世界 の 疫病。 ローマ帝国を崩壊させた「感染症」とは? 『世界史を変えた13の病』

experience-ga.ctb.com : 「世界終末の疫病」でキリスト教が拡大? エジプト

世界 の 疫病

リンパ節がこぶし大にまではれ上がることも。 ペスト菌の働きで体内にいっぱい毒素が作り出され、治療しないと数日で死にいたります。 別名黒死病。 治療しないと数日で死にいたります。 人口は東ローマ帝国内で半減したといわれます。 そのため、農業をやる人もものすごく少なくなります。 すると、小麦が足りないから製粉所もパン屋さんもお仕事になりません。 ユスティニアヌス帝時代というのはとちゅうまでは、 領土をドンドン拡大し、 「ローマ帝国の再来だ!」 なんてものすごく調子がよかったものです。 しかし、この ペストの大流行によって様子は一変。 帝国の衰退がはじまってしまいました。 実は ユスティニアヌス帝自体ペストにかかってしまいました。 ただ、運よく 軽症で済んだのは不幸中の幸いです。 14世紀のペスト大流行 ペストの流行は何回かあります。 その中でも特に 深刻な被害をもたらしたもうひとつのケースを紹介します。 14世紀、アジア方面から感染が始まったといわれます。 モンゴル起源が有名なのですが、最近は中東起源説も唱えられております。 いずれにしろ、そのおそろしい死病は国境など関係なく、土地から土地へドンドン感染してゆきます。 そして、一度その病気に魅入られた土地は大変なことになってしまいます。 ヨーロッパでは 全人口の3分の1から3分の2の人々がこの病気によって亡くなってしまいました。 実は、この病気が深刻すぎたからあの ルネッサンスが起こったといわれます。 というのも、それまで中世では キリスト教会が社会の中心です。 ところが、こんな死病の恐怖に見舞われてしまってもなかなか教会は助けになってくれません。 「だったらキリスト教会から もっと自由に学問やら芸術を追いかけてもいいんじゃないの」 となり、 ダ・ヴィンチやら ミケランジェロやら コペルニクスなんかが出てくる、というわけです。 この時代ボッカチオというフィレンツェの詩人が『デカメロン』という小説を書いております。 この話は何とも特徴的で、主人公らはペストを避けるために郊外ににげてきた男女10人です。 彼らは恋やだましなどの 「たあいない話」を延々語り合います。 もはやそこにはキリスト教による ストイックな雰囲気からは解放されております。 人間というものは苦しい時ほどがんばって 新しい境地を切り開いてゆきます。 このケースはそれを鮮やかに示しております。 もちろん、キリスト教の本来素晴らしい部分はやはり素晴らしくあり、また、ルネッサンスによって失われたものもたくさんあるはずであることをたしかめつつ。 スペイン風邪の大流行 歴史上人類にとってものすごい脅威(きょうい)となった疫病に1918年ごろにはやった スペイン風邪があります。 インフルエンザの一種です。 「なんだ、インフルエンザか」 となめてはいけません。 この時スペイン風邪による死亡者は全世界で 5000万~1億人。 当時行われていた第1次世界大戦によるすべての死者1500万人をはるかに上回っております。 いや、スペイン風邪の流行がひどすぎるので 第1次世界大戦が続行不能になったとすらいわれております(第1次世界大戦の終結は1918年の11月)。 きょうのまとめ 今はかなり医学が進歩して、疫病への対策が充実してきております。 しかし、近年でも鳥インフルエンザや豚インフルエンザ、西ナイルウィルスなど、いろんなおそろしい伝染病がどこからともなく起こって世間をたびたびさわがします。 疫病というものは人間の暮らしとは切っても切り離せません。 古くからの疫病と人間のかかわりあいを調べるのもまた歴史の重要な意義であります。

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疫病対策の歴史が作った文化をもつ国、日本

