように、レモンの酸味によるさっぱり効果は、案外、あるように思えた。 そして今回の太麺、森次朗の麺とはまた違うタピオカ粉でも混ぜたかのようなツルツルもちもち感。 楽しく味わいましたがな。 ところで、「麺匠眞」にも、近々いってみないと、ねぇ。 この日、午前中、職場で業務。 どうもこの時期、休日勤務が重なる。 まあ、仕方がない。 で、仕事をハネて午後ちょっと遅い時間に向かったモリンとこ。 駐車場、空いてました。 ラッキ〜。 この日、「なにかしら限定」をやるという事前告知ツイートがあったから、いったい何をやってるのかという興味で行ってみた。 すると、この日は「にぼっ!!」だった。 で、とりあえず限定ボタンを押して、さらに和え玉追加の旨を伝え、150円を現金で渡す。 して、本日のレンゲ、滋賀拉麺維新会ロゴ入りのやつ。 (湖国ブラックの提案があった頃は勢いあったよなぁ... 維新会... それはそうと、この日の「にぼっ!!」、先日の福知山ソミーズのインパクトや、前回、の「にぼ!!」... 昨年9月某日の土曜限定の記憶に比べると、いい意味で洗練されつつもニボ感はしっかり伝えている出来に仕上げてる感。 パット見にセメント色に迫るほどの迫力がありつつも、味わってみると出過ぎたドギツさは感じさせず、それでいてキチンとニボシの旨味は伝えてくるスープ。 気のせいかなんなのか、いつもよりもパツンとしていてシコシコとしていて、キチンと主張のある食感満点のストレート細麺。 スープの中で、フレッシュなタマネギのシャクシャク感が、またいい仕事をしている。 こんな味わいを仕事帰りの脚に、気軽に楽しませてくれることのありがたさ。 「和え玉」を追加し、結局二杯分の麺量を平らげた。 この和え玉におけるニボ感はいまひとつブーストして感じられなかったかな?いや、先日のソミーズが凄すぎた???ともあれ、いつも楽しませてくれて、ありがとう。 まだ見ぬ味を求めて遠出もしたいところだけれど、午前中に買い物やらなにやら&午後から京都市内で業務。 となれば、やっぱりありがたいモリンとこの土曜日限定。 前日に鶏白湯やる告知があったからなおさら気になっていた。 そんなわけで、この日の券売機。 スマイルクリップの子ども食堂への寄付システムは、導入後順調に機能しているのかな?自分はメンマも味玉も好きで食べたいので、せいぜいカラーゲ頼んだときのキャベツ抜きぐらいしかコレ発動しないけど...。 スタンダードとスペシャルバージョンの価格差は300円。 きっと充実のナカミだろうと信じてスペシャルバージョンで注文。 すると最初に出されてきたのは、塩ダレ。 完全タレ抜きで味わわせてくれるという、暗黙の意思伝達。 アリガタヤ。 スペシャルバージョンとは、つまり別皿の具材。 鶏チャーシュー3枚、炙って焼き目をつけた白ネギ&青ネギ、海苔にのっけた削り節。 スタンダードな完全タレ抜き鶏白湯からとりかかる。 楽しみなのは、何よりも鶏白湯出汁の出来加減。 おー、テロリンちょな高粘度感は正に好みのド直球!鶏モミジ(脚の部分のガラ)を多用すればこのテロリンちょ加減を演出することが出来るものだが、モリンの解説に拠れば、今回はいわゆるウイングチップ(手羽ガラ)を多用して煮出したとのこと。 ふむ、こういう手もあるのか...。 いつか自作を復活する日のために覚えておこう(いつ復活?)完全タレ抜きから、別皿の塩ダレを少しずつ足しもって楽しみ、スペシャル具材を堪能し、削り節を加えて味変させてさらに味わう。 スペシャルバージョン付属のゴハンは青ネギに煮干し粉プラス。 残ったスープにドボンして平らげる。 一つの注文で、何度も味わいが変化し、楽しいこと請け合いの今回土曜日限定。 また、いつか、ぜひやってほしいものだ。 さあ、改元に伴う大型連休の始まり。 といっても、合間合間にちょこっと仕事はあるけれど、とにかく休日気分が続くことにはなりそう。 そんな休みは遠出をせずに過ごすことにして、土曜限定を期待しモリンとこへ。 先日4/20の限定ラーメンも、麺に特徴をもたせたものだったが、今回もレギュラーの麺を平打ちにして手もみ(=縮れを加える)の一工夫をプラスしたそうな。 そんなわけで、煮干しゴハンも足してみたくて押した限定Cボタン。 厨房前カウンター席に座ると厨房の様子がよく分かる。 豚の背ガラをどっさり突っ込み煮出しているのはレギュラーメニュー用のスープかしらん。 さてさて出来上がってきた、この日の「豚と煮干しのWスープ醤油ラーメン」。 具材の配置はいつものモリンだが、ざっくり刻んだタマネギが今回のポイント。 ををを〜。 煮干しの利いたところにタマネギの甘みがよく馴染む。 レギュラーの麺帯を平打ちに切り出した麺を手で揉んだという麺は、結果的に縮れた感じはあんまり感じなかったが、大変特徴的な食感であることに間違いはない。 麺を平らげたあたりを見からって、出してくれた煮干しゴハン。 なんてことはなくゴハンに煮干し粉とネギを散らせただけで、冷蔵庫に材料あえあれば家でも簡単に作れるものだが、コレと、今回の豚と煮干しのダブルスープを加えることに意義がある。 で、やってみる。 ラーメン単体で食べている時の煮干し感もたいがいだったが、そこにさらに輪をかけて煮干し風味が増幅。 一つの注文で二度三度味わいが変わる、モリンの真骨頂。 ゴチソウサマ。 土曜限定予告ツイート確認後、開店前にシャッターするも先客1名、ポールは獲れず。 この日、特注の麺を使うとの事で、さぁ、どんな麺なのかが期待どころ。 モリンとこの「豚骨魚介ラーメン」といえば、このブログを遡れば、今年の1月26日に販売された「限定ハンター&限定無くて帰る人は注文してはいけない豚骨魚介ラーメン」を私は食べているようだが、果たして今回はどんな感じで出してくれるか?また、つい先日、4月6日の「煮干し豚骨」と、どのように違うのかについても興味深いところだった。 チャーシュー増し、海苔、ご飯オススメとのことだが、今回、麺量もちょっと多めみたいな感じだし、追加トッピは何もせず「普通の限定」(そんな言葉があるのか?)で注文。 で、出来上がってきた完成作がコレ。 ほっほ〜!麺が見えないほどに具だくさん!チャーシューはバラ肉ブロックとロールチャーシューの二種。 メンマはチャーシューに隠れてしまっているが、ちゃんとある。 コレに加えて、半熟煮玉子に青梗菜の葉をまるごと一本、海苔の上から魚粉を載せて。 そして今回も、モリンが濃厚な動物出汁をとったときにはヲココロヅカイでやってくれる「タレは別皿」蒟蒻仕様。 出汁だけの味わいから楽しめるのでコレ個人的に非常にありがたい。 今回の特注太麺、森次朗などに使われている太麺のわっしりした食感と比べると、よりしっとりもっちりとした感じ。 別皿のタレを少しづつ足しもって味わう濃淳な豚骨魚介のスープとも、いつもとは違う感じで楽しめた。 いつもよりちょっと多めな麺量170gは、結局スルッと平らげてしまい後からご飯追加すりゃよかったかな?とか、思ったりして。 先週は無かった土曜限定、この日はあった。 事前告知アリで。 ふむふむ煮干し豚骨ね。 今回、いつもとちょっと違う趣向は「和え玉」。 替え玉じゃなくて、和え玉。 1/2玉でいっとくことにした。 で、限定Bチケット購入&100円玉用意。 ところで、レギュラーメニューの方は、先月から告知があったとおり、価格改定が行われた。 で、コチラ。 タレ標準量の今回の限定。 同行者に提供されたもの。 そして、完全タレヌキ(タレ別皿)蒟蒻仕様。 モリンが限定ラーメンで濃厚系スープを作ったときはこうして出してくれることが多い。 毎回書くことだが、この完全タレヌキ仕様、文字通りタレの成分は入っていないので煮干し由来の塩気はわずかに感じるとはいえ、醤油っ気は皆無。 よって、一般的に出されるラーメンの味とは全く違う。 ある意味、「味がしない」中に豚骨出汁と煮干しダシの液体パーツ単体の濃醇加減を味わう。 そこに別皿の醤油タレをチビチビと足しもっては麺を啜り込む。 麺と平らげたあと... おっと、和え玉2/1を注文してたんだった。 そしてコレがこの日の和え玉。 ゴハン茶碗サイズに入った煮干しダシに浸った麺と、チャーシュー・ネギヲヲメ。 コレで100円はサービス価格かと。 ラーメン鉢の方にゴハン茶碗の麺をドボンするか、ゴハン茶碗のほうにラーメン鉢のスープを注ぎ入れるか迷うところ、後者を選択。 最初の完全タレヌキ状態から少しづつタレを足して味わい、さらに和え玉の煮干しブースト状態で〆る。 実に楽しめる土曜限定だった。 このあと、某道の駅でこんなモノを発見し購入。 その味は... 土曜日だから、なにかおもしろい限定やってるかな?と、自分としてはちょっと久しぶりに行ってみる。 と、ゲゲッ!!引っ越しのトラック来てるYO!!が、コレには事情があった(現地に行けばわかります)。 限定メニューは先日のテルくん卒業のときに渾身の作を出したこともあってか、この日はなかった。 (アレ、行きたかったんだけど、ここのところ個人的に土曜日に大津に居られないことが続いていたもんで) それならそれで、同行者とともにレギュラーメニューを注文。 レギュラーあっての限定メニューですからねぇ。 「加藤屋もり〜んの章」からラーメンモリンにリボーンしたときに、スープの作りをガラッと変えた醤油ラーメン。 加藤屋が大津に開業した頃からのファンとしては、ロバート直伝のノスタルジイが私には強くあるが、モリンとしてはリボーンを機に自身の独創性を出したかったのだろう。 豚出汁背脂の醤油ラーメンとしては、ラーメン藤の系統、またアキラティックな味わいとは一線を画すモリンならではの味わい。 コレはコレでレギュラーとして、藤やアキラのパロディというかインスパイアは、やろうと思えばいつでも出来るというのも作り手としての彼のスゴイところだ。 そして、煮干しの塩。 ラーメンモリンのラーメンとしては最も廉価。 だが、個人的に一番好きなのはコレ。 香りまくり&効きまくりの煮干し、かつラーメンとしてはあっさりとしすぎと感じさせない程々の油感、何より、思い出したらまた食べたくなる飽きの来ない感。 