ただ まさし。 7度目逮捕の田代まさし、ダルク脱会していた…『バリバラ』出演後に出演オファー拒否の事情

楽天ブックス: 存在理由〜Raison d'etre〜

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ということで、さだまさしの名盤を紹介しようと考えたわけだが、ソロデビューから44年目、本作が通算42枚目(!)と多岐に渡るため、正直言って全ての作品を吟味することはできないわけで、シングルヒットを連発していた作品から『私花集』をチョイスさせてもらった。 この時期のさだまさし(というか、この時期のフォーク、ニューミュージック)はネガティブなキーワードで語られることが多かったのだが、今このアルバムを聴いてみると、どうしてそのように形容されたのか不思議でならない。 バラエティーに富んだ傑作であることをまず記しておこう。 そういう人は、氏がヒット曲を連発していた1970年代後半にさだまさしを適当に聴き流していたか、あるいはほとんど聴いてなかった人が何となくそう思っているのだと想像する。 いや、ほぼそうだと断定して間違いないのではないかと思う。 結論から先に言っておくが、さだまさしの音楽は暗くはない。 氏自身もそこには自覚的らしく、先日出演したラジオ番組で以下のように笑い飛ばしていた。 「さだまさしってヒット狙いで歌っていると思った人もあったみたいで、随分誤解されたんですけどね。 世の中が不況になる度に僕、話題にしてもらえるんですよ。 辛い時には暗い歌がいいですから。 なんか最高ですよ。 さだまさし、中島みゆき、山崎ハコは三大暗い歌大会。 レコードデビュー45周年を超え、そろそろ50周年に手が届こうかというベテラン中のベテランらしい、ユーモアを交えたコメントには余裕が感じられる。 コンサート回数は4000回以上と、公演を行なう毎に日本記録を更新するリビングレジェンド。 また、氏は1970年代からラジオ深夜放送のパーソナリティを務め、その精神を受け継いだと言えるNHKのバラエティー番組『今夜も生でさだまさし』を現在も継続中である。 流石にそのトーク力は常に絶品なのである。 ただ、そんなさだまさしも当時のレッテル貼りには辟易していたようで、同ラジオ番組ではこんなことも語っていた。 氏が企画・監督を務め、1981年に公開されたドキュメンタリー映画『長江』について話した件において、である。 ほんと、日本のマスコミの一部ってどこか変だと思いましたよ」。 笑いを挟みながら話してはいたし、それは決して怒気を孕んだ感じではなかったが、こうして文字にしてみると、その時の氏の体験が強烈だったことを察することができる。 氏の最大のヒット曲である「関白宣言」(1979年7月発売)は歌詞もコミカルでメロディーも明るいし、12分30秒とというその演奏時間の長さから当時はかなり珍しかった12インチシングルで発売された「親父の一番長い日」(1979年10月)は物語性のあるナンバーで、悲哀だけが前面に出たものではなかった。 「道化師のソネット」(1980年2月)はサビメロにはさわやかさすら感じる楽曲だ。 「防人の詩」(1980年7月)は上記でさだ氏自身がギャグっぽく語っていた通り、《海は死にますか 山は死にますか/春は死にますか 秋は死にますか/愛は死にますか 心は死にますか》がリピートされるわけだから、明るく見えないのは当たり前だが、モチーフは『万葉集』に基づいたものだと言うし、そもそも映画『二百三高地』主題歌としてその音楽監督であった山本直純氏から依頼されたものであったというから、それを以てさだまさしを暗いだ何だというのはお門違いと言うものであろう。 