ジオラマ ボーイ パノラマ ガール。 岡崎京子の漫画『ジオラマボーイ・パノラマガール』映画化、東京で生きる少年少女のラブストーリー

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『ジオラマボーイ・パノラマガール』実写映画化!SNSの反応は? 岡崎京子さんの漫画 『ジオラマボーイ・パノラマガール』の実写映画化について、ご紹介してまいりました。 まだ詳細が発表されていない状況ではありますが、原作ファンからは期待の声が続々出ています。 そこで最後に、『ジオラマボーイ・パノラマガール』実写映画化に対するSNSの反応をまとめてみました。 ジオラマボーイ・パノラマガールが実写化されるのか。 「チャチなんだかソーゼツなんだかわかんない」街並みを「150mぐらい大きくなってみんなふんづけてやりたい」と考えてうっとり、する感じをうまく実写化してほしい。 JAPAN: — 幕末アリス kozikano だって、私は単行本化された後にしか読んだことないけど、『ジオラマボーイ・パノラマガール』て平凡パンチで連載された漫画であって、凄く連載漫画ならではの世界観だったりテンポがあって。 しかも、物凄くあの80年代末期の雰囲気が濃い作品なんだよ。 それを、何で今実写化するの? — t ton3419696 えーっ?! やっと桜も咲き始めたしね。 — メロウ slowrider78 実写映画化が楽しみ!という声がある一方、80年代の作品ということもあり 「なんで今実写化?」「ダサくならないか心配」といった声も。 出演キャストが発表されれば、映画全体をイメージできるかもしれませんね。 続報を楽しみに待ちましょう!.

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ジオラマボーイ☆パノラマガール 新装版 電子書籍/岡崎京子の本の詳細情報|mibon 未来屋書店の本の電子書籍サービス【ポイント貯まる】

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『 ジオラマボーイパノラマガール』は、によるの。 岡崎の著作のうち、長編漫画としては第2作にあたる。 岡崎によれば「たぶん少女漫画」 である本作は、1980年代日本の都市空間を生きる少年少女の平坦な日常を通じて彼らの空虚な現実感を独特の軽さをもって描き出している。 男性向けとはいえ一般誌に掲載され、描線が安定してくる時期の作品であるが、ストーリーやキャラクター設定には強い創作意識はみられない。 ストーリーの破綻や露骨な「引用」、未完結な構成など岡崎京子の両義的な特徴がよくでている。 岡崎自身も「ほとんど夜中の落書き漫画」、「物語から逸脱した部分で話を進めようとして描いて」いると語っている。 はじめ「峠のわが家」というタイトルの予定だった が、その後にの『ジオラマ論』と、ファンだった音楽グループのハルメンズ『ボ・ク・ラパノラマ』から一語ずつとられて現在のタイトルになった。 どちらの言葉も「人工的で鳥瞰的な」イメージがあり、そこが気に入っていたのだという。 287-288. 相手にとっての自分はどんな存在なのか考えているうちに、いつのまにか「世間でいうB」が始まり、セックスが終わった。 「いっしょうけんめいな」ケンイチの顔をみて、下らないと思ったハルコだったが、そのまま朝までセックスを繰り返してしまう。 すれ違ったりぶつかったりすることもあるが、ハルコは自分が好きなケンイチと「まるで恋人みたい」にいられたらそれでいいといまの暮らしを肯定し、大きな東京のパノラマが見えるマンションのベランダで物語は唐突に終わる。 つまり同じ規格、同じ様式の建物が集合する団地のジオラマじみた人工性を強調し、そこから抜けだそうとする少女が対置されている。 しかし人工的でありパターン化されているのはパノラマでみる景色としての団地だけではない。 ホーム・ドラマの舞台としてのハルコの「家」は、典型的かつ様式化された「家庭」の記号で埋め尽くされているし、物語には『パン屋再襲撃』や『バナナブレッドのプティング』など他の作品から「引用」された全く脈絡のないエピソードが主人公たちによって再現・上演される。 ラブストーリーの物語形式としてはごく一般的であり、ヒロインを閉塞的な世界から救い出すはずの「ボーイ・ミーツ・ガール」ですら、その紋切り型な展開や短絡さが前景化されきわめて陳腐なものとして提示されているのだ。 このようにして本来はストーリーの中心をなすはずのハルコとケンイチの恋愛が特権的な地位を失うどころか、クライマックスでさえ宙に浮いて物語が分解してしまう。 杉本章吾はメディアを通じて一つの「ライフスタイル」として規格化された生活を提供する「」の特徴に注目し、『ジオラマボーイパノラマガール』の物語空間を「模倣と演技」の場であるとみなす。 この作品において岡崎は、都市とそこに生きる主人公を人工物、複製品としてグロテスクなまでに誇張することで、これまでの「少女マンガを支える恋愛イデオロギー」を解体してみせたのである。 だが『ジオラマボーイパノラマガール』という、破綻してしまい「しらけた」物語に「しぶとく」生き残ったものもある。 岡崎はあとがきでこう書いている。 — 岡崎京子『ジオラマボーイパノラマガール』マガジンハウス、1989年 pp. 287-288. 書誌情報 [ ]• 岡崎京子『ジオラマボーイパノラマガール』マガジンハウス、1989年 (『平凡パンチ』1988年3月10日号 - 11月10日号連載分• 118• , p. 171-173• , p. 216• 310-311• コミックナタリー 2010年8月26日. 2012年5月5日閲覧。 参考文献 [ ]• 杉本章吾「郊外化されたラブストーリー : 岡崎京子『ジオラマボーイ・パノラマガール』論」『文学研究論集』第26巻、筑波大学比較・理論文学会、2008年1月31日、 51-63頁。 関連項目 [ ]•

