田沢湖 水深。 2020年 角館・田沢湖で絶対外せない!おすすめ観光スポット&ランキング│観光・旅行ガイド

第3回森の学校 玉川水系酸性水の状況に学ぶ

田沢湖 水深

田沢湖カルデラの地形図 秋田県の中東部に位置する。 円形で直径は約6km、最大深度は423. 4mで日本第1位(第二位は、第三位は)、世界では17番目に深い湖である。 世界で最も深い湖であるに準えて「日本のバイカル湖」とも呼ばれる。 湖面標高は249mであるため、最深部の湖底は海面下174. 4mということになる。 真冬でも湖面が凍り付くことはない。 流入河川は小規模な沢しかなく、豊富な水量は湖底の湧水が支えているものと考えられている。 流出河川は西部の潟尻川で、・を経て雄物川に合流する。 人工の水路としては、北部に玉川からを経由する流入路、北東部に先達川(玉川支流)からの流入路、南東部にを経由して玉川への流出路が存在する。 成因 [ ] 過去には隕石クレーター説なども検討されたことがあるが、調査の結果、180万年前から140万年前の爆発的噴火によるカルデラとの説が有力である。 しかし田沢湖の容積分の噴出物がどこに行ったのかが未解決の問題として残されており 、田沢湖をカルデラと呼ぶかどうかは専門家の間でも意見が分かれるところである。 なお、湖底には辰子堆(比高100-300 m)と振興堆(比高250 m)の2つのがあることが分かっている。 歴史 [ ] 古くから漁業が行われ、(5年)には固有種であるに関する最古の記述が出ており、主のおよび分家の佐竹北家(角館佐竹家)の献上品として利用されてきた。 明治期末から田沢湖でクニマスの孵化放流事業も試みられ、(昭和10年)には約8万8千匹の漁獲高があったという。 戦時体制下の(昭和15年)、食糧増産と電源開発計画のために湖水を発電用水・農業用水として利用しようと、近くを流れる玉川からpH1. 1という国内屈指の強酸性の源泉を含んだ水を湖に導入する水路が作られた。 魚の絶滅を心配する声は当時もあったが、住民が国策に反対できる時代ではなく、約70人いた漁師はわずかな補償金と引き換えに漁業の職を失い、ほとんどの魚類が数年で姿を消した。 その後酸性化が進み、玉川下流の農業用水の被害も深刻になったため、県は玉川温泉の水を中和する施設の設置を国に要望し、10月に中和施設が完成した。 これによって湖面の水質は中性化していったが、今なお湖全体の水質回復には至っていない。 水深測定 [ ] 田沢湖が深い湖である事は昔から知られていたが、初めて測定されたのは(42年)、のが麻縄に重りをつけ沈めて、397mを記録した時だった。 翌年、秋田県水産試験場が同様に413m、(大正15年)にはがワイヤーロープで425mを記録した。 (昭和12年)から3年間行われたの調査では大まかな地形が明らかになった。 湖底には2つの小火山丘があり、湖底平坦部の北西寄りに位置する直径約1kmのものを振興堆、南岸近くの直径約300mのものを辰子堆と命名した。 水質 [ ] かつては火山性・ミネラル分の高い水質と流入河川の少なさのため、(6年)の調査ではに迫る31mのがあり、水産生物も豊富であった。 しかし、の建設と農業振興()のために(昭和15年)1月20日から導入した玉川の水は、源流のひとつであるが源泉時点で1. 1、流入時点で pH3. 3〜3. 5程度 という強の水であり(と呼ばれる )、導入から約7年後の田沢湖は pH 5. 0~5. 5、約8年後には pH 4. 3~5. 3 へと酸性化が進行した。 酸性水を導入した結果、水力発電所施設の劣化も促進されたほか、農業用水も酸性化し稲作に適さなくなったため、農業用水(田沢疎水)の取水位置の変更や取水用水の中性化も行われた。 (昭和47年)からを使った本格的な中和処理が始まり、(3年)には抜本的な解決を目指してが本運転を開始。 湖水表層部は徐々に中性に近づいてきているが、(平成12年)の調査では深度200メートルでpH5. 