ちなみに「道化師のソネット」も映画『翔べイカロスの翼』主題歌であり、さだ氏自身が主演と音楽監督を務めており、この頃すでにシンガーソングライターの枠に留まらず、多岐に活動を繰り広げていた。 さだ氏が語っていた通り、当時の日本のマスコミは(その一部ではあったのだろうが)は確実に変だったと言える。 汎用性ある旋律と多様性あるサウンド 今回3rdアルバム『私花集』を聴いて、その想いは確信に変わった。 収録曲を順番に見て行こう。 M1「最后の頁」。 歌メロはポップスとして十二分なメロディアスさで、内容はロストラブソングではあろうが、さわやかさすら感じるところである。 「最后の頁」はに提供した楽曲(「秋桜」のカップリング曲「最後の頁」)のセルフカバーなので、百歩譲ってもともとは山口百恵用だったと考えれば、これは本来のさだまさしっぽさではないのではないか…とかなり底意地の悪い見方ができるかもしれないので、それはそれとして次に行く。 M2「SUNDAY PARK」である。 フォークっぽさは否めないものの、とても汎用性が高いメロディーラインだし、流石にシティポップス…とまでは言わないが、サックスを取り入れたサウンドはAORっぽい作りである。 M3「檸檬」はそのサウンドも含めてまさしくエレジーと言った面持ち。 その物悲しい雰囲気からして、明るいか暗いかと言えば後者に分けられるだろう。 ただ、サビメロにはある種の力強さを湛えており、単にダークなだけでない独特の世界観があるナンバーである。 「檸檬」はシングルでもリリースされており、こちらの方にはザラっとしたエレキギターが配されていたりして、ロックな印象に仕上がっていて興味深い。 M4「魔法使いの弟子」はブルース。 そうは言ってもストリングスが厚めなので、所謂ブルース臭さみたいなものは消えているけれど、ギター、鍵盤も完全にそれっぽい。 娘に寝物語をするような内容からすると、あまり泥臭くなり過ぎないような配慮があったのかもしれないが、根底にはしっかりブルージーさがある。 M5「フェリー埠頭」はM2以上にAOR的と言えるだろう。 イントロで左右に触れる鍵盤。 渋めのエレキギター。 アーバンなのかシティなのかは知らないけれど、そんな匂いがする。 メロディーは明るくはないし、かと言って暗いというわけでもない絶妙なところを進むが、そこがまたここで歌われている揺れる想いを表しているようでとてもいい。 アナログ盤はここでA面が終わり、次曲からB面となる。 M6「天文学者になればよかった」はB面のオープニングだっただけあって、サウンドはここでポップに一変。 調子に乗ってさらに言えば、さだまさしの地声が甲高いこともあって、楽曲全体は1990年代の渋谷系っぽい雰囲気すら感じさせる。 M7「案山子」は伝統的フォークソングと言えるだろうか。 ギターの動きもそうだが、メロディー展開がA、Bの繰り返しというのは洋楽的だ(Bメロは和風っぽさもあるので、その内容も含めて考えると、これは和魂洋才と言えるものなのかもしれない)。 M8「秋桜」は、山口百恵Ver. の発売が1977年だから、今や山口百恵の楽曲と認識しているリスナーも少なくなっただろうが、これもセルフカバー。 こちらは山口百恵Ver. とは異なった[フォークソング調のアレンジが施されている]という([]はWikipediaからの引用)。 2番からは鍵盤やリズムも加わるものの、基本はアコースティックギターとバイオリン中心というシンプルな構成は、確かに地味と言えるだろうが、どちらかと言えば抑制の効いたサウンドと言うべきだろう。 オリジナルから40数年も経ち、当時に比べてJ-POP、J-ROCKも多様性を増した今となっては、M8「秋桜」はいわゆるビジュアル系の楽曲のイントロにもありそうなアルペジオではあって、個人的には簡単にフォーキーと片付けられないものではあると思う。 