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岡崎京子の漫画『ジオラマボーイ・パノラマガール』映画化、東京で生きる少年少女のラブストーリー

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好きな人に触れたい、キスをしたい、セックスをしたい……。 大人になれば当然となる営みも、子どもの頃はいくらか戸惑いがありませんでしたか? 実際、私は学生時代に付き合った恋人がすぐにキスをしたりそれ以上の行為に及ぼうとするたびに「彼は私のことを本当に好きじゃないんだ」と悲しくなることもありました。 心も体も大きく変わる思春期。 小さなことで葛藤したり、ちょっとしたことで傷ついたり、ナイーブな時期なんですよね。 ……でも、そんな苦しかった日々も、過去のことだと思うとちょっと愛おしくなったり。 今回はそんな思春期の性のゆらぎや、それに戸惑う登場人物たちの姿がきらめく名作を選んでみました。 大人になってから読む思春期マンガって、実はけっこう良いものなんです。 女の子になりたい男の子の二鳥修一は男の子になりたい女の子の高槻よしのに出会います。 二鳥修一は、女の子の格好をするのが好きで、女の子になりたい。 だからといって男の子を好きになるかというと、そこは意外と女の子ばかり好きになる。 高槻よしのも、男の子の格好をするのは好きだけど、男の子になりたいのかと言われるとわからない。 年上の男性にときめいたりして、自分の中の女の子を感じる瞬間もある。 この作品の最大の魅力は、 ゆらぎをゆらぎのまま描き切った、という点です。 心が女の子だからといって必ずしも男の子を好きになるわけじゃない。 男の子の格好をするのは好きだけど、それはある意味いっときの欲求でしかなかった。 その時の環境やタイミングで、人はいくらでも性愛の傾向を変えるかもしれないし、変わらないかもしれない。 この作品を読んでいると、 性愛に正解なんてものはないと感じることができるんですよね。 そういえば6年間通っていた女子校に格好良い女の子がいたな、と思い出します。 ショートカットで背が高くて運動ができて。 「あれ、私は女の子が好きなのかな?」と思う瞬間もあったけど、結局その後大学に入って好きになる相手は男性ばかりだった。 まあ、そんなもんなのかも。 というか、岡崎京子作品が好きというだけで、ちょっとオシャレな感じがするのは何なんでしょうね。 高校生同士のボーイミーツガールなんて、爽やかできゅんとする物語をイメージしてしまいますが、この作品はちょっと違う。 いわゆるキラキラした青春ではなくて、 ちょっとリアルな性愛事情。 特にケンイチの自分の欲求に従順な感じは、見ていて清々しいほど。 彼はイケイケのギャルが好きなんですよ。 一目惚れした子のお尻を追いかけて、モサっとしたハルコには目もくれないわけです。 周囲のフォローや主人公の熱烈なアタックもあり、二人の関係性は少しずつ進展するのですが、決してストレートにうまくはいかない。 やっと恋が実ったと思ったらハルコの方がセックス中に興ざめして「別れよう」と思ったり、翌朝一緒に朝ごはんを食べながらケンイチが無性にハルコにムカついてしまって酷いことを言ったり。 ご飯食べてる恋人の姿が異様にムカつく瞬間……あれ、なんなんでしょうね。 私も含めて、経験ある人も多いんじゃないでしょうか。 