アンネ ナプキン 広告。 生理、月経、アンネ?

生理用品の進化は“タブー視”との闘いだった

アンネ ナプキン 広告

1961年に発売され、爆発的に売れた日本初の使い捨てナプキンが「アンネナプキン」だったからです。 日本ではそれまで、月経に対する不浄視や強い偏見が一般的にありました。 生理用品も、戦時中は物資不足から用意するのに苦労し、戦後も 蒸れる・かぶれる、黒いゴム製月経帯(生理帯)と脱脂綿の組み合せが一般的で 多くの働く女性が苦労を強いられていました。 しかしアンネ社の「40年間お待たせしました」というキャッチコピーとともに発信された 明るい雰囲気の先駆的なコマーシャルによってそれまで隠されてきた 「月経」という生理現象を当たり前のものとして世間に浸透させたのです。 そしていつしか生理を「アンネ」、その周期を「アンネの日」と呼ぶようになりました。 当時アンネ社の首脳が新発売する商品のネ-ミングをどうするか議論していた時、 社長の坂井泰子が販売課長の渡紀彦に「アンネの日記」を手渡したそうです。 彼はそれを読み即座に「アンネナプキン」を提案し社運を掛けることにしたとのこと。 アンネ社の首脳陣の心の琴線にふれたものはなにか・・・・。 ある意味ではうるさいことであっても、 心のなかでこの秘密を味わうときのくるのをいつも待ちこがれているのです」アンネの日記より それは若くしてこの世を去った13才4ヶ月のアンネが、純粋に女の「印」たる生理を成人への ステップとして受けとめ、「不浄」や「汚れ」といった暗い意識ではまったくなく澄み切った青空のように 透きとおった感情で見つめているその純粋な生理感に感動し、日本女性にも彼女のように考えて欲しい、 世間で「不浄」とされるイメージを払拭したいという気持ちが強くなったのだと思われます。 世間のイメージを払拭する為のキーワードとして「アンネ」というカワイイ響きの名前が一役かっていたのですね。 way-nifty. html.

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大塚清六

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その日も自信をもって白い服を着てください その日も立ち止まらないでください その日も心配なく眠りについてください その日も仕事に集中してください その日も私たちは輝かなきゃいけないから 既存のCMでよく見るフレーズだが、軽やかな言葉に反して女性たちは憂鬱そうな様子だ。 これらの様子が映しだされたPCを閉じた女性が「その日?その日って一体なんなの」とうんざりした表情で語る。 前半に登場した女性たちが「痛くてイライラする」「不安だ」「絶対に爽快じゃない」「何もしたくない」「それが生理だ」と語る。 オフィスのテーブルに投げられた休暇申請書には、「有給」にチェックが入っている。 「何もしなくても大丈夫。 それもまたあなたの選択」というフレーズのあと、商品が紹介される内容となっている。 これは生・理・ナ・プ・キ・ン広告です。 これは、生・理・帯(生理用ナプキン)広告です。 え?生理ナプキンと言うのが恥ずかしいですか? ちょっと! 生理は女性が1年で実に65日もある、とっても自然で日常的な出来事でしょう。 生涯使うナプキンは約1万6000個。 ナプキンに使うお金だけでも、なんと600万ウォン。 生理は青い血でもなく、白い服を着て跳ねる日でもないです。 普段の生活用品よりずっとたくさん使うナプキン。 だから今、このナプキンの広告も、これ以上言う必要はないでしょう。 ありのままに、正直に、しつこく見てみましょう。 こんな語り口で始まる映像は、ナプキンをカッターで切って中身を見せたり、マッチで燃やす様子を映し出し、以下の文句で締めくくられる。 世の中のどんな製品より、正直に、オープンに、念入りに比較しなければならないナプキン。 自分の体のために一番大切な決定は「ナトラケア」。 によると、『』を書いたパク・イウンシル氏は「純粋」「清純」「清らかな」「白い」などのイメージがメインで、広告モデルも30〜40代の女性より社会経験が多くない20代前半が主にモデルとして登場してきたことについて「男性たちが要求する女性像を徹底して反映する戦略」と指摘している。 パク・イウンシル氏は同著で「月経タブーは性別分業が明確な社会で強調される傾向があり、女性と男性が多様な活動を平等にする社会では強調されない傾向がある」「女性の体は覆われ(ベール)、閉ざされ(貞操帯)、鋳物の枠に入れられ(コルセット)、ゆがめられ(纏足)、造形され(整形)、時には人間を生産するための道具(代理母)として使われてきた」と分析している。 から編集・翻訳・加筆しました。