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世界的な規模で拡がる新型コロナウイルスの拡散ペースはすさまじく、まるでPCがコンピュータウイルスにハックされるかのように、新型コロナウイルスによる人類と世界経済へのハッキングが進行しております。 この新型コロナウイルスの出現の経緯を巡っては、様々な言論が生じております。 例えば、新型コロナウイルスは武漢にある世界屈指の疫学研究所から流出した人工生物兵器であるだとか、HIVにも含まれるたんぱく質構造が4つ付いているため自然発生とは考えにくいだとか、米中貿易戦争の一環として米国が中国に仕掛けた人工生物兵器であるだとか、欧米で流行っているウイルスと中国を中心とした日本を含む東アジアで流行っているウイルスとでは別の種類の人工生物兵器であるだとか、もしそうならば欧米で蔓延するウイルスは中国が仕返しとしてばらまいたコロナウイルスであるだとか、これは人工生物兵器戦争だとか、様々な憶測が跋扈しております。 疑心暗鬼と陰謀論が渦巻く中、どれも真相は定かではありませんが、人類と資本主義社会が大打撃を受けていることは間違いありません。 経済面では、ダウ平均をはじめとした世界中の株価指数が異例の下落速度で-30%を超え、欧米での都市封鎖などの状況をみるに、リーマンショックを超える損害を引き起こすのではという言論も強くなってきております。 米国では数百兆円規模の景気対策案が検討されておりますが、それでも株価の下落が止まる様子は今のところありません。 資本主義経済は疫病により完全にクラッシュしてしまうのでしょうか? 新型コロナウイルスの蔓延がいつ、どのように収束するかは不明であり、また株価がどこまで下落するかは未知数ですが、 時間の経過と共に事態は収束に向かい、株価は底打ちし、上昇に転じ、やがて最高値を更新することを私は確信しております。 何故そう言えるのかというと、 株式市場はこれまで幾多の比べ物にならないほどの困難を乗り越えてきたからです。 本記事では、これまでの人類と疫病との戦争の歴史を俯瞰し、世界経済の代表格ともいえる米国株式市場がこれらに打ち克ってきた史実を確認します。 米国株式市場は幾多の疫病を乗り越えてきた 米国株式市場は以下の図が示す通り、過去200年以上に渡って実質トータルリターンが約7%というとてつもないハイパフォーマンスを叩き出し続けてきました。 出典: この200年の間にはどのようなことがあったでしょうか? 産業構造の抜本的変化、二度の世界大戦と世界中での絶え間ない紛争、共産主義国家や独裁国家の興亡、核爆弾の脅威など、挙げれば切りがありません。 また、 人類の歴史は感染症との闘いの歴史でもあります。 古くは天然痘から始まり、ペスト、マラリア、黒死病など様々な疫病により世界中で数億人単位の人が死亡するという悲劇が起こり続けました。 ここ200年間でも疫病は数々の猛威を振るっております。 1820年には コレラ菌の感染が広がり10万人が死亡しました。 1918年には スペインかぜが大流行し、世界中で4000万人の死者が出ました。 紀元前から存在する 結核は、1935年以降しばらくの間、日本では死亡原因の首位となり、1950年に抗生物質が出来るまで猛威をふるい続けました。 結核は世界では20億人が感染し、毎年400万人が死亡しました。 結核は耐性を持つ構造に進化することにより未だに存在しております。 1957年の アジアかぜでは世界で200万人以上が亡くなり、1968年の 香港かぜでは世界で100万人以上が亡くなったといわれます。 1986年には エイズにより6500万人が感染し、これまでに2500万人が死亡しております。 昨今では、MERSやSARS、エボラ出血熱や豚インフルエンザなどが流行しました。 そしてこの度、新型コロナウイルス(COVID-19)が登場しました。 メンツばかりを気にする中国共産党がウイルスの抑え込みに失敗し、かつ世界への発信を二カ月も遅らせた結果、各国の対応は後手後手に回り、最重要である特効薬やワクチンの開発期間も稼げず、 買収されたWHOが遅ればせながらパンデミック宣言を行い、世界中の経済活動は停滞し、感染ペースの著しい国や地域では完全な封鎖が行われ、世界はまるで戦時のような様相を呈しております。 まだまだ下落は止まる様子がありません。 世界経済の行く末に不安になっている投資家の気持ちもわかります。 ウイルスの蔓延は指数関数的なペースで進行します。 このまま何の改善もみられないまま感染が拡大していけば、都市封鎖が拡大していき、経済活動が停止し続け、やがては耐えられなくなった企業が倒産し、銀行が取り付け騒ぎを起こし、場合によっては「債券の錬金術」で膨らみ切った債券市場が逆回転を来すことによりデリバティブ市場を巻き込んだ未曽有の金融危機に発展し、リーマンショックどころか世界大恐慌を凌ぐ暴落が生じるかもしれません。 