異性に対して期待しすぎて許せなくなっちゃうのが思春期の特徴かもしれません。 思春期を抜けてからは相手がちょっとみっともなくても 「仕方ないなあ」と思えるようになりましたから。 いつもより開放的な気分になるからこそ、自分の欲求にも素直になれる瞬間。 主人公は、林間学校に参加するミステリアスな少女アンジュ。 彼女と同室になるおませな少女ローズや、発育がよく滞在中に初潮がきてしまったマリー・ルーは、アンジュの思惑によって様々なひどい目にあってしまいます。 とにかく女の子の体に興味津々のアンジュ。 初潮がきたマリー・ルーの肉付きのいい体と自分の体を見比べて、私はまだ女じゃないんだ、と鏡の前で一人思うシーンが印象的です。 少しずつ肉体の変化が起こる思春期は、ついつい周囲にいる同世代の子たちにも目がいってしまうもの。 特に女の子は、少しずつ乳房が張ってきたり、生理が始まったり、一足早く男の子よりも体の変容が始まります。 もしかすると性の目覚めや肉体への興味は、女の子の方がずっと早く、好奇心も旺盛なのかもしれません。 男の子の事情を知らないので想像でしかないですが。 ちなみにこちらの作品には 『バラ色の頬の頃』の番外編も収録。 バラ色の頬の頃も、また 思春期の少年同士の不安定な関係性を描いた傑作ですので、こちらも合わせてぜひどうぞ。 といっても、セックスシーンはなく、性的描写はキスまでなのであまり抵抗なく読めると思います。 ルネッサンス吉田先生の作品は、どれも文学的な含蓄が多く、この作品も BLだからといって避けてしまうのがもったいないほどの名作(BLじゃない作品もたくさんあります)なんです。 住職の子である真と、彼に恋をした愛されたがりな男子高校生の藍。 藍の欲情を一身に受けながら、どんどん相手に深入りしてしまいそうな自分に怖くなる真。 二人の思春期ならではの葛藤や不安、ほとばしる恋慕の情は、正直読んでる方も学生時代の恋愛を思い出してしまうほどリアル。 愛されないのも辛いし、好きになってしまうのも怖い。 不安定で初々しい思春期ならではの戸惑いが見事に描かれています。 この作品は藍の幼稚っぽいところが印象的ですが、実は彼って意外とシンプルで率直なんですよね。 好きな人に触れたい。 キスしたい。 セックスしたい。 そして、大事にしたい。 むしろ、そんな藍のことを好きになっていいのか迷っている真の方が、意外と思春期らしい葛藤があるような。 当然ですが、セックスしたいという欲情と、相手を大切にしたいという愛情は両立できるんですよね。 欲情し何度も真を困惑させる藍は、同時に、とある理由から距離を置くことを決めた彼のことを待ち続ける忍耐も見せます。 「けっきょく私のこと性欲処理だとしか思ってないんじゃないの?」なんて悲しくなっていた昔の自分に読ませてあげたい。 大事なのは、性欲とか愛情とか関係なく、 好きだと思った相手を大切にする、ただそれだけなのだ。 まとめ 「青春」って言葉はキラキラとして甘酸っぱいイメージを抱きがちだけど、自分自身の過去を振り返ってみると、色々悩んだり苦しんだり、不安定な時期でもあったんですよね。 だからこそ、そういう時期のゆらぎを見事に描いた作品が胸にグッときてしまう。 思春期のソワソワする感じ、大人になってマンガで思い出してみるのもいいですよ。 関連画像.

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