M9「加速度」はその作編曲者である渡辺俊幸氏が公言している通り、明らかにThe Beatlesを意識したサウンドである。 『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』であり、『Let It Be』である(ということはPhil Spector的でもある)。 メロディーはマイナー調だが、そのバンドサウンドが世界観全体に緊張感を注いでいる。 M10「主人公」はノスタルジックでありつつ、ドラマチックな展開を持つミッドバラード。 サビの壮大さはフィナーレを飾るに相応しいし、その雰囲気は、どこまで意識していたのかは分からないけれども、やはりThe Beatlesの『Sgt. Pepper's 〜』における「A Day In The Life」のようである。 ヘヴィメタルやEDMのような派手さがないのは当たり前だが、緩めのテンポばかりじゃないし、メロディー、サウンドもダークなものばかりではないわけで、これを以て暗いと言ったら、明るい音楽は一部のダンスミュージックとかメジャーキーのアイドルソングに限られることになってしまう。 《寂しかないか お金はあるか/今度いつ帰る》(M7「案山子」)。 《明日の嫁ぐ私に 苦労はしても/笑い話に時が変えるよ/心配いらないと 笑った》(M8「秋桜」)。 M7「案山子」では兄から弟への問いかけであることと、その物理的距離感が分かるし、M8「秋桜」に母娘の関係性ばかりか、母親の半生すらも垣間見えるようだ。 この辺は本作に限った話ではなく、さだ作品には多数あるはずなので、本作を含めてあれこそ探るのも楽しいと思う。 今回、『私花集』を聴いて個人的に興味を抱いたのはM6「天文学者になればよかった」である。 《これほど設計の才能がないなら/天文学者をめざせばよかったよ/バミューダの謎や/ピラミッド・パワーに/未確認飛行物体との接近遭遇等々 コンタクト /それから 新しいすい星に/自分の名を付けてしまおう/そうさそれが僕に 一番お似合の/すてきな仕事じゃないか/星の数かぞえて/夢の数かぞえて/恋人はそう アンドロメダ》(M6「天文学者になればよかった」)。 《未確認飛行物体との接近遭遇》というフレーズがある通り、M6「天文学者になればよかった」は映画『未知との遭遇』の影響下にあったことは明白である。 調べてみたら、『未知との遭遇』の日本公開は1978年2月25日で、『私花集』は1978年3月25日発表であった。 ということは、曲作り期間、レコーディング期間を考えると、『未知との遭遇』を観てからM6「天文学者になればよかった」を制作したとは考えられない。 もちろん、M6「天文学者になればよかった」で描かれているのは宇宙人に出遭う物語ではないので、テーマが通底していると言うのが正確だろうが、Steven Spielbergがフィルムに落とし込んだスピリッツに近い匂いがする。 『未知との遭遇』の米国での公開は1977年11月16日だったそうだから、さだ氏が本国で観た可能性はあるし、小説版を読んだのかもしれないけれど(そんなものがあったかどうか知らないけれど)、個人的には、音楽と映画、日本と米国とジャンルや出自は異なっても、クリエイターの抱く夢、考えるストーリーは似て来るものだと感じて、極めて興味深かった。 TEXT:帆苅智之 アルバム『私花集』 1978年発表作品 <収録曲> 1. 最后の頁 2. SUNDAY PARK 3. 檸檬 4. 魔法使いの弟子 5. フェリー埠頭 6. 天文学者になればよかった 7. 案山子 8. 秋桜 9. 加速度 10. 主人公.

