スペイン 風邪 日本 死亡 者。 インフルエンザ・パンデミックに関するQ&A

100年前5億人が感染したスペイン風邪 なぜ日本も終息に丸2年かかったのか?

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2020年3月11日、WHOは世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症を「パンデミック」とみなせると表明しました。 日本でも大規模イベントの自粛や小中高校の臨時休校などがあり、今後どうなっていくのか大きな不安を感じている人が多いと思います。 みなさんは、今回のような世界的な大流行とされるパンデミックは過去にもあったことをご存知でしょうか。 今回は、これまで新型の感染症にどうやって立ち向かっていったのかを知るため、過去に世界的に大流行となった感染症についてまとめてみました。 スポンサーリンク 感染症とは 新型コロナウイルスで注目されている感染症についてわかりやすくまとめてみました。 まず、感染症とは病気を起こす原因となる病原体が体内に侵入しその後に症状が出る病気のことです。 病原体と言っても一つだけでなく細菌・ウイルス・真菌 カビ ・寄生虫などがあります。 感染症は病原体が人間の体内に侵入・定着・増殖することで発症しますが、症状が現れる場合とはっきりとした症状が現れない場合があります。 このようなはっきりとした症状が現れない場合は知らぬ間に感染を拡げてしまう可能性があり、新型コロナウイルスでも大きな問題となっています。 接触感染による代表的な感染症にはノロウイルスによる急性胃腸炎・流行性結膜炎・風しん・ヘルペスなどがあります。 飛沫感染による代表的な感染症には風邪・インフルエンザ・ジフテリアなどがあります。 空気感染による代表的な感染症には水ぼうそう・麻しん・結核などがあります。 経口感染による代表的な感染症にはノロウイルスやロタウイルスなどがあります。 現在、新型コロナウイルスに注目が集まっていますが風邪・食中毒・水虫・ものもらいなどの身近なものも感染症です。 なお、 新型コロナウイルスについては現時点で飛沫感染と接触感染の2つの感染経路が考えられています。 スポンサーリンク 過去に世界的大流行となった感染症 現在、WHOが新型コロナウイルスはパンデミック 世界的大流行 とみなせると表明し大きな注目を集めていますが、過去にも世界的大流行により大きな影響を及ぼした感染症がありました。 現在までにパンデミックとされた感染症には、インフルエンザ・天然痘・AIDS・ペスト・梅毒・コレラ・結核・発疹チフス・マラリアなどがあります。 その中でも最悪のパンデミックとされているのが、1918年~1919年に大流行したスペイン風邪です。 今回は、20世紀最悪とされているスペイン風邪についてウイルスの発症から終息までをまとめてみました。 スペイン風邪とは スペイン風邪とは記録に残されているものの中で最初にパンデミックとされたインフルエンザで、世界での感染者は約5億人以上・死者が約5,000万~1億人以上とも言われています。 日本では当時の人口が約5,500万人に対して死者が約39万人で、アメリカでも50万人が死亡するなど短期間で最も多くの死者を出した感染症として記録的なものとなっています。 スペイン風邪の発生は1918年3月にアメリカのカンザス州にあるファンストン陸軍基地の兵営だとされています。 発生当時は第一次世界大戦の最中でアメリカが大規模な派遣軍をヨーロッパに送ることとなり、アメリカ軍と共にスペイン風邪も大西洋を渡り5月~6月にヨーロッパで流行しました。 スペイン風邪の名前の由来は、第一次世界大戦に参加していなかったスペインでは報道が自由だったためスペイン王室の罹患者を大々的に報道しており、パンデミックの発信源がスペインということになってしまったためです。 日本でのスペイン風邪の流行は2回あり、1回目の流行は1918年8月下旬から9月上旬に始まり10月上旬には日本全国に蔓延した後、その後急速に拡大し11月には患者数・死者数が最大に達しました。 2回目の流行は1919年10月下旬から始まり、1920年1月末にピークとなりました。 当時はまだウイルスを観測できる電子顕微鏡が開発されておらず、実際にスペイン風邪のウイルスの分離に成功したのは流行から15年が過ぎた1935年のことでした。 そのため、当時はスペイン風邪の原因を特定することは不可能なことで、医師や研究者たちはウイルスではなく細菌が原因だと考えていたのです。 そんな状況の中で、当時の政府や自治体のスペイン風邪への対応は一体どのようなものだったのでしょうか。 