ところで、4月からは価格改定を行うそうだ。 まあコレも、致し方なしだろうなぁ。 この週、このところのモリンにしては珍しく事前告知ツイートがあった。 モツ入りのカレーつけ麺... 昨年7月にも食べたなぁ... あの美味いヤツを、またやるというのであれば、コレは行かねばなるまいて。 と、午前の買い物を済ませた後にクルマで向かう。 たまたま専用駐車場が空いててラッキー。 けどお店の前には外待ちの行列が。 けれど、30分も待たないうちに店内へ。 券売機に掲示されていたPOPでは、価格1200円のボタンはないので、現金払い。 同行者らは、それぞれレギュラーメニューを選択。 待っている間に、この日現在のメニュー表を撮っておく。 「夜のトリトン」、メニュー落ち。 脂そば系、若干の価格改定。 また、メニューとは別に、新たに「モリンからのお願い」が掲出されていた。 そういえば外待ちの玄関扉のところにも新たな掲示物があった。 余程キッツイ香水をつけてお店にやってきた客がいたんだろうか?確かにキッツイ香水とラーメンスープの香りは、ごちゃまぜになると居ても立っても居られないようなニオイになるだろうことは想像がつくなぁ。 して、同行者注文の品が先に出来上がってやってくる。 コレは「こってり醤油」。 この日、味見はさせてもらわなかったが以前に食べた記録をココにリンクしておこうかな。 そして「煮干しの塩」。 やはり、過去に食べた記録をココにリンクしておこう。 同行者はさらに唐揚げセットも注文。 セットのごはんの一部は、カレーつけ麺用〆ゴハンに流用の計画。 そしていよいよ、本日のモツ入りカレーつけ麺が出来上がってきた。 麺の器。 豚バラチャーシューに低温調理の鶏チャーシュー、グリーンアスパラにメンマ、そして黄身が艶かしくしたたる半熟煮卵。 つけ汁の器には「増し」にせずとも、モーコレで十分なくらいに国産モツモツモツ。 加えてニラの醤油漬けをアクセント的に載っけて。 これにモッチリとしつつ、しっとりしなやか目の麺を啜り込んで、ああシアワセ。 まあ、しかしナンですわ。 カレーの風味って、わかりやすく美味い。 が、この「わかりやすく美味い」は、十分な豚骨出汁とカレーのバランス取りの妙でもあろう。 今回、カレー的な辛さはハウスバーモントカレーの甘口以上に控えめで、ちょっとカスタマイズしてみたくなる感じ。 この辺りも、意図して作ったものなのかどうなのか。 そんなわけで途中からテーブルにある粗挽き一味唐辛子を加えてみる。 (それでも、まだ辛さ控えめに感じた。 ) 「カレーには、ジャガイモ。 」これもモリンの哲学か。 すっかり麺を平らげた後、唐揚げセットのゴハンで〆カレーライスにしてかっさらう。 ああ、満足満足。 市場の朝市で買い物を済ませ、さてどこ食べに行こうか?と思案しつつ、ラーメンモリンに探りを入れると今日は土曜限定が「ある」とのことなので行ってみた。 モリンに依れば、今日の限定告知POPは、何やらケンカを売っているみたいなやつだとか云っていてたけど、え?ソレ、どういうこと???ともあれ久しぶりに雪の降る中、お店に到着。 ってことで、本日の土曜限定は「限定ハンター&限定無くて帰る人は注文してはいけない豚骨魚介ラーメン」だそうです。 自分自身、このお店ではかなりの限定ハンターかもだけど、限定がないときはレギュラーを注文することも(かろうじて)あるので... 迷わず押した限定Bボタン。 というか、モリンがこのPOPを書いているタイミングで私が確認の電話連絡を寄こしたようだった。 なんか、そんな予感がしてたのさフフフ。 で、コレが本日の限定豚骨魚介ラーメン、同行者注文のもの。 豚骨魚介出汁と醤油ダレが分量通りに作られた標準タイプ。 続いてコレが完全タレヌキ(タレ別皿)蒟蒻仕様。 いつもヲココロヅカイをありがとう。 食べ始めには豚骨と煮干しと鯖節でとったというダシだけ状態をレンゲで掬っては味わい、麺を啜っては味わう。 しばらくして、海苔の上にあるカツオを魚粉も混ぜ込んでさらに味わう。.... タレのない状態でのダシの重なり方を、心ゆくまで味わう。 その後に少しずつタレを足して、デフォルトの完成系より幾分タレ少なめのところの自分の好みの状態にスープを調整しもって楽しむ。 本日の麺は、レギュラーメニューのものでも森次朗の太麺流用でもなく、この日の限定メニュー用に別に納入した平打ち麺だった。 おそらくは、昨年12月8日のときの2周年記念限定「鴨」の時に出した、小麦の配合等はレギュラーメニューの麺と全く同じで太さと厚みを変えたやつだと思われるが、この麺、鴨の時もそうだったが今日の豚骨魚介でも実にいい食感を主張してくる。 この、太さと厚みを変えただけ仕様を洛東フーズが作ってくれるというのであれば、今後もまたお目にかかれる場面があれば嬉しいところだ。 オペレーション的なこととか、コスト的な課題とか、そういうところでのハードルが高くないのであれば、今後も是非味わいたい麺だった。 昨日もモリンとこのお正月限定だったが、この日、他県から友人が食べに来るというので迎撃することにして、またモリンとこ。 昨日は「限定B」だったから、今日は「限定C」。 それはすなわち、「モチ次朗」。 ラーメンモリンには「森次朗」なるレギュラーメニューがある。 いまとなっては「加藤屋にぼ次朗」のメニューとしてご存知の向きの方が多いかもしれない。 が、森次朗の起源は、モリンである。 そして、モチ次朗は、よーするに森次朗にモチをのっけてみた(だけ)ってこと。 まあね。 おしょーがつだし。 さて、このモチに、いつ取り掛かるかについて思案しながらいただいてみた。 前半にちょっとモチをかじり、中盤にまたちょっと、食べ終わりにはモチ全て平らげて... いわゆる「二郎」の系列は、自分にはヘヴィに過ぎて積極的に食べにはいかないが「次朗」の方はたまーに食べてみたくなる。 ところでコレ、モチの食感でコレだったら「二郎」よろしくスライスチーズなんかももしかしたらアリかもな? 帰り道の石山坂本線、やがて消えゆくことになっている昭和時代な京阪色はまだ健在だった。 ごめんなさい。 最初に謝っておきます。 実は事前配布のチケット、受け取っていませんでした。 で、いつものように、土曜限定きっとやっているだろう... という実に軽〜いキモチで開店前の行列二番手に着いたのはワタシです。 店内、何やらいつもとはかなり違った、若干ワイルドでジビエなカホリが充満しておりました。 なんでも、大津駅前「らーめんみふく」の大将にみふく流の鴨の仕込みを指導してもらっての今回の2周年限定だそうです。 とりあえず、「ラーメンモリン」としてのリボーンより2周年、おめでとうございます。 差し入れもプレゼントもお花も何も持っては行かない客だけど、食べに行くことが祝意だとご理解賜りたく。 で、ワタシのトナリにいた惑星氏が持っていたチケットと抱き合せということにしてもらって、「鴨」を、ちう悶www 最初に出されてきたのは、「かけ」スタイルのラーメン。 鴨スープは清湯系。 表面に浮かぶアブラヲヲメで、鴨感たっぷり。 こりゃすごい。 そのスープに合わせる麺が、なんだかいつもと違う感じの平打ち麺で、とてもスープとの相性も良く啜って楽しい。 この麺については、後日にモリンから種明かしがあって、実は小麦の配合等は「いつも全く同じ」な「いつもの麺」で、ただただ太さ、厚みを変えただけという、モリンとこから歩いてちょっといったところにある麺屋さん、旧加藤屋の大津市創業以来から取引のある洛東フーズ製とのことだった。 程なくして「具材のお皿」も登場。 鴨のロースはなるほど正に「みふく」のアレ。 しっとりとしつつ噛みしめた時の質感上々にして鴨の旨味もふんだんに。 穂先メンマは敢えて包丁を入れずに30cm以上の長さをそのまま皿に盛ったもの。 そうこうするうち、半熟味玉遅れて追加されてきた。 古来より、鴨が背負って来るのはネギと相場は決まっているが、今回は目玉ヲヤジな半熟味玉だった。 今回の具材、そのまま味わうも良し。 鴨スープに浸して味わうも良し。 あれっ?ネギはっ???厨房に炙った白ネギが用意してあるのは知ってんたけど、どうやらモリンの「初期ロットあるある」で、載っけるの忘れてたみたい。 (後から続々と上がってきた常連さんのツイート画像には、ネギが載ってた。 ) まあ、ネギぐらい、いいですいいです。 そんなことより、これからもみんなに愛されるモリンでいてくださいな。 いつも楽しいラーメンを、ありがとう。 休日業務を終えた後、腹を空かせてモリンとこへ。 この前行った時はめずらしく「土曜限定」の無い日だったけど、今日はサスガに何かあるだろう... と、いつもならノレンがかかる前から並ぶことが多いがこの日は午後の遅い時間に訪問と相成った。 「アンコール」とは11月4日の大津駅前「アキサイ」でのことなのか?あの週の自分は労働強化週間のただ中にいたので詳しく知らないが、とにかく、アンコールでキムラ君だそうな。 「キムラ君」って、何? 説明しよう。 キムチとラー油を主たる具材としたまぜそばのことを、いつの頃か誰がそう呼ぶようにしたことで、一気にひろまったのが「キムラ君」さ。 で、本日はキムラ君でいくことにした。 前に食べたのは今年の8月18日。 あんときは、台湾旅行ver. だったが果たして今回は??? 今回、ちょっと緑のパーツはスクナメ。 そのぶん、なんだか花椒ヲヲメ。 鉢の底に潜むラー油のタレを絡めて、天地返しにしていただく。 温かな太麺をすする合間に... うおお、花椒のシビ辛、炸裂!! 麺を平らげ、底に少し残ったラー油のタレに〆ご飯追加。 こま切れチャーシューとタレの追加のお心遣い、ありがとうございますです。 ひところは週末土曜日が近づいてくると、「今度の土曜限定は〇〇ですよ!」という事前告知をTwitter上に挙げてくれていたモリン。 ところが、この秋ぐらいから、その限定告知ツイートが上がらなくなることが多くなってきた。 しかし、土曜に食べに行けばなにかしら変化に富んだ限定メニューを用意してくれてることは、SNS上に居る多くのモリンフリークたちの呟きから見て取ることができる今日この頃。 