問題の先送りに過ぎないかもしれませんが・・・ でも、思い出してみてください。 その他の歴史的な大事件や世界的な戦争も多数生じました。 これまでは乗り越えられたけど、今回のみは無理だと思うかもしれませんが、株式市場は流行りの疫病ごときでつぶされるような代物ではございません。 これは、米国株式市場に限らず、資本主義経済全体に言えるものです。 まとめ 人類の歴史は疫病との闘いの歴史であり、世界経済は新型コロナウイルスよりも遥かに強いウイルスたちによる苦難を乗り越え続けてきたということを説明しました。 人間の感情は外乱に過剰に反応しやすい性質があるため(進化の過程で必要だったのでしょうが)、楽観も悲観も行き過ぎがちです。 しかし、歴史を振り返ってみれば、資本主義社会を一時的に停滞させることはあっても、致命傷を負わせるほどの力がCOVID-19にあるとは思えないということがわかります。 しかし、このウイルス蔓延による景気後退を起点としてその他の爆弾(金融危機等)が爆発する可能性もありますので、十分な警戒は必要です。 とはいえ、たとえ未曽有の大恐慌が訪れたとしても、人類の営みの集積体である世界経済はそのレジリエンス性を遺憾なく発揮して、踏みにじられた後の葦のようにやがてはたくましくしなやかに首を上げることでしょう。 さらにいうと、このような局所的な暴落時に買い進めることが出来れば、未来には平均以上のパフォーマンスが期待できるのです。 この暴落相場がどこまで続くのか私には見当もつきませんし、特効薬やワクチンがいつ投入されてウイルスが驚異でなくなるのかも判断がつきません。 もしかしたら、リーマンショックを超える衝撃を市場にもたらすのかもしれません。 それは、幾多の困難を乗り越えてきた人類、そして資本主義社会の底力を信じているからに他なりません。 【その1】 SBIネオモバイル証券 国内株式購入の観点では間違いなくNo. 1の証券口座。 国内株式を気軽に 1株から定期積立可能です。 取引手数料も実質月20円と非常にお得です。 SBIネオモバイル証券の口座開設方法は 【その2】 サクソバンク証券 海外株式の取扱い数が圧倒的! 国内唯一の配当金再投資サービスが魅力です。 特定口座対応 2020年予定 後は間違いなく国内No. 1の証券口座になるでしょう。 現状は補助口座としておすすめです。 サクソバンク証券の魅力と口座開設方法は 【その3】 楽天証券 手数料が業界最安基準で積立NISAの商品も豊富。 取引ツールの使いやすさも秀逸です。 楽天経済圏の住人なら特におすすめ。 楽天証券の口座の魅力と開設方法は 【その1】私の財産告白 資産形成法だけでなく、時を超えて通用する人生訓を学べる骨太な偉人の書 【その2】となりの億万長者 マスコミが作り上げた華やかなイメージとは異なる生身の億万長者達から抽出された共通項が明らかにされた不朽の書 【その3】インデックス投資は勝者のゲーム インデックス投資を生み出したバンガード社の創設者による、膨大なデータから導かれたインデックス投資の優位性が学べる決定本 【その4】株式投資 当ブログはこの本に掲載された「」から生まれた! 株式インデックス投資を行う上での最重要情報が最初の二章に凝縮されたバイブル本。 この本を正確に読み解けば、生涯に渡って数千万円以上の資産を生んでくれることでしょう。 最近の投稿• カテゴリー カテゴリー 人気記事 【その1】SBIネオモバイル証券 国内株式購入の観点では間違いなくNo. 1の証券口座。 国内株式を気軽に 1株から定期積立可能です。 取引手数料も実質月額20円と非常にお得。 SBIネオモバイル証券の口座開設方法は 【その2】サクソバンク証券 海外株式の取扱い数が圧倒的! 国内唯一の配当金再投資サービスが魅力です。 特定口座対応 2020年予定 後は間違いなく国内No. 1の証券口座になるでしょう。 現状は補助口座としておすすめです。 サクソバンク証券の魅力と口座開設方法は 【その3】楽天証券 手数料が業界最安基準で積立NISAの商品も豊富。 取引ツールの使いやすさも秀逸です。 楽天経済圏の住人なら特におすすめ。 楽天証券の口座の魅力と開設方法は.