14 - 5. 58、400メートルでpH4. 91と、湖全体の水質回復には至っていない。 (平成27年)からにかけて、の水中カメラ付きロボットにより、田沢湖の3か所(湖底最深部の湖心付近、「振興堆」、「辰子堆」)で湖底調査が行われた。 その結果、水深70メートルまで日光が入り込むほど透明度が高いこと、湖底が白い沈殿物で覆われていること(現時点では成分は不明)、湖底の生物、人工物、温泉などは確認できなかったことなどが明らかにされた。 生物相の変化 [ ] 1940年以前に生息していたとされる主な魚類は、、 (より移入)、、、、、、、。 1940年の玉川悪水導入は魚類だけでなく、動物性プランクトンの分布相にも変化を与えている。 魚類は酸性に強いウグイが残り、酸性に弱いサケ科魚類 やコイは確認されなくなった。 一方、残存したウグイはとなったことで大型化した。 1948年の調査では、ウグイ、アメマス、ギギの生息が報告されている。 生息が確認できなくなった魚類(サケ科魚類、コイ、ウナギ)の中には田沢湖のであったクニマスも含まれており、開発によって絶滅したと長年にわたって扱われてきた。 からにかけて、当時のの観光協会が「深湖魚国鱒を探しています」というキャンペーンを多額の懸賞金を懸けて実施したが、クニマスは発見されなかった。 しかし(22年)になって、ので過去に試験的に卵が放流されており現在も生存していることが確認され、「クニマス再発見」の一大ニュースとなった。 これがきっかけで、(平成23年)に西湖との姉妹湖提携が行なわれた。 2017年7月1日、西湖を所管する山梨県から借り受けたクニマスやヒメマスを展示する「田沢湖クニマス未来館」が湖畔に開館した。 「」を参照 中和対策実施後の生息魚類は、ウグイ、コイ、ギンブナ。 伝承 [ ] 名称 [ ] 田沢湖という名称は、に入ってから定着したと考えられている。 それまでの資料では、 田沢の潟、 辰子潟などと記録されていた。 それぞれの古名の由来は「田沢村の潟」という意味、で「盛り上がった円頂の丘」を意味するタㇷ゚コㇷ゚が変化した説などが考えられている。 いわゆる「辰子姫」(「辰子伝説」の節を参照)も以前は「鶴子」などとされており名称には変遷があったと考えられている。 それらの変遷や由来は明らかではないが、「鶴子」は信仰との関係性、今日広く知られている「辰子」は、田沢湖の古名である 辰子潟から転じたとする説がある。 辰子伝説 [ ] 「」を参照 田沢湖周辺には、 を食い 水をがぶ飲みして龍の体になった辰子と八郎がやがてめぐり合って夫婦になったという伝説がある。 田沢湖のほとり神成村に 辰子(タッ子、または金釣(カナヅ)子ともいわれる )という名の娘が暮らしていた。 辰子は類い希な美しい娘であったが、その美貌に自ら気付いた日を境に、いつの日か衰えていくであろうその若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになる。 辰子はその願いを胸に、村の背後の院内岳は大蔵観音に、百夜の願掛けをした。 必死の願いにが応え、山深い泉の在処を辰子に示した。 そのお告げの通り泉の水を辰子は飲んだが、急に激しい喉の渇きを覚え、しかもいくら水を飲んでも渇きは激しくなるばかりであった。 狂奔する辰子の姿は、いつの間にか龍へと変化していった。 自分の身に起こった報いを悟った辰子は、田沢湖に身を沈め、そこの主として暮らすようになった。 辰子の母は、山に入ったまま帰らない辰子の身を案じ、やがて湖の畔で辰子と対面を果たした。 辰子は変わらぬ姿で母を迎えたが、その実体は既に人ではなかった。 悲しむ母が、別れを告げる辰子を想って投げたが、水に入ると魚の姿をとった。 これが田沢湖のクニマスの始まりという。 北方の海沿いに、という湖がある。 ここは、やはり人間から龍へと姿を変えられた八郎太郎という龍が、終の棲家と定めた湖であった。 