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さだまさしが暗いなんて誰が言った!?『私花集』はバラエティ豊かな大傑作 | ガジェット通信 GetNews

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ということで、さだまさしの名盤を紹介しようと考えたわけだが、ソロデビューから44年目、本作が通算42枚目(!)と多岐に渡るため、正直言って全ての作品を吟味することはできないわけで、シングルヒットを連発していた作品から『私花集』をチョイスさせてもらった。 この時期のさだまさし(というか、この時期のフォーク、ニューミュージック)はネガティブなキーワードで語られることが多かったのだが、今このアルバムを聴いてみると、どうしてそのように形容されたのか不思議でならない。 バラエティーに富んだ傑作であることをまず記しておこう。 そういう人は、氏がヒット曲を連発していた1970年代後半にさだまさしを適当に聴き流していたか、あるいはほとんど聴いてなかった人が何となくそう思っているのだと想像する。 いや、ほぼそうだと断定して間違いないのではないかと思う。 結論から先に言っておくが、さだまさしの音楽は暗くはない。 氏自身もそこには自覚的らしく、先日出演したラジオ番組で以下のように笑い飛ばしていた。 「さだまさしってヒット狙いで歌っていると思った人もあったみたいで、随分誤解されたんですけどね。 世の中が不況になる度に僕、話題にしてもらえるんですよ。 辛い時には暗い歌がいいですから。 なんか最高ですよ。 さだまさし、中島みゆき、山崎ハコは三大暗い歌大会。 レコードデビュー45周年を超え、そろそろ50周年に手が届こうかというベテラン中のベテランらしい、ユーモアを交えたコメントには余裕が感じられる。 コンサート回数は4000回以上と、公演を行なう毎に日本記録を更新するリビングレジェンド。 また、氏は1970年代からラジオ深夜放送のパーソナリティを務め、その精神を受け継いだと言えるNHKのバラエティー番組『今夜も生でさだまさし』を現在も継続中である。 流石にそのトーク力は常に絶品なのである。 ただ、そんなさだまさしも当時のレッテル貼りには辟易していたようで、同ラジオ番組ではこんなことも語っていた。 氏が企画・監督を務め、1981年に公開されたドキュメンタリー映画『長江』について話した件において、である。 ほんと、日本のマスコミの一部ってどこか変だと思いましたよ」。 笑いを挟みながら話してはいたし、それは決して怒気を孕んだ感じではなかったが、こうして文字にしてみると、その時の氏の体験が強烈だったことを察することができる。 氏の最大のヒット曲である「関白宣言」(1979年7月発売)は歌詞もコミカルでメロディーも明るいし、12分30秒とというその演奏時間の長さから当時はかなり珍しかった12インチシングルで発売された「親父の一番長い日」(1979年10月)は物語性のあるナンバーで、悲哀だけが前面に出たものではなかった。 「道化師のソネット」(1980年2月)はサビメロにはさわやかさすら感じる楽曲だ。 「防人の詩」(1980年7月)は上記でさだ氏自身がギャグっぽく語っていた通り、《海は死にますか 山は死にますか/春は死にますか 秋は死にますか/愛は死にますか 心は死にますか》がリピートされるわけだから、明るく見えないのは当たり前だが、モチーフは『万葉集』に基づいたものだと言うし、そもそも映画『二百三高地』主題歌としてその音楽監督であった山本直純氏から依頼されたものであったというから、それを以てさだまさしを暗いだ何だというのはお門違いと言うものであろう。 ちなみに「道化師のソネット」も映画『翔べイカロスの翼』主題歌であり、さだ氏自身が主演と音楽監督を務めており、この頃すでにシンガーソングライターの枠に留まらず、多岐に活動を繰り広げていた。 さだ氏が語っていた通り、当時の日本のマスコミは(その一部ではあったのだろうが)は確実に変だったと言える。 汎用性ある旋律と多様性あるサウンド 今回3rdアルバム『私花集』を聴いて、その想いは確信に変わった。 収録曲を順番に見て行こう。 M1「最后の頁」。 歌メロはポップスとして十二分なメロディアスさで、内容はロストラブソングではあろうが、さわやかさすら感じるところである。 