自分としては9月29日以来、ひと月以上も(!)行っていなかったので、そろそろ恋しくなって、この日、行ってみた。 なんじゃそりゃ??? 冷静に、いま一度、券売機周辺の掲示物を見回してみる。 それならそれでいい。 いつも限定ラーメンばかりを漁っているから、こういうときにこそレギュラーメニューを選ぶべし。 で、かなり久々の塩ラーメンをカラーゲセットで、ちう悶www ハナシに脈絡はないが、トナリの惑星なお客がオーダーした森次朗。 ニクマシ&ニンニクガッツリの臭そうバージョン。 自分は近頃、汁なしの系統を注文することはあまりないが、コレはコレで魅力的よね〜... そして自分が頼んだ塩ラーメンが出来上がってきた。 もしかしたら穂先メンマで来るか?と予測していたが、いつもの拍子木メンマだった。 (私はどっちも好きよん) 2017年1月の頃の記憶と比較して、豚骨出汁は、より濃厚になっている感。 その味に加藤屋時代の面影はもう全くと言っていいほど無いのだけれど、店主モリンが個人的に目指していたのはこういう方向、ということなのだろう。 そして、こんな風に思うのは自分だけかもしれないが、この塩ラーメンのタレ、どこかしらエースコックのワンタンメンのスープに相通じる独特の味わいを感じさせる。 それは、他のお店では滅多に出会わない風味。 今回、いつも楽しみにしている土曜限定はなかったけれど、そのことでレギュラーメニューの再確認ができたことでヨシとしよう。 (後から聞いた話では、年に2回程度、土曜限定をやらない日があるが、それがたまたまこの日だったということだったそうな。 ) そして、セットのカラーゲ。 仕込んであるタレにはニンニクが結構効かせてある。 サイズ、カリカリ&ジュワッと感、旨味、いずれも、やはり秀逸。 この前来たばかりだというのに、またやってくるという台風の接近情報をテレビ・ラジオが忙しく伝えるなか、県庁前ロックの日と大津百町まちなかバルと、土曜限定も用意していると呟く大変忙しいであろうモリンとこ。 なんだか面白そうだし、近いし、便利だし、面倒くさく無いし、駐車場も空いてさえいればタダだし、やっぱり行ってみることにして開店前シャッター決行。 (モリンとこ、シャッターは無いけど) マスメディアはしきりに警戒を呼びかけてはいるが、台風はまだまだやって来そうにない。 が、ラーメンモリンの日除け幕は早々に仕舞われ、「幻の屋号」が復活しとった。 限定メニューは「やる」とだけ、twitterに上げてはいたが、どんな中身にするのかは公表していていないこの日のモリンとこ。 軒先には冷凍ゲンコツの空箱が。 厨房には豚の骨ツッコミまくりの寸胴が。 なのに、この日の限定は... そうですか、にぼですか。 豚骨的なメニューをかなり期待してはいつつも、煮干しは煮干しで渾身の作だろうて、やはりこの日の限定を注文。 この日限定の「にぼ!!」は、確か過去にもリリースしたことはあったと記憶しているが、自分は初めて出くわす。 うわあ、凄まじいセメント色のスープ。 麺はレギュラー仕様の中細ストレート麺。 啜り込んだら口の中に迫り来るものすんごい煮干し感。 まさに、液体煮干し。 とはいえ先日開店した草津駅西の師匠格ロバートの「煮干し中華そば〇〇」が出す、1日5食程度の「濃いにぼ」の濃密さに迫るほどとはいかないが、限定とはいえある程度杯数を確保しようとするなら、コレでも十分以上のニボ感。 そんな風に口の中が煮干しでぶわぁ〜っと盛っている中、そこにメンマのカホリとチャーシューの味わいが対照的に際立ったりもして。 意外な満足感で、今週もゴチソーサマ。 まったく、つい先日の台風のときに食べに来たばかりというのに、またモリンとこ。 前の晩にまた何やら気になるツイートをするもんだから、つい寄ってしまう。 近いし、駐車場タダだし、限定狙いでハズレ引いたなんてこれまで一度もなかったし。 あ、台風はすっかり過ぎたから黄色い日除け幕も復活してたよ。 この日の土曜限定、その名は「ラーメン」。 何じゃそりゃ?だが、東京風の感じで動物系を敢えてライトに炊いて、魚介入れたりしてたらこうなってしもうた... みたいな結果、またおま系(「またお前か」系。 豚骨魚介に魚粉足したラーメンがよくこう呼ばれる)になったとかで。 あー、そうなんや。 POPに書いてある通りに、ゴハンと一緒に注文。 すると、今日はタレのみが先に出されてきた。 この日のスープは完全タレヌキから味わって、ということなので、ありがたくいただくことにした。 ライトに炊いた... 確かに、この前のみふくさんチの機材借りてきて煮出した、あんときの豚骨に比しては軽い気もするが、それでも出汁感上々。 あんまり上々なもんだから、別皿に用意してくれた醤油ダレを加えないままの完全タレヌキ状態で6割ほどの麺を啜ってしまった。 もう、出汁だけでも十分以上に味わいが出ているのだ。 コレはなかなか、お目にかかれぬ、もといお口にかかれぬことではあるまいか。 最後らへんになって、醤油ダレをポタポタしながら平らげたら、なんだかまるで、ハクトワシインスパイアみたいな味わいにも感じた。 それにしても、ものすんごい台風だった。 ものすんごい台風がくるっていうのに、昼はちょこっとだけ営業するっていう情報があった。 台風が本格的に接近するのは午後2時あたりらしい。 ならば、行くか、と行ってみた。 いつもは引き違い戸右にある「ラーメンモリン」の日除け幕(というかタペストリーというか)はあらかじめ外したもんだから、今やホントに幻となった加藤屋の指文字にラーメンモリンのノレンが並ぶという、ちょっとレアな光景。 この日は限定メニューがないことは承知の助。 むしろ、こういう日こそレギュラーメニューだ。 で、これまで注文したことのない「煮干しの醤油」と「唐揚げセット」を選択。 そして、唐揚げに添えられるキャベツはヌキで注文。 コレが、滋賀県の提唱する「フードエコプロジェクト」への取組につながるんだそうな。 そして出来上がってきた「煮干しの醤油」と唐揚げ。 (あ、ゴハンを画面に入れるの忘れてた。 ) 「煮干しの塩」で味わう煮干し感は知っていたけど、醤油となると、コレまた深いもんだ。 煮干しを使ったメニュー自体は加藤屋時代からもあったが、塩で味わうダイレクト感とはまた違う感じで、醤油の深みを伴ってこれほどまでグイグイとニボ感が押し寄せてくる味になっているとは!それでいて、豚ダシの「醤油ラーメン」「塩ラーメン」より廉価に設定されているという... 麺は中細ストレート。 麺自体に強烈な特徴があるってワケではないが啜って十分な食感。 また、麺でのお遊びは限定メニューでこれまでも数知れずあったことだし、レギュラーメニューはあくまでスタンダードな位置付けにあるべし。 セットの唐揚げ。 サイズ感、カリッと感、ジュワッと感、タレとニクの妙感、キャベツ抜いてもやはり湖国最強かと。 あ、芝漬けが付いてくるゴハン、撮り忘れてるけど。 しっかりいただいて、お店を出て無事帰還。 するとたちまち凄まじい嵐がやってきたこの日。 この日、久しぶりにラーメンつながりの奈良の友人がモリンに来るというので迎撃に出る。 彼はどちらかというと、今のモリンのテイストよりもかつての「幻の中華そば加藤屋」の味を好む傾向があるようで、そんな彼に比較的かつての加藤屋っぽいテイストを残しているかな?と思われる煮干しの塩を推すことにした。 後日、SNSに記されたレビューに依れば、加藤屋時代を凌駕する強烈な煮干し感に甚く満足されたようで、ヨシヨシと。 唐揚げ(大)5個の図は、やはり壮観。 自分一人だったら、ラーメンと一緒には、まあ食べきれないかと。 私はこの日の限定を注文。 今回は大津駅前「みふく」さんチから借りてきた機材で豚骨を炊いてみた、というトライ。 さて、その出来栄えや如何に? 半熟煮玉子、豚バラチャーシュー、材木メンマはいつもの構成。 スープ表面にマー油を垂らし、青ネギは敢えてオミットしたところにニラの醤油漬け。 みふくさんチの機材は、かなりモリンとこのいつもとは違うようで、常から味わうモリンの豚骨に比して、よりドシっとした濃厚感をもたらしている感。 幾分アブラヲヲメに感じるのは、機材の違い?マー油の存在感もあるけど。 ヒタっとなったニラもスープと麺と相性良し。 森次朗用汎用太麺、本日も大活躍。 麺を啜り切った後、残ったスープでゴハンゴハン。 ごちそーさまでした。 昼にどこ食べに行こうか?考えあぐねながらクルマでイエを出た。 で、もし、モリンとこの駐車場が空いていればモリンとこの土曜限定にしよう... と行ってみたら2台分の駐車スペース2台分とも空いとるがな...。 で、ポールポジションではないけれどこの日一番集団の客となることにした。 予告ツイートによれば、この日は「まぜそば」をやるということまではわかっていたが、その「まぜそば」はキムラ君だった。 キムラ君とは、数年前にちょっと流行った感じだったかな?キムチと食べるラー油でアレンジしたまぜそばを、よくそう呼んでいたことがあったものだ。 そんなキムラ君の台湾旅行バージョン... どんなんや??? モリンとこの「冷やし」ではレンゲに梅干しを乗っけて出されることはあったが、今回のように半熟タマゴをレンゲに乗っけて出してくるのは初めてのこと。 「こうしといたほうが混ぜる時にタマゴが邪魔にならないんじゃないかな?」とおもってのことだそうな。 まあ、ひとつのアイデアとしてはアリだろうけど。 自分はこの手のまぜそばに着手する時、箸とレンゲの両方を使って麺を混ぜる派なので、レンゲの半熟タマゴは鉢の隅っこに一旦追いやって... 天地返しに混ぜ込んで、いただく。 キムラ君のキム(=キムチ)の存在感はあるけどラー(ラー油)は控えめ... というか、味付けの肉味噌がラー油代わりの存在感なワケだ。 刻んだ生のニラの鮮烈な薬味感と短冊海苔の香ばしさに加え、やがてそこに仕込めてあったのかタレに仕込まれているであろう花椒のシビ辛が炸裂。 いささかジャンキーな強さで森次朗用太麺を食わす食わす! 