しかし八郎は、いつしか山の田沢湖の主・辰子に惹かれ、辰子もその想いを受け容れた。 それ以来八郎は辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主のいなくなった八郎潟は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという。 一部では、タッ子(辰子)には不老不死の願望があったが、のちに夫となる八郎にはその願望はなく、たまたま同じ行為にふけるうち、「唯、岩魚を食ひ、水を鯨飲してゐるうちに龍體となつてしまつた」とも語り継がれていた。 なお、湖の北岸にあるには、辰子が竜になるきっかけとなった水を飲んだと言われる泉がある。 田沢湖の湖畔には辰子伝説にまつわる像が4体あり、近くにある作の「たつこ像」の他に、湖の東岸にある「辰子観音」、北岸にある「姫観音像」、境内にある「たつこ姫像」がある。 観光 [ ] 高速艇たざわ 湖畔には民間伝承に基づき作のたつこ像が建てられ、辰子が竜になるきっかけとなった水を飲んだ場所と言われる湖の北岸にはが建てられている。 湖畔を周回するが3路線(・・)整備され、周辺にはみやげ店、温泉旅館、ホテルなどが数多く営業している。 の関連会社である羽後交通興業が4月から11月まで遊覧船を運航しており、レストハウスの営業を行っている。 足こぎボートなどの貸出も行われているほか、湖畔の一部箇所では湖水浴場として認められており、と同様な利用が可能となっている。 姉妹湖 [ ]• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 地元ではのことを(アイヌ語の)「カバチェッポ」と称していた• 、343頁では、単にタッ子がイワナを食してから、喉の渇きにまかせるままに水を飲みとあり、詳細な事情は記していない。 出典 [ ]• 2015年3月6日. 2015年3月11日閲覧。 出典: - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター、2016年12月閲覧• 国土地理院 2015年3月6日. 2015年3月11日閲覧。 日本火山学会講演予稿集 2008, 18, 2008-10-10• 日本地質学会学術大会講演要旨 114 pp. 70 20070901• 物理探査 Vol. 61 2008 No. 4 P323-335• 出典: - 2016年12月閲覧• - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター• 2015-10-12 閲覧。 15 1950-1952 No. 3-4 P96-104• 農業土木研究 Vol. 10 1938 No. 1 P64-75• 農業土木研究 Vol. 24 1956-1957 No. 1 P45-51• 、、2015年、同年閲覧• 、339頁• 陸水学雑誌 Vol. 10 1940-1941 No. 1-2 P106-113• 読売新聞社 2011年11月2日. 2011年11月4日閲覧。 秋田県「美の国あきたネット」. 2017年6月27日閲覧。 国交省 河川整備基本方針検討小委員会 資料• 関連項目 [ ]• - にを信奉する修験者によって開かれたと伝わる。 - 別名浮木神社とも呼ばれる。 このすぐ近くに作の「たつこ像」がある。 - 毎年9月第3日曜に開催。 湖岸をレースコースとする。 - 湖の北東にある田沢湖高原にあるスキー場。 ゲレンデより田沢湖を望む。 - の前身。 - である「みちのく 田沢湖 角館」を歌っている。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 陸水学雑誌 Vol. 11 1941-1942 No. 4 P151-156• 農業土木研究 Vol. 10 1938 No. 2 P191-207.