スポンサーリンク スペイン風邪への政府の対応 政府の対応はどうだったのか調べてみると、1919年1月に内務省の衛生局が一般向けにスペイン風邪の流行と対処方法発表しました。 予防法としては、病人や病人だと思われる人、咳をしている人に近寄らない。 たくさん人の集まっている場所に行かない。 人の多く集まる電車ないなどではマスクをつけるか鼻や口をハンカチなどで覆うことなどでした。 発症してしまった場合は、すぐに医師を呼ぶこと。 病人の部屋を別にして看護する人はその部屋に入らないこと。 自分で判断せずに医師の指示があるまでは外にでないことなどでした。 いかがでしょうか。 多少の違いはあるかもしれませんが新型コロナウイルスへの政府の対応とあまり変わらない認識であることがわかります。 この他にも、各地でスペイン風邪に対する講話会を開いたりマスクを推奨するポスターを全国へ配布するなどしました。 新型コロナウイルスの発症によりマスク不足が深刻な問題となっていますが、実はマスクが感染症の予防品として注目を集めるようになったのはスペイン風邪が大流行したことがきっかけで、当時は主に粉じんよけに利用されていたマスクが徐々に改良されていきました。 スペイン風邪への対応としてマスクの無料配布も行われたようですが、新型コロナウイルスと同じようにマスクの生産が追い付かなくなってしまったようです。 また、予防策として開発した予防薬を注射させる方針を取りましたが病原体がウイルスではなく細菌だと考えていた状態でのことだったため、後から考えれば全く無意味なことでした。 スペイン風邪への自治体の対応 各自治体の対応はどうだったのか調べてみると、被害が甚大だった地域では市内の幼稚園・小学校・中学校の全面休校としたり、内務省の衛生局が一般向けに発表した対処方法を県としても公表するなどの対応をしました。 それにより、各地での集まりや興行などが次から次へと中止となっていきました。 これらの対応も新型コロナウイルスへの自治体の対応とよく似ていることがわかります。 デマが流れる 現在の日本では新型コロナウイルスへの根拠のないデマ お湯を飲むと良い・納豆が効果的・トイレットペーパー品薄など が流れ国民が混乱してしまっていますが、当時も「厄除けの札を貼るとよい」、「ネズミを焼いて粉末にしたものを飲むとよい」などの神頼み的なデマが流れていたようです。 緊急事態になるとデマを信じてしまう気持ちはわかりますが、自分で情報を見極める力も大切だと感じます。 スペイン風邪の終息 日本中で猛威を振るったスペイン風邪は1920年が過ぎると自然に鎮静化していきました。 どのように終息していったのかというと、感染者が死亡するか感染者に免疫がつきこれ以上感染する限界に達してしまったからです。 犠牲者の多くが若くて健康な成人でしたがその原因としては、高齢の人はスペイン風邪に似たインフルエンザウイルスを子どもの頃に経験し免疫があり若い人はまだ免疫がなかったことが有力だとされています。 スペイン風邪は最初に医師や看護師の多くが感染してしまい医療体制の崩壊が起きてしまいました。 その教訓として、2009年に新型インフルエンザが流行した際には医療従事者にインフルエンザワクチンを優先して接種する対策が取られました。 スポンサーリンク 新型コロナウイルスの感染症対策まとめ 現在、世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルスに感染しないようにするために一人一人ができる感染症対策についてまとめてみました。 新型コロナウイルスは現時点で飛沫感染と接触感染の2つの感染経路が考えられています。 外出をした際にドアノブや電車のつり革などから自分の手にウイルスが付着している可能性も大いに考えられます。 外出先から帰宅した時・調理する前後・食事をする前などこまめに手洗いうがいをすることを心がけましょう。 バランスの取れた食事や十分な睡眠を普段から心がけましょう。 防御機能が低下してしまうとウイルス感染のリスクが高まるため、50%~60%程度の湿度を保つことを心がけましょう。 自分の予防をするだけでなく、感染症を他の人にうつさないようにするために咳・くしゃみをする時にはマスク・ハンカチ・ティッシュなどで口や鼻を覆うことが大切です。 とっさの咳・くしゃみには他の人から顔をそらして服の袖や肘で口や鼻を覆い咳エチケットに心がけましょう。 現在、マスク不足が深刻で手元にない人も多いかと思いますが、ガーゼやキッチンペーパーを利用して手作りする方法もネット上にたくさんアップされていますので、マスク不足が解消するまでの対策としておすすめです。 これら3つの密がそろうと集団感染のリスクが高まるため3つの密を避けて行動しましょう。 そして、以下のような症状がある場合には「帰国者・接触者相談センター」に相談してから病院を受診しましょう。 