麺を平らげた後の〆ゴハン投入の図。 がっつり食って満足だぜ。 同行者は煮干しの塩を注文。 ちょっと味見させてもらうと、まあなんと、煮干し出汁の出方の豊かなこと!モリン開業の頃より、強力になってる感。 モリンとこに向かう途中、よく見る風景。 モノゴコロついて以来、京阪電車といえば緑を基調としたこの塗色が標準だった。 けれどこのカラー、2年後には消滅してしまうそうで、そうと知っているとついつい撮ってしまう。 現に休日の浜大津交差点には、でっかいレンズの一眼レフを構えた撮り鉄たちで賑わう。 モリンとこに行く時は、ノレンが懸かる前からシャッターすることが多いのだが、この日はノレンが懸かった後で訪れてみた。 キビシイ暑さのせいかな?駐車場も空いていたし、外待ちもない。 モリンの話では、このところの暑さのせいでか、お店の前の人通りもほとんどないそうな...。 このお店の... というか、加藤屋の歴史を知る人であれば「幻の中華そば加藤屋にぼ次朗」の第1号店が南草津にあり、あのお店の初代店長がモリンだったことはご存知のことだろう。 あのお店にはスープありの「にぼ次朗」とスープオフの「森次朗」があるが、これらはそもそもかつての「加藤屋」で夜営業の限定メニューで出していたものがルーツでありその開発に大きく関わったのもモリンだった。 けれど、この日の土曜限定は「にぼ次朗」ではなく「煮干しスープ」と「次朗」ではなく敢えて「二郎系」と書いたこと。 そこにはモリンなりの意味合いがある。 ま、それはともかく肉マシ至上主義ではない私はスタンダードタイプの850円版を選ぶことにし、 この日の限定Bボタンを押した。 ノグチヒデヨをモリンに投げつけたら、この上からさらに分厚いニクがドカ盛り状態になったそうだが、やはり自分にはこのサイズでもう十分。 煮干しのスープにたっぷりのモヤシ&キャベツ。 そのヤサイを覆うように盛り付けたニク。 自分は好んで食べに行くことがないので詳しくは知らないがやはりこれは「二郎系」を彷彿とさせるもの。 敢えて「次朗」ではなく、「二郎系」。 あ、「ニンニク、入れますか?」がなかったけれど、元からニンニク入れるつもりなかったからヨシ。 麺に辿り着くまでに、しばらくはモヤシキャベツモヤシの時間が続くが、モヤシには醤油とニボシオイルの味付けをちょびっとほんのわずかに仕掛けてあるので、モヤシに取り組む間が白い時間になってしまわないよう工夫されている。 スープはスーパーニボシキカセマクリ。 ワシっと太麺は森次朗の太麺を応用。 それにしてもこの麺、いろんな使い方できて、汎用性広いねぇ。 いつも楽しませてもらっているモリンとこ。 7月26日12:20にこんなツイート。 もう少し早くチェックできていれば一目散に向かうところだったが、気づいていなかった。 そして27日。 台風の不気味な進路。 それはともかく、もしかしたら昨日の「5食」の残りがあるのではないか?いつツイートされるかわからない知らせを待つより、自分から電話して聞いてみたら「2食だったら、いつものトッピングとは少し変わりますけど、できますよ。 」と云ってくれるので、じゃ、お願い!と予約した。 無理をお願いしたからにはお店が混む前に行こうと、シャッター&ポール。 この日のメニューにないものを注文したので食券はナシ。 現金払い。 「冷やしラーメン」、作るのは案外面倒なこと、自分なりに知ってる。 そのせいでかどうなのか、かつてはとても楽しみだった「ラーメンととち丸」の、あの絶品冷やしも、聞くところによるとあったりなかったり、裏メニューだったり常連さん限定だったりで、かつてのように夏季限定の正式メニューとしては提供していない様子。 (というか、この日には公式には終了ということだった。 ) けど、ありつけるものであれば、年に一度は食べておきたい。 この日みたいに暑い日に食べておきたい。 これはむしろ、自分よりも同行者の意見。 冷んやりと、ニボっと。 冷たく締まった麺の食感しっかりと。 モリンとこの鶏チャーシュー(左側)と、フジロックフェス休暇のポニョんトコのスペゲス鶏チャーシューと。 途中で梅干しをほどよく崩して加えて、爽やかな酸味と共にズゾゾゾゾ。 ワガママ聞いてくれて、ありがとう。 このところ、土曜日になると週末限定を出していたモリンとこ。 振り返ってみればほぼ月一か月二のペースで食べに来ていたが、先月は大津市内でのイベント出店が続いたこともあって、しばらく土曜限定はオアズケ宣言をしていたモリン。 ところがだ、週末が近くなると某友人のツイートに新しい麺でつけ麺の試作やってるというのを見て、この日ダメ元で(といってもシャッター&ポールで)行ってみたら、 やっとるがな。 今回、モリン本人からの告知ツイートがなかったのには、何らかの事情があったのだろう。 いや、もしかすると、今後も告知ツイートなしに土曜限定はヒソーリコソーリとやるつもり??? ともあれ新作の麺、さっそく味わってみることにした。 POPに書いてあるように先日のラーメン産業展で出会った小麦粉を洛東フーズに注文して製麺してもらったのがコレ。 若干白っぽい平打ち麺。 今回、つけ汁には濃厚豚骨魚介を合わせてきた。 そのつけ汁、完全タレヌキ蒟蒻仕様。 麺の器、いつものモリンとこの具材といえばそうなのだが、レアチャーシューとタレで煮た豚バラチャーシューの二種がゴージャス。 ありがたく、タレの全くない状態のつけ汁に浸していただく。 麺の味わい、素直にして素朴。 余計なものをなるべく加えず、小麦だけの味わいに特化したような感じ。 タレのないつけ汁もまた上々で、豚骨の出汁のいい具合のところにサカナダシもこれまたいい具合に合わさって、醤油感の全くない液体の中で出汁の旨みが麺をすするとともに口の中に広がる。 このまま全部完全タレヌキで食べてしまいそうになる程。 とはいえ、別皿に醤油タレもつけてくれているので、コレをポタポタプレイしながら楽しむ。 この新作の麺、味わいはとてもいいが、後半になると麺同士がくっつき出したりして、ちょっと食べにくくなってくるのは課題。 茹で方、締め方、提供の仕方、今後の工夫のしどころ。 「おっと魚粉入れるの忘れてた!」とコレも別皿で後から追加される。 魚粉の濃い味もつけ汁の中で確かに活きるが、これが無くても十分に整った味わいだった。 そして、スープ割りにはシメご飯がついてくる。 ご飯の茶碗に割りスープを注いでいただくか、割りスープの器にご飯をドボンとするか、どっちがいいか?については「どっちでもいい」そうです。 これは極めて個人的な見解だが(いや、ココは個人のブログだから公的な見解を慮る必要はないか)、大津に移り住んでから感じるに、大津は「とにかく食べ物の屋台が中心となるイベントが年間を通じて数多く開催される」とともに「日が暮れるとしょちゅう打ち上げ花火が上がる」街だ。 食べ物屋台系イベントはココJR大津駅前と、京阪電車「びわこ浜大津」駅前から大津港までのところのだだっ広い広場でよく開催される。 考えてみると、むしろ、こういったお祭りが開催できるように計画された設計になっている街であるとも云える気がする。 それと、花火。 八月の花火大会の日は、人がどっと繰り出し道路も線路もまあエラいことになることになるのは毎年のことだが、そんなハレの日ではない普通のケの日でも、19時頃になると浜大津や唐橋周辺から小規模ながらも打ち上げ花火の姿を見ることがある。 多い日には一日で三度上がることもあったりする。 まあ、楽しいことだ。 ところで今回のJR大津駅前「金米祭り」って、今回新たに始まったもんだと思うが、どうなんだろう。 それはともかく、大津の食べもん屋台系イベントに「ラーメンモリン」は欠かせない... というか、よく頑張って出るよなぁ... この日は京都千丸しゃかりきで周年限定をいただいた後だったが、時間も腹具合も余裕があったので様子を見に行ってみた。 寸胴の取っ手に棒を通した即席茹で麺器にテボを並べて次々に麺をゆでるモリン。 ごった返すほどの行列ではなかったけれど、慣れないオペレーションをなんとかしたかったのだろうか、ちょっとテンパり気味のご様子だったかな。 今回のメニュー「煮干し香る油そば」。 今回みたく吹きっさらしの手狭なテントで屋台で、ちゃんとしたスープのあるラーメンを出すのは難しかったのだろう。 タッパーには今回の麺... 特別なものではなく、森次朗で使っているいつもの麺だと思う(確かめてないけど)。 この麺、森次朗のみならず、ストレートのままでつけ麺でもよし、また手で揉み込んで縮れにしてもよしと、汎用性があるねえ。 今回は、出来上がった油そばには、お好みで電動ミルの花椒を振りかける仕掛け。 この電動ミル、使い方がわかりにくくてマシンを麺にボトッと落としてしまう人続出(笑)自分もしっかり、やっちまったぜ。 そしてコレが今回の「煮干し香る油そば」完成図。 具のレイアウトは、どこまでも「いつものモリン」。 それでいい。 アウトドアでいただくものって、それだけで気分も違っていいもんだ。 底の醤油ダレからぶわっとくる煮干しテイスト。 それぞれに食べ応えある具材たち。 今回、麺が妙に、カタい。 そう感じたのはじぶんのみならず、これを食べている間に横で同じものを召し上がっていらした御婦人グループの方々も一様に同様の感想を漏らしておられたので、いただいた後に、差し出がましくも厨房にその旨を報告しておいた。 この日、即席茹で麺器での苦戦だったが、あの後どうだったかしらん。 イベントでは大津百町の名だたる名店が数多く出店していた。 この金米祭り、今後も継続開催になるんだろか。 楽しいから大歓迎だけど。 大型連休前半二日目。 相変わらずイエでやることが多い。 で、昼メシにだけひょこっと出かけて、またモリンとこ。 POPは県庁前ロック推しだけど、あのテンコ盛り肉メシは自分にはデカすぎる。 ので、土曜限定な和風豚骨とフツーのゴハンにしておく。 と、なんじゃこりゃーーーーーっっ!!食券の文字が鮮明になっとる!!なんか、モリンとこやないみたいやぁーっ!! この日の和風豚骨、小鍋方式(いや、土曜限定のラーメンは割とこのパターンが多いか)。 