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秋田・田沢湖の観光スポット22選!「辰子姫伝説」が残る神秘の湖

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2013年5月29日 水 、森の学校第3回目森林インストラクターと行く「玉川水系の酸性水に学ぶ」が開催された。 一般参加者21名、講師・スタッフ4名、合計25名が参加。 「玉川の水はなぜ青いのか」「田沢湖にクニマスはなぜいなくなったのか」などについて現地で詳しく学んだ。 また、玉川ダム上流の戸瀬公園で自然観察会も行われた。 コース・・・プラザクリプトン 先達川真水導水地点 見付田玉川酸性水導水地点 鎧畑ダム 玉川ダム資料室 戸瀬公園 玉川温泉大噴 中和処理施設 秋田県玉川温泉ビジターセンター 田沢湖 玉川ダム資料室には、ダムができるまでの経過や役割、「玉川酸性水中和処理の概要」、ダム湖周辺に生息する生物などについて模型、映像、標本、パネル等で気軽に学ぶことができる施設。 小沼講師は、展示物を利用して玉川酸性水の中和処理方法などについて詳しく解説してくれた。 中和方式は「粒状石灰中和方式」と言い、粒状の石灰石が大量に詰まった中和反応槽に玉川温泉の酸性水を流入させて中和する方法である。 大噴でPH1. 1〜1. 3の酸性水をPH3. 5以上を目標に放流しているという。 石灰石は1日約55トン消費し、それに要する費用は、年間2. 3億円。 玉川の水はなぜ青いのか 玉川の酸性水には、鉄分とアルミニウムが含まれている。 下流に行くに従って、鉄は重いので川底に沈殿する。 そのため、川の石が茶色く変色している。 一方、アルミニウムは、粒子が小さいので沈殿しない。 波長の短い青い光がアルミニウムで散乱され青く見える。 田沢湖の水が青く見えるのも同じ理由である。 玉川ダム宝仙湖の上流部にある戸瀬公園では、清流のシンボル・エゾノリュウキンカやシラネアオイが満開に咲き誇っていた。 新緑の森と清流が流れる水路沿いを散策しながら自然観察を行った。 気軽に多様な樹木や草花を観察撮影できる素晴らしい公園だと絶賛する声が多く聞かれた。 葉の形がフキに似ていることから「ヤチブキ」とも呼ばれている。 名前の由来は、昼間の猫の目を閉じた瞳孔にたとえたもの。 1科1属1種の日本特産種。 和名は、日光白根山にたくさんあり、花がタチアオイに似ていることから名づけられた。 これを「湯華」と呼び、採取して乾燥させ入浴剤やねり湯華として販売している。 玉川温泉には、大小さまざまな湧出口があり、中でも「大噴」と呼ばれる湧出口からは、98度の温泉が毎分8、400リットルも噴出、一ヶ所からの湧出量は日本一を誇る。 その下流は、幅3mの湯の川となって玉川に注いでいる。 この温泉は、PH1. 2ほどと 日本一の強酸性水で、昔から 「玉川毒水」と呼ばれ、 魚も棲めない「沈黙の川」であった。 4mで日本一、世界でも17番目に深い湖である。 面積は25. 8km2、周囲20kmと比較的小さいが、貯水量は日本で4番目に多い。 かつては、水深100m程度で、水温が4〜5度と周年安定、溶存酸素量も低層まで充分あった。 当時は、日本固有の淡水魚・クニマスやイワナ、アユ、ヌマガレイなどが生息していた。 玉川を堰止め、延長30kmに及ぶ用水路「御堰(おせき)」が完成したのは1833年。 しかし、玉川毒水による農業被害と、度重なる災害に見舞われ、決壊埋没し、空しく荒廃していた。 「仙北平野には、広大な荒野が残されていた。 ここに大きな川・玉川の水を引けないものか・・・」その長年の夢が動き出したのは、昭和12年、「田沢疏水国営開墾事業」である。 この計画は、玉川の水を田沢湖に流し込んで、その毒性を薄め、生保内発電、夏瀬発電で発電用水として利用し、その下流の神代調整池から放流された水を玉川抱返り頭首工で取水し水田に利用しようというものである。 その規模は、県内に例をみない3,000haに及ぶ大開墾事業であった。 