イサベル あらすじ。 【イサベル波乱のスペイン女王】残り10話はもう目が離せない!

映画「女王フアナ」(2001年)の観賞備忘録(感想とあらすじと情報を添えて)

イサベル あらすじ

Medina メディナ del デル Campo カンポ に移った両王の子だが、マリアがポルトガルへ嫁いだので残りはカタリナのみとなった。 「フフ」 「カタリナ、何かおかしな事でもあったの?」 「いいえ。 ただこの先うまく行きそうな感じがしたのです。 理由は特にないのですが」 我が子ながらカタリナは昔から不思議な娘だった。 いよいよカタリナがイングランドへ嫁ぐ日が来た。 「お母様、今まで育てていただいてありがとうございました。 」 「お父様、イングランドではしっかりと勤めを果たします。 」 其々と抱擁を交わして彼女は宮殿を出て行った。 「とうとう我々の娘たちが全員嫁いで行ってしまったな」 しかし心配の種は残っていた。 ボルゴーニャに嫁いだフアナの夫フェリペである。 当時女性の君主が立った場合はその君主の夫が多少実権を握るのは当たり前の事だった。 フェリペがフランス贔屓である事を前から知っていた両王は彼に実権を握られる事を危惧した。 一方ヘントにいたジャンヌ フアナ とフィリップ フェリペ は女の子イサベル 後のデンマーク王妃イサベラ を出産していた。 やがてジャンヌの実家のカトリック両王から書状が届いた。 内容はやはり、夫妻をカスティーリャに呼ぶというものだった。 フィリップは出来るならヘントに留まっていたかった。 しかしそれではカスティーリャの実権を握る事が出来ないので仕方なしに着いて行き、摂政にサヴォイア公フェリベルト2世の未亡人になっていた妹マルグリットを任命した。 ネーデルラント総督マルガレーテ・フォン・エスターライヒの誕生である。 そしてヘントに置いて行った3人の子どもの養育を彼女に任せた。 ジャンヌ フアナ とフィリップ フェリペ は船の難破でフランスを経由する事になり、海路ではなく陸路で Medina メディナ del デル Campo カンポ に到着した。 両王は娘夫婦が無事に到着した事を喜んで歓迎の宴を開いたが、フェリペはラテン語ではなく両王の仇敵フランスの言葉 フランス語 を使い続け、フアナが通訳するという嫌な物になった。 またフランドルから連れてきた従者は粗野で騒々しく、これを毅然と注意をしたマルガリータとは違ってフェリペはむしろ良しとしたために日々エスカレートする事になった。 そしてとうとうカスティーリャの傭兵がフランドルの傭兵を殺害する事件が起きた。 娘夫婦を歓迎していた両王と娘婿フェリペの仲は急速に冷え込んだ。 フアナとフェリペが到着した数日後、フアナを立太子させる儀式を行った。 これでイサベルに何かあった時の摂政は夫フェルナンドではなくアストゥリアス女公フアナという事になる。 だがフェリペとしては妻フアナのアストゥリアス女公就任と同時に自らもアストゥリアス公と同等の実権を握られる事を期待しており、それが実現されなかった事に苛立ちを抑えられなかった。 アストゥリアス公に任じられなければフアナが女王に即位しても、カスティーリャ共治王として摂政その他の権利を行使出来ないのだ。 これが厄介であった。 妻が将来女王になる事を約束されているのをいい事に地元フランドルの貴族にカスティーリャの土地を与えたり、自分の側近にカスティーリャの官僚の地位を与えようとしたりと身勝手な行動が目立った。 