今回は、完全タレヌキ蒟蒻仕様で仕上げてくれた。 今回の豚骨ダシ、脂分控えめにして豚骨の旨味しっかり出てて、加えてふわんとカツオ節の風味とカホリ。 完全タレヌキのダシだけで、もう十分に味わいが載っていて、それだけでもう麺をペロッと啜り切ってしまいそうになる(それはそれは薄味の中なんだけど)。 けど、せっかくだから、タレもちょこっとポタポタと。 具に青梗菜は賛否両論?確かに、箸休めというより青梗菜の葉も軸も一気に食べてしまわないと途中で噛み切ることができないヤツではあった。 けど、スープがいいからもうそれだけで、アンタ。 で、大型連休明けの週末は大津駅前のお祭りに出店だそうな。 たしか先週もモリンとこで土曜限定のつけ麺だった。 そしてこの日も...。 他に選択肢は無いのか?いや、あると思う。 ちょっと時間をかけて、ちょっと遠くに出かけさえすれば、選択肢はナンボでもある。 が、貴重な休日の時間、ラーメン遊び以外にもやりたいことやっておかないといけないことはイロイロある。 パッと行ってさっと食ってピャッと帰ることができる上、毎回何かしら異なる楽しみがあるから、モリンとこの土曜限定、ついつい足が向いてしまう。 今回のPOP。 画伯の絵心、ちょっとヒカエメ。 この日の食券。 ふんっ!限定B、私でもマダ判読できるぜ! 今回のコンセプトは「中細麺でちゅるっと」だそうな。 ぱッと見のルックスに目立った特徴は無いように思ったが… なんと、麺の器には氷を浮かべた冷たい汁が。 昆布出しかしらん?ラーメンモリンとしては初の試みになるそうな。 もう5年も前になるが、ポニョんとこで食べた昆布出汁の「麺INお出し」は、昆布ならではのネバネバ成分を意図的に前面にだした作り方だった。 今回のモリンの初トライでは、このアルギン酸由来のネバネバ成分を感じさせず、昆布出しながらもサラっとした感に仕上げていた。 さて、この昆布だしネバネバか、サラサラか、については、昆布を水に浸す時間や加温のスピードや昆布を抜くタイミングで操作できるものだが、どっちが良いか…については、作り手の指向だろうし、食べ手の好みにより、どっちが良いとは一概に言えないだろう。 自分の好みで云えば、圧倒的にサラサラな汁の方が好みだな。 ただし、サラサラ指向にすると昆布ダシの存在感を前に出て来にくくなるものかなぁ?と感じた今回の初トライ。 そしてつけ汁の方は煮干しぎゅぎゅぎゅぎゅと効かせたところに醤油感くっきり立たせた仕立て方。 麺の器の具材らとともに、もう、ニボニボコブコブメマメマニクニクちゅるちゅるウマウマ。 今回もスープ割りにはシメご飯をつけてくれる。 このご飯を割りスープに浸していただく。 まさに、2度美味しい。 新年度が始まって二週間。 一週目は緩やかなスタートだったが、二週目となると加速度的に仕事マシマシ。 週末は夜勤も含めた結果ちょっと体調を崩してしまった。 そんなわけで週末は大人しくして過ごす。 こういう時、ふらっと行ける近所で、素敵な週末限定がのは、やはり何よりありがたい。 本日もシャッター&ポール。 この日のPOP。 画伯のエゴコロにおいては、豚の顔とサカナはもはや一つのアイコンと化しているように思われる。 そして食券。 辛うじて「限定B」と判読できるインクノズルの目詰まり具合。 そしてカウンター席の右端にはマルちゃんのカップ麺。 どういう経緯なのかはさておき。 モリンの予告ツイートに拠れば、もしかしたら豚骨オンリーになるかも... みたいな記述もあったので、もしかしたら「つけ麺無心」インスみたいなピュアな豚骨つけ汁でクルかと勝手に予想していたが、先のPOPにあるように結果としては「豚骨魚介」にアレンジしての提供となった。 麺の器。 豚バラスライスチャーシューにタップシの穂先メンマ、黄身ウルルン煮玉子、縦向きの標高を意識した水菜で麺が隠れてしまうほど。 つけ汁の器、豚骨ダシのつけ汁に海苔を浮かべたところに大量の魚粉を投入。 結果、強力な豚骨魚介の、ちょっと昔に一世を風靡した「またお前か」的テイストの超濃醇バージョン。 具材をかき分け、麺をほじくり出す。 コレは、いつもの森次朗用の太麺かな。 つけ麺の麺としても快く味わえる麺。 マタオマなつけ汁で麺量200gはするっと飲み込んでしまうみたいにイケた。 ラーメンモリンでは現在のレギュラーメニューにつけ麺の設定はないが、この日のように限定メニューとしてつけ麺を出してくれる時、スープ割りには、たいていシメご飯を一緒につけてくれる。 この「スープ割りシメご飯がほぼデフォ」なところはKTY時代から引き継がれている点かな。 このシメご飯に豚骨魚介つけ汁の、さらにスープ割りをかけて味わうと…!! コレは「またお前か」ではなく、意外にもこれまでに味わったことのない世界だった。 豚骨魚介つけ麺の割りスープでシメご飯…ありそでなかった?いや、なさそうであった?単に自分が知らんかっただけ?? ともあれ、その意外な味わいは忘れがたいものだった。 ってことで、一気に春めいてきた。 梅の花も開花が進む。 こんな時こそ、モリンとこだ(なんで)。 これで三週連続だ。 けど、でも、ドヨーのゲソテイは、やっぱりキニナルのだ。 今回のPOP。 画伯のエゴコロは割と控えめ。 雷文模様のパターン... ラーメン屋なんだから飽きるほど見てるでしょうに... いやいや、そういえばカトヤ時代も含めて、モリンとこの鉢にこの模様はなかったな。 ゴハンはオススメ「トッピング」じゃないと思うが、まあそこはそれ、以心伝心ということで。 ゴハンはやっぱり、トッピングじゃなくてちゃんと出てきた。 一安心。 それにしても、実に高井田テイスト。 ばしっと醤油っこさのパンチが効いたスープ。 わざとザク切りにしたネギをワイルドな葷味。 そして、太麺(森次朗麺流用?)のワシワシ感! ブラックペッパーの効果もよろしく、コレはぜひ丈六さんに召し上がっていただいてコメントを聞かせていただきたいと思うほど、高井田系テイストを具現化したラーメンだった。 かつて、麺家チャクリキの今西店長が、エセ〇〇とか名付けて全国のご当地ラーメンをパロディ風にやらかしていて、面白かったが(なかなか食べに行けなかったけど)、アレに近いことをモリンがやってくれるのは嬉しい&ありがたいことだ。 2018年最初の土曜日は、ラーメンモリン2018最初の土曜限定とココロに決めていた。 開店時刻を少し過ぎた時刻、幸いなことに専用駐車場は空いていた。 画伯のエゴコロ、2018年になってますます冴え渡る様子。 ゼッケン3番がかぶるのはバッターボックス用ヘルメットかしらん。 「ふつうの」800円、Aボタン。 「ちょっとごうかなの」850円、Bボタン。 なんとなく押すBボタン。 「ちょっとごうかなの」は豚のレアチャーシューに鶏ムネ肉付きということらしい。 穂先メンマはレギュラーメニューもコレに変更していくのかな。 年末の時には普通の拍子木メンマだったけど。 穂先メンマは反対論者も知り合い方面にいたりするが、私ゃ好きだよこの感触。 モリンとこの土曜限定で「秋刀魚」を用いたヤツは昨年にも何度か食べたものだった。 だが殊に「サバ」をテーマにしたのは、今回が初めてじゃなかろうか。 考えてみればサバという魚は、鯖寿司や酢じめの「きずし」(関東では「しめさば」というアレ)や味噌煮のように、カツオやサンマとはまた違う食べ方が定着している魚で、そういう点からも節系や煮干し系素材の中でもちょっとクセのあるような印象を持つところだが、思い返せば昨秋に食べに行ったサバ6製麺所のサバ醤油もクセが気になるようなラーメンではなく、素直にウマイと思える味だった。 これは今回のモリンとこでも同様で、こと「サバ」と聞くと、おっ、「サバ」かっ!と身構えてしまうようなところがサバ好きの自分にはあるが、いざ味わってみれば心の中でさっきまで身構えていたのがアホらしくなるほどクセのない、スルッと食える素直な魚ダシの醤油味。 「サバ」ってこんなに素直な風味になるのかと不思議にさえ感じる。 鯛の煮干しを煮出すと、鯛特有のむわっとした香りと味わいが、トビウオ(アゴ)の煮干しだと、特に焼きアゴだと香ばしく品のいい感じになるのは、イエであれこれやらかしてみた体験からなんとなーく覚えているものなのだが、そういえばサバ単体のダシをとって実験してみたことが自分には、ない。 確かこの日、モリンとこに行って押したボタンは800円のこってり醤油ラーメンだった。 けれど、そのあと.... なんでか、出てきたのがニボシのショーユみたいなつけ麺で、 つけ麺の麺としてはちょっと細めながらもチュルモチとした食感に、しゃかりきのカジさんが作ってくれるキレのある和風テイストとはまた違う、実にふくよかな煮干しの旨味がじわわ〜とくるつけ汁との妙なる味わいを楽しんでいた。 そして、スープ割りしてもらって、シメのミニご飯をダシ茶漬け風にしていただく…。 どうやらアリーナ席の柴咲コウ姉の磁石マユゲを迂闊にいじると夢だか現実だかよくわからなくなるようなことが起こるようだ。 皆様も、どうぞお気をつけくださいまし。 仕事から帰る道々、昼はどこに行こうか考えあぐねていた。 膳所の与七が残念ながら年内をもって閉店らしく、食べおさめに行こうかと思うも、この日与七膳所店は定休日。 ととち丸の方ではこの日限定メニューに絞り込んでの営業と聞いていたが、きっとファンがどっと押しかけて行って駐車場待ちさえままならないんじゃないだろうかと勝手に思い込んで敬遠。 (あとで入ってきた情報では、そんな予想に反してけっこう空いていたとのこと。 思い過ごしはイケナイネー) そんな中、モリンとこの前を通りかかって、もし専用駐車場が空いていればモリンとこに寄ろう。 空いていなければ、まだ行ったことない万両力石浜大津店とか、とりあえず行ってみようかと行ってみたら、2台分あるラーメンモリン専用駐車場は、2台分とも空いていた。 ところで、当ブログに於ける「ラーメンモリン」に係るこの一年を、思い返してみる。 アホみたいですが)。 そんなわけで、たまにはレギュラーメニューもいっとくべし、で「こってり醤油」を注文。 