まとめ 感染症についてや過去に世界的大流行になった感染症についてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。 記録に残されているものの中で最初にパンデミックとされたインフルエンザであるスペイン風邪は多くの犠牲者を出してしましましたが、当時の政府や自治体の対応は新型コロナウイルスへの対応と似ているものでした。 2020東京オリンピックの延期も決定し今後の新型コロナウイルスの流行がどうなっていくのかとても心配ですが、無事に終息することを願うばかりです。 必要以上に恐れて間違った情報を信じることのないように、正しい情報を見極めて行動していきたいですね。 最後まで読んで頂き、ありがとうございました。 スポンサーリンク•

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スペイン風邪とは 死者数致死率は新型コロナとは比較にならない感染症・・・

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過去におこったインフルエンザ・パンデミックにはどのようなものがありますか? インフルエンザ・パンデミックと考えられる流行の記録は1800年代ころからありますが、パンデミックの発生が科学的に証明されているのは1900年ころからです。 また、最近1889〜1891年にもH3N8によるパンデミックが発生していたとの報告(Taubenberger J, 2006. があります。 世界的な患者数、死亡者数についての推定は難しいのですが、患者数は世界人口の25-30%(WHO)、あるいは、世界人口の3分の1(Frost WH,1920)、約5億人(Clark E. 1942. )で、致死率(感染して病気になった場合に死亡する確率)は2. )、死亡者数は全世界で4,000万人(WHO)、5,000万人(Crosby A, 1989; Patterson KD, Pyle GF, 1991; Johnson NPAS, Mueller J, 2002. )、一説には1億人(Johnson NPAS, Mueller J, 2002. )ともいわれています。 日本の内務省統計では日本で約2300万人の患者と約38万人の死亡者が出たと報告されていますが、歴史人口学的手法を用いた死亡45万人(速水、2006. )という推計もあります。 スペインフルの第一波は1918年の3月に米国とヨーロッパにて始まりますが、この(北半球の)春と夏に発生した第一波は感染性は高かったものの、特に致死性ではなかったとされています。 また、これに引き続いて、(北半球の)冬である1919年の始めに第三波が起こっており、一年のタイムスパンで3回の流行がみられたことになります。 これらの原因については多くの議論がありますが、これらの原因については残念ながらよくわかっていません。 1918年の多くの死亡は細菌の二次感染による肺炎によるものであったとされていますが、一方、スペインフルは、広範な出血を伴う一次性のウイルス性肺炎を引き起こしていたこともわかっています。 非常に重症でかつ短期間に死に至ったため、最初の例が出た際にはインフルエンザとは考えられず、脳脊髄膜炎あるいは黒死病の再来かと疑われたくらいです。 もちろん当時は抗生物質は発見されていなかったし、有効なワクチンなどは論外であり、インフルエンザウイルスが始めて分離されるのは、1933年まで待たねばならなかったわけです。 このような医学的な手段がなかったため、対策は、患者の隔離、接触者の行動制限、個人衛生、消毒と集会の延期といったありきたりの方法に頼るしかありませんでした。 多くの人は人が集まる場所では、自発的にあるいは法律によりマスクを着用し、一部の国では、公共の場所で咳やくしゃみをした人は罰金刑になったり投獄されたりしましたし、学校を含む公共施設はしばしば閉鎖され、集会は禁止されました。 患者隔離と接触者の行動制限は広く適用されました。 感染伝播をある程度遅らせることはできましたが、患者数を減らすことはできませんでした。 このなかでオーストラリアは特筆すべき例外事例でした。 厳密な海港における検疫、すなわち国境を事実上閉鎖することによりスペインフルの国内侵入を約6ヶ月遅らせることに成功し、そしてこのころには、ウイルスはその病原性をいくらかでも失っており、そのおかげで、オーストラリアでは、期間は長かったものの、より軽度の流行ですんだとされています。 その他、西太平洋の小さな島では同様の国境閉鎖を行って侵入を食い止めたところがありましたが、これらのほんの一握りの例外を除けば、世界中でこのスペインフルから逃れられた場所はなかったのです。 