両王の子であるというプライドを持っていたフアナは、アストゥリアス女公に封じられたから暫くは夫の暴走を毅然と制していた。 だが身重で精神不安定だったフアナは次第に夫の暴走を制止させるどころではなくなる。 カスティーリャの貴族達はフェリペの女好きに耐えられなくなった事が原因で狂ってしまったのだと噂した。 彼女は議会の最中もボーッと遠くを見つめている事が多いが、そうかと思えばヒステリックなまでに喚き散らすのだ。 挙げ句の果てにはカスティーリャに嫌気が差した夫フェリペが自国ボルゴーニャへ帰った事を「2人が自分とフェリペを引き離した」と両王のせいにして慟哭する始末だ。 無事元気な男の子を出産してもフェリペがいない事による喪失感は変わらなかった。 因みにその子は母方祖父と同じフェルナンドと名付けられた。 この子は後にオーストリアに移り、交代でスペインへ向かった兄の補佐 主に神聖ローマ帝国の国事について をし、兄の後を継いで神聖ローマ皇帝に即位し、オーストリア=ハプスブルク家の祖となる。 イサベル1世は娘の躁鬱状態を見て、母イサベル・デ・ポルトゥガルの姿と重ね合わせた。 フアナは母上の精神異常を受け継いでしまったのだわ そしてカスティーリャの行く末を心配する余り異常なまでの大汗をかいた。 夏が盛りを越えようとしていた。 フアナはフェリペの後を追うようにしてボルゴーニャへ帰って行った。 将来の不安が拭えないイサベルはフェルナンドやチャコンなど信頼している者だけを呼んでこれからの国政について相談していた。 「フアナを名目上の女王にしておいて、実際は私とフェリペで動かすのはどうだ?」 「フアナは確かに精神不安定だけど、統治能力が欠如している訳ではない!フアナから実権を奪うのは望ましくないわ!」 必死にフアナの地位を守ろうとする余り、イサベルは椅子から立ち上がった。 が… 背中から腰にかけて激痛が走り… 「イサベル!イサベル!しっかりするんだ!」 イサベルはそのまま倒れ三日三晩目を覚まさなかった。 フェルナンドは今までイサベルと一緒に行っていた政務を1人でこなし、合間を縫ってイサベルの様子を見守った。 何とか意識を取り戻したイサベルだったが、彼女は死期を悟った。 「私はもう死ぬ。 フアナとこの先のカスティーリャが心配だけどもう私には何をする力も残ってない」 「大丈夫だイサベル。 俺の目が黒いうちは誰にも悪さはさせない。 任せてくれ」 イサベルは泣きながらベッド越しにフェルナンドに抱きつき、恐らく最後となる口付けを交わした。 病床のイサベルは最早泣いてフェルナンドに縋るしかなかった。 今までイサベルを支えてきたフェルナンドもまた、イサベルに襲いかかる病魔に対しては全く無力であった。 イサベルは最後の大仕事に取り掛かった。 病床で紙と羽ペンを手に遺書を 認 したた めたが、その度に今後予想される権力闘争などで何度も修正を余儀なくされた。 そして見る間に衰弱していき、最後の修正を終える頃には文を書く力も無くなっていた。 そしてフェルナンドやチャコン、カブレラ 侍女ベアトリス・ボバディジャの夫 やバティコ 子の方 ら家臣立会いの元で、イサベルは口述筆記を終えた遺書に震える手で署名した。 「余が崩御した後、娘フアナが即位する。 フアナが帰国するまでは夫フェルナンドが摂政として政務を司る。 フアナが単独で統治できない場合は孫カルロスが共同でこれを統治する。 フアナが統治できず、カルロスが政務を司る事の出来る歳に達していなければ、フェルナンドを再び摂政とする。 