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アンネナプキン

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生理用ナプキンがなかった時代 今年8月、「ミチカケ」オープンに先立つトークイベントに出演するため大丸梅田店を訪れた私は、エスカレーターから見えた光景に圧倒されました。 売場のど真ん中に、各種生理用ナプキン、タンポン、月経カップなどが、個装から取り出され、むき出しの状態でディスプレイされていたのです。 それは、生理用品セレクトショップ「illuminate(イルミネート)」のポップアップショップでした。 トークイベント終了後、ショップで商品を手に取りながら、販売員さんたちと語らう女性たちの姿を見た私は、今から58年前の11月11日に、やはり大阪の百貨店に「新しい生理用品」を求めてやってきた女性たちの姿を思い浮かべました。 illuminateポップアップの様子 1960年代に生理用ナプキンが普及するまで、日本の女性たちは経血処置に脱脂綿を使っていました。 脱脂綿をあて、防漏性のある黒いショーツを穿くのですが、この方法では脱脂綿がずれたり転がり落ちたりすることがあり、服を汚してしまうことも珍しくありませんでした。 また、防漏ショーツは蒸れるため、かゆみやただれといった皮膚トラブルも生じやすかったのです。 よりよい生理用品を求め、アメ横などでアメリカ製の「コーテックス」を購入し、使っている女性たちもわずかながらいました。 これは、「パッド」(紙綿)を「テックス」(ガーゼ)で包んだものを、腰に巻いたベルトに吊るすタイプの生理用品で、「テックス」と「パッド」の部分が使い捨てになっていました。 脱脂綿よりは快適だったようですが、日本人女性の身体のサイズに合っていないこと、値段が高いことが難点でした。 「女性たちに自由で快適な生活を」 「コーテックス」を使用していた女性のなかに、生理用ナプキンの産みの親となる坂井泰子(さかいよしこ)さんがいました。 坂井さんは大学を卒業して間もなく結婚し、一旦専業主婦となりますが、その後、発明家と企業を仲介する「発明サービスセンター」を起こします。 センターには、全国からたくさんの考案が寄せられ、そのなかに、「脱脂綿によるトイレの詰まりを防ぐため、排水口に網を張る」という考案がありました。 当時(1960年頃)、日本では都市を中心に、水洗トイレが普及しつつありました。 ところが、経血処置に使用した脱脂綿を、それまでの汲み取り式と同じ感覚で便器に捨ててしまうと、水洗トイレは詰まってしまうのです。 坂井さんは、トイレに網を張るよりも、脱脂綿に替わる「水に流せる生理用品」を開発すればよいのだ、とひらめきました。 そもそも坂井さんは、女性たちの多くが毎月生理を経験しているにも関わらず、経血処置の方法が改善されないことに、歯がゆさを感じていたのです。 生理中であっても、女性たちが自由で快適な生活を送れるような生理用品を作ろう、と決心した坂井さんは、まず会社を起こすための出資者を探しますが、「女のシモのものでメシが食えるか」と軒並み断られてしまいます。 唯一、首を縦に振ってくれたのが、ミツミ電気(当時)社長の森部一(もりべはじめ)さんでした。 森部さんは坂井さんにこう言います。 「私の判断では、この生理用品の市場は、あなた方が考えているより、実はもっともっと大きい。 私は、社会に貢献できるものなら、必ず売れるという確信をもっている。 私は、あなた方が社会に奉仕できる、貢献できるという観点からこの事業を始めるのなら応援しましょう」(渡紀彦『アンネ課長』) こうして森部さんは、資本金1億円を出資してくれました。 ちなみにこのとき森部さんは31歳、坂井さんは27歳でした。 生理用ナプキンの出発点には、「女性たちに自由で快適な生活を」という坂井さんの強い思いや、それが「社会貢献」になるという森部さんの強い信念があったのです。 「大丸は午前中で200個全部売れた」 資金をもとに会社が設立され、工場も建設されましたが、ナプキンの生産ラインはこれまでに例がないため、ミツミ電機の電気部品の生産ラインをモデルに造られました。 試作品ができると、新聞紙上で募ったモニターの女性たちに試してもらい、聞き取りを行いました。 それを何回も繰り返した結果、現在のナプキンの原形となる「アンネナプキン」が完成したのです。 「アンネナプキン」の発売予定日は1961年10月1日と決定されたのですが、生産ラインの不調で、商品生産が間に合わず、11月11日に延期されました。 しかしそれでも生産が間に合わず、発売予定日の前日になっても、各問屋に予定入荷数の半分も入っていないという状況でした。 宣伝の都合もあり、これ以上発売日を延期することはできなかったのですが、問屋からは入荷が半分では無理だと強硬に反対されました。 結局、東京では発売を見合わせながら、大阪では一部で発売するということになりました。 そして発売当日の11月11日。 東京にいた坂井さんのもとに、大阪の各百貨店から「アンネナプキン売り切れました」という報告が相次ぎます。 まったく新しいタイプの生理用品が果たして女性たちに受け入れられるのかどうか不安だった坂井さんが、その報告にどれほど勇気づけられたことでしょう。 アンネナプキン発売時の広告 そのなかに、「大丸は午前中で200個全部売れた」(渡紀彦『アンネ課長』)という報告もありました。 当時はまだ梅田店はありませんから別の店舗ですが、大丸はアンネナプキンの発売時にも積極的に関わったことがうかがえます。 大阪での売れ行きに引っ張られるように、東京でも発売が決定され、結局発売1日目で問屋入荷分の9割が売れてしまいました。 その後もアンネナプキンは爆発的に売れ続け、後続会社も多数生まれました(その中には、水に流せないナプキンを発売する会社もあったため、ナプキンは一律水洗禁止となりました)。 短期間で日本の女性の生理用品は、脱脂綿からナプキンへと変わっていきます。 女性たちはナプキンを味方に、高度経済成長期の社会へと進出していきました。 今夏、「illuminate」のポップアップショップに集った女性たちを見た私は、アンネナプキンが大阪の百貨店でデビューしたときも、きっとこんな感じだったのだろうと感慨に浸りました。 女性たちは商品を手に取りながら、販売員さんたちと生理や生理用品について、和気藹々と語っていました。 それは、ふだん生理について語ったり、質問したりする機会が少ないからではないでしょうか。 女性たちが気楽に足を運び、性や生について考え、専門的な情報も得ることができるような場所が必要だと感じました。 プロフィール: 田中 ひかる 1970年東京生まれ。 歴史社会学者。 著書に『月経と犯罪 女性犯罪論の真偽を問う』(批評社)、『「オバサン」はなぜ嫌われるか』(集英社新書)、『「毒婦」 和歌山カレー事件20年目の真実』(ビジネス社)、『生理用品の社会史』(角川ソフィア文庫)など。 HP:.

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