券売機インクノズルの目詰まり具合は絶好調。 「こ」と「て」で辛うじて判読できる感じ。 こってり... といっても出汁の濃密さ加減でこってり食わせるタイプではなく背脂も含めたアブラ分でこってりを食わせるタイプ。 そうとわかって注文するのだが、千駄ヶ谷ホープ軒のような重さというかくどさというかを全く感じないのはなんでだろ?スっと喰えるんだなコレが。 」と、わざわざ僕に見せてくれた。 モリンのイエケイフーは一昨年の年末に食べに来たことを自分は記録している。 「家系風」の三文字、ラーメンマニアなら、ごく当たり前に「イエケイフー」と発音することだろうが、この国に暮らす人全てがラーメンマニアでは決して、ない。 なかには「カケイカゼってなんですの?」とか言い出す人も出てくるかもしれない。 そんな、より客観的視点も鑑みて創作されたのがこのPOPであろう。 そして、あたかも机上に落ちた抜け毛のような曲線とともに(いや木枯らしのような風を描いているんだって分かってるって)、最後に「風が吹いている... 」と締めくくるあたりは、やはり画伯一流の季節感を描いた表現といえよう。 何時ぞやの指導助言を心得てくれているのか、秋刀魚の姿は、より秋刀魚らしくなった。 しかしだ。 その秋刀魚の頭部あたりにある赤と緑のコレは、何だ? 「みんなニンジンとか言うんですよ〜」と、ぼやくモリン。 本人としては、サンタクロースの帽子を描いたそうである。 が、悪いけど、コレはやっぱりニンジンとしか...。 読者の皆様はおわかりだろう。 サンタさんの帽子を描くなら、トップのところに白いもふもふのボールをボトムのところにも白のもふもふが不可欠。 さて、来年の今頃、モリンはこのことを憶えていてくれるかしらん? そして、交差させた秋刀魚をしてって... モリンもとうとう、オヤジ化か? ともあれ、この一年でラーメンモリンの週末限定は、単にラーメンだけを味わうに止まるにはもったいのない、描き手たる画伯の意図をどのように受け止めて解釈するかいう、極めて高尚な現代芸術的な鑑賞領域に昇華した。 どうか、この勢いを持って我が国の空間芸術の最先端にも切り込んで行ってくれればと期待するものである。 (そろそろ美術の先生に叱られそうな気がしてきたのでこれぐらいにしておく) と、お巫山戯はこれぐらいにして、この一年で私を一番楽しませてくれたのは、やはりモリンとこ。 どうもありがとう。 そして、来年も、どうぞよろしく。 そうかぁ...。 あれから、1年が経つかぁ...。 モリンがこのお店を仕切るようになってからは、かれこれ6年が、そしてココが旧加藤屋として始まってからは、もうかなりの年月が経つ。 そういう意味ではそこそこの歴史もあるお店であり、また、新しいお店でもある。 毎度おなじみ週末限定POPメニューには今回もきっと画伯の絵心が込められていて私の絵画鑑賞における心の琴線に触れるような作品が... と、期待して行ったが、今回は開店時間ギリギリまでスープ等の仕込みに追われていたので絵なんか描いてる余裕がなかったそうである。 ということで、いつもの限定ボタンを押したチケットと、開店1周年記念ステッカーと、割引券と。 出来上がってきた図。 鶏ニク肉レア気味チャーシューの他に見た目にとりわけ目立つデザイン的な要素は感じないが... いつものモリンとことはまた一味ちがう、丸鶏の、まろーんと、じわーと、深〜い美味いがまあなんとも。 平打ち気味のもっちりちゅるちゅるな麺もウマイウマイ。 多分、いや、確実にこの一年で一番足繁く通ったのがこのお店。 近くで便利ってのもあるけど、いつも美味いし変化も楽しめるし。 つまり毎回何かしらを楽しませてもらっている。 祝、開店1周年。 これからも、末長く。 日頃から夜は滅多に食べに出ないが、明日は11月で3度目の休日。 自分へのご褒美ということでモリンとこで呑むことにした。 この日の限定「AfterみつもりHOUSE」の、その前に、生ビールとおつまみ盛り合わせを注文。 食券販売機のインクノズルの目詰まり具合は相変わらずで、素人には一見、何が書いていあるのか判読できないほどに。 第三のビールじゃないホンモノ、いただきまーす。 さっと炙ったチャーシューに、ハンパないメンマの量。 軸を結わえた三つ葉はこの日ならではのオマケかと。 ゆったりとした時間をひとしきり過ごし、本日の本題「afterみつもりhouse」を注文。 要するにコレ、先日の「みつもりhouse」のときにラーメン家みつ葉で拵えた麺を応用して、モリンとこでつけ麺仕様にしたもの。 みつもりhouseの時には、スープにラーメン家みつ葉の豚CHIKIをベースとして鯛のダシを加えたものをこの平打ち幅広麺に合わせてきた。 素晴らしく美味いものだった。 今回は、あん時との麺を冷水で締めたもので味わう。 ツルツルモチモチウマウマ。 あん時と同じ麺が、つけ麺だと、また変わる。 その麺を鯛のダシがふんだんに効いた清湯醤油のつけ汁でいただく。 麺を平らげたところで、スープ割りに加えて、シメのミニごはん。 あっさりと「シメごはん」というが、鯛のヅケをのっけてくれている。 これも先日の「みつもりhouse」の時のサイドメニュー「みつもり飯」(自分は注文しなかった)の応用編だという。 コレに割りスープを加えて鯛茶漬け風にいただく。 900円でコレとは、なんちゅう贅沢。 すっかり満足して、帰路に着いた。 誰ですかこんなところにマグネットを貼るのは!わらけるやん! ということで午前の仕事を終えた後、昼の部の営業時間が終わろうとする寸前に滑り込んだカウンター席の左端。 これまでも「熊本風ラーメン」とか「家系風豚骨」とか「新潟風ラーメン」とか、数々出てきた「モリンのカゼ系」。 この日の土曜日限定は喜多方風ラーメン。 とりあえず、通常版をいただくべ、と押した限定Aボタン。 実は福島県の喜多方地方にリアルに行って、リアルな喜多方ラーメンを食べてみた経験が自分にはまだ無い。 喜多方風のラーメンを食べてみたことがあるとすれば、3年前に麺家チャクリキで出された「エセ喜多方ラーメン」とか京都拉麺小路にある坂内食堂で5年前に食べた喜多方ラーメン、6年前のラーメンにっこうact2 現チキン野郎@彦根 で食べた、ととち丸・麺屋レノン.にっこうact2 3店合同東北応援メニューだった醤油ラーメン(喜多方風)... まあ、その程度である。 だから喜多方のラーメンとは、こうであるといった定見など、ない。 麺はなるほどソレっぽい中太の縮れ麺。 どこの麺なのかモリンに聞いてみたら、この麺モリンとこの森次朗で使っているストレート麺を手でギュッと握って縮れを加えただけのものだそうな。 実は縮れ麺って、ストレートの麺球を手でギュッと握りこんで見れば意外に簡単にできるものである。 煮干しを効かせた豚清湯にショウガもなるほど効果的だが、ザク切りに刻んだ生玉ネギの鮮烈な葷味(ネギニラニンニク系独特のツンとくるあの味)が結構モノをいう。 こういう素朴な味わいが「喜多方風」かな。 美味しかったが、限定メニューPOPに画伯のブタさんトリさんオサカナさんがいなくて、ちょっぴり寂しくなっちゃうセンチメンタルな秋。 このところ土曜限定では秋刀魚or豚骨シリーズが続いていたモリンとこ。 今回は毎月29日の「県庁前ロック」の一日前倒しリリースに併せてラーメンは清湯で行くことにしたそうな。 ああ、せっかく限定POP画像がピンボケ。 見ようによっては二枚貝か、はたまたスペースインベーダーか、のようなタマネギに画伯の深遠な絵心を感じ取る。 「県庁前ロック」は自分のキャパではしんどい。 煮干しを効かせ、おそらく醤油感もかなり押し出しているだろうラーメンは、ゴハンと一緒に味わいたい。 どーせならプラス100円でカラーゲ付くやん。 でカラーゲセット追加。 今回は清湯ということでいつもやってくれるタレヌキ状態&タレ別皿でなく、出汁とタレを合わせて普通に完成させた状態で出してもらった。 煮干しのモワワとくる香りと押し出しのある味わい。 醤油っこさ、背脂感。 コレならより背脂マシで食べてみてもよかったかな。 タマネギしゃりしゃりもよく合うぜ。 麺はレギュラーのストレート麺。 スープの強いキャラクターに合わせ、太めの麺でワシっと食ってみたくなる感。 食べに行ったことはまだないけど、杭州飯店みたいな感じをもっと押し出してくれたらなぁ、とは思ったが、煮干しを贅沢に使った今回の新潟風、非常に美味かった。 そしてセットのカラーゲ。 食べてる時は夢中でがっつく。 そして、お店を出てからけっこうニンニクが効いていることに気づく。 金曜日にツイートされた週末限定告知。 このところの土曜限定では秋刀魚出汁をテーマとしたものが続いた。 今回も秋刀魚出汁をやるけど純粋豚骨の塩つけ麺もヤルってことで、コレが気になって、また行く。 それにしても、画伯の絵心は日増しにエスカレートしていく気がする。 今回、豚の前足、後ろ足は魚となって、頭部には何やら冠状のものを描いている。 聞けば、これは魚介の介、つまり「貝」を描いたというが、そうと聞くまで一体これは何なのか理解できずにいた。 まあ、天才の芸術的表現とは、その辺のシロートがパッと見てすぐに理解できるというものではない。 そこには深遠なギミックを読み解く鋭敏な鑑賞力が求められるのである。 (と、これぐらい書いとけばいいか。 ) 注文したつけ麺が出来上がるまでの間に、タレ等を一切加えない純粋豚骨出汁を味わわせてくれた。 拳骨、背ガラ、頭骨等、何をどうブレンドしてどのように煮込んでいくとこのような味になるのか、その設計図を私は知らないが、記憶にある無鉄砲系のタレ抜き豚骨出汁の味わいに比して、ピーナッツオイルっぽい味わいを感じさせる。 決してピーナッツオイルを加えているわけではないと思うが。 そして出来上がってきた今回の限定10食豚骨つけ麺塩バージョン。 麺はレギュラーメニュー「森次朗」の麺を転用したとのこと。 つけ麺にしても十分なモチモチ・ワッシリな食感。 その麺をつけて味わう豚骨つけ汁。 