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世界疫病終息・大祈祷会

世界 の 疫病

人類の歴史が始まってこのかた、人間の生死を左右した最大の原因といえるのは疫病であり、戦争や天災による死因をはるかに上回る。 したがって、人間の歴史に与えた疫病の役割はきわめて大きい。 たとえば、古代のギリシアやローマを滅ぼした一因は疫病であり、中世末期ヨーロッパを襲ったペストは近代社会を開く陣痛となり、発疹 はっしん チフスやコレラ、そして赤痢は、ときに近代の戦争の勝敗を左右し、結核や梅毒は近代思想に深い影を落としてきた。 疫病とは、普通かなり広い地域に集団的に発生・伝播 でんぱ する感染症のことであるが、英語で疫病を意味するエピデミックepidemicはギリシア語のエピ・デーモスepi-d mos(「民衆の上に」の意)から出たことばであり、日本では『古事記』『日本書紀』で 病、疫疾、疫気などと書き、えやみ、えのやまい、ときのけなどと読ませ、鎌倉時代から江戸時代にかけては疫癘、時疫などをあて、はやりもの、はやりやまいなどとよばれていた。 [立川昭二] 文明と疫病疫病は人類出現以前の化石動物にもみられる。 寄生虫に冒された貝類や脳膜炎にかかった恐竜などがこの例である。 疫病のなかには、動物の感染症からヒトに伝わり、それがヒトからヒトへと伝染する疫病となったものもある。 そして文明時代に入って以後の人間の歴史にとりわけ深い爪痕 つめあと を残した疫病といえば、急性伝染病としてはペスト、マラリア、痘瘡 とうそう (天然痘)、麻疹 ましん (はしか)、発疹チフス、腸チフス、赤痢、コレラ、インフルエンザがあり、慢性伝染病としてはハンセン病(癩 らい )、結核があり、さらに性病の梅毒があげられる。 これら疫病の大部分は、もとはある限局された土地の地方病(風土病)であったが、文明の発展、文化の交流により、人が動き、物が動くに伴い、文明世界へと伝播し、世界的流行(パンデミー)となったものである。 文明の発達が疫病を征服することは確かであるが、一面において、文明はつねに疫病と抱き合わせであり、文明の伝播経路は疫病の伝播経路とも重なり合う。 [立川昭二] 疫病の古代史最古の疫病の記事は、『旧約聖書』やホメロスの『イリアス』などに断片的にみえるが、歴史事件としての疫病のまとまった記録としては、紀元前430年ギリシアのアテナイに流行した疫病を記述したトゥキディデスの『戦史』第2巻中の疫病記がある。 これは「アテナイの疫病」とよばれ、死亡率は4分の1で、発疹チフス、痘瘡、麻疹または腸チフスのいずれかの融合形か、あるいは合併症と推定される。 」とあり、気候不順に伴う腸チフスなどの熱性伝染病と推定される。 いずれにしろ疫病は人口が集中・増加し、社会が統一され、交流したところに発生・流行するものであった。 [立川昭二] 最初の疫病人間が最初に認識した病気はおそらくハンセン病(癩 らい )であった。 ハンセン病は古代エジプトのパピルスにも記録されているが、もともとは熱帯の風土病で、それが中世の十字軍の移動によって西欧に流入し、とくに貧民層に流行し、13世紀にその頂点に達した。 中世西欧にハンセン病が蔓延 まんえん した当時、医学が無力であったため、この病気を防ぐ唯一の手段は社会的規制によるほかはなく、キリスト教会はハンセン病患者(癩者)を社会的異端者とし、その追放の先頭にたった。 ハンセン病患者は市域の外の収容所レプロサリウム(あるいはラザレット)に強制隔離された。 このレプロサリウムはヨーロッパにおける病院運動の起源ともなり、また一部の修道会は救癩事業の活動に尽くした。 ハンセン病は日本でも古くから流行し、『大宝律令 たいほうりつりょう 』でも最重度の篤疫 とくえき として扱われ、光明 こうみょう 皇后とハンセン病患者との伝説(皇后が患者の膿 うみ を吸って治療にあたったところ、その患者は阿 仏 あしゅくぶつ であったという言い伝え)は名高い。 鎌倉時代にハンセン病患者の収容所がわが国最古の病院としてつくられ、江戸時代には「かったい」、天刑 てんけい 病といわれ、近代になってもハンセン病患者は生涯隔離の悲惨な境遇を強いられてきた。 [立川昭二] 文化交流と疫病マラリアも熱帯の風土病で、病原体を媒介するカは沼沢地に発生しやすく、土地保全を怠るとマラリアが猛威を振るう。 