また、このころにはスペインインフルエンザの時代以降の医学の進歩もあり、インフルエンザウイルスに関する知見は急速に進歩し、季節性インフルエンザに対するワクチンは開発され、細菌性肺炎を治療する抗生物質も利用可能でした。 またWHOの世界インフルエンザサーベイランスネットワークはすでに10年の稼働実績がありました。 1957年2月下旬に中国の一つの地域で流行が始まり、3月には国中に広がり、4月中旬には香港に達し、そして5月の中旬までには、シンガポールと日本でウイルスが分離されました。 1週間以内にWHOネットワークは解析を終了して新しい亜型であることを確認後、世界にパンデミックの発生を宣言しました。 ウイルスサンプルは即座に世界中のワクチン製造者に配布されました。 国際的伝播の速度は非常に速く、香港への到達後6ヶ月未満で世界中で症例が確認されました。 しかしながら、それぞれの国内ではかなり異なった様相を呈し、熱帯の国と日本では、ウイルスが入ると同時に急激に広がり、広範な流行となりました。 欧米では対照的で、ウイルスの侵入から流行となるまで少なくとも約6週間かかったとされています。 疫学的には、この間に静かにウイルスが播種(seeding)されていたと信じられています。 すなわち、あらゆる国にウイルス自体は侵入していたものの、感染拡大のタイミングが国によって異なっていた、ということです。 この理由は定かではありませんが、気候と学校の休暇の関係だったと考えられています。 一旦流行が始まると罹患のパターンはどこの国もほとんど同様で、スペインフルの第一波の時のように膨大な数の患者と爆発的なアウトブレイクの発生がみられましたが、致死率はスペインフルよりもかなり低かったとされています。 死亡のパターンは、季節性インフルエンザと同様、乳児と高齢者に限定されていました。 第一波では患者のほとんどは学童期年齢に集中していました。 第一波の終息後2〜3ヶ月後、より高い致死率の第二波が発生しましたが、これは主に学童中心だった第一波と異なり、第二波では高齢者に感染が集中したためと考えられています。 このパンデミックにより世界での超過死亡数は200万人以上と推定されています。 アジアフルのときにも、1918年よりは少数でしたが、同様の細菌感染が見つからないウイルス性の肺炎も存在しました。 剖検所見も1918年にみられたものと類似していましたが、ほとんどのこのような症例は基礎疾患のあるかたに限られており、以前より健康な人ではまれではなかったものの少なかったとされています。 ニューヨークでの報告によると、特にリウマチ性心疾患と妊娠第三期の妊婦においてもっともよく見られたとされています(Louria DD,Blumenfeld HL, Ellis JT, et al. 1959. ワクチンは米国では8月に、英国では10月に、そして日本では11月に使用可能になりましたが、広く使用するのは少なすぎる量でした。 多数の人が集まるような、会議やお祭りなどの場で感染が広がったという事実から、非医学的な対策としては、集会の禁止と学校閉鎖がパンデミックインフルエンザの伝播を防止できる唯一の手段だったとされています。 初期の国際的な伝播はアジアフルに類似していましたが、世界のいずこでも臨床症状は軽く、低い致死率でした。 ほとんど国では、その前のパンデミックにみられたような爆発的なアウトブレイクはなく、流行の伝播は緩やかで、学校での欠席や死亡率に対する影響は非常に少ないか、全くありませんでした。 そして、医療サービスへの負荷もほとんどみられず、インフルエンザに起因する死亡は、実際前年の季節性インフルエンザよりも少数で、世界での超過死亡は約100万人でした。 この原因については、直前のパンデミックがH2N2亜型であり、香港フルのH3N2とN2を共有していたため、これに対する免疫が防御的に働いたとの説が多くあります(Schulmann JL, Kilbourne ED. 1969. ; Stuart-Harris C. 1979. ; Monto AS, Kendal AP. 1973. ; Viboud C, Grais RF, Lafont BA, et al. 2005. 1969. )もあります。 また、1889年に発生したH3N8亜型によるパンデミックにより、これに対する免疫をもっていた高齢者は守られたという報告もあります(Taubenberger J. 2006. 参考文献:.

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スペインかぜは、日本でも30万人から40万人くらい死んでいると言わ...