「最后の頁」はに提供した楽曲(「秋桜」のカップリング曲「最後の頁」)のセルフカバーなので、百歩譲ってもともとは山口百恵用だったと考えれば、これは本来のさだまさしっぽさではないのではないか…とかなり底意地の悪い見方ができるかもしれないので、それはそれとして次に行く。 M2「SUNDAY PARK」である。 フォークっぽさは否めないものの、とても汎用性が高いメロディーラインだし、流石にシティポップス…とまでは言わないが、サックスを取り入れたサウンドはAORっぽい作りである。 M3「檸檬」はそのサウンドも含めてまさしくエレジーと言った面持ち。 その物悲しい雰囲気からして、明るいか暗いかと言えば後者に分けられるだろう。 ただ、サビメロにはある種の力強さを湛えており、単にダークなだけでない独特の世界観があるナンバーである。 「檸檬」はシングルでもリリースされており、こちらの方にはザラっとしたエレキギターが配されていたりして、ロックな印象に仕上がっていて興味深い。 M4「魔法使いの弟子」はブルース。 そうは言ってもストリングスが厚めなので、所謂ブルース臭さみたいなものは消えているけれど、ギター、鍵盤も完全にそれっぽい。 娘に寝物語をするような内容からすると、あまり泥臭くなり過ぎないような配慮があったのかもしれないが、根底にはしっかりブルージーさがある。 M5「フェリー埠頭」はM2以上にAOR的と言えるだろう。 イントロで左右に触れる鍵盤。 渋めのエレキギター。 アーバンなのかシティなのかは知らないけれど、そんな匂いがする。 メロディーは明るくはないし、かと言って暗いというわけでもない絶妙なところを進むが、そこがまたここで歌われている揺れる想いを表しているようでとてもいい。 アナログ盤はここでA面が終わり、次曲からB面となる。 M6「天文学者になればよかった」はB面のオープニングだっただけあって、サウンドはここでポップに一変。 調子に乗ってさらに言えば、さだまさしの地声が甲高いこともあって、楽曲全体は1990年代の渋谷系っぽい雰囲気すら感じさせる。 M7「案山子」は伝統的フォークソングと言えるだろうか。 ギターの動きもそうだが、メロディー展開がA、Bの繰り返しというのは洋楽的だ(Bメロは和風っぽさもあるので、その内容も含めて考えると、これは和魂洋才と言えるものなのかもしれない)。 M8「秋桜」は、山口百恵Ver. の発売が1977年だから、今や山口百恵の楽曲と認識しているリスナーも少なくなっただろうが、これもセルフカバー。 こちらは山口百恵Ver. とは異なった[フォークソング調のアレンジが施されている]という([]はWikipediaからの引用)。 2番からは鍵盤やリズムも加わるものの、基本はアコースティックギターとバイオリン中心というシンプルな構成は、確かに地味と言えるだろうが、どちらかと言えば抑制の効いたサウンドと言うべきだろう。 オリジナルから40数年も経ち、当時に比べてJ-POP、J-ROCKも多様性を増した今となっては、M8「秋桜」はいわゆるビジュアル系の楽曲のイントロにもありそうなアルペジオではあって、個人的には簡単にフォーキーと片付けられないものではあると思う。 M9「加速度」はその作編曲者である渡辺俊幸氏が公言している通り、明らかにThe Beatlesを意識したサウンドである。 『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』であり、『Let It Be』である(ということはPhil Spector的でもある)。 メロディーはマイナー調だが、そのバンドサウンドが世界観全体に緊張感を注いでいる。 M10「主人公」はノスタルジックでありつつ、ドラマチックな展開を持つミッドバラード。 サビの壮大さはフィナーレを飾るに相応しいし、その雰囲気は、どこまで意識していたのかは分からないけれども、やはりThe Beatlesの『Sgt. Pepper's 〜』における「A Day In The Life」のようである。 ヘヴィメタルやEDMのような派手さがないのは当たり前だが、緩めのテンポばかりじゃないし、メロディー、サウンドもダークなものばかりではないわけで、これを以て暗いと言ったら、明るい音楽は一部のダンスミュージックとかメジャーキーのアイドルソングに限られることになってしまう。 