Yo la reina 我、女王 」 署名するので精一杯だったイサベルは息を切らしながらフェルナンドを見据えてこう言った。 「これでいい?」 遺書を認めたイサベルは安心したお陰か容体が少し回復し、座れるまでになった。 秋が終わろうとしていた。 宮殿も例外ではなく、暖炉が焚かれている。 イサベルは暖炉の前の安楽椅子に座り、宝石箱を眺めていた。 そこにフェルナンドが入ってきた。 フェルナンドは机を挟んでイサベルの向かいに腰掛けた。 イサベルは箱の中からブローチを取り出してそれをじっと眺めた。 「これは母上が私に残してくれたものよ」 「これが娘たちに受け継がれていくのだろうなぁ」 イサベルは首を横に振った。 「娘たちが使う事はないわ。 女王になるフアナもね。 あれからもう40年、私の賭けは余りにも大き過ぎたわ」 フェルナンドは、ブローチを見て涙を流しながら昔を懐かしむようにして言うイサベルの顔に死相が出ているように思えた。 フェルナンドは不意に床に膝をついた 「死ぬまで一緒だイサベル いつも一緒だよイサベル お前は最高の 女 ひと だよ」 真正面に座るイサベルを見上げるフェルナンドの目から涙が流れた。 フェルナンドはいつ何時もカスティーリャ中の誰の前でも涙を見せた事が無かったのだ。 イサベルは両手でフェルナンドの髭が蓄えてある頬を優しく包み、ゆっくり抱き寄せた。 1504年11月26日 フェルナンドはその日も暖炉の前の椅子に座っていた。 然しその横には… 「旦那様。 いよいよです。 」 ベアトリスが泣きそうになるのを堪えながら呼び出した。 フェルナンドが回廊を歩いてイサベルの部屋まで向かうと彼女は既に虫の息だった。 彼が死んだように眠る彼女の右手を握ると、彼女は僅かに目を開いて真っ直ぐ見据えてきた。 「心配しなくてもいい。 お前の望み通りにすると約束する!」 フェルナンドは小声で囁くように然ししっかりと手を握りしめながら言うと、イサベルは安心したように大きく息を吸い込んで吐き出し、再び目を閉じた。 そして遂に目を開く事はなかった。 「女王崩御」 フェルナンドの一声でその場にいた誰もが涙を拭いながら十字を切った。 奪還したばかりのナポリの事が気掛かりでナポリへ向かいたかったフェルナンドだが、イサベルの遺言を執行してそれに従った。 そしてフアナ・フェリペ夫妻がカスティーリャに到着するまでの間、摂政として国を治めた。 そして遂に彼が摂政を退いてカスティーリャを去る日が来た。 カブレラとチャコンを随えたフェルナンドは宮殿前の広間に進み出た。 そしてチャコンが抱えた黒いクッションの台座の上に被っていた王冠を外して載せた。 イサベルが即位した時は白いドレスとマントを纏った彼女が1人でカスティーリャの王冠を被ったが、今度 フェルナンドが摂政を退いた時 は黒い軍用服とマントを纏った彼が1人でアラゴンの王冠を外したというわけだ。 かつてカスティーリャ国内の用事でずっと被り続けてきたカスティーリャ共治王の王冠 王配・王妃の王冠 はイサベルが亡くなった時点で既に彼の物ではなくなっていたのだ。 彼が儀式で自分の王冠を外したのはフアンをジローナ公に任命し立太子させた時以来である。 フェルナンドが高らかに宣言した。 「カスティーリャはフアナを女王に擁する!」 Medina メディナ del デル Campo カンポ の群衆がこれに応えた。 「カスティーリャ萬歳!カスティーリャ萬歳!カスティーリャ萬歳!」.