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新型コロナウイルスの感染拡大で改めて注目されているが、計3回の流行期で最も死者が多かったのは2回目だった。 あっという間に重症化し命を落とす若者もいるなど、当時の資料からも、その猛威はうかがえる。 国内では新規感染者数が減少している新型コロナも「第2波」への懸念は根強く、専門家は「検査の拡充と対策を緩めないことが重要」と訴える。 当時の東京には、同年に創建された明治神宮の「御造園奉仕(ごぞうえんほうし)」のため、全国各地から青年が上京していた。 同県榛原郡勝間田村(現・牧之原市)に住んでいた良平さんもその一人だった。 榛原郡からは良平さんをはじめ70人の若者が選ばれ、2月17日に東京へ到着。 18日から工事が始まったが、良平さんは21日に微熱が出始め、22日には高熱になった。 感染者を隔離する「避病院」と呼ばれた東京地方衛生会立大久保病院(現・東京都保健医療公社大久保病院)に搬送され治療を施されたが、27日に息を引き取った。 美恵子さんは、良平さんの父で美恵子さんの曽祖父に当たる佐七さんから「(良平さんは)感冒で亡くなった」と聞いていたという。 新型コロナの流行後、「もしかして(良平さんは)スペイン風邪だったのでは」と孫が口にしたのをきっかけに家の中を探したところ、冒頭のものを含む計9通の弔辞が見つかったという。 ほかの弔辞にも、良平さんが上京から亡くなるまでの様子が克明に記されていた。 農家だった良平さんは、いずれの弔辞にも《模範青年》と書かれており、造園奉仕に選ばれるほど肉体的にも壮健だったとみられる。 中には《榮誉ナラズヤ(中略)大家二木博士 特ニ力ヲ致しテ四天ノ術ヲ施ス》との文言も。 「二木博士」とは文化勲章を受章した細菌免疫学の権威、二木(ふたき)謙三医師とみられ、入院中に高度な医療を施されていたことがうかがえる。 だが裏を返せば、若者が発症から1週間ほどで死に至るほどスペイン風邪は重症化しやすかったともいえる。 新型コロナと同じく、感染拡大防止のために良平さんの遺体はすぐに荼毘に付された。 良平さんは村葬で盛大に送られたというが、栄誉の任務に選ばれ、晴れやかに送り出した肉親らの無念は察するに余りある。 良平さんが亡くなった当時、美恵子さんの父はまだ1歳5カ月だったという。 美恵子さんは「感冒は単なる風邪のことだと思っていたが、祖父の無念を思うと胸が張り裂けそう。 100年後に、まさか同じような感染症が流行するとは思わなかった。 家族で力を合わせて行くので安らかに眠ってほしい」と話した。 死者は約4倍に 厚生労働省の前身に当たる内務省衛生局が刊行した「流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録」(平凡社)によると、大正7年に1回目の流行が始まったスペイン風邪は、8年7月までに感染者約2100万人、死者は25万人に達した。 第2波は8年10月から流行が本格化。 感染者は約240万人と第1波の10分の1だったが、死者は約12万7千人。 死亡率は5・29%で、第1波(1・22%)の約4倍に上った。 東京で発行されていた新聞「時事新報」には、第2波の真っただ中の9年1月10日付に《東京でも毎日 十一、五名死ぬ 流行性感冒は之からが危険》、1月21日付に《昨年の感冒に較(くら)べて 死亡率は約三倍 注射は絶対的に有効》の見出しで、警戒を呼びかける記事が掲載されている。 ただ、2回目の流行の方が死者が多かった理由は不明は、今もよく分かっていない。 第2波の備えを 翻って、今回の新型コロナ。 感染症に詳しいけいゆう病院(横浜市)の菅谷憲夫医師は「日本やアジア各国は欧米に比べてこれまで死者数が少ないが、その理由は明確ではない。 今後もそうである保証はなく、第2波は欧米並みの被害が出る可能性もあると考えて準備をするべきだ」と警鐘を鳴らす。 日本では院内感染が多く発生していることに触れ「院内感染を防ぎ、病院を安全で安心できる場所に戻すためには徹底してPCR検査を行わないといけない」と訴える。 さらに、秋や冬にかけて再び流行する恐れがあるとし「ウイルスはいなくなったわけではなく、ちょっと油断すると増える。 (休業要請や移動の自粛など)様々な制限が解除される中、これまで同様、3密を避けつつソーシャルディスタンシングやマスクの着用、手洗い、殺菌を続けてほしい」と呼びかけた。

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