先に純粋豚骨出汁を味わったばかりの舌には、序盤に塩ダレの強さを感じたが、やがてその塩ダレ感は食べ進むうちにだんだん馴染んできた。 こんな濃厚豚骨の塩ダレつけ麺、この辺りじゃあそう滅多に味わえるもんではない。 そしてオココロヅカイの炙りチャーシュー。 どうもありがとう。 麺を平らげ、もれなく付いてくるシメご飯を注文。 いやあ。 最後までホント美味いのなんの。 全国のラーメンモリンフリークの皆様、店先の日よけ幕の「ン」の字の中に、さらに小さく書かれた「MSH」って、何の意味だかご存じですか?... って、僕も知らないんです... 画伯の絵心、サンマに加えて一反木綿、さらに小魚も登場し、今回のつけ汁に込められたマテリアルの内容を表現力豊かに物語る... というか、日増しにッスカレートする?面白いからイイけど。 メニューに書いてはなかったが、聞けばシメご飯も付くとのことなのでムリせず麺量200gを選択。 彩りにカイワレを添え、このところの土曜限定サンマシリーズに柑橘を添えてきたのに倣って今回は、コレ、シークワーサー? その食感は面白くとも、デフォルトで置いてある滑り止めつきプラスティック箸では手繰りにくいビラビラ麺。 以前にそのことを書いたら、モリンはキチンと読んでいてくれて今回ワリバシを用意してくれてアリガタヤ。 この麺、ワリバシだとかなり掴める。 今回のつけ汁、サンマ+魚介風味も豊かに感じるが、それ以上に醤油感の存在も立っている感。 隣で同行者がレギュラーメニューの「煮干しの醤油」を頼んだが、このスープの煮干し感の方がサカナ的豊かさでは勝っていたように思えた。 ビラビラ麺を平らげた後、スープ割りしてもらってシメご飯を割りスープとともに味わう。 POPの絵心も含め、毎週末の果敢なトライにはいつも楽しませてもらっているところ。 前回のPOPに書かれていた絵があまりにも楽しかったので、ラーメンよりも寧ろ今回どんな秋刀魚が描かれるのかについての興味があって足が向いたといっても差し支えないかもしれない。 で、なんの迷いも無く押す限定Aボタン。 今回は清湯ということなので、いつもやってもらうように完全タレヌキ状態+タレ別皿はヤメにしてもらって最初からタレ入りの標準状態で出してもらうことにした。 実はスープには秋刀魚のみならず、若干の豚骨やその他のもので調整をかけているとのことだが、味わってみるとコレがまたすすり込むたんびに秋刀魚の味わい、カホリがジンワリと口内・鼻腔に溢れかえる。 スープとは別取りしている秋刀魚オイルはちょっと過剰気味かな?と思えたが、「秋刀魚」を味とカホリでこれほどまでに押してくるラーメンを楽しめるのはアリガタイねぇ。 クルマのFMラジオから「この三連休は... 」と聞こえてくる土曜日の朝、午前は府内で業務。 仕事終わってさてどこ食べに行こうか考えてみるが、今日食べておきたいのは今日しかないメニュー。 で、結局モリンとこに足が向く。 しびれる感じの「麻」と、辛さの「辣」かぁ...。 いつぞや守山の「結」で食べたみたいなシビ辛爆弾炸裂バージョンだったらチョットかなんかなぁ〜、と思いつつ、 結局、ちう悶www 6時方向から時計回りにタマネギ・メンマ・バラロールチャーシュー・半熟煮玉子。 センターに花椒を絡めた肉味噌&水菜シャキシャキ。 「よーくかきまぜてから食べてください」と、モリン。 よーくかき混ぜてみると、鉢の底の潜む醤油ダレが麺と絡む。 ああ、去年の夏、京滋の幾つかのお店でキャンペーン張ってた「上海まぜそば」かコレ。 昨年、モリンとこで味わえなかったがラーメンにっこうで食べた記録が。 食感としては、あのときのウイング麺ムニュムニュとナッツがしがしの印象とは随分異なるが、モリンとこの森次朗で使われている麺はこのテのまぜそばで本領発揮する感じ。 恐れていた花椒のシビ辛感も極端なものではなく、自分としてはちょうどいい塩梅のところ「麻」と「辣」を楽しませてくれる。 麺を平らげた後、鉢にわずかに残るタレ。 あまりに美味いので残してしまうのがもったいなく、さりとて直接舐るのもお行儀悪いし、ご飯を追加注文し丼ダイブして〆。 (この場面、画像なし。 ) いやはや満足。 週末にモリンのツイート。 あの店舗でつけ麺を味わえるのは久しぶり。 これは行っとかなアカンやつかなと、行ってみた。 シャッターできず、もちろんポールも取れず、午後の時間になって訪れる。 いつになく客回転のペースが鈍い感じ。 クルマで行って2台の契約駐車場が空くのを待っていたらそれだけで40分かかっちまったいまあいいけど。 「加藤屋もり〜んの章」だった頃はレギュラーメニューにもあった「つけ麺」、ラーメンモリンにリボーン後はメニュー落ち。 だから、つけ麺自体が最近では珍しいところだが単につけ麺というだけではないようで、今回は麺になにやらオタノシミがある様子。 300gにしようかと思いつつ、麺量に圧倒されてもっちゃくれてしまうかもしれない気がして手堅く200gを選択。 数量限定ニクは貧乏なのでパス。 今回の麺、茹で時間がかなりかかるらしく、それなりに待つ。 客回転が鈍いと感じたのはこのためか。 それはそうと今回のつけ麺、 なんじゃこりゃあ!!! の線質感はもはや、ない。 さらに引っ張り出してみると、ソレは小麦の短冊というかなんというか... また、箸でたぐりにくいことたぐりにくいこと(笑) 一方、つけ汁の方は全く見事な煮干し醤油。 モリンが他のお客さんと喋っているのを耳ダンボで聞くに、イワシ・サンマ・タイ・アジの煮干しをふんだんに使って仕上げたらしい。 コレを引っ張って、つけ汁に... その幅の広さから、あたかもワンタンのようかな?と姿を見たとき思ったが、なんのなんの、ワンタンみたいなトゥルンとした食感ではない。 茹でたあと水で締めた結果、まさに小麦を噛み締めて味わう食感。 今回の麺、洛東フーズから切刃を通す前の状態のまま納入した麺帯を、モリン自身が一本一本7cm程度の幅に切ったそうだ。 食べている途中、ふと思い出したのは昔、新宿の「凪」で食べたラーメンの「具」として存在していた「一反木麺」。 しかし、アレはあくまで煮干しラーメンの中で太麺ワシワシを味わう途中、ひと時のアクセントとしての存在感。 この日のモリンのつけ麺は、麺全部がコレ。 圧倒的に面白い。 圧倒的に美味い。 圧倒的に食べにくい! 麺の後のスープ割り、煮干し聞きまくりのつけ汁に節感が追加されコレまた美味い。 メニュー表には何にも書いてはいなかったが割りスープにはシメご飯がもれなく付いてきた。 このシメご飯に割りスープかけていただくと、また美味ーい。 今回の限定での大胆なお遊び、秀逸でした。 前日のツイートを見て食べに行こうと決意。 それにしても暑い日。 この暑さのせいでか正午を少し過ぎた、ラーメン店としては昼営業のピーク時にしてはいつになく空いていた。 この日の券売機右側、限定メニュー告知コーナーの記述は非常に簡素。 「煮干し豚骨」とタイトルだけで、ホニャララをホニャララしてホニャララに仕上げましたぁ... とかいう説明は一切ナシ。 とはいえ、何の迷いもなく押した限定Bボタン。 週末限定を注文すると、いつもそうしてくれるように今回も元完全タレヌキスープのラーメンに、醤油ダレと煮干し油を別皿に入れて出してくれた。 券売機右側には特に何も説明はないが、今回の煮干し豚骨、豚骨と煮干しを一緒くたにして炊いたそうな。 ハナシだけきくと、そんなことしたら煮干しの苦味とエグ味が必要以上に出てしまって狙ったようなスープにならないんじゃないかという気もしたが、完全タレヌキ&アブラヌキのスープで味わうと、心配したような煮干しのネガは感じられず、まぁるい感じの粘度を伴う豚骨出汁に煮干しの旨味もふんだんに含まれている。 これに、醤油ダレと煮干し油を少しずつ足し持って味わうの、やっぱり楽しい。 麺をすすりながら、ココロはスープを味わっていた感じ。 帰り道、大津の街は地蔵盆の準備があちこちで。 土曜日になると、ほぼ毎週限定を出すモリンとこ。 それが楽しみでちょくちょく通うが、このところ「週末限定=豚骨」という感じだった。 だけど、今日は違う。 聞けば、毎月29日はニ・クということで、ニク山盛りの限定丼「県庁前ロック」販売の日。 一杯分で250gは余裕であるという山盛りのレアチャーシューにタマゴの黄身をトッピングしたというニク至上主義な丼。 これと豚骨出汁のラーメンとではサスガに重いだろうとの判断で、今回は煮干しメインでいくことにしたという。 また、週末限定とは別に店主もり〜んがこのお店の店主となった日を記念し、ラーメン一杯につき一回くじ引きのチャンスもある。 そのせいでか、開店時刻とともにあっという間に満員に(ハヤメニキテオイテヨカッタ)。 ラーメンと一緒に本日の限定丼「県庁前ロック」は、自分にはちょっと食べきれないだろうと判断し、注文はラーメンだけに。 クジも引かせてもらった。 引いた番号は発表があるまでナイショにしておこう。 また、クジとは別に、向こう一ヶ月半熟味玉or大盛り無料の「ご挨拶クーポン」の配布もあった。 さて、そういうわけで本日の「いつもとはちょ〜っとちがう煮干しの醤油」。 「いつも」との違いは煮干しの量と動物系ダシとのバランスとのこと。 本日の限定は煮干しの出汁9に対しブタの出汁1くらいで、煮干し感をドンと出したところに、さらに「いつも」の煮干し油に節の成分も加えた油をスープに込めたそうな。 チャーシューにはレギュラーメニューのラーメン用の豚バラと、本日の「県庁前ロック」の低温調理した肩ロース肉。 で、味わってみる。 なるほど、出てきた途端のカホリからして、物凄い煮干し感。 昔、新宿で食べたラーメン凪の、あの凄まじい煮干し感に匹敵するような煮干し感。 尤も、ラーメン凪のアレはかなりギタギタに煮た濁ったスープだったが今日のモリンはあくまで清湯。 …青森の、津軽の地ラーメンなんかが、こんな感じなのかしらん? 店主モリンは「青森のラーメンは食べたことありません」と言っていたけど。 帰り道、京津線80型の懐かしいカラーを見にまとった700型電車に出会う。 本日のラーメンも限定だけど、この塗色も期間限定。 