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映画「女王フアナ」(2001年)の観賞備忘録(感想とあらすじと情報を添えて)

イサベル あらすじ

スペインを統一に導き、スペイン史上最も偉大な女王の1人として挙げられる イサベル1世。 彼女が女王として載冠し、スペイン王国建国に至るまでの波乱の生涯を描いたスペイン歴史大河を、チャンネル銀河では2017年10月より日本初放送する。 スペイン史上最も大胆で情熱的な女王の物語 カスティーリャ王であるイサベルの父・フアン2世が逝去。 カスティーリャ王位を継承した異母兄・エンリケ4世によって、イサベルは弟アルフォンソや母と共にアレバロの城に追いやられ、貧しく辛い幼少期を過ごしていた。 そんな中、長く子に恵まれなかったエンリケ4世の妻フアナ王妃が妊娠する。 これをきっかけにイサベルとアルフォンソは母と引き離され、無理やり宮廷へと連れ戻されてしまう。 そこで待っていたのは、狩猟や音楽に興じ権力を振りかざす王や、2人を監視下に置こうとする王妃、そして謀反を企てようとする王の側近たちであった。 フアナ王妃と対峙するイサベルとアルフォンソ 欲望渦巻く宮廷内の陰謀に巻き込まれていくイサベルは、祖国を守るため、数々の試練に立ち向かっていく。 やがて後継者争いに勝利したイサベルは、カスティーリャ女王として戴冠。 アラゴン王国の王である夫フェルナンドとともに、スペイン統一を目指していく。 父のカスティーリャ王フアン2世の死後に王位を継いだ異母兄エンリケ4世によって、母・弟と共に追放され、不遇な少女時代を過ごす。 その後、王位継承権問題に国が揺れ動く中、弟のアルフォンソが死去。 イサベルはポルトガルへ嫁がされる予定であったが、国の利益を主張し、地中海の領海権をもつアラゴン王国の王子フェルナンドと結婚する。 1474年、エンリケ4世の死去により、イサベルはフェルナンドと共にカスティーリャ王に即位。 1479年にフェルナンドがアラゴン王位を継承したことで、カスティーリャ王国とアラゴン王国が統合され、スペイン王国が誕生した。 その後、グラナダ陥落により約800年に及んだレコンキスタを完成させ、ローマ教皇から夫と共に 「カトリック両王」の称号を授けられた。 レコンキスタ(キリスト教徒による、イスラム教徒に占領されたイベリア半島の再征服活動)の中心勢力として次第にイベリア半島中部に進出し、1035年にフェルナンド1世のもとで王国となると、1037年にはレオン王国との同君連合国家となり「カスティーリャ・レオン王国」と称した。 その後、1143年には西南部のポルトガルが分離するなど、分離・統合がくりかえされたが、13世紀には最も強大となって、1212年にはナバス=デ=トロサの戦いでイスラム残存勢力を撃破した。 1230年にはレオン王国を完全に併合し、さらに1236年にコルドバを奪った。 イサベルと夫フェルナンドが共同で王位に就いた際、アラゴン王国とカスティーリャ王国は統合され、スペイン王国となる。 マルコ・ポーロなどの書物からインド、中国、ジパングなどに興味を持ったコロンブスは、西回りでアジアに到達することを提言。 当初はポルトガルのジョアン2世に援助を求めたが拒否されたため、スペインに渡りイサベルに面会した。 当時はグラナダ攻略のため財政的な余裕がなく一度は断ったが、グラナダを陥落し、レコンキスタが完了すると、元々興味を持っていたイサベルは夫フェルナンド2世を説き伏せ、コロンブスの計画を承認した。 1492年10月12日、イサベルの援助を受けたコロンブスはついに新大陸(=アメリカ大陸)を発見する。 彼が新大陸を発見した10月12日はスペインの ナショナルデー(イスパニアデー)として、現在も首都マドリードをはじめ各地で盛大なイベントやパレードが行われている。 そんな中、長く子に恵まれなかったエンリケ4世の妻フアナ王妃が妊娠する。 これをきっかけにイサベルとアルフォンソは母と引き離され、無理やり宮廷へと連れていかれてしまう。 やがて欲望渦巻く宮廷内の陰謀に巻き込まれていくイサベルは、祖国を守るため、数々の試練に立ち向かっていく。

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オスマン帝国外伝~キャストの美人ランキング8位まで!イザベラは何位? | カイドーラ