8cm、採集年月日・昭和5年9月12日 仙北市田沢湖資料館 田沢湖にクニマスはなぜいなくなったのか 昭和15年1月、電源開発と玉川疎水国営開墾事業により、田沢湖に玉川の強酸性水が導入された。 その結果、湖の水質は大きく変わり、水位変動も大きくなり、それまで安定していた環境は失われた。 クニマスのほか 田沢湖の魚類全てが死滅してしまった。 さらに、生活用水にも適さず、発電・河川構造物にも被害を与えていた。 その対策として、玉川ダムの一環で玉川酸性水中和処理施設を建設。 平成元年10月から運転開始。 現在、農業用水の取水地点・玉川頭首工でPH5. 5程度に改善され、農業用水基準PH6. 0以上を確保している。 3程度に改善されている。 今では辰子像の立つ湖岸でたくさんの群れを観察することができる。 環境省は、 レッドリストの「絶滅」指定を見直し、本来の生息地以外に移されて生きている種と位置付けて 「野生絶滅」に指定している。 参 考 文 献 「玉川温泉 公式ガイドブック」 秋田文化出版 「玉川」酸性水対策 玉川中和処理の概要」関連パンフレット HP「」 美しき水の郷あきた.

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日本で一番深い湖はどこ?

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角館・田沢湖エリアのおすすめご当地情報をご紹介。 角館・田沢湖エリアには八坂神社、白糸の滝、田沢湖などの観光スポット、田沢湖マラソン、角館のお祭り、全国花火競技大会などの観光イベント、稲庭うどん、きりたんぽ、いぶりがっこなどのご当地グルメがあります。 田沢湖は秋田県仙北市にある湖で、日本で最も深い湖です。 全域が田沢湖県立自然公園に指定されていて、日本百景にも選ばれている観光向けの景勝地です。 田沢湖は深い水深のため真冬でも湖面が凍り付くこ とはなく、深い湖水に差し込む太陽光が水深に応じて湖水を明るい翡翠色から濃い藍色にまで彩るので、別名日本のバイカル湖と呼ばれています。 田沢湖とその周辺での観光スポットには、伝説の辰子姫を祀る御座石神社があります。 その境内には龍の姿をした辰子像のある本殿があり、湖畔を一周する道路を挟んで朱色の鳥居が立っています。 など、この神社は不老長寿の御利益があると言われています。 湖畔に輝く田沢湖のシンボルはたつこ像です。 舟越保武の作になるこの像は瑠璃色の湖面とともに神秘的な雰囲気を醸しだしていて、ここからの田沢湖の眺めは、まさにおすすめの絶景と言えます。 角館は秋田県仙北市の地名で、国の重要伝統的建造物群保存地区の名称でもあります。 現在でも藩政時代の地割がそのまま残されていて、武家屋敷などが数多く残されており、毎年多くの観光客が訪れる、東北でも有数の観光地として知られ、その風情はみちのくの小京都とも呼ばれています。 武家屋敷石黒家は、角館で最も古い武家屋敷で、門に文化6年と書かれた棟札が目につきます。 母屋の座敷に上がれるのもここだけで、部屋の特徴や当時の生活様式を肌で実感することができます。 なお、樹齢300年の樅の木がある庭園も見事な景色です。 武家屋敷通りには6戸の武家屋敷が残っています。 この武家屋敷が集まっている町の中心部から国道46号までの区間が武家屋敷通りと呼ばれて、藩政時代の情緒を今に残しています。 大曲市は、平成17年に周辺の町村と合併して大仙市となった市で、大仙市の観光スポットは、横沢公園です。 この公園は太田スポーツパークの中心に位置する広大な緑地帯で、春には広い池の周りに、世界各地の65種、なんと26,000株のスイセンが咲き乱れ、訪れる人を楽しませます。 また、東山ふれあいの森は大自然を有効活用して森の恵みを満喫できる大きなレクリエーションの場で、自然を観察し体験し、散策、することができます。

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