そして、やがては京阪線一般車両のカラーに順次統一していく計画らしい。... ということは、石山坂本線のにぎやかなラッピング車両などもやがてなくなってしまうのかしらん? 年に一度は食べておきたいモリンの冷やし。 去年はなんだかんだで7月いっぱいで提供が終わってしまった。 あとから聞いた話によれば、今日の8月はイベント関係への出店が多く、そのために冷やしの仕込みまで追いつかなかったそうな。 さーて、今年はどうなるのかしらん?とにかく、メニューにあるうちに食っとけってことで。 そんなわけで、赤黒白の趣向をこらしたこの日の土曜限定濃厚豚骨はパスし、 押した「限定A」ボタン。 待つことしばし、出来上がってきた今年の冷やし。 ミョウガ・大葉よりも水菜がハバ利かしとるなぁ。 煮干しの効いた出汁、さらに煮干し油がほわんと香り、ひんやりした中で美味さを加速させる。 鶏チャーシューのしっとり感宜しく、メンマの匂い引き立ち、弾力ある麺をすすり、梅干しを突き崩しては爽やかな酸味を楽しみ... この季節ならではの味わい。 ふとみると、あのロバートからの、祝いの胡蝶蘭。 それにしても、何ゆえに「7ヶ月半」というタイミングなのかしらん??? 気ぜわしく過ぎた2017年前半。 気がつけばもう7月ではないか。 土曜日になればほぼ確実に週末限定をリリースするモリンとこ。 気軽に食べに行けるし、やっぱり気になる。 この日も開店時刻前に来てしもうた。 豚骨次朗とともに、あの「冷やしぶっかけ」もある!どっちも気になる。 「そういうときは二杯食い」とこの日のポールなヒトに勧められるが、 同行者と来ていたのでシェアすることにした。 で、自分が注文した豚骨次朗。 なにも言わなくてもタレは完全に別の器で出してくれる。 やはり、一時感じた脂っぽい重さは完全に脱却した感じで豚骨ダシがいい!また、ひところ感じたピーナツオイルのような感じも今回はさほどなく、いい感じの豚骨ダシ。 けれど、これだけの具材が乗る「次朗」を完全タレヌキで味わうのは、ちと辛いものがあり今回は早めのタレ投入。 ラーメンのスープには、タレは不可欠なのだ。 (何を今更そんな当たり前なことを) 「いつもの」森次朗の麺ではない、中太の縮れ麺。 わしっと、もちっと。 同行者注文の冷やし。 シェアするつもりが豚骨次朗にかかりっきりでコチラはちょこっとスープの味見をさせてもらうに止まった。 が、煮干しガツーンの「ああ、やっぱりコレ」な美味さ。 トータルで味わう時の梅肉や茗荷、大葉の爽やか感とともに味わう暑い季節ならではの幸福感。 またきっと、食べに来よう。 午前の業務を終えた帰り道。 専用駐車場が空いていたのでコレ幸いと寄る。 それにしても、この建物の2階3階部分って、どうなってるんだろうか? それはともかく、本日の週末限定。 「『完全出汁だけ』状態だと、いろんなパーツに分かれますが」と、本来なら提供時にスープに組み合わせる醤油ダレ、背脂、ニンニク、黒胡椒、そしてご飯が進むニラ醤油漬けを別皿で出してくれた。 で、ラーメンスープは完全豚骨出汁だけ状態からいただく。 スープに味付けの全くないところから味わうと、中太麺の灌水の香りがより明確に感じられたりしてやはり面白い。 (あ、麺の姿撮るの忘れてた)ニンニクは、ないよりあったほうが美味い。 (あとが臭いけど)背脂は、全部入れると重くなる気が。 黒胡椒を後から加えるとやはり変化するねぇ。 (当たり前かもだけど。 )やっぱり、パーツで味わうって、楽しいもんです。 第4土曜日は大津市地方公設卸売市場の朝市。 淡水の大きな湖はあれど、海水の海の無い滋賀で、とびきり新鮮な海の幸を安く買い求めることができる。 それはそうと、4月15日の黒味噌豚骨以来ちょっとご無沙汰だったモリンとこの土曜日限定。 が、アノ日は都合がつけられなかった。 アァ残念。 ということで、ちょっと久しぶりのモリンとこの土曜日限定、 この日は「和風豚骨」。 アハハ継続は力なり。 本日、唐揚げセットとともに注文。 唐揚げセットの食券、もはや素人には判読不可能な域。 注文の品が来る前に、何も言わずにサーブされてくる部品。 ちろっと舐めると、醤油感と、ほんのり酸味と。 そして、完全タレヌキの和風豚骨。 「『節割り』と言うとどこかと同じみたいに言われるので『節合わせ』にしましたって言ってます。 」とモリン。 声にして発音してみたら「不幸せ」みたいに聞こえてしまう。 が、味に関係ないわな。 ともすれば、どっしり鈍重な感じになってしまいがちなモリンの豚骨だが、今回のは節系和風出汁と組み合わせたのが功を奏したか、スッキリとしていて旨味は絶妙に乗っていて、タレヌキの元の味が実にいいバランス。 塩味醤油味抜きで、すでに十分美味い。 (といっても、それはあくまでタレヌキの、一般的には極めてバランスに欠けた味ですよ) ちょこっと、ちょこっと、タレを足し持ってスープの味のバランスの変化を楽しみつつ(自分でラーメンスープを調整する時のアレ... 久しくやってないけど)味わう。 豚骨に節系.. といえばとりあえずスガキヤかもだけど、スガキヤのスープよりもずーっと濃醇で深みのある味わいはどうよ。 前の時とは随分違う印象。 食べ終えて、深い満足感。 そして、湖国最強ジンジャーガーリックビシバシ、アッツアツカラーゲを齧るひととき。 同行者注文の煮干し醤油が、これまたニボ感満載で実に素敵であったり。 車のフロントにへばりつくビワコムシに、今年の大発生を実感したり。 カレンダーを見れば四月も早半ば。 今年の桜は長く楽しめていい。 それはそうと、この日のモリンとこの土曜日限定だ。 このところ連続して土曜になるとモリンとこだが、まあ、毎回何かしら面白いことをやってくれるのでつい足が向いてしまう。 そして今回は味噌仕掛け。 たまたまとなりあわせたプラネット氏はニクマシ、煮玉子マシでちう悶してたが、私はあくまでノーマル状態のやつをちう悶www モリンとこの限定では、その液体をパーツで味わいたい私に気を遣ってくれていつもは「タレヌキ」で作ってくれる。 が、今回は味噌仕立てなもんだから元の出汁と味噌が丼のなかで簡単には交ざらない。 というわけで今回はラーメンが出来上がる前に、今回の豚骨出汁を出してくれた。 この出汁単体で味わってみると、てろんとした濃密さとともにピーナッツのような味わいがはっきりわかった。 そして「黒味噌豚骨」の「黒」はマー油とかじゃなく、今回は「味噌」が「黒」ということで、こんな黒味噌を使うとのこと(わざわざ目の前に出してくれた)。 おおまかに、白味噌は関西。 赤味噌は東日本。 では黒味噌は... ?調べると色々出てくる。 それにしても、この味噌、今回の限定だけで使い切るのだろうか。 モリンとこのレギュラーメニューに、黒味噌を使うものって、あったっけ? して、出来上がり図。 なるほど汁が黒い。 さっきの豚骨出汁単体とはまるで違う(コレハアタリマエ)。 黒味噌と豚骨が組み合わさったスープは今回のメニュー表にも書いてある通りに黒味噌ちょっと濃いめ。 ゴハンが欲しくなる。 豚骨出汁も、もとからトロミがあるもんだからスープが麺にへばりつくように絡む。 これに水菜や斜めに刻んだネギのシャクシャクした感じが合う合うあ。 メンマ、以前にちょっと気になった水っぽさは改善された様子でけっこう濃い味のラーメンの中で一定のメンマ臭を放ち存在感がある。 煮玉子よろしく、今回の鴨チャーシュー、一見カタそうな見てくれながら実はしっとり仕上げてあってウマイ。 黒味噌というちょっと異色の今回の土曜限定、面白く味わった。 週末になって、やっとむかえた桜の盛り... けれどもあいにくの雨。 とはいえこの時期でしか見ることのできない光景がそこかしこにあるのでカメラ携え朝からブラブラしてみる。 昼はどうしようか?と考えつつも、結局来ちまうモリンとこの土曜日限定。 300gか、200gか。 持て余さずに確実に喰うなら200gかな?と思って、 「限定B」のボタンを押した。 「もり〜んの章」から「ラーメンモリン」にリボ〜ンしてから、「つけ麺」のラインナップはメニュー落ちしている。 今日は久しぶりに、いや「ラーメンモリン」としては初のつけ麺リリースとなるのかな? 麺の器には半熟煮玉子、ほうれん草、メンマ、豚バラチャーシュー。 そして豚骨の旨味をぎゅっと煮出した濃醇な出汁。 食べてみて、今回はこれが一番の華と感じた。 完全タレ抜き、タレ別皿の蒟蒻仕様で今回も出してくれた。 毎回書くことだが、こうして出してくれるとパーツごとの味がどうなのかをそれぞれに味わうことが出来て、やはり楽しい。 味付けされていない豚骨出汁だけで味わうと、ムテのつけ麺「無心」の豚骨出汁の記憶とはまた違う分厚い豚骨感を味わうことが出来た。 今回も別皿のタレと出汁をちょっとずつ掛け合わせ持って味わったが、つけ麺のつけ汁にありがちな「酸味のプラス」がなく(却ってその方がいいと思った)結局麺を啜り切ったあと、とりわけスープ割り用割りスープを注文するまでもなく汁の器を平らげてしまった。 素直に美味かったからだ。 んで、今回の麺はこんな感じ。 森次朗の麺を応用?つけ麺の麺としては十分な食感。 つけ汁の中に、豚バラ厚切りのチャーシューをオマケして入れてくれてた。 ホロっと柔らかく、ドロリンチョな豚骨出汁にまみれて美味いことウケアイ。 お店ではモリン店主と特にコトバを交わさなかったけど、美味しくいただき、非常に満足でした!おおきにっ! 麺300gでも、きっとヘーキで喰えたなぁ今回のつけ麺... サクラの開花情報では、ソメイヨシノはまだこれからだが某公園の早咲きハツミヨザクラは早くも散り初め。 この日、滋賀のオタ共は大挙して楠葉方面に押し寄せていたらしく滋賀にヲタ臭はあまり香っていない様子だった。 それはともかく、振り返ってみればラーメンモリンとしては2月11日に初の週末限定として「濃厚豚骨」とその具増し版な「豚骨次朗」を出していた。 で、今回も「豚骨次朗」ときた。

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