イサベル あらすじ

カスティリャの王女とアラゴンの王子は1469年に結婚し、1479年に両国が合同して王国となって、二人は共同統治者となった。 しかし、二人の結婚には複雑な事情があった。 イサベラは父はファン2世、母はポルトガル王家出身の女性だった。 1454年、腹違いの兄エンリケが王位を継承するとイサベラの結婚問題が起こった。 宮廷には親フランス派、親ポルトガル派、親アラゴン派がそれぞれの国の王子とイサベラを結婚させようとした。 アラゴンはフランスの圧力を受け、経済的にも不振であったので、羊毛産業が勃興して豊かになりつつあり、領土もアラゴンの4倍、人口の6倍にあたるカスティリヤとの関係強化を望み、王子フェルナンドとイサベラの結婚を画策した。 イサベラもそれを見抜いていたらしい。 イサベラとフェルナントの結婚 引用 彼女とフェルナンドは、周囲の反対者たちの目をかすめてひそかにバリャドリーでおちあい、一四六九年十月十九日に、フワン・デ・ピベーロという個人の邸で結婚式をあげました。 イサベル王女は十八歳、フェルナンド王子は十七歳という若さでした。 というと、なにかロマンティックなかけおち結婚のようにきこえるかもしれませんが、とんでもない、事実はまさに政略結婚そのものでした。 イサベルはフェルナンドに、そのときはじめて会ったのです。 そして彼らの結婚は、アラゴン王でありフェルナンドの父であるフワン二世やトレドの大司教をはじめとするカスティリャ宮廷内の親アラゴン勢力によって推進され、結婚式に先立つ三月五日、セルベーラで契約をとりかわして定められたものでした。 その結婚契約書には、カスティリャの優勢がはっきりとうたわれています。 つまり、フェルナンドがカスティリャに住み、イサベルに政治的に従うことなどが明記されております。 それから、契約のなかで重要なのは、異教徒に対する政策に関する条項で、当時まだイスラム教徒のグラナダ王国が残存しておりましたから、これを攻略することも約束されております。 <増田義郎『コロンブス』岩波新書1979 p. 123> 両王の即位 1474年、カスティリャのエンリケ4世が死ぬと、イサベラは王位継承を宣言した。 それに対して宮廷内の親ポルトガル派がエンリケの娘フアナの即位を画策、ポルトガルも援軍を送り内乱状態となった。 イサベラは困難な立場になったが、76年のトロの戦いで反イサベラ派とポルトガル援軍を破り、79年に正式にカスティリャ女王となった。 同年、アラゴンのフワン2世が死に夫フェルナンドがアラゴン王位に就いたので、夫婦で両国を治めることとなった。 形の上では一つの国になったのではなく、それぞれ別の身分制議会(コルテス)を持ち独立した政治体系を守っていたが、結婚の契約にカスティリャの優位が明記されていたので、実質的にはカスティリヤへの吸収であった。 レコンキスタの完了 そして、を推進して、にを奪還して、イスラーム勢力を半島からの駆逐してを完了させ、さらに北アフリカにも遠征した。 ポルトガルとの世界分割 同じ、イザベラはジェノヴァ人のを後援して、その船団がに到達、スペインの進出の第一歩が始まった。 はすでにがアフリカ西岸での南下を進め、1488年にはがに達し、を進めようとしていたので、スペインとポルトガル両国の間に勢力圏分割をめぐって対立が生じた。 そこでスペインはローマ教皇の調停を要請、1494年、としてを定めた。 この分界線はさらに両国の交渉によって1497年にで西に移動されたが、ブラジルを除き南北アメリカ大陸に広大なスペイン領土をもたらす結果となった。 カトリック信仰による統一とユダヤ人の追放 また二人は、統一国家の理念としてローマ=カトリック教会への信仰を掲げ、カトリックによる国造りを目指した。 その一環として、厳しい異端の取締りのためにによる制度を始め、さらに、レコンキスタの完了の年であり、コロンブスのアメリカ到達の年でもある1492年に、(ユダヤ人追放令)を出した。 そのためユダヤ人改宗者()になるか、イベリア半島を離れるかを迫られ、その多くがイベリア半島を離れた。 イタリア戦争でのスペイン カトリック両王の時代は、中央集権化、絶対主義の基礎が固められた時代とされている。 都市においては市会の制度を強化して、地方行政ではコレヒドール制を徹底させ、中央政治では枢機会議を設け、教会やや騎士団を統制し、羊毛産業を保護した。 両王の内、フェルナンドは外交交渉に長けており、南イタリアのナポリ王国をめぐる問題、や教皇庁との駆け引きでは、十分な外交的成果を挙げた。 1494年、フランスのがイタリアに侵入してが始まると、フェルナンドはローマ教皇、神聖ローマ皇帝の、ヴェネティア、フィレンツェなどと同盟を結んでフランス軍を撤退させることに成功した。 二人の墓碑銘 のカテドラル教会堂にカピリャ・レアル、つまり王の礼拝堂と呼ばれる建物があり、その中にイサベルとフェルナンドのお墓があって二人の石棺が安置されている。 その碑文には「この女王と王は、マホメット教の宗派を滅ぼし、頑強なユダヤ人たちを打ち平らげ、それ故にカトリック両王と呼ばれる。 」とある。 当時のスペインではこの二人の業績は、異教徒の征服という点のみに価値が置かれていたことが分かる。 <増田義郎『コロンブス』岩波新書1979 p. 130> しかし、フェルナンドとイザベラに対し「カトリック両王」の称号を与えたのは、1496年、ローマ教皇であった。 その直接の理由は、イスラーム教徒をイベリア半島から追い出したことや、新大陸でのカトリック布教を始めたことよりも、イタリア戦争で対フランスの闘いを優位に進めたことに対する賞賛であった。 男児に恵まれず イサベルは1504年、フェルナンド5世は1516年に没したが、二人のあいだには男子はなく、スペイン王位は娘ファナとのフィリップ(神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世の子)の間に生まれた、孫のが継承しスペイン王となった(在位1516~56年)。 こうして、スペインはハプスブルク家の領土に組み込まれ、の繁栄の時代となる。

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