《寂しかないか お金はあるか/今度いつ帰る》(M7「案山子」)。 《明日の嫁ぐ私に 苦労はしても/笑い話に時が変えるよ/心配いらないと 笑った》(M8「秋桜」)。 M7「案山子」では兄から弟への問いかけであることと、その物理的距離感が分かるし、M8「秋桜」に母娘の関係性ばかりか、母親の半生すらも垣間見えるようだ。 この辺は本作に限った話ではなく、さだ作品には多数あるはずなので、本作を含めてあれこそ探るのも楽しいと思う。 今回、『私花集』を聴いて個人的に興味を抱いたのはM6「天文学者になればよかった」である。 《これほど設計の才能がないなら/天文学者をめざせばよかったよ/バミューダの謎や/ピラミッド・パワーに/未確認飛行物体との接近遭遇等々 コンタクト /それから 新しいすい星に/自分の名を付けてしまおう/そうさそれが僕に 一番お似合の/すてきな仕事じゃないか/星の数かぞえて/夢の数かぞえて/恋人はそう アンドロメダ》(M6「天文学者になればよかった」)。 《未確認飛行物体との接近遭遇》というフレーズがある通り、M6「天文学者になればよかった」は映画『未知との遭遇』の影響下にあったことは明白である。 調べてみたら、『未知との遭遇』の日本公開は1978年2月25日で、『私花集』は1978年3月25日発表であった。 ということは、曲作り期間、レコーディング期間を考えると、『未知との遭遇』を観てからM6「天文学者になればよかった」を制作したとは考えられない。 もちろん、M6「天文学者になればよかった」で描かれているのは宇宙人に出遭う物語ではないので、テーマが通底していると言うのが正確だろうが、Steven Spielbergがフィルムに落とし込んだスピリッツに近い匂いがする。 『未知との遭遇』の米国での公開は1977年11月16日だったそうだから、さだ氏が本国で観た可能性はあるし、小説版を読んだのかもしれないけれど(そんなものがあったかどうか知らないけれど)、個人的には、音楽と映画、日本と米国とジャンルや出自は異なっても、クリエイターの抱く夢、考えるストーリーは似て来るものだと感じて、極めて興味深かった。 TEXT:帆苅智之 アルバム『私花集』 1978年発表作品 <収録曲> 1. 最后の頁 2. SUNDAY PARK 3. 檸檬 4. 魔法使いの弟子 5. フェリー埠頭 6. 天文学者になればよかった 7. 案山子 8. 秋桜 9. 加速度 10. 主人公.

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『にゃんぱく宣言』はどうできた? さだまさしさん作詞・作曲、ACジャパンのCMが話題にゃ〜

ただ まさし

田代は追起訴と同時に保釈され、同誌によれば、12月末に千葉で行われた知人のミュージシャン主催の忘年会に出席した。 その場で田代は12月に麻薬取締法違反の罪で起訴された女優、沢尻エリカを念頭に「見た目も時期も似てるんで、勘違いしてる人がいるかもしれませんが、私、 沢尻エリカじゃありませんからね!」とブラックジョークを飛ばしたという。 顔は少しふっくらした印象はあるものの、トレードマークのちょびひげは健在。 現在は茨城県内にある更生施設に入所したという。 幾多の薬物事件を起こしており、今回も実刑判決は確実で懲役3~4年とみられる。 「通所していた薬物依存症リハビリ施設の日本ダルクは昨年夏頃に退会。 大きな後ろ盾を失いました。 3~4年後に出所しても、今までより一層自立と自律の両方を求められます。 公共放送であるNHKの番組に出演したことで注目された。 「NHKの番組に起用されたことで、少しずつメディアにも露出していくかと思われ、実際に水面下でオファーする媒体もありました。 ですが、田代とダルク側は『出演はあれ(=『バリバラ』)きり。 もう断っています』とけんもほろろでした。 今思えば、当時から再犯発覚の恐れを危惧して『バリバラ』以降、露出しなかったのかもしれません。 あの時に田代もメディアとルートを構築できれば、次につながる意味でもよかったのですが」(出版関係者) もはや、服役後に出所したとしてもニュースとして小さくしか扱われず、話題にならないかもしれない。 薬物依存からの更生は周囲のサポートが不可欠。 (文=編集部).

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