マラリアの伝播は、オリエントとの交流によってまず古代ギリシアに持ち込まれ、続いてイタリアに広がった。 ギリシア・ローマ文明の衰退はマラリアに一因があるといわれ、「ローマの道」はマラリアの道でもあった。 また一説には、マヤ文明はマラリアによって消滅したともいわれる。 日本でも、マラリアは平安時代から記録され、「おこり」といわれ、流行を繰り返した。 最近では、太平洋戦争の南方戦線で日本軍を苦しめたことはよく知られる。 マラリアは民族の肉体的衰弱のみでなく、精神的な活力をも喪失させ、国力に及ぼす影響は大きい。 痘瘡の発源地は普通インドとされている。 それが古代民族の移動・交流につれ、おそらくインドから仏教が各地に伝播していった経路とほぼ同じ道、つまりシルク・ロードをたどって、世界各地に伝播していった。 中国には5世紀末に西域の天山南北路を経由し、まず西北地方に侵入し、またスキタイ交易路にのって西方へも流入していった。 北中国に入った痘瘡は、仏教伝来と前後して朝鮮へ、そして朝鮮から日本へと伝播していった。 『日本書紀』の欽明 きんめい 天皇13年(552)から用明 ようめい 天皇2年(587)にかけての疫病の記録は、痘瘡あるいは麻疹とされ、古代豪族の権力闘争と外来宗教導入の激動期にあって、少なからぬ影響を与えた。 痘瘡、麻疹はこうして日本の風土病的な疫病となり、以後日本人を長く苦しめぬくのである。 [立川昭二] 中世の疫病痘瘡がひとわたり地上の各地に居座ったあと、世界の疫病史にその名をとどめた主役といえば、いうまでもなくペストである。 本来ネズミの病気であるペストの歴史は、ネズミの生態の歴史と密接な関係がある。 ペストのヨーロッパへの侵入経路をみると、クマネズミのそれと経路も年代も一致する。 インドからアジア南部にかけて生息していたクマネズミは、気候変化による飢饉 ききん あるいは食物連鎖の変動により北上を始め、さらに蒙古 もうこ の西進のあとを追って13世紀末にヨーロッパに侵入した。 ペストは当時の東西交易路と地中海貿易路をそのままたどっているわけであり、シルク・ロードはペスト・ロードでもあった。 こうして1348年には黒死病(ブラック・デス)の惨劇となり、ヨーロッパ全土でおよそ3人に1人の死者を算した。 この大量死は、中世的権威が失墜し、中世的社会が崩壊する大きな引き金となり、近代社会誕生を促す陣痛となった。 一方、東アジアはこのときのペスト禍は免れたが、もしペストが日本に侵入していたら、歴史はおそらくまったく異なった様相を呈したに違いない。 [立川昭二] 大航海時代の疫病ペスト禍を免れた日本も、免れることができなかったのが、性病の王者梅毒である。 梅毒の起源については新大陸説と旧大陸説があるが、ヨーロッパで梅毒が流行するのは15世紀末のことで、コロンブスの帰還した1493年にバルセロナでまず発生したという記録があり、その意味では梅毒はコロンブスの航海土産といえる。 翌94年フランスのシャルル8世によるイタリア遠征の際、ナポリでこれが暴発し、フランス人はナポリ病、イタリア人はフランス病と言い合った。 時あたかもルネサンスの動乱期で、売春の盛行につれ、梅毒はヨーロッパ全土にまたたくまに広がった。 さらに大航海時代の波に乗り、梅毒は海を越えて東方にも急激な速度で波及していった。 まずバスコ・ダ・ガマの隊員によって1498年ごろインドに運ばれ、続いてマレー半島を経由して16世紀初め中国の広東 カントン に達し、1510年ごろには中国内陸部まで波及した。 日本には、1512年(永正9)に伝来したといわれ、唐瘡 とうがさ あるいは琉球瘡 りゅうきゅうがさ とよばれた。 この梅毒スピロヘータを運んだのは日本人を主体とする倭寇 わこう であり、実は鉄砲伝来の年より30年も早い。 時代は戦国乱世の動乱期で、梅毒はたちまち日本人を激しく冒していき、江戸時代に深く淫侵 いんしん した梅毒は、公娼 こうしょう 制度と相まって近代日本においても大きな社会問題となった。 [立川昭二] 戦争と疫病戦争には疫病が付き物であるが、名高い戦史にはすべてといってもいいほど疫病が主役として登場してきている。 とくに近世ヨーロッパの戦場では、発疹チフスがつねにはでな立回りを演じ、たとえばナポレオンのロシア遠征では赤痢などの脇役 わきやく とともに、発疹チフスはフランス軍将兵のおよそ3分の2を奪い、ナポレオン衰退の大きな原因となった。 またナイチンゲールが活躍したクリミア戦争、さらに第一次世界大戦でも猛威を振るい、ロシア革命もしばらくは発疹チフスの手中にゆだねられ、レーニンをして「社会主義が勝つか、シラミが勝つか」と叫ばせた。 第二次世界大戦でもマラリアとともに発疹チフスが参戦国戦病死者の大きな死因となったことは記憶に新しい。 [立川昭二] 産業革命と疫病結核はかなり古くから世界的に広がっており、古代の医書にも記され、近世ヨーロッパでは上流社会の間にまず蔓延 まんえん していた。 しかし結核が「白いペスト」とよばれ、大きな社会問題となるのは、19世紀の西欧社会においてであり、産業革命の進行と軌を一にしている。 産業革命とともに、大量の人口が農村から都市へ集中し、過酷な労働条件と劣悪な生活条件のなかに投げ出された工場労働者とその家族は、ほかの疾病とともに、とりわけ結核菌の猛威にさらされた。 したがって、産業革命誕生の地イギリスが最初の洗礼を受け、労働階級に爆発的に広がった結核は、その後あらゆる階層にその魔手を伸ばしていった。 一方、結核の悲劇から最初に回復したのもイギリスであり、いかなる国においても結核が急増するのは、社会経済が農業型から工業型に移行する転換期であり、そのピークが過ぎ、繁栄が広まると、その死亡率は低下する。 明治・大正の産業革命期の日本も結核に浸潤され、今日、ようやく産業革命の段階に入った開発途上国では、いずれも結核の猛威を受けている。 その意味で、結核は疫病の歴史的法則性を立証するものといえる。 コレラは国際伝染病の花形であるが、けっして古顔ではない。 もともとインドのガンジス川下流の風土病であったが、19世紀初めの近代文明の進歩、とりわけ交通の活発化とともに、国際交流の波に乗って文明諸国に広がった。 つまりコレラの世界的流行(パンデミー)は、いわば世界の「近代化」の一現象であり、とりわけイギリスのインド経営がその引き金となった。 1817年、イギリスがインド支配に成果をあげた第三次マラータ戦争の年、コレラはガンジス川下流から躍り出た。 ついで1826年の第二次世界的流行のときは地球上の全地域に広がった。 日本には幕末の1858年(安政5)に長崎から侵入したコレラが全国的に流行し、激甚な被害を与え、江戸だけでも死者10万余あるいは26万余ともいわれた。 明治時代となった日本でもコレラが大流行し、コレラ防疫(強制隔離、死者の処置など)に対する民衆の反感が「コレラ一揆 いっき 」のような社会的混乱を引き起こした。 [立川昭二] 現代の疫病コレラなどに対して細菌学が勝利の行進を続けているさなか、それに冷水を浴びせたのは、第一次世界大戦末期に発生したインフルエンザの世界的流行である。 インフルエンザはギリシア時代から知られ、日本では江戸時代後期に侵入して流行を繰り返していたが、「スペインかぜ」として知られる1918~19年の大流行は、かつての黒死病を想起させる大きな災厄をもたらした。 全世界で2500万の死者を算したといわれ、日本でも患者2300万、死者38万余という惨禍となった。 その後1957~58年の「アジアかぜ」も地球上の全域を瞬時的に襲った。 現代社会の密集した集団生活、迅速な輸送手段はインフルエンザの世界同時発生という爆発的な性格をつくり、インフルエンザ・ウイルスの複雑さとともに、インフルエンザは人類最後の疫病として、今日なお、終わりなき戦いを強いられている。 このように疫病の歴史を振り返ると、たとえばヨーロッパを例にとると、13世紀のハンセン病(癩 らい )、14世紀のペスト、16世紀の梅毒、17~18世紀の痘瘡、発疹チフス、19世紀の結核、コレラ、20世紀のインフルエンザというように、それぞれの時代の社会なり文明なりは、それ特有の疫病をもっており、その疫病はその文明の変革、社会の改革によって消滅していくが、次の時代には別の疫病が出現してくることがわかる。 また疫病は戦争、天災、貧困と深い相関関係をもっているが、中世末期とペスト、ルネサンスと梅毒、産業革命と結核、近代化とコレラのように、時代の激動期、社会の変革期に新しい疫病が出現・流行するという歴史的因果関係をももっている。

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